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15話『黒化』

 夢を見ていた。俺が小学生を上がる前に出ていった、母の夢を。


 幼い俺に優しく声を掛け、抱きしめてくれる夢。ただそれだけの夢だったけど、なによりも温かな過去だ。

 どうして母が出ていったのか、それは分からない。父に愛想を尽かしたのか、俺に愛想を尽かしたのか、俺達二人よりも大切なものができたのか。

 ただ覚えているのは、出ていくときの母は酷く思いつめたような顔をしていたってことだけだ。


「────か。──い──か。大威(おおい)石火(せっか)


 俺の名前を呼ぶ中性的な声を聞いて、眼を覚ます。ズキリと頭に走る鈍い痛みを堪えながら、声の方に視線を移すと、


 そこには、見知らぬ男が立っていた。髪は脱色しているのか白く、身長は俺と変わらないぐらいだ。恐らく二十歳そこらだろうが、落ち着き過ぎたその雰囲気から三十歳近くにも見える。

 慌てて辺りを見回すが、ここは俺の家のリビングで間違いない。どうやらソファに寝かされていたようだが一体何があった?


 いや、それよりも問題はこの男の方だ。


「お前は……?」


 俺の疑問に、男は心底不思議そうな表情を浮かべ言う。


「何を言っている? まさか記憶が飛んでいるんじゃあるまいな?」


 こっちこそ不思議なんだが、と思ったところで気付く。この中性的な声はもしかして。

 男の顔から視線を下に逸らすと、映るのは黒のライダースーツ。

 ということはやはり。こいつ、黒ヘルメット、じゃなくて安藤か!


「お前、ヘルメット外したのか」


「名前まで晒したんだ、素顔を隠す理由ももうないだろうと思ってな」


 安藤(あんどう)(かなめ)、だったな。要、要か。……名前まで中性的だな。

 というかさっきは見知らぬ男がいるという驚きで流していたが、素顔の方もかなり中性的だ。こういうのを美人、というのか?

 今更ながらに少し不安になってきた。髪が短いのと口調で、男だと断定していたが本当のところはどっちだ……?


「失礼なことを聞くぞ」


「なんだ?」


 木椅子に腰掛けながら先を促す安藤に、躊躇なく尋ねる。


「お前の性別はどっちだ?」


「……夏場のジョークにしては上出来だ。少々冷え込んできたぞ」


 皮肉を吐きながら顔を歪め、額に手を当てる安藤。


「いや、ジョークなんかじゃねぇよ。普通に分からん」


「はぁ……、好きに想像していろ。そんなことよりも問題はお前だ」


 溜め息を吐き、強引に話を切り替えられる。これ以上食い下がるような話でもないので普通に聞き返し尋ねた。


「問題? どういうことだ」


「自覚症状がないということは、日常生活に影響はなさそうだな」


 俺に言ってるというより、一人呟いているという感じの安藤。つまるところ、何を言っているのかまったく分からない。


「だから何の話を……」


「言うよりは見てきた方が早い。洗面台で鏡でも覗いてこい」


 意味が分からないながらも、素直に従って風呂場の洗面台に向かう。頭痛で少しだけふらつくが、なんとか洗面台の前まで辿り着いた俺は、


 鏡を見て驚愕する。

 そこに映っていた俺の左眼が、──黒く染まっていたから。

 別に能力を使っているわけではない。なのに黒く染まっているということは、つまり。


「ラスター化、なのか?」


 安藤が来るのが鏡越しに見えて尋ねる。


「ラスター?」


 ああ、そうか。ラスターという呼称はレボルス独自のものだったな。ラスターという言葉を化け物に変え、安藤の方へ振り向いてからもう一度尋ねる。


「これは化け物に変質する兆候なのか? だとしたら何故……」


 あの注射で俺がラスターに変質することはないんじゃなかったのか?


「私もよくは分からない。ただ、思い当たるとすれば、それは私の作った注射があくまで抑制に過ぎないということだろうな」


「どういうことだ?」


「異能細胞の変質を止めるんじゃなく、抑える。化け物にならなくするんじゃなく、なりにくくする。抑制はあくまで抑制で、抑制できる限界を超えてしまえば化け物へと変質してしまうということだ」


「抑制できる限界……」


「ああ、そうだ。そもそも疑問だったんだが、お前の能力は人を一秒止めるといったものだったはずだろう。なのに何故、私が来るまで持ち堪えられた? 全力で飛ばしたとはいえ三分ほどは掛かったはずだ。そして細胞の変質が始まってから完全に化け物になるまでの時間は、私が調べた限りでは平均一分。お前の能力が一秒以上父親を止めていないとおかしな話になってしまう」


 俺の能力まで調べていたのか、こいつは。一体どこまで調べられているのかというのは置いておくとして、全体的にこいつの言う通りだ。

 俺の能力は親父の細胞浸食を一秒を越えて止めていた。今までの『石眼』とは違うカタチで。


 安藤が来る前に起きたこと、その全てを事細かに伝える。

 すると安藤は顎に手を当て、


「なるほどな。黒化細胞(こくかさいぼう)の浸食のみを止めた、か」


「何か分かったか?」


「完全な解答というわけではないが仮説程度なら」


 なんでもいい。とにかく能力の情報が欲しい。こんなわけの分からなくなった世界で、自分の能力さえ分からないなんて最悪が過ぎる。

 そう急かすと、安藤は話を続けた。


「お前の能力は、元々人の動きを止める能力ではなかったのかもしれないということだ」


「は? だったらなんで今まで人の動きを止めることができてたんだよ」


 仮説にしても、荒唐無稽だ。言ったように俺は、事実、人の動きを止めてきた。


「とりあえず最後まで聞け。元々人の動きを止める能力ではなかった。なら何なのか。私の仮説では────」



 ────黒化細胞の動きを止める能力。



 安藤はそう口にした。


「いや、待て。親父のときの話を聞いてそう思ったのかもしれねぇけど、まだその一件だけだぞ。それ以外では俺の能力に黒化細胞なんて一切関係ないだろうが」


「お前は、レボルスの小娘と共に行動していたな。だったら化け物とも戦ってきたんだろうが、能力は使っていたのか?」


 まったく関係のない話を振られて面食らいながらも答える。


「ああ。能力を使わないなら俺とあいつが組む必要なんてないからな。あいつのサポートとして化け物達の動きを止め────、まさか」


 そこまで口にして、安藤の言いたいことに気がついた。

 こいつが言いたいのは、つまり。


「ああ、そうだ。化け物は人ではない。いくら元が人でもな。なのに何故能力で止めることができていたか。それは能力が黒化細胞を止めるモノで、化け物が黒化細胞の塊だからだと考えれば辻褄が合うんじゃないか?」


 黒化細胞の浸食とラスターの動きを止めてきた過去。それらを考えれば確かに、安藤の仮説で辻褄が合う。

 だがまだおかしな点は残っている。


「だったらなんで今まで人の動きを止めることができていたんだ?」


「黒化細胞自体は能力者なら誰でも持っているものだ。だから、黒化細胞を通して人を止めていたのだろう。能力者じゃない者に試すことができれば一番の証明になるが、どこにいるか……、いや、いるかさえ分からないからな」


 もう一度鏡を見て、左眼を抑える。


「制限時間が伸びたのは、黒化細胞のみを止めていたからか?」


「ああ。それでも伸びた制限時間以上に浸食を止めていたんだろうがな。でなければ抑制の限界を超えることもなかったはずだ」


「だが左眼が黒化した代わりに、親父を助けることができた。代償としては安すぎるぐらいだ」


 これはやせ我慢でもなんでもない。純然たる事実だ。眼を一つ、しかも色が変わっただけで普通に見える。それで人の命を一つ救えたんだから後悔はない。


「そう、問題はそこだ」


「親父の話か? そうだ、親父はどうなった!」


 問題などというからには不都合が起きたのかと、やや背筋が冷えたが安藤は首を横に振った。


「違う、お前の眼の話だ。その様子なら普通に見えてはいるんだろうが、お前、能力は使えるのか?」


 その言葉を聞いて、さっきとは別の意味で背筋が冷える。


「いやいや、さすがに……」


「眼が黒化してからまだ能力を使ってないだろう。もしかしたら、ということもある。ここで試しておけ」


 そこで安藤が一歩一歩後ろに下がり始めた。

 急に何を、と思ったがなるほど。動くから能力を使って確かめろということか。背中ぶつけるぞ。

 安藤の背中を守るためにも早々に能力を使ってやろうと安藤を左眼で捉え、


「【左眼変質(ブレイク)】『石眼』 ……ぐっ!?」


 安藤の動きが止まる。止まることは止まったが、能力使った途端に脳が割かれるような酷い頭痛に襲われた。まるで親父の浸食を止めたときのような……。

 ふらつく身体を抑えながら鏡を覗くが左眼の黒化が悪化したような形跡はない。


「ジャスト一秒。以前と変わりないようだな。やはり部位を目視して指定しなければ、人を一秒止める能力のままか」


 一人分析している安藤は俺の異変に気付かない。言うべきかどうか悩んだが、俺よりも能力について詳しい以上、情報は教えた方がいいだろう。


「……この頭痛を除けばな。どうも能力を使う度、頭痛が来るようになってるかもだ」


「何? だが黒化細胞の浸食は起きていないな。現状の黒化が能力に反応して影響を及ぼしているのか……?」


「なんでもいいが、この頭痛の酷さだと実戦で使えそうにねぇぞ」


 そう言うと、安藤は自身の白い頭を掻きながら言った。


「なるべく能力の使用は控えた方がよさそうだ。一体何が起こるか分からんからな。頭痛に関しては俺の住処にそこそこ強い頭痛薬がある。それを飲めば六時間程度は持つだろう」


「住処?」


「ああ、この街での拠点として住んでいる家だ。本当ならお前の父親もそこに運びたかったんだが、さすがに徒歩では無理があると判断してな。容体も安定しているようだし、この家にいて問題ないだろう」


 拠点ということは、本拠地はこの町ではない?

 それもそうか。前々からラスターについて知っているということはラスター化するのが早かった地区なんかにも調べに行ってたはずだし、ここもその一環なんだろう。

 それよりも気になること言ったな。


「親父の容体が安定? さっきは流されたが親父はどうなっている。起きた時には見かけなかったが大丈夫なんだろうな?」


「二階の階段から一番近い部屋に寝かせている。大丈夫かどうかについては、お前の判断によるな」


「どういう、意味だ……?」


「正直に言おう。注射によってお前の父親の黒化は止まった。だが、止まっただけだ。それはつまり、黒化に浸食された場所はそのままだということだ。分かるな?」


 頷きを返す。要は元の身体に戻ったわけではないということだろう。


「ほぼ半身が黒化している。だから恐らく、────事実上の半身不随となるだろうな。あの黒化をどうにかしない限り」

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