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コネクト・クエスト  作者: ノリト ネギ
紡いだ絆を力に変えて
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最終章 真のコネクト(Ⅳ)

 灰色の建材が圧迫感を生み出すのか、窓一つない閉鎖感がそう思わせるのか。

 その部屋はどこか寒々しく、なにより窮屈だ。

 狭いわけではない。四方には一流の家具が設置されており、それらは見栄えだけに特化したものではなく、品質という意味で優れている。

 それでもなお、牢獄のような雰囲気は払しょくできない。

 暗いわけでもない。入口近くでは壁掛けランプが煌々と輝いており、中心を牛耳る丸テーブルにも類似品が置かれている。

 寝具の類が見当たらない理由は、ここが寝室ではないからだ。

 天井まで届く棚。

 年季を感じさせる丸いテーブル。

 古ぼけた腰掛け。

 上の引き出しだけが少し飛び出たキャビネット。

 そして、ダークウッド製の机と椅子。

 素っ気ない。

 素っ気ないが、ここはくつろぎの空間ではなく仕事場だ。課せられた使命を黙々とこなす以上、彼女にとっては丁度良い塩梅なのかもしれない。

 かといって過度な緊張感は不要だ。

 それをわかっているからこそ、最高級のハーブを焚き、ほんのりと甘い香りを部屋に漂わせている。それが適度なリラックスと集中力を維持するため、仕事の能率は目論見通り向上する。

 キィ。

 小さな音が密閉空間を走る。唯一の扉が開いたことから空気は循環し、血液が流れ始めたように部屋の雰囲気が色づきだす。


「二時間で終わらせてください」

「相変わらず容赦ない? どう考えても半日はかかる?」

「ダメです」


 訪問者は二人。

 一人目は従者なのだが、態度はなぜか高圧的だ。

 身に着けている衣服はいわゆるメイド服なのだが、肩や太ももが大きく露出しており、従来のそれとは少々毛色が異なる。

 だが、彼女のありようが服装に劣ることはない。

 高い身長。

 顎の下で綺麗に整えられた青い髪。

 美しさと刺々しさが両立する顔つき。

 見栄えのする装いに飲まれることなく、威風堂々とした存在感は他を圧倒しかねないほどだ。

 そんな彼女は先行して扉を開き、この部屋の主を招き入れる。

 ここは、後ろを歩く主人のための空間だ。邪魔にならぬよう、さっと進路から外れ、道を譲る。


「そ、そう言われても……? 量的に困難?」

「それをやるのが神の名代です」

「その謳い文句がいつか私を殺す?」

「大げさな。先日のように泡を吹いて倒れるだけです」

(やっぱり確信犯……?)


 二人目はどこかぐったりしている。休憩時間を終え、本来ならばリフレッシュしたばかりのはずだが、目の前の現実が彼女を容赦なく打ちのめす。

 高級感漂う机の上には、書類が崩れそうな高さまで積まれている。

 全てに目を通し、一枚一枚に署名しなければならない。読み飛ばせば作業時間を圧縮できるが、それが許されないほどにどの案件も重要だ。

 作物の一時的な収穫量減少に伴う特別予算の追加案。

 ネレネン王国への氷結魔戦団派遣。

 サハハ遺跡の調査報告書。

 デフィアーク共和国第一海軍との合同演習最終案。

 ルワミリ島を占拠しているオーク軍の勢力調査報告書。

 デフィアーク共和国における大量虐殺一報。

 これらは氷山の一角だ。中には日常的なルーチンも混じっており、そういったものは作業的に扱うことも可能だが、大多数は当てはまらない。

 つまりは、終わらない。

 二時間では片付かないボリュームだ。

 書類といっても材質は羊皮紙なため、一枚一枚にいくらかの厚みはある。それを差し引いても、机に置かれた束は辞書数冊分の高さを誇る。

 過去の経験からも、夕食時までかかることは明白だ。


「この国のためであり、神に選ばれし者の宿命です。さっさとやれ」

「ほとんど恫喝? 身体の前に心が参る?」


 大げさな。付き人は鼻で笑い、見くだすような視線を主に向ける。

 ルー。魔法の宮殿で働く侍女の長だ。身長の高さと性格の鋭さから、神の名代でさえ頭が上がらない。本職はまさにメイドそのものなのだが、両親から優秀過ぎる遺伝子を受け継いでおり、戦闘においても超がつくほどの一流だ。

 横暴な態度をとり続けるメイドを横目に、少女のような人物はコツコツと歩みを進め、黒い椅子に腰かける。

 彼女は神の名代と呼ばれ、その存在はほとんど神格化されている。神の代理人として日々を過ごしていることから、その扱いは当然と言えば当然だ。

 国家元首。つまりは、この国で最も威厳ある地位と言える。

 ここはガーウィンス連邦国、正確にはその中心に位置する巨大な宮殿の内部だ。

 最上階に近い場所ゆえ、外を見下ろせば美しい風景を一望できるだろう。

 だが、それは許されない。物理的に窓がないからだ。神の名代を危険から遠ざけるためなら、この国はなんでもやる。幽閉にも近い扱いはその一環だ。

 ふぅ。小さく息を吐き、背もたれに体を預ける。紫色の後ろ髪が挟まれ、頭部がわずかに引っ張られるも、気にも留めず瞳を閉じる。

 前髪は綺麗に切り揃えられ、整った顔立ちと相まって人形のようだ。

 着ている衣服は淡い桃色を主体としており、大きな一枚布を羽織るように着こんでいる。薄紫色の花が全身で咲き乱れ、着る者を美しく彩る。

 腹部に巻かれた帯は頭髪と同じ色、つまりは紫色だ。自己主張が強いが、彼女が身に着けると自然体としてそこに溶け込む。


「起きろ」

「ね、寝てない?」


 口うるさい付き人に狼狽しつつ、特徴的な瞳が披露される。赤い一筋の線が、黒目の外周近くをぐるりと一周している。

 魔眼だ。彼女にとっては無用の長物かもしれないが、そうであろうとなかろうと、稀有な両眼は書類に目を通さなければならない。


「私は戻りますので、時間までに終わらせてください」

「善処する?」

「――それでは」


 自分の役割を果たしたことから、侍女はその場を去る。

 話し声が止んだばかりか人数が減ったことで、室内の空気は落ち着きを取り戻す。

 ここからは仕事の時間だ。

 先ほどつまんだクッキーの味を反芻しつつ、少女のような女性は書類の束に手を伸ばす。山のようなそれを眺めるだけで眩暈を覚えるが、この仕事は非常に重要だ。先延ばしにはできない。

 紙と言ってもこれらは羊の皮だ。

 カルックシープ。カルック高原に生息する羊のモンスター。温厚な性格の持ち主だが非常に重要な資源ゆえ、ギルドは定期的に一定数を冒険者に狩らせている。

 肉は食用として。

 白い毛は糸の原料として。

 そして、皮はたんねんになめされ、羊皮紙として生まれ変わる。

 ガーウィンス連邦国はそれをサラミア港から仕入れている。大陸の真逆に位置するため、運送期間はおよそ一週間と長旅だ。

 手近なもので済ませない理由は、ここが最高機関だからだろう。

 潤沢な予算も去ることながら、神の意思の代弁者にはそれ相応のもてなしが必要だと考え、手間も費用も惜しまない。

 とは言え、彼女からすれば面倒な仕事でしかなく、使命感から投げ出すことはないが、事務的に処理することで精神的疲労を回避する。

 承認。

 承認。

 承認。

 時には差し戻したい書類もあるが、そういったものは中身次第で対応を変える。


「ふぅ……」


 静かな時間は、あっという間に過ぎ去る。

 三時。

 机に置かれた時計の短針がそう告げており、意味合いとしては一時間の経過に等しい。

 神の名代は背もたれをギイと鳴らし、天井を仰ぎ見る。

 積まれた書類はその高さが半分に縮こまる。進捗としては合格だ。

 寝室で横になりたい。

 いかにまじめな彼女であろうと、疲労感には屈してしまう。わがままな感情に支配されかけるも、この状況で本能に従った場合、先ほどの侍女に叱られることは確定だ。それどころか殴られても不思議ではない。その場合、手加減されても首の骨はあっさりと折れる。


「ん~~……」


 子供のように、座ったまま四肢を伸ばす。強張った体がほぐされ、活力も瞬く間に充電完了だ。

 もう一仕事がんばろう。そんな決意を抱くが、蘇ったやる気は無駄に終わってしまう。

 なぜなら、招かれざる客が音もなく現れたのだから、その対応が最優先だ。


「――ココは?」


 その人物は彼女以上に驚く。自分で訪れているのだから、本来ならばありえない態度だ。

 だが、仕方ない。

 想定外。

 つまりは、目的地ではない。

 当然だが、この部屋の主もまた小さく驚く。

 部屋の最奥に腰かけているゆえ、この空間を見渡すことはいつでも可能だ。

 そして、扉をノックすることもなく、そして開けることもなく、長身の女性が正面に立っている。

 ありえない。

 ありえないのだが、現実として起こっている。

 騒ぎ立てることもせず、その事実を受け止められる理由はシンプルだ。

 この芸当はテレポートに他ならず、その習得者を二人も知っている。

 一人目はイリック。生意気な冒険者として、神の名代の記憶にも強く刻まれている。

 二人目はリイン。イリンと名乗り、自身を欺いた指名手配犯だ。

 消去法で、人物の特定は成される。


「ようこそ? お会いしたいと思っておりました?」


 高音が静かに響き、背を向ける客人はビクリと硬直する。

 移動直後は随分と乱れていた長髪も落ち着き、腹部の風穴もそろそろ閉じようとしている。

 首元から始まる漆黒のワンピースは足元までを完全に覆っており、ひらりと広がる裾はドレスのようだ。

 赤い髪。

 真紅の瞳。

 美しくもどこか冷え切った顔。

 背丈は女性にしては大きく、それだけで大衆の視線を集めそうだが、むき出しの両腕と豊満な胸がより一層彼女を目立たせる。

 だが、ここには二人しかいない。

 神の名代とこの女。

 両者は互いのことを深く知っている。

 だからこそ、口下手同士でありながらも会話はゆっくりと交わる。


「ソウ……。こんな場所に……」


 女はあっさりと落ち着きを取り戻す。少なくともここは危険な場所ではない。そう認識してしまえば、取り乱す必要はない。


「リイン様でいらっしゃいますね? ご無沙汰しております?」


 神の名代は立ち上がり、ゆっくりと頭を下げる。

 目上のものに対しての礼儀でもあり、先代に対する敬意でもあり、単なる挨拶でもある。この一礼には様々な意味合いが含まれるが、突き詰めれば再会への感謝だ。

 顔を合わせたことはない。

 会話とも呼べない一方的な指示を何度も取り交わしただけの間柄だが、それでもなお、神の名代には感慨深い。


「――ナゼソレを?」

「あなた様に関する報告書には、逐次目を通しております? 今朝の出来事についても……?」

「そう……」


 リイン。その名を知らぬ者は常識知らずの恥さらしだ。言い過ぎかもしれないが、少なくともこの国の大人なら当然のように知っている。

 二代目、神の名代。

 そして、名をはく奪されなかった唯一の二人。その二人目だ。

 神の名代に選ばれし者は、秘匿性を高めるために名前を奪われ、宮殿への幽閉を強制される。そうすることが神秘さを演出し、なにより身の安全を高めるからだ。

 つまりは国民の気持ちを一つにまとめあげるための人心掌握術であり、言い換えるなら生贄だ。

 この方向性は、二代目の暴挙によって確立される。

 先にも後にも唯一の、宮殿からの逃亡。

 本来ならば、こんな芸当はありえない。いかに魔力に秀でた存在であろうと、周囲には選りすぐりの軍人が配置されている。彼女らを突破することはいかに神の名代と言えども不可能なのだが、この女はありえない方法でそれを実現する。

 テレポート。瞬間移動を可能とするこれは、一万年もの過去に失われた神秘だ。少なくとも今という時代を生きる者達には縁がなく、リインはそれを独自に再現し、自分のものとする。

 その後、魔法の宮殿へ帰還することもなく、代理人として真の目的を植え付けられた以上、それにまい進し続ける。

 リイン。この女はこの部屋を知っている。三百年もの昔、ここに住みつき、正面の女性同様国務を全うしていたからだ。

 置かれている家具は当然異なるが、用途は普遍なため、レイアウトは似通っている。

 なにより、ここには何度も足を運んでいる。

 扉の外からそっと話しかけるだけだったが、その度に室内を透視したのだから、見慣れた一室と言えよう。


「お怪我はもう大丈夫なのですか? 手当をして差し上げたいのですが……、侍女を呼ぶわけにはいきませんよね?」

「既に塞がってイル」


 魔眼の女性が言う通り、訪問者は致命傷を負っていた。腹部の大穴は命に関わるはずだが、当の本人は平然と立っており、足元には赤黒い水たまりが作られるも、今ではそれ以上拡大する様子はない。


「お飲物は?」

「不要ダ」


 リインの不死性は把握済みだ。何枚もの報告書を目にし、当事者ほどではないがその特性について学習できている。

 だからこそ取り乱すこともなく、ここの主人は客人のもてなしに徹する。


「どうぞ、腰かけてください?」


 そう言いながら、神の名代は部屋の隅を目指す。そこには古い椅子が鎮座しているのだが、机とは向かい合っておらず、会話を続けるには少々遠い。

 国家元首と言えども今回ばかりは例外だ。リインという人物は、彼女にとって偉大な先人だからだ。女の犯した過ちは決して肯定できないが、ガーウィンス連邦国を支え、次の者に繋いだという事実は消し去れない。

 なにより、訊きたいことは山ほどある。


「――ナゼ、驚かない?」

「察しますに、あの冒険者と戦われていたのでしょう? そして、ここに舞い戻った?」


 その問いかけに答えるため、少女のような女性はピタリと歩みと止める。

 その結果、二人は至近距離にて対面するのだが、どちらも背筋を正して臆することなく相手の目を見つめる。

 長い髪。

 品格。

 秀逸の魔力。

 両者には似通った点が多い。

 最大の共通項はその肩書だが、片方は現在進行形、もう一方は過去系だ。


「移動先の定義を誤ったダケ。少し休んだら立チ去ル。助けを呼ぼうとしても無駄。シンイを使えば誰も動けナイ」

「承知しております? そのようなことはしません?」


 恫喝を受けながらも、神の名代は臆さない。着物のすれる音をわずかにさせながら、部屋の隅を目指す。


(――この声、間違いない? やはり、あの男の言っていた通り?)


 魔眼でその椅子を捉えながら、あの男、すなわちイリックの言葉を思い出す。

 抑揚がなく、子供らしさの抜けきらない声。

 後半は一致しないが、その理由はコネクトの習得による急成長だ。

 それを差し引いても、神の名代はこの声を知っている。

 お告げ。

 以前はこれを自身の才能だと思っていた。

 この国の指標となりうる有意義なものだったことと、自分のあずかり知らぬ情報が提供されたからだ。

 神の代理人に選ばれた以上、こういったこともありえるのだろうと納得し、助言に従って国策を次々と決定した。

 何の前触れもなく、耳元で囁かれた声の正体。

 それを指摘した人物こそ、冒険者のイリックだ。

 拳を交え、正確には一方的に殴り、交流を深めた結果、神の名代は少年の言葉をわずかに信じる。

 リインは危険な人間だ。

 リインの暗躍は阻止すべきだ。

 リインの居場所を突き止め、討伐しなければならない。

 そのどれをも、この女性は否定してきた。神のお告げは絶対であり、なにより神聖化された二代目を冒涜することなどできなかったからだ。

 それゆえに、三大大国の足並みは揃わず、ガーウィンス連邦国のみがリインの調査に反対し続けた。

 だが、イリックが魔法の宮殿を訪れて以降、その方針は揺らぎ始める。

 少なくともこの冒険者が嘘を言っているとは思えず、配下の館長達すらもそう主張する以上、国の代表として最善の道を選ぶしかない。

 以降、三大大国はより強固な体勢でリインの同行を探るのだが、成果は挙がらず、その結果が今朝の大惨事だ。

 もちろん、誰にも責任はない。

 相手はそれほどまでに狡猾で、誰よりも手ごわい。

 仮に拠点を見つけることができたとしても、手出しは不可能だ。それを実行した場合、その者から順に殺されるだけであり、死者が増えることに変わりはない。

 リイン。この女と渡り合える人間は四人だけだ。

 少なくともここにはいない。そうである以上、神の名代は情報を引き出すことに徹する。


「ふぅ……」


 赤い瞳はまぶたで覆われ、口元がわずかに動く。

 リインの消耗は誰の目から見ても明らかだ。覇気がなく、やつれてはいないが焦燥している。

 当然だろう。生まれて初めて命の危機に晒されたのだから、そのストレスはすさまじく、この問答も面倒極まりない。


「どうぞ?」


 そして、茶色い腰掛けが差し出される。

 木製のそれは骨格が細く、女性であろうと容易に運搬可能だ。座面には柔らかそうな、それでいて多色のクッションが備え付けられており、背もたれは背中を受け入れるように湾曲している。

 リインは動かない。視線だけはそれに引っ張られるが、この状況で無防備な姿を晒したくないという本能が座ることを拒絶する。

 そういった事情は彼女には関係ない。神の名代はやるべきことを終えたのだから席に戻り、立ったままそっと口を開く。


「私にはわかります? その力は紛れもなく神のもの? そして、魔眼にも通じる?」

「そうダ。もっとも……、魔眼についてはマダ何もわかっていない。女ノミに発現するコトから、推測はできてイル」

「一つ……、よろしいでしょうか? なぜ、お告げと偽って私に進言を?」

「コノ国は御しやすい。ソレだけのコト」


 そうですか。

 最後の言葉はあまりに小さく、静まり返っていなければ聞き取ることは不可能だったろう。

 ひどくつまらなく、それでいて想定の範囲内な返答だ。

 それゆえに、神の名代は肩を落とし己の無力さを悔やむ。

 つまりは、ただただ単純に操られていた。

 リインの手駒として、活動の手助けをしていただけだった。

 そういうことであり、ここまでは冒険者の指摘で察していたが、本人から突きつけられた以上、再度落ち込まずにはいられない。

 着物特有の締め付け感が今はどこまでもわずらわしい。帯を緩め、首元をはだけさせたいが、客人の前ゆえ我慢する。

 そのついでだ。これも尋ねなければならない。


「私を殺すのですか?」

「もちろんダ」


 即答。

 これもわかりきっていた。当然の解答だ。

 だが、その真意は異なる。

 リインは目の前の国家元首を含めて、人間全てを滅ぼすつもりでいる。今すぐの実行は不可能だが、準備が整い次第、行動を起こす。

 つまりは、会話が終わろうと、神の名代を殺すつもりはない。

 見逃す理由もないが、それ以上にこのタイミングでの殺害にも意味を見いだせない。

 コンディションが万全なら、ここへのテレポートを悔いるついでに焼き殺していただろう。

 だが、今は消耗しきっている。素手だろうと容易に殺せる相手だが、万が一を考慮するなら退避が最優先だ。


「――それがあなた様の……、いえ、神のご意志?」

「そうダ」


 こう言われてしまえば、何も言い返せない。

 リインの方向性は代行者として至極正しい。己を押し殺し、創造主たる神の代弁者として務め上げることこそが至上であり、そういう意味ではリインこそが完成形と言えよう。

 この一室には神の名代が二人いる。

 一方は祖国のために尽くすことを選び、もう一方は人間の駆除を代行中だ。

 異なる。

 決定的に非なる。

 その違いは女神に選ばれたか否かに起因するのだが、それゆえに両者は決して交わらない。


「私は……、あなた様に従うべきなのでしょうか?」


 長身の女へ、すがるように問いかける。

 目の前の人物はおとぎ話のような存在だ。単なる先代ではなく、誰よりもその重責を全うしている。

 素晴らしい。

 ありえないほどに完璧だ。

 神の名代には偶像のような側面もあるのだが、少なくともリインだけは背負った使命にまい進している。

 だからこそ、自分の行く末を委ねたくなる。


「当然ダ」


 真の代理人はぶれない。同時に、正しい道を提示する。


「ありがとうございます?」


 神の名代はゆっくりと頭を下げる。

 自分のやるべきことが決定したのだから、先ずは感謝の意を述べねばならない。

 そして、石造りの空間が静寂に包まれる。この沈黙は一瞬だが、リインは長いと感じずにはいられなかった。


「――私は、抗おうと思います?」


 まさかの否定が木霊する。

 リインはこれにも驚かされたが、その後の衝撃はそれ以上だ。


「よく言った」


 この声は突然だ。

 男の声だ。

 力強い意志を宿した、第三者の発言だ。

 この部屋は二人だけで独占している。つまりはありえない。

 だが、部屋の主は驚かずに済む。

 無礼な訪問は今日だけで二度目だからだ。すっかり慣れてしまった。

 対して、黒いワンピースの女だけは戦慄を覚え、跳ねるように振り返る。

 この声を知っている。先ほどまで何度も耳にしたからだ。

 そして、背後から迫り来るプレッシャーの正体もまた、嫌と言うほど経験済みだ。

 逃げるため、飛び降りた。

 生き延びるために、テレポートレムを使用した。

 だが、これは何だ?

 なぜ、自分の居場所がばれている?

 なぜ、追跡されている?


「あ、いたー!」

「やってみるものね」

「まさか成功するとは……。自分でも驚きです。さすがコネクト。さまさまです」

「ここは……? あ、わかった」


 現れた四人は既に入室を終え、早速次の工程へ移行する。

 状況把握。

 その意味合いはリインがいるかどうかの確認と、ここがどこかということだ。

 彼らの特徴として、全員がグレーの光をまとっている。その光景は神々しさよりも力強さが勝っており、見る者によっては憧れを抱くかもしれないが、この女は真逆の感情に押し潰される。


「ど、どうシテ……」


 ここにいる? それを知ることに意味はないのかもしれないが、今はそう問いかけることが限界だ。

 体はたどたどしく後退を始めるも、数歩も歩けばデスクに阻まれる。


「イリックがあんたの魔力跡を追ったの。覚醒で魔力制御が向上したおかげでしょうね。ゴルド……、いえ、シャルロットにも協力してもらってじっくりと解明しないと」

「ということだ。え? なんか物騒なこと言いませんでした?」

「ク、ウ……」


 ロニアの説明は的を射ている。

 だからこそ、同じステージに踏み込めた者として、リインは己の浅はかさとコネクトの可能性にたじろいでしまう。


「あの人、誰~?」

「神の名代。偉い人」

「そっか~。お邪魔します!」


 ネッテとアジールはどこでも一本調子だ。メリットであり、デメリットでもあるのだが、今回に関しては良い方向に転がる。

 四人の正面には宿敵が、その奥には見慣れない女性が立っている。二人の雰囲気はどこか似ているが、背丈のギャップや服装の違い、なによりリアクションがバラバラだ。

 リインの時とは対照的に、今回の不届き者達は騒々しい。人数が多いことから仕方ないのかもしれないが、先ほどまで凍っていた空気は完全に融解した。


「またお会いしましたね? やはりあなた方でしたか?」

「ど、どうも……」


 部屋の主はタイミングを見計らって会話に割り込む。本来ならば、このような気遣いとは疎遠の存在だが、この状況下では仕方ない。国家元首としての威厳が失われたわけではないが、四人が放つ闘気には有無を言わさない圧迫感があるからだ。

 にも関わらず、イリックの態度はどこかたどたどしい。わずかな苦手意識がそうさせるのだが、リインはこの挙動から生じた隙に最後の活路を見出す。


「近寄るナ!」


 漆黒のオーラを発動させるな否や、女は瞬く間に人質を確保する。

 着物で着飾った女性の背後にまわり、細い首を右手で掴む。らしくないとわかっていながらもそうせざるをえない理由は、少女のようなこの人間に人質として機能してもらうためだ。

 身長差から、両者の顔は縦に並ぶそういう構図ゆえ、互いに顔を合わせながら交渉は開始される。


「――無駄なことを」


 イリックは吐き捨てる。相手を追い詰めた結果がこれなのだが、動じる素振りは見せない。

 そう。女の行動は無策であり、無意味だ。

 人質という手段は卑劣ながらも有効な方法ゆえ、通常ならば手の出しようがなくなるのだが、彼らは一般市民ではない。この程度の状況など、いとも容易く覆せてしまう。


「……ウ!?」


 リインは無風の風圧に飲み込まれ、右手の握力を嫌々ながらも弱めていく。

 密室に立ちこめる高圧的な気配は五つのはずだった。

 イリック達四人とリインがまとうオーラ。これらが煌々と輝きながら、人知を超えた重圧を周囲に熱風のごとく拡散させる。

 人質が神の名代でなければ、重みに耐えられず意識を失っていただろう。イリック達のそれからは殺気のようなものは感じられないのだが、単なる人間にはどこまでも息苦しい。

 リインは気づく。六つ目の何かが立ち込めている、と。

 それは己をまるまると包み終え、こうなってしまっては抗えない。

 これは特別なものではない。

 今日だけでも幾度となく浴びたプレッシャーだ。


「先ずは俺のウォーシャウト。冒険者にそんな戦法は通用しない」


 ウォーシャウト。ただの、それでいて基本的な戦技の一つだ。

 これを浴びた対象は、使用者にしか敵対行動を取ることができない。この状況の場合、捉えた人質の拘束すらも難しく、そうである以上、残された選択肢は限定される。


「何事ですか!?」


 やかましく扉が開かれ、悲鳴のような怒号が室内を疾走する。

 露出の多いメイド服と共に、侍女長のルーが異常を察知して駆け付けた瞬間だ。心と体を蝕むほどの悪寒が一体何なのか、その正体を探るために、発生源と思われる場所へ飛び込む。

 これを機に、それぞれがそれぞれの思惑で行動を開始する。

 先ずはリインだ。追い込まれ、最後の一手すらも奪われたのだから、宿敵に襲いかかるか逃亡するかの二択しかない。当然、今回も後者を選ぶ。

 人質を手放し、背後の壁へ背中から激突する。窓のない部屋ゆえ、ここからの脱出は強硬手段以外にありえない。石の壁を破ることなど造作もなく、まるで紙程度の強度しか持ちえないように、ガシャンと突破してみせる。

 ウォーシャウトに支配されている最中ゆえ、本来ならばこれすらも困難だ。一歩二歩の後退ならなんとかなるのだが、今回の跳躍は彼女にとっても全力の悪あがきだ。

 そして、イリック。部屋の扉が開かれた程度で驚きはしないのだが、今回ばかりは相手が悪かった。

 どこか刺々しい雰囲気。

 すらりと高い身長。

 青髪のおかっぱ頭。

 ミニスカートと太い両足。

 この時点でストライクだ。胸部付近は平たいが、露出の多いメイド服が華やかさを十分過ぎるほどに演出している。

 イリックは既に一度ルーに振られている。今更想いを伝え直すつもりもないが、視界に飛び込んできた以上、その姿を目に焼き付けようと罪ではないはずだ。

 その結果、リインの逃亡をあっさりと許すのだが、一瞬の出来事ゆえ浮気が仲間にばれることはなかった。


「逃げた」

「あ!」


 アジールは普段通りに冷静だ。ルーには一切目もくれず、宿敵の動作をじっと視認し続ける。速度面では劣るため、その目論見を阻止することはできず、落下先を見極めるように壁の穴を目指す。

 その報告で我に返ったイリックは、スカーティアからの脱出を再現されたと嘆きつつ、己の失態を責める。


「か、かわいい服~。アジールさんとロニアさんも似合いそう……」

「今度着てみる」

「私には無理よ~。いや、ほんとに」


 それどころではないはずなのだが、ネッテは訪問人の衣服に心奪われる。そういう意味では似た者兄妹と言えそうだが、理由は近いようで別だ。

 その反応として、アジールの関心は逃亡犯からメイド服へ移り、ロニアは謙遜しながらも心底嫌がる。


(こ、このおもしろ空間をもう少し堪能したいけど……、仕方ない!)


 このままでは本当に逃げられてしまう。当然、それだけは避けなければならない。

 盛り上がる女性陣をしり目に、イリックは己の使命を果たすため、崩れた壁に手をつけながらスッと体を乗り出す。


「アジールさんだけでもいいので、すぐ来てくださ~い」


 飛び降りながらの発言だが、内容はきちんと伝わる。

 我に返ったアジールもワンテンポ遅れて穴から身を乗り出し、ロニアは戦力過多ゆえに自分は不要だろうと分析しつつも、とりあえずアジールの後に続く。

 ネッテだけは未だにルーの虜だ。それでも、仲間がそこへ向かう以上、即席の列に大人しく並ぶ。


「あなた達は……?」


 何もわかっていないのだから当然だが、侍女は呆けたように問いかける。

 主は無事だった。そういう意味では安堵しても良いのだが、そもそもここは不可侵の宮殿だ。何より、密室だ。来客そのものがありえない。


「冒険者よ」


 無言のアジールと笑顔のネッテに代わり、ロニアが毅然と返答する。

 正しいが情報不足だ。イリックと合流するため、どうしても舌足らずになってしまう。

 説明を求めるのなら彼女から聞いて、と一言添えることもなく、ロニアの姿はそこからさっといなくなる。

 ネッテもすぐさま飛び出したことから、四人の撤退は完了だ。


「あの方は思い違いをしている? 神は我らの滅びなど望んではいない?」

「――と言いますと?」


 残された二人は見守る。

 それしかできず、それでいいからだ。


「この国は神のひと押しによって建国された? だからこそ、我らは盤石な国家の元、子孫を残せている?」

「確かに、矛盾しますね」


 ガーウィンス連邦国の成り立ちは少々特殊だ。超常の存在から力を与えられた女性が、周囲の村々をまとめあげたことで巨大なうねりとなり、スムルス平原に大国家が誕生した。

 その目論見はモンスターから自分達の身を守るためであり、人口の増加という成果に結びつく。

 自らを神の名代、すなわち神の代理人と名乗った女性と、その次を継いだ少女は間違いなく洗礼を受けている。

 なぜなら、保有する魔力が常軌を逸していた。その後の数百年においても、彼女らに並ぶ者は見つかっていない。

 創造主たる神は人間だけでなく、この国の建国にも関わった。

 だからこそ、永遠の繁栄は約束されている。外部の脅威に滅ぼされることもない。

 神の名代として今を生きる彼女はさも当然のように言い切り、従者も反論はしない。


「リイン様を突き動かすものは何? それを知りたい?」

「あの者達が既に聞き出していることを願う他ありませんね」


 そして、二人は見下ろす。

 本来は自国の風景を見渡せないはずのここには、人間サイズの穴が即席ながらも作られている。

 正面を眺めれば、木々と建築物、そして往来する人々の姿を心行くまま堪能可能だ。

 幹の太い樹木が緑の帽子を深々と被り、土色の道沿いにずらっと並んでいる。

 森のような緑地があちこちに散見され、そこからは命の胎動が匂い立つ。

 流れ込む水は透き通り、北東の研究区画を艶やかに飾る。

 ここを守らなければならない。

 なぜなら、多くの国民がこの土地に根付いている。

 ウルフィエナ。

 広大なこの世界には、多くの命で溢れている。

 昆虫。

 動物。

 魚。

 モンスター。

 そして、人間。

 美しさと危うさが混ざり合いながら、その多様性が数えきれないほどの奇跡と悲劇を生み続ける。

 それを望む存在こそが、創造主のはずだ。

 少なくとも彼女は、神の名代はそう願う。

 人間という種族が地上から消え去ろうと、その美しさは色あせないのかもしれない。

 それでもなお、彼女の魔眼は彼らの行く末を見守る。


「人間は人間として大地に根付き、花を咲かすべき? あの方がそれを否定するのなら……?」


 迎え撃つ他ない。

 その人物が尊敬に値する偉大な先代であろうと、道が違えば別れを告げるべきだ。

 時代は変わった。

 時代が進もうと変わらないものもある。

 天からの使者がそれを望むのなら、地を這う人間は受け入れるしかないのか?


「決定権は私にはない? けれども、信念は曲げない?」


 ならばどうする?

 今はただただ委ねる。

 それをわかっているからこそ、暖かな風を全身で受け止めながら彼らを見守る。

 冒険者。自由を愛する愚か者達は、相手が何であれ立ち向かう。

 地に足がついていないと罵られる彼らだからこそ、天への反逆も気兼ねない。

 追い詰めた者。

 追い詰められた者。

 両者は緑豊かな大国の中心で、一瞬の交わりと共に火花を散らす。



 ◆



 その音は何なのか。

 彼女らは一瞬の困惑を共に、慌てた素振りで音源に注目する。

 ドスンともガシンとも響いた衝撃は、重く、鈍く、なにより禍々しい。

 軽量はない何かがかなりの高度から落下し、地面と激突した音だろう。この程度のことは居合わせた全員が推測できている。

 この場合、それが何かということが重要だ。

 水色のローブを正装とする彼女ら水流魔戦団は、ガーウィンス連邦国の中枢防衛を主たる任務とする。常日頃から魔法の宮殿を背にして警備に当たる軍人なのだが、今回ばかりは威勢の良さが鳴りを潜める。

 当然だろう。

 闘争心を削ぐような、到底抗えない圧迫感が彼女らを前ぶれなく飲み込んだのだから、逃げ出さないだけ勇敢と言える。

 そして、突然の落下物だ。

 既に限界なのだが、それでも恐怖を払しょくしたいがために、彼女らは音のした方へ視線を向ける。

 そもそもの前提として、落下物という単語がありえない。

 ここはこの国で最も重要な場所だ。

 周囲は焼け野原のように何もなく、つまりは住宅街や商業区画とは隔絶されている。

 何かが落ちてくる。これがありえない。

 魔法の宮殿には窓がなく、入り口として大きな扉が一つあるだけの難攻不落な施設だ。

 だが、それは落ちてきた。

 その事実は揺るがなく、どこからということも重要だが、最たるは一体何がということだ。


「ひぃ!」


 ある者は悲鳴と共に腰を抜かす。


「う……、うぅ」


 ある者は恐怖に飲み込まれ、言葉を失う。

 水流魔戦団の名は飾りではない。構成員は全員が選りすぐりの人材だ。身体能力、魔力、判断力、そういった要素は他の軍人を上回り、だからこそ、空色のローブを支給され、それを羽織ることを許されている。

 女性だけで構成される珍しい軍隊だが、血の気の多さと秀でた実力は有名だ。そうでなければ務まらないとも言えるが、その結果、抑止力としても効果的に作用する。

 手にする武器は、服装とは対照的に統一されていない。

 片手剣。

 長剣。

 弓。

 斧。

 ボウガン。

 杖。

 槍。

 長さも、大きさも、色も、重さも、戦闘スタイルに合わせて色とりどりだ。

 水色のローブと黒いズボン、そして上着の内部および太もも近くまでを黒い革製の軽鎧で守る。身なりだけを共通とし、そこから先は各々の最適解とする。

 そんな彼女らだが、轟音と共に落下したそれには恐怖心しか抱けない。

 長く、赤い髪が恐ろしいからではない。

 真っ黒なロングワンピースが不気味だからでもない。

 男のような長身が威圧的だからでもない。

 理由は二つ。魔法の宮殿から飛び降りたとしか考えられない点と、禍々しい闇をまとっているからだ。

 わずかに沈み込んだ地面の上で、女はゆらりと立ち上がる。その動作もどこかおぞましく、見る者をさらに委縮させる。

 本来ならば、侵入者と思われるこの人物を捕縛せねばならない。これこそが水流魔戦団の仕事であり、果たすべき任務だ。

 しかし、それは叶わない。

 実際に立ち会うまでもなく、その存在感だけで思い知らされる。

 自分達だけでどうこうできる相手ではない、と。

 埋まらない実力差もあるが、それ以上の何かがそう思わせる。

 死という概念が具現化したかのようなオーラは、免疫のない人間から闘争心を略奪し、それは屈強な軍人であろうと例外ではない。

 神威ほどではないが、まほらの光も毒のようなものだ。意識を失わずに済むこちらの方が、人間を苦しめるという点においては厄介極まりない。

 周囲の軍人達、そして偶然居合わせた者達は、女の姿に畏れながらも目を離すことはできない。


「な、なんで奴がいるんじゃ!?」

「私に聞かれても……。あ、あそこから飛びおりた?」


 白髪の量は少なく、頭部の大部分は肌色だ。顔だけを見ればしわの多い老人だが、灰色のローブは膨大な筋肉によってずんぐりと太っている。

 隣を歩く青年は対照的にすらりと細く、若葉色のローブを誰よりも着こなす。灰色の短髪と清楚な顔立ちは女性を虜にするのだが、今だけは歪むように強張っている。


「やばいぞ! この国が壊される!」

「あ! 待ってください。大丈夫なようです」


 巨大な殺気に飲み込まれながらも、前だけを見ていられる意志の強さは本物だ。彼らはガーウィンス連邦国の頭脳と言っても差支えない。

 一人目は火の図書館館長、ゴルド。冒険者顔負けの身体能力を持ち合わせていながら、頭脳も見た目に反して秀逸だ。何十年もの間、魔法研究の第一線を走り続けた結果、今では他の館長すらも一目置く。

 二人目は水の図書館館長、ガラハ。研究者としても、大人の男性としても頼られる理由は、甘いマスクだけではなくその人望によるところが大きい。

 ゴルドは封筒を大事そうに抱えている。驚きの余りぐしゃりと潰してしまったが、中には書類の束が収まっており、ここへはその提出を目的として足を運んだ。

 隣のガラハは別件で訪れているのだが、道行く途中で会ったことから館長同士様々な話題を議題としながら肩を並べて歩いていた。

 そして、巻き込まれてしまう。

 まだ直接的な被害をこうむったわけではないのだが、精神的な痛みには晒されている。

 逃げ出すか立ち向かうしかないのだが、現れたそれは超人を追い詰めるほどの脅威だ。軍人達と協力したところで、どうこうできる相手ではないと聡明な頭脳があっさりと導いてしまう。

 ゆえにゴルドは困惑するのだが、ガラハは別の場所を注視していたことから、いち早く希望を見出す。


「そ、そういうことか……。いや、さっぱりわからん。なんでここにおる?」

「いやはや、今日は徹夜になりそうです」


 刺々しい殺気をまき散らす女がこの国の脅威なら、追いかける少年は希望そのものだ。


「アジールさんだけでもいいので、すぐ来てくださ~い」


 落ちながらの発声だからか、この声は観客全員の耳に届く。

 上着のコードはどういうわけかボロボロだ。切られ、破られ、炙られたようなその様はまさにその通りなのだが、事情を知らぬ者には到底理解できない。


「なんじゃ、あの光は? 強化魔法にしても見たことないぞ」

「そうですね。報告書の作成は……、共同執筆ということでお願いします」

「あやつが勝ったならな」

「まぁ」

「大丈夫か」


 ゴルドは知っている。

 女を包む闇はまさしく絶望だ。このままでは国民も国も滅ぼされてしまう。本来ならば居合わせた者が力を合わせて立ち向かうべきなのだが、今回に関しては入場券しか持ち合わせていない。

 一方、灰色の闘気はそれはそれで近寄りがたいが、少なくとも寒々しさは感じられない。ましてや、それをまとう少年は知人であり、笑顔はまだまだあどけないが、立派な冒険者だ。どこか間の抜けた思考回路も、金儲けに関するセンスの無さも、愛らしいとは言えないが決して憎めない。


「だ、団長! いかがしますか!?」

「今は静観しかあるまい。セレーネボウがあれば、私も参戦するのだが……」


 軍人達は既に疲労困憊だ。吹き荒れる殺気が神経をすり減らすからだが、団長と呼ばれた彼女だけは平然としている。

 テキーラ。水流魔戦団の団長、すなわち頂点だ。丸刈りのような髪型のためか、もしくはそこそこの身長と立派な肩幅のせいか、遠目からは男性と間違われることも多い。愛用の武器は国宝級の弓なのだが、今は持参しておらず、短剣を携帯しているもののそれだけでは心もとない。


「さて、と……」


 トントン。少年はスマートに着地を終え、つま先で地面を軽くノックする。衝撃でずれた靴の修正行為なのだが、緊張感を伴わない態度と口調の軽さが周囲に違和感を伝播させる。

 その結果、空気は凍り、緊張感はさらに高まる。非常事態が聴衆を呼び、人口密度がさらに高まるものの、誰も沈黙を破れない。

 張りつめた雰囲気などおかまいなしに、灰色の光が三つ降り立つ。

 そして四人が集うのだが、彼らの存在感は大きなうねりとなって一つに溶け合い、その力強さはむき出しの殺気を易々と覆い尽くす。

 女はその場から動けない。一目散に逃げ出したいが、自身を縛る戦技がそれを許さない。その時間はもう間もなく終わるが、追いつかれてしまった以上、時間切れは無意味だ。

 もちろん、そんなことは重々承知しており、ここからは策略を巡らせて活路を見出す。


「――取引ダ」

「ロニアさん、一本ください」


 リインは長い髪をなびかせながら、追撃者達を正面に捉える。

 交渉だ。時間を稼ぐためにも、延命のためにも、これから始めなければならない。

 だが、その提案はいとも容易く否定される。

 駆け付けた冒険者、イリックの姿はどうにもみすぼらしい。

 真紅のピーコートも黒いズボンも原型を留めておらず、言い換えるならぼろ布に見えるほどだ。そんなものに手足を通しているのだから、本来ならばだらしないどころの話ではない。

 にも関わらず、見栄えにおいては問題ない。

 自信に満ちた表情。

 グレーのオーラ。

 そのどちらもが頼もしく、事情を飲み込めない観客達にもなぜか安堵感が湧き上がる。

 相手のらしくない発言は、自分達が勝利を掴みかけている証拠だ。それをわかっているからこそ、リーダーは仲間に武器の用意を指示する。


「どうぞ」

「どうもどうも」


 長年付き添った老夫婦のようだが、どちらも肌艶が潤った若者だ。

 見えない蛇口から勢いよく水が流れ出すと、それは地面に辿り着くことなく、空中で太さを維持したまま凍りついたように定着する。

 刃先が上を向くそれは、片腕だけで振り回せる剣だ。柄を握るとほんのりと冷たく、しかしその硬度はスチールを遥かに上回る。


「う……グゥ……」


 そして、ウォーシャウトは失効し、女はたじろぐように一歩後退する。

 話し合いには応じてもらえず、対戦相手は戦闘の準備を整えてしまった。これではどうすることもできず、急いで次の一手を模索するしかない。

 この姿は、リインを知る者からすればおよそ信じられない。

 単身でデフィアーク共和国に乗り込み、並み居る軍人達を惨殺したという大事件は水流魔戦団の耳にも届いている。団長のテキーラもそれは同様であり、超人のマッカスですら敵わなかったという情報は彼女を誰よりも驚愕させた。

 若葉色の頭部から汗が滴るも、今は拭うよりも戦況を凝視する。彼女は自身がマッカスよりも強いと自負しており、過去の手合せでもそれは証明済みだ。

 だからといってこの女に立ち向かえるかは別の話だ。愛用の武器も手元にはなく、ましてや黒い光がどこまでも恐怖心を煽る。そんなものに屈するつもりはないが、拭え切れない不安感はどこまでも不気味だ。

 ゴルドとガラハもまた、声にならない声を小さく漏らす。

 不死身ゆえに追い詰めることは不可能なはずだが、それを冒険者が達成している。少なくともそう見える。

 これが何を意味するのか、二人は観客の中で誰よりも深く理解できている。


「いったい、何度殺したんじゃ? そもそもどうやってあんな化け物と渡り合えたんじゃ?」

「わかりません……。見た限り、イリックさんも随分とやられたようです。壮絶な戦闘の果てに、ここへ辿り着いたのでしょう。今は憶測すらも困難ですが……、あの光に何か……」

「コネクトじゃろうな。それ以上は何もわからん」


 お手上げだ。直接問わねば何もわからず、だからといって近寄ることは難しい。遠方から眺めているだけでも心が疲弊するのだから、今は彼ら冒険者に全てを託すしかない。

 包囲網。そう呼ぶには心もとなく、それでも揺るがない事実として、リインは大衆の前に晒されている。

 水流魔戦団、およそ三十人。

 図書館の館長、二人。

 宮殿の職員、二十人。もっとも、そのほとんどが今にも気絶しそうだ。

 壁を破られた遥か高みから国家元首とその侍女、二人。

 赤髪の女はこれだけの数に囲まれている。

 そして、正面には異物のような四人が立ちはだかる。

 イリック。短い黒髪と童顔の組み合わせは、以前よりは年相応に映る。仲間をまとめあげる苦労が成長を促したのか、一年の月日によるものか、どちらにせよ冒険者として一皮むけた以上、眼前の女には屈しない。

 ネッテ。灰色の魔力光が最も似合う理由は、長い髪に由来する。左耳の後ろで束ねられたサイドポニーを筆頭にゆらゆらと踊る髪の振れ幅が、少女の奥底に潜む狂気じみた戦闘力を匂い立たせる。兄同様、この状況においても緊張せずにいられることこそが、最高のパフォーマンスへ結びつく。

 アジール。グレーの揺らぎによってわかりにくいが、着ている白金の鎧はどろりと表面が溶けている。右手の盾もそれは同様だが、成すべき時に己の役割を果たした結果だ。冷静さはこの状況でも健在であり、次は自分の出番だと誰よりも理解している。

 ロニア。嵐の中に立っているかの如く、ふわっとしたボブカットはさわさわと落ち着かない。けれどもその表情は明るく、宿敵を前にしても毅然と振る舞える。高まった魔力と身体能力が自尊心を拡大していることもあるが、四人が揃っているのだから負けないという絶対的な自信が高揚感に繋がる。


「終わりだ。もう何もさせない。逃げられないことも身に染みてわかったろう?」


 少年の発言は脅しでも見栄でもない。四対一という数的優位と手持ちのカードが、勝利への道を明快に示している。相手のどんな悪あがきさえ許容可能な戦力差だ。

 それでもなお、リインは抗う。

 受けいれられない。

 信じたくない。

 こんなところで朽ちるはずがない。

 思い込みと驕りが彼女を奮い立たせ、生への渇望が愚直なまでに四肢を突き動かす。

 先ずは間合いが重要だ。

 カサッ。ゆっくりと、静かに右足を後退させる。接近戦では不利だ。それをわかっているからこそ、遠距離戦へ移行したい。


「ウォーシャウト」


 この状況、彼女からすれば指示を待つ必要などない。

 リインの動作と呼応するように、アジールが誰よりも早く反応する。放たれた重圧はまほらのそれとは別種であり、女は間髪入れず、再び飲み込まれる。

 十秒。わずかな時間かもしれないが、リインの拘束はこれにて完了だ。逃亡の目を摘むと同時に、野次馬達の安全を確保してみせる。

 だが、次の瞬間思い知る。その思惑は一つしか実らないと、堂々たる反撃によって証明されてしまう。


「予想通りダ! これを見ナサイ!」


 リインは追い詰められながらも、喜ぶように笑みをこぼす。

 この状況、想定の範囲内だ。そもそもの立ち位置として、二段階のウォーシャウトについては事前に説明を受けている。イリックの目論見は戦意を奪うための口八丁だったが、結果としては裏目となる。

 与えてしまった。

 対策を練るための猶予を贈ってしまった。

 この戦法は冒険者にとっての王道だが、だからといって対策がないわけでもない。

 時と場合によってはどうとでもなってしまう。それが嘘でないことを、リインは青々と燃える煉獄の業火で実演するつもりだ。


「――今更?」


 ロニアは眉間にしわを寄せながらも、相手を真似るように自慢の武器達を生成する。

 そう。事情を知らない者からすれば無意味にしか思えない。

 リインの反撃手段はシンプルだ。その前準備として、肩幅と同規模の火の玉を生み出し、頭上で待機させる。

 今回は大玉だが、そもそもの前提として、彼女の炎は大きさなど関係なしに人間を一瞬で燃やし尽くせる火力を有する。そういう意味では危険極まりない状況だが、ここにはまほらに至った者が四人も揃っている。

 それをアジールに撃ち込まれたところで、イリックかロニアが消滅させることは十分可能だ。

 その大きさは、手のひら大の燐火より二回りほど大きいが、炎の竜を見た後ではインパクトに欠ける。

 念には念をと水の槍を五本作り出し、頭上でずらっと整列させたが、その規模から一本ないし二本で貫けるはずだ。

 だからこそ、ロニアは疑問に思う。

 このタイミングにそぐわない反撃だ、と。

 リインはアジールしか襲えない。ウォーシャウトがそうさせるからだ。仮に殺傷が成就したところで、最後の道連れにしては乏しい成果と言えよう。

 イリックと相討ちなら納得できる。互いにいがみ合っている上、この女をここまで追い詰めた元凶だ。殺したいほど恨み、妬み、嫌っているはず。

 だからこそ、アジールだけを殺せれば良いのか、とロニアはいぶかしがる。

 そうではないとイリックだけが見抜いており、それでもなお、慌てる素振りは見せない。


「あれは、実はけっこう厄介なんです。なぁ?」

「もう遅イ! この水墨が一人残サズ燃やし尽クス!」


 この返答が居合わせた全員を戦慄させる。

 ターゲットは部外者なはずの自分達であり、方法はわからないが生きたまま燃やされるのだから、一刻も早くここから立ち去るべきだと本能が訴える。


「どういうこと?」


 アジールとて、その方法はわからない。小さな炎をいくつも発射させる燐火なら理解できるが、リインの頭上には大きな火炎が一つしか見当たらない。一人、すなわち自分しか狙われないはずだ。その火力も明らかに過剰ゆえ、理にかなわない。今はこの推測に落ち着いてしまう。


「破裂して、四方に火の粉をまき散らします。みんなを正確に狙えるとは思えませんけど……」

「そうダ! 戦技に頼ったばかりにコウナル! オマエを狙いつつ、ニンゲン全てを焼き払う!」


 これがリインの提示した対策であり、答えだ。

 ウォーシャウトは攻撃対象を制限する。今回はアジールが発動させたことから、本来ならば青い炎は彼女だけを狙うしかない。

 だが、この戦技には抜け道が存在する。その人間を狙いつつ、他人を巻き込むやり方だ。


「な!? あなた達! 逃げなさい!」


 ロニアはすぐさま察し、大声で危機を伝える。

 蒼い剛球のサイズから逆算すると、この方法なら周囲の観客を皆殺しにできるかもしれない。聡明なロニアはハッと気づき、逃亡を促すも、時既に遅い。

 なぜなら、水墨と命名されたこの魔法は内部で爆発を開始している。


「神ノ裁キを受け止めナサイ!」


 リインの声が拡散を促す。

 この発言は死の宣告を意味するのだが、当事者達は誰一人として動けない。恐怖に飲み込まれ、体が言うことをきかないからだ。団長や二人の館長はなんとか耐えているものの、ここから立ち去るつもりなどない。最後まで立ち会い、見届けるつもりだ。


「ネッテ」

「ん?」

「やるぞ。今なら使えるだろう?」

「あ、そういうこと!」


 女の叫び声と並行して、兄妹は囁くように意思疎通を終わらせる。

 やるべきことの確認はあっさりと完了だ。

 このような緊急事態を想定して温存し続けたのだから、もはや出し惜しむ必要はない。

 リインが絶望をまき散らすのなら、それを振り払うまでだ。

 そして、大衆の恐怖は現実のものとなる。

 炎の球体はギュッと圧縮され、怨嗟を振りまくように破裂する。

 飛び散る欠片達は青々と燃えながら、その総数を五十以上に増やして標的を目指す。

 蒼い炎が花開き、花粉代わりの高熱を全周囲に伝播させる。死の花は美しく、被害者達は目を離せない。天から見下ろせばどれほどか、そう想いながら今は自分の命を差し出す。

 火の粉のような火炎は、極小ながらも殺傷力は十分だ。実力者揃いの水流魔戦団でさえ、一人を除いて全滅は避けられない。その一人も自分の身を守ることが限界ゆえ、仲間を救うことは不可能だ。

 もう終わりだ。誰もがそう諦める。

 火の粉の瞬発力は凄まじく、軍人達の動体視力すらあっさりと振り切る。ゆえに回避など困難どころか絶対に不可能だ。

 仮にそれらを上回る速度で走り回ろうと、それはそれで無意味に終わる。散らばった欠片達は花火の光一つ一つを彷彿とさせるほどに多量だ。数える気にもなれない。それほどの量ゆえ、どこへ向かおうとその先々で被弾するだけだ。

 リインの雄叫びが通り抜けると、刹那の静寂が到来する。

 飛散した殺意はその間も人間を狙い続け、多数の命はもう間もなく燃え尽きる。

 だが、それを阻止するための二人だ。一瞬の沈黙は、彼らにとっての始まりと言える。

 間に合う。

 間に合わないのなら、間に合わせる。

 そのための戦技は既に手の中だ。兄と妹は阿吽の呼吸で開始する。


「ダブル」

「アサシンステップ!」


 やるべきことは明白だ。リインの抹殺も重要だが、優先順位は二番目でしかない。

 最優先事項は、守ること。

 誰を?

 皆だ。

 ここに居合わせた人々を、理不尽な殺意から守らなければならない。

 リインは思い違いをしている。

 コネクト。この魔法は確かに圧倒的な力を与えてくれるが、その使い道は恐怖を振りまくためではない。

 イリックは理解している。

 コネクトは仲間を、他者を守るための手段だ、と。この魔法を行使し数々のモンスターを討伐してきたが、その目的は三人を守ることに行き着く。

 誰かを殺すために使おうと、誰かを守るために使おうと、魔法は魔法だ。用途によって何かが変わるわけではない。

 だが、そんな常識はコネクトにだけは通用しない。

 一人で完結しない魔法。言い方を変えれば、他者に寄り添う魔法。

 この要因が二人のコネクトに差を生じさせる。

 独りで戦える女。

 一人では戦えない少年。

 だからこそ、だからこそだ。コネクトは設計図通りの性能を発揮し、女神の用意した筋書きは男神と人間によって書き換えられる。

 その締めくくりは、彼らの手に委ねられた。

 戦場と化したガーウィンス連邦国の中心で、二つの強風が産声を上げる。

 一つ目は赤い疾風。飛び散る炎達に追いつき、次々と蒸発させる。

 二つ目は黒い突風。左回りの兄に代わり、右側へ針路をとる。

 炎の拡散速度は凄まじい。放たれた矢すらも追い越すほどだが、二人の速度はそれ以上だ。

 イリックはこの魔法を既に一度体験している。危険度も、対処の困難さも骨身に染みており、本来ならばお手上げのはずだった。

 しかし、今は四人が揃っている。

 アジールが自身に攻撃を引き付け、ロニアが水の武器を作り出し、イリックとネッテが暴れまわる。

 いつもの光景だ。

 いつもの戦法だ。

 だからこそぶれることはなく、煉獄の炎が爆ぜ、人間を手当たり次第に襲おうと冷静に対応できる。

 トリストン大陸の誰よりも速く駆け、追いつき、透き通る剣で両断する。この繰り返しだ。常軌を逸した速度は、コネクト第二段階による身体強化とアサシンステップの合わせ技だからこそ到達可能な領域だ。

 宮殿から見下ろすルーにも、実力者のゴルドにも、団長であり超人のテキーラにも、この少年および少女を視認することはできない。

 唯一、リインだけは絶望に打ち震えながらこの行為にたじろぐ。

 冒険者が四人揃って以降、確かにこの戦技は一度も使われなかった。その理由がもしもの時に備えての温存だと知り、怒りと焦りがぞわぞわと湧き上がる。

 

「何が起きとる!?」


 ゴルドは理解できない。迫り来る炎達が次々と燃え尽きる様子は圧巻だが、その理由がわからないのだから喜ぶことは不可能だ。驚きの余り大事な書類を落としてしまったが、今は眼前の不可思議な光景から目を離せない。


「フ、フザけるな!」


 赤い髪を逆立てながら、女は吠える。

 今回の水墨は最後の余力と引き換えだ。これをもってマジックポイントは底を打つのだが、その見返りは大きく、目くらましを兼ねた大量殺戮と自身の逃亡が成されるはずだった。

 しかし、これは何だ?

 火炎玉はきちんと破裂し、無数の火花が生まれた。ここまでは正常だ。

 それらは多数の獲物目がけて飛散した。順調だ。

 問題はここからだ。

 たった二人の人間が、縦横無尽に走りながら邪魔をする。

 水の剣を右から左へ。

 銀の短剣を下から上へ。

 その度に一つ、また一つと火の粉は払われ、そのペースは最後まで落ちることはなかった。

 そして、吹き荒れた強風が瞬く間に全ての炎を消し去る。例えるなら、力強く息を吹きかけられ、脆くも消えたろうそくの炎に似ていた。

 一瞬だ。まばたきをした者は不幸にも見落としただろう。

 ザッと音をたて、ひと働きを終えた二人が向かい合うように合流する。


「自分でもビックリ!」

「だろうな。さすが我が妹、上出来上出来。マンイーターは……、少し溶けちゃったか。貸して」

「うん!」


 イリックとネッテは息を乱すことなく、このやり取りを終える。

 渡された短剣は刃がわずかに融解しており、野菜すら細断できない有様だ。それでも突き刺す程度なら可能なため、少年はそういう用途を見越して鞘を握る。


「ま……、待テ……」


 女は既に察している。

 これから起こりうる出来事を。

 己の身に何が起きるかを。

 ゆえに、狼狽ながら後ずさる。惨めであろうと、ぎこちなく一歩、二歩と後退することしかできない。アジールのウォーシャウトはその効果時間を終えており、リインは解放されたのだが、恐怖が三度彼女を縛る。

 恐怖。追い詰められた果ての絶対的な絶望。もはや逃れられない。それを直感的にわかってしまったからこそ、彼女の鉄仮面は脆くも崩れ、許しを請う。

 死に直面した、実に人間らしい表情だ。目を見開き、唇を震わせ、頬の筋肉を硬直させる。

 そんな素振りを気にも留めず、赤いコート姿の冒険者は右手にオムニシエンスを、左手にマンイーターを持ったまま、自然体な姿勢へ移行する。

 そして、少年の姿がスッと消失し、観客達の目には映らずともその行先は誰であれ予想可能だ。


「――ウッ」


 一瞬の静寂は、女の苦しそうな声を際立てる。疑心と畏怖が混じり合ったそれは、本来の音色よりも幾分トーンが低い。

 発生源で見つめ合う二人。その距離は腕を伸ばせば丁度届く。

 ゆえに、銀色の刃は心臓を貫く。左足を踏み出し、体の左側面だけを近づけている状態ゆえ、イリックは肩越しに別れの光景を見届ける。

 この手応えは今までのどれよりも軽く、重い。

 皮膚を破り、肉を突き進み、脈打つ命へ終わりを告げる。切れ味が落ちようと、この短剣はマンイーターだ。人間が人間を殺すために産み落とされ、いくつもの人命を食い散らかしてきた。今回の用途もそれは変わらない。

 念には念を。やり過ぎかもしれないが、相手は死の概念を覆した女だ。ダメ押しや追撃は欠かせない。


「かはっ!」


 リインは大きく吐血する。新たな衝撃が体内を駆け巡ったからだ。

 デュアリズム。この作用により、マンイーターによる一撃は二連撃へ昇華する。初撃が心臓を停止させ、同等の破壊エネルギーがその周囲をかき回す。

 リインの周囲から闇の光がパッと消え去る。漆黒の拘束から解放された瞬間だ。


「俺の……、いや、俺達の勝ちだ」

「――認めよう」


 イリックは噛みしめるように、そして、誇るように言い渡す。

 この戦いは独りでは成し遂げられなかった。

 アジールが時間を作り、ロニアが武器を用意し、ネッテが戦技を工面する。

 これらの結果が、今回の勝利だ。三人がいなければ何も成し遂げられずに息絶えていた。

 同じに、こう思うこともできる。

 今までは、三人を守るために戦ってきた。だが、これもまた思い違いでしかない、と。

 守ってきたのではない。守られていたのだ。

 厳密には、互いに支え合いながら同じ道を歩んできた。

 仲間なら当然の間柄だ。冒険者はモンスターと戦う危険な職業ゆえ、こうでなければ長生きなどできない。

 今回の勝利は彼女達のおかげだ。そう再認識しながら、イリックはゆっくりと刃を引き抜き、直立を維持しながらも動かなくなった女を見つめ続ける。


「やったか!?」


 どこからか、老人の元気な声が湧き上がる。

 だが、イリックは反応しない。それよりも先にやるべきことがあるからだ。


「遺言とかあるなら……」


 まばたきすらしない相手へ、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

 本来ならば即死のはずだ。痛みによるショック死を避けられたとしても、血液の循環がピタリと止まったのだから、意識はあっという間に薄らぐ。

 にも関わらず、未だに倒れない。

 しかし、反撃の類は一切ないと確認できている。左手の感触が如実に物語っていたからだ。

 リインの炎は今まさに燃え尽きる。マンイーターを引き抜かれてもなお立っていられる理由は、言ってしまえば余熱のようなものだ。

 イリックは別れの挨拶を済ませたいわけではない。

 人間への恨みつらみを聞いてやるわけでもない。

 その本心を、聞き出したいだけだ。


「神に……感謝を……」


 弱々しい発言と共に、女は崩れ落ちる。乳房の中間を貫かれたにも関わらず出血が少ない理由は、血液の復元が十分に行われなかったためだ。

 その代わりとして真紅の髪が地面に広がり、その中心でリインは仰向けに倒れる。

 黒いロングワンピースは喪服にしか見えない。

 居合わせた者達は皆そう思いながら、戦いの終焉を実感し始める。それでもその場から動けない理由は、雰囲気に飲まれたということもあるが、一瞬の攻防があまりに超常的だったためだろう。

 戦いに身を投じる者ほど己の常識が完膚なきまでに砕かれたため、心身共に動いてくれない。


「神様……ね。どこに行けば会えるの?」

「スカー……ティア」

(ロニアさんもそんなこと言ってたような……)


 女の弱々しい返答を受け、少年は天を見上げて記憶をまさぐる。その地は先ほどまで滞在した場所だが、それほどに重要な場所だと聞かされたところで、どうにもピンとこない。


「情けでキュア使ったらだめよ」

「仮にしようとしても手遅れです。そいつ、もう死んでます。意識はまだ消えてませんけど……」


 合流を果たしたロニアはまだ戦闘態勢を解除しない。灰色の魔力を身にまとい、頭上の槍達はリインに穂先を向けたままだ。

 自分達のリーダーは変なところで優しい。やっと仕留めたリインに情けをかけるとも思えないが、釘を刺さずにはいられない。

 だが、その心配は無意味だ。

 リインは最後の一突きで完全に命を落としている。もはや指一本動かせず、死体ゆえに当然なのだが、それでも声帯と唇を動かす程度ならかろうじて可能だ。


「不死身だから?」

「――いえ、マジックポイントの枯渇したこいつはただの人間です」


 アジールも加わり、ネッテも無言のまま兄の背後にピョンと立つ。

 この現象、すなわち、リインが死体のまま意識を保てている理由について、誰も説明はできない。勝者ゆえにそのようなことを気に掛ける必要はないのかもしれないが、事実としてこの状態は不可解だ。


「安心……しろ……。長くは……ない」


 猶予のようなこの時間が何を意味するのか、本人すら理解できておらず、されどその短さは直感的に把握済みだ。根拠の提示はできずとも、思ったことを口にする。

 そして、四人はハッする。

 らしくない。そう言いたくなるほどに、リインの表情が穏やかだ。まるで憑き物が落ちたような、人間らしさを取り戻したような顔立ちを、イリック達は初めて目撃する。

 美しくも儚い表情は死を受け入れた結果なのか、元来の顔つきなのか、それは誰にもわからない。


「まだ話せるのなら教えて。あなたをここまで突き動かしたのは何? 北の地でゴブリンを復活させたり、ガーウィンスを滅ぼそうとしたり、デフィアークで軍人を殺したり……。そこまで人間を憎めたのはなぜ?」


 ロニアは見下ろしながら詰問を開始する。

 最後のチャンスだ。この機会を逃したら、真実は闇の中に葬り去られる。ゆえに、ダメ元だろうと問わずにはいられない。

 リインは長年、人間社会の裏側で暗躍してきた。その道のりを一から十まで確認する必要はないが、いくつもの事件はこの女を基点に発生しており、しこりを残さないためにも動機や手法の解明は必須だ。冒険者の領分ではないかもしれないが、居合わせた者として、何より知的好奇心が答えを求める。


「神の名代として……、主の意志を代行した……まで」

「っと、ブレないわね!」


 予想通りの返答はどこまでもつまらなく、ロニアは腐るように顔を背ける。


「一つ……訂正。ゴブリンの件は知らない……。私では……ない」

「えっ!?」


 横たわるリインは細々と告げ、対照的にロニアは声を荒げる。

 このタイミングで嘘をつくとは思えない。だからこその驚嘆だ。アジールも体を硬直させ、ネッテは目をパチクリさせる。


「ゴブリンと精霊さんをくっつけたんだよね?」

「ええ、そうよ。コネクトを発展させたような秘術……、あなたしか考えられないわ」


 素直に白状しろ、ロニアはそう責めるが、死体のような女は微動だにしない。


「魔力の……提供が限界……。モンスター同士の結合など……」

(――そ、そうか)


 そして、リインは赤い瞳を見開く。

 気づいてしまった。

 なぜ、このタイミングで? そう問いただしたいが、今はそんな感情すらも吹き飛ぶほどに衝撃的だ。


「な、何よ……?」


 ロニアは不気味そうに見下ろす。力尽きたようには見えないが、女が言葉を途中で区切ったことがなぜか気持ち悪い。


「その……モンスターは……?」

「すごかったよね~」

「うん」

「イリックがぶっとばしたわよ。あやうく全滅しかけたけど」

「かれこれ一年くらい前? コネクト様様です」


 リインの問いかけが四人をわっと活気立たせる。今では思い出の一つだが、北の地での冒険は鮮明に思い出せる。


「楽しそうじゃのう」

「あ、ゴルドさん!」


 誰も近寄れないと思われた四人と一人の元へ、筋肉隆々の老人が歩み寄る。安全が確認されるまでは遠目から眺めていたかったのだが、責任感および部外者ではないという背景が二本の足を動かした。ネッテのくったくない笑顔に微笑み返し、ゴルドは横たわる女を注視する。


「か、勝ったんじゃな?」

「ご覧の通りよ。紙一重……かどうかは後でイリックから事情聴取なさい」


 そうロニアに言われようと、実感は得られない。

 だが、仰向けで倒れている女は紛れもなくリイン本人だ。その事実だけは決して揺らがない。赤い眼光からもすっかり生気が失われ、いつ死んでもおかしくないほどに衰弱している。

 起き上がることはおろか、動くことすら叶わない。館長の目からもそれは一目瞭然だ。


「イリック……」

「ん?」


 消え去りそうな声だが、少年はきちんと聴き取る。息を吐くような発声からは、生前の面影はこれっぽっちも感じ取れない。

 それでも意思疎通は十分可能だ。現に二人は視線を交え、相手のより深い部分を覗き込もうとしている。


「人間は……どうあれ滅びる運命……。それを今……、知ることができた」

「仰々しいことを……。その根拠は?」

「神がそれを……望んでいる。そして……、我々が知る以上に……干渉している」


 リインの発言が五人を黙らせる。

 信じたくはないが、頭ごなしに否定できないのも事実だ。なによりこの女こそがその完成形であり、もたらされた災厄は決して小さくはない。

 創造主たる神が、人間の滅びを欲している。

 リインが何度となく唱えてきた言説だ。

 妄想だ、思い込みだ、と笑い飛ばしたいが、コネクトという神秘もその一つに数えられる。そのことを誰よりもイリックが肌で感じており、今の発言が重く圧し掛かる。


「その短剣も……そうだ。私が朽ちようと……、何も変わら……ない。変わるはずが……ない」


 赤い瞳がイリックの左手を見つめる。

 マンイーター。少なくとも人間の手では作成できない武器だ。所有者を洗脳し、人殺しに従事させるのだから、呪いという次元を遥かに凌駕する。

 その出生は依然として謎のままだが、この女は神の所業だとあっさりと見抜く。


「前から気になってたんだけど、神様は何がしたいの?」


 凍りつく空気の中、イリックは最後の問いかけを投げかける。

 不思議だった。

 なぜ、神という存在はリインにこのような行いを命じたのか。その動機が全く見えないため、神が望むと繰り返されても納得には至らない。


「人間を……、この地上から……消し去る」

「それは過程なんじゃ? その先に何があるの?」


 そして、女は黙る。

 わからない。

 この情報については一切明らかにされておらず、勅命はシンプルに人間の絶滅だった。

 ゆえに生きる目的としてそれにまい進していたのだが、イリックの指摘は言われてみれば当然のものだ。


「わから……ない……」


 絞り出すような声は寂しげだ。自身がただの道化だと気づいた瞬間でもあり、ゴルド達もかける言葉を見つけられない。


「んじゃ、神様に会えたら訊いてみる。シンカイとやらで再会できたら、その時に教えてやるよ」

「な、なんじゃそりゃ!?」

「シンカイって何よ!?」


 飄々とした態度とは裏腹に、イリックの発言内容は突拍子もない。

 博識な者ほど受け入れがたく、ゆえにゴルドとロニアは脊髄反射で補足を求める。意味不明なやり取りはそれだけでも不気味だが、二人の間では普通に成り立っていることこそが驚きだ。

 わーわーと騒がしくなった人間達を余所に、リインは人知れずまぶたを閉じる。

 時間切れだ。

 質疑応答は終わりを告げ、人間らしく、魂は心界に誘われる。

 最後の最後で生じた謎。

 その答えを知ることはなかったが、悔いはない。

 宿敵がそう言ってくれたのだから、大人しく待つだけだ。

 喧騒はついに聞こえなくなり、意識の輪郭はぼやけ、浮遊感と共に解き放たれる。

 そして、心と体が切り離される。

 肉体は器の役目を終え、精神はあるべき場所を目指す。

 心界。人間を人間たらしめる要素は、この世界からもたらされている。

 二人の神は真界からエネルギーを抽出し、ウルフィエナを創造した。

 神は心界にアクセスし、自分の分身として人間を作り出した。

 神は己の力を分け与え、モンスターを作り出した。

 そして、ウルフィエナは争いに包まれる。この世界がそうあるように仕組まれた瞬間だ。

 それを望む者。

 それを望まない者。

 すれ違う意志とは無関係に、人間とモンスターは殺し合う。

 冒険者。自由を求め、奔放に生き、広大なこの世界のどこかで朽ちる者。

 リイン。自由を求め、神にすがり、冒険者に討伐された女。

 一つの戦いが終わりを告げる。

 彼女にとっては長い歩みだ。

 彼女にとっては一瞬を切り取っただけだ。

 そして、彼らにとっては慌ただしい日常の延長だ。

 冒険者。根無し草だと笑われようと、無法者だと蔑まれようと、その信念は決して曲がらない。

 旅立ち、モンスターを狩り、洞窟に潜る。

 本能の赴くまま、時に誰かの策略に利用されようとも、時に事件や争いに巻き込まれようと、彼らは彼らのものさしで世界を計り、自らの足で大地を踏みしめる。

 そうすることしかできない愚か者だ。

 刺激的な日常でしか満足できない愚か者だ。

 その果てが何であれ、今はその道を突き進む。

 一人で。

 二人で。

 三人で。

 人数は人それぞれだ。こればかりは巡り合いに左右される。

 仲間と出会えた者は幸せだ。

 一人であろうと幸せなはずだ。

 いつかは出会えるかもしれない。

 いつかは一人ぼっちに戻るかもしれない。

 その時がいつであれ、今を生きる彼らは走り続ける。

 ウルフィエナ。美しくも危険な世界。

 冒険者にとってはかけがえのない遊び場だ。広すぎるため遊びつくせず、その結果、毎日がお祭りのように騒がしい。

 今日は東へ。強くなるためにモンスターを乱獲だ。

 明日は西へ。金を稼ぐためにウォンテッドモンスターを討伐だ。

 明後日は北へ。まだ見ぬ洞窟が見つかった。探検だ。

 明々後日は南へ。冒険者らしく、クエストに出発だ。

 その生き方は滑稽なのかもしれない。

 しかし、笑う者は何もわかっていない。彼らの歩んだ地面が道となり、繁栄と平穏を運んでくれる。

 とは言え、それは結果論だ。

 冒険者はその特性上、何かに巻き込まれやすい。

 それが事件であろうと、争いであろうと関係ない。普段通りだ。目先の障害を乗り越えるため、時に大陸を駆けまわり、時に洞窟の奥底を探検し、時に強敵を打ち破る。

 延長だ。普段の生き方となんら変わらない。

 そうして三大大国やそこに住まう人々は救われ、一刻の安息を享受する。

 だが、冒険者からすれば平和は物足りない。食い扶持が奪われるにも等しい。

 ゆえに新たな危険を求め、彼らは新天地に旅立つ。

 東に位置する傭兵の国へ。

 世界中に現れた次元の裂け目へ。

 謎に包まれた西の大陸へ。

 冒険者。刺激を求め、戦いに明け暮れる者達。

 彼らは彼らの道を進む。いばらの道であろうと、雨にうたれようと、歩みを止められない理由はそういう人種だからだ。

 その一人、イリック。質素な日常を手放し、ある意味での所帯を抱え、定住することなく世界を駆け巡る。

 目まぐるしい日常はそれこそが宝物だ。旅立ち、飯を食べ、戦いに興じる。日が沈めば寝床を探し、寝袋にずぼりと埋まって両目を閉じる。

 そういう意味では同じことの繰り返しかもしれない。狩りの対象も過去に戦った相手ばかりだ。

 それでも毎日が輝く理由は、やはり仲間の存在が大きい。

 ネッテ。

 アジール。

 ロニア。

 紡いだ絆は強く、永遠に切れることはない。

 呪いだ。その指摘はある意味正しい。彼らの意志とは関係なく、この結びつきは強制的に続く。

 コネクト。戦いを終わらせるために生み出された魔法。それを宿した者の使命が、今まさに果たされた。

 それでも彼らの日常は続く。手にした力も失われず、それが何を意味するのか、そんなことはこれから考えれば済む話だ。


「あ、死んでる……」

「え!?」

「なんと!」


 こうして一つの戦いは終わりを告げ、神と神は次の舞台にスポットライトを当てる。

 そう。終わらない。終わってはならない。

 闘争こそがこの世界を維持するためのエネルギーだ。

 人間にとってもそれは変わらない。人は皆安らかな日常を求めるが、無意識下では様々な刺激を求めている。

 本能に忠実な人種こそ、冒険者だ。モンスターというかっこうの相手がいるからこそ、欲求を満たすことができている。


「これで平和になったね!」

「めでたしめでたし」

「どうだかな~? こいつが死んだところで、モンスターはいるわけだし……」


 英雄なき時代に現れた英雄。それでも彼は、自分を冒険者と称し世話しなく走り続ける。

 その隣には三人の女性が肩を並べ、仲間としても、良きパートナーとしても同じ方向を見つめる。

 空が切り裂かれ、西の大陸が焼かれようと、澄んだ青はその色を失わない。一刻の平和は保たれたのだから、今はそれを喜びながら羽を休める時だ。

 故郷で職を失い、家を焼かれ、今は完全に根無し草。

 けれどもそれを嘆きはせず、そうできた理由は仲間の存在が大きいのかもしれないが、なんにせよ、少年は長い道のりの果てに今のポジションを確立した。

 次のステージだ。

 目先の目標などないが、やるべきことは山のように積まれている。

 何かを成したのだから、報酬も自然と転がり込んでくる。

 依頼を受理し、それを達成する。冒険者らしい日常だ。

 このサイクルは変わらない。変わるはずがない。

 ウルフィエナは好きですか?

 この問いかけは無意味だ。彼らの答えは決まっている。

 モンスターが蔓延る危険な世界だが、だからこそ彼らにとっては好都合だ。戦い、倒し、次を求める。闘争本能を満たすための最適解であり、飯のタネでもある。

 冒険者。愚か者かもしれないが、誰よりも知恵を絞り、己の全てをその一点に特化させた異常者。

 信念と理念だけに従い、危険な冒険に従事する。

 国にもルールにも縛られない。その一方で懐具合には左右される。

 金がなければ装備はおろか食糧も買えない。世知辛し話だが、人間社会の抗えない摂理だ。

 無い袖は振れない。そのことを痛感しながら、少年はその場所を訪れる。

 ギルド会館。荒くれ者達が集う巨大施設であり、新たな出会いに満ちた場所だ。

 ギルドという仕組みはこの地ではなく、西から輸入されたと言われている。

 その地に降り注いだ災厄が、これからの情勢をどう変化させるのか。少なくとも彼ら四人にはわからない。

 仕事が舞い込めば、その時に考えるだけだ。冒険者はそういう人種であり、危険が待っていようと喜び飛び込む。

 強くなるため。

 モンスターを討伐するため。

 宝物を手にするため。

 金を稼ぐため。

 目的はそれぞれだが、命を顧みない点だけは共通だ。

 自身を担保に突き進める。その強みが彼らの足を動かし続け、その果てに何が待っているかは、到達しなければわからない。


「さて……と。後のことは任せた!」

「馬鹿言うでない!」

「なぜ!?」

「諦めなさい。これだけのことをしたんだもの。お偉いさん達から根掘り葉掘り訊かれるでしょうね」


 土の匂いと草木の匂い。

 空の光と太陽の光。

 それらを一身に浴びながら、過去から現在、そして未来へ歩みを進める。


「今日はここで一泊~?」

「宿探そう」


 根無し草ゆえの身軽さこそ、冒険者の取り柄だ。縛られず、行く先々で生活スタイルを変化させる。だからこそ、どんな獲物も逃さない。


「ロニアさん、後はいつものようにお願いします」

「無理無理。ついてってあげるから」

「……途中で寝ちゃうかも」

「叩き起こしてあげる」


 喜び、笑い、泣き、驚く。コロコロと変わる表情は、一人ではない証拠だ。

 手にしたものはかけがえのない温もりゆえ、決して手放してはならない。そうすることで新たな何かが得られることもあるが、この少年は掴み続けることを選択する。


「つ、疲れてるんだけどなぁ……」

「帰ったらひざまくらしてあげるから」

「マジで!?」

(尻にひかれとるのう……。あ、いや、手のひらで踊らされとるだけか)


 絆を紡いだことで得られた力。

 他者と繋がったことで見られた景色。

 コネクトを宿した少年は、これからも立ち止まらない。一刻の休息を満喫することはあっても、原動力に突き動かされ、いつの日か必ず旅立つ。


「んじゃ、もうひと踏ん張りするか。あ、そうそう。明日はクエストやりましょう。アジールさんの鎧をどうにかしないと」

「明日は明日でデフィアークかサウノに連行されるわよ」

「なぜ!?」

「当然でしょう? これだけのことをやったんだから、三大大国が黙ってるはずないわ。あの光についても議論しないといけないし」

「がんばってね~! 晩御飯はギルドにて!」

「お先」

「あ! ずるい!」


 泣き叫ぶイリック。

 けらけらと笑うネッテ。

 無表情のアジール。

 呆れ顔のロニア。

 いつも通りの光景だ。

 変わらない毎日と変わる日々。そのどちらも内包しながら、四人は同じ道を歩む。

 ウェルカム トゥ ウルフィエナ。

 我が子達よ、存分に生きながらえ。

 我が子達よ、存分に殺し尽くせ。

 神々に見守られながら、広大なこの世界でそれぞれがそれぞれの道を行く。


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