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コネクト・クエスト  作者: ノリト ネギ
紡いだ絆を力に変えて
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最終章 真のコネクト(Ⅲ)

「とぉ!」

「――う、ぐ」


 その姿は彼女からすれば無防備過ぎた。己が狙われることのない絶対的な安全時間ゆえに、躍動的な動きには磨きがかかる。

 ネッテは邪魔をするように、リインの腹部を蹴り飛ばす。あっさりと追いつける瞬発力も去ることながら、相手の狙いを本能で察し、行動へ繋げられる才覚は兄にはないギフトと言える。


「やっと隙あり、ね」

「どうぞどうぞ」


 離れた位置から戦局を眺める。これほどに有利な立ち回りはないだろう。

 ロニアは孤立した女へ狙いを定め、隣のイリックは視線を向けることなく同意する。

 そして放たれるオムニシエンスと、とっさに体勢を立て直しいくつかを避けてみせるリインを横目に、少年だけは飄々とした態度を維持したまま、ゆっくりと口を開く。


「ネッテ! これを使え!」

「んー?」


 兄が何を言い出したのか、妹はすぐには理解できない。それでも弧を描くように放り投げられたそれを受け取れば、追加の説明は不要となる。


「おぉ~」

「一刀にこだわる必要もないけど、まぁ、後は好きにしてくれ」


 ネッテの左手は灰色の鞘を、右手は黄金の柄を乗せている。ゆっくりと引き抜くことで刃が顕になると、紫色で描かれた艶やかな模様が姿を現す。

 マンイーター。人間同士を殺し合わせ、その数を減らすために産み落とされた凶器だ。今は全く別の性質と使命を帯びている。コネクトの所有者が手にすることで変化した特性こそ、この戦いを早期に終わらせる切り札だ。


「エイビスちゃんの代わりに使うね!」

「おう、ぶっとばせ」


 刃こぼれ一つしていない短剣を振り回しながら、ネッテはうれしそうに笑みをこぼす。殺し合いの最中にも関わらず無邪気さを失わない精神力の強さと凶器こそ、この少女の強みと言えよう。


「……想定外だわ。あなたほどの魔力には達してないみたい。それとも、あいつがそれ以上ってこと?」

「どっちもかもしれませんね。まぁ、十分です」


 ロニアは補充を続けながらも頭上の武器を発射し続けたが、一旦攻撃の手を止め、隣のリーダーに感想を述べる。

 オムニシエンスは非常に殺傷能力の高い魔法だ。標的が人間なら、かすめるだけで肉体を削ることが出来る。直撃すればその周辺は完全に消え去る。こうなってしまっては、回復魔法程度では治療すら行えない。

 ロニアもそれを期待していた。イリックが今までの戦闘で見せつけてきた破壊力を、己も真似できると思っていた。

 だが、そうはならない。

 漆黒の魔力に包まれた女は、水の刃物をほとんど避けてみせる。数本はかすめ、最後の一本は腹部に突き刺さってしまったが、途中で掴み止めることに成功する。

 そして、その姿は完全に原型を留めたままだ。本来ならばあちこちが欠損し、胴体には大きな風穴が形成されているはずだったのだが、腹以外はかすり傷程度で収まっている。

 この結果はロニアにとっては残念だが、コネクト第二段階の弱点でもあり、受け入れる他ない。

 まほらは身体能力こそ大きく向上させるが、魔力に関しては相対的に言えば伸び代は小さい。マジックポイントに至っては完全に据え置きのままだ。

 その結果、ロニアの卓越した魔力は幾分高まるものの、コネクトを発動させたイリック、すなわち将来の自分にはまだ追いつきはしない。

 ゆえに、オムニシエンスはリインの体を消滅させるには至らず、当たれば貫通こそするが、死なない女の無力化には程遠い。

 この事実、二人にとっては完全に想定外だ。

 ロニアは唇を噛み、悔しそうに相手を見据える。

 リインはわずかに吐血するも、表情一つ変えず槍を体から抜き取る。

 誤算だ。読みが浅かった。

 うれしい誤算だ。これで伸び伸びとこの四人を殺せる。

 相反する感情を抱きながら、両者は静かに睨み合う。

 重苦しい空気が漂う中、唯一の男、イリックだけが能天気なままだ。


「ああやって当たれば結局は致命傷なんですから、数で勝るこっちが優勢なことには違いありません。普段通りに戦えば、このまま圧勝ですよ。何より……」


 イリックは声のボリュームを押さえ、ロニアの耳にそっと近づく。


「あいつはテレポートのことに気づいていません。多分ですけど……。ネッテとロニアさんがマジックポイントを削り続けてくれれば、絶対に倒せるはずです」

「そう……ね。とにかくやりましょう」

「はりきっていきましょー」


 意思疎通を終え、両者の顔はさっと離れる。

 二人の視線は、倒すべき相手を捉えたままだ。腹部の空洞をあっさりと埋め終え、右手を水浸しにした女がそこには立っており、真紅の長髪はオーラと殺気のせいでゆらゆらと揺れ動き、脛まで届くスカートの丈も音もなく舞っている。

 リインから見ると、四人の立ち位置は次の通りだ。

 少し遠方の正面には、イリックとロニア。恋人というと大げさだが、仲睦ましく肩を並べている。

 左側にはネッテとアジール。小さい方は短剣を構え、大きい方は腰を落としながら盾で体をカバーしている。

 包囲網は健在だ。四対一の数的有利は依然として変わらず、だからこそ、彼らは臆することなく、超越者と向き合える。


「あなた達の戦技はもう怖くない。私にもこれがある。全員……、燃え尽きなさい」


 ウォーシャウトによって攻撃の対象を縛られる。つまりは意志に反して体を動かさなければならず、その状況はどこまでも気持ち悪い。動きのキレも当然のように低下してしまう。

 十秒が過ぎ去ったことでアジールへの束縛は解かれたが、この四人と戦うにあたり、二枚のウォーシャウトが立ちはだかるため、十秒毎にそんなことをされては鬱憤の蓄積は避けられない。

 だが、関係ない。警戒すべき攻撃魔法が想定よりも脅威ではないと発覚したのだから、ここからは思う存分、それこそ彼女のペースで戦うことが可能だ。

 その手段の一つとして、人魂のような青い炎を提示する。

 大きくはないが小さくもなく、火でありながら赤くないそれらは、主の頭上で一斉に咲き乱れる。

 その数は優に二十を越えており、イリック以外は驚きの余り体を強張らせる。

 彼女らは既に見学済みだ。これら炎には、人間をあっさりと火葬するほどの火力が秘められている。当たれば最後、死という末路からは逃れられない。

 イリックように新たな力を覚醒させた今なら耐えられるかもしれない。

 そんな甘い期待が一瞬脳裏をよぎるも、吹き込む熱量が熱風と共に吹き飛ばしてしまう。


「やってみろ」


 そんな中、リーダーだけは毅然と立ち振る舞える。

 燐火と呼ばれる青い殺意は確かに危険だ。自身も数えきれぬほど肌や肉を焼かれ、その都度キュアで体勢の立て直しを図った。

 本来ならば、四人の内半数以上は逃げ出さなければならない。回復魔法はイリックしか詠唱できず、キュアでの治療は一度に一人が限界だ。四人が被弾した場合、全員への手当はどうしても遅れてしまう。

 ロニアも回復魔法を有しているが、復元力はキュアには及ばない。ゆっくりと傷を癒すため、今回に関しては延焼による負傷が上回ってしまう。

 それでもなお、イリックは余裕の表情を浮かべられる。

 今となっては、この程度の魔法など脅威ではなく、言い換えるならどうとでも捌けてしまう。


「言われるまでもない!」


 女は吠えながらも命令を下し、配下の火炎群はそれぞれの目標へ一斉に駆けだす。

 一人につき、六個前後の殺意が狙いを定めている。人間を、それこそまほら状態の彼らであろうと十分殺せるはずの火力だ。

 足りぬなら次を作り出せばよく、先ずは第一陣の結果を見極めてからでも遅くはない。


(かわせない……!)


 残念ながら、アジールにはこれらから逃れる術はない。

 決してどんくさいわけではなく、そもそもの前提として、攻撃魔法とは避けられるような概念ではない。

 ましてや燐火は従来の魔法よりもさらに素早く、盾役の彼女にはあまりに荷が重い。

 アダマン製の盾で三つを防ぐことには成功するも、半数に関しては左肩や両足に被弾してしまう。

 この数は致死量だ。コネクトにより身体能力を強化されようと、決して耐えられない。

 先ずは一人目。リインは横目で満足そうに眺めながら、さらなる被害者を待ちわびる。

 残りの三人の内、もう一人くらいは殺せるはずだ。自身の魔法に全幅の信頼を寄せるがゆえの予想であり、イリックは不可能かもしれないが、数を減らせるのなら誰であろうと構わない。

 そのような甘い算段は、兄妹によってあっさりと砕かれる。

 ネッテにも例外なく、燃えたぎる魔力が襲いかかる。合計六個のそれらは音もなく迫っており、盾のような防波堤を持ち合わせていないのだから、被弾するか避けるかの二択だ。

 もちろんだが、前者を選ぶ理由はない。頭が考えるよりも先に体が反応するのか、少女は腰から上を左右に激しく揺らし、先行する三つをあっさりとやり過ごす。

 ほんのわずかな時差と共に、残るもグンと差し迫る。それらについても、右足を持ち上げ、次いで左腕を下げ、最後は反り返るように上半身を倒して作業終了だ。

 驚きはしたが、焦ることもなければ恐怖にひきつることなく、ネッテは灰色の光をまといながら踊るように無傷を貫く。容易くはないが被弾もありえない。コネクトによる上積みと生まれ持っての才覚が、少女の実力を未知の領域へ押し上げる。

 同じ頃合いにて、イリック達も命の危険に晒される。二人分ゆえ、発射された炎は十個と多い。

 自分だけが助かりたいのであれば、脱兎のごとく逃げだせば済む。限界以上の力を得た今なら容易に可能だ。この方針なら、下手をうつこともなく、確実かく安全と言えよう。

 だが、それは許されない。仲間を見殺しにすることはできず、なによりそんな無様なことをする必要がないからだ。

 隣にはロニアが立っている。同じ方向を向いており、この関係は二人にとって心地よい。

 だからこそ、守らねばならない。

 そのための手段も彼女から与えられるのだから、男として迷いなど生じない。

 貴重なマジックポイントだと出し惜しむことはせず、少年は頭上に一本の剣を作り出す。水で形作られたそれは水滴すら垂らさず、凍ったように驚異的な硬度を達成する。

 右手を持ち上げ、握り易そうな柄を掴めば、それだけで準備は完了だ。

 人間を焼き尽くす蒼は激しく燃えながら、既に目の前まで迫っている。手を伸ばせば届く位置だ。

 その数は一瞬では数えきれない。全弾が猛威を振るえば、大勢の人間を生きたまま焼き殺せるだろう。たった二人を仕留めるには過剰だが、今回の相手はまほらに達した存在ゆえ、多すぎることはない。

 否。この少年には少なすぎる。

 大事なことに気づけた今、イリックはついに一人前の冒険者として一歩を踏み出した。

 人間など、必ずどこかが欠けている。それでもなお強がることは決して悪いことではないが、モンスターと命を奪い合う危険な職業においては、時に足をすくわれてしまう危険性も付きまとう。

 足りない要素を補い、支え合う仲間が必要だ。

 冒険者なら当然の常識であり、パーティという概念はそういった背景から自然発生した。

 リーダーとして、やっと気づくことができた。至極当たり前のことなのだが、随分と時間をかけて辿り着くことができた。

 その結果、この冒険者は無意味に背負っていた重荷から解放される。

 心は晴れ、身体は羽を帯びたように軽い。

 心境の変化がもたらしてくれた限界突破。これが少年に何をもたらすのか、それを今から実演する。

 大粒の炎は目の前だ。一つずつではなく、ほぼ同時に多数が押し寄せるのだから、回避も防御も間に合わない。

 だとしても関係ない。右手の武器は美しいが飾りではなく、剣身は火を払うために存在している。

 コネクト第二段階によって、ロニアの身体能力および動体視力も大きく向上したのだが、隣に立つ少年の動作を捉えることは出来ない。その剣撃はそれほどに素早く、結果だけが遅れて披露される。

 酸素を失ったかのように、青い炎が次々と、しかし、ほとんどタイムラグなく消え去っていく。鎮火と呼ぶには荒々しく、息を吹きかけた時とは比較にならないほど乱暴な消え方だ。

 当然だろう。火の天敵である水で斬られたのだから、原型を留めることもその場に残り続けることも不可能だ。

 結果だけを見ればただ守られただけのロニアだが、リインが意気揚々と炎を射出して以降、それこそそれらが眼前まで迫る最中も、腕と剣が奏でる風切り音を聞いている最中も、眉一つ動かさずに端麗な顔立ちを保ち続けた。冷静かつ妖艶なその表情は、仲間を信頼している証であり、そういう意味ではイリック以外の三人は冒険者として完成していると言えよう。


「上出来よ」

「お褒めにあずかり光栄です。さて……」


 しゃんと振る舞う二人とは対照的に、リインは驚きを隠せない。

 だが、絶望もしていない。少なくとも一人は丸焼きに出来たのだから、そういう意味では少なくない成果だ。

 そう。アジールだけは避けられなかった。

 白金のプレートを溶かしながら、そして両足を燃やしながら、青い炎は火力を衰えることなく、轟々と燃え広がる。

 それでも盾を持ち続け、悲鳴を上げないその気概は他者に真似できるものではないが、どちらにせよ命を焼かれているのだから、息絶えることには変わりない。


「一人目! 次はあなたの妹を焼き殺す!」

「おまえの目は節穴か? 一人目なんてないんだよ」

「……え?」


 そして女は振り向く。イリックの発言が理解できないからだ。

 アジールが生き延びるためには、先ほど使用してしまったインビンシブルを発動させるしかなく、しかし、再使用時間が経過していないため、それはまだ実行に移せない。

 それゆえにリインは勝ち誇ったのだが、視界に映る人間二人が冷静さを保ったまま、さらには揺るがないはずの事実を否定してみせたのだから、確認のためにも燃え焦げる人間へ顔を向ける。


「私じゃないとショック死すると思う」

「あ、大丈夫ですよー。俺もなんとか耐えられました」

「お兄ちゃんすごーい!」

「私は嫌よ。生きたまま焼かれるなんて」


 何が起きているのか、女はこれっぽっちも理解できず、茫然と四人の会話を耳に入れる。

 灰色のオーラの中でその人間は確かに焼かれ続けている。青い炎は燃え広がり、今では肩から上全体を、下側では両足を包んでおり、話すことはおろか立っていることも不可能なはずだ。

 にも関わらず、アジールは盾役らしく、しゃんと仁王立ちを続ける。

 そのからくりがわからない。

 そう難しい問題ではないのだが、今は茫然とその光景を眺めることしかできない。普段通りの冷静さを保つことができていれば、彼女とて正解に至れたはずだ。


「とは言え、鎮火しないとか……」

「任せなさい」


 アジールは死なないまでも、拷問のような仕打ちに晒されている。魔眼の効力により痛覚を止めているからこそ、痛みに晒されずに済んではいるが、それとこれとは別の問題だ。

 助けなければならず、その役割はリーダーの隣に立つ女性が適任と言える。

 目的は青い炎を消し去ることゆえ、やり方はシンプルだ。

 ロニアは補充を終えたばかりの槍を音もなく発射する。もちろん、そのまま仲間を貫くようなことはせず、彼女の頭上でピタリと静止させ、水風船を破裂させた時のようにバシャンと崩壊させる。

 燐火とオムニシエンスが正面からぶつかれば、火が属性の相性を無視して水を打ち負かすだろう。

 それでもなお、延焼を食い止める程度なら、それこそ人間の焼却を阻止することくらいなら十分可能だ。

 それを裏付けるように、アジールは水浸しになった代償として、青い炎から解放される。


「そういうこと……」


 そして、リインは知っていたはずのからくりを目撃する。

 左手首を失ったその冒険者は、風呂上りのように湯気をあげながら灰色の光をまとっている。

 それだけではない。その内側、すなわち体の外周付近は白く輝いており、これが何を意味するのか、見せつけられれば一瞬で理解可能だ。


「回復に専念できるって素晴らしい。まぁ……、マジックポイントがもう枯れてきましたけど」

「相変わらず早いわね。さっさとおかわりなさい」

「も、もう二本目……か。案外腹にくるんですよね……」


 答えはイリックのキュアだ。迫り来る炎を切り払いながら、この少年はさも当然のように並行して仲間の治療を完遂してみせる。

 後衛回復役としては最重要の仕事だ。それに専念できるだけの環境を仲間から用意されるのだから、重要かつ決して失敗できないこの立ち回りを終始やり遂げなければならない。

 コネクトにより高まった魔力が、どんな致命傷であろうと一瞬で癒してくれる。

 残念ながらマジックポイントだけは据え置きのため、あっという間に枯渇気味だ。

 ロニアの言う通り、薬を飲み干せば補充は済むだが、弊害として腹がたぽたぽになってしまう。そんなことを気にする場合ではないのだが、その苦しみを知っている者なら極力避けたい。


(これが冒険者……。これが人間達の力……)


 思い知る。

 一人一人なら些末な戦力だが、異なる分類の四人がかみ合うことで、足りない部分を補う以上に実力を向上させる。リインに驕りなどないのだが、それでもなお通用しないという事実が切り札のカードを切らせようとする。


(一瞬で殺す。最優先はイリック。わかる……。完全に場を支配している)


 この推測は正しい。

 一見すると、イリックは安全地帯から何食わぬ顔で戦況を眺めつつ、回復魔法を行使しているだけだ。そういう意味では回復役として正しい振る舞いなのだが、その実、それ以上の役割をこなしている。

 リーダーとして仲間を見守りつつ、必要とあらば指示を飛ばす。今回はまだそれらしい行いに至っていないが、過去の経験が無言であることを許容してくれており、パーティとしてはごく当たり前な風景だ。

 他三人を守りつつ、攻撃にも参加でき、統括もする。イリックの立ち回りはリインにとって厄介極まりなく、この人間を殺さなければ自分が追い込まれると、否が応でも思い知る。


「仕方ない、尽きる前にも補充するか……」


 女の緊張感とは対照的に、少年は柔らかい表情を保ったまま、背負い鞄を左手で持ち直し、右手をズボリと突っ込む。マジックポーションを取り出すためだが、その仕草は誰の目から見ても無防備だ。

 当然、リインとて好機と見なす。

 腰をわずかに落とし、急発進を試みようとした瞬間だった。


「甘い甘い」

「――ぐっ!」


 ここには四人の冒険者が揃っている。一人が戦闘に参加できずとも、残りの三人が自分の仕事をこなせなくなるわけではない。

 リーダーはこの流れすらもお見通しだ。対戦相手がこうもわかりやすく反応してくれたのだから、鞄から目当ての瓶を取り出しつつ、突きつけるように言い放つ。

 瓶を口から放し、行動の迂闊さを指摘するや否や、別の角度からは殺意のこもった疾風が激しく衝突する。

 超反応。

 超スピード。

 リインすらも目を見張るそれらの持ち主は、灰色の光で邪悪な闇を浸食しながら、兄からの贈り物を隙だらけな背中へ深々と突き入れる。

 ネッテ。戦闘における分類は前衛攻撃役だ。身の安全を第一としつつも、チャンスを見出すことが出来たのなら、得意武器で襲いかかる。そうすることが仕事であり、パーティにおける花形として活躍の機会は多い。

 体を鞭のようにしならせ、武道の演武を舞うように、少女は眼前の敵を次々と傷つけていく。

 細い首を切り裂き、頸動脈の一本を切り裂く。

 短剣の刃を左脇の下から突き入れ、肩を貫く。

 赤い瞳を憎むように、左の眼球を潰す。

 一瞬だ。時間にして一秒も経過していない。

 だが、リインにとっては決して短い猶予ではなく、本来ならば避けられる攻撃もあっただろう。それでもそうならなかった理由は二つあり、とりわけ後者が大きな要因だ。

 先ず、初撃を受けたことによる驚きがある。つまりはギョッとしてしまった。その影響で体は刹那だが強張り、少女の連撃はあっさりと成立する。

 そして、もはやこれはリインにとってはどうすることもできないのだが、両者はこの瞬間だけを切り取れば一対一で戦っているように見えるものの、実際はそうではなく、少なくともネッテにそのような孤独感は生じていない。

 そう。手にしたマンイーターで単身斬りかかってはいるが、決して独りではない。

 背後にはアジールがいる。ただ立っているのではなく、盾役としていつでも加勢できるよう見守りつつ、魔眼持ちとしてとあることに備えている。

 攻撃対象のその向こう側には、兄とロニアがいてくれる。手厚い回復魔法と一撃必殺の水魔法が今か今かと狙いを定めており、自分が何かしら失敗しようとカバーしてもらえるという安心感が彼女の胸の内に芽生えている。

 この差が大きい。

 少女は伸び伸びと全力を出し切れる。

 もう一方は窮地に追い込まれているという焦りが足かせとなり、体からキレを奪う。

 だからこそだ。

 ネッテとリインが正面から同条件でぶつかりあえば、一介の冒険者に勝ち目などない。兄ですら殺されかけたのだから、妹に善戦の二文字はあり得ない。

 それを覆せてしまうのが、仲間がいてくれるという好条件であり、安心感だ。

 全力、もしくはそれ以上で体を稼働させる少女の前に、赤髪の女は完全に後手後手だ。いくつもの致命傷を負いながらも反撃を試みる精神量と生命力は人間のそれではなく、だからといって振り回した腕は空振りに終わる。

 斬られ、貫かれ、殺される。

 このサイクルから逃れることは難しく、その結果、リインはついに過去最大の危機を迎えることとなる。


(このままだと……!)


 マジックポイントが、すなわち命の源泉が潰えてしまう。

 傷の治療。

 死からの蘇生。

 魔法の使用。

 これらを実現するためには、それぞれに応じたコストが必要だ。とりわけ生き返ることは負荷が大きく、とは言え彼女にとってはちっぽけな出費だった。

 人間離れした総量は、モンスターのそれすらも遥かに上まわっている。ゆえに攻撃魔法をどれだけ撃とうと、マジックポイントを枯らすことは不可能に近い。

 蘇生回数も本来ならば十分なはずだった。何百回であろうと死ぬことが出来るという事実は不死以外のなにものでもなく、不老も加わりもはや生物の枠からは外れている。

 だからこそ、単身で一国の軍人達を蹂躙することが出来た。高すぎる身体能力と卓越した魔力のおかげでもあるのだが、根底は何度でも死ねるという特権に集約される。

 無限ではないのだが、一個人からするとほぼそれに等しい。無尽蔵のマジックポイントは死という概念を遠ざけ、この女を生物界の頂点に運んでくれたと言い換えても良い。

 無敵だ。

 無敵のはずだった。

 そうではないと、とある冒険者は見抜いていた。

 イリック。この少年はその仕組みを暴き、対策としてマンイーターを実戦投入する。

 底の見えぬ容量であろうと、いつかは枯らすことが出来るはず。途方もない作業になろうとやるしかなく、軍長達の活躍もあり、その目論見は見事成功する。

 傷つけるだけで魔法の使用時以上の減少効果をもたらすことが出来るのだから、リインの命は加速度的に減らされていく。

 ましてや今はネッテが振るっている。兄以上の才能が全力を越えた力を発揮すれば、誰であろうと抗うことは難しく、女はついに自身の死を予感する。

 つまりは、マジックポイントの残量は残りわずかだ。


「目障りダ!」


 その咆哮と共に、リインは黒いオーラの内側に新たな光を発生させる。

 オレンジ色のそれは黒色に犯されず、二色はそれぞれに成立し続ける。まほらほど激しく揺らぐことはせず、けれども大人しくないその現象は強化魔法によるものだ。

 オーバークロック。自身の速度を向上させるシンプルながらも重宝される魔法だ。だが、欠点も備わっている。この魔法はマジックポイントの消耗が激しいため、この状況においては悪手と言える。だが、ネッテのスピードに対応するためには欠かせず、自分の首を絞めることになろうと今は使わざるをえない。

 それでも失策なことには変わりない。なぜなら、この場では最も意味を成さない行為だからだ。

 そして、彼女の瞳が青く輝く。

 それを合図に作られたばかりの橙色は霧のように消滅し、リインはまほらだけの状態に戻されてしまう。


「なっ!? ま、魔眼か!」

「正解」


 強化魔法を消し去る行為は二種類存在する。

 弱体魔法に分類されるパージと、リインの言う通り、魔眼の第二形態だ。

 この場には非常に稀有な魔眼持ちが盾を構えて立っている。当事者であろうとそうでなかろうと、オーバークロックが消え去ったのなら、誰の仕業かは容易に想像可能だ。

 怒気を含んだ顔を向けられるも、犯人のアジールは無表情を貫いて小さく返答する。盾役として相手の攻撃を引き付けること以外に、これもまた彼女にとっては重要な役割だ。そのことを承知しているからこそ、集中力を切らさず来るべき時に備えることができる。

 マジックポイントの消耗が大きい強化魔法を空振りされた。この事実がリインをさらに苛立たせ、冷静な立ち振る舞いはいよいよ影をひそめる。


「ニンゲン如きが! 消し炭にナレ!」


 女は鬼の形相で絶叫する。命を削られ、孤独であることを突きつけられても、負けるわけにはいかない。

 同時に、いてもたってもいられない。何百年と歩んだ人生において、切り離したはずの恐怖心が心の底から這い出てくる。

 リインの精神が、より深い闇に飲み込まれた瞬間だ。

 それをきっかけに、女の黒い光から同色の柱が天へずるずると伸び始める。

 大樹のように太く、その上どこまでも禍々しいそれは遥か頭上でぐいっと折れ曲がり、創造主の向きと同様の方角へ先端を向ける。

 これはただの柱ではない。赤くもなければ青くもなく、けれども間違いなく燃えており、つまりは炎によって作られた巨大な何かということになる。


「おぉ~~」


 ネッテは即座に離れ、能天気に見上げる。その熱量ゆえに近寄ることは叶わず、少しでも近寄ればあっさりと着火し、空気同様燃やされた挙句に死ぬだけだ。


「――これは防ぎきれない」


 アジールは危険性と緊急性を即座に読み解き、匙を投げる。

 彼女が手にする盾はアダマン製だ。

 鉄よりもさらに硬いミスリル。この時点で破壊される危険性はほとんど消え失せる。経年劣化は起こりえるが、少なくとも打撃や蹴りでどうこうすることは現実的にありえない。この素材で刃物を作れば、岩と同等の強度を誇る頑丈なモンスターでさえ、豆腐を切るように切断可能だ。つまりは、切れない物はない。

 ミスリルの上がダーク鉱石だ。もはや加工もままならず、トリストン大陸ではデフィアーク共和国でしか精錬すら出来ない。その名の通り、あらゆる物質よりも黒く、白金製の装飾品ほどではないが見栄えにおいても類を見ない。冒険者の多くは初めからダーク製の武器防具を諦めており、それらを手にする者は一握りの金持ちのみに限定される。

 そして、最上位にアダマンが君臨する。希少性の高さも去ることながら、世界一硬い物質とも言われており、産出量と生産性の低さからこれを使用した装備品はほとんど出回らない。剣を作れば刃こぼれすらせず、鎧であれば絶対に砕けない。当然、熱せられようとも溶けることはなく、それはドラゴンが吐く灼熱の業火であろうと例外ではない。

 トリストン大陸および周囲の小さな島々でしか採掘されないこの鉱石は長い時間をかけて加工され、超がつくほどの高級品として東西の大国に高値で輸出される。金持ちですら尻込みする金額のはずだが、それでも買い手が付く理由はそれら装備品に他を圧倒する性能が秘められているからだ。

 ダーク製の武器すらも砕く力強さ。

 ミスリルの刃にすら平然と耐える頑丈さ。

 魅了されないはずがない。常識を逸脱した青い装備品は、選ばれし者だけに許された人外の特権だ。

 その一つがセンチネルシールドであり、アジールはネレネン王国にてそれを譲り受ける。

 形は長方形をしており、白金で縁どられている。青い輝きも相まって盾というよりは巨大な装飾品のようだが、彼女が握るそれは間違いなく防具の一種だ。

 幾重もの戦闘にてセンチネルシールドは実戦投入されたが、どんな攻撃に晒されようとも表面が傷つくことはなく、せいぜい汚れる程度だった。

 しかし、神の力の前では牙城を崩されてしまう。

 リイン。

 そして、煉獄の炎。

 燐火を防いだ際、真っ青な表面はあぶられたチョコレートのようにドロッと溶けてしまった。盾としてはまだまだ機能するが、小さな火の玉数個でその被害なのだから、上回る火力には耐えられるはずもない。

 それが今回の柱ということになる。

 黒く、猛々しいそれはリインがまとう漆黒の光から発生中だ。その凶暴さも相まって遠目から眺めるだけでも既存の魔法とは一線を画すと容易に分析できる。


「墨龍。コレで……終わりダ!」


 女の叫び声が一同に気づかせる。

 ぼくりゅう。その名の通り、轟々と燃えるこれはただの柱ではない。樹齢千年を超える大木のような存在感はそれだけで圧巻だが、そもそもこれは闇色の炎だ。灼熱の大筒は蛇のような曲線で折れ曲がると、獲物を睨み付けるように表情でイリックを見下ろす。

 そう。先端ではくちばしのような口が仰々しく開かれている。

 熱による揺らぎでもなければ、見間違いでもなく、二つの瞳もハッキリと判別可能だ。


「どれだけでかいんだ……。しかもドラゴンって……」


 灼熱の熱風に晒されながらも、少年は臆することなく見上げる。自分を丸呑みにするほどの顔は各地で語り継がれる畏怖の代表とも言えるドラゴンのそれだ。頭と首だけで構成されてもなお、威厳は全く色あせない。

 本来ならば震え上がり、恐怖のあまり気絶しても不思議ではない。

 にも関わらず、イリックが飄々と立ち振る舞える理由は、自分が一人ではないと気付けているからだ。

 空気は上限なく加熱され、肌がチリチリと悲鳴を上げる。この場にいるだけで熱中症にかかってしまいそうだが、彼らは冒険者ゆえいくばくかは耐えられる。

 それでも長居は厳禁だ。そもそもこのドラゴンはまだ何もしていない。威風堂々と獲物を見定めているだけであり、いざ動き始めてしまえば、人間など簡単に飲み込めてしまう。

 墨竜と命名されたこの魔法は煉獄の炎を限界まで圧縮し、巨大な姿を形成している。鋭い頭部と長い首だけの姿は蛇のようにも見えるが、ここまで大きな大蛇は自然界には存在しない。

 もし、噛みつかれでもしたら、その瞬間に体は蒸発するだろう。そうでなくとも、近寄られただけで四肢が沸騰しても不思議ではない。

 つまりは、この魔法から逃れることは難しく、根本に立つ女はこの魔法で四人を焼き払う算段だ。


「先ずはイリック、オマエを葬る!」

「これ、最初から使ってれば俺のことあっさりと殺せたんじゃ……? あぁ、パワーアップしたから使えるようになったのか。まぁ、なんにせよ……」


 敗れるつもりなどない。

 眼前で構える漆黒の炎竜は仰々しいが、ネッテやアジールとは対照的にイリックとロニアは冷静さを保てている。

 回避行動へ移るよりも先に燃やされてしまうかも。

 鋭い口に噛まれたら痛い程度では済まないかも。

 仲良く二人で死ねたのなら本望かも。

 などと後ろ向きな思考が脳裏によぎらないと言えば嘘になるが、一方で、リインという害悪を前にしてこれ以上慌てふためくつもりにもなれない。


「やるしかないわね」

「ガッテンガッテン。そのためのコネクトです」


 この男女はわかっている。

 リインは火属性の扱いに特化した人間だが、自分達は相性の良い水属性が専門だ。魔力差の影響で魔法の強度や威力面では劣るが、それでもなお、属性の相性までは覆せていない。

 だからこそ、だからこそだ。女のいきり立つ声が戦場に響こうと、臆することなくそれを紡げる。


「塵とナレ!」

「オムニシエンス」

「オムニシエンス」


 知恵の集合体。考案者の趣味嗜好を反映させた魔法名と言えよう。

 同時にこれは、彼女が長い年月の果てに辿り着く究極の破壊魔法でもある。その威力は攻城兵器と言っても差支えなく、マジックポイントが枯渇しない限りは連射も可能だ。

 群衆を相手にしようと一掃出来る常識外れな貫通力。

 巨大な岩は当然ながら、メッキではないミスリルの板金ですら紙のように貫く破壊力。

 西の大陸で発明された銃の弾丸すらも上回る速度。

 オムニシエンスに弱点などない。水魔法ゆえに、本来ならば雷を帯びるような相手を不得意とするはずだが、そういった相性の問題さえ克服済みだ。

 強いて挙げるとすれば、コネクトの最中でなければ詠唱出来ない点だろう。

 ゆえに、将来の発明者は未だにこの魔法を好きなタイミングで扱うことが出来ず、そもそもまだ会得していないのだからこれが正常な状態だ。

 時間を跳躍しての戦技や魔法の拝借。

 コネクトという神秘によってもたらされた奇跡は、他者との結びつきがあればこそ可能とする。

 引力は重力とも呼ばれ、重力は時間の経過を圧縮し、時計の針がゆっくりと進んだ結果、その者だけが若くして未来と呼ばれる時間に辿り着く。

 コネクト。正規の運用方法がどれほどの威力を発揮するか、イリックとロニアは巨大な敵を前にして誇るように披露する。

 魔法ゆえに余韻もなく、龍は一瞬にて前進し、その大口で獲物へ噛みつこうとする。

 詠唱者の意志が具現化したようなこの魔法は、現時点における終着点の一つだ。人間であろうと動物であろうと、それこそモンスターであろうとこれに耐えられる者などいない。インビンシブルを使えば話は別だが、一分程度の猶予が与えられたところで逃げ切ることは叶わず、効果時間の終了と共に全細胞が燃え尽きる。

 女の炎は太く、禍々しい増悪の化身へ変貌し、もはや焼却出来ぬ物体などこの世には見当たらない。残念ながら、今のイリック達であろうと例外ではない。

 だが、関係ない。

 そもそも耐え抜くつもりなどない。

 逃げ出す算段を企ててもいない。

 やるべきことは一つ。カウンターとも呼べる魔法を愚直に撃ちこむだけだ。

 熱風をかき分け、先ずはロニアの武器達が疾走する。補充済みの五本が競うように突き進み、視界を覆う黒い柱へ次々と突き刺さる。

 もちろん、これだけで終わらせるつもりなどなく、イリックの頭上にも即座に水色の剣が二本生成され、完成されるや否や、それらは即座に突進する。


「まだまだ」


 既に耐えられぬほどの暑さだ。イリックの額にはうっすらと汗が噴出し、脇や背中が湿るまでに数秒もかからない。

 だが、確かな手応えも感じられる。オムニシエンスの一斉掃射により、墨竜が一瞬だが怯んだように見えた。


「どうせもう弾切れ間近でしょう? 無理しなくていいわ」

「今回は撃ち尽くす勢いじゃないと燃え死んじゃうんで。あ、でも、これで終わり……」

「はや……」


 並び立つ二人だが、一方は際限なく武器の生成と発射を続けられるも、もう一方の武器庫はあっさりと空っぽだ。こればかりは才能の有無に起因してしまうため、大人しく受け入れるしかない。


「い、急げ急げ」


 イリックは眼前の慌しい風景に目もくれず、鞄の口に腕をもぐらせる。マジックポーションを取り出すためであり、胃袋は満タンだが無理をしてでも次を注ぎ込まなければならない。


「なんとかなりそうね。さすが私」

(じ、自画自賛しとる……)

「ふふ、あなたには無理でしょうから見てなさい。これがお姉さんの実力よ」

「あ、はい」


 ロニアの言う通り、黒炎の集合体は前へ進めないばかりか、その体をじわりじわりと削られている。未だに首長なドラゴンの姿を保ててはいるが、戦況は完全に覆ったと言えよう。

 そして、追い討ちをかけるように彼女は彼女だけの領域へ足を踏み入れる。


「オムニシエンス・チェインスペル」


 美しくも力強い囁きと共に、頭上での武器生成がいっきに加速する。

 ロニアは現時点でも、つまりはコネクトによるドーピング無しに、水の武器を一度に二本作り出せる。この段階ですら、冒険者や軍人といった専門家からすれば常識外れの離れ業だ。

 魔法は一度に一種類しか詠唱出来ない。このルールはウルフィエナにおける絶対的な理であり、この地に息づく者には覆すことなど出来ない。

 もちろん、これはロニアにも当てはまる。

 だが、こう考えることも可能なはずだ。

 ゲイルロドは二本の槍を水で形作る魔法だ。

 アイスジャベリンは二本の槍を氷でコーティングしつつ、投擲する魔法だ。

 そして、オムニシエンスは剣と槍を合計八本まで、同時生成出来る魔法だ、と。

 認識、解釈の拡張であり、ルール違反ではない。少なくともロニアはそう捉えており、だからこそ、常識に囚われない発想が新たな発明を生み出す。

 それを裏付けるように、彼女の頭上では矢継ぎ早に水の武器が補充され、命中精度を担保するため数本ずつの発射に抑えられてはいるが、その循環は途切れることなどない。

 そして、次のステップだ。

 魔法や戦技と呼ばれる神秘は万能ではあるが、制約がないわけではない。

 一度使ったら、次までに少し待つ必要があり、その時間は再詠唱時間、再使用時間と呼ばれている。

 戦技は長く、魔法は短い傾向にあるが、だからと言って毎秒使えるような魔法は存在しない。

 キュアでさえ、一呼吸以上の間が必要だ。この時間を長いと思うか否かは人それぞれだが、どちらにせよ、途切れない詠唱は不可能と言える。

 オムニシエンス・チェインスペル。膨大なマジックポイントを前提とするこの技法は、生みの親でもある彼女だから扱える。少なくともイリックには真似できず、その威力がどれほどかは、スカーティアの舞台上に立つ全員が目の当たりにする。

 五本から八本へ。三本の発射を終えた後の装填を終え、ロニアは最大数をずらりと整列させる。

 六本の槍と二本の剣はそれだけで圧巻だが、それぞれが必殺の威力を有しているのだから、標的は縮こまらずにはいられない。


(こ、これホドの……。その上マダ……)


 なけなしのマジックポイントと引き換えに作り出した最後にして最大の攻撃魔法、墨竜。これをもってイリックを抹殺し、その後は一人ずつ掃除するつもりでいたのだが、その目論見は二人のオムニシエンスによって阻止されてしまう。

 それでもなお、黒い龍はまだ健在だ。あちこちを削られてしまったが、水の射撃が止みさえすればすぐにでも標的を殺すことはまだまだ可能だ。

 だからこそ、痛めつけられながらも耐え忍び、虎視眈々とその機会をうかがっていた。

 そんな目論見はロニアの発言によって水泡と帰す。

 既に互角とは言い難いほど押されているのだから、今以上の手札を切られてしまった場合、窮地に追い込まれてしまう。

 それを察知したからと言って、リインに対抗策はない。


「あいつごと葬ってあげる。さぁ、無様に踊りなさい」

(こ、こわ……)


 顔を両耳から包む黒髪を揺らしながら、ロニアは怪しく微笑み、右腕を前へ突き出す。

 真横のイリックからすれば、彼女が何をやろうとしているのかまではわからずとも、自信に満ち溢れていることは容易に見て取れる。見守りながらも赤い薬品を飲むことに専念しなければならず、隣の女性が味方で良かったと心底思いながらゴクゴクと喉を鳴らし続ける。

 合図があったのだから、一瞬の待機時間をえて、水を成分とするそれらは各々のタイミングでスタートをきる。

 一本目。

 二本目。

 三本目。

 ここまでは従来と変わらない。今までと同様なら、欠損分を補うように補充が行われる頃合いだが、今回に関しては残りも全て発射される。

 四本目。

 五本目。

 その後も順番に、それこそほぼ同時と言っても差支えないインターバルで水の武器達は出発し、標的を次々と削ぎ落としていく。

 八本目がいなくなったことで、本来ならば弾切れを向かえるはずなのだが、リインはそれを見落とさない。

 ロニアの上には、既に七本分の補充が成されている。

 六本の槍と一本の剣。そして、最後の一本も一瞬で形作られ、元の光景へまき戻る。


「――デタラメな」

「ここからは止まらないわよ」


 理解できている人間は二人だけ。

 リインとロニアだ。

 発言通り、オムニシエンスはオムニシエンス・チェインスペルとして真の効果を発揮する。

 怒り狂いながら突き進む黒い龍を、八本の刃物が矢継ぎ早に迎撃する。

 ここまでは従来と変わらない。

 ここからが従来とは異なる。

 八で止まるはずだったカウントがどこまでも増していくのだから、事情を知っていようと知らなかろうと、驚嘆の声をあげずにはいられない。


「ふぉ~、すごい勢い~」

「さっきまでとは……、ううん、イリックのとは何かが違う」

「そうなの~?」

「うん。連続性というか……」


 射線から外れた場所で、ネッテとアジールはいつまでも続く投擲を観客のように眺める。違和感の正体はわからないが、それでも仲間が異常なことをやり遂げているとなんとなく察する。


「ワ、ワタシの魔法!」

「死んで後悔なさい」


 横殴りの嵐のように、殺戮の陶芸品が降り注ぐ。

 轟々と人間を見下していたドラゴンはその姿を保てないほどに破壊され、ついには己を焼き尽くしながら悔しそうに霧散する。

 それでもなお、ロニアは魔法の詠唱を絶やさず、もちろん標的は柱を作り出していた諸悪の根源だ。

 オムニシエンス・チェインスペル。この魔法は従来のそれとは毛色が異なる。水で槍や剣を作り出すという意味では同様だが、魔法の性能を決定付けるある一点だけが似て非なる。

 再詠唱時間。使い勝手を左右するこの要素がオムニシエンスよりも進化している。そういう意味では別魔法というよりも発展系と呼べるだろう。

 従来の攻撃パターンは次の通りだ。

 先ず、武器の生成から開始する。本数の上限は八本となり、消費するマジックポイントの総量は、イリックが保有するほぼ全てだ。

 次いで、その中から一本ないし数本を発射する。全弾を撃ちこまない理由は、この本数でも十分過ぎる破壊行為が得られるからだが、命中精度の担保も含まれる。

 そして、ここからは状況に応じて分岐する。

 残りを撃ち続けるか、減らした分の補充だ。

 イリックの場合、既にマジックポイントが枯渇しているため、後者を選ぶことは出来ない。

 だが、発明者であるロニアなら話は別だ。冒険者として、その水準は平均値を大きく上回っている。ゆえに二択から最適な方を選び取れば良い。

 攻撃を続け、それでもなお相手を倒しきれなかった場合、もしくは継ぎ足すことを選んだ場合、どちらも一つの問題に突き当たる。

 オムニシエンスの再詠唱が可能か否か。

 この魔法もキュア同様、一呼吸程度でその時間を迎える。そういう意味でも非常に優秀かつ使い勝手に優れた攻撃手段だ。裏を返すと、その生成には一、二秒のインターバルが必要となる。

 武器を一本だけ補充しようと、もしくは複数本生み出そうと、この行為がオムニシエンスにとっての詠唱完了、すなわち一サイクルであり、再詠唱が可能になるまでは頭上の刃物達でやりくりせねばならない。

 今まではそれで十分だった。そもそもの前提として、この魔法は一発一発が必殺の威力だ。どんなモンスターであろうと問答無用で葬り去れる。人間相手には決して使ってはならない手段であり、相手が泥棒や人殺しであろうと過剰過ぎて話しにならない。

 八本という数すらも本来ならば過剰だ。一本ないし二本で事足りるのだから、マジックポイントの無駄使いでしかない。

 とは言え、この世界は広い。上には上がおり、上限がどこかなど、誰にもわからない。

 オムニシエンスがどれほどに強力な攻撃魔法であろうと、それだけでは不足するケースもありえる。

 その一つが神の代理人を名乗る女であり、墨竜はイリックを筆頭に宿敵達を焼き尽くすはずだった。

 それを阻止するためにも、そして払いのけるためにも、ロニアは次のステップへ踏み出す。

 オムニシエンス・チェインスペル。元が常識から外れているのなら、さらに壊れようと誤差の範囲だ。

 この魔法は従来のそれとは異なり、再詠唱時間がほとんど無に等しい。コンマ以下で計測出来るかどうかも怪しく、だからこそ、武器の生成を逐次行えてしまう。

 つまりは、槍と剣を生成、発射という繰り返しを一本ずつ、個別に実行出来てしまう。

 さらに言ってしまえば、それらを八個のタスクに分けて並行処理することも可能だ。

 これが何を意味するのか?

 五月雨式に撃ち込まれる凶器が刹那ほども途切れることなく、ロニアのマジックポイントが尽きるまでか、標的が力尽きるまで止むことはない。


「ヤ、ヤメ……」


 今更の命乞いなど、もはや遅い。

 迫り来る刃物は数え切れず、一本ずつなら避けることも可能だが、その本数はあまりに多く、さばくことなどできるはずもない。

 リインの体はそれらが突き刺さった箇所から削られていき、両足が消し去れた頃には人間としての原型をほとんど失っていた。わずかに残った上半身とも呼べない肉塊と二本の足首だけが、引き千切られたように散らばってそれらはついに動かなくなる。

 むごたらしく、非業な残虐行為かもしれないが、四人はこの女に同情しない。肉体が朽ちようと生きていられる不死性と、彼女の今までの行いがそういった感情を払拭してしまうからだ。

 あえて挙げるとするならば、自分達とは違い、いついかなる時も一人で戦わなければならないその孤独性こそ惨めだろう。

 もっとも、その道こそ彼女が選んだ生き方だ。他人がとやかく口出すことではない。

 ロニアが魔法の発射を取り止め、死体ですらない残骸が静止したことから、戦場に静寂がもたらされる。耳をすませば、木々のせせらぎや水流の音色が届きそうが、先ほどまでの騒音が残響となって耳に残り、そういったものを打ち消してしまう。


「切り札を使ってこのざま。もう終わりなんだろう?」


 イリックは冒険者として、リインの窮地を見抜いている。

 マジックポイントの残量は自分同様、残りわずか。

 豊富な殺戮手段も全て出し尽くしてしまった。

 オムニシエンス・チェインスペルによって、この女は数十回と殺されたため、その減少量も格段と大きい。墨竜の消費と相まって、命の残量は瞬く間に枯渇してしまう。

 つまりは、イリックの冒険者としての勘が正解を見事言い当てる。


「ふぅ、終わったの?」

「おそらくは……。そうは言っても油断ならん相手ですけど」


 ロニアは八本の武器を空中で待機させながら、大きく息を吐く。最強の魔法だからか、消耗も去ることながらその制御には精神的に疲れてしまう。


「いや、まだ」


 少し離れた場所から、アジールは緊張感を維持しつつ肉片の塊を睨みつける。

 そう予測できる理由は至極シンプルだ。なぜなら、人間の形を成していないそれらは未だに、弱々しいながらもゆらゆらとざわめく真っ黒なオーラをまとっている。

 どんな姿に成り果てようと、リインは自分を維持出来てしまう。上半身の一部と足首だけが残っていれば、魂をそこに保つことは十分可能だ。


「トドメ刺すー?」

「――そうだな、うん」


 ネッテの提案に、イリックは一瞬考え、さっと決断する。

 妹の右手はマンイーターを握ったままだ。この状況において最も効果的にこの死体を殺し尽くせる。まな板に寝かしたぶつ切り肉を包丁で細切れにするかのごとく、あっさりと絶命させることが可能だろう。

 反撃の危険性が払拭されたわけではないが、その時は兄がウォーシャウトを使うまでだ。

 十分間に合う。

 余裕で庇える。

 そう思えたからこそ、イリックはリーダーとして首を縦に振る。


「マ……、待ってクレ!」


 悲鳴のようなその声は声帯が完全に復元していないためか、わずかにかすれ、聞き取りづらい。

 それでも四人の誰にも似ていないこととその発生場所が死体ということから、戦場をピリッと凍らせる。


「す、すごい回復速度……」

「でしょう。もう顔を生やしやがった」


 ロニアが驚くのも無理はない。全身のほとんどを失ったリインは、地面に倒れてまだ数秒ほどしか経過していない。まだ蘇生を行えるとしても、じわじわと細胞分裂を加速させて粘土をこねるようにその姿を形づくると予想していた。

 だが、コネクトを進化させたこの女はズボッと生やすように先ずは胸部と首、そして頭部を復元してみせる。その部位を選んだ理由は言葉を発するためであり、四肢は後回しだ。


「ワタシの……、負けダ……。だから……」


 殺さないでくれ。

 見逃してくれ。

 時間をくれ。

 どれを選ぶかは彼女次第だが、消え去りそうな声は尻つぼみに小さくなり、最後まで言い切ることはない。

 負けた。この事実だけは揺らぐことはなく、リインの辞書には見当たらないはずの二文字だが、今回ばかりは歯を食いしばって追記する。

 この四人には敵わない。心がそう認めてしまったのだから、残された行為は命乞いだけだ。一人ずつなら対処可能だが、理解外の力で集められ、共闘されてしまった以上、これ以上の戦闘継続は完全なる死へと繋がる。

 そう。もはやマジックポイントはほとんど残ってはいない。それでもなお、イリックよりは多いのだが、比較対象に難があるため、両者を比べても意味はない。


「お兄ちゃ~ん?」


 かわいらしい声が催促するように響く。ネッテからすれば、ぼろ雑巾のように惨めな姿へ落ちぶれようと、リインを殺すことにとまどいを覚えない。兄の指示さえあれば、いつでも刃を突き立てるつもりだ。

 未だ体を失ったままの女は、許しを請うようにイリックだけを見据えている。

 この状況、その意志を汲み取るか却下するかの決定権は、少年が握っていると言っても過言ではない。


「どうせ逃げられないんだし……、少しだけ猶予をくれてやる。言いたいことがあるなら今の内に言え。代わりに、こっちの質問にも答えてもらうぞ」

(逃げラレナイ……? 愚かなコトヲ……)


 イリックの見下すような発言が彼女には理解できない。足はおろか下半身すらもまだ失ったままゆえ、走って逃げだすことは確かに不可能だ。

 そもそもここは雲よりも上に位置する。周囲とは隔絶された遺跡である以上、逃亡先はどこにもない。

 だが、そんな都合はリインには意味を成さず、なぜなら念じるだけで特定の場所に瞬間移動できる。

 テレポートレム。イリックのテレポートとは異なり、詠唱時間はほとんど無いに等しく、それでも一瞬の間が必要なことから、こうして猶予を作り出す必要があった。

 そして、今がまさにそのための間だ。四肢はなく、誰が見てもバラバラ死体の一部でしかないが、魔法の詠唱には不自由しない。

 敗北は悔しい。

 最上級の力を手にすることはできたが、だからこそ逃走は屈辱だ。

 ましてや、崇め奉っている主に見守られてこのざまだ。

 それでもなお、生きながらえるためには仕方ない。

 このままでは数秒ももたずに死滅してしまう。使命を果たすためにも、なにより、この四人に仕返しするためにも、この場からの撤退は必須事項だ。

 少年に見下ろされながら、女は無表情を作り出す。内心では安堵しながらも、同時に怒りの炎を燃やしており、復讐を誓いながらひっそりと詠唱を完了させる。

 そして、景色が一瞬にして移ろう。崩壊した寒村の、朽ちた小屋の穴だらけな壁が目の前に現れる。

 そのはずだった。


(!?)


 変わらない。

 何も起きない。

 転送魔法の発動が成立しない。

 この瞬間、リインは赤い瞳を見開きながら、少年の真意をゆっくりと汲み取る。


「ほらな? ここだとそれは使えないんだよ。じゃなきゃ、俺だって尻尾巻いて逃げてる」

「自分で言ってて恥ずかしくないの?」

「全然~」


 イリックはどこか偉そうだが、発言内容は情けない。

 ロニアは呆れるように腕を組み、柔らかそうな胸をほよんと持ち上げながら普段通り毒づく。


(なぜダ! 何が起きてイル!?)


 わからない。膨大な英知を持ってしてもわからない。むしろそのせいかもしれない。このような事例など見たことも聞いたこともなく、女は希望から絶望の底へ、容赦なく叩き落とされる。

 その落差が冷徹な表情を歪ませ、悔しそうな、悲しそうな色を浮かび上がらせる。

 同時に、イリックもまた、二つの感情を抱く。

 苛立ちと驚きだ。

 この女は、そういった表情の人間を数えきれないほど殺してきた。

 やっと殺される側の気持ちがわかったか。そう叫びたくなったが、出かかった激情をぐっと飲み込む。

 なぜなら、喜びや苛立ちといった心情に至ろうと、リインは表情を崩すことはあまりなかった。にも関わらず、手に取るようにわかるほど、その顔は落ち込んでいた。

 今にも泣き出しそうだ。そう思えてしまった。

 同情などはこれっぽっちも出来ないが、死体に成り下がったこれもまた、やはり一人の人間でしかないと思い知らされる。

 見逃すことはできないが、情報を引き出してからでも遅くはない。その判断は間違いではなかったと、ゆっくりと実感する。


「おそらく結界の仕業よ。こうして……呼吸に支障がないこともその作用でしょうね。少しでも長く生きていたいのなら、知ってることを洗いざらい吐くことね。あなたに主導権なんてこれっぽっちもないんですから」


 視線の向きを隣のリーダーから正面の死体へ。ロニアはふんぞり返るように背筋を伸ばし、最終通達を浴びせる。

 問答無用で殺し尽くすことも確かに大事だ。それほどに危険極まりなく、厄介な相手だ。

 けれども、問題ない。

 ここには四人全員が揃っている。足りない部分を十分補えるばかりか、それ以上の力を発揮することが可能だ。

 灰色の光をまとった今、実力差も幾分は縮められている。

 問題ない。リインの討伐はいつでも実行可能だ。

 そうであるのなら、ただ殺すよりも有意義なことから始める。

 つまりは情報収集であり、この女の討伐は真実を引き出してからだ。


「……何を、知りタイ?」

「全部に決まってるでしょう。でも、そうね……。先ずは……」

「さっき言ってたな。ここは人間を滅ぼせる場所だって。どういうことだ?」

「え、それから? まぁ、いいわ……」


 本題は別にあったのだが、イリックの口出しによりロニアは一旦口を閉じる。この地の分析も確かに必要であり、質問の順序が入れ替わろうとさしたる支障もない。


「……良いだろう。教えてヤル」


 女は急速な速度で全身を取り戻し、長い赤髪を揺らしながらゆっくりと立ち上がる。

 肌色の体だけでなく、ほぼ同時に衣服すらも生成してみせるその秘術は、敵でなければロニアをひどく興奮させただろう。


「――変な動きを見せたら即座に殺す」

「わかってイル。魔法に使える余力はモハヤ残ってイナイ」


 冒険者として、一皮むけたイリック。

 追い詰められ、マジックポイントを枯渇させたリイン。

 両者ではもはや勝負にならない。魔法の有無など関係なく、一対一の肉弾戦においても少年が優勢だ。

 それを悟っているからこそ、女は敵対心を押し殺し、無防備を演じるように直立している。さらには漆黒のオーラすらも霧散させたのだから、意思表示としては上々だ


「ここって本当に空の上なの?」

「ソノ理解であってイル。それも含めて見せる」


 ロニアは透き通る刃物を展開したままだ。つまりは警戒心を解いてはおらず、いくつもの槍や剣が穂先を敵に向けている。

 そんなことを気にも留めず、リインは一同に背を向けて右足を踏み出す。ここがどんな機能を有するのか、それを披露するための第一歩だ。


「イリック」


 さてさて、どうしたものか。まとまらない思考にやきもきしながらも、ロニアとリインの後を歩いていたその時だった。長身の仲間が右手に盾を持ったまま、そっと歩み寄る。


「魔眼で警戒は続ける」


 元から小さな声量は内緒話のように大人しく、けれども両眼は青々と光ったままだ。

 アジールもまた、これっぽっちも緊張の糸を緩めてはいない。むしろ、リインはまだ何か企んでいると疑ってさえいる。


「魔眼はまぁ……、大丈夫だと思いますよ。それよりもウォーシャウトをよろしくです」

「わかった」


 イリックの分析はこうだ。

 リインはもはや強化魔法にマジックポイントを割くことすらも難しい。オーバークロックを筆頭に、この系統の魔法は消費がかなり大く、命の残数を減らすことに直結する。

 それに加えて、戦場にはアジールがいる。睨むだけで打ち消されてしまうのだから、手札からこのカードを切ることは決してないはずだ。


「どこ行くの~?」

「さぁ? いつでも飛びかかれるよう、準備だけはしておけよ」

「ガッテン!」


 ネッテも合流し、三人は先頭のコンビから少し遅れて西を目指す。

 右手には巨大な宮殿。スカーティアの中央に君臨するこれは、上層および下層で構成されており、上下でその役割は大きく変わる。

 左手側は外周へ通じるため、道や階段があちこちに見受けられる。無人ながらもどこか牧歌的な理由は、人工物と植物が溶け合っているからだ。

 道中、ため池のような水場や壁にめり込んだ機械仕掛けの太った人形、そして珍しい存在が一同の視線を集める。


「……精霊がちょいちょいいますね」

「しかも、一種類じゃない」

「綺麗だね~」


 イリックは驚かずにはいられない。

 他のモンスターとは一線を画す異形、精霊。炎や氷、風といった現象がそのままの姿で固定化されたそれらは、トリストン大陸の様々な土地で極稀に遭遇する。倒したところで何が得られるわけでもないため、積極的に狩ろうとする冒険者はおらず、剣や拳等の物理攻撃が利きづらいことも拍車をかける。

 火の精霊なら砂漠のような熱い土地に、氷の精霊なら豪雪吹き荒れる北の土地だけに生息している。

 つまりは異なる種類を一か所で見かけることはほとんどなく、常識を覆す場所がここということだ。

 ろうそくの先で揺らめく炎のような赤い魔力体。

 緑色の渦を時計回りに回転させながら風を発生させる魔力体。

 バチバチと騒ぐ雷光のような紫の魔力体。

 ネッテの言う通り、眺めるだけなら非常に美しい。それもそうだろう。自然が作り出す芸術品に命が宿っているのだから、無駄のない造形は人間の本能に突き刺さる。


「お花が咲いてる~」

「かわいいね」

(前の二人は何を話してるんだろう?)


 灰色の光をまといながらも、仲良しペアはもはやうわの空だ。冒険者が初めての地に足を踏み入れば、必然的にこうなってしまう。リーダーだけは冷静に自分達の置かれた状況を分析しているが、彼女達の統率には至らない。

 見慣れない遺跡を歩いてどれほどの時が過ぎ去ったか。好奇心を刺激され続けた四人は時間の感覚が鈍っており、五分程度なのか十分以上なのか、それすらも推し量ることは困難だ。


「ココまで来レバ、見える」

「す、すごい……」


 先ずはリインとロニアが到着する。

 空に浮かぶこの土地を上から見下ろした場合、その造形はほぼ新円を描いている。中心からどの方角へ進もうと、同じような頃合いで外周、すなわち縁へ到着可能だ。

 その少し手前で、ロニアは大気の流れを全身で浴びながら感嘆の声を小さく漏らす。

 薄紫色の建材で建築された地面が終わりを告げると、その向こうには物質が何一つなく、見下ろすことで絨毯のような白い雲と途切れない海を覗き見ることが出来る。地平線の向こうまで続く広大な世界はやはりどこまでも広く、眼下のとあるものがこの場所の高さをゆっくりと認識させる。

 そう。視界の右側には、地図のような図形が大海原のキャンパスに描かれている。それが何なのか、冒険者ならあっさりと看破可能だ。大陸図を睨みながらあちこちを駆け巡る以上、脳内のイメージと実際の景色が溶け合うことは必然だ。


「ぷおぉぉ……」

「絶景」


 続いて、ネッテとアジールが追いつき、眼下の光景に心奪われる。

 高い。

 どこまでも高い。

 登山経験もある彼らだが、山頂からの風景など一瞬で色あせるほどのインパクトだ。

 落下すれば間違いなく即死する。いかに冒険者と言えども、耐えられる者は数える程度だ。

 けれども足がすくむかと言えばそうではなく、実感出来ない距離感が彼女らの思考を鈍らせる。

 ここがどこか、ロニアもついに実感する。

 上空だ。

 見たこともない眺めに心を奪われる三人とは対照的に、イリックだけは冷静さを保つ。仲間達から集中力が完全に消え去った以上、女の警戒に専念せねばならない。


「無駄な抵抗はするなよ」

「――わかってイル」


 脅しではない。少年の右手は、透き通る片手剣を強く握り締めている。水で形作られてはいるが、切れ味は最高級の一品だ。人間であろうと、不老不死の化け物であろうと、例外なく細切れにできる。


「こんなところに誘導して何がしたい?」


 普段のイリックなら、その目論見に気付くことが出来ただろう。今回は彼女達三人を守らなければと気負っていることと、命がけの死闘をくぐり抜けたこともあって頭の回転が追いつかない。


「この地の名前はスカーティア。カツテ、人間が人間を滅ぼシタ場所」

「……古代人の話?」

「ソウ」


 リインの突拍子のない説明にイリックは眉をひそめる。嘘を言っているとは思えないが、具体的なことは一切伏せられており、絵空事にしか感じられない。


「まるで知った風な口ぶりね」

「主に選ばれた際、ココマデは与えらレタ」

「……神様ってのも案外ケチなのね。もったいぶるところとか、本当に嫌いだわ」

(だからってこいつに愚痴らなくても……)


 ロニアはなびく黒髪を押さえながら、眼下のキャンパスを見下ろす。新たに提示された情報は喜ばしいが、真実味が感じられないため、どうしても斜に構えてしまう。

 誰よりも好奇心と知識欲が大きいことから、嘘を嘘と見抜く能力も必要だ。宿敵がこの状況で自分達を惑わすとも思えないが、発言内容の鵜呑みだけは避けなければならない。


「雲さんって美味しそうだね~。この下はサファ樹林かな?」

「荒地が見えるし、そうかも」

「だよねだよね~!」


 大人達が大事な話を始めようと、少女とお供はいつも通りだ。

 スカーティアはトリストン大陸の南東に位置する。具体的にはエムム遺跡の遥か上空に浮いている。

 真下はネッテの言う通り、広大な森林地帯だ。

 運が良ければ、飛び降りたとしても大樹に受け止めてもらえるだろう。そんなことを試す動機もなく、ネッテとて縁に手をついて見下ろすことに徹する。


「スカーティアの詳しい建造年月は不明。イスス遺跡にも記載は見ツカラナカッタ。けれど、ココは兵器そのもの……」


 大地から吹き込む上昇気流が、女の赤い髪と黒いワンピースをさらさらと躍らせる。

 そんな中、彼女の右腕は正面に差し出され、見えない壁に触れるよう手のひらが開かれると、左へゆっくりと移動し、さっと右へ滑り出す。

 ブン。小さな音を響かせながら、それは何もないはずの場所に突如として出現する。


「そ、それは?」

「ワタシは既にスカーティアと接続している」


 驚くイリックには目もくれず、リインは目の前に現われた半透明な四角い領域へゆっくりと指を向かわせる。

 空間に浮かぶそれは水のように青く、しかし、実体感はこれっぽっちも伴わない。正面からでも裏側からでも覗き込める作りになっており、とは言えそこに書かれている文字を読むのであれば、正しい向きからでなくては困難だ。

 もっとも、今は失われた古代文字ゆえ、どちらから閲覧しようとイリックに解読は行えない。


「な……? どんな術よ、それ……」


 常識外の高さから地上を見下ろすことも楽しかったが、それ以上の興味がもたらされたため、ロニアは食いつく矛先を意気揚々と変える。ここへ案内した女が次の行動を起こし、空気中に摩訶不思議な板を出現させたのだから、トコトコと近寄らずにはいられない。


「コノ画面は制御パネル。座標……、セット。収束率……、インプット」

「私にも触れる?」

「無理。中央の宮殿でアクセスした者のみに許さレル」

「……そう。あんたをぶっとばしたら探索が必要ね。あぁ、でも、ゴルド達を同行させた方がいいのかしら?」

「だと思いますよ。まぁ、我慢出来ないなら付き合いますけど……。で、何をしている?」


 淡々と作業を続けるリイン。

 目を輝かせるロニア。

 そして、胸騒ぎを覚えるイリック。

 ネッテとアジールは四つんばいになって大海原と自分達の大陸を一望し続けており、それぞれがそれぞれで精一杯だ。

 だからこそ、女は自分の思惑通りにことを運ばせられる。


「アナタ達に問う。コノ世界において、最も危険な大陸はドコダト思う?」

「知らん」

「――オークに支配されたシーブル大陸かしら?」


 指の動きを止め、女が似合わないことを言い出す。

 ウルフィエナは多くの大陸から成り立っている広大な世界だ。

 そこに住まう人々にとっては自分達の居場所こそが世界の中心かもしれないが、学術的にはこう言われている。

 トリストン大陸こそが始まりの場所であり、中核だ、と。

 この説にはいくつかの根拠があり、最たるは大精霊の存在だ。

 火、氷、風といった理の根幹を成す属性を司るそれらは、八つ全てが見つかっているわけではないが、トリストン大陸のどこかに隠れていると予想されている。

 また、最強の称号を欲しいままにしている存在、ドラゴンもこの地でいくつも目撃されている。人間からすれば厄介極まりないが、その数は他の大陸とは比較にならない。

 だからなのか、最も巨大な勢力を誇るオークが未だに攻めあぐねている場所の一つがこの大陸だ。もちろん三大大国が撃退に成功しているからなのだが、事情を知らない他所の人々はトリストン大陸に神秘性と畏怖の念を抱いている。


「シーブル大陸は所詮その程度。オークにとってはアリカ大陸がそうなのでしょうけど、ニンゲンにとって、そしてウルフィエナを侵食する特異点は西にアル」


 シーブル大陸はここから遥か北東に位置する。西を見渡している彼らからは死角になっており、その広さはウルフィエナ一と謳われている。

 南の大海原を渡ると、ネレネン王国を有するアリカ大陸に行きつく。そこはトリストン大陸の真東であり、高い速力の機船なら三日程度で航海可能だ。


「西となると……」

「コンティティ大陸!」

「そう。中央なのか西側なのかはワカラナイ。けれども、観測はデキル。私と似た波動がこの世界に漏れ出ているカラ」


 コンティティ大陸。謎に包まれたこの地には、東の海岸付近に巨大な王政国家が栄えている。鎖国に近い制度をしいており、唯一、デフィアーク共和国だけが細々と貿易を行っているが、どんな国なのかは一切を明かしてはくれない。

 それでも人間の往来があれば多少の情報は漏れてしまう。

 巨躯を武器とするジャイアントとの終わりなき戦争が今なお続いていること。

 冒険者制度が存在すること。なお、その呼び名は異なっている。

 王の死後、若き王子がその後を継いだこと。

 そして、魔女はモンスターだと決めつけられ、長く弾圧されていること。

 多くはわかっていない。

 けれども、この時代になって色々と詮索できる程度には情報が入って来た。

 一言で表すなら、平和とは程遠い大陸だ。

 モンスターという異形が蔓延る以上、どこにでも当てはまるが、人間にとっては安住の地とは呼べない。


「おまえみたいな力……?」

「コネクトを宿した今ナラ……ワカル。コンティティ大陸は煉獄と深く繋がってイル。それがモンスターとニンゲンにどんな影響をもたらすかは、まだわかってイナイ」

「信じられない……。それが本当なら、オーク以上に厄介……。ねえ、イリック。こいつを殺すのは止めて、洗いざらい吐かせた方がいいわよ、絶対」

「それが出来れば苦労はしません。けれど、残念ながら不可能です。何より、誰も許してはくれないはず……。それよりも……。おい、その青いのと今の話にどういう繋がりがある?」


 話題は脱線していない。投影型ディスプレイについて説明するためには、コンティティ大陸の危険性を認知させる必要があったからだ。

 だからこそ、女は予備知識として驚愕の事実を与えることから始めた。


「何度も言った通り、スカーティアは破壊兵器ソノモノだ。それを今から……、実演スル!」

「――こ、これは!?」

「なんだ!?」


 細い指が一際大きなキーを押した瞬間だった。

 それを合図に巨大な魔力が遺跡の地下で激しく脈打ち、鋭敏なロニアは当然ながら、鈍感なイリックでさえその鋭敏具合と規模には竦んでしまう。

 リインという桁違いの魔力を体験し過ぎたため、彼らの感覚はいささか麻痺している。稀代の天才、シャルロットとも知り合いなことから、魔力を計るためのものさしは無駄に長いと言えよう。

 それでもなお、突如として出現したそれには驚きを禁じえない。

 文字通り、先ずそのサイズ感が人間の比ではない。まるでスカーティア全体が魔力を生み出し、帯同しているかのような錯覚に陥る。少なくとも、一メートル後半の器に収まるような規模ではない。

 コネクトの習得者であるイリック自身、発動中は膨大な魔力をその身に宿していた。第二段階であるまほらを発現させた今では肉体的にも超人を越えている。

 だが、足元でざわつくそれには身の危険を感じずにはいられない。

 可能なら脱兎のごとく逃げ出したいが、ここ全体が膨大な魔力を発生させているのだから、避難先などあるはずもない。


「ゆれてるー?」

「……これは何?」


 ネッテとアジールは魔法を習得していない。ゆえにアンテナを持ち合わせておらず、微弱な振動に小さく驚く程度だ。


「どうせ煉獄からの使者に滅ぼサレル。だったら! ワタシに掃討されヨ!」


 リインが抱く後悔の一つに、廃墟と化した港町が挙げられる。

 ヨアナ村跡。今ではそう呼ばれているそこはガーウィンス連邦国の南東に位置し、かつては漁で栄えていた港町だ。

 ある日、北の洞窟から一斉にモンスターが押しかけ、小さなこの村は一晩であっさりと滅ぼされる。それを先導した人物こそリインなのだが、動機は単なる気まぐれだ。

 それを彼女は悔いている。

 罪悪感でもなければ懺悔でもない。

 自分の手で村人を殺しつくした方がよっぽど有意義だったからだ。

 そう思っているからこそ、二度と同じ過ちは犯さない。

 そういった想いが、この行為に繋がる。

 西の大陸は煉獄から湧き出たモンスターによって侵略され、そこに住まう人々はいずれ駆逐されるだろう。

 それはつまらない。

 自分の手で殺めたい。

 そう思わずにはいられない以上、スカーティアという絶好の兵器を投入したい。

 勅命は人間の根絶であり、モンスターに横取りされようと達成出来るのなら問題ないはずだ。

 けれども、彼女の性格がそれを許さない。

 融通の利かない頑固さ。

 前だけしか見えない狭い視野。

 神からの使命こそが生きる理由、つまりはアイデンティティ。

 そういった事情が絡み合い、なにより人間という獲物は自分のものだと決めているからこそ、モンスターよりも前に滅ぼさなければならない。

 その一手が空に浮かぶ人工島だ。スカーティアは測定不可能なエネルギーで稼動を開始し、膨大な魔力を循環させながら即座に最終フェーズへ移行する。

 遺跡の上は静かだが、内部では多数の機械がからみつくように動き出し、雲に覆われた底面に小さな穴を作り出す。


「ど、どうするつもりだ!?」

「見ヨ! そして畏れ敬エ!」


 少年の問いかけは女の笑い声に飲み込まれる。

 両手を開き、天を仰ぐ姿はまさしく勝者のそれだ。確信している。得られる成果の大きさと、これからの行動が成功すると信じて疑わない以上、高笑いは自然な生理現象だ。

 イリックは状況を理解できないながらも危険性を察知し、最後の一撃を決意する。

 だが、それが成されるより先に、スカーティアから一筋の光が発射される。白くまばゆいそれの存在感はすさまじく、その輪郭は大気というキャンパスに力強く描かれ、どこまで進もうとぼやけることはない。熱量と強度も自然界の光とは比較にならず、進路上の雲を蒸発させながら、大空の彼方まで色あせずに伸びていく。

 その結果として、地平線に黒く大きな爆煙が舞い上がる。雲が払われたことで姿を現した大陸は、内陸側に巨大な爪跡を残され、悶え苦しみながら悲鳴をあげる。

 遠い。足元のトリストン大陸からは青い海をどれほど進めば辿り着けるのか。それすらも計れないほどにその大地は遠い。

 それでもわかることがある。

 足元から発射された光線が、西の大地を焼き払ったという事実だけは揺らがない。

 人間が死んだ。

 大勢が殺された。

 コンティティ大陸にどれほどの人達が住んでいるのか。情報がないため想像すらも難しいが、それでも四人はその惨状を湧きあがる雲のような煙から察知する。

 動物や昆虫、そしてモンスターも巻き込まれただろう。

 収束率の高い光はあっという間に消失したが、被害規模はその時間に比例しない。これがトリストン大陸に撃ち込まれていた場合、村はおろか一国が消えるほどの威力だ。

 イリックは茫然と佇む。

 その規模も去ることながら、リインの行動があまりにあっけなかったからだ。

 目の前の何かを操作しただけ。

 たったこれだけのことで、大規模な破壊行為を成し遂げられてしまった。

 この事実から、少年の脳裏にはここがどれほどに危険な場所か、ガツンと落とし込まれる。


「――なんてことを……。し、しまった!」


 阻止できなかったを後悔しながら、イリックが実行犯へ顔を向けた時だった。

 もう遅い。

 本来ならば、そこには黒いロングワンピースの裾をたなびかせながらリインが悠々と立っているはずだった。

 しかし、ネッテとアジール、ロニアの三人組とイリックの中間地点は無人と化しており、空中に出現していた半透明の操作パネルすらも見当たらない。


「あ!」


 最も視力の良い少女が、視界の隅に落下物を発見する。

 黒と赤の二色で構成されるそれはこの遺跡の破片とは似ても似つかず、だからこそ、遥か遠方の巨大な黒煙に集中していようと見落とすことはない。

 その声に少年はいち早く反応し、全てを察する。

 囮だ。パフォーマンスのような大量殺戮は、リインが逃亡するための布石だった、と。

 そう気づけた時には遅く、女はいくつもの目的を果たし、意気揚々と落下を果たす。

 スカーティアの動作確認。これはもちろん成功だ。

 危険視していたコンティティ大陸への一撃。被害状況を確認しなければ断定はできないが、ミニチュアのような大陸のサイズ感と舞い上がった雲の大きさを比較すれば、大地を大きく削れたことは揺るがない。

 そして、四人の包囲からの逃亡。コネクト第二段階を解除したことで速度面は追い抜かれたが、それでもなお十分に距離を離してみせる。

 これは同時に、スカーティアからの脱出も意味する。結界が空気や気温を担保してくれたが、テレポートの類を封じる効果も有しており、魔法による瞬間移動は阻害されていた。

 だからこそ、リインは遠ざけたはずの死を突きつけられてしまったのだが、窮地から逃れることに成功した以上、全身で強風を感じながら嬉々として笑う。

 この女は知っている。

 物体の落下速度は質量に関わらず一定だ、と。覆すことのできない物理法則であり、空気抵抗や形状によってその速さは変動するが、そんなものは体の向きや姿勢でどうとでも制御できる。

 つまりは、身体能力や魔力、人数によって補うことはできず、一旦その差がひらいてしまえば、追いつくことは絶対に不可能だ。

 分厚い雲に侵入すると、女の視界は白一変に塗り替えられる。少しだけ感じる肌寒さはどこか心地よく、無臭な湿り気を堪能しながら高笑いを続ける。

 瞬く間に視界は鮮明さを取り戻し、次いで、青々と広がる海とそこに浮かぶ世界地図がその姿を披露する。そんなものを見下ろせば、トリストン大陸を支配し終えたと錯覚しても不思議ではない。

 勝った。今はそう思わずにはいられない。

 イリック達との殺しあいには敗れてしまったが、生き延びることに成功したのだから勝利と同義であることは揺るがない。

 なぜなら、これから取りうる選択肢の多さが、目的達成の容易さを物語っている。

 先ずはテレポートレムでここから移動し、四人からの完全なる逃亡を果たす。この一点だけは揺るがない。

 そして、ここからが彼女を悩ます。

 今後はイリック達の動向を監視し、一人ずつ殺す。イリック相手には手を焼くだろうが、邪魔が入らなければ問題ない。つまりは、取り巻きの三人を先に始末してしまえば目的の達成は確実だ。

 もしくは、何十年かかるかはわからないが、この四人が寿命を迎えるまで身を隠す。この女は不老不死を実現しているがゆえに可能なやり方だ。一方、イリック達はそういう意味では普通の人間ゆえ、老化や死からは逃れられない。待ち遠しいが、これもまた安全な手段と言えよう。

 別の手として、苦渋の選択ではあるがオークを刺激しトリストン大陸を襲わせる等、信念にこだわらなければやりようはいくらでも存在する。

 三大大国が混乱したタイミングでスカーティアを再び乗っ取り、使用すればなお時間の短縮が可能だ。

 リインは重力に逆らうことなく、全力で下降する。このままではいずれ地面か樹木と激突し、命を一つ減らすことになる。それならそれで構わないが、万が一のことを考えるとやはりここからの移動は必須だ。

 テレポートレム。従来の転移魔法とは異質のこれは、完全なる自由ではないが目的地を柔軟に設定可能だ。時間をかけ、強く念じる必要はあるが、一度訪れた場所ならどこへでも移動できる。少なくともイリックのテレポートよりは使い勝手に優れる。

 また、目的地として既に定義している場所へなら、ほんのわずかな詠唱時間で移動可能だ。今回の場合、廃村と化した港がそれに該当する。

 考えるまでもなく、そこへ移動すれば良い。誰にも見つからず休める場所だ。いかに自由奔放な冒険者であろうと、滅多に訪れることはない。


(――コンティティ大陸に密航するのも悪くない)


 安堵したからか、自身が思ったよりも疲れていると気づかされる。肉体的というよりは、心が随分と参ってしまった。

 ゆえにイリック達との再戦を先送りにし、スカーティアが西の大陸をどれほど痛めつけたかを確かめたくなった。

 その地にて長く君臨しているイダンリネア王国は、王政をしいてはいるが王族が国政に関わることはない。珍しい制度を採用しているが、そのやり方で国がまわっているのだから正解か否かを他者が判断することはできない。

 地上を焼き払う天からの一閃が、国民をどれほど殺しつくせたのか知りたくて仕方ない。

 もし軽症に終わっていたとしても、二発目、三発目を撃ち込むだけだ。そのためにはスカーティアに足を運ばねばならず、現状はこの四人が立ちはだかる可能性が高いため、やはり対策が必要だ。

 それが姑息なやり方であろうと、時間をかけた方法であろうと、最終的には目的を果たせれば良い。

 大空からトリストン大陸を見下ろした場合、その形は羽を広げた蝶に似ている。

 小さな胴体の部分はサウノ商業国。

 右羽の上部分はわずかに欠けており、すぐ下には平原が広がっている。その中心にガーウィンス連邦国が位置し、豊かな土壌が作物をすくすくと育ててくれる。

 左羽の左下がデフィアーク共和国だ。その付近は枯れた大地ゆえ、灰色や薄茶色で染まっている。

 このまま落下した場合、右羽の下部分に広がる森林地帯へ行き着く。走り出さずに飛び降りていれば、そこに隠されていたエムム遺跡に到着していただろう。

 どちらにせよ、即死は免れない。

 だが、そんなことは彼女に関係ない。

 なにより今は、久方ぶりの感情に震えている最中だ。

 自由。自分の思ったままに、行動を決定できるそのありよう。

 リインにとって、これは望んでも手に入らないものだった。押し付けられた地位と使命がそうさせたのだが、息苦しいその状況から救ってくれた存在こそ、ウルフィエナを創造した絶対者であり彼女にとっての全てだ。

 牢獄のような宮殿からの脱出。

 それ以降はまさに自由そのものだ。

 好きなだけ研究に没頭し、気の向くまま人間を殺し、世界を見て周った。

 そして今は、勅命の果たし方を吟味している最中だ。

 自由だ。手に入らない生き方を与えられたことで、女は嬉々として己の使命を受け入れる。

 だが、同時に思い違いをしている。

 真の自由とは、他者に束縛されない状況を指す。

 にも関わらず、リインの生き方、行動の指針は支配されたままだ。

 神から押し付けられた、人間の滅亡という絶対的な役割。

 そのためだけにこの女は生かされていると言っても過言ではない。

 だからなのか、それに無意識下では気づけており、完全なる自由を手にしている彼らを酷く嫌っている。

 冒険者。命を差し出すことで何者にも縛られない。愚か者である一方、誰よりも人生を満喫できている。

 冒険者。彼らの生き様と成果は、後の人々にこう謳わせる。

 冒険者の時代。

 彼らがトリストン大陸を駆ける限り、どんな勢力もこの地を侵すことは叶わない。


「――ウ!?」


 ドスンと響いた衝撃が、リインの口から悲鳴のような空気を吐かせる。

 何だ?

 何が起きた?

 女は確認するように違和感の場所、すなわち自身の腹部へ視線を向ける。

 

「コレ……は……」


 透明な棒で体が貫かれている。

 それは背中から侵入しており、途中で止まったものの水のように透き通っているため、断面部分から体内を見渡すことが可能だ。


「アイツらの魔法か!」


 これはただの棒ではない。水製の槍だ。その正体を知っているからこそ、女は驚きを隠せず、振り返るように反転し、天を仰ぐ。


「待~~て~~!」

「やっぱり怖いって!」

「たーのしー!」

「……けっこう速い」


 諦めない。

 諦める必要がない。

 だからこそ、冒険者だ。常識を知らず、常識に囚われず、好きなように生きる彼らはモンスターと戦うことに能力の全てを向けている。

 戦闘に特化した存在という意味では軍人も同様だが、両者との間には決定的な違いが生じている。

 自由。

 これを欲するか否かが大きく、だからこそ精神構造や原動力も根底から別種だ。


(追って……来たダト……。愚かな!)


 正しいか間違っているかは関係ない。

 出来るか否かも無関係だ。

 やるかやらないかの二択でしかなく、そうである以上、選ぶ行動はたった一つ。

 相手が飛び降りたのなら、自分達も真似るだけだ。

 恐怖心など微塵もない。

 だからこそ、無意味に距離を離されることはなかった。

 もっとも、今回ばかりは高度が高度ゆえ、一人だけは怖気づく。

 ゆえにリーダーはその人物を脇に抱え、問答無用で飛び降りた。

 落下中ということから距離を詰めることは難しく、それならそれで遠距離攻撃を開始する。


「よくもやってくれたな! ロニアさん、もっとやっちゃってください!」

「じ、自分でやりなさいよ! さっきのはたまたまよ! こんな状況じゃ当てられる気がしないわ!」

「だって~。マジックポイントが~」

「もう! オムニシエンス!」


 イリックは意気揚々と指示を飛ばす。

 唯一、ロニアだけは恐怖心を拭えておらず、自身を抱える少年の腕にしがみ付きながらも完全に引きつっている。それでもやるべきことをやらなければ、ここまでの苦労が水の泡だ。

 武器が即座に三本生成され、その内の一本が無防備な女を目指しだす。

 本来ならば回避可能だ。乱れ撃ちですらほとんどをやり過ごせてしまうのだから、単発など見切るまでもない。

 ましてや相対速度の関係から、水の槍を今まで以上にはっきりと視認できる。

 だが、それでもこの状況がその動作を困難にする。

 自由落下。

 つまりは、普段通りに左右へ移動することができない。

 となれば対処方法は絞られてしまう。

 炎の剣を作り出し、切り払うか。

 燐火を撃ちだし、迎撃するか。

 これらもまた、困難だ。間に合わせることは可能なのだが、ためらわれる理由がある。

 マジックポイントの残量だ。

 たった今の不意打ちにより、リインの命はまた一つ削られてしまった。元々尽きかけていたタイミングでのこれは痛打に他ならず、次のステップに支障を出さぬためにも魔法の無駄撃ちは避けなければならない。


(――死ニタクナイ)


 さしもの不老不死も、極限状態に追い込まれてしまえば普通の人間と大差ない。

 秘蔵のテレポートレムは、マジックポイントを多く消耗する。

 そして、もしも次殺された場合、残量は移動に必要な量をついに割ってしまう。

 イリックとて、ここまで計算していたわけではない。

 それでも、リインが転移魔法で逃亡を図ることまでは看破済みだ。

 加えて、勝ち誇っているがゆえに隙だらけであることも予想の範疇だ。

 だからこそのオムニシエンスであり、自身のマジックポイントは温存せねばならず、となれば、恐怖に引きつっていようと仲間をこき使う。

 水で形づくられていようと、先端が鋭く尖ったそれは正真正銘の槍だ。凶器である以上、なにかを破壊することに特化しており、今回の標的も損壊は免れない。

 ギュンと迫る刃は、既に目と鼻の先だ。

 このタイミングでは魔法による迎撃は間に合わず、女の命運もここまでと言えよう。

 慌てず、冷静さを欠かないでいれば、この場からの逃亡は間に合ったはずだ。イリックのそれとは異なり、詠唱時間はほんの一瞬なのだから、二発目がここまで迫ることはなかった。

 願うだけ。ただそれだけのことが遅れてしまった。

 無人のボロ小屋を頭の中に思い描き、少しだけ想像力を働かせれば済む。ただそれだけの作業だ。

 それをさせない狡猾さがイリックにはあり、安心しきった状況での奇襲がリインを混乱させ、追撃の攻撃魔法が動揺を加速させる。

 冒険者を侮ってはいけない。モンスター退治を生業とする荒くれ者だが、対人戦が不得意なわけではないからだ。

 この程度は易々と計画できる器用さと、なにより投げ出すということを知らない負けず嫌いな性格があわさり、時に卑怯な手をうたせることもある。

 今回に関しては瞬間的な判断力と、がむしゃらな覚悟が少年の背中を押した。


(これでどうだ!?)


 イリックは見届ける。相手が命をいくつ残しているかまではわからないが、底が近いことだけは確信できている。


(タ、助ケ……)


 リインに出来ることはただこれだけ。つまりは懇願だけだ。次の死が自身の終わりではないが、マジックポイントが枯渇しきってしまう以上、逃亡も抵抗も不可能となる。

 今以上に追い込まれてしまえば、どうなるかは明白だ。追加の槍を発射され、あっさりと殺されてしまう。これだけは彼女とて容易に想像できる。

 助けを求めるということは、誰か、もしくは何かを思い描く。

 親しい友人か。

 家族か。

 頼りになる仲間か。

 心安らぐ自宅か。

 思い出の場所か。

 そのどれもがリインには見当たらない。

 だからといって、何も思いつかなかったわけでもない。

 魔力に秀でただけの人間だった頃、彼女はそこで多忙な日々を過ごしていた。日常は非日常だったが、祖国を守るという責務が原動力となって四肢を動かし続けた。

 本来ならば、安穏の場所とはほど遠く、行き先としてはあまりに不適切だ。

 けれどもそこは、運命の出会いを果たした原点でもある。

 だからなのか、女は生まれて初めて、テレポートレムの移動先をその場所に定義する。

 無意識だ。当初の予定では隠れ家に戻るつもりでいたのだから、そういう意味では悪手であり失敗だ。

 それでも今は最悪の緊急事態だ。対戦相手の創作物である槍が、命を絶とうと心臓付近まで迫ってきている。

 完全に時間切れだ。その結果として、女はあっさりと貫かれる。

 勝利かどうかまではわからずとも、イリックは素直に喜びたい。無抵抗という事実が相手の立ち位置を如実に物語っており、つまりはこのまま仕留められると予想できる。


「――まだか」


 だが、そうはならない。

 そのために飛び降りたのだ。

 そのための残量だ。

 なけなしのエネルギーはそのために使わねばならず、リインの姿は槍の通過とほぼ同時に消失する。

 間に合った。

 女の願いは成就し、転移魔法は紙一重のタイミングで成立した。


「おしい~。どうするの~?」

「さすがに無理」

「そうね。これで振り出しだわ。まぁ、でも……上出来よ」


 ネッテは悔しがりながら兄に問う。

 アジールもついにお手上げだ。追いかける術はなく、こうなってしまっては出直すしかない。

 四人にとって、この状況は勝ちにも等しい。今まではどうすることもできなかった相手を追い詰めることには成功したのだから、帰還し祝杯をあげても良いだろう。

 コネクトの進化。第二段階および第三段階への覚醒。

 これだけでも十分な収穫だ。

 その上、空に浮かぶ遺跡スカーティアについて見聞を深めることができたのだから、三大大国と情報を共有し、判断を仰ぐべきだ。

 少なくとも一介の冒険者が独断でどうこうする状況ではなく、そういう意味ではないのだが、少女は判断を仰ぐため兄に視線を向ける。

 だが、イリックだけは全く別の景色を見ていた。


「――ロニアさん、見えませんか? 奴のいた場所から伸びる線が」

「え?」


 その発言が一同の目を丸くする。

 唯一、リーダーだけはリラックスしながらも緊張の糸を緩めきらない。

 見えている。

 見えているからだ。

 まほらという特殊な段階に進化した結果、ある特異な才能が開花する。

 魔法の天才と呼ばれる一部の特殊な人間にも近いことは可能なのだが、魔力が抜群に高い特異体質者、例としてガーウィンス連邦国のシャルロットやその元首は、魔法の残り香とも言うべき残滓を嗅ぎ取ることが可能だ。

 魔法とは魔力がマジックポイントを消費して具現化する神秘現象であり、火や水となって姿を現さなければ目にすることは叶わない。

 しかし、才能に優れた一部の人間やモンスターは例外だ。彼らには魔力そのものの流れ、脈動が視覚的に認識でき、それを役立てるかどうかは別の話だが、今回に関しては彼らを導く。


「ほら、うっすらと青いのが」

「――ええ、確かに」


 イリックはロニアを抱えたままグルンと回転し、大空を見上げながらある一点を凝視する。リインとオムニシエンスが交差した何もない上空だ。

 普段のロニアなら、この発言を理解することはできない。

 けれども今なら信じられる。少年の言う通り、青く細い何かが左へどこまでも伸びているからだ。

 霧のように今にも消え去りそうな線は、少なくとも物体の類ではない。


「あの方角は……」

「北かしら」

「まぁ、一目瞭然ですね」


 このやり取りは不要だ。彼らの遥か下には、この世で最も精巧な世界地図が広がっている。方位の確認も重要だが、透き通る紐を辿るだけでことは済んでしまう。

 そもそもこれは何なのか。イリックは本能的に、ロニアは直感的に理解済みだ。

 本来は目に見えない魔力の残りカスであり、今回に関してはテレポートレムの足跡だ。

 つまりは、リインの行先を追えてしまう。


「何々~?」

「どういうこと?」


 ネッテとアジールは残念ながら蚊帳の外だ。魔法を習得していない彼女らにはあずかり知らぬ領域な以上、わかる人間に教えを請うことでしか情報を得られない。


「奴の行き先にテレポートします! 場所は……」


 痛いほどの空気を全身で受け止めながら、少年は意気揚々と宣言する。

 このまま落下を続ければ、真下のサファ樹林に一直線だ。当然、無傷で済むはずはなく、普通なら地面と激突したタイミングで即死する。

 そんなことにはならない。

 そんなことを想定して飛び降りてはいない。

 リイン同様、彼らも移動手段を持ち合わせている。

 その魔法は十一秒の詠唱時間を必要とするが、落下までの猶予は十分だ。

 問題があるとすれば、逃亡者に若干の自由時間を与えてしまう点だろう。


「ゴーゴー!」

「早く!」


 ネッテとロニアはリーダーを急かす。逸る気持ちがそうさせるのだが、こればかりは大人しく待つしかない。


「次こそは終わらせる」

「うん」


 イリックは力強く決意し、アジールも同調する。

 魔法の使用残数が残りわずかであろうと、リインは手ごわく、侮れない。

 だが、四人が力を合わせればもはや敵ではない。それを証明するためにも、次の戦場にて決着をつける。

 吹き荒れる突風の心地よさは彼らが生きている証だ。

 イリックはボロボロのコートを好き勝手に暴れさせながら。

 ネッテは束ねた長髪を揺らしながら。

 アジールは短いスカートを押さえながら。

 ロニアは抱えられながら。

 目的地へ向かう。そのための移動手段がもう間もなく四人を運んでくれる。

 未だ続く浮遊感はどこまでもおもしろく、いつまでも味わいたいが一刻だけのご褒美だ。

 だが、冒険者の日常は毎日が劣らないほどに刺激的で、かつ夢見心地と言える。

 手放したくない。

 イリックは心の底からそう思う。

 ましてや自分を慕ってくれる三人はかけがえのない宝物だ。

 奪われないためにも、守り通すためにも、宿敵とは別れを告げなければならない。


「いざ!」


 このやりとり中も彼らの落下は止まらない。そのため、リインの痕跡でもある青い残滓からは随分と離れてしまった。

 そうであろうとなかろうと問題ではない。逆探知は既に済んでいる。魔力の流れを読み解けたのだから、同じルートを辿るだけだ。

 神が用意した舞台からは既に退場している。この時点で彼らの命運は不確定だ。

 それを喜ぶ存在が男神ロイロル。

 それを憎む存在が女神ネゼオル。

 こうなってしまえば、両者は黙って見守り続ける。

 人間の選んだ道なのだから、今はその成り行きを見届ける他ない。

 コンティティ大陸。冒険者と呼ばれる奇異な職業がまかり通る摩訶不思議な大地。

 もっとも、彼らの働きが人々に安息の日々をもたらしている。

 黒虎を狩り続け、集めた牙で生計を立てる者。

 新参者に手を差し伸べ、後続の成長を見守る者。

 クエストの対象モンスターを奪い合い、喧嘩をする者。

 素材を集め、加工した上で売りさばき儲ける者。

 モンスターを倒し続け、どこまでも強くなろうとする者。

 冒険者と言えども、その方向性は千差万別だ。そもそも彼らの目的や背景からして一人一人異なる。だからこそ、比べることに意味などない。

 イリック。妹を養い、その願いを叶えるため、ギルド会館の門を叩く。一年前の出来事だ。

 今では守るべき対象が一人から三人へ拡大した。

 互いに支え合ってここまで来たのだから、そしてそのことに気付くことができたのだから、この程度の壁に足を止めるつもりはない。

 大空を飛ぶ。

 正確には落下する。

 こんな体験は初めてだ。

 そのことを喜ぶ暇もなく、彼らはふっとそこからいなくなる。

 今はただ追いかける。

 慌ただしい日常を続けるため。

 ひいては仲間と共に過ごすため。

 いばらの道であろうと、冒険者は止まらない。


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