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コネクト・クエスト  作者: ノリト ネギ
紡いだ絆を力に変えて
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第六十二章 男と女

 二人は始める。そうすることが当然であり、そのための存在だからだ。果てのない漆黒の世界で、多くの言葉を交わさずともやるべきことを開始する。


 女は扉を開く。

 男はそれを維持する。


 二人にとって初めての共同作業であり、もたらされた無尽蔵のエネルギーがこれからの作業に必要となる。

 下地を作り、大地を乗せ、海を流し込む。深遠の黒に浮かぶ球体は、長い年月により完成する。


 全てはここから始まる。


 男は技を作り出す。今は必要ない。それでも後のために作らなければならない。

 女は法を作り出す。今は必要ない。それでも後のために作らなければならない。


 男は生命を作り出す。この世界が彩られる。

 女は病を作り出す。この世界が蝕まれる。


 女は六体の精霊を呼び出す。自分達では対応できないからだ。

 男はそれらに力を与える。自分達では対応できないからだ。


 男は人間を作り出す。行く末を見守りたい。そう願わずにはいられない。

 女はモンスターを作り出す。殺しつくしなさい。そう願わずにはいられない。


 女は地獄を作り出す。暗く、赤いその世界はそこに巣食うそれらには居心地が良い。

 男は法と技を融合させる。いずれ、役立つ時が訪れる。


 男は女の法を元に人間を作り出す。その知性は高く、前回のようにはならないはずだ。

 女は知性を持ったモンスターを作り出す。その知性は低いものの、問題はないはずだ。


 男は二つを兼ね備えた人間を作り出す。前回同様、いつかは辿り着いてしまうのかもしれない。それならそれで構わない。

 女はその扉を隠す。そうはさせない。


 女は短い剣を作り出す。人間を殺すことに特化したそれは、長い年月をかけて人間を惑わしていく。

 男は細く、鋭い剣を作り出す。それは人間に不思議な力を与える。


 女はその少女に力を与える。その結果、一つの大国が出来上がる。

 男は些細な科学技術のアイデアを人間にもたらす。後に機船へと繋がる。


 女はその女に力を与える。生まれたばかりのその国では、この力が必要だからだ。

 男は短い剣に細工を施す。いずれ必要になるだろう。


 女はゴブリンと精霊に奇跡をもたらす。代理人として、十分な働きを期待する。

 男はその女の夢にひっそりと使命をもたらす。来るべき時に作ってくれることを期待する。


 女は地獄の扉を開く。待ちきれない。待ちきれないのだ。

 男はその男の子に力を与える。その結果、この子は魔女にさらわれてしまう。


 男と女は対でなければならない。どちらか一方が行動を起こした場合、もう一方も何かを成さなければならない。

 この世界の理であり、そうすることがこの世界を維持するために必要不可欠だからだ。

 ウルフィエナ。命に溢れたこの世界は、創造と破壊に満たされている。



 ◆



 ネレネン王国から帰還した四人は、以前と変わらぬ日常に戻る。サウノ商業国を筆頭に、デフィアーク共和国やガーウィンス連邦国でクエストに挑む。生きていくだけでも金がかかるゆえ、冒険者として仕事に励まなければ所持金が尽きてしまう。それだけは避けなければならない。

 武神祭。

 オハンの入手。

 マンイーター事件。

 慌しい出来事が過ぎ去ってから既に一ヶ月が経過している。そんな状況で、イリックとロニアは四人用のやや広い宿屋の一室で向かい合いながら言葉を交わす。今の話題は自分達のパーティにおけるマスコット的人物であり、その少女はもう一人の仲間と町を探索中だ。


「あなたって本当に折れないわね」


 茶色よりはやや明るいベージュのタイトワンピースが、大きな胸や引き締まった腹部の輪郭を色っぽく形作る。綺麗な黒髪はあまり長くはなく、美人な顔を両側から包み込んでいる。白いベッドに腰かけるその様子はどこか妖艶な雰囲気を漂わせるが、もちろん本人としてはただ座っているだけだ。

 ロニアは感心するように、しかしどこか呆れるようにぼやく。眼前の男があまりに強靭な芯を持っているため、そう言わずにはいられない。


「だって妹ですし。そろそろ諦めて欲しいくらいです。ネレネン行ったのは失敗だったな~」


 黒いシャツと黒いズボン、短い黒髪。たまたま選んだ服のせいで全身黒づくめだが、外出時は赤いピーコートを羽織るため、そんなことはあまり気にしていない。あどけない顔立ちの持ち主だが、いくつもの戦いをえて幾分男らしくはなったのかもしれない。別のベッドに腰かけながら、正面のロニアに顔だけを向けている。

 イリックもぼやく。ネレネン王国の王と王妃は弟と姉だ。肉親同士で結婚しており、その国にとっては珍しいことではないが、ネッテには非常に刺激的だった。自分の行為と気持ちが後押しされたようなものであり、その結果、兄へのアプローチは加速する。


「無理よ、無理無理。あなたが諦めるしかないわよ。これだけは断言できる」


 コネクトはそういう魔法だから。そう続けることもできたが、ロニアはぐっとその部分を飲み込む。ネッテの純粋な気持ちにそんな理由を付け加えたくない。


「そんな~」


 イリックはほとほと困りながら、すっと立ち上がり窓辺へ歩み寄る。四角く縁取られた窓からは、ここが田舎だと錯覚しそうになる牧歌的な街並みとそこに息づく人々が一望できる。

 ガーウィンス連邦国。土と水と植物に彩られた大国であり、三階建ての部屋からは遠くの林まで眺めることができる。もちろんそこもこの国の敷地であり、土の道を歩く町民や冒険者、商人が美味しい空気を堪能しながらそれぞれの目的地を目指している。

 イリックはネッテのことが嫌いではない。家族として愛情を持っている。そう、女としては見ていない。妹は異性だが、性的な視線を向けたことはないしそもそもできない。時折、下着姿はおろか裸を見せ付けられるが、平たいその胸が徐々に膨らみだしたことに感心する以外は特別な感情を抱いてはいない。言ってしまえば親のそれだ。


(本当に頑固ね……。この大陸ではタブーだけど、それでも意固地すぎるような)


 ロニアの疑問は当然だ。ネッテは四六時中、イリックにアプローチしている。かわいい顔立ちの女の子にそこまで好意を寄せられようものなら、普通ならぐらっと揺らいでもおかしくはない。

 身長は低く、体の凹凸も少ないことから、そういう意味ではイリックのストライクゾーンからは大きく外れているものの、それでも過ちの一つくらいは犯してしまってもおかしくはない。

 イリックはネッテを妹として溺愛している。冒険者になってからは歯止めがかからなくなっており、躊躇なく全財産をつぎ込んでしまう程度にはシスコンだ。

 そう。イリックはシスコンであって、それ以上ではない。やはりそのベクトルは兄が妹に向けるそれでしかない。

 一線引いて接している。そういう意味では、良く出来た兄と言えるのかもしれない。


「俺くらい身長高くて、おっぱい大きかったらセクハラしまくったでしょうけど、あんななりしてるからな~」

(く……、つっこみたいけど今は耐えるのよ)


 イリックの発言は男としても兄としても最低だ。ロニアは歯を食いしばって沈黙を選ぶ。


「揉んで揉んで揉みしだいて、辛抱ならなくなったら顔をうずめ……、なんでもないです」


 さすがのイリックも今の発言が失言だと気づき、一旦黙る。既に手遅れだが、最後まで言い尽くすわけにもいかない。


「胸なんて脂肪よ。多分、すぐに飽きると思うけど……」

「は~? 死ぬまで飽きない自信があります~。俺はそこらへんの男とは違うんです。ちょめちょめの最中は、多分延々にいじくり続けると思いなんでもないです」


 ロニアの指摘にヒートアップしてしまったイリックは、慌ててトーンを下げる。残念ながら完全に手遅れだが、その情熱だけはロニアにも伝わる。だからと言ってどうということもないが。


「胸って案外神経あるから、やさしく扱ってあげなさいよ」

「当然です。愛おしく、愛でます」


 ロニアはいよいよ頭が痛くなる。こんな会話は望んでおらず、そろそろ話題を変えたくて仕方ない。


「それじゃ、ネッテちゃんに男ができたらどう思うの? 彼氏です、とかこの人と結婚します、みたいな」

「兄として、涙を流しながら祝福します」

「その男がものすごいダメ男で、ネッテちゃんに暴力振るうような奴でも?」


 ロニアからもたらされたあまり現実的ではない仮定が、イリックの表情から感情を奪い去る。

 ゴゴゴと負のオーラを噴出させながら、妹の幸せを願う兄がゆっくりと口を開く。


「多分、殺します」

「物騒なことを……」


 しかし、イリックは本気だ。そんな男を選ぶネッテにも非はあるのかもしれないが、そのようなことは一切考えず、ただただ男だけを責める。


「ネッテに手をあげた回数の十倍、殴り倒します。死なないギリギリの威力でぶん殴ります。キュアでその都度回復しつつ、ぼこぼこにしてやります」


 イリックの腕力は決して人間に向けてはいけない。自身への損傷を省みないのであれば、そのあたりに生えている樹木を殴り倒すことも可能だ。一般人なら肉片に変えることもできてしまう。


「やるなら誰にもばれないようになりなさいよ……。そんなくだらない理由で逮捕されたくないんだけど」

「もちろん、最後は海に沈めます」

(殺すのね……)


 妹のためなら人殺しも辞さない。それがイリックだ。


「もし相手が冒険者で、回復魔法で凌がれたらどうするの?」


 ふと思いついてしまう。冒険者のネッテが出会うとしたら、相手もまた冒険者の可能性が高い。キュアを使える盾役や後衛回復役だった場合、イリックの打撃はたちまち癒されてしまう。


「逆に好都合です。マジックポイントが空っぽになるまで思う存分いたぶってやります。回復魔法を使う相手なんていかようにも殺せます」

(あぁ、こわいこわい)


 イリックもまた冒険者だ。日々脳内で様々な相手や状況を想定してシミュレーションしている。

 回復魔法で自己の傷を癒すモンスターや人間と戦う場合、最も厄介な行為はやはり回復魔法だ。本来なら勝利に繋がるはずの損傷がたちまち無かったことにされてしまうのだから、戦いづらいに決まっている。

 しかし、そんな行為にも弱点は存在する。回復行為の代償として、マジックポイントを消耗する。これは無限ではなく有限だ。すなわち、ダメージを与え続けて、キュアを使用可能な回数使わせてしまえばいい。少なくともイリックはそう考えている。

 もちろん、それ以外にもそんな相手を打ち負かす方法は存在する。回復量を上回るダメージを与え続けるか、即死させる。もしくは、降参させても良い。

 イリックは臆したりはしない。相手がどんなことをやろうと、対策を講じ、そこを攻める。ただそれだけだ。


(これはあれね……。ダメもとで一回試してみましょう)


 ロニアは思い出す。人間の研究を専門としている水の図書館に、丁度いい装置があることを。

 もうすぐ昼食の時間だ。そのタイミングで、外出中のネッテとアジールは帰ってくる。

 腹を満たした後は四人で水の図書館に向かおうと理由も告げずに提案する。イリックは不思議に思いながらも首を縦に振り、この話題は一旦お開きとなる。


「ただいまー! お腹減ったよ~」


 その後、四人は集結し、ギルド会館へ足並みを揃えて向かう。

 ガーウィンス連邦国の頭上では丸い太陽がやさしく輝いており、土の道やその周辺の雑草達からは自然の匂いが普段よりも濃く漂ってくる。



 ◆



「やぁ、いらっしゃい」


 本棚がぎっしりと立ち並ぶここは研究機関の一つ、水の図書館だ。黒に近い茶色の木材で建設された大きな建物内では、小麦色のローブをまとった職員達が忙しそうに眼前の仕事と睨み合う。

 現われた四人に笑顔を向けながら、緑色の正装をまとったやさしそうな男が右手を上げる。水の図書館館長、ガラハだ。四十歳手前だが、それよりも若い外見をしており、灰色の髪はさらさらと顔の上で踊っている。


「こんにちは!」

「声が大きいよ……」


 ネッテは子供らしく元気に挨拶する。正しい行為だが、大きすぎる声量ゆえ、研究機関には相応しくないかもしれない。ゆえに兄としては複雑な心境だ。


「たしかあれだったかしら? ちょっと使わせてもらえない?」

「ええ、いいですよ」


 ロニアが指差す方向には、二つの椅子が並んでいる。ただの茶色い椅子ではなく、決して細くはない白や黒のコードが何本も繋がっており、それらを辿ると棚に置かれたマジックランプのような容器に行き着く。


「何あれ?」

「さぁ?」


 アジールとイリックは首を傾げる。用途がわからないのだから当然の反応であり、ネッテだけはぴょんぴょんとそれを目指す。


「誰と誰を?」

「バカ兄妹」

「ああ……」


 ガラハとロニアは阿吽の呼吸でやりとりを済ます。イリックはバカにされたことだけは理解できたが、それ以外は何もわからないため、今は反論すらできない。

 ガラハが近くの職員にたずね、装置が今すぐにでも使えることが確認される。すなわち、後はバカ兄妹が座るだけだ。


「では、イリックさんとネッテさん、お好きな方に腰かけて下さい」

「ガッテン!」

「その前に用途を……」


 ガラハのやさしい口調に、ネッテは何のためらいもなくさっと右の椅子に腰掛ける。

 イリックはその前にやるべきことを開始するが、残念ながら答えは返ってこない。


「さあさあ」


 ガラハはニコニコしながらイリックの背中を押す。早く座れ。つまりはそういうことだ。


「ワクワク」

「その能天気さだけは本当にうらやましいよ。兄として、唯一見習わないといけないな」


 ネッテは大人しく椅子に腰掛けながらも目を輝かせる。今から何かが起こることを期待してのことだが、その内容は全く想像できていない。

 左に腰かけるイリックは呆れながらも警戒心を持続させる。この椅子に座ることで自身に何が起きるのか、未だにわかっていない上になぜか教えてもらえない。死にはしないだろうが、少なくともそういったレベルで勘ぐってしまう。

 とは言え、準備は整った。ガラハは二人の背後に設置された黒い装置にそっと魔力を流し込む。途端、二人が座る椅子とそれらを繋ぎ合わせる何本もの線に何かが走り、ガラハの手元のランプに何らかの情報をもたらす。その結果が淡い赤色となってぼんやりとランプを輝かせる。


「あテキーラ……」


 この装置は一瞬で判定を終え、ガラハだけがその結果に唸る。予想外過ぎるゆえ、四人にこの情報をもたらしていいものかどうか言い淀んでしまう。


「どっち?」

「ほ、本当に伝えていいんですか?

「もちろん。今更どう転ぼうとこの二人には関係ないもの。いえ、関係はあるわね。まぁ、その反応でもう察しはついてるわ」


 ロニアだけは状況を飲み込めている。ガラハのわかり易い反応から、今後の展開がおもしろいことになると見て取れる。


「――先ずは、この装置についてご説明します」

「普通、先に教えてないといけないような……」


 ガラハはその結果を口に出しにくいため、遠回りな道のりを選ぶ。イリックのつっこみは当然だが、今は誰も反応しない。


「これは、座った二人に血縁関係があるかどうかを調べてくれるマジックアイテムです。人間の研究の副産物と言えますね」

「ほほう」


 ガラハの説明に、ネッテはとりあえず頷いてみる。

 イリックはやっと全てを悟り、アジールもまた今後の展開に胸躍らせる。


「え~……、ネッテさんとイリックさんについてですが、ランプが赤く点灯しました。すなわち……、本当に伝えていいんですか?」

「ええ」

「普通、俺かネッテが了承すべきことでは?」


 ガラハとロニアのやり取りに、イリックは疑問を抱く。当事者にも関わらず、蚊帳の外だからだ。

 唯一わかっていることは、ロニアが自分とネッテの関係をハッキリとさせたがっていることであり、兄妹であることは間違いなく、この行為に今更何の意味があるのか不思議で仕方ない。

 イリックとネッテは十五年間一緒に暮らしてきた。

 イリック、十八歳。

 ネッテ、十五歳。

 ネッテが生まれてからは常に同じ家で時間を共有した。

 八年前に両親が殺されてからは二人だけで何とか生きてきたが、今ではアジールとロニアも加わり、まさかの冒険者稼業に励んでいる。

 一年前には想像もつかなかったことだが、サラミア港から仕事がなくなってしまったのだからこうするしかなく、何より今の日々には心底満足していることから、愚痴をこぼしたことはないと記憶している。

 イリックとネッテは似ている。似ていない部分も多いが、兄妹ゆえに様々な点で血の繋がりを感じている。

 魚料理が好きだ。

 大きな胸が好きだ。

 甘えたがりだ。

 身体能力が高い。

 戦技や魔法の習得運には恵まれていない。

 質素な生活に抵抗がない。

 我慢強い。

 強気な正確。

 性別の違いがあるにも関わらず、これだけの近似点があるのだから、二人はまさしく兄妹だ。今更専用のマジックアイテムで判別してもらう必要もない。


「――ネッテさんとイリックさんは、血縁関係ではありません」


 ガラハの発言が水の図書館に静寂をもたらす。聞くつもりはなかった職員達も思わず固まってしまう。イリック達はもはや有名人であり、イリックとネッテの仲睦ましい兄妹愛も散々見てきたため、この事実には反応のしようがない。


「うっしゃー!」


 ネッテだけは心底喜ぶ。本来ならばショックを受けるべき状況なはずだが、ネッテにとっては愛の妨げにしかなっておらず、唯一の障害が取り除かれたのだから、見たこともないような渋い顔でこの事実を受け入れる。


「なん……だと……」


 イリックは茫然自失だ。妹だと思っていたネッテが赤の他人だと突きつけられたのだから、アイデンティティが崩壊しかける。

 記憶を辿っても、両親がそんなことを話していることを一度も耳にしたことはない。すなわち教えられたことがなく、そもそも自分とネッテ、どちらが家族ではないのか、それすらもわからない状況だ。


「それでは失礼します」


 ガラハは逃げるようにその場から立ち去る。予想通り、重苦しい空気が漂い始めたため、これ以上はここに長居はできない。


「良かったわね。これでお兄ちゃんとも問題なく子供を作れるわよ」

「わーい!」


 満面の笑顔を浮かべるロニアと、くったくない笑顔のネッテがハイタッチを交わす。無言のアジールもそれに加わり、イリックだけがどんよりと落ち込み続ける。


「諦めなさい」

「そうそう、諦める!」


 ロニアとネッテになぜか慰められながら、イリックは死んだ目でネッテを眺める。心底うれしそうなその表情が今はただただむかつくため、とりあえず頭突きをおみまいする。


「なぜ!?」


 兄から理不尽な暴力を受け、ネッテは背後に倒れこむ。倒れた際に後頭部をぶつけ、頭の前後が痛むが、それでも小さな胸は非常に温かい。


「どういうことじゃ~!?」

「そういことよ。受け入れなさい」


 泣き叫ぶイリックとは対照的に、ロニアはいつも通りの涼しい顔を維持する。どちらに転ぼうとどうでもよく、結果はおもしろい方だったが、イリックのように慌てふためく理由もなく、淡々とその事実を受け入れる。


「ちょっと町長に訊いて来ます!」

「あ、私も行きた~い」

「おう!」


 イリックはテレポートの詠唱を開始する。本来ならば人のいる場所で使っていい魔法ではないが、錯乱中ゆえ、そんな判断はできない。


「私はゴルドのところに行ってるわ」

「またね」


 ロニアとアジールに見送られ、兄妹ではなくなった二人は仲良くその場から消え去る。

 突然騒がしくなった建物は本来の静けさを取り戻し、その犯人達は二手に別れてそれぞれの目的地へ向かう。

 残された職員達はガラハも含めていたたまれないが、今はただただ目の前の研究に励むしかない。


(今日は残業しないで早く帰ろう)


 ガラハは自分に言い聞かせ、現実逃避の如く仕事を再開する。

 ガーウィンス連邦国は今日も平和だが、兄妹にとっては衝撃的な一日だ。



 ◆



 潮の香りも、心地よい波の音もなつかしく、何より心地よい。だが、今はそれどころではない。

 白い砂に覆われた港町で、最も高い位置に存在する大きな建物に二人は辿り着く。


「たのもー!」


 ドカンと扉を開け、イリックは見知った町長官邸に足を踏み入れる。

 受付の女性は久しぶりのイリックとその勢いに目を丸くするが、元気そうな兄妹の姿を見れたことで心底安心する。

 町長は部屋にいるということから、イリックはズンズンとそこを目指す。


「たのもー!」

「おぉ、久しぶりじゃのう。どうしたんじゃ?」


 散らかった少し狭い部屋で、白い顎ヒゲを蓄えた老人が二人を歓迎する。

 イリックはサラミア港に住んでいた頃、すなわち見回りに精を出していた際は給料を受け取るためにこの部屋に何度も足しげく通っていた。今ではすっかり冒険者なため、そもそもサラミア港には寄り付かなくなったことから、少し変化した間取りに大きく驚かされてしまう。

 しかし、今はそれどころではない。真相を聞きださなければならない。


「俺とネッテが兄妹じゃないらしいんですけどー」

「……親から聞かされてなかったのか。そのことに驚きじゃわ」


 そう。町長も、そして当然だが父親も母親もそんなことは承知している。あまり大っぴらにはされていないだけで、町民もいくらかはこのことを知っている。


「なん……だと……」

「どゆことどゆことー?」


 驚愕の兄と不思議そうな妹。この反応の違いが、二人の血縁関係を否定しているのかもしれない。


「ネッテちゃんはデフィアーク共和国の人間なんじゃ。あの日は酷い嵐でのう。それこそ近年稀に見る大荒れじゃった。デフィアークを出発した定期船が、ここに到着する直前に転覆したんじゃ」


 町長は顎のヒゲを撫でながらゆっくりと思い出す。


「あまり乗客は多くなかったんじゃが、その中に一歳前後の赤子とその両親がおってのう。結果、助かったのはその赤子だけじゃった。救護活動もななまらないほどの荒れ模様だったことを今でもハッキリと覚えとる」


 朝にも関わらず、その日はまるで夜のように暗い。それも当然だ。灰色の分厚い雲が空を覆っており、太陽の陽射しが地上まで届いていない。

 大粒の雨だけが地面を叩く中、普段は穏やかな海が暴れまわる。地平線から訪れる波は白く、そして壁のように高い。大きな騒音を轟かせながら、サラミア港の住民達を不安にさせる。

 デフィアーク共和国を出発した定期船は翌朝の午前九時に到着するのだが、その日ばかりは時間通りにはいかない。吹き荒れる風と暴力的な波が船員と乗客を揺らしながら、機船の前進を阻害し続けたからだ。

 それでも目的地寸前まで辿り着ける力強さは科学力の成せる業であり、けれども船はサラミア港を眼前に捉えながらついに横転してしまう。

 町民達は救出を提言するが、漁師達がそれを否定する。サラミア港すら飲み込もうとする大荒れな海模様では、船を出すことなど不可能だからだ。白く、そして暗い海に乗り出しでもしたら、その人物も瞬く間に沈んでしまう。

 海の男達は知っている。この状況ではどうすることもできない。居合わせた冒険者達をもってしてもそれは変わらない。五十メートルを三秒で走ることが可能であろうと、呼吸を三十分、一時間と止めることはできない。つまり、誰も沈みいく機船に手を差し伸べることなどできない。

 もし、救える命があるとすれば、それは諦めることを知らない愚直さと天性の運動能力を備えた本人が自らを救うしかない。

 暗く、おどろおどろしい深遠の海中で、かき混ぜるように流れる海流が母親の腕から小さな赤ん坊を奪い取る。

 離れ離れになった両者の運命は二度と交錯しない。一方はそのまま死に、もう一方は新たな人生を歩むからだ。

 幸運にも潮の流れはサラミア港に向かっており、何より小さな女の子は泣くよりも先に生き延びることを望む。

 純白のかわいらしい小さな服を着たその赤ん坊は目を見開き、小さな四肢で海水をかき分ける。目に見えない白い糸を手繰り寄せるように、まるで何かに導かれるように進み、やがて海上に辿り着く。

 完全に沈没した定期船が見守る人々に絶望をもたらすのなら、浮かび上がったその子は希望を与えるための存在だ。

 決して届かないはずの泣き声が嵐のサラミア港に響く。

 夜のような暗い海に、白い赤子が漂う。

 岸まではそう遠くなく、卓越した身体能力を持つ一人の冒険者が果敢に海へ飛び込み、大波に揺られながらもその子を腕に抱く。

 漁師の助けもあり、二人は無事陸地に上げられ、奇跡はこうして成就する。

 名前や年齢は乗船記録を辿ることで判明する。同時に、両親を失ったことも確定してしまう。

 赤ん坊の両親はデフィアーク共和国の軍人だった。旅行好きの二人は休日を利用してサラミア港に向かっていた最中であり、子供が生まれて初めての遠出だったことから心底楽しみにしていた。

 町長は考える。ネッテと呼ばれる赤ん坊をどうするか。

 選択肢は二つ。

 デフィアーク共和国に送り返し、後のことは任せる。

 サラミア港で育ての親を見つける。

 悩む間もなく、とある夫婦が名乗り出る。元冒険者であり、今は錬金術の店を切り盛りしている気さくな二人だ。四歳の息子がおり、その子が手を離れ始めたため、一歳の女の子を育てることも可能だろうと手を挙げる。

 こうしてイリックとネッテは兄妹となる。その後、兄と妹して育てられるも、ネッテだけはとあることを教えられる。

 お兄ちゃんと結婚したいならしてもいいのよ。

 その言葉は呪いであり、救いでもある。ネッテはやさしい兄になついており、その時はまだ恋心ではなかったのかもしれないが、デーモン襲来後、その感情は本物になる。

 定期船の沈没および唯一の生存者。そんな重たい事実は大人達の心に残り続けるも、仲睦ましい兄妹にそのことを告げる残酷な人間はサラミア港にいない。

 何も知らないまま、二人は冒険者となって故郷を去り、今に至る。

 隠していたわけではない。言えなかっただけだ。何より、普通なら両親が告げるべきことであり、もっともその前に二人はモンスターに殺されてしまう。

 それでもこの世界にはそれを解明する装置が存在する。それが水の図書館で発明されたマジックアイテムであり、イリックとネッテはその事実に辿り着いてしまう。


「お主らはもう子供ではない。受け止めるべき時期じゃったのだろう」


 町長は一人で納得する。

 それはそれで間違いではない。知らなければ後悔することであり、自らそこに到達できたのだから、イリックとネッテは一人前の人間になれたのかもしれない。


「結婚よー!」

「どうしてこうなった……」


 心底うれしそうに、そして涎を垂らしながらネッテはイリックに抱きつく。


「ほっほ。好きにしたらええ。まさに青春じゃな」


 町長も笑顔を浮かべるが、イリックだけはげっそり萎れていく。

 妹だと思っていた、かわいくて仕方ない女の子が実は家族ではなかった。この事実はイリックを大きく動揺させる。

 同時に、言い逃れができないことにも気づかされ、どうしたものかと案じなければならないのだが、今は脳みそが働いてはくれないため、抱きつきながらも器用に腰を振る元妹をひっぺがえす余力も存在しない。


「お兄ちゃ~ん。あ、イリック~」

「ぐはっ!」


 ネッテに名前で呼ばれたことが心底気持ち悪く、イリックは白目を向いて気絶する。

 しかし、明日には大事な仕事が控えている。そういう意味でも、休める内に心も体も休ませなければならない。

 このタイミングで意識を失えたことは、ある意味幸運だったのかもしれない。



 ◆



「普通なら落ち込むべきなんでしょうけど、まぁ、そうはならないのがネッテちゃんらしいわね」

「えへへ~」


 血縁関係が否定されたその晩。

 ガーウィンス連邦国の宿屋にて、夕食と入浴を済ませた四人は思い思いの方法で静かな夜を満喫する。

 外の街並みもすっかり夜の顔に変化しており、土の道を歩く大人達も日中と比べると随分と少ない。

 空には数え切れないほどの星が浮かんでいるが、明るい室内からは目視できず、それでも椅子に腰掛けながらイリックとアジールはぼんやりと目を凝らす。

 この部屋は当然四人部屋だ。個室を四つ借りるよりも安くつくという経済的な理由ではなく、宿屋番のネッテが必ずこういった部屋を借りる。

 ロニアは白いベッドに横たわり、読みかけの本をポスンと閉じて視線を動かす。その先にはネッテが別のベッドに腰かけながらかわいらしい笑顔を振りまいている。

 アジールと四角いテーブルを挟んで座っているイリックは、暗いだけの景色から室内に顔を向け、大きく息を吐きながらうな垂れる。


「俺はけっこうショックなんですけど……」

「そうなの?」


 アジールは首を傾げる。


「ずっと妹だと思ってたのに、実は違いますって突きつけられたんですよ。今更嫌いになったりはしませんけど、なんかな~。なんかな~!」

(まぁ、それが普通の反応よね)


 わーわーうるさいイリックが正常であり、ロニアは口に出さずに同情する。


「も~、照れちゃって~」

「意味わからん。どうやったら照れることができるのか逆に訊きたいわ。あ~、この前の防衛戦で一ゴールドももらえなかったことばりにショックだわ~」

(それってたいしたことないんじゃ?)


 ネッテとイリックのやり取りに耳を傾けながら、アジールはイリックの発言にもあまり共感できない。

 ネレネン王国で勃発したリザードマンとの大規模防衛戦。それに加勢したイリック達だったが、その国専用の傭兵カードを所持していないため、活躍に応じて支払われる報酬は当然ながら支払われない。査定としては非常に優秀だったが、それでも実質ボランティアでしかない。


「イリックって案外女々しいわね」

「おに……イリックったら~」

「ぐはっ! それマジでやめい」


 ロニアの指摘に傷つくよりも先に、言い直したネッテの発言にイリックは眩暈を覚える。名前で呼ばれたことのない肉親に、突然名前で呼ばれることがいかに気持ち悪いか、イリックは現在進行形で思い知る。


「違和感はあるけど……、そんなに嫌?」

「超嫌です」


 アジールの問いかけに、イリックは一瞬の間も置かずに即答する。細胞単位で拒絶しており、新手の嫌がらせかと錯覚さえしている。


「そんなものかしらね~」


 ロニアは天井を見上げながら想像する。自分をお姉ちゃんと呼ぶ弟のパニタが突然名前で呼び始めたらどう感じるか、頭の中でシミュレーションする。


(呼び捨ての時点で殴っちゃいそう)


 残念ながらロニアの若干尖った感性では、イリックの抱いているもやもや感には辿り着けないらしい。


「ぐふふ。これで子作りも可能よ~」

「はぁ~。マジで頭痛いな~。どうしたら諦めてくれるかな~」


 ベッドの上で手ぐすね引く元妹と、椅子に座ったまま再び窓の外に視線を向ける元兄。あまり変わらない日常の風景だが、イリックに関してはいたく落ち込んでいる。


「まぁ、ずっとネッテちゃんを妹としてかわいがってたんだもの。突然は無理でしょうね。ゆっくり受け入れなさい」

「十年は無理な気がするな~」


 ロニアが諭すように言いくるめるも、イリックはぼやくように反論する。

 イリックとネッテは長年、家族として暮らしてきた。そんな妹を異性として見るためには、それくらいの時間が必要そうだと何の根拠もなく算出する。

 当然、ネッテはそんなに我慢できない。五年で! と熱く主張するが、それでも随分と妥協した年数だ。


「明日はマリィさんと久しぶりに冒険できるから、それで一旦心を落ち着かせるか~」


 イリックは公然と浮気を口にするが、言っていることは間違いではない。

 明日は以前から依頼されていたエムム遺跡の調査に向かう日だ。ゴルドとトゥルルがサハハ遺跡を解明するために、他の遺跡にも通い手がかりを得ようとしている。

 イリックはテレポート先にエムム遺跡を登録してあるため、テレポート屋として探索メンバーを移送しつつ、調査にも同行する。

 その一人がマリィであり、イリックの想い人だ。

 男勝りな性格と雰囲気。

 薄茶色の長い髪。

 アジールほどではないがイリックよりは上回る背丈。

 筋肉質な体。

 ロニア以上の豊満な胸。

 完全にイリックのストライクゾーンであり、想像するだけで幸せな気持ちになれてしまう。

 しかし、現実は非常だ。


「そうそう、言い忘れてた。マリィって知的な男が好みらしいわよ。学者タイプというか、先生みたいな」

「なん……だと……」


 ロニアは嘘を言っていない。デフィアーク共和国でマリィと偶然会った際、そんな話題になったことを今でも覚えており、このタイミングで伝えるとおもしろいだろうという悪知恵も働き、暴露する。

 イリックは真っ白になりながらずるずると椅子から転げ落ち、木の床に倒れこむ。

 学者。

 研究員。

 先生。

 事務員。

 そういった頭脳労働者とイリックは対極の位置にいる。

 イリックは決して頭の悪い男ではない。学がないだけであり、頭の回転だけはそこそこ速い。しかし、どちらかと言えば肉体労働の似合うタイプであり、マリィの好みからは完全に外れている。

 元から諦めてはいたものの、やはり失恋は悲しいものであり、イリックは冷たい床にぽろぽろと涙をこぼす。


「本気で泣いてる」

「ちょっとひくわね」


 アジールとロニアは、本気で泣いている自分達のリーダーを見下ろす。かわいそうだが、その光景はなかなか気持ち悪く、手を差し伸べる気にはなれない。


「おに……イリック。さぁ、おいで」

「ネーッテ!」


 ベッドの上に立ち、ネッテは両腕を大きく広げる。

 イリックはそんな元妹の平たい胸へ飛び込む。もちろんそれはフェイントであり、勢いそのままに頭突きに移行し、鳩尾へゴツンと頭を打ち込む。


「ぎゃぼー!」

「キモいから名前で呼ぶな!」


 ベッドの上で兄妹喧嘩を始めた二人を観戦しながら、アジールはふと呟いてしまう。


「私だけ、最近パワーアップできていない」


 ネッテがついに覚えた戦技、デュアリズムで兄を痛めつける様子は、自身の不甲斐なさを連想させる。

 ロニアも異なる属性を混合させて自慢の水魔法を進化させることに成功しており、アジールだけが目に見える何かを習得できずにいる。

 身体能力の向上という意味では、イリックもネッテも、そしてアジールもきちんと成長している。しかし、化け物じみた兄妹と比較してしまうと大きく劣ることも事実であり、アジールの強さを冒険者の指数で考慮した場合、上中下で言えば中に分類される。なお、兄妹はギリギリ上といったところだろうか。

 アジールの強さは問題ないレベルと言えるが、どうしてもイリック達には見劣りしてしまうため、必要以上に落ち込んでしまう。


「盾役として普通に活躍できてるし、魔眼もあるのだから焦る必要なんかないわよ。前にもこんなこと言ったような気がするけど……。なんだかんだで、あなたの戦技が一番イリックに使われてると思うわよ?」


 ロニアの言う通り、アジールは冒険者として、何より盾役として、問題ないレベルに達している。習得している戦技の数は変わらず一つだけだが、今の実力ならどんなパーティでもある程度は活躍できる。魔眼を活かせるモンスターと戦うのなら、他の盾役を圧倒してしまうかもしれない。

 何より、コネクトを発動させたイリックにとって、アジールの戦技であるインビンシブルはネッテやロニアのそれらとは比較にならないほど重宝されている。それほどまでに強力な効果を持ち合わせており、アジールの存在はこのパーティに必要不可欠だ。


「順番的に次は私がパワーアップ?」

「残念ながらそんな順番は存在しないわ」


 アジールの希望的観測は元先生によってあっさりと粉砕される。世の中そんなに甘くはないらしい。



 ◆



 人間と比較すること自体がおこがましいほどに太い大木達。それらによって埋め尽くされる深い森林はサファ樹林と呼ばれており、トリストン大陸の南東にひっそりと広がっている。生息するモンスターは手ごわく、勇敢な冒険者と言えどもあまり寄り付かない穴場的場所だ。

 その最奥にひっそりと存在するここは古代人の忘れ形見であり、最低でも一万年以上は経過しているはずだが、時間の流れを全く感じさせない。

 薄い紫色の何かは石でもなければ現存するあらゆる鉱石とも異なる。それだけで建設された壁や床、柱はところどころが崩れているが、裏を返せばほとんどが風化することなく建設当時の姿を保てている。

 エムム遺跡。古代人によって作られた謎の遺跡が、イリック達の眼前に広がっている。


「へ~。サハハ遺跡に似てるじゃーん」

「雰囲気はそうじゃのう」


 薄い茶色の長髪をかきわけ、大きな胸を張りながらマリィは鋭い目でその風景を眺める。実戦経験豊富な冒険者であり、今は縁あってゴルド達の研究に付き合っている。もちろん頭を使ってどうこうではなく、こういった実地調査において護衛役として参加している。

 赤い鎧の装甲は分厚く、しかしその形は少々男達の視線を集める。マリィの胸は非常に大きいため、この鎧はブラジャーのごとく胸の形にフィットするよう膨らんでいる。背中には銀色の斧を担いでおり、傷だらけだがそれは場数の多さを物語っている。

 マリィの言う通り、エムム遺跡はその空気感だけはサハハ遺跡に似ている。用いられている素材が共通しており、イリック達も以前同じような感想を抱いた。

 ガーウィンス連邦国の研究機関の長を務めるゴルドとしても、ここを訪れたことは初めてなため、目を細めて眼前の広間を見渡す。

 エムム遺跡は四つの区画で区切られる。サファ樹林から足を踏み入れることになるそこは一つ目の小さな広間であり、そこを囲む壁がところどころ崩れかけていることを除けばこれといって見所はない。

 左右には迷路のスタート地点的な道が存在しており、どちらをどのように歩こうと、行き着く先は最奥に広がっている二つ目の巨大な空間だ。

 今回の調査ではそこを目指す。なぜなら解明できていない謎の装置が床から生えており、それを調べることがサハハ遺跡の調査に役立つかもしれないからだ。

 エムム遺跡もサハハ遺跡も古代人が遺した遺跡で間違いない。薄紫色をした未知の鉱石と人間の記録に存在しないという事実が消去法でそう物語っている。

 調べたい。そういう欲求も働いているが、ゴルド達はサハハ遺跡を解明しなければならない。ガーウィンス連邦国および周囲に広がるスムルス平原がそこからエネルギーを送り込まれており、その結果豊かな土地として作物の成長を促進している。

 そこまではわかっている。

 そこまでしかわかっていない。

 この効果を制御している装置の動かし方はある程度把握できているものの、完全な解明には至っておらず、ある程度把握できていた男は自分達の手で殺してしまった。

 ゆえに調べなければならず、とはいえ行き詰ってしまった以上、今までとは異なるアプローチを取らなければならない。

 それが他の遺跡からヒントを得ることであり、イリックのテレポートによって一同はその地に降り立っている。

 エムム遺跡を調べたい。せめて古代人について手がかりを得たい。眼前の目標はそういうことになる。


「イリックさんのテレポートは本当に素晴らしいです!」

「いや~、そういうこと言ってくれるのはコルコルさんくらいですよ。今じゃ当たり前みたいになっちゃって」


 初めて訪れる場所に感動しながらも、小さな女の子は別のことに目を輝かせる。離れた距離を一瞬にして移動するイリックの魔法は画期的過ぎるゆえ、この反応は至極当然だ。

 少女の身長はネッテよりもわずかに低く、すなわちどう見ても子供なのだが、そもそもまだ十三歳だ。黄色い髪は首元まで伸びており、赤茶色のかわいらしい服とスカートには白いヒラヒラが備わっている。単なるオシャレ着にしか見えないが、実は魔法で戦いに参加する後衛用のれっきとした防具だ。素材には魔力を流し込まれた専用の布が使われていることから、防御性能はそれほど高くはないがわずかな魔力上昇を実現している。

 一メートルを越える杖は新調したてであり、片手で握るには大きすぎるそれは雪のように白く、上半分はグネグネと曲がっている。

 後衛補助役として既にいくつもの魔法を習得している芯の強いこの少女はコルコル。マリィとペアを組んでいる冒険者だ。


「マスター、きっと皆さんも感謝していますデス」

「どうだか~。いやまぁ、俺がすごいんじゃなくてこの魔法がすごいだけなんですけど……」


 六人の中で最も異質な存在はこの機械人形だ。二メートルに匹敵する体はてっぺんからつま先に至るまで全てが機械で構成されており、顔だけは肌色の柔らかい材質を用いているが、それ以外は現代科学では複製はおろか解明すら不可能な装甲で覆われている。腰や肘や膝といった間接部分は黄色い球体で結合されており、それ以外のほとんどは灰色の装甲で人間の形を再現してある。赤や白といった部品もあちこちに組み込まれており、色艶やかな冒険者達の中でも遜色ない存在感だ。

 赤い髪もどきは非常に長く、もっとも髪を真似た繊維でしかないが、女性として十分美しい顔とあわさって男に劣情を抱かせる。


「な~に? 褒めて欲しいの? ほんと、案外甘えたがりよね~」

「誰もそんなこと言ってないです」


 黒いワンピースは水着のように肌を押さえつけている。丈は長く、足首の少し上でふわりと膨らんでおり、まるでドレスのようだがこれも後衛用の立派な防具だ。

 ボブカットに切り揃えられた髪も黒く、青い目は獲物を眺めるように細まる。その視線の先ではイリックが強がっており、その様子がロニアにはたまらなくおもしろい。

 今回の調査メンバーは次の通りだ。

 イリック。

 ロニア。

 ゴルド。

 トゥルル。

 マリィ。

 コルコル。

 珍しい組み合わせと言える。

 イリックとロニアはどこにでも現われる冒険者だ。

 ゴルドとトゥルルは火の図書館に所属する研究員。

 マリィとコルコルはデフィアーク共和国で活動する冒険者。

 色々な縁によって出来上がった即席の六人組だが、イリックを中心にいくつもの冒険を潜り抜けてきたこともあり、今更不安がる人間はここにはいない。


「さて、早速進むぞい。どっちがいいんじゃ?」

「前回は左から向かいましたデス」


 この中で最も年齢を重ねているのは、六十代のゴルドではなく機械のトゥルルだ。いつ作られたか、それは今となってはわからないが、少なくとも活動を始めた時期はおよそ二百年前であり、イリック達がトゥルル遺跡を訪れるまでの間、無心でその中を警備していた。

 イリックと主従関係を結んだことで、トゥルルは感情のようなものをわずかに開放させる。

 その後、イリックやネッテ達と旅に出向いたことで、人間らしい感情を芽生えさせる。

 ゴルドはトゥルルの発言を受け、ほほう、と左を向く。自分達が立っている広間には左右に道が続いており、それ以外はあまり高くはない壁でぐるりと覆われている。

 ゴルドは今日も冒険者のような鎧を筋肉の上にまとっている。茶色いなめし革と黒い金属が折り重なったそれは特注品であり、イリックよりも太い体をがっしりと守っている。背中の黒い斧はダーク製であり、この六人の中で最も凶悪な武器を携帯していることになる。

 頭の上には白髪が生えているものの、若干枯れ気味なのは年齢のせいだろう。それでもその肉体は今なお衰えておらず、我先にとグングン進軍を開始する。


「へいへい、ゴルドのじいさん。俺も続くぜ」


 マリィは雰囲気も口調も男勝りだ。そんなところがイリックのハートを鷲掴みにしたのだが、残念ながら昨日ロニアからもたらされた事実によってすっかり意気消沈している。


「ゴーレムがいるかもしれませんデス。気をつけて」

「この面子ならどうってこともないわよ」


 トゥルルとロニアも続く。

 エムム遺跡およびサファ樹林には、濃い紫色の鉱石が人間の形を成したモンスター、パープルゴーレムが生息している。その体は鉱石そのものであり、安上がりな武器では到底太刀打ちできない。

 だからと言って心配はいらない。ゴルドの斧はダーク製であり、マリィの斧はミスリル製だ。イリックもミスリルソードを所持しており、トゥルルの拳やロニアの水魔法も通用する。

 すなわち、この六人の前ではたいした障害ではなく、それこそ二体、三体が現われようと、全く問題にならない。

 小さな広間と大きな広間を結ぶ二つの迷宮部分はかなり広大な場所だが、通路そのものはそれほど広くなく、六人は一列に並びながら淡々と突き進む。

 曲がり角ばかりの道は時折二手に別れるが、行く方向の目安さえ決めておけば迷っても問題ない作りになっており、そもそも最終的には必ずそこに辿り付けるような構造になっているため、モンスターとの急な遭遇に気をつけさえすればいい。


「お、スケルトンだ」

「本当に日中から出現するんじゃのう。今度ススリリやシャルロットを連れてくるか」


 先頭を歩くマリィとゴルドはほぼ同時にそれを見つける。人骨が肉や皮無しに立って歩いており、右手には今にも折れそうな灰色の片手剣を握っている。

 人間達の侵入に気づいていたのか、全身をカタカタ鳴らしながらゆっくりとイリック達に歩み寄る。

 長い直線が存在しない場所ゆえ、両者の距離はそれほど離れておらず、しかし誰も驚いたりはしない。

 相手はスケルトン。アンデッドに分類されるありふれたモンスターゆえ、冒険者にとっては言ってしまえば見慣れた獲物だ。


「少し手ごわいですよー」

「へ~。まぁ、問題ないさ」


 イリックの助言に耳を傾けながらも、背中の大きな斧をひょいと右手で構え、マリィはスタスタとスケルトンに接近する。

 それを合図に骨だけの異形が走り始めるが、イリックの心配など全く意味を成さないと証明される。マリィの実力は相応に高く、片手剣が振り下ろされるも、それよりも先に銀色の両手斧が白い骨をバラバラに粉砕する。

 エムム遺跡に生息しているスケルトンは確かに強い。夜の間だけどこからともなく姿を現すそれらよりも一回りは強敵と言えるが、比較対象があまり弱く、ゆえにマリィのような歴戦の冒険者にとっては歯ごたえのない相手だ。


「この調子で進むぞい。あれじゃのう。気づけば案外バランスの良いパーティになっておるの」

「ゴーレムも楽勝でしょうね」


 入り組んだ前方を見据えながら、ゴルドは自分達の組み合わせに唸る。

 ロニアも気づいているが、この六人は様々な状況に対応できるほどの柔軟さを備えているパーティだ。

 イリックは前衛攻撃役。もっとも、本質は後衛回復役だが、誰もそうだとは認識していない。何よりその高い実力がオールラウンダーとして押し上げている。

 ゴルドも前衛攻撃役。実際は後衛補助役だが、魔力とマジックポイントを半分失ってしまっている以上、本来の立ち回りは不可能だ。

 トゥルルは前衛攻撃役。高い耐久性を持ち合わせており、モンスターを一体程度なら十分足止めできる。

 マリィは前衛攻撃役兼盾役。ウォーシャウトを習得しているからこそ、その二つを両立させることができる。

 ロニアは後衛攻撃役兼回復役。ゲイルロドでの攻撃と、ヒーリングカレントによる回復で後ろから四人をサポートする。

 コルコルは後衛補助役。弱体魔法と回復魔法を習得しているため、多くの場面で貢献できる。

 攻撃要員が多いが、盾役と回復役がしっかり揃っているため、なんら問題ない。少なくとも、パープルゴーレムが相手なら決して遅れはとらない。

 それはこの戦いの直後に証明される。

 曲がり角を三つ曲がった先で、一同は前方から重い音を感知する。耳をすます必要すらないその振動は低音と高音が混じりあっており、一定の間隔で周囲の空気を震わせ続ける。


「ロニアさん、ください」

「リーベルタース」


 お手本を見せると言わんばかりにイリックが先頭に踊り出る。

 要求をあっさりと察したロニアは、自身の前方に水製で片手剣を作り出す。

 それは完成と同時にゆっくりとイリックを追尾し、まるでそこに収まることが当然のようにイリックの右手に握られる。

 臆することなく曲がった先には、予想通り紫色の物体が背中を向けて歩いている。顔だけが崩れ落ちたように存在しないそれは石像のようだが、手足は細く、胸付近は随分と太いものの腰はありえないほど細い。何より歩いている時点でモンスター以外の何物でもなく、イリックは自身の足音など気にも留めず紫色の巨体に歩み寄る。

 イリックの身長は百六十センチ後半。決して低くはない。

 一方、パープルゴーレムは首から上が見当たらないものの、それでも二メートルを越えている。

 両者の身長差は圧倒的だが、イリックは武器を所持しているためリーチに関しては劣っていない。


「何度見ても見事な魔法じゃな」

「感心するぜ」


 ゴルドとマリィの視線はパープルゴーレムよりもロニアの魔法に向けられる。高い魔力制御が可能とするこの技法はロニアだけのとっておきであり、水のように透き通っていなければ本物と見間違うほどに造形も美しい。

 その耐久性は決して高くはないが、モンスターと戦うには耐えられるため、及第点には達している。

 イリックの斬撃が広い背中に浴びせられたことでこの遭遇戦は開始されるが、もっぱらの話題はリーベルタースだ。


「憧れます!」

「金稼げるんじゃね?」

「あなたってすぐその方向に持っていくわよね」


 純粋なコルコルを他所に、マリィは水製の武器で金策ができないか持ちかける。とは言え、何も思いついておらず、具体的なことは本人に考えさせるつもりだ。

 ロニアはテレポートを仕事にする案を思い出し、小さく呆れながらもイリックとパープルゴーレムの戦いを眺める。


「マスター、身のこなしが向上してますデス」

「しごかれたらしいからのう」


 トゥルルは主の上達ぶりを目撃し、プログラムではない驚きの表情を浮かべる。

 ゴルドは他人事のように笑いながら、この戦いがそろそろ終わることを確信する。

 紫色の細い腕は長く、鉱石で作られた四肢にも関わらず柔軟に動く。だが、機敏性はそれほど高くはなく、赤いコートを羽織る少年を捉えるには至らない。

 すなわち剣撃を浴びる一方であり、水の片手剣によって体中を砕かれていき、やがてはその形を維持できずに崩れ始める。


「まぁ、こんなもんです。楽勝でしょうけど、見た目通りリーチはあるので気をつけてください」


 イリックは汗一つかかずに倒してみせる。言葉通り楽な相手だったが、マリィだけは見抜いている。

 パープルゴーレムは決して侮れないモンスターだ。今の実演ではただの雑魚にしか見えなかったが、それは相手を務めた冒険者が規格外なだけであり、もしマリィが一人だけで立ち向かった場合、傷の一つや二つは受けてしまう。

 ゴルドでも倒せるかもしれないが、マリィ以上に苦戦することは間違いなく、勝利の後には回復魔法が必須だ。

 トゥルルならイリックほどではないが問題なく倒せる。しかし、硬いとは言え機械の拳ではなかなか致命打は与えられない。ロニアのサポートが欲しいと言わざるをえない。

 すなわち、一人で立ち向かっていいモンスターではなく、そもそも自分達は六人いるため、そんな心配は必要ない。

 一同は歩みを再開し、薄紫色の壁で作られた迷宮をグイグイと進んでいく。道中、スケルトンやパープルゴーレムと何度も遭遇したものの、それならそれで倒せばいいだけであり、あっさりと目的地に辿り着けてしまう。


(あれ? モンスターが見当たらないな……)


 イリックは真っ先に違和感の正体に気づく。長方形の細長いフロアには過去に一度訪れたことがあり、その時はスケルトンとパープルゴーレムが闊歩していた。この広間を探索するためには先ずそれらを掃討しなければならず、今回も走り回りながらそれを順に倒すつもりでいた。

 しかし、それは杞憂に終わる。なぜか一体もモンスターの姿を確認できないからだ。


「へ~。ここがゴールかい? 静かなところだね」

「広~い」


 マリィとコルコルがずいっと通路から広間に移る。反対側は遥か遠くに見えるため、それほど面積が広くないエムム遺跡が巨大だと錯覚させられる。


「マスター、要警戒デス」

「うぅむ、おかしい……」


 トゥルルとイリックも二人に続くが、拭いきれない気持ち悪さが体にまとわりつく。

 ゴルドとロニアは不思議そうにその会話を見守るだけで、その理由には気づけていない。


「何がだい? モンスターの気配なんて感じないぞ?」

「そうなんですけど……。それがおかしいんです。前回はここにもうじゃうじゃいましたから」


 何も感じないマリィは能天気に振り向くが、イリックは目を合わせることなく周囲を観察する。

 広大なだけのここには一見すると何も見当たらない。だが、それは見落としているだけであり、広間の中央には楽譜台のような形をした突起物が佇んでいる。その近くには色の異なる床もひっそりと存在している。

 すなわち、それらしか見当たらない場所であり、この広間はそれだけのために存在している。

 しかし、ここにはモンスターもいるはずだ。少なくとも前回訪れた際はパープルゴーレムとスケルトンが目的もなしにうろついていた。

 いるはずのモンスターが見当たらない。それ自体は珍しいなりにもありえることだ。

 この世界はモンスターで溢れている。一方でそれの討伐を受け持つ冒険者も活動している。彼らが指定された場所のモンスターをクエストのために殲滅することは日常茶判事だ。その結果、そこは一時的に無人の平和な土地と化す。

 それ以外の可能性も考えられる。モンスターも突き詰めれば生物に他ならない。自分達よりも強い何かが現れれば、それらは尻尾を巻いて逃げ出すかもしれない。

 だが、ここはサファ樹林の最奥でひっそりと眠る古代人の遺跡だ。冒険者は当然ながら、モンスターの大移動が発生するとは考えにくい。

 少なくともイリックとトゥルルはそう結論付け、歩みを進めながら手がかりを探し始める。

 無人の場所ゆえ、少なくともふいに襲われることはない。モンスターが異常発生しているわけではないのだから、そういう意味ではうれしい誤算と言える。

 そんなずれた考えは、赤い髪の人間が視界に映ったことでかき消される。


「くそっ!」


 イリックは苦虫を噛み潰したように表情を歪ませる。苛立つように背中のミスリルソードを抜刀し、誰よりも先に先頭へ躍り出る。

 ぞろぞろと何かが近づいてきていることは先ほどから気づいており、その女はイリックの声に呼応してゆっくりと視線を向ける。


「――あ。奇遇ね」


 やる気のないその声は酷く冷たく、赤い長髪と大きな赤い目が薄紫の世界では際立つ。以前のような黒いローブ姿ではなく、ドレスのようにふわっとした丈の長い黒一色のワンピースをまとっており、その姿からはわかりにくいが、イリックはいっきに上昇させた警戒心を大事に抱きつつも冷静にその違いを分析する。


(あの女に間違いない。やけに身長が伸びてるのはコネクトのせいか?)


 イリック達よりも先にこの場所に居合わせていたこの女は、つい先日ネレネン王国でロメロンからコネクトを複製したイリンだ。

 だが、その時とは異なる容姿をしており、それは着ている服ではなく背格好が明らかに一致していない。

 イリンの身長はネッテよりはいくらか高く、ロニアよりは低かった。すなわち、女性の平均よりもやや下回る程度だ。

 しかし、遠方で一人佇むその女はイリックは当然ながらアジールよりも高身長だ。トゥルルほどではないが、それ以外の全員を上回っており、それでもこれがイリンであることは間違いない。

 血のように赤い髪は腰よりも下まで垂れており、一見するとかわいらしいクリクリした瞳からは精気が感じられない。

 何より独特な殺気と冷たさをまとっており、それが雄弁にこの女をイリンだと証明している。

 広間の中心に存在している突起物を前に、孤独な女は黒と赤の二色に染まりながら六人の接近をじっと見つめる。


「イリン……よね? 雰囲気変わってない?」

「少しでっかくなったようです。成長したのか、体が巨大化したのか、それすらもわかりませんけど……」


 ロニアは先頭をゆっくりと歩くイリックの後ろから自分達の敵を観察する。これ以上の接近は危険だ。本能がそう訴えかけるも、目的地はすぐ目の前にあり、何よりイリンも獲物の一人に違いない。


「冒険者か?」

「いえ。とりあえず……」


 マリィの問いに答えつつ、イリックは左手を横に突き出しながら背後の五人をせき止めるように歩みを終える。

 イリンとの距離はまだ三十メートル以上離れている。大声で話しかければ会話は成立するだろうが、今は相手の出方をうかがいつつも仲間との情報共有が最優先だ。


「じいさん。あいつがイリンだ」

「わかっとる。じゃが、以前、雷の図書館で見かけた時よりも随分と大人っぽいぞ」

「理由はわかんないけど、明らかに成長してる。不死身なんだから、それくらいはできるってことにしとこう」


 イリックは一ヶ月ほど前にイリンと遭遇している。それだけではなく、ロメロンと共闘する形で戦っており、何度か殺すことに成功するも、ロメロンのコネクトをマジックアイテムで複製され、それを自身に植え付けた後に逃げられてしまう。

 まるで子供から大人に成長したようなその容姿は、それでもやはりイリンに他ならず、ゴルドとしても自分の記憶と照らし合わせながら動揺する他ない。


「生け捕りにしますデス?」

「そうしたいけど、とりあえず殺すしかないだろうな。もしくは、話し合いができればそれがいいんだけど……」


 トゥルルとイリックのやり取りが、部外者のマリィとコルコルをぎょっとさせる。人間の女性に向けられる単語ではなく、その物騒な会話に眉をひそめる。もっとも、残りの四人はイリンを人間とは認識していない。

 ロニアはそんな二人にイリンとの経緯を手短に説明する。

 一方、イリックは一人で前進を再開する。イリンが真っ赤な瞳を向けたまま待ってくれており、攻撃してこないのなら先ずは言葉を投げかけることを選ぶ。

 戦っても勝てるかどうかわからない。何より殺すことができたとしても倒すことはできない。そういう相手な以上、平和的な手段はありがたい。


「よく会うわね」

「ひさしぶり。背伸びた?」

「例の魔法を受け入れるにあたって、従来の体じゃ容量が足りなかった。痛みを感じないはずの私も、今回ばかりは痛かった」


 イリンは平然と言ってのけるが、やはりそんな芸当は人間には不可能であり、イリックは警戒心を解くことなくゆっくりと二人だけの世界を構築する。


「コネクト、使えるの?」

「ええ。でも、まだ馴染んでない。相当な魔法。私の力と反発しあって……、ううん、共鳴? 大変だった」

「ふ~ん。ここで何してる?」

「あなた達と一緒。古代人の遺跡よ? 興味を抱かない方がおかしい」


 嘘は言っていない。

 嘘をつく理由もない。


「目的は何だ?」

「代理人として使命を果たす。それだけ。私にも質問させて。後ろの爺さんは火の図書館の館長よね? ここを本格的に調査するの?」


 イリンは少し離れた場所で集団を成している五人の中から、学者には見えない筋肉隆々のゴルドに視線を向ける。火の図書館館長ということを見抜いており、その程度の現状把握は済ませているということだ。


「サハハ遺跡を調べるついでとかなんとか。頭の良い人間の言うことはよくわからん」

「そう……。あの子がサハハ遺跡の調査を許すなんて……。しかもここまで。もっと言い聞かせておけばよかった」

「あの子?」


 イリックは新たな登場人物を想像できない。イリンに知り合いがいるとは思えず、しかし、その言い回しからそんな思い込みは払拭されてしまう。

 イリンにとっては失言かもしれないが、もはやそんなことはどうでもよく、そもそもここから先は身を潜める必要もなく、ゆっくりと口を開いて過去の出来事をさらけ出すように言葉を紡ぐ。


「神の名代。もう、どうでもいいけど。便利だから利用してた。それだけ」


 そう。もはや興味もなければ利用価値もない。この先は自分一人で歩むつもりでいる。そのための力も使命も備えている。

 もっと遊びたかった。しかし、そんなことは言っていられない。愚か過ぎる存在達を地上から消さなければならない。それが自分に与えられた天啓であり、そのための手段を探し求めて今ここにいる。

 一方、イリックはやはり何もわからない。神の名代がガーウィンス連邦国の国家元首であり、イリンを雷の図書館に推薦した人物だとはわかっているが、それ以上のことは一切把握できていない。

 その事実が本人の口から暴かれたのだから多少驚きはするも、具体的なことまでは白状していないため、彼女に何をしたのか、何をさせようとしたのか、大事なことはまるでわからない。

 ゆえにもっと問い詰めなければならない。そのための質問を投げかけようとした時だった。


「ここを調査するにあたって、護衛に冒険者なんかを連れてる。それはわかる。でも、何であれがここに?」


 そう言い終えるや否や、長身のイリンは黒いワンピースを揺らしながら長い右足を一歩踏み出す。

 次の瞬間、イリックはその場からイリンの姿を見失う。眼前にいたはずのそれは既にそこにはおらず、振り返った時には既に始まってしまっていた。


「クズ置き場で見かけた。壊れてなかったんだ」


 一同は驚くことしかできない。遥か前方でイリックと向かい合っていた女が、突然目の前に現われたのだから。

 それだけではない。トゥルルの左腕を掴んで持ち上げており、顔の前でマジマジと観察するように見つめている。

 まるでイリックのコネクトのような芸当だが、イリンは何もしていない。ただただ速く移動しただけだ。


「あなた、トゥルルのガーディアンよね? どうしてここに?」


 イリンは知っている。

 トゥルルがどこにいたか。

 何のために作られたのか。

 ここにいることがいかにありえないか。

 なぜなら、目撃したからだ。その遺跡で、人間を模して作られた機械の人形が放置されている様を自身の目で確認している。

 ゆえに不思議でならない。トゥルル遺跡はトリストン大陸の北西に位置する。現在地は真逆の南東だ。最も離れた位置と言っても差し支えない。にも関わらずここにいる。何より、こうして動いていることが驚きだ。少なくとも、事情を知らないイリンは首を傾げてしまう。


「マスターと出会い、私はここにいるデス」

「ふ~ん。何がきっかけで起動したんだろう。まぁ、どうでもいい」


 そう。イリンにとってトゥルルはどうでもいい。興味の対象には違いないが、今はそれよりもやることがある。だが、ことのついでだ。研究のし甲斐がある存在が自ら現われてくれたのだから、放置する理由もない。

 イリンはいとも容易く、掴んでいたトゥルルの左腕を握りつぶす。

 この行為もありえない。少なくとも、イリックには真似できない芸当だ。トゥルルの体は非常に丈夫な装甲で覆われている。スチール製の武器程度では傷一つつけられない。ミスリルの武器でやっとダメージを与えられる頑丈さはトゥルルの専売特許であり、どんなモンスターが相手であろうと、先陣を切って戦える利点は多いに重宝する。

 そんなトゥルルの腕をイリンはあっさりと砕き、手に持った腕の残骸をマジマジと観察する。探究心の塊ゆえに、本当ならトゥルルを丸ごと持って帰りたいだが、残念ながら代理人としてやるべきことがある以上、そこは大人しく自重する。

 もっとも、この行動は六人にとって戦闘開始の合図となる。

 真っ先に動いたのはトゥルルだ。機械ゆえに傷みを感じないことと、相手が目の前にいること。何より、右腕は残っており、攻撃対象が人間の姿をしていようと関係無しに全力の右ストレートを綺麗な顔に叩き込む。

 だが、当たらない。まるでその軌道が見えているように、風を切る硬い拳は寸でのタイミングで避けられてしまう。

 首から上を素早く右に傾けて機械の腕をやり過ごしたイリンは、一旦そこから離れることを選ぶ。マリィとゴルドがそれぞれの両手斧で斬りかかってきたからだ。

 重い二つの攻撃は薄い紫色の床を激しく砕くも、既にそこはもぬけの殻であり、その動きを追えた人物は少し離れた位置に立っていたイリックくらいだ。


(やっぱり速い……。体が成長して身体能力も高まったのか?)


 イリックは聞かされている。ネッテとアジールがサラミア港で苦戦したことを。その動きはネッテと互角だったが、今のそれは明らかに別次元だ。

 五人がイリンの姿を見失ったタイミングで、冷徹な声がありえないことを言い出す。


「もしかして、二百年前から動き出した?」


 イリンが何を言い出したのか、全員が理解できない。声の方へ振り向くと、真っ赤な両目はトゥルルを見つめており、その質問が誰に投げかけられたかは容易に想像できる。


「はい。二百九年前に私は目覚め、それ以降トゥルルを警備し続けましたデス」

「ふ~ん……。私のせいか」


 トゥルルはトゥルル遺跡に放置されていたが、何らかの理由で目を覚まし、活動を開始する。与えられた初期任務がトゥルル遺跡の護衛であり、以降休むことなく継続する、トゥルル自身、なぜ起動することができたのかは未だにわかっていない。

 そのきっかけが自分だとイリンは言ってのけるが、そんなことは信じられるはずもなく、ロニアは作り終えた水の槍を何の前触れもなく発射する。

 その速度は並の冒険者の動体視力を振り切っており、何より考え込むイリンの虚を突くことに成功する。

 気づいた時には遅く、ドレスのような黒いワンピースから伸びる露出した右腕は、肩の先から完全に消し去られる。

 ロニアの魔力は高い。その結果、繰り出される水の魔法は突出した威力を誇り、イリンという常軌を逸した存在にも通用することが証明される。

 だが、倒せない。ただの人間ならこれで終わりだが、この女は痛みを伴わないばかりか、この状況に怯みもしない。切り落とされたように失った肩から先を興味なさそうに確認し、次いでこの実行犯に視線を向ける。


「ああ、あの時の女。へ~……、今はあなたも呪われてるのね」

「やっと気づいたの? 案外とろいのね」


 臆さない。両者は相手の目から視線を外さない。

 イリンは流れ落ちる血液で床を真っ赤に染めながら、平然とその場に立つ。

 ロニアは再開を喜ばずに二本目の槍を頭上に生成する。

 二人は出会っている。

 イリック達は火の大精霊から真紅の布地を譲り受けた後に、雷の図書館へ出向く。この生地からイリック用の防具を作ってもらうためだ。

 そこで職員に紛れていたイリンはロニア達と遭遇し、ネッテとアジールが未知の呪いに犯されていることを見抜く。

 その時はまだロニアまでは呪われておらず、しかし今はその一人に成り果てていると指摘する。

 コネクト。これの対象に選ばれた人間は呪われる。そのことをロニアは見抜いており、だからと言って嘆きはしない。他人から見れば呪いかもしれないが、自分達にとってはそうではないと胸を張って言い切れるからだ。

 ゆえに当然のことを今更言われてもこれっぽっちもうれしくはなく、ロニアは毒づきながら攻撃準備を進める。

 殺せない相手ではない。自身の魔法が通用するのだからそう考えることは当然であり、即席の六人パーティだが連携次第では追い詰めることも可能だと判断する。


「おまえの相手は俺だ」


 その声が届くと同時に、イリンの体は銀色の剣身で貫かれる。イリックが隙だらけの背後からミスリルソードを突き刺す。


「私には全部ゴミなんだけど」


 イリンは平然と言ってのける。右腕と腹部の損傷は十分致命傷だが、それは人間にとってのものさしであり、この女にとっては少しだけ消耗するだけのささいな出費に過ぎない。


「そうかい」


 そんな発言には耳を貸さず、イリックは片手剣を振りぬき、ついでの如く左腕と首を切り落とす。

 この状況にはゴルドとマリィ、そしてコルコルも目を背ける。無残な死体が目の前に完成したのだから、本来は直視できる方がおかしいのかもしれない。

 だが、そんな常識は次の瞬間に粉砕される。


「無駄」


 冷徹な声は、切り落とされ地面に転がる顔から発せられる。

 倒れこむ両腕のない体からは右腕が瞬く間に生え、分断された左腕とは血液が触手のように伸びて結合を果たす。

 頭のない長身の体はそのまま立ち上がり、首からの出血もいくらか落ち着いている。

 この光景はゴルド達の認識を改善する。わかってはいたが、これはもはや人間ではない。姿を模したアンデッドか何かだ。そう捉え直し、イリックとイリンの動向を見守る。


「頭ついてないぞ」

「それでも構わない」


 イリックの指摘をあっさりと受け流し、イリンは成長したからこそ可能となった戦い方を見せつける。

 イリンの前方に小さな青い炎のともし火が数え切れないほど発生する。それらは大雨を横方向に降らせるロニアのスカウリングドロップのように、攻撃対象へ一斉に発射される。


「燐火。ただの炎じゃない」

「赤くない時点で言われるまでもない!」


 ここからは二人だけの戦いだ。残念ながら、ゴルドやロニアには加勢すらままならない。異次元の戦いについていくことはできず、それはマリィやトゥルルといった実力者をもってしても変わらない。コルコルも唖然とするしかなく、自分の常識が音を立てて崩れていくことを感じることしかできない。

 イリンの全てを振り切った魔力から放たれる魔法はそれが小さなサイズであろうと殺傷能力を十分持ち合わせており、それを証明するようにエムム遺跡を構成する未知の鉱石は蝋のようにドロリと溶けていく。

 イリックは後方に下がりながらもそれらのほとんどを回避してみせる。大雨の中で頭上から降りしきる雨粒を回避するようなものであり、避け切れない攻撃はミスリルソードで弾き、それすらも間に合わない分はブレイズマーシャラーに防いでもらう。


「きりがないな」

「それはこっちの台詞」


 イリックはこの程度で負けはしない。少なくともほとんどの冒険者はこの攻撃で絶命するだろうが、この男までは倒せない。

 イリンは無尽蔵に匹敵するマジックポイントを所持しているがゆえに、握りこぶし程度の炎を延々と発射し続ける。それでもなお、底が見えない。何十分であろうとこの行為を続けることは可能であり、その規格は完全に人間を超越している。

 このままではエムム遺跡が破壊される。そう判断した両者は、それぞれの攻撃手段に推移する。


「コネクト」


 イリックは自慢の魔法を発動させる。途端、薄い色の世界が灰色に染まっていく。味気ない景色はさらにそれを加速させ、戦場の轟音だけが響くこの場所は完全に沈黙する。

 そんな中、イリックとイリン、そして離れた場所の五人だけはその色を維持し続けるが、イリックとイリンだけはそれ以上の領域に辿り着いている。


「これがあなたのコネクト。すごい」

「おまえもな」


 イリンは静止した時間の中で動いてみせる。転がる自身の頭を拾い上げ、本来あるべき場所にそっと添える。それだけでこの傷は癒えてしまい、黒いワンピースがいくらか破れてしまったことを除けばすっかり元通りの状態だ。


「私のこれは少し違う」

「へ~、見せて」


 時間は動き出す。それでも両者は会話を続ける。


「やだ。まだ使いこなせないから」

「なら、倒すなら今の内ってことか。デュアリズム」


 そういうことだ。実力を出し切れないと白状した以上、その機会は今しかない。イリックは攻撃を二重化させるデュアリズムを発動させて接近を開始する。そのまま突き殺すつもりで自慢のミスリルソードを前へ突き出した時だった。


「なな!?」


 なんと。そう言うことすらできず、それでもイリックは突き刺しに向かう。

 驚いたこととは関係なしに、イリンはさっと跳ね除け突進してくる赤いコート姿をやり過ごす。

 イリックはそのまま通り抜け、ゆっくりと立ち止まりながら涙を浮かべてしまう。当然だ。こんなことは想定しておらず、嗚咽の声を漏らすことしかできない。


「ミスリルソードちゃんが~」


 溶けている。武器としてはまだ使えるかもしれないが、剣身がドロリと丸みを帯びている。もはや鈍器に近いこれで何かを斬ることはできず、イリンの体を叩き潰すことは可能だろうが、切り裂くことは不可能だ。


「なんと……。ミスリルじゃぞ!」

「たまげたね~」


 ゴルドとマリィも驚嘆する。本気で泣いているイリックがかわいそうだが、今はそれよりもこの事実に呆然とする。


「そういえばネッテちゃんも言ってたわね。デフィアークの常駐軍もミスリルソードを完全に溶かされたそうよ。ご愁傷様」

「これはまずいデス」

「どうしよう!」


 ロニアは思い出す。サラミア港でイリンに立ち向かった軍人がイリンのフレイムを両断するも、その結果武器を失ったとネッテ達から聞かされる。

 トゥルルは戦況の劣勢具合を冷静に分析する。魔法で戦えるイリンとは対照的に、イリックの主たる武器は片手剣だ。現状、代えの効かない武器であり、それが剣から鈍器に変貌してしまった以上、こちら側の主戦力であるイリックの戦力低下はダイレクトに響いてしまう。

 コルコルには打開策など思いつかない。圧倒的な魔力差は肌で感じており、自身の弱体魔法が意味を成さないことは既に承知している。やれることはキュアだけであり、しかしイリックはまだほとんど負傷していない。ゆえに今は見守ることしかできない。

 それでも問題ない。コネクトを発動させた今、イリックは自身で武器を作り出すことが可能だ。ゆっくりと泣き止み、今は戦いを再開させることを選ぶ。


「ぶっ倒す!」

「逆恨みのような気がする」


 イリックが燃えたぎるほど、イリンは冷めていく。そんな両者の空気感は、次の瞬間に一致する。


「オムニシエンス」


 イリックの詠唱は一瞬だ。これはそういう魔法であり、眼前に湧き上がった水は瞬く間にその形を変化させていく。

 剣先が細いそれは半透明な片手剣であり、握るためのそこにはきめ細かな模様が施されている。

 左手にいくらか溶解したミスリルソードを持ち替えたことで空いた右手が、眼前のこれをガシッと掴み取る。

 この武器なら炎の魔法に臆することはない。火と水の相性は抜群であり、もちろん有利な属性は水の方だ。


「それ……。あぁ、あの女の魔法。ん? ちょっと待って」

「待つかよ」


 イリンは気づく。イリックが、もしくは自身が何か思い違いをしていることに。だが、その言葉を遮るように戦闘は再開される。

 悲しみを乗り越え、第二ラウンドのゴングが鳴り響く。



 ◆



「これがイリックの本当の実力かい? こんな人間、冒険者の中にも見かけたことがないぞ」

「そうじゃのう……。ただただ感心じゃ」


 マリィとゴルドは目を疑う。だが、眼前の出来事は事実であり、今は呆れることしかできない。


「一ヶ月もデフィアークでしごかれてたもの。元々ポテンシャルは高かったんでしょう? ネッテちゃんを見てれば十分理解できるわ。ああ、でも、血の繋がりはないんだったわね」


 ロニアの発言がさらに一同を驚かせる。このタイミングでそんな事実を明かされるとは思ってもおらず、イリックとネッテの仲睦ましい兄妹っぷりを知っている四人は目を丸くする。


「そ、そうなんですか?」

「ええ。昨日、水の図書館で発覚したわ」

「あの装置を試したんか。そうか……。って今はそんなことどうでもいいわい!」


 コルコルは素直に驚くが、ゴルドは慌てて思考を立て直す。二人だけの激戦から目を離している場合ではない。


「マスター、押されていますデス」


 この中で唯一、イリックとイリンの速度をいくらか追えるトゥルルが頭部に積まれた集積回路で分析する。

 状況は良くない。つまり、イリックは勝てないということだ。どうすることもできない戦力差が両者にはいくつも存在している。

 力。すなわち腕力。

 速さ。脚力や反射神経。

 魔力。魔法の威力。

 マジックポイント。魔法の残数。

 イリックはこれらで負かされている。それでもある程度渡り合えている理由は簡単だ。

 剣術の習得。接近戦はイリックに分がある。

 スタミナ。これに関してはどちらもまだまだ余裕がある。

 ゆえに、イリックは五分を越える消耗戦を継続できている。

 だが、決して覆せない要素が存在している。イリンが決して死なないことだ。

 腕を切り落とそうとも、足を切断しようとも、顔に刃を突きたてようとも、この女にとっては一時的に動きが鈍るだけに他ならない。

 一方、イリックはダメージが蓄積する。回復魔法で傷を癒すことは可能だが、少ないマジックポイントが足を引っ張っている。

 ガイストピアスによってマジックポイントは随時補給されていくものの、消費量には追いついていない状況だ。

 イリックは左手のミスリルソードを左から右へ振りぬく。斬れなかろうと武器としては十分使えており、イリンの長身はゴギッと折れ曲がる。

 だが倒せない。痛みを感じないのだからそんなことは気にも留めない。体が動く以上、戦闘行為は可能であり、前に突き出した左手から青い炎の玉を撃ち出す。大きさは人間の顔くらいであり、決して避けにくい攻撃ではない。

 しかし、タイミングが悪い。攻撃を実行した直後ということもあり、イリックは胸にそれを受けてしまう。

 球体だったそれは弾むように伸縮し、形の変化に耐え切れなかったのか、小さくボンと爆発する。


「ぐぅ! キュア!」


 イリックは後方に吹き飛ばされながらも絶命の危機から脱却する。白い光に包まれたことで体内と胸部付近の損傷は一瞬にして癒える。

 戦いづらい。痛がらない相手がどれほど手ごわいか、イリックはこの戦いで十二分に思い知る。自分の体を担保に攻撃を繰り出せるのだから、イリンに勝てる人間などいるはずもなく、それでもまだ諦めるわけにはいかない。


「あなたも人間辞めてるわね」

「失礼なこと言いやがって……。俺は普通に泣き叫ぶわ。キュアでなんとか命を延命できてるだけだっつーの」


 イリンはその規格から外れている。研究の成果であり、自ら望んでその領域から脱却している。

 イリックはただの冒険者だ。その強さは秀逸かもしれないが、それでもまだまだ上がいる。トリストン大陸だけでも数え切れないほどうじゃうじゃしており、少なくともデフィアーク共和国の軍人である軍長達には到底敵わない。

 だが、今のイリックはコネクトを発動させている。ゆえにその強さはイリンの言う通り、常人のそれではない。

 ネッテの戦技。デュアリズムとアサシンステップ。

 アジールの戦技。ウォーシャウトとインビンシブル。

 ロニアの高い魔力と魔法。オムニシエンス。

 これらを使える後衛回復役がイリックであり、そういう意味では十分人間の領域から足を踏み外している。

 少なくともトゥルル達はイリンの言い分に同意する。反論できるはずもなく、常識から外れた戦いはこの二人だからこそ可能だと納得する。


「なあ。イリックはさっきから何をやってるんだ? いい加減教えてくれよ」


 マリィにはわからない。コルコルも同様だ。

 イリックはアサシンステップと水の魔法を使用している。それらは前衛攻撃役とロニアの専売特許であり、後衛回復役には決して扱えない。

 だが、イリックは使う。そういう魔法を発動させているからであり、マリィとコルコルにはまだ知らされていない。


「無事帰ったら話すわ。そういえば教えてなかったわね」

「ちぇ。まだ何か隠してやがったか。やれやれ……、そういうところがかっこいいのかもしれないけどな」


 ロニアは気づく。マリィとコルコルにはテレポートを打ち明けているが、それ止まりだということを。

 イリックの最大の秘密はコネクトであり、それについてはまだ教えていない。

 マリィはぼやく。底の見えない男の魅力に気づかされたものの、最後の一言は冗談でしかない。

 だが、イリックはきっちり聞いてしまう。水の剣を振りぬくと見せかけ、回転蹴りでイリンを吹き飛ばした直後に、その発言を拾ってしまう。


(まじで!?)


 残念ながら本心ではない。だが、そんなことを当事者が汲み取れるはずもなく、うれしそうな表情でマリィを注視する。


「隙だらけ」

「ぐはっ!」


 先ほど切り落としたイリンのすらっとした右腕が、イリックの後頭部に直撃する。投げたわけではない。独りでに地面から飛び跳ねる。

 そんな事情など知らないイリックは、痛む頭を撫でながら涙目で振り向く。


「よくわかった。まだまだこの体に馴染めてない」

(それでこんなに強いのか……。本当にやばいな)


 イリンは嘘を言っていない。身長が二十センチ以上も急激に成長したことで、頭と体に不一致が生じている。もとより近接戦闘を行う機会は少なく、イリックとの戦いはおよそ全力には程遠い。

 それでもイリックは勝てない。何度も殺せてはいるが、倒せないのならそんな行為に意味はなく、このままでは確実に殺される。


「時間と……練習が必要。今はそれだけで十分」


 イリンの言い回しにイリックは疑問を抱く。何かを成すために強くなろうとしており、その目的が自分達にとって厄介なことではと直感的に理解する。


「おまえ、本当に何なんだ?」

「足りない頭でせいぜい考えて。そんなことまで教える義理はないもの。ここまで遊んであげたこと、感謝して」


 両者は相手を睨む。互いが互いを認識してはいるが、どちらも相手のことを理解できていない。

 一瞬の静寂が訪れるも、戦いはここまでだと宣言されたことで状況はいっきに悪化する。

 イリンの体から放たれた重圧は瞬く間にエムム遺跡を飲み込む。それは目に見えない何かだが確実にそこに存在しており、人間にとっては毒でしかない以上、ゴルド達は瞬く間に戦慄する。


「これは!? イリック!」


 ロニアは知っている。北の地で長時間晒され、意識を根っこの部分から蝕まれたことを忘れるはずもない。


「マスター。これは危険デス」


 トゥルルは知っている。サハハ遺跡の最奥で、追い詰めたはずの男から一瞬だけ放たれた漆黒の波動だ。


「な……」


 もはやしゃべることすら許されない。ゴルドはかろうじて意識を保つも、唇は決して動かない。トゥルル同様、以前に一度味わっていたことが功を成し、心身ともに凍らせながらも風前の灯を消さずに済む。だからといって決して幸せではない。いっそ気絶できた方がマシだとすぐに気づかされる。思考は止まり、歩くことも現状を把握することもできない。ただただ味わってはいけない恐怖に苛まれ続けるこの状況は、人間にとって最悪の絶望だ。

 マリィは膝をつく。ゴルド同様ギリギリのところで踏ん張るも、体の震えは止まらず、自分がいかにちっぽけな存在か思い知らされる。抗おうとすら思えない格の違いを思い知り、人間にできることはひれ伏すだけだと本能が思い出す。

 コルコルは倒れる。生物として決して覆すことができない圧倒的な差を前に、一瞬で意識を刈り取られる。これが正しい反応であり、人間にとって唯一の救いと言える。


「シンイか!」

「そう。その気になればいつでもこうすることができる。もちろんこれだけじゃない」


 驚くイリックとは対照的に、イリンは冷静だ。

 イリックの足元に転がってる右腕がふわりと浮き上がり、出血が停止しているむき出しの右肩に結合する。

 回復を確認するように右手の指を動かし、次いでその腕をさっと伸ばす。

 その動作はイリックではなく他の五人に向けられる。それを合図にイリックは抗うこともできずに吹き飛ばされる。体に巻きつけられた見えない糸で急激に引っ張られるような感覚はただただ不気味であり、この状況を理解するよりも先に棒立ちのロニアと勢いよくぶつかってしまう。


(な、何が起きた?)


 そんな疑問を抱きつつも今はすることがある。イリンを視界から外してはいけない。その危険性は今までのどの敵よりも脅威であり、一瞬でも隙を見せてはいけないと本能レベルで承知している。

 冷たい床から立ち上がり、イリックはすかさず倒すべき相手を睨む。隣で伏すロニアも心配だが、冒険者である以上この程度で死にはしないため、今は後回しにしなければならない。


「この野郎……」

「マスター。このままではゴルド達が死んでしまうかもデス。ウーディの比ではありませんデス」


 怒るイリックにそっと歩み寄り、トゥルルは現状を報告する。

 イリンから放たれた絶対的な圧力はイリックとロニア、そしてトゥルルには通用しない。イリックとロニアはコネクトによって守られており、トゥルルはそもそも人間ではない。

 だが、ここには抗えない人間が三人もいる。ゆえに長居は危険なのだが、自分達にとり得る手段は二つしかない。

 イリンに攻撃し、シンイを解除させる。

 この場から撤退する。

 後者なら可能かもしれないが、それには十一秒必要だ。転送魔法テレポートはそれだけの詠唱時間を要するため、イリンの動向によっては難しい。


「あの男を知ってる? あぁ、そういうこと……」


 そんな中、イリンは以前から抱いていた疑問の答えに辿り着く。目をつけていたおもちゃが誰に壊されたのか、不思議だった。それが眼前の集団だと知り、少しだけ胸のもやもやが晴れていく。

 当然そのつぶやきはイリックにも届き、こちらも新たな真相に辿り着く。


「おまえが、雨の日に力を与えた女?」

「ええ。そこまで知ってるんだ。二十年も前のことなのに」

「――おまえ、年齢はいくつなんだ?」

「女性にたずねることじゃない」

「ごもっとも」


 今更人間の振りをされても気持ち悪いだけだが、イリックは少しだけ納得してしまう。


「シンイが効かない人間なんてやっぱり気持ち悪い。ここで殺しておく」


 その発言にはやはり嘘がない。イリンにとっての本心であり、コネクトという魔法を得た今となってはイリックの存在など邪魔でしかなく、五人の人質がいる内に厄介な男の抹殺を開始する。

 先ずはロニアが利用される。イリック同様シンイの効かない謎の存在だが、この状況では手駒でしかない。張り詰めたゴムが縮み始めた時のように、身長百六十一センチの体がイリック目掛けひっぱられていく。


「え?」

「キャッ!」


 イリックは驚き、ロニアは悲鳴をあげることしかできない。何の前触れもないこの攻撃に備えることなどできるはずもなく、両者はそれほど離れていたわけではないが、助走もなしに最高速度を実現させながら先ほど同様激突する。

 ただの人間ならこれだけでも絶命だ。二人は冒険者ゆえに耐えられるが、ダメージの蓄積には繋がる。ましてやこれを繰り返されようものなら、もはや戦いにすらならない。


「足手まといを連れて来たことを嘆くのね」


 イリンは冷たく言い放つ。この発言が何を意味するのか、イリックとロニアはすぐに気づかされる。

 途端、絶望に飲み込まれるゴルドとマリィが弾丸のように移動を開始する。標的はもちろんイリックであり、よろめいていた手前、回避はおろか防御体勢にも移行できず、硬い鎧を着た二人に吹き飛ばされる。

 次いで、倒れこむコルコルと横たわるロニアが選ばれ、二人は地面に擦られながらもイリック目掛けで発射される。


(これはやばい!)


 トゥルル以外の四人が攻撃手段として扱われている。それらは攻撃魔法のように素早く移動する上、絶え間なく標的を襲う。波状攻撃から逃れる術はなく、イリックは何度も押しつぶされていく。

 事態はそれ以上だとも理解できており、自分はどうとでもなるが、その前に四人が参ってしまうことを自覚している。現にロニアとコルコルは虫の息だ。

 ゴルドとマリィは丈夫な鎧と厚い筋肉によって守られており、このままでもいくらかは耐えられる。

 一方で後衛の二人にとっては、この状況は拷問でしかない。全速力で自ら壁にぶつかりに行っているようなものであり、対象は壁ではなくイリックだが、その威力は全速力のそれ以上ゆえ、体には過剰な負荷が加わっている。

 これ以上は彼女達の体がもたない。ゆえにイリックは決断する。倒すためではなく、この場から脱却するための手段を講じる。


「インビンシブル」


 温存していた最終手段を披露し、迫り来るロニアをやさしく受け止める。間髪入れずに迫るコルコルも左腕でキャッチし、ゴルドとマリィに関しては背中でガツンと受ける。

 ロニアとコルコルを抱きかかえ、ゴルドとマリィに背後から寄りかかられている図式が完成する。本来ならば圧縮されてしまうのだが、インビンシブルによってそれは阻止される。


「へ~。そんな戦技も使えるんだ。さかしい」


 イリンは目を見開く。パラディンにしか使えないこの戦技は非常に珍しいため、今は素直に驚かされる。


「おい、女。今回はこれくらいにしてやる」

「それは私の台詞」

「次会ったら絶対倒すからな! 覚えてろよ!」


 イリックは負け惜しみにも似た発言を投げかけつつ、裏ではひっそりとテレポートの詠唱を開始している。

 もちろん、イリンはそれを見抜いており、だからといってそれを阻止するつもりもない。殺すつもりではいたが、逃げるのならそれはそれで構わない。イリンにとってイリックはその程度の雑魚であり、次の機会があるのなら、その時に殺せばいいだけの存在だ。


「イリック。この名前忘れないであげる」

「おう! トゥルル、飛ぶぞ」

「はい、マスター」


 テレポートの詠唱はもうすぐ完了する。もちろん近くに立っているトゥルルもその対象であり、撤退はもうすぐ成される。


「代わりに覚えて。私の名前はリイン」

「イリンじゃない?」


 答えを確認するよりも先に、六人の姿はその場から消え去る。

 そう、イリンは偽名だ。ガーウィンス連邦国に潜伏するためには必要なことであり、その理由はゴルドとロニアによって明かされる。

 エムム遺跡の広間は真っ赤に染まっている。リインと名乗った女とイリック達の損傷の結果であり、この惨状においてもここの機能が失われることはない。

 それを調べるために訪れたリインは、その場でゆっくりと膝をつく。


「まだまだみたい。これじゃ返り討ちにあうかも……。一旦休まないと」


 リインには目的がある。そのためには自身の力を存分に発揮しなければならず、その境地には辿り着けていないことを今の戦いから学ぶ。

 そういう意味では幸運だったのかもしれない。本番の前にそのことを知れたのだから、今はまだ引き返すことができる。

 リインもまた、この場から消え去る。

 体を休めるため。

 体の操縦錬度をより高めるため。

 目的を果たすため。

 一ヶ月の休息により随分と上達したものの、もう一歩先まで踏み込まなければならないと自覚できた以上、再び眠りにつくことを選ぶ。

 この安息は一時の平和をトリストン大陸にもたらすが、それは嵐の前の静けさでしかないと、多くの人間が知ることとなる。

 イリックとリイン。二人の戦いはまだ終わっていない。


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