釣りをしたい兄、魚を食べたい妹
イリックはこの潮騒を知っている。十八年間、共に過ごした場所だからだ。
ネッテはこの匂いを懐かしく感じる。十五年間の思い出に欠かせない要素だからだ。
吹く風は二種類。
海の匂いを目一杯溜め込んだ南風。
アイール砂丘の白い砂を含む迷惑な北風。
どちらもここに住む人間には当たり前であり、それはこの兄妹も同様だ。
ここはサラミア港。
整備された道などなく、踏み固められた白い地面がまさに道路のようなものだ。
大きな建物は二つ。町長官邸とギルド会館だ。
町長官邸は町の端にある高台に、ギルド会館は町のど真ん中にどっしりと建てられている。
イリック達の実家も比較的隅だ。アイール砂丘からこの町に移動すると左右は住宅街なのだが、その中の一つが自慢の実家だ。
「釣れないね~」
「暇ね」
ネッテが地平線まで続く青い海を眺めてつぶやく。
ロニアもそれに続く。
「釣りはこんなもんです」
「まだ一匹も釣れてない」
釣竿を握るのは当然イリック。
隣のアジールは中腰のまま釣り糸を眺める。
四人は久しぶりにサラミア港を訪れた。理由はロニアの服を買うためだ。防具を兼ねており、非常に重要な買い物と言える。
サラミア港には裁縫ギルドが存在する。そこでは様々な服を作っており、それは三大大国にも輸出されている。
しかし、ここでしか売られていない衣服も存在しており、今回の買い物はまさにそれが目当てだ。
タイトワンピース。その名の通り、ワンピースの一種だ。違いはその着心地であり、肌をきゅっと締め付けることから、自ずとボディラインは他人から丸分かりになってしまう。
ロニアの豊満な胸も、すらっとした腹回りも、大きな尻に走る下着のへこみも、全て表現されてしまう。
ロニアは今まで、丈の短いタイトワンピースを愛用してきた。ゆえに太ももは完全に露出しており、破廉恥極まりない。
イリックとしてはそれで良かったのだが、どういうわけかロニアの好みは変化する。
丈が長いのを欲しいわ。
タイトワンピースに変わりはないが、スカートの丈はぐっと伸び、ゆとりのある布地が膝の下でゆらゆらと揺れ動く。
それが欲しいと言われれば、イリックとしては買ってあげるしかなく、そもそもウーディとの戦いで一着ダメになってしまったタイミングだったことから、金策を終えた一同はサラミア港で新たなタイトワンピースを購入する。
今はそれが済んだ和やかな午後のひととき。
イリックが故郷での釣りに出かけるということから、女性三人もついていくことにした。
イリックが釣り糸を垂れてから、かれこれ三十分。当たりはまだない。
「何釣れるの?」
「イサシです」
ロニアの問いかけにイリックは即答する。釣りに関することなら何でもお答えします。そんなオーラを醸し出しながら、じっと釣竿を握る。
「美味しいよね!」
ネッテの感心は味だけだ。昼食を食べてまだ数時間も経過していないが、ネッテの口からは涎が垂れる。
「夕食はイサシ料理かしら?」
「いいねいいね! お兄ちゃん! いっぱい釣ってね!」
「ほいほい」
ロニアの案にネッテが全面的に賛成する。
自分の釣果で夕食の献立が決まってしまうこの状況に奮い立ちながら、イリックは比較的新しい釣竿をぎゅっと握る。
「お、イリックじゃねーか」
「あ、ご無沙汰してます。さっき生餌買わせてもらいました」
海を眺める四人の後ろから、つるつるの頭を輝かせながら強面の男が歩み寄る。イリック達が先ほど寄った釣具店の店長であり、当然顔なじみだ。
筋肉隆々というほどではないが、常日頃から荷物を運ぶため、体つきはまさに海の男そのものだ。黄色いエプロンは釣具店の正装のようなものであり、その胸には魚の刺繍が施されている。
「ネッテちゃんも久しぶり」
「久しぶり!」
店長の顔はいささかいかついが、それは見た目だけであり、中身は非常に穏やかだ。満面の笑顔をネッテに向ける。
ネッテも久しぶりの再開がうれしいのか、ピョンと跳ねて右手を挙げる。
「美人なお二人は……、お仲間さんかい?」
「ええ。ロニアよ」
「アジール」
二人はしゃんと姿勢を正し、店長に向き合う。
「イリック、ちょっとこっち来い」
「なぜ?」
来い来い、と手招きする店長の後をイリックは渋々追う。釣竿はとりあえずネッテに持たせる。
「なんだ、あの美人さん達は?」
「え、仲間って自分で納得したじゃないですか?」
ぐいっと太い腕を首元にまわされながら、イリックは何言ってるの? と表情でも訴える。
「なんであんなに美人なんだよ?」
「知りません。それこそ二人に訊いてください」
「そうじゃない。なんであんな美人を仲間にしてるんだよ?」
「成り行きです。俺が選んだんじゃありません」
「嘘つけ! このスケベ!」
「ぐえっ!」
太い腕がガッチリと絞まる。普通に苦しい。
「しかもなんだよ、あのエロい服装は?」
「それは俺も全面的に同意です。しかも連日あれですからね……。いつ理性を失うか、自分でもヒヤヒヤしてます」
「くぅ! 苦労してるんだな!」
「はい!」
男二人は涙を流す。どちらも田舎者ゆえ、ロニアの刺激的な服装は毒でしかない。
「とは言え、おまえさんにはネッテちゃんがいるんだ。変なことはするんじゃないぞ」
「それには一切同意できませんけど……」
ネッテはただの妹だ。自分の色恋沙汰にはこれっぽっちも影を落とさない存在なはずだ。イリックだけはそう思っている。
バンバン。イリックの背中を強く叩き、店長は自分の店へ戻っていく。
開放されたイリックがネッテ達の元へ向かうすると、なにやらわーわーと騒がしいやり取りが聞こえ出す。
「とれたー!」
「すごいわね~」
ネッテの叫び声が聞こえるが、どういうわけか姿が見えない。釣竿を握らせたはずだが……。
戻ったイリックは目撃する。
釣竿はアジールが握っており、ネッテはどこにいるかというと、海にずっぼし飛び込んでいた。
「イサシー!」
ネッテは素手でイサシを捕まえていた。本気の表情をしており、とてもとても満足そうだ。
「もうやだ、こんな妹」
ネッテに負けじと釣りを再開しなければならないのだろうが、イリックのテンションは落ちるとこまで急降下してしまう。
「あ! まだいる!」
ネッテの眼光は鋭い。海中を泳ぐ次なるイサシに目標を定めたようだ。
イリックは素手でイサシを捕まえる人間など見たことがない。素早く逃げ回る海の魚を海中で捕まえられるはずがないのだが、ネッテなら可能らしい。
常識が音をたてて崩れる。
三人は非常に楽しそうなため、イリックは釣竿を受け取り、少し離れた場所でポツンと釣り糸を垂れなおす。
「待てえブクブクブク」
海中に潜るネッテを遠目に眺めながら、イリックは育て方を間違えたと再認識する。




