表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
20/100

第二十章 目指せ、北の大地!

 アイール砂丘の北に広がる緑豊かなルイール平原。

 そこに存在するマーム村は、三大大国はおろかサラミア港やワシーキ村よりも人口が少なく、しかし、この村独自の産業を先祖代々引き継いでおり、それが三大大国を影ながら支えていることを誰も知らない。

 ほとんどの建物からは年季が感じられ、目新しい建築物は数える程度しか存在しない。

 その一つが大きなギルド会館であり、その中に少女の悲痛な叫び声が響き渡る。


「もお! 私がいながら!」


 シャルロットが机を激しく叩く。込み上げる怒りが原因で、先ほどから周囲の物に当たり散らしている。

 シャルロットとススリリがいるのはギルド会館のカウンター内。ギルドの職員がビクビクしながらエレメンタルフォンを持って現れる。

 ロセロン雪原の戦いから十日後。

 シャルロット達、合同調査隊はなんとかマーム村まで撤退することに成功する。

 結果については何とも言えない。

 生存者九名。すなわち、死者三十三名。

 得られた成果は、スケルトンやアーリマン、ジャイアントを八十体近く殲滅。そして、ヘカトンケイルのコットスを討伐。

 犠牲に釣り合う成果なのかどうか、それは誰にもわからない。

 しかし、シャルロットは苦虫を噛み潰したように表情を歪ませる。自分がいながらこの惨事。それがひどく許せない。


「シャルはよくやったわ。私が報告するから少し休んでなさい」


 ススリリが母親のようにシャルロットの頭を撫でる。その拍子にグレーのツインテールがピョンと揺れる。

 通信相手はデフィアーク共和国のエミリアだ。マーム村のエレメンタルフォンはデフィアーク共和国としか繋がっていないため、他の場所とは会話ができない。

 ススリリが合同調査隊に起こった出来事を事細かに説明する。

 その間、シャルロットは悔し涙を流すが、声だけは必死に抑え続ける。


「そうか。必要ならそこで少し休養をとってもいいし、戻るのならその村に常駐させている第五陸軍を護衛につけるが」

「戻るわ」


 エミリアの問いかけにシャルロットが答える。


「そうか。デフィアークで待っている。報告は私からしておこう。無理をせず戻ってくるといい」


 先ほどまで黙っていたシャルロットが突然発言したことから、エミリアはその意思を汲み取り、最低限の言葉を投げかける。

 被害について何も言及しないエミリアの気遣いが、逆にシャルロットを苛立たせる。


「今日は宿に泊まりましょう」


 ススリリがシャルロットの背中に手を添える。あの戦い以降、シャルロットは意気消沈しており、ススリリはこうして励まし続けてきた。ここまで落ち込む姿は見たことがないため、ススリリとしても困惑してしまう。


「うん」


 弱々しく答えるシャルロットと共に、ススリリはギルド会館を後にする。


 この出来事は一昨日のやり取りである。

 エミリアはこの情報をサウノ商業国とガーウィンス連邦国に知らせる。

 その結果、緊急会議が開かれる運びとなり、それが今晩行われた。正確には、今まさに話し合いの最中だ。

 夕食中の自分達がなぜ呼ばれたのか、イリックはなんとなく察する。

 ヘイキットに案内された会議室には、見知った顔が何人も座っている。

 デフィアーク共和国のエミリアとウェイク。

 ガーウィンス連邦国のガラハとゴルド。

 そして、サウノ商業国のブライン。


「よっ」


 イリックの登場に気づいたゴルドが左手を挙げて歓迎する。その陽気な挨拶とは裏腹に、室内の空気は重い。


「早速話して頂戴」


 席に着くなり、ロニアが口を開く。呼ばれた理由はまだわからない。しかし、由々しき事態なのだろうと既に理解できている。


「はい。二日前、合同調査隊がマーム村に帰還しました」


 ブラインが説明を始める。しかし、ロニアだけは異変に気づく。なぜマーム村に? 報告を急ぐためなのかもしれないが、サラミア港に直接戻ればよりスムーズに帰国できるはずなのに、と考えを巡らせる。


「イリック殿が追い詰めたジャイアントを無事討伐することには成功したのですが、新たなモンスターを確認し、それの討伐には至りませんでした」


 さすがにイリックとアジールも事の深刻さを理解する。倒せない理由があって逃げ出した、と解釈する。


「また、スケルトン、アーリマン、そしてジャイアントの大軍を殲滅することには成功したようですが、合同調査隊の被害も甚大だったため、撤退を決断したようです」


 ブラインが丁寧に説明してくれているが、イリックとしては遠まわしな言い回しにしか聞こえない。既に自分が呼ばれた理由は把握できている。

 ゆえに、口を挟ませてもらう。


「つまり、今度は俺が偵察のためにちょろっと出向き、もう少し情報を得てテレポートで帰って来いってことですよね?」


 その瞬間、部屋がしんと静まり返る。少しトゲトゲしい言い方になってしまったと後悔してみる。もう遅いが。


「そのことなんだが、それも含めてイリックはどう思う? 情けない話だが、俺はちょっと混乱しててな。静観を決め込むか、さらに戦力を増やした合同調査隊……、いや、合同討伐隊を向かわせるべきか、イリックに調査をしてもらってから検討するか……。どれが正解かわからないんだ」


 ウェイクは静かに語る。即決すべき軍人がこのザマだ、と肩を落とす。

 なるほど、とイリックは考えを巡らせる。確かに難しい三択だ。

 静観。すなわち、相手の出方をうかがう。悪くはないような気もするが、無駄に相手の戦力を増やすだけのような気もする。

 すぐに再攻撃。これも悪くないように思える。しかし、被害が出るのは間違いない。

 そして、自分達が調査に出向く。これは言わば、二案の中間とも言える。時間はかかるが情報は得られる。それを元に判断を下す。静観するか、軍を派遣するか。


(う~ん……。お手上げ!)


 イリックには良し悪しなどわからない。


「あなた達はイリックの調査に期待しているのね?」


 ズバリ問いかけるロニアがかっこいい。そう思う自分がかっこ悪いだけかも、とイリックは心の中で泣く。

 それに比べて、右に座っているネッテは足を交互にブラブラさせてくつろいでいる。


(こいつ何もわかってないな……。本当にバカだな。そんなところがかわいいのかもしれないけど、兄としては将来が不安だ)


 ネッテは外見も去ることながら、言動にも茶目っ気があり、そんなところがとある人物の心を鷲掴みにしている。アジールだ。


「期待はしているが、ワシらとしてはすぐにでも大規模な軍を送るべきだと考えておるんじゃ。シャルロットが手ごわいジャイアントを倒してくれた今なら、敵の戦力もグンと削れたはずじゃからのう」


 さすがのゴルドも今回は神妙な顔つきを披露する。


「倒せなかったモンスターってのは強いんですか? それと、被害ってどのくらいだったんですか?」

「上半身が裸の女性、下半身がスコーピオンのモンスターらしい。ススリリ殿曰く、並の軍人では歯が立たないということです。今回の被害ですが、総数四十二名に対し、死者は三十三名です」


 イリックの質問に、ブラインが渋い顔で答える。

 裸の女性。

 死者三十三人。

 興奮したいがゾッとしてしまい、イリックは軽く錯乱する。

 一方、ロニアは事の深刻さを完全に理解する。

 合同調査隊がマーム村に寄ったのも、余力が残っていなかったからだ、と。

 ロニアはシャルロットの正確な実力までは知らない。しかし、ガーウィンス連邦国における最強の一角であることは把握しており、彼女一人で軍隊と渡り合えるにも関わらず、それほどの被害を被ったことから、北の地がどれほど危険な場所か把握できてしまう。

 行くべきではない。ここは軍に任せるべきだ。ロニアが出した結論だ。

 しかし、自分からは言わない。リーダーはイリックであり、決めるのもイリックだ。ここは黙る。もっとも、もし同意するようなら反論するつもりでいる。今回ばかりは危険過ぎる。

 そのイリックだが、熱心に考える。無い知恵を振り絞って答えを探す。


「嫌だって言ったら、すぐに軍を派遣するんですか?」

「そう……するつもりです」


 イリックの問いかけに、ブラインは周囲を確認してから頷く。


「行くって言ったら、報告を待つんですか?」

「それについてはこれから議論するつもりです」

(なるほど……、決められん!)


 イリックは情けない顔で両手を挙げる。つまり、お手上げだ。


「確かにこの場で決めろと言う方が無理な話だろう。とは言え、あまり悠長に構えるわけにもいかない。ここは彼に報酬を提示してもいいのでは?」


 エミリアがイリックの判断材料になりそうな話を持ち出す。すなわち、偵察の見返りだ。しかし、それがロニアの癇に障る。


「うちのリーダーを物で釣るのは止めてくれない? あなたならわかってると思うけど、人のためならどこにでも行っちゃうお調子者なの。シャルロットすら倒せないような化け物がいるんでしょ? 私達がそれに遭遇したらどうするの?」


 ロニアがここに来て割り込む。エミリアの言い方では、イリックを北の地に向かわせようとしているように聞こえる。ロニアとしては、それは避けたい。


「最悪、テレポートを使えばいいのでは? 詠唱に時間がかかるようだが、イリックなら問題ないだろう。そもそも私は、君達ならそのモンスターを倒せると思っている。シャルロットとしても、不意を突かれて傷を負ったこととマジックポイントの消耗が原因で撤退を選んだだけらしい。君達はそんなヘマはしまい」

「それは買いかぶりよ。何の根拠もないじゃない」

「イリックの実力を認めているのは、私より君達の方だと思うが?」

「そういうことを言ってるんじゃないの」


 エミリアとロニアが互いの意見をぶつけ合う。周囲はいてもたってもいられない。さすがのネッテもオロオロとしている。


「聞くだけ聞いてみましょう。報酬は何をくれるんですか?」

「ちょ……、まぁ、いいわ」


 イリックがこの依頼の報酬をたずねる。自分達は冒険者だ。クエストには成功報酬が欠かせない。ジャイル村への先行調査はボランティアみたいな感じになってしまったが、あの後お小遣い程度の金はもらえたのでそれで良しとした。何より、たったの二人だが救える命を救えた。これだけでもやった甲斐があるというものだ。


「そうだな……。君達は何を望む?」

「う~ん。それじゃ、エムム遺跡を調査することの許可と、東と西の大陸に行かせてください。あ、その内でいいです」


 エミリアの問いかけに、イリックは思いついたことを口にしてみる。

 エムム遺跡の調査はロニアの願い。

 東の大陸と西の大陸にはネッテが行きたがっている。

 アジールの願いが含まれていないが、そもそも知らない。どうせネッテの笑顔が見られればそれで満足してくれるだろうと都合の良い解釈をしておく。


「そ、それは……、東の大陸についてはガーウィンスの管轄だな」


 さすがのエミリアもうろたえる。自分にはどうしようもないと判断し、ガラハとゴルドに話を振る。無茶振りだとわかってはいるが、そうすることしかできない。


「可能だとは思いますが、さすがにすぐには……。ただ、いずれということなら大丈夫だと思いますよ」

「そうじゃな。細々と貿易を続けておるからのう。少々時間をくれればお主らくらいは可能かもしれん」


 ガラハとゴルドが憶測を交えながら答える。この場で決められるようなことではないが、交渉を取り付けることくらいは確約する。

 しかし、西の大陸に関しては難しい。なぜなら、そもそも交渉の窓口がないのだ。西の大陸のイダンリネア王国とも物資のやり取りを続けているが、せいぜいそれくらいだ。内情すら一切語らない相手な以上、イリック達を上陸させることは困難だ。


「エムム遺跡の調査についてもそれは構いませんよ。そもそも、あの地域はモンスターが手ごわいため立ち入りを禁止しているだけですから。そういう意味では、あなた達なら問題ない場所と言えるかもしれません」


 エムム遺跡についてはガラハからあっさりと許可を得られる。

 ほほう、とイリックは目を輝かせる。


「ちなみに、スノーシロップって花についてはご存知ですか?」


 イリックのまさかの発言にロニアは呆れる。本当はそれを訊きたかったのね、と。


「よくご存知ですね。昔、ヴァステム渓谷で確認された植物です。今でも存在するかはわかりません。こんなことを知ってどうされるんですか?」

「実は欲しいと思っていまして、どこらへんに生えているかご存知ないですか?」

「確か……、文献には南の方だと書いてありました」

「ありがとうございます」


 ガラハから有益な情報をもらうことができた。南の方。曖昧ではあるが、手がかりには違いない。


「イリック、それってつまり……」

「ええ。ついでにあのクエストもやっちゃいましょう。一石二鳥って奴です」


 ロニアがたずねると、イリックは満面の笑みを返す。

 あのクエストとは、サウノ商業国のギルド会館で放置されていたクエストだ。依頼内容はスノーシロップの採取。報酬金額を少しずつ上乗せしているということは、それだけ本気ということだ。何より二万ゴールド、悪くない金額だ。


「行くんじゃな?」

「ええ。まぁ、行っていいのなら」


 ゴルドの問いかけに、イリックは曖昧な返事を返す。しかし、意思はもう固まっている。

 イリックの決意を受けて、ブライン達は議論を再開する。

 イリックを行かせてから軍の派遣を決めるか、すぐにでも軍を向かわせるか。

 一方、ロニアは隣に座っているイリックに耳打ちする。

 くすぐったいが、それすらも快感に落とし込む。それがイリック。


「本気? 死ぬかもしれないわよ?」

「大丈夫ですって。最悪、三人のことは命に代えても守ってみせますよ。それに、何が相手でも負けるつもりはありません。スチールソードも買いましたし」


 もう負けない。この誓いは揺るがない。

 デーモンとの戦いでは、ネッテとアジールが衝撃波に吹き飛ばされ、ロニアはガーゴイルに切り刻まれた。

 モノケロスとの戦いでは、寝ている間にネッテは両腕を壊され、アジールは壁に叩きつけられ、ロニアも氷の刃に貫かれた。

 ヘカトンケイルとの戦いでは、ネッテを握りつぶされ、アジールは棍棒で殴られ、ロニアは衝撃波に倒された。

 全て、自分が不甲斐ないせいだ。イリックはそう結論付けている。

 今後も度々危機的状況に陥るだろう。しかし、必ず守り抜く。そう思わずにはいられない。コネクトがあるのだからそれくらいはしなければならない。

 この魔法は、きっとそのための魔法なのだから。


「まぁ、あなたがそう言うのなら従ってあげるわ。私達のこと守り抜いてくれたら……、そうね、胸触らせてあげる」

「マジで!?」

「兄上!」

「ぐはっ!」


 浮気は許さない。ネッテの手刀がイリックの鳩尾に深々と刺さる。

 突然倒れこんだイリックに会議が中断するが、いつものことなので、とロニアが再開させる。


(こ、この場合、手刀をおみまいする相手は俺じゃなくてロニアさんじゃないの? 俺は喜んだだけなんだけど……)


 バタリ。

 その後、イリック達の先行偵察が決まったが、イリックは気絶していたため後から聞かされた。



 ◆



 商人の死因第一位は、モンスターによって殺害。

 私のお父さんがまさにそれ。

 残された私達。いつまでもクヨクヨしていられない。

 働けない母の代わりに、私が働くことにした。

 貯蓄はいくらかあったけど、育ち盛りの弟がいるのだからゆっくりしていられない。何より、母の薬代も稼がなければならない。

 私は運よく、食堂の仕事に採用された。料理もできる、愛嬌もいい方。だからだろう。

 仕事は昼前から夜中まで。でも、耐えられる。

 休みはいらない。少しでも稼ぎたいから。

 母は肺の病に犯されている。お医者さん曰く、不治の病らしい。治せないけど、薬で和らげることはできるらしい。でも、お金がかかる。だから、必死に稼ぐ。


 ある日、食堂のお客さんから教えてもらえた。母の病気を治すことができるかもしれない、と。

 何でもスノーシロップというお花があれば特効薬を作れるらしい。すごい! 何とかして手に入れたい!

 調べた結果、ヴァステム雪原に咲くお花とだとわかった。そして絶望した。

 そこは北の地。誰も足を踏み入れることができない未開の土地。

 だけど諦めない。冒険者という存在に賭けてみる。

 ギルドにお願いしてクエストを発行してもらおう。でも、報酬が必要らしい。考えてみたら当たり前よね?

 余裕はない。だから貯蓄を切り崩す。一万ゴールド。これだけ出せば誰かが手に入れてくれるかもしれない。


 一ヶ月。

 二ヶ月。

 だけど連絡は来ない。

 ギルドに頭を下げて、クエストは貼り続けてもらった。

 褒賞金も可能な範囲で少しずつ上乗せする。働く時間を増やせば、ギリギリ何とかなった。随分痩せてしまったが、母はもっと痩せてる。だから気にしない。


 先日、母がついに倒れた。もう起き上がることもつらいらしい。

 お医者さんにすがった。それでも、良い返事はもらえなかった。

 誰か助けて。私はいいから、お母さんを助けて。


 翌日、変な夢を見た。

 男の人と、三人の女の人が家を訪ねて来た。お客さんで見かけたことがあるような気がする。きっと冒険者。

 小瓶に入った粉と、白いお花を渡してもらえた。こっちがお花から作ったお薬で、こっちがそのお花。

 そんな夢みたいな夢を見る程度に追い詰められているらしい。目が覚めた瞬間、涙が溢れ出た。


 誰か、助けて。



 ◆



 会議の翌日、イリック達は出発の準備を整える。と言っても、食糧と消耗品を買い足すくらいだ。

 それらはいつもの仲良しコンビに任せて、イリックとロニアは宿屋前で待ち合わせ。こうしてるとカップルのように見えるのだろうか? そんなことを考えながらイリックは時間が過ぎ去るのを待つ。

 街行く人々を眺めながら呆けていると、よっ、と声をかけられる。半分禿げている白髪の年寄りだ。妙に筋肉モリモリだな、と思っていたらゴルドだった。時間通りの登場だ。

 ほれ、と渡されたのは、赤い液体が入った大量の小瓶。マジックポーションだ。この旅で必要になるだろうと三大大国が用意してくれた。これでテレポートを何度でも使うことができる。摂取できる量に限界があるため、そう上手い話でもないが。

 部屋に移動したイリック達は、ゴルドから北の地について教えてもらう。

 先ずはロセロン雪原の地形について。

 北に氷の洞窟があり、氷の大精霊が存在していること。

 ヴァステム渓谷には西の崖を越えなければならないこと。

 シャルロット達はルークス洞窟を越えた先、すなわち、ロセロン雪原に足を踏み入れてすぐの場所でモンスターの襲撃にあったこと。

 次いでヴァステム渓谷について。

 古代人の遺跡らしきものが西の方にあるらしいが、正確な位置まではわからないこと。

 さらに西にはカムハ雪原があるのだが、そこまでは行かなくていいらしい。


 マジックポーションがあるため可能なことだが、毎晩戻って報告して欲しいそうだ。金にもの言わせたリッチな作戦だ。とは言え、その意見にはイリックも賛成する。敵陣のど真ん中で野営をする勇気はない。

 マジックポーションの残りが少なくなったら、適宜補充してくれるらしい。至れり尽くせりだ。

 北の地の入り口でもあるルークス洞窟に到着以降、毎晩帰還することを確約し、イリック達は旅立つ。


「それじゃ行ってきます」

「頼んじゃぞ」

「ゴーゴー!」


 宿屋の一室に五人が集合する。さすがにちょっと窮屈だ。しかし、次の瞬間、四人の姿が消え去り、ゴルドだけが取り残される。

 イリック達の移動先はジャイル村。モンスターに滅ぼされ、廃墟と化したその村に、イリック達は再び舞い降りる。

 何かあるかもしれないと転送先の登録を残しておいて正解だった。そんなことをしみじみと思いながら、ぼろぼろに崩れた建物を避けて歩く。

 現在地はジャイル森林のジャイル村。

 北の地に向かうためには、ネイン渓谷とルークス洞窟を順に越えなければならない。

 先ずはネイン渓谷へ。そのために四人は西へ進む。


 生い茂る草木の濃い匂いを嗅ぎながら森を歩くこと半日。

 周りの景色が一変する。

 つい先ほどまでは森を歩いていた。しかし、木の密集地帯を抜けたかと思ったら、周囲の色が緑色から土色へ移ろう。

 東西を高い山脈に覆われているそこは草がまばらにしか生えておらず、その雑草達もどこか弱々しい。

 木も葉を付けておらず、点在するそれらはただそこにいるだけ。

 当面は下り坂。しかし、ある場所を境にゆっくりと上り坂へ。遠くまで見渡せるこの土地は、中心に行くほどくぼんでいる。

 移動初日にして、イリック達はあっさりとネイン渓谷に到着する。

 北の地に近いからか、この土地に生息するモンスターも随分と手ごわい。

 ミラクス山地に生息していたミラクスラプトルの仲間、マウントラプトル。ミラクス山地のそれと違い、体の模様は赤い。

 アイール砂丘と同じ固体、サンドスコーピオン。

 山に生息する山ウサギ。小さな茶色い姿がかわいいが、油断しているとガブッと噛まれて大怪我だ。

 これらは全て凶暴なため、近寄ると問答無用で襲われる。遠目から眺めている分には見逃してもらえることもあるが、マウントラプトルに関しては何とも言えない。敵対心を顕わにしながら後ろ足でトコトコと駆け寄って来られたら戦うしかない。

 しかし、その肉はなかなか美味であり、可食部はそれほど多くないが、四人だけなら食べきれないほどの量だ。

 日もすっかり暮れ、夕食にラプトルの肉料理とおにぎりが並ぶ。もちろんガーウィンス風サラダも健在だ。ロニアがいれば当然の献立と言える。


「美味しいじゃない。今日のゴマドレッシングも抜群だわ」

「ソウデスネ」


 ガーウィンス風サラダと言っても、いくつかの野菜を切り刻んで混ぜ込んでいるだけだ。味の決めてはドレッシングにかかっている。日によって、もしくは献立によって変えているらしく、今日は白と黄の中間な色をしたゴマドレッシングがかかっている。

 ロニアは満足そうに野菜を口に運ぶ。

 イリックはラプトルのグリルを口に運ぶ。噛んだ瞬間、肉汁がじわっと口の中に広がる。それに負けじと唾液も溢れ出す。


「シャルロットが倒しきれなかったサソリのモンスターがいるらしいけど、シャルロットってどのくらい強いの?」


 アジールが珍しく話題を提供する。口を開いたと思えばネッテかわいい、ネッテ撫でたい、ネッテのおっぱいさすりたい、的なことしか言わないアジールが、まともなことを言い出す。


「あらゆる状況で自分の実力を発揮できるタイプって言えばいいのかしら? ガーウィンス一の破壊力を保持していて、しかも空を飛べる。おそらくだけど、ドラゴン以外なら何でも一人で倒せちゃうんじゃないの?」

「ふーん、そりゃ強い」


 ロニアの説明でイリックは察する。ついでにドレッシングのかかったサラダを口に運ぶ。野菜の味は当然として、適度な甘さを秘めているゴマドレッシングは確かに美味い。


 後衛攻撃役は、離れた位置から一方的に魔法で攻撃をしかけることが役割だ。

 例えば、盾役がモンスターの注意を引きつけている間に攻撃する。

 例えば、モンスターがこちらに気づいていない状況で、離れた位置から先制攻撃をしかける。

 モンスターに近寄られた場合、盾役がウォーシャウトなどでターゲットを自身に固定させるか、前衛が立ちはだかることで後衛攻撃役は相手との距離を保つ。

 しかし、シャルロットはそれすらも不要とする。膨大なマジックポイントを使い、力場を発生させ空中に浮いてみせる。一メートル、二メートル程度ではない。その気になれば十メートル、二十メートル、それ以上も可能だ。そのままスイスイと進むこともできる。

 もちろん弊害はある。浮くだけでもかなりのマジックポイントを消耗する。もし飛行したまま移動しようものなら、加速度的にマジックポイントは減っていく。

 そんなデメリットよりも圧倒的にメリットが勝るため、シャルロットはこの特技を使い続けている。

 先の戦いにおいても、この特技がなければシャルロットは四選のどちらかに殺されていただろう。良くて相打ちだ。


「お兄ちゃんより強いの?」

「どうかしらね? 少なくとも、私は勝てないわ。イリックはどう思う?」


 ネッテが肉を飲み込んで疑問を口にする。

 ロニアはこういった思考実験に興味がないため、さらりと受け流す。


「コネクト使っていいなら負けません」

「でしょうね」

「さっすがー!」


 この一言に尽きる。イリックがどうこうよりもこの魔法があらゆる状況を覆してしまう。

 三秒間、時間を停止させる。

 その上、ネッテが将来習得するであろう二つの戦技を使えるようになる。

 どちらか一方でも十分だが、両方共となればもう人間など相手にならない。

 空を飛ばれたらさすがに苦戦しそうだが、それでも短剣を投げるなり姿を隠すなり、戦いようはある。

 あっさりと落ちがついてしまい、一同は黙々と夕食を食べ進める。

 太陽が沈んだせいで真っ暗な周囲からはモンスターの気配が感じられない。明日に備えて寝ているのかもしれない。もしくは気配を殺してイリック達を狙っているのかもしれない。

 そうだとしても問題ない。ロニアが新しい魔法を開発した。

 エコーロケーション。

 呼び出した水を野営地の周囲に、まるでコップの水をこぼしながら歩くように一周させる。そこにモンスターなり何なりが足を踏み入れた途端、ロニアがそれを察知するという仕組みだ。

 魔法の水ゆえ、蒸発させずに維持することも可能だ。ロニアはかなり魔力制御が得意なため、寝ている最中も継続できてしまう。

 水の呼び出しにマジックポイントをそこそこ消耗するが、その後の維持はさほどでもない。夜通し効果を発揮させることは十分可能だ。

 モンスターが手ごわい、もしくは多い場所でもこれで安全に夜を越せるようになった。今まではあまり気にせず過ごしてきたが、今後はロニアによって安全が確保される。


 そして時計の針は刻々と進む。

 夕食後、各々は別々に行動を開始する。

 ネッテとアジールは一緒に水浴びへ向かう。

 ロニアは初めての土地ということで周辺を散歩中。

 イリックは腹をさすりながらイメージトレーニングに明け暮れる。

 相手はここ最近戦ってばかりのヘカトンケイル。当初は負け越しが多かったが、最近はあまり殺されることがなくなった。もっとも、この戦いにおいて、イリックはコネクトを使用していない。なぜなら、使えばあっさりと勝ててしまうから。

 それでは意味がない。コネクトは確かに強力だが、再使用時間が非常に長い。

 三十分。まるで戦技のような長さだ。実はこの再使用時間が不思議で仕方ない。なぜなら、習得できた頃は四十五分だった。いつの間にか十五分も縮んでいる。イリック自身、まだ理由を見つけられていない。

 コネクトの継続時間も同様に延びている。

 コネクトの継続時間とは、ネッテの戦技を使用できる状態を指す。

 コネクト発動直後から、イリックはアサシンステップとデュアリズムを使用できる。どちらも効果時間の短い戦技なため、使いどころが大事だ。

 コネクトは時間停止にも使えるため、そのために発動するケースも多い。

 コネクトの継続時間は当初だと六十秒。すなわちコネクト発動後、六十秒以内にネッテの戦技を使わなければならない。強制ではないが、損した気分になる。

 どういうわけか、この継続時間も六十秒から百二十秒に延びている。理由を調べる術など見当たらないため、イリックは深く考えない。現状を把握しておけばそれでいいのだ、と開き直ってさえいる。

 ヘカトンケイルと殴り合っていると、ネッテとアジールが戻ってくる。どういうわけかアジールは鼻血を流している。

 ネッテに何をしたのか問い詰めたいが、イリックはイメージトレーニングに集中する。


「お兄ちゃん、どうぞー」

「ほいほい」


 イリックは二人と入れ替わる形で水浴びへ。もっとも、濡れたタオルで体を拭くだけだ。その水はロニアがいくらでも用意してくれるため、多少の無駄使いは構わない。日々、魔法の便利さに感心させられる。

 手早く裸になり、せっせと体を拭き始める。その時だった。


「誰かと思ったらイリックか」

「きゃっ!」


 変な悲鳴をあげてしまう。ロニアが北の方から現れたからだ。散歩で周囲をぐるっと歩いたその帰りだ。


「女の子みたいな声あげても気持ち悪いだけよ」

「えっち」


 イリックは続ける。素っ裸ということもあり、色んなところを見られてしまったかもしれない。ぱっと胸を隠してはみたが、冷静に考えたら隠す場所を間違えた。


「ネッテちゃんは小さいって言ってたけど、普通だと思うわよ?」

「いやーーーーー!」


 イリックの悲鳴がこだまする。そのせいでネッテとアジールまで駆けつけたが、もはやどうでもよい。



 ◆



 翌日。

 空は灰色の雲で覆われている。

 地上は茶色い土で覆われている。

 そんな場所を、一同は黙々と北上する。昨晩の出来事などなかったかのように歩き続ける。

 下り坂が終わると、なだらかな上り坂に切り替わる。山のような坂道を上るにつれ、東と西に君臨する岩山が少しずつ狭まる。やがれそれらはイリック達の正面で収束し、そこには巨大な穴ができあがっている。ぽっかりと大口を開けて何かを飲み込もうとしているのか、はたまた何かを吐き出そうとしているのか、それは誰にもわからない。

 日は沈み、しかし、そんなことはどうでもよくなる。トンネルのような巨大な横穴に辿り着いたのだから、外がどうあれここから先は暗闇だ。

 こうして、イリック達は北の地へ続くルークス洞窟に到着する。


「足を踏み入れてみると、なかなかどうして、巨大っぷりに驚かされますね」

「あーあーあー!」


 ネッテが何かをしようしているが今は無視する。これは洞窟なはずだが、それにしては大きすぎると天井を見上げながらイリックは感想を述べる。閉所恐怖症だろうとここなら問題なく通れるだろう。そう思えて仕方ない。


「つい最近まで結界が張ってあったせいか、モンスターはいないらしいわよ? 行けるとこまで進んじゃう?」

「そうですね。ただ、ここからはテレポートで戻って報告しないといけないので、無理はしないでおきましょう」


 ロニアに頷きながらも、イリックはここから先は今までとは異なるやり方で進むことを改めて宣言する。

 夜は野営ではなくテレポートで戻って宿屋に泊まる。

 理由は二つ。

 危険だから。

 そして、三大大国に報告しなければならないから。

 夜中に報告に来られても困るだろう、とイリックは気を利かせる。そもそも、あまり遅くなると宿屋が埋まってしまうかもしれない。

 イリックはマジックアイテムの時計で時刻を確認する。

 午後七時。完全に夜だ。帰ってもいいだが、どうせならもう少し進みたい。


「二、三十分くらい走ります?」

「おー!」

「嫌よ」


 イリックの提案はネッテに歓迎されるが、ロニアによって却下される。


「え~、走ろうよ~」


 ネッテがロニアに抱きつく。

 イリックもそうしたいが我慢する。


「疲れるし、胸痛いから嫌」


 それを言われると、貧乳のネッテは言い返せない。巨乳特有の症状なのだから。


「んじゃ、俺が抱っこかおんぶしましょうか?」

「私もおんぶがいい!」

「おまえは走りなさい」


 ネッテが食いつくとは思わなかった。


「そんなんじゃ走れないんじゃない?」

「さぁ? やったことないんでわからないです。良い運動にはなりそうなので一回やってみましょう」


 ロニアは乗り気ではないが、イリックとしては鍛錬にもなりそうだとやる気をみなぎらせる。

 どんなに疲れようと、この後はサウノ商業国でくつろぐのだ。スタミナを使い切る勢いで走ってしまって構わない。


「それじゃ、一回だけよ? おんぶね」

「お、さすがロニアさん」


 おぶるには背中の片手剣とマジックバッグが邪魔だ。ロニアに背負ってもらう。


「重いとか言ったら殴るわよ」

「人間なんだから重くて当然だと思うんですけど……」


 どうやらそれでも口には出してはいけないらしい。ネッテに対しても禁句なため、女性全般に当てはまるのかもしれない。

 ネッテがうらやましそうに見つめてくるが、今は無視する。ロニアに背中を向けて腰を降ろす。


「さぁ、どうぞ!」


 ポニュン。


(なん……だと……)


 その感触に言葉が出ない。


「あ、兄上!」


 ネッテが声を荒げる。イリックの表情は完全に緩みきっている。しかし、自分ではどうすることもできない。それほどまでにロニアの様々な部位が柔らかいからだ。

 抱きかかえている太もも、背中に当たる腰周り、首に回っている両腕、そして、胸。


「スタート!」


 もう耐えられない。この欲求をエネルギーに変えてイリックは走り始める。今ならネッテにも勝てるかもしれない。


「あ! ずるい!」


 ネッテの声が後ろから聞こえる。


(ふふん、今日は勝たせてもら……速っ!)


 十秒もかからず抜かれてしまう。

 アジールもワンテンポ遅れて走り始める。ネッテは当然だが、なんとイリックにも追いつけない。想定外の状況にアジールは青ざめる。


「ぬおーー!」


 ムニムニムニムニムニ。走る度にすごいことになってる。これを堪能できるのなら何時間でも走っていられそうだ。


「あなた、本当に速いわね……。私をおぶっててこれって……」


 ロニアは恐怖する。後方を走るアジールが見えなくなりそうだ。

 アジールは冒険者なのだから決して足は遅くない。少し鈍いが、体力も筋力も人間離れしている。冒険者と比べたら平均程度には達している。

 少し進むと、独走していたネッテが待っていた。全く息が切れておらず、改めて妹のすごさを目の当たりにする。


「遅~い」

「はいはい。アジールさんが遅れてるから併走してやれ。俺もちょっとペース落とすから」

「ガッテン!」


 ネッテが駆け足で下がっていく。

 一方、イリックは宣言通り、少し速度を緩める。それでも、ロニアの全力疾走よりは速い。

 ムニムニムニムニ。



「疲れないの?」

「これくらいなら別に。さすがに最初の全力疾走で息はあがっちゃいましたけど」


 ムニムニムニムニ。

 ロニアが不思議そうな表情を浮かべる。そして揺らぶられる。

 イリックは正直に話しつつ、しかし内心ではそれどころではない。

 イリックはついに無限のエネルギーを手に入れた。ロニアの胸が生み出すエネギーはイリックを永遠に走らせる。

 うずうず。イリックは走りながらも新たな欲求に襲われる。

 ロニアの柔らかいながらもちょっと筋肉が感じられる太ももを支えている両手。それをちょっとだけ動かしたい。正確には揉んでみたい。


(したら怒るだろうな~。でも、案外振動でばれなかったりするのかな?)


 ウズウズ。

 ムニムニムニムニ。

 モミモミ。


(してもうた! 欲求に勝てなかった!)


 自分の欲求に正直な男、それがイリック。

 ロニアの反応をじっと待ってみる。しかし、これといったリアクションは見られない。どうやらばれなかったようだ。

 やがて、後ろから世話しない足音とちょっとドキッとしてしまう荒い声が聞こえてくる。アジールとネッテが追いついてきた。


「アジールさん、汗だくですね」

「お兄ちゃん、もうちょっと遅くー」

「はいはい」


 まだペースが速かった。アジールが死にかけている。少なくとも目は死んでおり、口からは涎が垂れ流されている。

 見かねたイリックはランニングを切り上げる。

 息を整え、イリックは自分達が立っているこの場所をテレポートの転送先に登録する。


「それじゃ、詠唱始めますよ」

「ほーい」


 ネッテの返事を受けて、イリックはテレポートの詠唱を開始する。十一秒。相変わらず長い詠唱だ。


「そうそう、ネッテちゃん。私、お兄ちゃんに太もも揉まれちゃった」

「兄上!」


 ロニアがギリギリのタイミングで暴露する。

 ネッテが鬼の表情を浮かべると同時に、四人の姿はサウノ商業国に転送される。手刀はそこで繰り出された。


(ば、ばれてたのね……、ぐふっ)


 イリック、十八歳。サウノ商業国で死す。



 ◆



 洞窟と呼ぶには巨大過ぎるこの穴はどこまで続く? もちろん、北の地、ロセロン雪原だ。

 昨日の走りこみでどれほど進めたのかはわからない。そもそも周りの風景が上も左右も下も岩だけなため、もはや地図が意味を成さない。

 自分達の位置は出口が見えてくるまで確認のしようがないと言える。

 先頭を歩くのは女性陣三人。

 少し後ろをイリックが歩く。姦しい会話を聞きながら、イリックだけ黙っている。なぜなら目の前の光景を眺めていたいから。

 暗闇の中、アジールが持つマジックランプだけが周囲を照らす。丸みを帯びた天井や壁、そして平たい地面がぼんやりとその姿を現す。しかし、それだけではない。きっちりアジールの絶対領域も照らしてくれている。暗闇でうっすら見えるアジールの太い太もも。それはそれでグッとくるものがある。歩く度に揺れるミニスカートの裾とやや大きい尻がイリックの欲情を駆り立てる。


「洞窟の向こうは雪降ってるんだよね? 早く見たいなー」

「きっと降ってるわよ。そうでなくても、雪は積もってるでしょうね」

「わーい!」


 ネッテの喜びそうな返事をロニアは送る。

 イリックとネッテは雪を見たことがない。アイール砂丘周辺、正確にはトリストン大陸の全域で雪はほとんど降らないからだ。

 北の地以外では、比較的近いネイン渓谷とバンベリー沼地くらいである。

 どうせ寒いだけだろう、と雪だけに冷めたことを考えるイリックとは対照的に、ネッテは胸の高鳴りを押さえられない。こういう子供っぽいところがアジールの心を掴むのだろうか、などと分析していると、腹がグゥと鳴ってしまう。

 時計を確認するともうすぐ昼時の十二時。日が射さないここでは時間の感覚が完全に狂う。イリックは昼食を提案し、一同は早速準備に取り掛かる。

 とは言え、イリックとアジールはすることがない。見回りなど必要なさそうなため、イリックは素振りでもしようかと立ち上がる。


「イリック、お願いがあるんだけど」

「ん? 何ですか?」


 予想外の状況にイリックはきょとんとする。珍しくアジールに話しかけられたからだ。


「これで、模擬戦の相手になって欲しい」


 アジールがマジックバッグから木製の片手剣を二個取り出す。自分用とイリック用、そういうことだ。


「い、いいですけど……」


 戸惑いながらもイリックは返答する。断る理由もない。何より、アジールの独特な目に見つめられると首を左右に振ることなどできない。

 黒目の外周付近に走る赤い円。魔眼特有の特徴だ。


「はい」

「あ、どうも」


 アジールから渡された木刀は想像以上に軽い。イリックはスッスッと上下させてその軽さを確かめる。練習用の片手剣とはいえ、この軽さは逆にやりづらい。


「私は盾も使っていい?」

「ええ、もちろんです。どんな感じでいきますか?」

「本気で来て」


 アジールの要求がイリックを硬直させる。本気で来て。それは少々物騒だろうとイリックはたじろぐ。

 木製だが当たれば痛い。本気で殴れば骨くらい簡単に折れる。それこそ突き刺せば体くらい貫通させられる自信がある。当然、ギリギリで止めるが。


「私も強くなりたい」

「そ、そうですか。アジールさんは決して弱くはないと思いますけど」

「そんなことない」


 イリックは気づいている。アジールは自分に自信がない、と。しかし、わからないこともある。なぜ自分が弱いと思い込んでいるのか。


 アジールは盾役だ。

 盾役向きの戦技、ウォーシャウトを習得している。それしか習得していないため、他の冒険者には相手にされなかったらしいが、イリックはそれで十分だと思っている。

 ウォーシャウトは十秒間相手の攻撃を自分にだけ向けさせる。再使用時間は三十秒ゆえ、二十秒のインターバルが存在するが、それを差し引いても素晴らしい戦技だと評価している。イリックも可能なら習得したいとさえ考えている。

 一対一ではこれっぽっちも役に立たないが、自分達は四人組みだ。この戦技は使い方次第では絶大な効果を発揮する。

 しかし、アジールは一つしか戦技を覚えられていないことに強いコンプレックスを抱いている。自身の外見に劣らないくらいに。もっとも、外見の方は既に受け入れることに成功したため、残るは戦技だけだ。

 通常、盾役を務める冒険者は五個前後の戦技を華麗に使い分ける。

 ウォーシャウトを筆頭に、魔法防御を高めたり、味方を庇ったり、マジックポイントを回復したり……。

 そう、盾役は回復魔法を習得することができる。できない人間も少なくないが、割合で言えば半分近くの盾役はキュアを習得している。

 モンスターの攻撃を一身に受けつつ、回復までこなす。他のメンバーにとってこれほど頼りになる存在はいない。男なら誰もが一度は憧れる。こんなことができればもてないハズがない、と。

 しかし、アジールはウォーシャウトだけ。負い目を感じるなという方が無理な話だ。

 それでも、イリックは十分だと思っている。アジールの活躍には満足しているし、感謝もしている。

 この差が二人の関係を進展させない原因でもある。

 ネッテとロニアが手を止め、イリックとアジールの戦いを観戦し始める。


(お腹空いてるんですけど……。早く作って欲しいんですけど……)


 二人の視線を感じながら、イリックは昼食作りを催促する。


「行くよ」

「あ、どうぞ」


 アジールが盾でズイッと身を守る。

 イリックが普段より少しラフな姿勢で片手剣を構える。

 アジールが地面を蹴ってイリックに接近する。


(どうしようかな~、本気でって言われちゃったからな~)


 イリックはこの状況においても悩んでしまう。

 そんなイリックの心境などお構いなしに、アジールの木刀が振り下ろされる。しかし、その剣撃ではイリックを怯ませることすらできない。

 イリックはそれを最小限の動作であっさりと回避し、空振りした木刀を叩き落す。

 カランと決着を知らせる音が鳴り響く。

 相手がモンスターなら武器を失おうと戦いは続くが、人間同士ならこれで終わりだ。

 ヒューヒュー、と外野が騒がしい中、イリックは転がっている木刀を拾い上げる。


「まだまだ続けます?」

「う、うん」


 離れていくイリックの背中を見つめながら、アジールは愕然とする。ここまで差があったのか、と。イリックなら大丈夫だろうと全力で斬り付けた。それをこうもあっさりと退けられてしまうと、頭が真っ白になってしまう。打つ手が思い浮かばない。


「それじゃ、次は俺から行っちゃいますよー」

「いいよ」

「いざ」


 イリックが空気を振動させると同時に、二人の距離は一瞬で縮まる。

 イリックが消えた。アジールは何が起きたのか理解できない。それもそのはず。イリックは既に背後でアジールに木刀を向けている。


「勝ち~」


 イリックが宣言すると、ヒューヒューと再び歓声があがる。


(はよ昼食作って!)


 イリックの願いはなかなか届かない。

 これはダメだ。戦いにすらならない。アジールはイリックの実力を改めて実感する。

 それでもやり様はある。アジールの顔つきが変わる。キリッ。


「手加減して」

「あ、はい」


 背に腹は変えられないのだ。変にプライドを持ち合わせていないアジールらしい作戦とも言える。

 その後は、カンカンと威勢の良い音が洞窟内を駆け巡る。

 木刀と木刀がぶつかりあう。


(ぐえっ!)


 手を緩めすぎてアジールの木刀が直撃する。イリックはぐっと耐えながら攻防を続ける。

 そして昼食が出来上がる。

 今後は夕食が必要ないため、その反動で昼食が豪華になる。

 魚がある。イリックはそれだけでむせび泣く。


「いただきマインゴーシュ!」

「頂きま……え、よく知ってるな、それ」


 マインゴーシュ。どこかの国が保管していると言われている幻の短剣。古代人が作ったとも言われており、古くから存在が確認されている。

 イリックはバターの風味を堪能しながら、ソールムニエルを味わうようにチビチビと食べる。あまりの美味さに涙がさらに流れる。これをロニアが作ったのなら結婚を申し込みたいくらいだ。ネッテが作ったのなら、褒めるだけ。


「どうしたらもっと強くなれるのかな?」


 普段無口な人間の発言は、一つ一つが無駄に重い。アジールがつぶやいたことで、一瞬その場が静まり返る。そして、その質問には答えづらい。


「アジールさんは十分強いと思いますけど」


 イリックはもちろん本音で語る。


「でも、イリックには勝てない」

「それはまぁ……、こちとら伊達に何年間も鍛錬積んでませんし。アジールさんは盾役としては十分な実力を持ってると思いますよ。俺からしたら、こんな素敵な盾役を仲間に加えられてラッキーって感じですし」


 これももちろん本音。


「盾役うんぬんは私にはよくわからないけど、十分な活躍ができてると思うわよ? この化け物兄妹と比べないで、少しずつステップアップすることを考えればいいんじゃない?」

「化け物って……。ネッテはそうでしょうけど」


 ロニアの発言は時折トゲがある。だが、それがいい。


「それに、あなたには魔眼があるのだからそれだけで十分なくらいよ。なにより、この化け物兄妹があなたを戦力外通告するはずないんだから、慌てなくていいんじゃない?」

「また化け物て……」


 ロニアの発言がグサグサ突き刺さる。素敵なことを言っているが、代わりにイリックが傷ついていく。


「どちらかと言えば問題は私よ。たいして役に立ててないし、見捨てられても文句は言えないわ」

「それはない」


 ロニアが何を心配しているのかわからないが、イリックはきっぱりと言い切る。この四人はこれでいいのだ。強くなれるならそれに越したことはないが、実力不足を理由に誰かを切り捨てるつもりは毛頭ない。

 イリックの珍しい口調に一瞬静まり返る。ネッテとロニアは目を丸くし、アジールは普段通りの無表情。


「実力がうんぬんで二人を追い出したりはしません。絶対に」

「そういうやさしいところ、惚れちゃいそうだわ」

「マジで!?」

「兄上!」

「なぜグフッ!」


 俺は何もしていない。無罪なはずだ。なぜ妹から手刀が飛んでくる。イリックは非情な現実に涙を流しながら気絶する。

 起きたら食事は片付けられていた。一時間近く気を失っていたらしい。ネッテの攻撃力が向上していることを身をもって痛感しながら、イリックは進軍を提案する。。

 ズンズンと突き進むだけの道。しかし、全員異変に気づき始める。

 少し肌寒い。

 というか寒い。


「どうしよう、お腹冷えてきたかも」


 ネッテが丸出しの腹をさする。そういう防具だ、仕方ない。

 とは言え、そのままでいる理由もない。ネッテは大人しく着替る。イリックがいようとお構いなしにシープレザーハーネスを脱ぎ去る。既に肌寒いが、あっという間に上半身は裸だ。


「見たい? チラチラ」


 当然、妹の裸に興味はなく、イリックはそんな挑発を無視してトンネルの先だけをじっと見つめる。


「そろそろ四時。いつ着いてもおかしくないのかもしれませんね」

「走った甲斐があったわね」


 時刻を確認するイリックに、ロニアが皮肉っぽいことを言い出す。太もも揉んですみませんでした、そう謝罪したいが、それをするにも勇気が必要だ。


「しかしこれはあれですね……。防寒具買わないとダメでしょうね」

「すっかり忘れてたわ」


 そう、イリックはおろかロニアさえ失念していた。ここから先は雪が降る極寒の地。普段着や普段の防具でいいはずがない。その証拠に、あちこちが丸出しのネッテは既に音を上げている。

 ロニアもピチピチの布きれ一枚ではしんどそうだ。


「とりあえず向かってみて、だめそうならさっさと撤退しましょう」


 イリックの提案は全会一致で可決される。それもそうだろう。寒さ対策用の服を買わなければならない。

 少し厚着をしたネッテを先頭に、一行は進む。

 最初に気づけたのはやはりネッテ。さすがと言う他ない。

 前方から光が射し始める。大きな大きな穴がそこで途切れるということだ。

 肌を突き刺すような寒さがイリック達を襲う。全員震えてるが、気合と根性でもう少し進む。

 やがて、洞窟の中にもわずかだが雪が積もり始める。そこまで辿り着いたタイミングで全員ギブアップ。


「テレポートォー!」


 本日はここまで。明日は防寒具を着込んでリベンジだ。

 イリック達はサウノ商業国に帰還する。しかし、旅の進行としては順調過ぎるくらいだろう。

 なぜなら、ルークス洞窟を一日半で抜けられたのだから。

 そう、ロセロン雪原に到着することができた。

 明日からが本番。今までとは全く異なる旅になる。

 モンスターと出会えば本気で殺しにかかってくる。それはいつもと変わらないが、相手は意思疎通を行う組織だった集団だ。油断などできない。

 そして寒い。


 サウノ宮殿で報告を済ませたイリック達は、足早に衣服店に駆け込む。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ