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第十九章 ロロ洞窟でお仕事

 ロロ高原。サウノ商業国の西に位置する広大な草原地帯。土壌が豊かなことから農作物を育てるのに適しており、昔はここにいくつもの村が存在した。今では全てサウノ商業国に吸収されたが、少し歩けばあちこちにその名残が見つかる。

 風化した建物。

 守るべき村など残っていないにも関わらず未だ存在する石壁。

 区切られた畑地帯。

 そういったものが点々と草原に存在している。


 サウノ商業国を出発して二日目。

 イリック達は西を目指している。

 昨日に引き続き、今日も空は晴れ渡っている。ピクニック日和と言えるだろう。

 ロロ平原の北西には沼地が隣接している。

 東はサウノ商業国。

 南西にはヘキン草原が広がっている。

 それらを行き来する程度なら、地図などこれっぽっちも必要ない。

 先人達が歩いたことでそこが道になっている。ゆえにイリック達はその道に沿って歩くだけでいい。

 しかし、そろそろこの道ともお別れだ。

 今回の目的地はロロ洞窟。ロロ平原の西に存在する深い洞窟なのだから。


 ロロ平原にはモンスターが多い。おかげで腕の立つ冒険者は食い扶持に困らないが、それにしても多すぎる。

 原因はいくつか考えられる。

 豊かな土壌がモンスターの生息にも適している。繁殖し易いということだ。

 この土地に生息するモンスターの多くが死んでも自然発生する。

 そして、ロロ洞窟の存在。ここから多くのモンスターがロロ平原に進出している。


 昨日の朝、イリック達はギルド会館でいつものようにクエストを物色した。お金を稼がねばならない。ゆえにクエストに挑む。

 根無し草な冒険者である以上、生きていくだけでも金がかかる。宿代、食費、どちらもバカにならない。装備も購入しなければならない。

 ゆえに、ロニアが見つけたクエストに飛びつく。

 依頼内容は、ロロ洞窟で姿を確認されたウォンテッドモンスター、ダーケストホーネットの討伐。褒賞金は二万ゴールド。涎が出てしまう程度には高額だ。

 イリック達は受付の女性から説明を受ける。

 きっかけはロロ洞窟で素材集めに励んでいた冒険者。その際、道を誤り、結果洞窟の奥に迷い込んでしまう。その際に見つけた巨大な蜂がダーケストホーネストであり、帰還した冒険者から報告を受けたことでギルドは討伐依頼を発行する。

 過去にも何度か討伐されてきた、ダーケストホーネット。蜂モンスターの親玉的存在であり、それが再び姿を現す。

 このモンスターを放置すると、蜂モンスターの増加速度が増してしまう。それらはロロ高原にまで進出し、やがては脅威となる。

 たいして強いわけではないらしいが、一刻も早く討伐しなければならないらしく、その結果、この金額が提示される。

 誰よりも早くこのクエストを受注できたイリック達はそのままサウノ商業国を出発する。目指すはロロ洞窟。そのためにはロロ平原を横断しなければならない。

 およそ二日半の旅。もっとも、到着したからと言って終わりではない。ロロ洞窟はかなり深く、洞窟でどの程度過ごすことになるかは検討もつかない。


 そして、二日目の昼過ぎ。ゆったりと昼食を済ませ、今は満腹な腹に鞭打って歩いている。

 頭上では太陽が輝いており、草やロロベリーの木がうれしそうに揺らいでいる。漂ってくる草木の匂いも普段より濃い。


「ゴーゴーネッテちゃーん」


 ネッテもご機嫌だ。いつもより大きく両手を振って先頭を歩く。


「ゴーゴーお兄ちゃーん」


 久しぶりの遠征だ。最近は日帰りのクエストに明け暮れていた。もっとも、帰りがテレポートなのだから日帰りが可能なのであって、他のパーティは真似できない。

 本当に便利な魔法だ、イリックはひっそりと喜ぶ。


「ゴーゴーアジルさーん」


 本当はアジールと歌いたいが、リズムの関係で難しい。しかしアジールは納得しているため、この歌はこの歌詞のまま、今後も歌われる。


「ゴーゴーロニアさーん」


 そして、ネッテちゃーんに戻る。

 イリックは考える。仲間が増えたら歌詞が増えていくのだが、そもそも今後仲間が加入することはあるのだろうか、と。ポンポンと何の因果か仲間が二人も加わったが、こんなことは奇跡としか言いようがなく、何となくだが、今後はこの四人で冒険に明け暮れるような気がしている。根拠など無く、人の出会いなど予想だにできないが。


「あら、あそこで冒険者とゴブリンが戦ってるわね」

「お、本当ですね」


 ロニアが北を指差す。つまり右手側。

 緑に覆われた小高い丘で、二人の冒険者がゴブリン一体と戦っている。

 重たそうな両手斧を振り回す軽鎧の男性と、黒いチュニックを着た杖持ちの女性。おそらく前衛攻撃役と後衛の補助役か回復役なのだろう。

 一方のゴブリンは全身を、すなわち頭のてっぺんから足に至るまでが黒い鎧に包まれている。右手には灰色の片手剣を握っており、ゴブリンサイズなことから、人間のそれよりも少々短い。

 後ろの女性が弱体魔法をバシバシと唱える。効果はてきめんだ。ゴブリンの動きが徐々に鈍る。

 両手斧を振るう背の高い男性が押し始める。百八十センチの長身から繰り出される斧の重さは凄まじく、鎧に守られてはいるものの、ゴブリンは体に加わる衝撃に大きくよろめく。

 この冒険者と比べると、ゴブリンは非常に小さく見える。背丈は半分ちょっとだ。この固体が特段小さいわけではなく、ゴブリンの多くはこの程度の背丈だ。

 手足はおろか体も細く、毛が一切生えていない。遠目からは子供に見えなくもないが、そもそも肌の色がやや緑色っぽいため、見間違えることはまずない。

 顔も若干人間に似てなくはないが、どちらかと言えばオークの方が近いかもしれない。そこまで豚鼻ではないが。

 四人が見守る中、ゴブリンが倒れこむ。どうやら決着がついたらしい。楽勝には程遠いが、ここのゴブリンは手ごわいことで有名なため、勝利を掴んだ冒険者は誇っていい。


「あの二人カップルかな~?」


 ネッテの発言にイリックは血の繋がりを感じる。同じことを考えていた。


「案外、あなた達みたいに兄妹かもしれないわよ?」


 ロニアが思ってもみないことを口にする。内心ではただの冒険者仲間だろうと冷めたことを考えている。


「カ、カップルってこと? キャー」

(何がキャーだ。アホくさい。というか、カップルじゃなくて兄妹だろ……。いや、わからんけど)


 ネッテが喜ぶほど、イリックは冷めていく。


「そうだわ。ゴブリンとオークについて少しお勉強しましょうか?」

「するー」


 ロニア先生の青空教室が突然開催される。そして、生徒がうれしそうに食いつく。イリックとアジールは黙って歩きながら聞くことにする。


「どちらもモンスターとしては異質な存在なんだけど、どうしてかわかる?」

「人間っぽい!」

「その言い方だと三角ってところかしら」


 丸がもらえなかったことにネッテが悔しがる。

 そんなネッテをあやすように、ロニアはつらつらとゴブリンやオークについての説明を始める。


 ゴブリンとオーク。どちらもモンスターというよりは人間に近い存在だ。

 姿形もそうだが、何より彼らは独自の言語を用いて人間のように意思疎通を図る。それだけではない。

 社会を構築している。

 武器を扱う。

 住んでいる地域に合わせて生き方を工夫する。

 戦争という概念を把握している。

 なにより、ゴブリンとオークは異なる種族でありながら協力しあって人間を滅ぼそうとしている。


 過去、人類とゴブリン、オークは幾度となく戦争を繰り広げている。

 ゴブリンとの戦争、三回。

 オークとの戦争、四回。

 四回目、つまり前回の戦争では、人類がオークと戦っている最中にゴブリンがオーク側として突然参戦した。その結果、人類はかなりの痛手を被ってしまう。

 この出来事がきっかけで、ガーウィンス連邦国はサラミア港の西にある洞窟、ゴブリンの通り道に結界を張り、以降、ゴブリンがクルル島から来れないように対策をうつ。

 現在、トリストン大陸に生息しているゴブリンはそれ以降に増えた固体と言える。

 オークに関しては、この大陸に残っている個体は存在しない。しかし、すぐ北東に存在するルワミリ島は今なおオークに支配されており、いずれ彼らの本拠地であるシーブル大陸から軍が派遣された際、ルワミリ島を足がかりに再度戦争が始まるのだろうと予想されている。


 現在、人類が抱えている大きな問題は三つ。

 クルル島のゴブリンとジャイアントの討伐。

 ルワミリ島の奪還。

 そして、北の地。

 もっとも、問題視していないだけで、ドラゴン討伐や謎の遺跡の解明などやらなければならないことはまだまだ山積しており、あえて危険性が高いものを三つ挙げるとすれば、それは先ほどの三つとなる。


「なるほどー」


 ネッテがふむふむと頷く。


「そうそう、最近ってわけじゃないけど、三十年前にたった一体のゴブリンがジャイル村を襲って、最終的には軍隊まで派遣される騒ぎになったそうよ。ゴブリンの中には、そういう強い固体が時折出現するのかもしれないわね」


 聞き耳を立てていたイリックは、ネッテ以上に感心する。一般教養なのかもしれないが、少なくともイリックとネッテにとっては初耳なことばかりだ。知識がどんどん増えていくことを実感する。


「オーク繋がりで言うと、東の大陸では人間とオークとリザードマンが戦争中よ」

「東の大陸!? 行ってみたい!」


 先日、ゴルドから聞いた話の繰り返しだが、それでもネッテは妙に食いつく。


「西の大陸ではジャイアントと戦争しているらしいけど、交流がほとんどないからはっきりとは言えないわね」

「西の大陸!? 行こう行こう!」

「ふふ、今度行ってみましょうか」


 ロニアが余計なことをツラツラと吹聴する。嘘は言っていないが、ネッテのテンションが上がる話題をあえて選び、その反応を楽しんでいるように見える。


「お兄ちゃん、今度行こう!」

「何しに行くんだよ……。用事がないだろう」

「冒険!」

(くそ、なんて便利な単語だ……)


 それだけで理由になっている。だが断る。


「そもそも行く手段がないだろうに。今は諦めろ」

「え~」

「あら、行きたくないからって正論言っちゃって」


 イリックの言い分にネッテは口を尖らせ、ロニアは呆れる。

 そう、移動手段がないのだ。東のアリカ大陸、西のコンティティ大陸ともに、機船での行き来はできない。ガーウィンス連邦国が東の王国と時折やり取りしているが、一般人がその船に乗れるわけではない。

 西の大国、イダンリネア王国とも細々と貿易を行っているが、それは貿易であり人の行き来までは許されていない。

 つまり、現状は行きようがない。泳いで渡ることなど到底できない。そういう距離ではない。

 とは言え、目標を持つことは良いことだとイリックも自覚しており、いつか行けたらいいな程度には思っている。

 他の大陸にギルド会館などはないため、もし行くのなら金持ちでなければ難しい。そういう現実と向き合うのがリーダーであり、今はその時ではないが、いずれは頭を悩ます時が来るのかもしれない。

 ブーブー言い続けるネッテを無視して、イリックは歩き続ける。

 多くの人に踏みしめられた地面はすっかり禿げ上がっており、草原に道となってどこまでも続く。

 西に近づくにつれ、少しずつ、蜂のモンスターが増えていく。

 蜂のモンスター。それは昆虫ではなくモンスターだ。

 何が違うかと言えば、至極単純だ。大きさが違う。ただそれだけ。姿は全く一緒のように見える。

 しかし、大きさが違う。

 昆虫の蜂は大きくても親指くらいだが、モンスターの蜂は伸ばした腕くらいは大きい。つまり、五十センチは優に超えている。

 大きい分、動きは遅いのだが、だからと言って油断はできない。遅いと言ってもブンブン飛ばれでもしたら攻撃は当てにくい。ネッテはアジールと会話をしながらでもあっさりと倒してしまうが、そういう人間は例外だ。


「ロロホーネット、増えてきたわね」

「へ~、そういう名前なんですね」


 ロニアが口にした名前は、受付の女性も言っていた。


 ロロホーネット。ここ、ロロ高原とロロ洞窟に生息する蜂のモンスター。今回の獲物であるダーケストホーネットが生み出していると言われている。


 一行はそのまま歩き続け、ついに道の行き止まりに辿り着く。行き止まりと言っても正面に壁があるわけではなく、足元の土道が北と南に枝分かれしているだけだ。

 イリック達はこのまま西へ向かわなければならないため、ここからはいよいよ道なき道を進むことになる。

 北に進めばミリリン村とバンベリー沼地。

 南に進めばヘキン草原。

 そして、西に進めば今回の目的地、ロロ洞窟。

 今日中に辿り着けるわけではない。予定では明日の昼頃だ。今日は行けるところまで進み、そこで野宿となる。

 緑色の景色が徐々に赤く染まっていく。あっという間に暗くなり、本日の進行は終わりを迎える。

 野営地と定めた場所で、各自、自分のやるべきことを開始する。


「今日はロニアさーん。私はお手伝いね」

「ええ。がんばっちゃうわ」


 ネッテとロニアが楽しそうに調理器具に向き合う。

 事情が飲み込めないイリックは、せっせとテントを設営しながら聞き耳を立てて様子をうかがう。どうやら今日の夕食はロニアが担当らしい。

 テントを作り終えたらイリックは枯れ木を集める。ロロ平原にはあちこちに木が生えているため、たいした時間をかけずともあっさりと必要量が腕に収まる。

 そもそも、既にロニアがある程度は集めており、夜を越す量としては多すぎるかもしれない。しかし、暇なのでつい集め過ぎてしまう。

 夕食ができるまでは鍛錬の時間だ。

 イリックはスチールソードを鞘から抜き、先ずは素振りに精を出す。素振りと言っても全身を使って実践的な動きで振る。

 えいや!

 それ!

 しかし、ギリギリ汗はかかない程度に。なぜなら、女性陣が嫌がる。

 汗だくでご飯食べないでよ、と何度言われてきたか。もはや数える気にもなれない。ゆえに、ギリギリの線を攻める。我ながら器用なことをしていると思う。


「ご飯よー」


 ネッテの叫び声が暗い平原に響き渡る。

 イリックが焚き火の光に引き寄せられると、白いシートの上にはちょこんとアジールが座っており、残りの二人はせっせと盛り付けをがんばっている。

 一同は焚き火を囲んで夕食と向かい合う。

 サルテーニャ。

 コカのトマト煮。

 ガーウィンス風サラダ山盛り。

 サウノ風タコス。

 確かにネッテの料理とは雰囲気が違う。とりわけ、野菜の量が多い。ロニアはガーウィンス風サラダを筆頭に、野菜料理が好きだ。献立もそういうことになる。


「頂きます」

「いただき魔力!」

「頂きます」

「召し上がれ」


 四人はカチャカチャと音を鳴らしながら眼前の料理を口に運ぶ。


「美味しい!」


 サウノ風タコスを頬張ったネッテが歓喜の声をあげる。サウノ商業国周辺でとれる野菜や肉に独特の味付けを施し、サンドイッチのように薄手の生地で包み込む料理だ。

 イリックも二度三度と頷く。


「サラダもおすすめよ」

(それは冗談で言っているのだろうか? ただ切って盛り付けただけのような……)


 それでもイリックは沈黙を選ぶ。

 次の料理はサルテーニャ。焼いた丸いパン生地の中に、肉やら野菜やらが細かく切って入れてある。パン生地は買い置きだが、それでも手間はかかる。


「結婚するならロニアさんみたいな人がいいなぁ」


 イリックはついポロリと本音を漏らしてしまう。

 その結果、なぜか一瞬静まりかえる。聞こえるのは焚き火が焼ける音と虫の囁き声くらい。

 イリックはガーウィンス風サラダをシャリシャリと食べてみる。


「兄上!」

「いちいちうるさいよ」


 ネッテの叫び声が静まり返った夜のロロ平原を震わせる。あまりの大声っぷりに、隣で固まっていたアジールもビクッと震える。


「私という妹がありながらなんてことを!」


 ネッテの雄たけびをイリックは澄ました顔で受け流す。そして食事を続ける。


「私を選びなさい!」


 終いには命令されてしまう。頭痛を感じながらもイリックはそれに耐える。ネッテは昔からこんな感じであり、今更どうこう思う必要もない。


「別に例えで言っただけだよ。料理が上手な人がいいな~って」

「そう。ならよし!」


 ネッテからお許しをもらえたことで、この話題は丸く収まる。


「ネッテちゃんも料理上手だから、きっと候補に入ってるわよ」

「だよねだよねー」


 ロニアが余計なことを言い出す。

 ネッテはうれしそうに体をクネクネと動かす。

 アジールも頭を縦に振って同意する。


(あんたら、こういう時はほんと息合ってますな)


 ネッテを嫁に。当然だが、イリックはそんなことを考えたことがない。なぜなら妹だから。この時点でアウトだ。

 この大陸ではこういう倫理感が一般的だ。大陸によっては異なるのだが、少なくともトリストン大陸ではタブーとされている。

 そういったことを抜きにしたとしても、ネッテはイリックのストライクゾーンから外れている。

 イリックは背が高くて男勝りな女性が好みだ。

 胸はでかい方がいい。

 愛嬌があって明るい性格ならなお良し。

 そう、テホト村で出会った冒険者のマリィがまさにストライクだ。

 男勝りな言動や雰囲気とは裏腹に、薄茶色の髪が肩まで垂れており、女らしさも兼ね備えている。胸はロニアより大きく、鍛えているからだろう、ウエストもばっちり引き締まっている。イリック的にはどうでもいいのだが、お尻も大きい。

 人当たりもよく、ネッテに至っては短剣までもらう始末だ。

 今頃はどこで何をしているのだろう? イリックは久々にマリィのことを考えてしまう。

 イリックの願いはシンプルだ。相思相愛になれなくていい。せめて、一度でいいから胸を揉ませてほしい。


「兄上!」

「い、いちいちうるさい奴だな……」


 心の中での浮気がばれてしまう。鋭い。さすが妹、鋭い。



 ◆



 夕食後のまったりした時間を、イリックは一人ぽつんと過ごす。呆けているわけではない。片付けを手伝いたくないわけでもない。

 ヘカトンケイルとの一戦後、イリックはこうした時間をイメージトレーニングに当てている。

 なぜか? もちろん、仲間を守るためだ。

 今のままでは足りない。もっと強くならなくてはならない。前回の戦いでそのことを強く痛感した。

 いつかネッテが言っていた言葉を思い出す。

 お兄ちゃんは本気出さないもんね。

 デーモン戦でそのことを思い知った。しかし、この件に関しては克服したつもりでいた。強敵と戦う際は、最初からフルスロットルで戦えていると思い込んでいた。

 ヘカトンケイルとの戦いでは、最初から本気で戦えていると誤解していた。しかし、体が全力で稼動するまでにかなりの時間を費やしてしまったと後から気づかされた。

 その結果、大惨事となる。

 これはいかんと一念発起し、イリックは特訓を開始する。と言っても毎日クエスト続きなため、その合間合間に体を鍛える程度のことしかできない。

 例えば素振り。

 例えばイメージトレーニング。

 せいぜいこれくらいだ。

 クエストをやること自体が体を鍛えることに繋がっているため、そう焦る必要もないが、強くなれるのなら何でもしたいというのが本音だ。

 今回のクエストで討伐する相手は、手ごわいがゆえにそう指定されているウォンテッドモンスターだ。ワクワクしてしまう。

 ヘカトンケイルとの戦いはステップアップに繋がった。速い、頑丈、そしていくつもの戦技を操る強敵。良い対戦相手だった。

 おかげでイメージトレーニングの相手としても相応しい。

 今まではデーモンと戦い続けていたが、そろそろ単調になってきたと感じていた。ヘカトンケイルの参戦で当分困ることはなさそうだ。

 目を閉じてヘカトンケイルと戦っていると、三回ほど殺されてしまったタイミングで女性陣がどこからか戻ってくる。水浴びからの帰還だ。

 ちなみにイリックは夕食後にさっと済ませており、後は寝るだけだ。

 本当は体を動かす鍛錬もしたいのだが、朝からずっと歩いたため、今日は少々疲れている。ゆえに、頭の中だけで戦う。


「お兄ちゃん、何してるのー?」

「イメージトレーニング」


 当然だが、イリックは座っているようにしか見えない。ネッテの声に呼応してイリックは視線を動かす。そこには薄着の三人が立っている。

 まっ平らなネッテ。

 そこそこ膨らんでいるアジール。

 もはや何も言えない、ロニア。

 大人組の二人についてはもう十分だ。合格点など優に超えている。しかし、妹に関しては点数のつけようがない。

 まだ十五歳。これから成長するのかもしれないが、それにしても酷い。イリックの方がまだ膨らんでいるかもしれない。


「ん? 何々? 私に見惚れちゃった?」


 ネッテがうれしそうに兄の顔を覗きこむ。見つめていたのは確かだ。理由は全く異なるが。

 つい出来心で、右手が動いてしまう。そして、ネッテのまっ平らな大地をなでなでしてしまう。おそろしい程にまっ平らだ。


「んなっ!? えっちー!」


 ネッテが顔を赤らめながら胸を押さえる。自分からアプローチする際は平然な顔をしているが、いざ触られると照れる。女心は複雑だ。


「イリック。いくらネッテちゃんの体にムラムラしたからっていきなり触るのはどうかと思うわよ。せめて許可をもらいなさい」


 ロニアが叱るようにイリックを責める。わかってて言ってるのか、それとも素なのか、イリックにはわからない。


「妹の将来が心配になって確認してみただけです。触るならロニアさんかアジールさんのがいいです」

「兄上!」

「ぐえっ!」


 ネッテの超高速手刀がイリックの鳩尾に炸裂する。速すぎて全く見えない。当然、回避や防御も間に合わない。


「私のでいいの?」

「も……もちろんです。十分過ぎるくらい……です……」


 アジールへの返答がイリックの遺言となる。パタリと倒れたイリックは三人によって寝袋に詰められ、朝まで動くことはなかった。


「私の、あんまり大きくないと思うんだけど」

「私が言うのもなんだけど、平均くらいはあると思うわよ」


 アジールが自身の胸を見下ろす。

 それに対し、ロニアは一般論的な視点で語る。自分の胸を引き合いにだしてはいけないと承知しているからだ。

 ネッテが二人の胸をまじまじと見比べる。それだけでは足りないのか、今度はツンツンと突いてみたり、もみもみと感触を堪能して比較する。


「どうすれば大きくなるの!?」


 ネッテが泣き叫ぶ。この場にいる二人では慰めることすら難しい。なんと言葉をかければいいのか、それすらも思いつかない。


「少しずつ、大きくなると…………思う」

「今の間は何?」


 アジールの精一杯の励ましはネッテを少し傷つける。


「よく食べて、よく寝るとか? そもそもネッテちゃんはもう少しお肉つけた方がいいと思うわよ」

「なるほど~」


 ロニアは何の根拠もない自論を語る。しかし、的外れではないような気もしている。確信などこれっぽっちもないが。


「女性ホルモンを出すといいらしい」

「ほほう、どうやるのどうやるのー?」

「好きな人と一緒にいるとか……。あ」


 アジールは言い終えて気づく。ネッテとイリックは四六時中一緒にいる。その結果がこれなのだ。どうしようもなさそうだ。


「いっそ、イリック以外の男を好きになってみたら? 世の中には胸の小さな女性が好きな男も多いみたいよ」

「え~、お兄ちゃんがいい~」


 ロニアの案はネッテによってあっさりと却下される。


「いつからイリックのこと好きなの?」


 アジールがついに訊いてしまう。実はロニアも前から気になってはいた。しかし、あえて触れないようにしていた。なんとなくだが、触れてはいけない話題だと思っていた。


「えっとね~。物心ついた頃からなんとなく好きだったけど、決め手はお父さんとお母さんが死んじゃった後かな~? 私がまだ料理できない頃、どんなに失敗しても残さず食べてくれたの。それに、お魚三匹釣れた日とかは、私に二匹くれたんだ~」


 ネッテがつらい過去をあっけらかんと話し始める。アジールとロニアはタブーに触れてしまったと再認識したが、既に手遅れだと悟る。


「お父さんのお金がなくなってきたタイミングで、お兄ちゃん、見回りの仕事始めたんだけど、お給料少なくて、服とかなかなか買えなかったんだよねー。でも、私の服は買ってくれたの。お兄ちゃんはモンスターと戦うからすぐボロボロになるのに、それをいつまでも着続けるんだー。だから、近所のおばさん達がお古くれるの!」


 アジールとロニアの目から涙が流れ出す。やはりこの件は訊いてはいけなかった。しかし、ネッテは続ける。


「それとねー、私が寂しくて眠れない日とかは、お兄ちゃんがお父さんやお母さんのように寝かしつけてくれたの。その頃には、お兄ちゃんと結婚するって決めてたな~」


 両親を失った以降、小さな子供は二人だけで生きてきた。近隣の人達の支えはあったにしろ、その環境は二人を強く結びつける。


「あ、それにね! お父さんとお母さんに、お兄ちゃん好きかもって言ったら、あなた達は結婚してもいいのよって応援してくれた! だからする!」


 この発言にはアジールとロニアも首を傾げる。兄妹なのに結婚しても良いと応援する親がいるだろうか? 少なくともこの大陸にはいないはずだ。ネッテの記憶違いだろうと解釈しておく。

 その後もネッテはイリック愛をつらつらと語り続け、気づけば随分と夜更かしをしてしまう。

 三人もイリックに続き、テントの中で寝袋に包まれる。

 遅くまで、イリックとネッテの寝袋がいつまでもモソモソと物音を立てていたが、アジールとロニアは気づかない振りをして眠る。二人にできることはそれくらいなのだから。


 こうしてロロ洞窟を目指す旅は二日目を終える。

 ここはロロ平原の西側。

 目的地はもう少し先。ゆえに、明日も歩き続ける。



 ◆



 翌朝。

 足元の葉っぱがわずかに湿っている。

 空の太陽はまだ眠たいらしく、まぶしすぎない日光がさらっと草原を照らす。

 早起きしたイリックは、眠たい目をわずかに開いて周囲を見渡す。

 サウノ商業国から随分と離れたことから、冒険者は全く見当たらない。まるで自分達だけがこの世界に取り残されたと錯覚しそうになるが、漂ってくる豆の甘い匂いによって我に帰る。

 ロニアはまだテントの中で眠っている。

 アジールは起きているもののまだ眠いらしく、どこか呆けているようにも見える。

 ネッテは朝食をせっせと作っており、小さい背丈には似つかわしくない母性を垂れ流す。

 現在の時刻は午前六時過ぎ。

 イリックは鳩尾を摩りながら考える。昨晩は何時に寝たのか記憶がない。随分寝すぎた気もするが、とにもかくにもわからない。腹部が痛むが、やはり原因がわからない。

 ネッテのがんばりにより、テキパキと朝食が並んでいく。

 パン。

 干し肉。

 サウノ風サラダ。

 豆スープ。

 オーソドックスな献立だ。しかし、それで十分でもある。


「そろそろロニアさん起こして~」

「おう、まか」

「アジールさんよろしくー」

「うん」


 そう、イリックはこの役をやらせてもらえない。寝ているロニアの顔を眺めたり、起こす振りをして胸を触ったりはできないのだ。

 寝起きのロニアも加わり、朝食が始まる。豆スープの透き通った匂いが食欲をそそる。熱いスープは寝起きの体にドシリと効く。

 ロロ洞窟には今日の昼前後には到着する予定だ。

 アジールとロニアもロロ洞窟には足を踏み入れたことがないため、そこから先は慎重に行動しなければならない。

 イリック達は、既にいくつかの洞窟を体験している。

 アイール砂丘の東に存在する東の洞窟。

 風の大精霊がいる風の洞窟。

 しかし、どちらもただの横穴みたいなものであり、モンスターも宝も存在しない。その上ただの一本道だ。迷いようがなく、気づけばゴールに辿り着けてしまう。

 一方、これから向かうロロ洞窟は違う。道はグネグネと曲がりくねっており、途中からは三つ、四つと枝分かれする。地図は購入済みなため、それを手がかりに進めばいいのだが、今回はモンスターも普通に生息している。

 モンスターについては心配する必要はない。ロロ平原のモンスターと比較して少し強い程度だからだ。

 そういうことなら問題ない。ネッテとアジールだけで倒してしまう。ロニアが参戦すれば勝利は磐石だ。

 イリックは地図と睨めっこしなければならない。モンスターの相手をしている余裕はない。


 朝食を終え、テントや食器の片付けが済んだタイミングで一同は出発する。今日もひたすら西へ。

 遥か前方には、小高い岩山が壁のようにそびえ立っている、ロロ洞窟はそのふもとに存在する。

 北から南へどこまでも伸びるこの岩山の向こうには何があるのだろう? イリックはそんなことを考えながら歩く。

 三時間後、昼前にはまだ早いタイミングで、ロロ洞窟らしき穴に到着する。

 洞窟と呼ぶには小さい穴だ。縦横四メートルくらいだろうか。先日戦ったヘカトンケイルだとギリギリ頭をぶつけてしまいそうな程度の大きさだ。

 現在の時刻は午前十時。

 さて、どうしよう? 昼食を済ませてから突入しようと思っていたが、計画を変更すべきだろうか。イリックは周囲を見渡しながら悩みだす。


「少し入ってみようよー」


 ネッテがやる気をみなぎらせ、一同はそれに続く。中の状況次第では、入り口に一旦戻って昼食にすればいい。様子見も兼ねて、イリック達は横穴に突入する。

 足を踏み入れてから十秒も必要ない。四人はあっという間にここの異質さを理解させられる。

 太陽の日が差し込まないにも関わらず、灯りなど必要ない。

 あちこちの植物から緑色の光が漏れている。白い光が緑色に透けてそう見えるだけかもしれないが、それでもイリック達は小さく感動する。

 シダ植物のような茎の太い植物。

 うねうねと伸びている植物。

 苔のようなべトッとした植物。

 葉の少ない様々な植物が、洞窟そのものを覆い尽くしている。奇妙な形の植物を受け付けない人間は決して足を踏み入れることができない場所だ。この四人はなんとも思わないため、ずんずん進む。

 イリック達を最初に歓迎するのは蜂のモンスター。ロロ平原で散々みかけたロロホーネットだ。刺激しなければ襲ってこないため、用心しながら素通りする。

 先に進むほど、少しずつ道が広まっているように感じる。少なくとも、天井の高さは当初の倍近くまで高くなっている。


「ふむ、早速二手に分かれてますね。となるともうここか……」


 イリックの言う通り、道が真っ直ぐと左とで分かれている。

 手元の地図では直進が正解だと語っている。一行はそのまま前へ進む。


(ふーん。このペースだと、二、三十分で広間には到着しそうだな。その手前で昼食にするか)


 最初はイリックが先頭を歩いていたが、気づけばいつもの陣形に戻っている。先頭をネッテとアジールが仲睦ましく陣取り、イリックとロニアがその様子を後ろを眺める構図だ。


「蜂さんよー、離れてー」

「ほいほい」


 ネッテがモンスターの存在を知らせる。洞窟は緑色の弱い光で照らされているとは言え、それでも若干薄暗い。夜目が効くネッテはこういった場所では非常に活躍する。

 壁や天井がそうであるように、足元にもところどころに苔が生えているため、時折滑りそうになる。身体能力が高い冒険者といえども、バランスくらいは普通に崩す。時折、ネッテやアジールがずるっと滑り、その度に小さな笑いが一同から沸く。

 道幅がいくらか広まろうと、ロロホーネットが複数いたら避け様がない。そういう時は大人しく討伐するしかなく、ネッテとアジールがさくっと倒す。モンスターにしては素早いが、洞窟ゆえ、逃げ場などない。少なくともネッテの敵ではない。

 三十分後、全員を立ち止まらせて、イリックは地図をまじまじと見つめる。予想以上の進行具合に内心では自画自賛中だ。


「ここで休憩も兼ねて昼食にしましょう」


 目の前には、ここが洞窟とは思えないほど広い空間が広がっている。石でできているのか、はたまたそういう植物なのか、遠目からでは判断できない巨大な柱が、いくつも床と天井とを繋げている。円柱ではなく、中間部分がやや細まっており、それでもその部分の太さは一メートルを越えている。表面は周囲の壁同様、緑色で覆われており、そのことがこの柱の正体をわからなくしている。

 広間には、青い傘を被っているキノコのモンスターが十体以上うろうろしている。しかし、イリック達は広間手前の通路に陣取っているため、いくらか距離が離れていることもあり、襲われることはない。

 ここから道が枝分かれする。右、前、左、と広間は三つの細道を冒険者に提示する。それぞれ辿り着ける場所は異なるため、地図を参考に進むべき方向を決めなければならない。

 自分達の目的は蜂のウォンテッドモンスター、ダーケストホーネット。それがいるのは右だと教わっている。ここはまだ中間地点でしかなく、道のりは長いのだが、休めそうな場所ということもあり腰を降ろす。


「火は使わない方がいいのかな?」

「密室じゃないんだし、大丈夫だと思うわよ」


 ネッテは料理を、ロニアはそれを手伝う。

 周辺の警戒はアジールに任せ、イリックは地図を広げる。ここから先のルートを頭に叩き込むためだ。


(この広間を右に折れて、そこからは当分道沿いに……。その先が大変そうだな)


 そう、ここからがロロ洞窟の本番だ。広間から右に進むと、その先は道が迷路のように入り組んでおり、自然にできた洞窟とは思えない。モンスターか何かが侵入者を惑わすために作ったのかもしれない。迷路のような地図を眺めているとそう思えて仕方ない。

 昼食を手短に済ませ、イリック達は会議を始める。

 議題は、腹筋の割れている女性はありかなしか。なぜこんなことになったのかはわからない。ネッテが、アジールの割れた腹筋をかっこいいと褒めたからかもしれないし、イリックが食いついたからかもしれない。理由はどうあれ、議論は始まる。


「当然、ありだ」


 イリックは言い切る。ムキムキ過ぎるのはちょっと抵抗があるが、腹が田の字に割れている程度なら許容範囲どころか好物かもしれない。

 ネッテは自分の腹をさする。当然、腹筋などついていない。胸同様まっ平らだ。


「腹筋した方がいいのかな?」

「ネッテはそのままでいいと思う」


 ネッテの疑問にアジールが即答する。ネッテのことになると途端にしゃべりだす。


「どうでもいいけど、私も足というか太ももに筋肉ついちゃったのよね~。そのせいでさらに太くなっちゃったわ」

「あ、それ私も」


 ロニアとアジールが足の太さを嘆く。

 イリックはチラリと二人の生足を眺めながら、こういうところに男と女の差を感じてしまう。


「俺はそれくらいが良いと思います。細い足はむしろ気持ち悪いです」

「わ、私細い方なんだけど……」


 ネッテがぎょっとする。間接的に気持ち悪いと言われたのだから当然だ。


「あなたが太い足好きなのは知ってるわよ。アジールの太もも散々眺めてるものね」

「うっ!?」


 ロニアの指摘に、今度はイリックがぎょっとする。ばれていないとは思っていなかったが、面と向かって言われるとびびってしまう。


「お兄ちゃんはさ~。アジールさんとロニアさん、結婚するならどっち? あ! もしもの話だよ? 私と結婚するんだから!」

「はいはい。どっちかかぁ。悩む」


 自分で言っておきながら焦っているネッテを無視して、イリックは考え込む。

 太もものアジール。

 巨乳のロニア。

 悩ましい。


「二人で!」

「兄上!」

「ぐえっ!」


 ネッテの手刀がイリックの腹に突き刺さる。胃の中身が逆流しかけるが、必死に耐えるも涙は止まらない。


「イリック。ここは嘘でもネッテちゃんを挙げるか三人って言っておきなさい」


 ロニアがイリックを見下す。その視線がイリックをゾクゾクさせるが、こればかりは決して口外できない。イリックは苦しみながらも蔑まれることにこっそりと快感を抱く。

 イリックが苦しみ続けたため予定より少し出発が遅れてしまったが、四人は広間を右に抜け、奥を目指す。

 ウォンテッドモンスターが目撃された場所は把握している。そこを目指して今はひたすら前進する。


(お腹、気持ち悪がられると思ってた……)


 アジールにとって、人より太い足と腹筋が割れていることはコンプレックスでしかなかった。しかし、それを許容されるどころか気に入られるという事実はアジールを誰よりも驚かせる。

 このままでいいんだ。

 アジールは自分をさらに受け入れる。

 気持ち悪がられるだけだった魔眼に続き、二つのコンプレックスを克服する。

 この行為が、アジールの成長に繋がるのだが、それはもう少し先の話。



 ◆



 下り坂の、それでいてクネクネと折れ曲がっている薄暗い道を奥へ奥へと進む。まさか地下に潜ることになるとは思ってもおらず、イリックは警戒しながら凹凸の激しい地面を歩く。

 その結果、徐々に雰囲気と空気が一変する。洞窟は相変わらず様々な形の植物で覆われているが、どういうわけか緑色の光が強まっていく。場所によっては眩しいくらいだ。

 無事戻れたら調べてみたいわね、とロニアがつぶやく。当然、こんなところで野垂れ死ぬつもりはない。

 広間からここまで、三十分以上は歩いている。その間、モンスターとは一切遭遇しなかった。入り口から広間までの道のりでこのようなことはなく、手間が省けてうれしいのだが、どこか不気味にも思える。

 その後も歩き続け、道が真っ直ぐになったタイミングでついにモンスターと遭遇する。大きなサソリのモンスター、ケイブスコーピオンだ。

 全身くまなく茶色く、無駄にテカテカとしている。そういうところがいかにも虫っぽい。頭から尻尾までの長さはおそらく二メートルくらい。背丈はネッテよりも低い。横たわっている胴体からは三対の足が左右に伸びており、尻には立派な尻尾が生えている。尻尾の先端には毒針が飛び出しそうな突起物が見える。頭は異常に大きく、それこそ胴体と同じくらいの大きさだ。ハサミのような口に噛まれたらそれだけで即死だろう。

 初めて見る人間なら恐れおののきそうな姿だが、イリックは一切怯まない。むしろ、なつかしいとさえ感じる。

 アイール砂丘にもサソリのモンスター、サンドスコーピオンが生息する。見た目はこの固体と変わらない。大きさという点ではアイール砂丘の方が少しだけ小さい。そう大差なく、つまりは同じ感覚で立ち向かうことができる。


「サソリは俺に任せてください」

「ゴーゴー!」


 イリックが珍しくやる気を出す。当然だ。見回り時代、散々倒してきたモンスターなのだから。倒し方は誰よりも熟知している。ここの固体がアイール砂丘のそれとは異なる種類ということはわかっている。しかし、所詮はその程度の違い。

 イリックは背中の片手剣を抜く。灰色なはずのスチールソードは、ここでは緑色に照らされ曖昧な色に染まる。

 人間の接近に気づいているケイブスコーピオンは姿勢をより一層低くする。そして、尻尾をグインと頭上にまで移動させる。


 スコーピオンの攻撃方法は主に二つ。

 大きな顔についているこれまた大きな顎での噛み付き。

 長い尻尾での攻撃。突き刺しもしくは殴打。

 巨体に反して俊敏性が高く、走る速度はそれほどでもないが、これら二つの攻撃は一瞬で繰り出される。

 とは言え、イリックの敵ではない。

 右手にスチールソードを持ち、無造作に近づく。

 次の瞬間、ケイブスコーピオンの頭が割れる。イリックを警戒していたが、何もできずに茶色い体がドシンと倒れこむ。

 念のため、とイリックは胴体にもスチールソードを突き刺す。


「はい、終わり。レッツゴー」


 一秒もかからない。スコーピオンとは戦い慣れているのだ。負ける気がしない。同じ系統のモンスターとこの先出会おうと、一瞬で倒し続けてやる。そんな気概を見せてイリックは前進する。


「頼もしいリーダーなことで」

「ここのサソリって強いらしいけど」


 ロニアとアジールが死体を横目に歩き始める。

 そう、スコーピオンはその地域にいる他のモンスターより強い傾向にある。例外はあれど、例外は例外でしかなく、この法則は多くの地域で当てはまる。

 アイール砂丘しかり、ロロ洞窟しかり。そこのスコーピオンを倒せるのなら、他のモンスターに遅れをとることはない。そう言わしめるモンスターだ。

 その後も蜂やサソリをばったばったと倒しつつ、イリック達は迷路のような地下洞窟を突き進む。

 薄暗い小さな部屋。

 緑色の光が妙に明るい上り坂。

 狭いがロロホーネットが徘徊する通路。

 天井が妙に高いやや広まった空間。

 そういった場所を地図を頼りに進んでいく。

 そして、目標の場所近くまで辿り着く。二度ほど迷子になったが、誰もイリックを責めない。それほどに複雑な地形だ。


「あ、おっきいのがいるよー」


 薄暗いその部屋を、イリックとネッテが覗き込む。当然のようにネッテが視認する。

 光源がないのか、薄暗いその部屋にはなぜか植物がほとんど確認できず、岩や凝り固まった土だけで構成されている。

 そんな殺風景な部屋に漂う一際大きなモンスター。一言で表現するなら、人間より大きな蜂。

 先ほどまで倒してきたロロホーネットは五十センチ前後だが、それはアジールくらいの大きさだ。その上ちょっと浮いてる。蜂なのだから当然だが、その巨体ゆえ、それさえも不思議な光景に思えてしまう。

 違いはそれだけではない。顔と尻が妙に大きい。尻というより下腹部なのかもしれないが、それだけでも体の半分以上を占めている。

 耳をすませるととブーンと羽音がいくつも聞こえてくる。大きな蜂以外に、ロロホーネット達がうじゃうじゃとうろついている。まるで女王蜂を守っているように見える。

 こういう時に出番が回って来るのはロニアだ。


「はいはい。ウォーターインカーネイト」


 ロニアの詠唱と共に四本の水柱がロニアの周囲から現れる。一度に呼び出せる水柱は四本が限度であり、つまりこれは最大火力で攻撃するという意思表示でもある。


「こういう時ってウォーシャウト使ってもらうか否か迷っちゃいますね」

「そうなの? 私は使う気でいたけど」


 イリックが奥を覗き込みながら考える。一方、アジールは小さく首をかしげる。

 アジールがウォーシャウトを使った場合、それに巻き込まれたモンスター全てがアジールに向かう。それはそれで戦いやすいが、イリックとしては向かってくるモンスターを各個撃破すればいいと思っており、どうしたものかと悩んでしまう。

 とは言え、ロニアを狙われるのは避けたいため、今回はアジールにがんばってもらうしかない。


「それじゃ、ロニアさんが三発水の槍をロロホーネット達にぶちこんだら戦闘開始で。アジールさんは開幕ウォーシャウトお願いします。ネッテと俺で近づいてくるのを叩き落していきます」

「ガッテン!」


 イリックの作戦通り、ロニアが水の柱を槍に作り変えていく。

 一本、二本、三本。先端が螺旋を描く槍とそれを支える足場が次々と完成する。四本目はロニアが狙われた時の保険であり、問題なさそうなら撃ってもらう。


「いいかしら?」

「どうぞ」


 ロニアの問いかけにイリックは素早く返答する。戦闘開始の合図でもある。

 三本の槍が順に発射される。ウォンテッドモンスターと比べたら虫のように小さい蜂達が次々と槍に貫かれ粉々に砕ける。

 それを合図にイリックとアジールが突出する。


「ウォーシャウト」


 やや広い空間にアジールのウォーシャウトが拡散する。一番の奥のロロホーネット達までは届かなかったが、半分以上のモンスターを巻き込むことに成功する。

 しかし、イリックは思わずぎょっとする。突入して初めてわかったのだが、ロロホーネットが少なくとも二十体は存在する。数だけ多かろうが烏合の衆だとわかってはいる。それでも、大量の蜂が密集して飛び回る光景は正直言って気持ち悪い。


「アジールさーん、狙わなくていいので、俺達に当たらないようにバシバシ撃ってくださーい」

「わかったわ!」


 イリックは早速作戦を変更する。ロニアには攻撃を抑えてもらうつもりだったが、数を減らす役目を頼む。自分とネッテでちびちびと減らしていたら、アジールの負担になりそうだと判断した。

 アジールに数え切れないほどのロロホーネットが群がる。ウォーシャウトを使ったのだ、当然の結果と言える。もっとも、想定内。


「ネッテ、でかいのに近づきつつ、ロニアさんとの立ち位置考えて雑魚を減らしてくれ」

「ガッテン!」

「アジールさん、俺がそいつらを片付けます」

「うん」


 ここはダーケストホーネット専用の部屋なのだろう。奥は袋小路だ。戦場としては申し分ない広さだが、それは人間にとってであり、飛び回る蜂には少々窮屈そうだ。

 しかしそれは数が多いからであり、何よりそんなことを気にする様子もなく、大量のロロホーネットがアジールに襲いかかる。


「キュア」


 イリックはアジールに対してキュアを定期的に唱えながら、一匹ずつ雑魚を叩き落す。アジール目掛けてかなりの数が迫っており、およそ防ぎきれる量ではない。定期的な回復が必須な状況だ。

 本命はネッテに任せる。もっとも、もしかしたらロニアが仕留めてくれるかもしれない、とイリックは淡い期待を抱く。

 イリックの回復魔法のように、ロニアからも定期的に水槍が発射される。それは時折ロロホーネットやダーケストホーネットに命中する。しかし、数が少なくなれば後は自分達の出番だと承知しており、ネッテは本命に攻撃をしかけながらも周りの雑魚をビシバシ叩き落す。


「キュア」


 四度目のキュア。とりあえずこれで様子見だ。なぜなら、これ以上使うとすぐにテレポートを使えなくなる。休めばいいだけのことだが、そもそもこれで十分だ。

 アジールが小さな蜂を二匹叩き切る。

 残りはダーケストホーネット一匹と、その周囲で身構えるロロホーネット二体だけ。


「ウォーシャウト」


 アジールのウォーシャウトが三匹を包み込む。

 同時に、ネッテが素早い反応を見せる。小さい蜂を二匹まとめて切り刻む。

 イリックが念のため避難したタイミングで、ダーケストホーネットに水槍が二発続けて撃ち込まれる。

 トドメと言わんばかりにアジールも斬り付ける。

 ドスン、と洞窟を揺らしながらその巨体が地面に落下する。しかし、まだ手足や口はモゾモゾと動いている。

 それを見てイリックはふと考えてします。


「こいつを一緒にテレポートしたら、ギルドや警備隊の人に怒られちゃうのかな?」

「当たり前でしょ? 何さらりと怖いこと言ってるのよ」

「つい思いついちゃって……」


 実は悪くないアイデアだ。

 ウォンテッドモンスター討伐のクエストはこれで完了した。まだ死んではいないが、そろそろ冒険者カードに討伐の印としてダーケストホーネットの名前が浮かび上がる。

 本来ならそれだけでもいいだが、さらに金を稼ぎたいのなら、このモンスターの体を持てるだけ持ち帰るのがベストだ。

 モンスターの体は全ての部位とは言えないが、様々な場所が素材になる。

 毛皮なり、肉なり、牙なり、骨なり……。

 蜂の場合、羽や尻尾のトゲがそれに該当する。しかし、目の前の巨体はウォンテッドモンスター。つまり、珍しい固体とも言える。ギルドにこのまま持ちこめば、他の部位にも値段がつく可能性がある。

 とは言え、怒られたくはないため、イリックは大人しく羽と下腹部だけを切り落とす。それでもまだ動き続ける。早く楽になりたいだろうと考え、頭に片手剣を突き刺して完全なるトドメを刺す。


「それじゃ、帰りましょうか」


 こんな場所に長居はしたくない。いつ他の蜂がブーンと飛んでくるかわからない。もしくは、サソリがカサカサと現れるかもしれない。脅威でもなんでもないが、気持ちの良い状況ではない。


「本当はロロホーネットの羽もむしればいいんでしょうけど、たいした値段じゃないし、さっさと帰りましょう」

「あ、そうなんですか……。まぁ、いいか」


 ロニアがさらりともったいないことを言い出す。しかし、金額が低いのなら見送る。一匹一匹から羽を切り離すのは確かに面倒だ。


「テレポート!」


 別に叫ぶ必要はない。そうしたかっただけ。

 シュイーンという効果音はないが、イリック達は一瞬で石造りの街並みに移動する。サウノ商業国の西区にある宿屋の裏側だ。

 洞窟特有のじめっとした匂いから開放されたからか、思わず大きく息を吸い込んでしまう。

 なんでそんなところから四人も出てくるんだ、と行き交う人達から視線を向けられたが、口笛を吹いて誤魔化す。

 戦利品を携えて、イリック達はギルド会館を目指す。



 ◆



「いただき魔力暴走!」


 サウノ商業国に帰還したその晩、イリック達は報告を済ませ酒場に集結する。

 久しぶりの大金を手にすることができた。これがあるから冒険者稼業は辞められない。

 周りには自分達同様、冒険者で溢れかえっている。この店は冒険者専用というわけではないのだが、サウノ宮殿に近いことから、ギルド会館の食堂に入りきれなかった連中が流れ込んで来る。

 一人で静かに食事を楽しむ盗賊風の男。

 二人で酒をあおる女冒険者のペア。

 三人で明日のことを話し合うパーティ。

 四人で今日の出来事を振り返るイリック達。

 運ばれてくる夕食に舌鼓を打ちながらも、ロニアは感心したように話を続ける。

 イリックの鮮やかなモンスター討伐。とりわけ、ケイブスコーピオンを瞬殺し続けたその動きは見事だった。

 イリック的にはたいしたことではないのだが、ロニアとアジールを驚かせるには十分な戦いっぷりと言える。


「けっこうな数倒したと思うのだけど、かすり傷一つ負わないのはどういうこと?」

「……んぐ。スコーピオンならアイール砂丘で散々倒してきましたしね。今更そんなヘマはしませんよ」


 ロニアの問いかけに、イリックは口の中の食べ物をデフィアークティーで流し込んでから答える。

 イリックは七年間、アイール砂丘で見回りに励んだ。とは言え、最初から全てのモンスターを倒せたわけではない。

 アイール砂丘のモンスターは比較的弱い。しかし、サンドスコーピオンだけは例外だ。周辺の地域に生息するモンスターと比較しても、サンドスコーピオンの強さは突出している。

 子供だったイリックも、これには随分と苦労させられた。十四歳の頃には鼻歌まじりで倒せるようになっていたが、それはすなわち見回りを開始してから三年も経っている。

 見回り開始後も日々の鍛錬は欠かさない。強くならなければならなかったのだ。アイール砂丘で悠々自適な釣りを満喫したかったから。


「武器もパワーアップしたもんね!」

「うむ。斬れる片手剣を持ってる以上、あんなのには負けません」


 ネッテが付け加え、イリックも高々と宣言する。スチールソードを購入したことが、イリックを調子付かせる。

 そんなイリックの発言に、アジールとロニアは首を傾げる。

 斬れる片手剣。

 本来、片手剣は相手を斬るための武器だ。斬れない片手剣など一つを除いて存在しない。


「そういえば、あなたってずっとカッパーソードを愛用してたって言ってたわよね? 見回り時代もずっと?」

「もちろんです。折れるまで使います」


 あっさりと言い切るイリックにロニアは目を丸くする。つまり、イリックはどんなに刃こぼれしようが、折れるまでカッパーソードを使い続けていたということになる。


 カッパーソード。最も安い片手剣。カッパー製ゆえ、黒がかった茶色い刃をしている。

 これを装備してモンスターと戦う冒険者はいない。なぜなら、この武器の品質は最低だ。カッパーという素材からして、実践に耐えられる代物ではない。切れ味は悪く、モンスター相手に使おうものなら、斬るというよりは叩いて倒すことになる。言わばそんな武器だ。

 それでも、イリックはこれを使い続けた。そして、アイール砂丘で最も強いサンドスコーピオンを倒し続けてきた。

 斬れない武器でサンドスコーピオンすら倒してみせる。これは普通の冒険者にはできない芸当だ。

 素手で戦う冒険者、攻撃魔法で戦う冒険者は別だが、普段からまともな武器を使っている冒険者に新品のカッパーソードを渡したとして、サンドスコーピオンをあっさりと倒せる者は一握りしかいない。

 そんなことを四年以上続けてきたのだ。ケイブイリックがスコーピオンを手玉に取れるのは当然だと言える。そして、どこか人間離れした強さを身に付けていたとしてもおかしくはない。

 なるほど、とアジールとロニアは納得する。イリックは人間としてのアドバンテージを放棄した状態で、日々モンスターと戦い、勝ってきたということになる。

 そう、人間がモンスターと戦える理由、それは、武器や魔法を扱えるからだ。

 武器は、非力な人間にモンスターと渡り合える攻撃力を与えてくれる。片手剣の場合、相手を切り裂くことが可能となる。

 冒険者にとって、武器の強さが自分達の強さに繋がる。

 何でも切れる武器を入手すれば、理論上はどんなモンスターも倒すことができる。身体能力が伴ってこその話だが。

 イリックの場合、貧困からカッパーソードしか購入できなかった。しかも、そうポンポンと買い直すこともできず、いつまでも使い続けなければならない。

 カッパーソードは切れ味も去ることながら、耐久性も極めてもろい。そもそも実践で使うような代物ではないのだから。

 しかし、イリックは使い続ける。使うしかないのだ。ゆえに、戦い方を工夫する。モンスターの動きを見極め、最低限の攻撃で相手を倒す。

 サンドスコーピオンの場合、頭をグサリとやってしまえばそれでお終い。

 普通なら、素早い動きを鈍らせるためあっちこっちを傷つけてから、じっくりと倒すモンスターだ。だが、カッパーソードではそんな芸当はできない。そもそも刃こぼれしているのだ。元々斬れない武器ゆえ、サンドスコーピオンを傷つけることは不可能。

 しかし、頭にグサリと突きたてることくらいはできる。斬るのではなく刺すのであれば、刃への負担も最小限で済む。

 そんな見回り時代を長年過ごした結果、イリックには二つの癖がついてしまう。

 本気を出さないこと。

 相手の動きをじっくり観察すること。

 後者はいいことだが、前者は非常にまずい。ゆえに、デーモンとヘカトンケイル戦では痛い目にあった。

 もっとも、後者も一概に良いこととは言い切れない。立ち上がりが鈍いということに拍車がかかってしまうとも言える。

 イリックとしてはどうにかしたいと思っているのだが、いささかどうして、現状は難しいと言わざるをえない。


「その剣、買って正解だったわね。むしろもっと早く買うべきだったわ」


 ロニアが呆れたようにつぶやく。イリックはコカトリスの肉を頬張りながらなんとなく頷く。


「後は防具だけよね? ネッテちゃんみたいな皮装備でも着たら?」

「それいいと思う」

「ええ~」


 ロニアがイリックの防御面を不安視する。アジールもさも当然のように頷く。当の本人だけがなぜか渋る。ネッテは目の前の料理に必死だ。

 イリックは今まで一度も防具らしい防具を身に付けたことがない。見回り時代も、冒険者になってからもそうだ。なぜか? 理由は二つ。

 金がないから。

 動きにくそうだから。

 どちらが本命かと言えば、後者だ。ゆえに、金に余裕ができた今でも装備する気になれない。

 このパーティで常に普段着なのはイリックだけだ。

 ネッテはシープレザーハーネス。

 アジールはシルバープレートメイル。

 ロニアはウールタイトワンピース。

 三人はそれぞれ戦闘用の防具を所持している。もっとも、ロニアは普段着としてもウールタイトワンピースを装備している。

 ちなみに、ウールタイトワンピースはその名の通りウール製だが、そのウールには魔力が籠められており、防具としての性能は申し分ない。

 一方、イリックは普段着だ。しかも妹に選ばせている。そのことはどうでもいいのだが、ロニアとしてはそろそろ防具を身に付けて欲しいと考えてしまう。杖を持ちたがらない自分をものすごく棚に上げているが、今は気にしない。


「動きが鈍くなって、攻撃を受ける回数が増えて逆に危険そ~」

「それっぽいこと言っちゃって……」


 イリックは食い下がる。どうしてもそう思えてしまう。そんなイリックにロニアは頭を抱えるが、完全に否定できないあたり、言いくるめることができない。


「第一、ネッテの装備って明らかに防御面積少な過ぎません? 腹なんか丸出しですよ?」


 イリックの指摘通り、ネッテが愛用しているシープレザーハーネスでは腹を守れていない。というか丸出しだ。防御力を高める羊の皮は、胸や腰くらいしか守っておらず、体を覆いきれていない。ハーネス部分もいくらか頑丈なのかもしれないが、防具としては一抹の不安を感じてしまう。


「そう思うならもっと良いの買ってあげたら?」

「あぁ、そうしましょう」


 言い終えて、ロニアはしまったと後悔する。イリックの防具を買わせるつもりが、ネッテの防具を買うハメになった。嬉々として賛同するあたり、イリックはやはりシスコンだ。


(まぁ、ネッテちゃんの装備もさすがに貧相過ぎるから、今日のところはこれでいいか)


 シープレザーハーネスも冒険者が装備する防具としては弱すぎる。これは紛れもない事実であり、ロニアの提案は決して悪くない。予想外の方向に話が進んでしまったが、問題ないと言える。

 その後も一同は夕食を楽しむ。しかし、その時間は突然の来客によって終焉を迎える。サウノ商業国の酒場にいるのだから来客など来るはずもないのだが、今回に関してはなぜか訪れてしまう。


「イリック殿、探しましたよ」


 この渋い声は……誰だ! すぐには思い出せなかった。

 そっと視線を向けて確認する。やはり思い出せない。


「防衛隊の副隊長が何の用かしら? イリック、何かしでかしたの?」

(あぁ、会議に出席してた人か)


 ロニアの発言でイリックは思い出す。

 茶色い髪を一九分けにしている渋めの男性はサウノ防衛隊の副隊長ヘイキットだ。隊長の隣で静かにしていたためあまり印象に残っていない。


「何かしでかすとしたら、ネッテかロニアさんだと思うんですけど……」

「あなた、私のことそういう風に思ってたんだ……。まぁ、いいけど。それで、わざわざ副隊長さんが現れた理由は?」


 イリックの反撃にロニアがよろめく。しかし、今はそんなコントじみたことをしている場合ではない。酒場に不釣合いな鎧をまとう副隊長が目の前に立っているのだ。相手をしなければならない。


「隊長からお話があります。今からサウノ宮殿までお越しください」


 食事中なんだけどなぁ、と言える空気ではない。

 何やら変なことに巻き込まれそうだが、行くだけ行ってみる。

 もしかしたら美味しい話かもしれない。そんな淡い期待を胸に秘め、イリックはヘイキットの後をついていく。

 そして、一行はサウノ商業国の中心にそびえ立つ巨大な宮殿に飲み込まれていく。


 空はすっかり暗くなっているが、人々の表情は明るい。

 神妙な表情を浮かべているのは、ヘイキットとアジール、ロニアの三人くらいだ。

 イリックとネッテは能天気にキャッキャと歩く。しかし、それが続いたのは見覚えのある会議室に到着するまでだった。


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