壱伍零、REBOOT
李竜洋——四十二歳。自称、平凡な普通の人。他称、ブラック企業の下っ端会社員。
趣味はゲームと飲み物。しかし、以前までやっていたゲームも今ではそれすらやる気力が起きない。何が楽しいのか俺自身全く分からないけど、ただエナドリと酒だけが日課の楽しみになっている。
ゲームと言えば……最近、世間は「異世界転生」に興味を持っている。俺も気になっている。
車のラジオから流れる音声が面白いニュースを読み上げる。
——あの王道ファンタジーのRPGゲーム『詩忍にくちなし』の中に入り込める技術を開発した。まだ世に出すことはできないが、近いうちに世の中に出るのも遠くない。
つまり「VRMMO」のようなものだろう。
ある意味、異世界転生系の系統の一つだ。
「異世界転生なぁ。まっ、俺にゃ、関係ねぇよなぁ。」
その日、俺は疲れていた。いや、元々この頃常に疲れ気味だ。
「あっ、やべっ。赤だ!」
一瞬の気の緩みで赤信号無視してしまった俺は思わずブレーキを踏む。車は横断歩道の先で止まった。
「ふぅ、警察に見つからなくて良かったぜ。」
が、猛スピードでやって来た車と衝突してしまう。
強烈な破裂音。視界が暗くなっていく。聞こえるのは救急車のサイレン。しかし、その音すら遠くなっていく。
死神が呼んでいる。
手を伸ばせば、今にもその骨の手によってエスコートされながらどこか未知なる世界へと連れて行かれそうだ。
◆◆
『うちの勇者がすいません。』「魔王退治?視聴者?知らんな!」
◆◆
――。
(あれ……。俺は今何をしているんだ? 確かさっきまで車を運転して……。)
爽やかな風が吹く。
倒れている体を起こすと、そこは見渡す限り真っ白な雪の世界。
「これが……天国なのか? いや、地獄か?」
天国にしては皮膚を傷つける冷たさ。地獄は熱いイメージがあったが、極寒地獄と言えばありえるのかも知れない。
「いや、ここは異世界です。」
そこに、一人の男がやって来た。画面越しで見たことがあったような気がする。
「初めまして。私は『詩忍にくちなし』開発プロデューサー——近藤孝太郎です。ようこそ異世界へ、李竜洋様。」
そうだ。あの『詩忍にくちなし』を作った人で、今や超有名なゲーム会社の副社長だ。
周りは雪景色以外何も見えない。そして、目の前にいるのは有名人。一体全体、何がどうなっているのか?
「頭が混乱する……。」
「まあ、そうなりますよね。移動しながら話して行きましょう。」
彼に連れられ、雪の中を進んでいく。
「先日、我々『詩忍にくちなし』製作委員会はゲームの世界に入り込むための装置を作り上げました。今はまだ非売品ではありますが、こうして私や貴方が"この『詩忍にくちなし』のゲーム世界"にいるのも、その装置のお陰なのです。」
「じゃあ、ここはそのゲームの中ってことですか。」
今朝、聞いた異世界転生だとかVRMMOだとかの当事者になったみたいだ。
「左様。ここはまさしくゲームの中。四日程前、李様は交通事故に見舞われました。そこから死んではいないものの、意識が回復することが難しい状態となっていたのです。」
四日——。俺は四日も意識を失っていたのか。
「私は『詩忍にくちなし』世界への転生のための被検体を探していたところ、偶然貴方を見つけ、貴方の親戚の許可を受け、貴方をこのゲーム内に移籍させたという訳です。」
「なるほどな。俺はゲームの中で生きているって訳か……。それで俺の本体はどうなっているんです?」
「本体は植物状態になっていますね。しかし、意識はある。貴方はまだ死んでいない。最先端技術を用いることさえできれば……、つまるところ、お金さえ出すことができれば、すぐに本体に戻り生き返ることも可能でしょう。」
「そうなのか……。じゃあ、今すぐ生き返りたいです。」
「聞きますが、払えるのですか? ……お金。」
「え?」
「貴方の職種と給料では一生費やしても足りません。借金しても届かないでしょう。沢山の闇金に手を出せば可能なのかもしれませんが、返せるレベルではないので、東京湾にでも沈められるかもしれませんね。つまり、本末転倒。」
うっ——。言葉が出なかった。
「じゃあ、俺はここから一生出れないってことですよね……?」
「諦めるのはまだ早いですよ。お金が足りなければ、増やせばいいんです。」
「ん? どうやって……?」
「配信です。この『詩忍にくちなし』は世界中から期待を持たれています。この世界には魔族がいて魔王がいます。そして、貴方は勇者として魔王を討伐しに行く。『元の世界に戻るため』でもいいですし、『この世界の平和を守るため』でもいいです。ひとまず魔王討伐の旅を行うのです。」
一面真っ白な景色が終わりを迎えそうだ。目の前に、雪に塗れた村が見えてきた。
「奇を衒う必要はありません。何の変哲もない旅だとしても、貴方が転生者として過ごしている——それだけで注目度抜群のドキュメンタリーになりますから。」
村へと近づいていく。もうすぐで村にたどり着く。
「逆に、私的には奇を衒うことはしないで頂きたい。編集が大変になりますからね。それと対象年齢《R》は全年齢対象が好ましいですね。ただ、魔族に対する残虐なシーンは致し方ないですが……。」
話している間に村にたどり着いた。
彼に連れられて宿へと入る。そこにあった鏡を見ると、そこには俺ではない誰かがそこにいた。
「言い忘れていましたが、この世界ではその見た目で過ごして貰います。異世界転移よりも望ましい姿になれる異世界転生の方が好まれますからね。もちろん、今の貴方も誰からも好かれるような見た目ですから、ハーレムも夢ではありませんよ。」
そして、彼はどこかへと去り、俺はここで寝ることになった。
畳の上に敷かれた布団。
戻ることのできない現状。内心、悲しくはなかった。ただ、働いていないこの状態に少し体がそわそわしてしまう。
すぐに帰ることはできない。つまり、会社に戻れるのは相当先の話。
「戻ったところで職なしだろうな。」
もう諦めるしかなさそうだった。
どうせ一人暮らし。帰る場所だって、あちらこちらに物が散乱したしがないアパートの一室でしかない。
眠気が襲ってくる。
「今日は酒なしで眠れそうだ。」
酒がないと眠れなかったここ最近が嘘みたいに眠りについた。久しぶりに幸せな夢を見た。
◆
せっかく滞在した土島という名の村。彼はその村を離れ、すぐさま次なる場所へと連れていく。
北上していくと雪の景色は徐々に緑が芽吹く景色に変わっていく。
そこに一匹のゴブリンが現れた。
「この世界では、人間の他に魔族が存在しています。魔族はオリジナリティ溢れたものは少なく、一般的なモンスターと変わらない存在が多数占めます。例えば、目の前にいるゴブリンですが……人生で一度は聞いたことがあるでしょう。」
ゴブリンは木の棍棒を持ってじわじわと近づいてきていた。
「さて、チュートリアルとして、私がこの世界での戦い方を伝えましょう。少し見ていてください。」
「この世界での戦い方……?」
「はい。この世界の人達や魔族は一人一人に『文字』が割り振られています。その文字から始まるワードが技となります。ちなみに、私は『こ』の文字です。」
孝太郎が手のひらを上に向けた。
【降水——】
小さな雨が降り始めた。
その雨がゴブリンを濡らす。
「このように"こ"から始まる"降水"のワードを使えば、雨を降らすこともできますし……」
近づいて棍棒で殴りかかってくるゴブリン。
そんなゴブリンに手のひらが向けられた。
【凍れ!】
ゴブリンの周りに突然現れる氷の結晶。ゴブリンはそれに閉じ込められ、氷漬けになってしまっていた。
「"こ"から始まる"凍れ"で、凍らすことができます。」
そして、その氷の結晶に触れる彼。
【粉々!】
細かな氷の屑が空中を漂う。
ゴブリン諸共、氷は粉となって空中に消えていった。
「さて、戦闘に置いては、文字の他に系統というものがございますが、一気に伝えても混乱を来たすだけでしょう。今は割愛します。」
広がる林。
彼に連れられて林の中を進んでいく。
歩いていると、巨大な壁のようなものが目の前に現れた。
「この壁の中が、この世界で最も巨大な人間の生活圏——都市となります。そして、貴方にはここで長い時間を潰して貰おうと思っております。」
「長い時間……?」
「配信をすると言いましたが、配信するには準備が必要です。特に、集客と金銭的な戦略のためにはまだまだやることが多いのです。仕方ないので、私は一度、現実世界へと戻ります。」
「つまり、配信の準備までの間、ここで時間を潰して欲しいってことですね。」
「ええ、その通りです。かといって、ずっとこの場所にいるのも退屈でしょうし、この都市と先程の村への行き来は認めましょう。道中、魔族が出ると思いますが、きっと貴方なら大丈夫でしょう。チュートリアルと思って存分に倒してください。」
突然、彼は俺にスマホのようなものを手渡した。
「これをお渡しします。その中に、この異世界の設定、地図、モンスター図鑑などが確認できるアプリが入っております。滞在中、困ったことがあればいつでも連絡してください。窓口が対応しますので。」
今度はお金を手渡された。俺はそれを受け取る。
「ひとまず宿で体を休めながら、この世界での名前を決めてはいかがですか?」
彼は優しく微笑み、そのままこの場を立ち去ろうとした。が、すぐに振り向いて声をかけてきた。
「伝えそびれていました。私、近藤は、貴方の旅に同行するので、これからよろしくお願いしますね。」
そして、彼はそのまま遠くへと去っていき、姿が見えなくなった。
スマホを触る。
名前を入力する欄が出てきた。
そして、名前を打ち込んでいく。
『りりりりり』——。
こうして俺『りりりりり』の異世界転生系の物語は幕を開けた。
これは勇気の力を持つ俺と知恵の力を持つ近藤孝太郎から始まる王道展開にならなかった物語である。




