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1章25話 エピローグ よくある話と家族の平和


1章25話 エピローグ よくある話と家族の平和



 深夜、人工的な静寂に包まれた病院ロビー。


「あらあら、まあまあ……。

 タカ君、お顔が真っ赤ね。

 熱でもあるのかしら?」


 ようやくフリーズから復帰した貴を、結貴は微笑みを湛えながらも、底知れない温度を感じさせる瞳で見つめていた。


 貴は、太陽の如き茜と月の如きセレナという二人の少女から贈られた同時多発的な「報酬(キス)」の感触を、まだその幼い肌に焼き付けていた。


「ヒューッ!!

 茜もやるね!

 ようやく異性としてタカシ君を自覚したかな?」


 楓がニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべながら、娘の健気な暴走を焚きつける。


「A kiss of blessing for the Sir... it is but the proper etiquette for a princess welcoming a knight who has triumphed over a grueling ordeal. Though she is my own daughter, it is a truly noble gesture.(Sirへの祝福のキスか……過酷な試練に打ち勝った騎士を迎える姫君として、至極真っ当な礼儀作法だ。

 我が娘ながら、実に見事な振る舞いだよ)」

セレナのパパは、騎士道精神を地で行く誇らしげな表情で頷く。


「Oh? Had Serena not acted first, I might have bestowed a kiss of gratitude upon Sir Takashi myself. After witnessing a soul so noble and exquisite, there isn't a woman in this world who wouldn't be enchanted.(あら?

 もしセレナが先に動かなかったら、私自身がSirタカシに感謝のキスを捧げていたところだわ。

 あんなにも気高く、洗練された魂を目の当たりにして、魅了されない女性なんてこの世に存在しないもの)」


 セレナのママが、ドラマチックなため息をつきながら艶然と微笑むと、ロビーの温度はさらに数度下がった。


「はは……。

 問題なのはあいつの方だな。

 無(・)自(・)覚(・)に(・)女(・)の(・)子(・)を(・)落(・)と(・)し(・)て(・)お(・)き(・)な(・)が(・)ら(・)、本人が自分の『好き』という感情を全く理解していない。

 知性と理性が先走りすぎて、己の心に疎いとは……。

 実に罪深い奴だ」


 真は、戦いを終えた安堵からか、いつになく饒舌に息子を評価していた。


 しかし、その背後に忍び寄る「白沢家の真の支配者」が放つ、大蛇に睨まれた獲物が感じるような濃厚な殺気に、彼はまだ気づいていなかったのである。


「……そう言えば、真さん?

  さっき言った『大切な話』なんだけど」


 結貴が音もなく真の隣へと移動した。

 しなやかな動作で彼の二の腕に腕を絡ませる。

 上目遣いで見つめるその声音は極上の蜂蜜のように甘く、けれど真の研ぎ澄まされた生存本能は、脊髄を駆け上がるような絶望的な警報(アラート)を鳴らしていた。


「あ、ああ。

 サオリ先生とリサ先生のことだね。

 管理職不在という過酷な状況になる彼女たちを、当事者として法務・広報の両面からバックアップを――」


「そうね……。

『勇者様』を助けてあげないとね……。

 『魔王様』?」


 ――――――――ピシッ!!!!


 真の脳内で、理性の弦が断裂する音が響いた。


 結貴が取り出したスマートフォンの画面が、深夜のロビーに不吉な青白い光を放つ。


 そこから流れ出したのは、真自身の、あまりにも格好良く決まりすぎた「低音ヴォイス」であった。


『本当の「勇者」は……リサ先生、あなただ』


『……その、泥にまみれながらも輝きを失わなかった姿こそが、本物の勇者の証明です。

 ……数多の悪を断罪してきたこの「魔王」が、あなたのその価値を、魂にかけて保証しましょう』


『もし、あなたのような勇者に牙を剥かれたなら、私ですら潔く討たれてもいいと思ったほどですよ』


 それは今夜の断罪劇のクライマックス、視聴者が最も熱狂したシーン。


 動画のタイトルには、禍々しくも扇情的なフォントでこう刻まれていた。


『【神回】魔王様の極上デレ。清楚系教師を完落ちさせた、一分の隙もない殺し文句』


「これ、どういうことかしら?

 真さん。

 私のいないところで、ずいぶんと『お熱い契約』を交わしていたみたいね?」


 結貴の声は、表現するならば『氷でできた溶岩』であった。


 表面は極寒の静寂を保ちながら、その内面では全てを焼き尽くす怒りが高密度のまま圧縮されている。


「い、いや、これは……文脈を見てほしい!

 僕は不倫は禁忌(タブー)だとハッキリ伝えているんだ!!

 悪意ある切り抜きによって……」


「ええ、知ってるわ……。

 でもね……」


 結貴は冷徹な指先で画面をスワイプし、別の動画をタップする。


『……下着の替え……貸して……?』

『……本気と書いてマジなの……。

 腰も、何もかも、砕けちゃったの……。

 白沢さん……かっこよすぎたわ……』


 動画のタイトルは、もはや死刑宣告。


『魔王のデレは防御不可――聖域を貫通する「女性特効」の破壊力』


「……無(・)自(・)覚(・)に(・)女(・)の(・)子(・)を(・)落(・)と(・)し(・)て(・)お(・)き(・)な(・)が(・)ら(・)、本人は気づいていない。

 これこそが、この世で最も……本当に、怖い話よね」


 結貴の手が、真の二の腕を万力のような強さで締め上げる。


「……でも、『実(・)に(・)よ(・)く(・)あ(・)る(・)話(・)』だと思わない?

  ……真さん?」


 真は、敵を絶望の深淵に叩き込んだはずの「勝利の決め台詞」が、今度は自分を処刑する断頭台の刃となって降り注ぐのを、ただ冷や汗を流しながら見つめることしかできなかった。




「……パパ。何してるの?」


 ようやく「ダブルキス」の衝撃による脳内のオーバーロードから復帰した貴が、茜とセレナを伴って戻ってきた。


 開口一番、賢者の如き貴の瞳に映ったのは、病院ロビーの冷たいタイルの上で完璧な姿勢で正座をする父と、その正面で腕を組んで仁王立ちする母の姿であった。


「タカ君?

 パパはね、ママがいるのに他の女の人を口説いたから反省しているの!

 ちょっと待っててね」


 結貴の説明を聞きながら、貴はテーブルに置かれたスマホを覗き込み、問題のシーンを確認する。


「真パパカッコいい!

 リサ先生が勇者だって!

 茜も勇者になりたい!!」


 茜が無邪気に画面を見つめる傍らで、セレナは年不相応に鋭い、複雑な表情を浮かべた。


「Oh dear, I sympathize with Ms. Lisa... When Taka-kun told me I should be free to fly, I felt my knees go weak. But for a married gentleman to use such lines on another lady? That is certainly not the way of a true Sir!(まあ、リサ先生に同情するわ……。

 タカ君に『自由に飛んでいいんだ』って言われた時、私、膝の力が抜けそうになったもの。

 でも、結婚している紳士がそんなセリフを他の淑女に使うなんて?

 それは間違いなく、真のSir(騎士)のやり方ではないわ!)」


 セレナの言葉は、火に油を注ぐ如く結貴の胸に響いた。


「……パパ。

 これは『最高にカッコ悪い』よ」


 貴のジト目が、真の心根を射抜く。


「そうよね?

 ママが怒るのも当然よね?」


 結貴の声のトーンがさらに一段、地の底へと潜る。


 真はもはや弁明の余地を失い、項垂れるばかりだ。


 しかし、そこで貴はふと首を傾げた。


 賢者としての冷静な分析の刃が、今度は母に向けられる。


「パパ?

 なんでママにカッコいいセリフを言ってあげないの?

 ……ママが怒っているのは、自(・)分(・)も(・)言(・)っ(・)て(・)ほ(・)し(・)い(・)からなんだよ」


「ふぁ!?

 タ、タカ君!?」


 結貴は愛息子のあまりに的確すぎる「真実の暴露」に、顔を真っ赤にして狼狽した。


「パパってお仕事の時はカッコいいけど、お家だとカッコいいが『おやすみ』しちゃうから。

 ママは、お家でもパパに――『あなたになら討たれてもいい』――とか――『魂をかけて保証しましょう』――とか言われたいんだよ」


 タカシが、無機質で冷徹な、けれどどこか艶のある真そっくりの低音でセリフをなぞる。


 そのあまりにも「完璧すぎるモノマネ」に、結貴の肩がビクッ! と跳ねた。


「……っ…………!!」


 今までの氷の如き怒りが、実はただの情熱的な『嫉妬』であり、『愛の渇望』であったことが、衆目の前で白日の下にさらされる。


 ロビーに流れるのは、先ほどまでとは正反対の、砂糖を吐き出すような甘く重苦しい沈黙。


 真は驚愕に目を見開き、結貴は耳まで真っ赤にして、逃げ場を失ったように顔を背けた。


「……真さん」


「……はい」


「……帰ったら、会議よ。

 ……朝まで、終わらないわよ」


「……喜んで、出席させていただきます」


 阿久津を滅ぼした魔王は、今夜、自宅という名の戦場で、別の意味での「死闘(あるいは熱烈な和解)」に臨むことを覚悟したのだった。



「……こういうのをまさに『犬も食わない』って言うんだろうね……。

 ……まさか、人生で使う機会があるとは思わなかったよ……」


 楓は呆れた顔をしながら、親友夫婦のあまりに濃密なやり取りを眺める。


「In my country, we say, 'Never put your finger between the tree and the bark.' It seems that, regardless of the nation, it truly is an all-too-common story, isn't it?(私の国ではこう言うんだ、『樹木とその樹皮の間に指を差し込んではいけない』とね。どうやら国がどこであろうと、この手の事は『実(・)に(・)よ(・)く(・)あ(・)る(・)話(・)』なんだろうね?)」


 セレナパパが苦笑交じりに格言を引用すると、夜のロビーはようやく、穏やかな、しかしどこか騒がしい家族たちの時間へと帰結していった。



「パパの正座に草w」

「タカシ君の心理分析が容赦なさすぎて最高!」

と思っていただけたら、ぜひブックマークや評価(☆☆☆☆☆)で、第1章完結を祝っていただけると執筆の励みになります!

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