1.人類最凶につき、転落死しました
「……っ、危ない!橘!」
大きくて逞しい手が目の前に差し出される。
私は必死にその手を掴もうと腕を伸ばしたが、あともう少しで届くというところで視界はぐるっと一転した。ドンッという衝撃が背中から伝わり、ぐるぐると視界が回転していく。体のあちこちに痛みが走った。
「おい!大丈夫か!?しっかりしろ!」
「え?なに、今の音……ひっ!ち、血が!」
「救急車!早く!」
力を振り絞って目を開けると、たくさんの目とカメラのレンズが向けられていて、視界の端から徐々に赤いシミが広がっていくのが見える。いつの間にかさっきまで感じていた痛みはなくなっていて、周りの声もどんどん遠くなっていく。あ、これ、死ぬんだ……と感じた。
「橘っ!」
突然体にふわっと何かがかけられ、優しい香りが漂ってきた。
……そうだ。今日は憧れの佐々木先輩とのデートだった。おいしいご飯を食べて、たくさん笑って、相変わらず先輩は優しくて素敵で、勇気を出して次の約束も取り付けようって思ってたのに……。
ずっと楽しみにしていた今日という日がこんな形で終わってしまうなんて、と悔しさと悲しみで目の前が涙で霞んでいった。
佐々木は自身の羽織っていたコートを血まみれの橘あずさの体にかけ、意識を失わないよう懸命に声をかけ続ける。地面に広がる血液の量が尋常ではなく、佐々木はあずさを守れなかった自分に腹を立てていた。
もう少し早く手を伸ばしていれば、いや、さっさと自分の気持ちに素直になって彼女の手を握っていればこんなことにはならなかった。
「写真を撮るな!……おい橘!しっかりしろ!すぐ救急車来るからな!」
お願い、先輩。そんな怖い顔しないで。私が階段踏み外したのが悪いんだから。先輩はなにも悪くないんだから。
大丈夫です、と発したはずの口からは、「あっ……ぅ……」という小さなうめき声しか出てこない。
やがて救急車が到着し、救急隊員が集まった野次馬に道を開けるよう大声で叫んでいる声が聞こえた頃、私の意識は途絶えた。
◇ ◇ ◇
「……橘あずさ。お前は2XXX年〇月□日、午後10時41分35秒。階段から転落し、死亡した」
真っ暗な空間の中、誰かの声が響く。冷たくて、悲しい声だ。だけど、どこかで聞いたことのあるような懐かしい気持ちになる。
「目を開けろ。そして現実を受け入れるんだ」
その声に従いゆっくり目を開けると、ベッドで横たわる私と、その側の椅子に座り私の手を握りしめながら険しい顔をしている佐々木先輩、そして医者や看護師らしき人たちが見えた。彼らは何か会話をしているが、声は聞こえない。場所は病院のようだった。
やがて白い布がベッドに横たわる私の顔にかけられた。佐々木先輩はなにか叫んでいる。
私はその光景をただただ茫然と眺めていた。確かにそこにいるのは自分自身のはずなのに、まるで映画のワンシーンを見ているかのような感覚だ。
「……△△駅へ向かう階段で足を踏み外して転落死。慣れないヒールを履いたせいか?」
突然真後ろから声が聞こえ、びっくりして振り向くと、後ろに男が立っていた。先ほど聞こえた声と同じものだった。
男はカラスの羽根のように黒い髪に透き通った白い肌をしており、切れ長の目が伸びきった前髪からのぞいている。細身で身長も高く、わずかに見える耳にはたくさんのピアスがついていた。美しい顔にしばらく見とれてしまう。
「……って、だ、誰!?」
「……」
男はまっすぐ私の目を見ている。なんとなく、男が泣きそうな顔をしているのは気のせいだろうか。私の問いかけに答える素振りはない。
「……すまない」
「え?」
しばらく返答を待っていたが、聞こえたものは私の問いかけへの返答ではない。男が小さく口にしたそれは、確かに謝罪の言葉だった。
なにが?と混乱している私をよそに、さっきまで泣きそうな顔をしていた男は一枚の紙を差し出した。
「俺たち死神は、担当している人間が死を迎えた際に、この書類を書かせて閻魔の元に連れて行くのが仕事だ」
「しに、がみ?」
死神、閻魔、という聞き馴染みはあるが現実味のない言葉に頭が混乱している私をよそに、男は淡々と説明を続ける。
「お前はまだ寿命が残っていたのに、俺が助けられずに死んだ。お前が死んだのは俺のせいだ。すまない」
「……えーっと?」
今にも泣きだしそうな顔と、悲しい声色に男の言葉は嘘や冗談の類ではないと感じ何も言葉を返せずにいると、男は黒い羽根がついたペンと先ほどの紙を渡してきた。
その紙には『魂返還申請書』と記されている。
「これを記入すればお前は”また”生まれ変われる」
「……”また”?」
「……」
「ねぇ、この『魂返還申請書』ってなに?」
「……」
どうやら死神を名乗るこの男は、質問を受け付けていないらしい。私は仕方なく『魂返還申請書』と書かれた紙に目を通す。
そこには、死亡した日時と名前を書く欄だけがあるとてもシンプルなものだった。死神が早く書けとでもいうような目線を送ってきているので、私はとりあえず記入していく。
「私が死んだのって10時30分くらいだったよね?」
「10時41分35秒だ」
いろいろ質問したい欲を抑え、私は記入し終えた『魂返還申請書』を死神に渡す。彼はちらっと内容を確認すると、小さく頷き、私の目を冷たい掌で覆った。
「っ!?」
突然目の前が真っ暗になったことと、彼の手の冷たさに驚き思わず手を振り払うと、さっきまで病院にいたはずの私たちは、薄暗い大きな建物の目の前に立っていた。
「……ここ、どこ?えっ、ちょっと!どこ行く気!?」
私は、混乱する私を気にも留めずに建物の中へと入ろうとする死神の腕を掴んだ。彼は突然腕を掴まれたことに驚きつつも、またしても何も説明しようとはしない。そんな態度にいい加減腹が立って、私は一気にまくし立てた。
「そもそも!突然死んだとか言われて、まぁ確かに私の不注意でそうなったわけだけど……怪しい申請書なんか書かされて、挙句の果てにこんな怖いところに連れてこられて、少しくらい説明してくれてもいいじゃない!」
「……」
大好きな先輩との夢のようなデートの時間から一転、突然死んだといわれて、得体のしれない男に振り回されて……私はもう限界だった。だんだんと涙目になっていって、声が震えてくる。私の必死の訴えが通じたのか、男は私に向き直った。
「……すまない」
「別に謝ってほしいわけじゃなくて、説明してほしいの」
「……何が聞きたい?」
彼は少し困ったように首を傾げている。まるでなんで怒っているのか、泣きそうになっているのかわかりませんとでも言いたげな表情だ。私は余計に腹がった。
「まず、あなたは一体何者なの?さっき死神がどうのこうの言ってたけど、こんな見た目で死神とか言われても納得できない」
「これはお前が……いや……そうか……それはすまない」
「だから謝罪はもう「さっきからうるさいなぁ。ちょー迷惑なんだけどぉ」
私が死神のはっきりしない態度にイライラしていると、不意に彼の後ろから女の子の声が聞こえた。
さっきまでは確かに誰もいなかったはずなのに、と恐る恐る死神の背後を確認すると、そこには背丈は私と同じくらいの女の子が立っている。この薄暗い空間には似合わないくらいかわいい女の子だ。
「……閻魔か。またサボってるんだな」
死神は後ろを振り返ることなく女の子に背を向けたまま話しかけた。
閻魔、と呼ばれた女の子は死神の言葉を無視して私の前までツカツカとやってくると、私の顔をじろじろを見つめている。女の子の瞳は深い赤色をしており、ずっと見ていると吸い込まれてしまいそうな感覚になる。
「お前こそ、これで何回目だ?」
女の子は私の顔をしばらくじろじろ見た後、死神をキッと睨みつけると、深いため息をついた。
「はぁ、もうどうすんのこれ、さすがにあたしももう限界なんだけど」
女の子は明らかに怒っていた。怒っているし、呆れている。女の子の感情が空気を伝わってすごいプレッシャーを感じた。
死神の方はというと、めんどくさいとでも言いたげな表情をしている。その死神の様子に女の子は余計に怒っているようだ。
「あ、あの~……」
このままではなんか大変なことになりそうだと感じた私は、にらみ合う二人の間に割って入り、女の子の顔色を窺った。
女の子は、はっと我に返ったような顔をして、にこっと笑顔を作る。
「あ、ごめんごめん、どうせこのポンコツから何も説明されずに連れてこられたって感じでしょー?だいじょぶだいじょぶ、あたしが説明するから、とりあえず中入ろ!」




