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揺らめき .9

 朝、誰かの悲鳴で目が覚めた。僕はすっかり眠っていたわけだから、具体的にそれが誰のものかまではわからなかったんだけど、たぶん、耳に残る残滓からして、桐原さんの悲鳴だったんじゃないかな。とにかく、僕は飛び起きるようにしてベッドから出た。不思議だね。この日もしっかり寒かったはずなのに、昨日ほど朝の寒さに意識を向ける余裕がなかったんだ。急いで携帯を見ると、時刻は七時過ぎだった。ちょうどあと数分で目覚ましのアラームが鳴るところだった。

 着替えも早々に、僕は部屋を出た。昨日、坂本を発見した時のことが頭をよぎる。嫌な予感が止まらなかった。廊下に出ると、すでに僕以外の全員が集合していた。井波の姿もそこにはある。場所は、小倉さんの部屋の前だった。

「もしかして――」

 僕は急いで駆け寄った。何もありませんように。祈る気持ちを込めながら、部屋の中を覗く。悲鳴が上がっているんだから、何もないわけがないんだけど、それでもやっぱり、僕は祈っていた。だけど、祈りは届かない。宗教なんて、基本は無意味なんだよ。

 小倉さんは、ベッドの上で死んでいた。それは昨日の坂本と同じような姿勢だった。だらんと垂れた腕が、ベッドの淵から投げ出されている。苦しそうに口元は歪み、目は見開かれていた。放り出された人形も、無造作に床に落ちている。あの可憐な感じの小倉さんとは思えないほど、見ているだけで胸が痛くなる光景だった。

「どうして、どうしてっ!」

 取り乱したように泣き叫ぶ桐原さんを、米山さんが優しくさする。口を開く者は他に誰もいなかった。ただみんな、どういうわけか僕と井波を見ていた。

「少し早いですが、朝ごはんにしませんか?」

 黒沢さんが言った。正気とは思えなかった。こんな光景を見た後で、食べられるわけがない。食欲はゼロに等しかった。

「わかります。食べられるわけがない。だけど食べてください。たぶん今日はもう、食べる時間も余裕もないでしょうから。その後で、皆さんと話したいことがあります」

 黒沢さんは、難しそうな顔をして浅田さんに確認をとった。

「大丈夫ですか?」

「ええ、一応。響さんのおかげで、すでに用意はできていますので」

 僕らはそのまま、一階の食堂へ降りた。誰も何も言わなかった。自分がいながらも、第二の事件を防げなかったからだろうか。権田さんは複雑な顔をしていた。テーブルの木目を見つめる僕らの前に、湯気の立った温かそうな朝食が運ばれてくる。焼き魚とみそ汁。それから白いご飯に漬物という、シンプルな日本の朝食だった。とはいえシンプルとは言いつつも、このクオリティの朝食を日常的にとっている人は少ないだろう。朝は余裕がないものだし、茶碗に盛られたご飯一杯で済ませる人もいれば、そもそも食べないという人もいるかもしれない。だからかえってこういう朝食は、旅先で喜ばれるものになっている気がする。

 昨日耐性がついたと思っていたが、全然そんなことはないみたいだった。箸を握ったはいいものの、やっぱり食は進まない。意外にも米山さんは普通に食べていたが、桐原さんや僕と井波、それから千代さんはほとんど口をつけられていなかった。井波や千代さんに関しては、昨日から全然食べていなかったから、僕としては少し心配だった。相変わらず、響さんや黒沢さん、それから権田さんは平然と完食していた。僕からしてみればそっちの方が、どういう神経をしているのか理解できない。この人たちには人の心ってものがないのだろうか。きっと紳士とか冷静とか言いつつも、内心ではろくでもないやつなんだ。そんな気がした。

 四十五分ほどの時間をかけて、朝食は終了した。途中から席についた浅田さんも、あまり食べれてはいないみたいだった。

「では、始めましょうか」

 八時。黒沢さんの声でロビーに集まり、全員で腰を下ろす。坂本と小倉さん、二人もいなくなるとなんだかそこは広く感じて、そのことが少し寂しかった。感覚としては、長年置いていたテーブルかなんかを撤去した時に似ている。そこに存在しているのが当たり前だったものが失われたとき、はじめて人はそこにあった空間に気づくのだろう。人と家具を同一に扱うのはどうかとも思うけどね。でもそういうことなんだ。

「被害者は小倉桃花さん」

 権田さんが相も変わらずペンを片手に読み上げる。昨日と比べるとその声はなんだか事務的に思えて、僕は嫌だった。

「死亡推定時刻は不明。死因も不明。ですが現場の感じからして、坂本さんの時と同一犯のように思えます」

 それだけ言うと権田さんは、早々に手帳を閉じてしまった。まるで、もう読み上げるべきことはないとでも言うみたいに。僕はそれを少し不審に思った。だって昨日は、どんなに読み上げることがなくたって、権田さんは会議の間、手帳を開きっぱなしだったから。

「といっても、わかっているのはそれだけですか?」

 僕が権田さんに尋ねた、その時だった。

「あなたが殺したんでしょ!」

 どきりとするような叫び声が上がって、僕は思わずその声の方に目を向けた。見ると、半狂乱になった桐原さんが、もう我慢ならないといった様子で僕を睨んでいた。今にもこちらに向かって殴りかかってきそうだ。浅田さんと米山さんがそれを押さえてくれているおかげで、なんとか僕は無事でいるような状態だった。

「どういう意味ですか?」

 狼狽しながら、僕は聞き返した。肩で呼吸をする彼女の目には、明確な殺意が宿っている。他人から殺意を向けられたのは生まれて初めてのことで、この時の僕の心臓は聞いたこともないスピードで脈打っていた。

「そのままの意味よ! あなたが、桃花を殺した」

 どうやら彼女は、誰彼構わず疑っているわけではなさそうだった。僕としては、まるで意味がわからない。小倉さんを殺した事実なんてないし、殺す理由もない。第一、昨日はあの後すぐに寝たのだ。僕に小倉さんは殺せない。

「落ち着いてください桐原さん。高津くんも、あまり逆撫でしないで」

 仲裁するように黒沢さんが手を広げる。僕としては納得できるわけがない。逆撫でしているつもりなんか一切ないし、僕はただ、この意味不明な状況について質問しているだけだ。正直イライラしていたね。いわれのない疑いをかけられて、怒るなっていう方が無理な話だ。

「なんなんですかいったい」

「まあ落ち着いて。彼女の言うことも一理あるんだ」

「というと?」

 僕は怒りを抑えて黒沢さんに質問した。これは彼らからしても幸運だったね。僕の頭の中にはほんのちょっとだけ、米粒くらいの大きさだけど、冷静な部分が残っていたんだから。

「いやね、実は小倉さんを殺せるのは、君と井波くんだけなんだよ」

 黒沢さんは、淡々と言った。

「全然意味が分かりません」

 黒沢さんは僕と井波、それからこの場にいる全員に順番に目をやって、小さく息を吐いた。

「じゃあ言うね。実は高津くんと井波くん以外の人には、昨日の夜の間、ずっと二人一組以上で過ごしてもらっていたんだよ」

 彼らはソファの下からすっとロープを取り出すと、僕らの前にそれを掲げた。皆が皆、敵意のこもった眼差しを向けてくる。真っ白な頭で井波の方を見ると、彼は体を強張らせて目を見開いていた。

「それはどういう――」

「そのままの意味だよ。ほどけないように手首を固くロープで結んで、同じ部屋で寝てもらった」

 黒沢さんに頷きながら、響さんが補足する。

「昨日の会議の前にね、黒沢さんに呼び出されたんだ」

 ごちゃごちゃした頭で、僕は思い出す。昨晩、階段を下りた時に感じた視線はそれだったのかと、今になって納得した。

「当然、私たちは君らを疑ってはいなかったよ。繋ぐ人たちへの牽制のつもりもあったんだ。これで人が死なないならそれでいい。だから会議も先入観なく臨んだ。だけどロープの案を断る理由もなかったからね。私は浅田さんと。千代は桐原さん、米山さんと三人で一緒に過ごすことになったんだ」

「ついでに言っておくと、私は権田さんとだよ」

 黒沢さんが腕を組む。権田さんも、静かに僕たちを見つめていた。どうやら彼らが言っていることは、出鱈目というわけではなさそうだった。

「身動きがとれるようロープに余裕は持たせたけどね。繋いだ相手にバレずにほかの部屋に移動することは不可能なんだよ」

「…………」

 井波は何も言えないでいた。この時の僕は、並べられた事実からたどり着く一つの結論に、何とか目を向けないようにしていた。それは友情であり、そして、現実逃避でもあった。

「ちょっと待ってください! 今の話が本当なら、どうして小倉さんを一人きりにしたんですか」

 そうだ。それがおかしい。無意識に口にしてから、自分自身に同意する。こういう時、末梢起源説、なんてインチキ臭いやつも、あながち間違いじゃないんじゃないか、なんて思っちゃうね。だけどその質問は、大した猶予も稼ぐことなく、簡単に弾き返された。

「桃花は、あの子は一人じゃないと寝れないの」

 米山さんに体を支えられた桐原さんが言う。その目は、赤く潤んで充血していた。

「当然、あの子にも提案したわ。だけどあの子断って、一人で寝るって聞かなくてね」

「どうして?」

 僕としては、はなはだ疑問だった。たとえ眠れなかったとしても、繋いでいた方が、自分の身を守ることにもなるっていうのに。

「あんた本気でわかんないわけ?」

 呆れの混じった声で、吐き捨てるように桐原さんが言った。どうやら彼女は、また怒りが収まらなくなっちゃったみたいだった。小倉さんが断った理由を、どうして僕がわかるというのか。僕としては、もう何が何だかさっぱりだった。

 騒ぎを収めるように、黒沢さんが軽く手を叩く。

「とにかく、小倉さんはそういうことだったから、僕らは朝七時にロビーに集まって、それから彼女の様子を見に行ったんだよ」

 なるほど。そうしたら、小倉さんはあの部屋で死んでいたというわけだ。

「だけど、どうして僕たちなんですか?」

 僕は尋ねた。ロープで繋がない人を作るなら、ほかの人でも良かったはずだ。

「坂本さんが亡くなって、私は君たちに質問したよね? 彼女の死についてどう思うかって」

「はい」

 その時のことを思いだす。確かに坂本の部屋で、僕は彼にそう聞かれた。

「その時に君も井波くんも、悲しい、と答えたんだ。だけど私にはあまり悲しそうに見えなくてね。他殺なんだよ? さっきの桐原さんのように、怒り狂ってもおかしくない」

「……そんなの、人によるじゃないですか」

 僕は全然納得できなかった。友達を亡くして、どう思うかなんて人の勝手だ。むしろ、悲しいというあの時の言葉が嘘だったんだ。悲しいなんてありふれた言葉に落とし込めない感情を、僕は抱いていた。

「当然、それだけで君たちが犯人だと決めつけていたわけじゃないよ。朝起きて誰も死んでいないこと、それが一番の理想だった」

 黒沢さんは小さく息を吐く。だけど、僕と井波には一つだけ、決定的な証拠があった。僕と井波に、坂本は殺せない。

「でも僕らにはアリバイがあります。それはあなたも認めてくれた。死亡推定時刻の一時過ぎ、僕らは部屋で一緒にゲームをしていたんです」

「そんなの、二人で口裏を合わせたのかもしれない」

「昨日と話が違うじゃないですか!」

「まあ落ち着いて。それからね、そもそも坂本さんが死んだのは、一時三分じゃないかもしれないんだ」

「は?」

 どうやら僕の頭はもう限界みたいだった。なぜなら彼の言っている意味がさっぱり分からなかったからだ。一体どっちの頭がおかしくなっちゃったんだろう。僕か、黒沢さんか。誰かに教えてほしい気分だった。

 だけど、黒沢さんが言ったことの意味がわからなかったのは、僕だけではないみたいだった。浅田さんも千代さんも、彼以外の全員が驚いた様子で彼を見ていた。彼はコートのポケットに腕を突っ込みながら話を続ける。

「昨日権田さんが言っていただろう。彼女の部屋には、どこにもぶつけたような跡がなかったと。あの腕時計は、ここに来る前に壊れていたんじゃないかな」

「は? そんなわけ――」

 そう言いかけたところで、僕ははっとした。一昨日のスキー中、僕らが昼食を食べる前に、彼女は確かに転んでいた。

「ちょっと探りを入れるだけのつもりだったんだけど、その様子だと、心当たりがあるみたいだね」

 黒沢さんは、まるでチェスでキングを追い詰めるみたいに、淡々と言葉を並べていった。つまり、彼はこう言いたいのだ。あの一時三分四十六秒は、深夜ではなく、日中の時刻なのではないかと。僕はもう、考えることを諦めて、どこか他人事のように納得していた。そっと肩に手を置かれる。僕がそちらに目をやると、そこには井波が立っていた。

「大丈夫。順平には僕がいるよ」

 僕にだけ聞こえる声で、井波は言った。その声は、ありとあらゆる感情が欠如していて、ぞっとするほど温かい、不思議な響きだった。

「黒沢さんの推理通りです。僕がやりました」

 一歩、みんなの前に出て、彼は言った。

「は? おい、お前何言って――」

 僕は必死にそれを打ち消そうとした。だけど彼は首を振るだけで、無言でそれを遮った。ここで黙ってしまったことを、僕は一生悔やみ続けるだろう。

「いいんだ順平。全部、事実なんだから」

 井波は緊張したような、だけどどこか覚悟の決まった顔で、黒沢さんを見た。黒沢さんも、黙って井波を見返す。今の彼には、最初のころにまとっていたような、あの間抜けな感じは一切なくなっていた。

「香織も、小倉さんも、殺したのは僕です。黒沢さんは順平と僕が口裏を合わせたかもしれないと言いましたが、それは違います。香織の時計が壊れていることを、僕は知っていました。初日にロビーで、香織から聞かされたんです。彼女はあの時計を、すごく大事にしてたから」

 僕は何も言えなかった。ただ信じたくない一心で、彼の言葉を聞いていた。

「それで夜に、僕は順平の部屋に行きました。アリバイが作れるんじゃないかと思って」

 本人が認めてしまった以上、僕がどうこうすることはできなかった。

「どうして彼女たちを殺したんだよ」

 僕はそれだけ何とか絞り出した。その理由だけは、本当にわからなかった。井波は苦しそうに口をゆがめて、何かを言おうとして、結局言わなかった。代わりに、黒沢さんが口を開いた。

「もしかして、と思うのが私にはあるんだけど――」

「やめてください」

 井波は言った。その声は、少し震えていた。それで黒沢さんは、ぴたりと口を閉じた。

「ごめん順平。君には言えないよ」

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