第八十二話 絶望と希望
空也はAランク以上の【飛行魔物】の集団を相手に、確実に数を減らしていた。
先頭集団を倒し切り、【索敵】を行う。
すると、本来なら感じられないはずの場所に、魔法師と魔物の魔力を感知した。その中にはミサや傑の魔力の気配もある。
何かしらの要因により障壁が崩壊し、そこから飛び出した魔物をミサたちが追いかけているのだろう。
「うーむ……」
空也は顔を顰めた。
魔物のカイス沼誘導ルートからの脱走は、考えうる限りでもかなりマズいシチュエーションだったからだ。
空也は、もはや確実性を重視してチマチマ数を減らしている場合ではなくなったことを悟った。
「野中さん」
「どうした?」
優作が近づいてきた。
空の敵は空也が相手をしているし、地中から襲ってくる【ピアス・ピーク】の数も減ってきた。加えて奥義を使って消耗していることもあって、彼は現在は戦闘に参加していないのだ。
「この先、僕がどんなピンチに陥っても、決して助けには来ないでください。巻き込まれますから」
「……何かあったのか?」
優作が眉を顰めた。
「はい。ちょっと面倒なことになりそうで、最速で片付けます」
「大丈夫なのか?」
優作が心配そうに尋ねてくる。
「はい」
空也は、迫り来る魔物に目を向けながら頷いた。
「——必ず勝ちます」
◇ ◇ ◇
「あいつ、調子乗っていません?」
隊員の一人が、吐き捨てるように言った。その視線の先には、【飛行魔物】を一人で相手取る空也がいる。
「一人で解決できる自分かっけえ、とか思っているんじゃないすか?」
「いや、それはない」
優作は部下たちの愚痴を遮った。
「彼にはそういった俗物的な感情はほとんどないと思う。彼は現状を正しく認識し、それに基づいて冷静な判断ができる魔法師だ」
その言葉は部下たちを黙らせるためのお世辞ではなく、優作の本心だった。
ともに戦ったのは今回が初めてだが、「この人は信頼できる」と思わせるだけのモノを、空也は持っていた。
しかし、彼らの空也に対する疑念は、優作にも理解できるものだった。
先程までの安定した戦いとは異なり、空也が攻撃を受ける回数が明らかに増えていたのだ。そのどれもがかすり傷程度だが、魔法の精度も落ちているし、それが原因で撃墜ペースも遅くなっている。
今や、空を飛んでいるすべての魔物が反撃する構えをを見せており、空也を覆う包囲網が完成しようとしていた。
「隊長、あれはさすがに彼でもヤバくないですかっ?」
隊員の一人が声を上げた。
「やっぱり援護したほうが——」
「いや、良い」
優作は首を振った。
「しかし——」
「彼を見ろ」
優作は空也を示した。
「彼の目にも表情にも焦りは見えない。むしろ、余裕さえも感じられるほどだ。今の状況は、おそらく彼の思い通りなのだろう」
その優作の言葉は、部下を諭すと同時に自分自身の気持ちを落ち着かせるためのものでもあった。
「たしかに、あれは追い込まれている人間の表情ではないですね。しかし、あの状況からどうやって勝つつもりなのでしょう?」
部下の独り言のような疑問に、優作は答えることができなかった。
もはや空也を覆う包囲網は完成し、すべての【飛行魔物】が空也の周囲に集っていた。あの状況ではとても——、
待てよ。
一つの可能性に思い当たり、優作は鼓動が早くなるのを感じた。
すべての魔物が彼の周囲にいるということは——!
呼吸を合わせたかのように、【飛行魔物】が一斉に空也に襲いかかる。
そのキバが、ツメが、前足が空也に届く直前、
その口元が、かすかに弧を描いた。
——そして一瞬にして、すべての魔物が空中で氷漬けとなった。
「氷属性魔法奥義、【氷結世界】……!」
それはまるで、空也を囲む巨大な氷のドーナッツだった。
それらが地面に落ちて粉々になったとき、
「……うおおおおー!」
その場に、歓声が響き渡った。
「……マジか」
優作は笑った。笑わざるを得なかった。
魔法の精度が落ちた?
——違った。
彼はあのとき、すべての魔物の注意を自分に向けさせていたのだ。それも、近くの敵の攻撃を皮一枚のところでかわしながら。
そして、ギリギリまで引き寄せてから、一撃でそれらを全滅させた——。
「あいつやべえ!」
「マジで倒しやがった!」
空也に懐疑的な眼を向けていた者たちも、今やすっかり少年魔法師を手放しで称賛していた。
——しかし、そんな歓喜は長くは続かなかった。
「隊長っ……!」
【索敵】要員である増田が優作の元にやってきた。
「……どうした?」
優作は声を顰めた。
増田の表情は、とても明るい話題を持ってきた者の表情ではなかった。
「アーク街南東側の入り口で何かトラブルがあったようで……このままだと、現有戦力だけではとても戦えないほどの大群がやってきます!」
「なっ……⁉︎」
増田の話を聞いていた全員が絶句した。
「だ、だが、道中で冒険者がある程度は減らしてくれんだろ⁉︎ そしたら少しはマシに——」
「ならないと思います」
隊員の言葉を遮り、増田は首を振った。
「その大群は、AランクやSランクを多く含んでいます。たいして街の入り口からここにかけて配置されている冒険者の中に、ほとんどエリート魔法師はいません」
「……つまり、AランクやSランクの魔物は、ほぼ無傷でここまでやってくる可能性が高いということか?」
「そういうことです」
増田が深刻そうな表情を浮かべて頷いた。
「カイス沼を利用しても、空也君がいたとしても、屋敷に残っている護衛隊をすべて投入したとしても、とても対抗できるものではありません」
「そんな……」
その場は重苦しい沈黙に包まれた。
ヒナに次ぐ【索敵】能力を持つ増田は現実的な男だが、決して悲観的ではない。
その彼がここまで言い切るということは、それだけの戦力差があるということだ。
空也が優作たちの元までやってきた。
「空也君。しばらくするとここに、AランクやSランクを多く含んだ大群がやってくるそうだ」
「わかっています」
空也は特に表情を変えずに頷いた。
「どうやら一部の障壁が崩壊し、魔物が何体か脱走したようですね。その対処に【光の女王】などのエリート魔法師が向かったため、カイス沼への誘導ルート内を通る魔物の殲滅が難航しているんだと思います」
「それまでは光の女王たちが対処してくれていた高レベルの魔物が、そのままここに流れてくるということか……」
「そういうことです。護衛隊の皆さんもすでに結構消耗していますし、まず間違いなくこのままではここは突破されるでしょう。元々、女王たちでもすべては対処し切れていなかったほどの奴らですから」
「……その割には、あまり深刻そうには見えないな」
内容の深刻さとは裏腹に、空也の口調は終始淡々としていた。
「何か、策があるのか?」
「はい。一つだけですが」
空也が頷き、その場にざわめきが起こった。
「どんな策だ?」
「申し訳ありませんが、詳細を言っている時間はありません。今からすぐに、その準備のために屋敷に戻るので」
その台詞の間、空也は足を止めなかった。
それは見ようによっては失礼な態度とも言えたが、優作はそうは思わなかったし、策の内容についてしつこく尋ねようとも思わなかった。
その代わり、最後に一つだけ、優作はその決して大きくはない背中に問いかけた。
「俺たちに手伝えることはあるか?」
「できるだけ長く耐えてください」
そう聞かれることを予想していたのか、間髪入れずに答えが返ってきた。
空也が足を止め、振り返った。
「——そうすれば、僕が必ずこの戦いを終わらせますから」
◇ ◇ ◇
「……任せて大丈夫なんですか?」
隊員の一人が不安げに呟いた。
「実力は折り紙つきでしょうけど……でもやっぱり、九条家の危機を九条家の人間じゃない彼に任せるのには、抵抗があります」
「そうだな」
優作は頷いた。彼自身もその気持ちは持っていた。
「だが、今は彼に任せるしかないんだ」
優作はその隊員だけでなく、周囲の全員に聞かせるように言った。
「悔しいが俺らには解決できないし、空也君の実力と言葉を疑うのは、窮地に駆けつけてくれた彼に対して失礼だ。それに——」
優作は一人一人の顔を見回し、続けた。
「彼の策が成功するかどうかは関係ない。たとえ負けるとわかっていても、最後まで九条家のために戦う。それが九条家護衛隊じゃないのか?」
隊員の間から「そうだ……」「その通りです」という賛同の言葉が漏れる。
優作は拳を天高く突き上げた。
「皆、今こそ我ら九条家護衛隊の底力を見せるぞ!」
「おおー!」
屋敷を振るわさんばかりの大声が、その場に響き渡った。
◇ ◇ ◇
その優作たちの大声は、屋敷の深部にある『砦』までしっかりと届いていた。
「……何でしょう?」
皐月は俯いていた顔をあげた。
なぜ俯いていたのか。それは、現有戦力では打つ手がないことをヒナから聞かされていたからだ。
奇跡が起きても勝てない。彼女はそう言った。
九条家一の【索敵】使いである彼女がそういうのだから間違いはないのであろうし、それは増田を連れている優作たちにもわかっているはずだった。
だからこそ皐月は期待せずにはいられなかった。
現状を打破するような何か——たとえば予想外の助っ人など——が現れたのではないか、と。
皐月はヒナを見た。
その首が横に振られる。戦力が増えたわけではないようだ。
ただ、と彼女は続けた。
「もうすぐ、空也さんがここにやってきます。もしかしたら、彼が何か、私たちには想像もつかないような手を考えたのかもしれません」
間もなくして、ヒナの言葉通り、空也は『砦』にやってきた。
そして開口一番、彼は言った。
「非戦闘員の皆さん、命を懸ける覚悟はありますか?」
と。
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