第五十一話 洗脳
何か特別な出来事があったわけではない。
ただそれでも、ほのかは気がつけば空也のことを好きになっていた。
【流星】として活動を始めてから一年と少しが経過したころ、ほのかは空也を知る人ぞ知る高級なお店に誘い、そこで想いを伝えた。
空也は最初から愛理と気が合っていたし、ほのかは玉砕も覚悟していた。ただ、想いを伝えられればそれで良かったのだ。
しかし、空也から帰ってきた言葉は、とても普段の彼からは想像もつかないものだった。
「一言一句覚えているわけではないですけど」
そう前置きしてから、ほのかは空也から言われた言葉の数々を明かした。
「空也は私に言いました。『どれだけの自信があったのか知らないけど、失敗したときのリスクは考えていたのか』、『もしこれで僕とほのかが気まずくなれば、連携が乱れて誰かが危険な目に遭うかもしれない』、『そんなことも想定できない子とは、付き合う気にはなれない』って……」
その場にいる全員の目線が空也に向けられる。
「……それは確かなんだよね? ほのか」
「うん……」
ほのかは空也から視線を逸らしつつ頷いた。
改めて考えても空也らしくない言葉の数々だが、それでもそういう趣旨のことを言われたのは、はっきりと彼女の記憶にあった。
「そっか……」
空也は少し視線を彷徨わせた後、再びほのかに視線を合わせた。
「ほのか」
ほのかは顔を上げた。二人の視線が交差する。
空也の口が開かれた。
「ありがとう。ほのかの想いはとても嬉しい。だけど、ごめん。僕は君の気持ちに応えられない」
(何を言って……いや、でも待って。これって——いっ⁉︎)
頭痛が再びほのかを襲うが、空也は言葉を止めなかった。
「僕もほのかのことは好きだけど、それはあくまで仲間として、友達としてのもの。恋愛とかはあんまりわからないんだ。だから、好きになってくれたことは本当に嬉しいけど、ごめん」
「あ、ああ……!」
ほのかを襲っていた頭痛は、いつの間にか治まっていた。
そして、クリアになった彼女の頭では、たった今空也の喋った言葉が再生されていた——当時の情景とともに。
「思い出せたみたいだね」
「……空也にあんなこと言われていたの、ただの記憶違いだったってこと? 私はただの逆恨みで——」
「それは違うよ」
絶望するほのかを、空也が強く否定した。
「違うって……?」
「ほのかは記憶を操作されていたんだ。精神干渉魔法によってね」
「えっ——」
衝撃的な事実に、ほのかは今度は絶句した。
——記憶を操作された?
——精神干渉魔法によって?
「嘘……」
「まあ、そういうことだからさ、ほのか」
ほのかの名を呼ぶ空也の声は、とても優しい。
「一連の出来事は別にほのか一人のせいじゃなくて、君の異変に気づけなかった僕にも責任がある。ほのか一人が気負う必要はないよ」
(……ああ、もう)
空也はいつもこうだ。ほのかが弱っているとき、欲しい言葉を欲しいタイミングでかけてくれる。
(だからこそ、好きになったんだろうな……)
「うっ……」
ほのかは込み上げてくる熱いものを、必死に堪えようとした。
「はい」
ぼやけるほのかの視界に、白色が映る。
それはハンカチだった。
(本当にこの人は——)
ほのかの瞳から、一滴の雫が流れ落ちる。
「お疲れ様、ほのか」
空也がほのかの背中をさする。
ほのかにそれ以上、我慢することはできなかった。
空也の差し出したハンカチに目を押し当て、ほのかは堰を切ったように泣き叫んだ。
◇ ◇ ◇
「相当精神的に参っていたみたいですね……」
今し方出てきた扉を振り向き、空也が呟いた。
「ええ……」
玲良が短く同意する。何を言おうにも、かけるべき言葉が見つからないのだろう。
それは、真司も同じだった。おそらくは、凛も杏奈もだろう。
「でもこれで、新たな謎が増えましたね」
凛が話を振った。
「そうですね」
それに反応したのは空也だ。その口調はいつも通り、いや、いつも以上に静かだった。
冷静だな、と真司は感心した。
「まず疑問なのは、ほのかがいつから精神干渉魔法を受けていたのか、ですね」
空也が指を折った。
「あとはほのかの記憶違いはこれだけなのか。他のメンバーはどうなのか。そして——なぜ、僕の友達があんな目に遭わなければならなかったのか」
真司は足を止めた、
否、止めたのではない。
すくんだのだ。
空也から漏れ出したそれは、紛れもない殺気だった。
見れば玲良も凛も固まっており、平気そうなのは玲良の護衛である杏奈だけだった。
真司は自らの勘違いに気づいた。
空也は決して冷静ではなかった。いつもより静かだったのは、今にも溢れ出しそうになる感情を、必死に抑えていただけだったのだ。
(仲間が精神干渉魔法を受け、そのせいでパーティが崩壊した現状を考えれば、空也君の怒りは至極当然のものだ。だが、これは、この殺気は……!)
自分が向けられているわけでもないのに、これまでそれなりの修羅場をくぐってきた真司たちを硬直させるほどの殺気。
真司は殺気自体よりも、そんな殺気がまだ幼さの残る少年から発せられていることに恐怖を覚えた、
真司は【索敵】を発動させ、空也に意識を集中させた。
空也の体内の魔力が乱れているのがわかる。魔力と精神はリンクしているため、魔力が乱れているということは、それだけ空也の精神も荒れているということだ。
しかし、その乱れ方は真司が想定したものよりは小さく、すぐに精神が崩壊したり暴走するというのレベルの乱れ方ではなかった。
真司はそのことに一安心するが、その安心感は一瞬で消え去った。
(なっ……⁉︎)
真司は驚愕に目を見開いた。
乱れていた空也の魔力が、彼が何らかの魔法を行使した直後に、一気に鎮まったのだ。同時に殺気も消える。
(い、今のはっ⁉︎)
「すみません。取り乱しました」
空也が謝罪をするが、それに反応する余裕は真司にはなかった。
「お気になさらないでください」
(——はっ)
玲良の空也を気遣う言葉が聞こえ、真司はようやく平静さを取り戻した。
「それにしても、精神干渉魔法で記憶の操作までできるとは思いませんでした。真司は知っていたのですか?」
玲良が真司に話を振る。
「はい。かなり高位の魔法師なら可能です」
「精神干渉魔法は相手の感情を増長させるものだと認識していたのですが、違ったのですか?」
「いえ、基本的にはその認識で問題ありません」
真司が簡潔に答えれば、玲良が黙って真司を見つめた。
それがさらなる情報を求める意思表示であることはすぐにわかったため、真司はより詳しく説明することにした。
「確かに、精神干渉魔法は相手の感情を増幅させる魔法です。が、その過程で、相手の記憶やイメージを利用するんです」
「記憶やイメージ?」
「はい。誰かとの思い出や、誰かに対するイメージ。それらを基準にして感情を増幅させるんです。例えば——」
真司は言葉を止めた。
咄嗟に具体例として出てきた事例が、空也の元パーティメンバーである相田茂だったからだ。
それは真司なりの空也への気遣いだったが——、
「茂なんかは良い例ですよね」
あろうことか、空也本人がその例を出した。
真司は慌てて【索敵】を発動させたが、空也の魔力に乱れは感じられなかった。
「茂が霊に憑依されるほどの悪感情を持ったのは、彼の持つ僕や愛理への負の記憶やイメージを起点にして、僕らへの悪感情を増幅させられたからです」
「なるほど……」
「そして高位の魔法師になると、記憶自体に手を加えられるようになる。そうなると、一種の洗脳のようなことができます。例えば、ほのかに精神干渉した魔法師は、彼女の記憶を書き換えて僕に対して悪感情を抱かせ、さらにその悪感情を増幅させたのだと思います。この一連の行程をそのまま【洗脳】と呼んだりしますが……狭間さん、だいたいこんな感じで合っていますか?」
「え、ええ」
戸惑いつつも、真司は頷いた。
「よく知っていましたね、空也君」
「魔法の研究や勉強は好きなんです。本とかも結構集めていて」
「なるほど。それで部屋が散らかるんですね?」
「伏線回収しないでください、玲良様」
玲良と軽口を叩く空也は本当にもう気負っていなさそうだったので、真司は【索敵】を解いた。
「今もお部屋は散らかっているのですか?」
「……いえ、今は大丈夫です」
「愛理さんにでも手伝ってもらっているのですね?」
「鋭いですね、玲良様は」
「それはもう」
玲良と空也の会話を流し聞きしつつ、真司は先程空也が使った魔法について、考えを巡らせた。
(精神干渉魔法は、あくまで対象の感情を増幅させる技。だが、先ほどの空也君は、確かに魔法で精神を鎮めていた。そんな技はどの文献にも載っていなかったはずだが、まさか——)
——魔法の研究や勉強は好きなんです。本とかも結構集めていて。
空也の声が、真司の脳内で反芻する。
(自分で技を作り出した……というのかっ⁉︎)
真司は思わず空也を見た。
そして同じタイミングで、空也の視線も真司に向けられた。
真司は、まるで自分の脳内が覗かれているような寒気を感じたが、空也が振ってきた話は全く別の話だった。
「後は高志が今何をしているのかというのと、呪術で異界を作ったはずの茂が、なぜ異界が壊されても【呪い返し】を受けていないのかが気になりますね。狭間さんは【呪い返し】について、何か心当たりはありますか?」
「いえ、さっぱり」
真司はどこかホッとしつつ、首を振った。
「代償がない、もしくは【呪い返し】以外の方法で代償を支払った……とかは考えられませんか?」
「可能性があるとすれば後者でしょうか。具体的なものは何も浮かびませんが」
「そうですね……」
空也が曖昧に頷いたのを皮切りに、沈黙が訪れる。
このとき真司は、否、全員が思っただろう。
改造が施された【自爆球】なんてものを使っていた侑斗なら、何か知っていたのかもしれない——と。
◇ ◇ ◇
空也が王宮を訪れた翌日、二人の人間がとある店の一角で向かい合っていた。
「ふっ。ヤツら、侑斗が殺されたことを悔しがっているだろうな」
「でしょうな。九条大河も、目に見えて落胆しておりましたぞ」
「そうか。お前は特等席にいるな——吉田」
「そうですな」
吉田はニヤリと笑った。
「ただ、油断はするなよ? 九条家は【光の女王】や瀬川空也を含め、厄介な者たちが揃っている。少しでもしくじればすぐに尻尾を掴まれるぞ」
「承知しています」
「なら良い」
相手の男の深くは聞いてこない様子に、自分への信頼を感じ、吉田は口角を上げた。
「時に、一つお尋ねしてもよろしいですかな?」
「何だ?」
「相田茂と村田ほのかは殺しておかなくとも良いのですか? 王女とも会っていたようですが……」
「ああ。奴らは侑斗と違ってほとんど情報を持っていないからな。リターンの割にリスクが大きすぎる」
それに、と男は口元を緩めた。
「今後のために、少しでも付け込める部分は多いほうが良いだろう?」
「なるほど。そういうことでしたか。考えが足りませんでしたな」
「備えはいくらでもしておくものだ。特に、事態が大きく動こうとしている今はな」
男は吉田から視線を外し、窓から外に視線を向けた。
「さあ、第二ラウンドだ」
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございます!
本話で一度区切りとなるので、この後はいくつか本編のストーリーには影響しない小話をいくつか投稿予定です。
本編はその後に再開となりますので、しばらくお待ちください。




