第二十話 犠牲
「奥様、佐々木さん……!」
我に返った沙希は、二人の手首に指を当てて再び絶句した。
そこにはもう、脈は感じられなかった。
どうして——、
沙希はふらふらと立ち上がり、奥で倒れている八城やメイドの皆のもとへ歩み寄った。否、歩み寄ろうとした。
「重役出勤とは偉いもんだねえ、副隊長さんは」
その声は沙希の後ろから響いた。
振り返ると、そこには一人の青年が立っていた。
沙希は息を呑んだ。
その右手には、大量の血のついた剣が握られていた。
「お前が……お前が皆をやったの……⁉︎」
「ああ、そうだ」
「っ!」
青年が口を閉じるころには、沙希は魔法を発動させていた。【光の咆哮】を最大威力で放つ。
しかし、それは突如青年を覆った結界で防がれた。
その結界は一般的に魔法師が使う【魔の結界】や属性魔法の結界——【火の結界】など——とは異なり、まるで炎と氷の渦のようだった。
沙希は眉を顰めた。
青年からは、先程も今も全く魔力を感じられない。だとすればこの魔法は――、
「全く、せっかちなんだから」
青年の背後から、ここ数分で聞きなれた声とともに一人の女が現れた。続いて男も現れる。
その男女、シュウとミキを見て沙希は愕然とした。この二人は、沙希の【光の咆哮】を耐えきれるほどの強さではなかったはずだ。
沙希の中に、一つの選択肢が浮かんだ。
「……融合魔法⁉」
「せいかーい」
シュウがおどけた様子で手を叩いた。
「俺とミキの融合魔法【氷炎双壁】。俺らは単体では嬢ちゃんには敵わねえがな。兄妹で力を合わせれば、大抵のことはなんとかなるもんだよ……おっと」
沙希は魔法を次々と放った。しかし、それらは全て【氷炎双璧】に防がれた。
左方向に人の気配を感じた。沙希の首元には、いつの間にか剣が迫っていた。
「くっ……!」
【魔の障壁】——魔力で作った透明な壁——で何とか受け流す。
「へえ……意外にやるじゃねえか」
青年がニヤリと口元を緩めた。
沙希は、速度を増した心臓の鼓動を必死に鎮めようとした。【魔の結界】を生成しようとしていたら、間に合わずに首を切られていただろう。とんでもないスピードだ。
しかし——、
「どうしてこの男からは魔力が感じられないのだろう?」
「えっ?」
沙希は目を見開いた。自分の思っていたことを青年にそのまま言い当てられたからだ。
「ビンゴだったみてえだな」
「……それがどうしたの」
「てめえの感じていることは正しい。何せ俺は、【身体強化】も何も使えない【無能力者】だからな」
「【無能力者】……」
沙希は納得と意外感を同時に覚えた。
保有している魔力量が極端に少なく、生命活動でその魔力を全て使い切ってしまうため、魔法を使うことができない者たちの総称だ。
世間の多くがこの【無能力者】で、魔法師はほんの一握りにすぎないが、魔法師同士の戦闘の場に出てくるのは異例だと言える。
なぜなら——
「そう。その目だよ」
青年が舌打ちをした。
「てめえら魔法師は、【無能力者】と知るとすぐに同情の視線を向けてくる」
「そんなつもりは——」
「同情心が目に表れているんだよ」
青年は吐き捨てるようにいった。
沙希は咄嗟に言い返せなかった。今の社会は、優秀な魔法師ほど優遇されるのは事実だからだ。
「でも、俺は自分が魔法が使えなくて可哀想だ、なんて思ったことは一度もねえ。そのおかげで、魔法が使えるやつが偉いなんて偏見に染まらずに済んだんだからな」
青年の多分に偏見の入った意見には挑発の意図が含まれていたのかもしれないが、沙希はよく回る舌だな、と思っただけだった。
沙希が全く取り合わないことに苛立ったのか、青年は顔を歪めた。
しかし、その口元はすぐに弧を描いた。
「シュウ、ミキ」
「なんだ?」
青年は沙希を見据え、はっきりと宣言した。
「お前たちは手を出すな。この魔法師は俺が一人で片づける」
「危険だ……と言いたいところだが」
シュウが自らの背後にチラリと目線を向けた。
「どうやら国防軍が来たようだ」
「私とシュウで足止めをしておくから、その子は任せたよ、コウ」
「ああ。さっきの一撃でわかった。こんなゴミ、俺一人で十分だ」
その自信に満ち溢れた表情からは、青年、コウがハッタリではなく本気でそう思っていることが窺い知れた。
ただ、【索敵】も使えないコウがたった一度の攻防で沙希の実力を見切るのは不可能に近い。彼の自信の裏にあるのは、自己評価の高さと魔法師を下に見ようとする優越感だった。
それは仲間であるシュウとミキも気づいていたが、二人はあえて指摘はしなかった。
「頼もしいな」
「それじゃ」
シュウとミキが去っていく。
沙希は二人を意識の外に追い出し、視線をコウに集中させた。
数秒間の睨み合いのあと、コウが先に動いた。
沙希は襲いかかってくる剣先を【魔の障壁】で受け流しつつ、【電撃】で反撃をする。距離を取ろうとするが、コウは【電撃】をかわしつつ、一瞬で間合いを詰めてきた。
「くっ……」
受け流しきれず、沙希の頬に赤い線が走った。
◇ ◇ ◇
「ちぇっ、こんなもんか」
治癒魔法で細かい傷を治療する沙希を前に、コウはあからさまな落胆のため息を吐いた。
「【ファング・ハント】の群れを倒した片割れだからどんなに強いのかと思えば……結局、魔法しか使えないお前らなんてそんなもんなんだよ。魔法が使えないってだけで俺らのことを憐んでいた結果が、その俺に手も足もでないこのザマだ。恥ずかしくねえの?」
コウはすっかり自分に酔っているようで、その舌はどんどん滑らかになっていった。
「強者には魔法も魔力も必要ねえんだよ。お前らみたいにささやかな天からの贈り物の上に胡座をかいているか、俺みたいに極限まで自分を高めるか。あるのはその違いだけだ。【無能力者】が可哀想? 寝言は寝て言え。俺からすれば、多少魔法が使えるだけで調子に乗っているお前らの方がよほど憐れに見えるね」
コウは気持ち良く自分の思想を語っていたが、それは沙希からすれば滑稽も良いところだった。
敵を追い詰めているなら口ではなく体を動かすべきだし、言っていること自体も矛盾と偏見だらけだ。
そう感じた沙希の口元は、無意識のうちに弧を描いていた。
「所詮お前らは——な、何がおかしい!」
コウの怒鳴り声で、沙希は自分が笑っていることを自覚した。無意識のうちに漏れ出た笑みには、おそらく嘲りの成分が含まれているだろう。
「別に」
それを自覚したあとも、沙希は自分の感情を無理に隠そうとはしなかった。
他ならぬ魔法師からの嘲笑は、コウの神経を逆撫でするには十分だったようだ。
「……ふざけんなっ!」
逆上したコウが斬りかかってくる。その速度は先ほどと同等か少し早いくらいだったが、沙希はそれを今までと同じように受け流すことはせず、【魔の障壁】で受け止めた。
「なっ!?」
コウの体勢が崩れる。その隙をついて、沙希は【電撃】を浴びせた。
コウはなんとか身を翻すが、全ては避けきれずに左腕で【電撃】を受けた。
「ぐっ……」
間髪入れずに沙希は【魔弾】を放った。コウは必死に避けるが、四発目を避けきれずに被弾し、五発目をまともにくらって吹っ飛んだ。
壁に打ちつけられたコウはすぐに立ち上がるが、その足元はふらついている。
「く、そ……!」
「へえ、意外とタフなんだ」
「うるせえ! もう勝った気になってんじゃねえぞ!」
その負け惜しみの典型とも言えるセリフに、沙希は今度は意図的に口を歪めた。
——それは、紛れもなく油断だった。
「おらよ!」
コウが素早く腰から短剣を抜き、投げつけてくる。
それ自体は何ら沙希の脅威ではなかったが、コウの本命もその短剣ではなかった。
コウは近くの瓦礫を剣圧で吹き飛ばすと、中から何かを引っ張り出した。その何かが人間だと沙希の脳が理解するころには、コウは剣をその人物の首元に突き立てていた。
「ヒナ……⁉︎」
口を封じられ、全身も縄で拘束されているその少女は、沙希のメイド仲間であるヒナだった。その目には、はっきりと恐怖の色が浮かんでいる。
「滑稽な顔だなぁ」
コウがせせら笑う。
「この程度の対策、していないとでも? 九条家の護衛隊副隊長が聞いて呆れるぜ」
「っ……!」
甘かったのは、滑稽だったのは自分だ。
とてつもない後悔の念に苛まれながら、沙希はそのことを自覚した。
「ほら、殺してみろよ——このガキごとな!」
コウはヒナを羽交い締めにするような格好で挑発してくる。
沙希にはわかっていた。
おそらく今が、ヒナを犠牲にしなければならない今こそが、コウを殺す最大のチャンスであることを。そして、九条家の護衛隊副隊長としては、その選択肢を取るべきだということも。
沙希はヒナを見た。
「っ——!」
ヒナは、沙希を見て笑った。目に涙を浮かべながらも、沙希を安心させるように、彼女は笑って頷いた。
沙希は唇を噛んだ。
「はっ、打つ手なしか。お前が近接戦闘を得意としてねえのはわかってんだよ」
——打つ手がなかったなら、どれほど良かっただろう。
沙希は【光の咆哮】の魔法式をいくつも構築した。
魔力が急速に吸い出され、自分の能力を超えた荒業の反動で、強烈な吐き気や頭痛が沙希を襲う。耳鳴りもして、もはやコウの言葉も聞き取れなくなる。
それでも、沙希は構築をやめなかった。
「かといって、遠距離で俺だけを殺せるような技術もねえってこともなぁ! お前ができるのはただ立ち尽くすことだけ——」
コウが息を呑んだ。
「お、おい! マジか——」
「——【光の咆哮】!」
ごめんね——。
ヒナの瞳を正面から見ながら、沙希は無数の光の槍を放った。
すぐに土埃に視界が埋め尽くされる。
「ゲホッ!」
沙希の口から血溜まりがこぼれ出た。身体の節々が痛く、倦怠感もすさまじい。沙希はたまらず膝をついた。
それでも、沙希は視線を下げなかった。
トラウマになるかもしれない。それでも、今だけは目を逸らしてはいけないと思ったからだ。
土煙が晴れていく。
「……はっ?」
目の前に広がる光景を理解して、沙希は口を半開きにしたまま固まった。
何度も目をこすっても、瞬きを繰り返しても、視界に映る景色は変わらなかった。
そこには二つ、本来なら二つ転がっているはずの肉塊が一つしかなかった。
そしてその肉塊の奥では、傷一つ負った様子のないコウが、薄ら笑いを浮かべていた。
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