第65話 息抜きのコミケ
夜月は失恋こそしたものの、部活中のプレーや声出しに問題はなかった。
厳しい部活の練習なら部活に集中すればいいだけの話なのだからだ。
しかし問題は内心では相当ショックだったのか、授業中や夜に寝ている時など静かな時に失恋を思い出し、目に涙が浮かびかけてしまうほど集中力が切れているのだ。
女子の前では格好つけてそう見せないようにしているが、一人になるとどうも思い出してしまうようだ。
それほど純子の事が好きだったのだから無理もない。
それを見かねた林田は夜月が練習から帰ると、一目散に夜月に声をかける。
「おかえり夜月くん。落ち込んでいるところ申し訳ないけど、ちょっといいかな?」
「え、ああ……いいけど」
「僕がアニメオタクで陰キャなのは夜月くんも知ってると思うけど、そのアニメオタクとして夜月くんにビッグサイトで行われるコミックマーケットに同行してほしいんだ。どうしても欲しい同人誌があってね、僕の友達で有名な絵師なんだ。『サヤ』って人、学校では奥原さやかって人なんだけど知ってるかな?」
「ああ、あの漫画研究部のか」
「彼女の同人誌の即売会に付き合ってほしいんだ。郷田くんたちも付き合ってくれるんだけどどうかな?いい息抜きになると思うよ?」
「そうだな……年末は練習もないし、コミケに行ってみるか。それに前から気になってたし、少し気になるネットアイドルも来るらしいからな」
「気になるネットアイドル? 誰の事かな?」
「メガネっ子アイドルで、まだ小学生らしいんだが、『すーみん』っていうんだ」
「ああ、あの『アニメソングをコスプレして歌って踊ってみた』の子だね」
「その子に会ってサインをもらおうって思ってたんだが、まさか林田の方から誘ってくれるとは思わなかったぜ。そのコミケに付き合うぞ」
「ありがとう夜月くん。じゃあ大晦日の早朝に国際展示場前駅に集合しよう。ちなみに一応言うけど、少なくとも成人向けコンテンツじゃないよ?」
「それはさすがにわかる。俺たちはまだ未成年だし成人向けを買える年齢でもないしな」
「オタクはどうしても成人向けを買う傾向にあるし、誤解されないように一応言っておいてよかったよ。それじゃあ当日はよろしくね」
「おう」
林田の誘いで年末の大晦日にコミックマーケットに行くことになった夜月。
他にも河西や黒崎、郷田、阿部も同行する事になっている。
一方の女子はオタク趣味がある有希歩とつばさ、麻美も一諸で、クリスも『日本のコミケはアメリカでも話題だから気になる』と言ってついてくる。
コミックマーケットを楽しみに夜月はクヨクヨしなくなり、落ち着いた状態で眠りに着いた。
翌日、コミックマーケットの日が訪れ、各自早起きして国際展示場前駅にみんなで向かう。
瑞樹は水泳部の合宿、優子は京都への帰省、あおいは榊や園田と地元へ帰ったので来れなかった。
国際展示場前駅に着くと、もう既に長蛇の列が並んでいてオタクたちの本気をこの目で見る事になった。
「Wow! これがコミックマーケット!」
「やっぱり今年もコミケは激戦区ね……」
「俺たちは毎日部活で体力ついてるから並べるけどさ……」
「オタク共はこの日になると体力が無限だってマジなんだよな……」
「さあみんな! そろそろ行こう! サヤが僕たちを待っているからね!」
「あいつバスケやってるからか他のオタクたちとは体力が桁違いなんだけど……!?」
「彼のその情熱は見習わないといけないかな」
「遠藤もマドンナと言われてるのにオタク趣味だったわ……」
「マドンナだってオタク趣味くらいするよ?」
「そうね。人は見かけや性格によらず、意外な一面を見せるときもあるのよ」
「へー、そうなんだ」
「つばさだって見た目はギャルなのにオタク趣味があるじゃない。私や麻美のオタトークにも普通についていけてるし」
「そりゃああたしは中学ではスポーツバカだったけど、仲のよかったギャルの子がアニメをおススメしてくれてからハマっちゃったんだよね。『涼原ハルカの憂鬱』だったかな?」
「クリスもそれ聞いたことあるよ」
「アメリカでも有名なんだな。知らなかったよ」
「……。」
「もー、また阿部は女子の前だと緊張して喋れなくなるー♪」
「『オタク趣味じゃない俺でもその作品は知ってる』だってさ」
「なんだ、みんな結構オタク趣味が多少あるじゃないか。僕は凄く嬉しいよ」
「そりゃあ散々オタトークを聞かされたからな。こんなに楽しそうに語られたら普通は気になって見てみるだろ」
「黒崎くんは鋭いこと言うね……」
長蛇の列に並びながら他愛のない会話をして気を紛らわし、並び疲れないように水を飲んだり朝食を取ったりする。
オタクにも今や多様性のある姿の人がいて、見た目はそうじゃないのにガチなオタクだったり、美男美女がいて意外性のあるオタクだったり、この日のために鍛えたのか筋肉質な男性もいたのだ。
陽が昇っていくと日差しが当たるようになり少しは寒さを凌げたものの、やっぱり北から吹く浜風が寒いのでカイロを貼って暖を取る。
それからしばらくすると、ついにこの時がやってきた。
「コミックマーケット開場します! 皆さん慌てずゆっくり慎重に中にお入りください!」
「いいかい? 走ったり他の人に体当たりしたり喧嘩だけはやめてね? これはオタクのルールだからね?」
「いくら不良の俺でもわかってんよ」
「さすがに素人にタックルはしない」
「……。」
「走ったら危険だからやらない、か。まあ俺もコミケを普通に楽しむか!」
「そうだな。じゃあまずは奥原だっけ? サヤってやつのところに行くぞ」
「そうしようか」
こうして夜月たちはサヤという絵師のところへ向かう。
成人向けエリアではもはやバーゲンセールのような混雑ぶりで、ちょっと歩くだけでも違う方向へ流されるほどの人混みと移動率だった。
一方、全年齢向け同人誌エリアでは人混みはそれほどでもなく、ちょっと並べば買える程度の列だった。
目的地に着くと、そこには暗めの黒髪で左目が前髪で隠れていてツインおさげの女の子だった。
林田はそれに気付くと真っ先にそこに向かい、ブースにいる少年に声をかける。
「奥原さん、やっと来たよ」
「来てくれたんだ、嬉しい……。そちらは将太くんがよく話しているお友だちかな……?」
「おう。お前がサヤか」
「えっ……? あ、はい……!」
「へえ……結構絵が上手いじゃねえか。さすが漫画研究部ってところだな。このキャラクターの立体感がよく見えるぜ」
「だな! それにこの女のこの肌がエッチでたまんないな!」
「黙れスケベナンパクソ野郎。俺はそんな事を言ってるんじゃねえんだぞ」
「郷田~! 黒崎がいじめる~!」
「河西は少し自重した方がいいぞ」
(コクコク……)
「裕樹って面白いね♪」
「ただ空気が読めないだけよクリス」
「うふふ、でも賑やかで面白いね」
「奥原……じゃないか。サヤさん、その本を俺にも売ってくれ」
「う、うん……。えっと……涼原ハルカの憂鬱という作品が好きって聞いたから……同士で嬉しい……」
「その作品の『長瀬友希』ってキャラが推しなんだよ」
「夜月くんって結構マイナーな子を選ぶんだ。夜月くんって結構オタクの素質あると思うよ?」
「遠藤の言う通りそれもそうか。何せ俺には気になるのもここに来てるからな」
「そうなんだ。コスプレイヤーの事かな? それなら広場の方にいるから行ってみてもいいと思うよ」
「おう、サンキュ」
「えっと……みんな自然と別れようとしてるし、簡単に有名絵師にしがちだけど……奥原さんって池上荘にいるんだよ?」
「え……? ええーっ!?」
「えっと……改めまして、奥原さやかです……」
「マジか……まあよろしく」
「は、はいっ……!(どうしよう……私が最近描いてる漫画の主人公のモデルの人と話しちゃった……!)」
林田の突然のカミングアウトに一同驚き、さやかは『本当だよ』と言わんばかりに小さくコクコクと頷いた。
郷田が『そう言えば黒髪ツインおさげで片目が隠れてる女子の幽霊が出る』と聞いたことがあったが、どうやらそれはさやかの事だったようだ。
おかげで幽霊の噂はただの噂という事になり、改めてさやかを寮のメンバーとして友達になった。
そして夜月に投票した最後の一人はさやかだと判明したが、当の夜月本人はまだ知らない。
こうして同人誌を全員で購入し、林田は『目的を達成したので後は自由に回ってもいい』との事で解散した……はずだった。
女子はそのまま帰宅するが、男子は夜月が会いたいって言ってた『すーみん』が気になり、とりあえず広場に行くことになった。
広場に行くと老若男女問わずレベルの高いコスプレイヤーが撮影会を開き、屋台で昼食を取る人たちも大勢いた。
夜月はそわそわしながらすーみんを探すと、すーみんと書いてあった看板を見つけて真っ先にそこに向かった。
他のみんなも夜月についていき、一体どんな子なのかを確認する事になった。
夜月は列に並んで林田から借りたカメラを用意し、撮影の準備に取り掛かる。
列が抜けて夜月の番になると、ついに夜月は楽しみだったすーみんに会える。
「あ、はじめまして! 私がすーみんです! 今日は撮影よろしくお願いします!」
「えっと……リアルでははじめまして! ずっとすーみんを応援してました! 小学生なのに凄いですね……! えっと……ハンドルネームはないですが、夜月晃一郎といいます!」
「夜月晃一郎……? もしかして出身小学校は津田山小学校ですか!?」
「え……? どうしてそれを知ってるんだ……? てか俺の名前を知ってるんですか……?」
「覚えてませんか? 小学校の時に合同遠足でペアになった水野澄香です」
「水野澄香……っ!? ああ! あの水色の髪のメガネっ子!」
「思い出してもらえて嬉しいです。夜月さん、約束通りアイドルになりました。今は小学校5年生ですが、ネットアイドルとして活動を始め、夜月さんに言われた磨けばアイドル並みに可愛いって言葉を真に受け、ずっと頑張ってきました。あの時は地味で根暗な私を救ってくださって……ありがとうございました」
「お、おう……。あんなに小さかった水野がこんなに大きくなって……。そら俺も高校生になるか」
「その……実は夜月さんの事が……あの時からずっと好きです! 本当は付き合ってくださいと言いたいのですが……まだ小学生の私と付き合うのは無理ですよね。だから……中学に入学するまで待っててくれますか?」
「それは……推しと付き合えるなら嬉しいですが、今は俺は高校生でそっちは小学生だ。世間体的にマズいし、何よりネットとはいえアイドルだから恋愛は厳しいはず。ここにいるオタクたちも馴れ初めを知ったとはいえ恋愛なんか……」
「君、知り合いだったんだ。それもアイドルになったきっかけの人とはね。見損なったよ……」
「ほら、やっぱり……」
「せっかくすーみんにここまで言わせたんだから付き合える歳になるまで待ってやりなよ。俺たちファンの事は心配すんな。今は西暦と違ってアイドルの恋愛には寛容なオタクが多いのさ。『寛容じゃない奴はファンじゃない』って風潮があるし、芸能人でさえまだ誤解している人もいてあれだけど、夜月くんだっけ? 君は胸を張ってすーみんと付き合って活動を支えればいいんだよ」
「そうそう。それに恋愛をしたごときで嫌いになったり推さなくなったりするほど僕たちファンはヤワじゃないよ! だからもう二年待っててやってくれ!」
「みなさん……ありがとうございます! さっきまで失恋したことを引きずってみっともないですね……。水野、いや……すーみんさん! 俺はもうすぐ甲子園に出る事になってるんだ! 応援に来てくれたら付き合おう!」
「本当ですか!? 失恋してたんですね……でも私がきっかけで立ち直れてよかったです♪ 不束者ですが、よろしくおねがいします!」
「こちらこそよろしく!」
こうしてすーみんこと水野澄香と再会し、いきなり告白されて中学生になるまで交際するのを待つことになった。
澄香は小学5年生になり、夜月に言われた『アイドルみたいに可愛い』という言葉を糧に努力し、本当にアイドルになったいきさつを知ったファンたちは交際を応援した。
一方の置き去り気味だった林田たちは夜月の失恋からの立ち直りと、交際の約束を祝福してコミケ離脱後に祝賀会を開く。
しかし女子たちは帰宅したので、自分たちが失恋したことはまだ何も知らない……。
夜月は精神的スランプを脱出し、これから年末年始のみ寮を出て実家に帰省する。
つづく!




