1-10 食料対策
日比谷公園で行われている日比谷会議の食料対策分会には大きな焦りが出ていた。
大失電から既に1か月以上を経過するが、継続して日本人を生き残らせるための食料の確保問題について、この会議としての対策案がまとまっていなかった。
農協や政府倉庫が持つ備蓄米の開放など、食料を計画放出する指示が行われたが、その政策は既存食料を食いつぶす目先のことだけであり、将来への食料確保というものが出来ていなかった。
農業計画を次の季節サイクルに乗せる為に、備蓄を用いた一時的な先延ばしは短期的に必要ではあるが、長期戦略として根本的解決がないと、機械化農業が利用できない状況下では次の生産サイクルで食料計画が破綻する事は明らかであった。
日比谷会議で、かつて全く相手にされなかった、都心郊外や住宅地の道路を畑に改造するという野地博美の発案による民間作業は、大量の食料を運搬できない人口密集地での食糧生産と確保としは効果が有った。
しかし、人口が減ったとはいえ1億人に近い日本全体が必要とする食料カロリー量からみると、それだけでは全く足りていないことは明らかであり、またその勝手に行われている土木作業は日比谷会議の露知らぬ存在であった。
最初は、お役所が何とかしてくれるのではないかと甘い考えをしていた人々も、なんとか生き残るために、人々は自分達でも知恵を出し合い、それぞれが必死にもがいていた。
中央政府こそ動いていないが、地方行政はそれぞれ動きを始めていた。
そして民間であっても給料が出ない中、再生を目指して残った企業はやはり動き始めていた。
そんな動き出した数少ない民間企業の中に、バイオ関係の会社があった。
彼らは、これまでの大規模農法に代わり、屋内での小規模な農業生産の方法を持っており、それは新たな農業生産手段の提供として広がりを見せ始めていた。
ある会社は水耕栽培により、循環した限られた水による栽培方法を、またある会社はキノコの人工栽培を、そしてモヤシなどのスプラウト栽培と言った温室や暗室での栽培による食料生産方法を人々に伝えていった。
それらの会社では、この一ヶ月で電気を使用せずに、人力などでポンプを動かす方法を確保して、生産の再開にこぎつけていた。
そして、地方行政の他、農協など民間団体や種苗会社などの協力を取り付け、その技術を広めることで、少しでも食糧を確保する作業が始まっていた。
日本の各地では、主に農業試験場と農協の協力により、緊急の食料となる救荒植物の栽培が推奨され、最近始まったガリ版印刷による新聞発行により、その技術を広めようとしていた。
その貴重な情報が回ってくると、各地の自治体などが中心となり、気温が高いうちにと、いそいで栽培が始められた。
馬車による荷車輸送も一部始まっているというものの、やはりそのような用途として使えるように調教された馬の頭数は限られている。
また長距離での輸送には途中で馬の世話が必要となり、以前のようなトラックによる長距離での高速大量輸送は使えない。
特に重量物となる食料は、なるべく消費地に近い場所で生産する必要があるため、各地で食用化を目指した試みも始まっていた。
そんな事から、穀物や野菜、畜産に頼らない食品である代用食料の研究も始まっていた。
これは、食料になるはずであるが、従来は食べてこなかったものを食べて見ようという試みである。
平地が少ない日本では、新たに農地に転用できる広い面積の土地がさほど残っていなかったため、なるべく土地を使わないで済む食品生産方法の開発は急務であった。
現在の食糧事情は、否応に関わらず代用食を受けいれざるを得ない状況に近づいているが、例え代用食と言えど大量に準備することは急には不可能であるため、無くなってから準備したのでは全く間に合わない。
そのような事情から、生物の中でも、繁殖力が高く、短期間で大量に飼育できる生物が、肉の替わりの高蛋白質な食料になるのではないかとして大きな注目を浴びていた。
国が変われば、昆虫や雑草などであっても、それらは昔から普通に食べられてきた物も多い。
日本国内でも、地域によりイナゴやざざ虫、クマバチやスズメバチ、蛇など、人が恐れる生物ですら、人はいろいろと食べている。
生きている状態では見た目にグロテスクな生物も沢山いる。
今でこそ、食料として飼育されているエビやカニ、ウニやナマコなど、食品として加工された後はどれもとても美味しいが、生きたそれらを最初に食べてきた人はどんな人達であったのだろうか?
今回の研究対象として、ネズミなど小動物、カエルなど両生類、トカゲなど爬虫類、芋虫、蜂など昆虫など、すべての動物がこの対象として考えられていた。
鳥や魚が喜んで食べる生物は、人間も食べられる可能性が高いということだ。
以前であればネット炎上ともなりそうな過激な代用品も、それらの中には沢山含まれていた。
そんな中、先日工事現場で発見された巨大ミミズの食料への転用も真剣に研究されていたが、そいつらが人工飼育で繁殖できるのか、さらに食料に適するのかはまだ判っていない。
たくさん目撃されているようではあるのだが、いざそれを捕獲しようとしても、それが地上を這っていると、カラスたちが目ざとく見つけるようになっており、奪い合って食べてしまう。
「これ、頼まれていたサンプルです」
「おお、これはまだ生きていますね!
いまだに生体もあまり手に入って無く、これだけ巨大なミミズは新種かも知れないので、生きたままのサンプルは貴重なので本当に助かります」
生きた状態で捕獲された完全なサンプルは少なく、研究所でもまだその生態も良く分かっていないようではあるが、カラスによる評価ポイントが高いと言う事は、少なくとも食料になる事は間違いなさそうだ。
「お役に立てていただければ幸いです。
それで、お願いしていた研究所の見学は出来ますか?」
「あ、ぜひご覧になって行ってください。
ごゆっくりどうぞ」
ここは、その代用食物の繁殖や食べ方を研究している民間の会社の研究所である。
大山幹人と野地博実の二人は早々と研究所の見学を終え、駐輪場に停めておいた摩導自転車の元にと戻ってきていた。
「野地さん、お願いですからそろそろ静かにしてくれませんか?
こうなることは判っていて、あなたは研究所に同行したいって言ったんですよね!」
「ごめんなさい...
頭じゃ解っているんだけど、私こういったの全くダメなのよ。
でも、道路を改良した畑の食物だけでは食糧が偏るから、新たな食料を考えるうえで今までにない蛋白質が必要と思って、私も実際にアレを見ておきたかったのよ」
「そうは言ってもせっかくの見学の機会ですから、もうちょっと見せてもらった方が良かったのじゃありませんか?」
「だって、これ見てよ」
そう言って博美が、シャツの袖口をめくると、そこには激しい鳥肌が立っていた。
研究所内でも、博美は震えながら、幹人の後ろに隠れ、彼の服を掴んでいた。
何とか声を押し殺そうと必死であるのは分かったが、それでも静かな研究所内が結構騒がしくなっていた。
見るだけでこの様子では、これを食べるなんてことは、かなりハードルが高いかなって思う幹人であった。
「今度行くならば、キノコかモヤシの研究所にするわ」
「それが良さそうですね...」
今回幹人が研究所に持ってきた巨大ミミズは、例のコンビニの店長、いや現場監督と言ったほうがいいかな? 監督に頼んで、割ったアスファルトの下から顔を出し始めた物を、烏に攫われる前に捕まえてもらったのだ。
黒い摩導具の袋に入れられたミミズ達は、コンビニ店舗を廻っている佐藤隆二が昨夜のうちに引き取って来てくれたもので、本日急いで研究所に届けた所である。
ぜひ研究の役に立ってほしいのだが、これが役に立つと言う事は、言い換えるとそれを食べる事になるので、少し微妙な気持ちの幹人でもあった。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
話は2週間ほど遡る。
商店街近くにある夜の公園、電気が失われたここも真っ暗かと言うとそうでもなかった。
夜の公園には音楽が流れ、何人もの人々がそこに集まっていた。
周りは暗い夜なので、さすがに小さな子供はそこにいなかったが、そこでは若者や少し年配の者などが集まって、ベンチや遊具に腰掛け、歌い語らっていた。
その公園広場の中央には、キャンプファイヤーと呼ぶには薪の量が少ないが、その焚火により周囲は程よく照らされていた。
ある者は昔懐かしいアコースティックなギターを奏で、その演奏に合わせて、ちょっとへたくそな歌声があちこちから聞かれた。
ちょっと年配のおじさんは、コレクションしていた手回し式の蓄音機とSPレコードを持ってきて、それを聞かせてくれていた。
炎の周りでは、食料店の缶詰ソーセージが串に刺され炙られ、周りの人に振る舞われていた。
さらに、酒屋の倉庫に仕舞い込まれていた生ぬるいビールも渡され、久々のアルコールに涙する人もいた。
人々は、日ごろの辛さを忘れるかの如く、今夜はお酒の力を借りてちょっと大きな声で笑っている。
「今の世はギブアンドテイクだよ」
そう言って、商店会の若い店主はそれぞれが持ち寄った僅かな食料を分け合い、そして楽しんでいた。
それを見つめる、二人連れの娘と幼子がいた。
夜の公園で小さな子供を連れた娘は少し浮いていた。
「あの、この子に食べさせたいので、何か食料を少し分けてもらうことは出来ませんか?」
高校生くらいかと思しき娘は、後ろに隠れた小さな娘をちらっと見た。
「僕らはみんな、自分の大切な食料をここに持ち寄ってきているんだ。
君は、その食料と交換に値するものは何か持っているかい?」
「すみません。持っていた食べ物はすべてここまでに食べてしまって、もうほとんど残っていません。
だから、私が歌を歌いますから、この子だけでいいですから何か食べる物を分けてもらえませんか?」
「うーん。 歌ったくらいで食料は難しんじゃないかな?」
「いいじゃない! 歌ってもらえば。 それが上手ければ僕が何か食べる物を分けてあげるよ」
「おい、お前はいつも音楽に関しての評価は厳しいだろう」
「聞いての通りだよ。 お情けは無しだけど、それでもやってみるかい?」
「はい。 お願いします」
「じゃあ、僕が君の歌にギターを合わせるから、何か歌ってごらん」
曲名を伝え、ギターによる即興で演奏が始まった
そのリズムは良く知っている曲であったが、彼女が歌う、その歌詞は聞いたことがないものであった。
それは、これまで自分が住んでいた町や今回の旅の話、そしてかつての友達に思いを馳せた、その場で作った即興の歌であった。
その歌声に、その歌詞にみんな驚き、中には涙するやつまでいた。
彼女が歌い終わると、
「ほれ、ソーセージを食べなよ!
素敵な歌声だったので、これは君にな!
また君の歌声が聴きたいな!」
「ごめんなさい。
この子のご両親がいる田舎にまで送り届ける途中なので、明日の夜明けには自転車でそちらに向いますので、皆様とはここでお別れです。
本当にありがとうございました」
お辞儀をすると、周りにいた他の人からも、食べ物や貴重なペットボトルを渡され、貴重なこれからの食料や水を貰うことが出来た。
「頑張れよ!」
「気をつけてな」
「そんな小さな子を連れて、君たちは今夜はどうするんだ」
「どこか夜露が凌げる場所を探して野宿するつもりです」
「それだったら今夜は私んちにおいで」
「でも、それってご迷惑じゃ」
「今夜は良い歌が聞けたので、皆喜んでいるからそのお礼ね。
と言っても私の家じゃ寝る場所しか提供できないから、遠慮せずにぜひおいで」
「すみません。
この子もちょっと休ませたかったので、それではお言葉に甘えさせていただきます」
この町の若者の中では、彼女の事は歌姫と呼ばれ、やがて伝説となっていた。
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「お姉さん、お空の星って、とっても綺麗ね!」
大失電以降、有希は夜が来るのがいつも嫌だった。
特に暗い夜は怖くって、いつも何かに足をぶつけたり、落ちている物を踏んづけたりして、家の中ですら歩く事は嫌であった。
でも、さっきの町で、夜空の下で大きな声で歌ったら、なんか気持ちがすっきりして、いつもと変わらない夜のはずであるが、見上げた夜空は明るくきれいに思えてきた。
「あ、梨花ちゃん! 流れ星だよ!」
夜空って、こんなにたくさんの星があったのね。
夜の暗闇も、それほど怖くなくなった有希であった。




