第91話 ~シリカと独立記念祭~
実の所、アルミナは現時点でもまだ迷っていた。
今日、どこまでいっちゃっていいものか。押し引きの加減を間違えると、向こう数年レベルで悔いを
残しかねない。今は、そういう時だ。
思い立ったら即行動、な彼女にしては珍しいほど、ユースを前にして言葉に詰まっている様は、彼女の中でも未だ確たる決行力が固まっていないことに由来する。
「……えぇと」
「あ、アルミナ……?」
口をもごもごさせて、顔をユースに向けたままながら、目線を横に逃がしてしまうアルミナ。
挙動ひとつひとつ、眼差し一つにすら翻弄され、ユースがアルミナの名を呼ぶ中で、アルミナは前に傾けてユースに顔を近づけていた姿勢を、少し後ろに戻していく。
この時、アルミナの見据える目線の先が、ユースの遥か後方であったことなんて、今のユースに気付ける余裕はなかった。
その目線の先にある、何かを見つけたアルミナが、不意にふへっと小さく笑った。
まるで、自嘲するかのような。今のこの二人を包み込む空気には似合わない、意外な反応と言える。
「……あー、危なかった。
私でも、こんなことあるんだな……」
「え?」
何の脈絡もなくそんな言葉を発したアルミナに、ユースが狐につままれた顔をするのはある意味当然。
その目の前で、アルミナは唐突にベンチから立ち上がり、ユースの手を握ると、ぐいっとユースを立ち上がらせる方向へと引っ張る。
「……私が今、何を言おうとしたか、わかった?」
「ん、な……わ、わかるわけ……」
「……ふふっ。
じゃ、それ宿題にしといてあげる」
「え、っ……?」
ユースがアルミナの言葉に反応するより早く、アルミナの指先がユースの唇を塞いできた。
人差し指と中指をぴったりと揃えたその蓋は、ユースの言葉をぴたりと止めさせ、思わず後ろにたじろいで離れた後も、ユースは次の言葉が紡げなくなる。
「わかったら、いつでもいい。
私が何を言おうとしてたのか、回答してみせて?」
「な、何だそれ……今日のお前、なんかヘン……」
「――シリカさーん! どうしたんですかー!」
ユースからの抗議を半ばに無視して、アルミナはユースの遠く後方に向け、大きく呼びかけ手を振った。
ここでアルミナに名前を呼ばれたその人は、背中に合わせた木の陰で、びくりと両肩を跳ねさせて息を止める。
「え……」
「だめ」
「ふがっ!?!?」
アルミナがシリカの名を呼んで自分の後方に呼びかけている姿を見受け、思わず振り返りかけたユースだが、それを阻止するかの如くアルミナがユースの頭を両手で持つ。
そして振り返るのとは逆の方向へ、ぎゅるんと力ずくでユースの首をひねってきやがった。
ぐき、とでも首が鳴るかのような力技に、ユースは大ダメージの声とともにうつむいて、首を押さえて動けなくなってしまう。
動けないのはもう一人。
朝はアルミナに取られてしまったユースを、出遅れたあの朝から、広い王都を一人で歩き回っていたシリカだ。
まさに今しがた、ここで二人を見つけたところ、ベンチに腰かけた二人が異様なほど近距離で顔を合わせていた姿を前に、思わず木陰に隠れてしまったのである。
え、まさか、そんな、もう手遅れ? と、顔面蒼白の心地であったシリカは、ユースをほったらかして駆け寄ってくるアルミナを、木陰から顔を出して出迎えることすら不可能である。
「やっほーです」
「あ、アルミナ……」
「まだです。
もうちょっとでしたけど、シリカさん見つけたら気が引いちゃって」
まず真っ先にこれであった。
シリカの前に回りこんで顔を見せ、肩をすくめてそう言い放つアルミナに、シリカは二秒遅れてどれほどほっとしたか。
よろりと一歩たじろいで、木に背中を預けるシリカの姿が、如何にもう終わったと思っていたのか、アルミナの目にもよく伝わる。
「そ、そうなんだ……そっ、か……」
「うふふふ、ほっとしましたか?
シリカさん、今すっごく情けない顔になっちゃってますよ?」
にひひと笑ってからかってくるアルミナの前、ぼっと顔を赤くしたシリカが息を詰まらせる。
なんにも反論できない。今、超負けてる。
朝はあっさりと先手を打たれ、出遅れてユースを持っていかれて、それでも諦めたくないから一人でずーっと、人でいっぱいの広い王都でユース探しに明け暮れていたシリカである。
アルミナとデート中のユースを見つけたとしても、その後どうするかすら考え付かぬまま、がむしゃらに動いていただけの彼女には、今最強のライバルを前にして戦う心構えなんて何も持ち合わせていない。
「……このっ!」
「わわわっ、暴力反対ですよっ! むぎゅー!」
もう、子供みたいにアルミナに掴みかかることしか出来なかった。
まだ負けたわけではない安堵感に表情の力を奪われながら、真正面からアルミナを捕まえて、むぎゅうと自分の胸に顔をうずめさせるように抱き寄せて、あとは強く抱きしめる。
左腕でぎゅーっとアルミナの頭を後頭部を締め付けながら、右手でぽこぽことアルミナの頭を叩く。
締める力は強めだが、柔らかくておっきなシリカの胸が鼻の前では苦しくもないし、頭を叩いてくるシリカの拳の力も弱い。
先輩をからかうんじゃない、というささやかな抵抗と、もう駄目本当お前には敵わない、振り回されっぱなしと観念する想いを表した、年上の敗者なりの降伏表現である。
「……ぷはっ。
えへへー、シリカさん?」
「もう……このやろう……」
本当に、心の底からほっとした顔で、胸から離れたアルミナを見下ろすシリカに、アルミナも勝ち誇ったような顔だけ返しておく。
いつもは尊敬するばかりの人だから、ちょっとでも優位に立てたらそれだけで何だか楽しい。
嫌味ったらしく優勢を主張する顔でなく、本当に単なる無邪気な笑みだから、シリカもこれを憎めない。
「……お祭り、一緒に回ろうか」
「えっ、意外。ユースと二人で回りたいのでは」
「いいよ、もう。
……やっぱり、みんなで回った方が、きっと楽しい」
絶対、シリカは、ユースと二人きりでお祭りを回りたいはずだ。
でも、そうしないのは、やっぱりアルミナのことを可愛い後輩だと思っていて、既にユースの隣を確保しているアルミナをはじいてまで、二人きりになんてなれないという想いからだろう。
朝、出遅れたのは自分のせいなのだ。シリカはもう、そう割り切った。
だったらせめて、ユースと一緒にお祭りを回れればそれだけでいいからと、アルミナも一緒にお祭りを楽しもうというふうに、シリカの思考は結論をつけたようだ。
「……いいですよ、シリカさん」
いいですよ、の言葉が意味するところは、シリカの言葉を快諾した真意ではない。
アルミナはシリカの耳元に口を近づけて、ごにょごにょと何かを告げてくる。
それにシリカが驚いた顔をするが、戸惑う彼女の目の前で、アルミナは普段どおりの気風よき笑顔。
「じゃ、後はどうぞ!
私、ルザニアちゃん見つけて、一緒にお祭り巡りしてきますので!」
「あ……アルミナ……」
そう言って、過ぎ去る嵐のようにアルミナは去っていった。
ぽつんと残されたシリカだが、そんな彼女の方にはもう一人の近付いてくる人物がいる。
ようやく動けるようになったユースが、首を押さえたままアルミナを追いかけてきて、シリカのいる場所へと辿り着く形になる。
「ってぇ~……シリカさん、アルミナは?」
「あ、ああ……逃げたよ?
今つかまったらひどい目に遭うだろうから、って……」
「ひどい目に遭わせるつもりはないけどめちゃくちゃ文句は言いますよ……
何なんだよアイツ……」
相当強引な首のひねり方をされたユースは、熱いぐらい痛い首を押さえたまま、シリカがそばにいても機嫌が直らない。
ユースって、敬愛するシリカさんがそばにいる時は、大概の状況でも頭を冷やせてしまえるのだが、これは相当頭にきている証拠である。よっぽど痛かったらしい。
「……ユース、今、一人?」
「ん、まあそうですけど……」
聞かなくてもわかるようなことを尋ねてくる。
それがシリカにとっては、次の言葉を発する前の、大事な大事なきっかけの一言だったのだが、アルミナにぷんすこの今のユースが、そんな乙女心に気付く余裕があるはずもなく。
「じゃ、じゃあその、さ……
一緒に、お祭りを見て回らないか?」
「え……それは別に……はい、いいですけど……」
この一言の誘い一つでも、シリカはどれだけ勇気を振り絞っていることか。
恋心を自覚する前、たとえば二年前の祖国でのお祭りの時なんか、今と同じことを平然と言えたのに、今となってはなんとこの一言に勇気が要るものだろう。
単なる後輩を遊びに誘うのと、想い人をデートに誘うのは、言うまでもなく大違い。
今のユースには、その前者のようにしか伝わらないのが残念だが。
「そっか……それじゃ、行こう?」
「むぅ……先にアルミナを見つけて文句言いたいけど……」
「帰ってからで、な?
今はその、ほら、遊んでおこう? せ、せっかくのお祭りだし、さ……」
二人はゆっくりと歩み始めた。
普通に何気なく歩くユースと、彼のちょうど隣を、ぴったり風にも譲らずに歩くシリカの歩みは、片側の健気な息合わせにより揃っている。
しかし何の気なしに、シリカさんの言うとおり、お祭りを楽しまなきゃって思うだけのユース。
そしてその隣で、なんとかユースと一緒になれた、さあ頑張らなきゃと意気込むシリカとでは、まったくもって心模様が違う。
祭はまだ、午後に入ってしばらく程度の時間しか経っていない。
日没後も続く年間最大のお祭りは、まだまだ時間を残している。
シリカにとっての特別な一日は、幕降ろしまで余裕があるうちに、なんとか始まりを告げられた。
「もうー! いい年してそんな恥ずかしい真似しないで下さいましー!
連れの私達が恥ずかしいでしょうがー!」
「はわわわ……は、ハルマ様……
落ちたりしたら……」
「気に入らんなら知らんぷりしておけぇ。
この眺めはやはり高い所から見下ろさんと気が済まん。たまらんわ」
「……シリカさん、あの人って思ったよりはっちゃけるんですね」
「そうか?
けっこうああいう人だよ、私の中では」
王都中央部の開けた場所にて、馬鹿をやっている大人を見上げ、ユースは苦笑いでシリカは微笑ましげ。
風見鶏を頂点に立てた、高い高いポールが一本あるのだが、その頂上部、つまり風見鶏の頭の上につま先を乗せ、賑わう王都を高所から観覧するハルマがいるのだ。
どうやって上ったのかとか、よくそれで落ちないなとか、突っ込むべきところ満載な破天荒ぶりには、下からそれに気付いて見上げる通行人らも笑うばかり。
なぜ気付くかと言えば、ポールの下でハルマに呼びかける女性が二人いるからだ。
「ん? おお、英雄だ。
これは挨拶しておかねば」
ふと、シリカとユースを見つけたポール上のハルマは、ひょいと風見鶏から足を踏み外すようにして降り、同時にポールに片脚と片手を絡めて捕まる。
それを見上げていた女性の一人、イリスが小さく悲鳴を上げたが、落ちるどころかくるくると曲芸師のように降りてくるハルマは、イリスの心配した落下事象には無縁である。
よっと、なんて言いながら着地したハルマは、連れ二人などそっちのけでシリカ達の方へと駆け寄ってくる。
「お二人様、お祭りを楽しんでおいでですか?」
「はい、おかげ様で」
「それは何より。
セプトリア王国が誇る、長い準備期間を経ての大祭……あだっ!?」
しれっと普段どおりシリカ達に挨拶するハルマを、後ろから肩甲骨あたりをぶん殴る女性が一名。
イリスもこの女性についてくる形でハルマに近寄るが、そちらはともかく、法衣に身を包んだこの女性はユース達にとっても初顔だ。
「ハルマどの、こちらの方は……」
「お初にお目にかかりますわ。
聖騎士シリカ様、騎士ユーステット様」
「あ、どうもご丁寧に。
名をお知り頂いているとは、恐れ入ります」
「ふふ、申し遅れましたわね。私、テセラ=キュービック=ガードリアと申します。
こちらの大陸を出身地とする身ですが、今は魔法都市ダニームに身を置く立場、かの魔王戦役でのお二人のご活躍は、当然知るところでございますわ」
乱暴な手と口で、ハルマを呼びかけたり殴ったりしていた顔とはまるで一変、テセラと名乗った女性は上品な笑顔と言葉遣いでシリカ達に挨拶する。
猫をかぶっている風には見えないので、第一印象とは逆に、こちらの方が素なのかなとも思える。
普段からこうした態度と言葉遣いを使い慣れていないと、この自ずと溢れるような気品は漂うまい。
「ま、早い話が私の初恋の相手ってやつですよ。
こいつにとっても、どうやら私がそうだったようで」
「否定はしませんが誇るように言われるとむかつきますわね。
一度惚れたのは事実ですが、あなたに手を焼いた数だって忘れてませんわよ」
「だーっ、つねるな。
お前は暴力でなきゃ私への親愛感情を表現できんのか」
「あなたの態度が悪すぎる。躾けて欲しいとしか感じ取れませんわ」
「は、初恋、ですか……
随分とまた、過去のこととはいえさらっと……」
「色々あってくっつくことは無くなりましたが、無二の親友として現在も仲良くやっとります。
シッシッシッ」
「まーいい男であるのは推しますわ。
それ以上にこの調子の良さ、癪に障ることも多いですけどね!」
初恋同士であることを紹介し合う二人に、今まさに恋に苛まれているシリカが過剰反応を示すが、その前ではテセラの手刀とハルマの防御がぺしぺしぺしぺし叩き合っている。
どう見ても仲が良すぎる。恋人同士以上の間柄ではなかろうか。
「えーと……ハルマさんは、さっき何を?」
「ああ、いっぱいの人で賑わう王都を存分に眺めたくてね。
絶景でしたよ。幸せそうな人々の姿が、絨毯のように広がる最高の光景でした」
ユースの質問にハルマはテセラの両手の手首を掴んで、ぐぐぐと押さえつけながら答えている。
ハルマも大鎌を振り回すだけの筋力の持ち主だ。そんなハルマが結構手が震えるほどの力で制御しなければならないぐらいには、このテセラという女性はパワーもあるらしい。
「あんなことをする連れが一緒じゃ、私達の品位が疑われますのよ。
いい加減、子供みたいなことをするのは卒業して下さらないかしら」
「なーにが子供みたいなだ。
お前こそ若い頃から言動が全く代わり映えしな、はウッ!?」
ハルマが反論しようとした矢先、僅かな力の緩みからシュッと掴まれていた手首を抜いたテセラが、手刀型の指先をハルマの脇腹に突き刺してきた。
けっこう強い一撃だったらしい。武人ハルマが怯む威力とはそれなりのものだ。
「とまあ、久しぶりに会った旧友と、セプトリア王都のお祭りを巡っているわけですの。
仮にも旧友が、祖国を離れてでも愛したこの国の独立記念祭、一度ぐらいは私も嗜んでおかなければ、この国を守るために尽力した彼の努力を真には知れませんからね」
「やっぱり、ご存知なんですね。
ハルマどのが、如何にこの国に尽くされていたのかは」
「わざわざ聞き及んではいませんけど、想像だけで確信できることですわ。
この人は、好きになったもののみには、類稀なほどの献身を見せますからね。
私が初恋の相手だと言う割には、たいして尽くされた思い出がないのが気に食わないのですが」
褒めたら褒めたで、必ず併せて毒を吐かないとやっていられないようだ。
今はいい年になって丸くなり、大人びたハルマだが、若い頃は色々やっていたのだろう。旧友テセラはそれに苦労させられたのだろう。何となくシリカにもそれが伝わってくる。
シリカにも不良めいた同僚が――褒めるところはいっぱいあるけど、手放しで褒めるだけには留めておきたくないような、普段は迷惑ばかりかけてくる同僚が一人いるので。
「あのなーテセラ。もうちょっと良い感じに私の魅力を売り込んでくれんかね。
お前アカデミーで講師もやってるそうだし、そもそも上手なプレゼンは元々得意だったろうが」
「暗部をひた隠しにした売り込みなんていつか化けの皮が剥がれますわよ。
私を情報操作の共犯者に巻き込まないで下さいます?」
「同盟国の騎士様に私が高評価されると、国内での私の株も上がって給料も上がるかもしれんのだぞ。
そしたらお前にもチップやることを考えんでもない」
「本性をもうちょっと隠しなさい」
テセラに肩を組み、顔を近づけて口を手で隠し、ひそひそ話しながらちらちらシリカ達を見るハルマ。
シリカ達にも聞こえるような声で言っている。要は見え透いた冗談である。
相方を使って即興漫才するハルマには、ユースもシリカもくすくす笑わせられる。
「っ、近すぎ、ですっ……!」
しかしそんなハルマとテセラを、間に強引に割り込んだイリスが引き裂いた。
空気を無視してこの行動、ハルマと女性がお近付きの光景が、よっぽど見たくなかったのだろうとしか。
おっとっと、と、テセラから引き剥がされたハルマの前に、イリスがずいっと立ちはだかって、むくれた顔でハルマを見上げている。
「きょ、今日はっ、私をお祭りでエスコートしてくれる約束でしょうっ!?
シリカ様とユース様へのご挨拶は当然としても、テセラ様と、そんなっ……
い、いちゃいちゃするばっかりじゃなく、私にも構って下さいっ!」
「あ、ああ、申し訳ない……
どうどうどう、お姫様、落ち着いて……」
「子供扱いしないでーっ!!」
「あーあ、怒らせた。知りませんことよ。
傷つけられて怒った乙女心は、そう簡単に鎮まらないんですから♪」
ずいずいとハルマに詰め寄ってくるイリスには、ハルマも困った顔でたじたじだ。
構って下さい、なんてなかなか言えない。単に懐いた年上に向けるわがままとは異なる、特別すぎる好意がシリカ達の目の前ではっきりと表現されている。
「あの、やはりイリス様は……」
「っ……もう隠しません!
私はハルマ様のことを愛しています! もうご本人にもはっきり告げました!
良いお答えを聞くまでは、もう絶対にハルマ様のお傍を離れるつもりはありませんので!」
証言者がいる前ではっきりとそう言い放つことが、イリスの決意の固さを体現している。
当人に伝えるだけでも勇気の要ることを、人からどう思われようが、公衆の面前で口にすることというのは、それだけ迫真のものがある。
「ま、参りましたなぁ……前々から私も示唆していたつもりですが、身分の差というものがありましてね……
ほら、イリス様はニトロがナナリー様とご婚姻されれば、女王様の親族となるわけでしょう?
異国からの流れ者の庶民たる私が、貴女とそういう関係というのはですね……」
「誰が決めましたの、それがいけないことだなんて!
ナナリー様にも、問題は無いと言質は頂いています!
ここまでしながらそんな言い訳で逃げられては、死んだって死にきれない想いですわ!」
「だからハルマ、もう諦めてしまいなさいな。
あなたもこの子のこと、嫌いというわけではないのでしょう?」
「それは勿論だがなぁ……」
「初恋同士の私を盾にしようとしたって、恋に燃える反骨精神に火をつけるだけですわよ。
あなた、告白された上でお祭り巡りに誘われたのでしょう?
そこまで甘受しておきながら、今さら逃げ口上なんて格好もつきませんわよ?」
「むむぅ……」
国の重役であるハルマは、そもそもこうした祭事においても仕事を任されがちな立場。
しかし、色々あった経緯もあって、今日は非番でお祭りを楽しんで来いと、あるいは頼むからそうしてくれとナナリーに頼まれて。
そしたら今朝、決意ごもったイリスに愛の告白をされて。
どうかお願いします、一緒にお祭りを回って下さいとも頼まれて。
ハルマもこれほどの想いをぶつけられて、断れるはずもなくて。
二人きりでイリスとデートしている光景なんて、街の知り合いが見たら微笑ましく指を差されるに決まっている。
ネタにされるのが嫌なんじゃなく、そうして外堀を埋められたら今後逃げようがなくなってしまう。
だからテセラに頼んで、せめて二人きりじゃないようにしたのだが、それでもやはりイリスの燃える恋心の障害にはならなかったようだ。
詰め寄るはおろか、ハルマに正面から抱きついてまで、彼の胸元からハルマを見上げるイリスの行動力には、傍観者のシリカもつくづく驚かされっぱなしだ。
「すぐに答えを聞かせてとは言いませんから……!
絶対振り向かせてみせますから、もっと私を見て下さい!
私はもう、たとえあなた以外から好意を寄せられても、振り返れない私になっているんです!」
「わ、わかりました、わかりましたから……
一度、離れて下さいませんか? 人目がきつすぎるんで……」
ハルマもイリスも下町では有名だ。そもそもイリスは庶民上がりである。
そんなイリスの熱烈な愛情表現が、こんな白昼堂々行なわれていることは、もう通行人からすればそれだけで微笑ましい。
へぇあのイリスがハルマ様に、と、ひゅうひゅう言いながら通過していく者だっている。
これではハルマも根負けし、イリスに応えなくてはならなくなるのも、いつか時間の問題だろう。
決してそこまで計算しての行動ではないが、迸る感情をあらわにするイリスが、己も知らぬうちに幸せな未来を確定付けさせていっているのだから、この行動力は偉大である。
「ふふ、この二人、そっとしておいてあげて下さいまし?
イリス嬢にとっては、この日が一世一代の勝負の日のようですからね」
「は、はぁ……それでは……」
「シリカどの~、見捨てないで~」
テセラに促され、いそいそとその場を離れるシリカとユースを、漂流者救助船が離れていく残念な想いの如くハルマが呼び止めようとしていた
困った顔でイリスを見るハルマだが、イリスは解放してくれないのである。
離れてから振り返ってみたシリカ達だが、未だハルマにしがみついたままのイリスを見届ける中、可愛い顔して凄い気概をお持ちだったんだな、と思わせられるばかりだった。
「シリカさん、ステージ上がって行きません?
俺まだシリカさんの剣舞見たことないんですけど」
「やだ」
「頑なに見せてくれませんよね」
「恥ずかしいからやだ」
ユースがもうアルミナと昼食を取った後なので、ユースと一緒に昼食を、というのも想像していたシリカの計画は頓挫してしまっている。
一つやりたいことが消えたシリカだが、それでもまあまあユースと一緒に歩くお祭り巡りは、行く場所に困らず楽しく過ごせていた。
カナリア達が舞いを披露していたステージとはまた別、素人参加で見世物を何かどうぞ、と銘打たれた街角のステージ前に差しかかった時も、素通りだが談笑の種が生まれている。
「ユースこそ何かやってきたらどうなんだ。
確かハーモニカが得意だったよな」
「えぇ何で知ってるんですか。俺みんなの前で見せた覚え無いですよ」
「見習い騎士時代に宴会芸でやってたんだろ。聞いてる聞いてる」
明確に恋心を抱く前から、シリカは別の部隊に属するユースのことを、見込みある後輩として目にかけていた時期があったので、ユースの今より若い頃の話はけっこう知っているのだ。
騎士団入りしたばかりのシリカを育てた上官と、騎士団入りしたばかりのユースを育てた上官が一緒なので、聞きもしなくても勝手に情報が回ってきたという都合もある。
「確か他にも、こういう所あっただろ。
そこで見せて。私も一度見てみたい」
「ヤだなぁ、しばらく吹いてないから自信ないし。
シリカさんの舞いはこないだ城で披露したんでしょ? ブランクないでしょ」
「あれはなー、けっこう恥ずかしい姿勢をすることも多いから、あんまりしたくないんだよ」
「恥ずかしい姿勢って何ですか。
ヘンな舞いなのかとか思っちゃうんですけど」
「こう、脇や足を開いたり、反り返って胸を張ったり」
「あーそういう」
戦場でなら、大股開きで宙返りしようが、鎧や服を壊されたり引き裂かれたりして半裸になろうが平気なシリカだが、そうじゃない時は普通に、あるいはそれなりに羞恥心が勝ってしまう。
だいたい、大きいもんだから私服姿だと、背中を逸らして胸を張ると胸元がぱっつんぱつんになるのである。軽鎧で胸を覆っているなら形も隠せるが。
ちゃんと普段の騎士なりの姿に正装してならギリギリやれるが、武装もしていない今の格好ではちょっと。
まして想い人の見ている前で、したくない姿勢を取るなんて絶対に嫌。
「じゃーチャレンジしてみますけど、シリカさんもフルートあったら付き合って下さいね。
何気に去年の賢蘭祭の時も、シリカさんのフルート聞く機会だったのに聞けなかったし」
「んー、まあ、それもなんだかな~だけど、しょうがないな」
「ヤなんですか。
ヤなこと俺にやらせて見学なんてダメですよ」
「わかったわかった、上手くやれるかどうかわからないけど、一緒にやってやる」
しょうがないな、なんて先輩面して約束を取り付けるシリカだが、内心ではわくわくしてきている。
好きな人の珍しい姿を見られる、一緒に並んで楽器を弾ける、共同作業が出来る、もうそれだけで。
「確かこっちに、そんな感じのステージがもう一つあったぞ。
お前達を探してる間に見かけた」
「俺ら探されてたんですか?」
「…………!!」
いやまあ……やっぱり一人で見回るのも寂しいかな~、なんて思ってたんで……
チータとルザニアと一緒にお祭り巡りすればよかったな、とも思ったり、な……」
危なかった。ユースが鈍感じゃなかったらやばかった場面である。
お前達とついていたので、ユースを探して王都を歩き回った姿を自白する発言にはならなかったが、真意を望まぬ形で割れたくないシリカは誤魔化すのに必死である。
顔色が変わりそうな自覚のあるシリカは、ユースから顔を逸らして頬をかく。ユースの目には、寂しがりを自白して、あんまり今の顔は見ないでというふうなリアクションに映る。
「お祭りなんて一人で回るより誰かと回った方がいいじゃないですか。
俺だってアルミナに引っ張り出されなかったら、みんなと行こうと思ってましたもん」
「ま、まあそうだよな……みんなで回った方が楽しいもんな」
複雑。とりあえずユースは、自分のみの発想では、アルミナを誘ってお祭り巡りをしようと思っていたわけではないらしい。
要はユースにとってのアルミナがそこまでの存在になっていないのが、シリカにとってはまだ戦えるかもと思える要素なのだが、同時にシリカ自身も特別になれていないという意味だし。
普通にユースとお喋りしながら、器用に別のことを考え、喜び、悩みしているシリカの頭の中は、冷静ぶる顔の裏でめちゃめちゃ模様である。
「えーと、こっちこっち……もうすぐ着くと思う……」
「アレですか? 露骨に人だかり出来てますけど」
「あーそうそう。妙に盛り上がってるな」
おかしくなっているかもしれない自分の態度を隠すため、普段よりも口数が多くなっているシリカと共に、ユースは前方の人だかりに進んでいく。
人の間をくぐって最前列へ。観客が盛り上がっている理由は何なんだろうという疑問は、やがてその所以がわかりやすく見えたことで解決される。
「すげぇ」
「凄いな」
「おお、これはこれは騎士団の皆様!」
大きめの街角ステージの上では、計五人の男連中が楽器を奏でていた。
そのうち三人はセプトリア兵の老兵だが、あとの二人がダウィラスとウィークというのが特異点。
前大臣のダウィラスと、現在アルバーシティを取り仕切っているウィークは親子であるが、年間最大のお祭りの場には、離れた都の重役に就くウィークも参じているようだ。
演奏は終盤に差し掛かっていることが想像できる曲調だが、誰が凄いってウィークである。
あのお爺さん、後方で太鼓6つを並べてバコバコ叩き、ハイテンポな演奏を盛り上げることに一役買っている。
センター位置でマンドリンを激しく鳴らすダウィラスの、職場とは一風変わったその振る舞いにもまあまあ感心するのだが、やっぱりそのお父さんの激しさの方が目についてしょうがない。
ずいぶんハイテンションで叩いておられるようで、演奏しながらシリカらに声をかけたダウィラスと異なり、あの爺さんは気付きもせずに太鼓連打に夢中である。
合間にくるんとスティックを回して持ち替えたりと、観客が笑ってしまうぐらいノリノリだ。
やがて演奏が終わり、歓声が上がったところで、ユースとシリカは顔を見合わせる。
かなり盛り上がった。ここに次、自分達が上がるのってどうよ、な顔の両者。
「シリカどの、ユースどの、こんな所で巡り会うとは。
一曲、上がって鳴らしていきませんか?」
「やー、あははは……ダウィラス様もウィーク様もノリノリでしたね」
「ん? 騎士団様か!?
おー、これはこれは! 気付きもせずに申し訳ありませんでしたな!」
存分に演奏を楽しんだ後だからか、老獪な重役姿を見せていた以前とは打って変わってウィークはテンション高、ダウィラスも静かに語りかけるがテンションは高そうな声色だ。
周りがどよどよ、あぁナナリー様を救った騎士様だ、という注目を注がれるユースとシリカは肩を狭め気味で、目線を少し泳がせながらステージ上のダウィラスを見上げている。
「いや~、私達は結構ですよ……今の空気に続くのはなんだか……」
「シリカどのはフルートが吹けましたよね。
用意してありますよ、さあさ上がって上がって」
「おーい、皆の衆! 騎士様の演奏を聴きたいよのう!?
聞きたい者は声を上げ、逃がさん空気に一役買え!!
ダメだ、話が通じない。ダウィラスといいウィークといい、ウィークの声に応じて声を上げる観衆といい、ユースとシリカを取り逃がすつもりは無いらしい。
しばらくの付き合いで、ダウィラスとの世間話の中、シリカはフルートを吹けることをぽろっと吐いてしまったことがあったのだが、それがここに来て最大の武器を与えてしまった形に響いている。
楽器なんか無理です、という口実で逃げる手段が封じられている。逃げ場が無い。
「シリカさん、頑張ってくだ……」
「待てっ、お前もハーモニカ吹けるだろ、逃がさんぞ」
「あっ、巻き込む気マンマンだ! ひどいっ!」
「ハーモニカ? おーい、あったな?」
「勿論っす!」
「じゃ、二人ともどうぞ」
「どうすんですかコレ、恥かいても知りませんよ」
「死のう、二人で」
「ハイ」
あれよあれよとステージ上に引っ張り上げられ、多数の観客の前で、素人参加者向けに用意されていた楽器郡の中から、使える得物を渡される。
ああ緊張する。並んで立つユースとシリカは目を合わせ、苦笑い以外の表情を浮かべられない。
「さてさて、何にしましょうか。
得意な曲はございますか?」
「いや~、特には……」
「じゃあ、"オークのサンバ"にでもしておきましょうか」
民謡。結構簡単なやつで、ちょっと練習すれば誰でも簡単な音階とリズムを刻める曲である。
子供が音楽会で気軽に演奏できる一方で、テンポの良いその曲調は大人の耳にも心地よく、多くの楽器を揃えた演奏家が並んで、アレンジを加えて奏でることも多い。
「だいたいわかりますよね?」
「まあ、それぐらいなら……」
「では父上、祭日仕様のテンポで参りましょう。
シリカどの、ユースどの、少々アップテンポで挑みますが、可能な限りついてきて下さいね?」
「行くぞーい! 皆の衆!!」
だん、だん、だんだんだん、と、ウィークがやや早いテンポでの前奏叩きを始め、本節に入った途端にダウィラスがマンドリンをかき鳴らす。
オークのサンバはユース達も知っている。そして知るそれよりも、テンポが速い。
慌ててハーモニカを口にするユースは、3秒後に訪れる第一楽章に向けて準備を構える。
「ははは……頑張ろうな、ユース……!」
「んむ……」
一言添えてシリカもフルートに唇を当て、二人を最前列に置いた演奏会が始まった。
久しぶりに楽器を使う二人だが、普段あまりやらないだけで充分な力量は元々備えているユースとシリカは、アップテンポな既知の曲にもしっかりついていく。
元より複雑な音階の変化がない曲で、シンプルな高低音を少し早いペースで繋いでいくだけなので、二人にとってはさほど苦ではなかった。
久しぶりだからちょっと神経を遣うが、盛り上がって、あるいは盛り上がるために手拍子を打ってくれる観客の前、いい空気の中でならやりやすい。
曲の前半が終わって一息入れられる場面で、一度二人は唇を楽器から離す。
一度上がる歓声、後方では間奏を引き続き奏でるダウィラス、叩くウィーク。
気前良い音を鳴らしながら、客に二人の騎士の魅力を間奏の中で唱えあげてくれる二人の声も、顔を見合わせて笑い合うユースとシリカにはあまり聞こえていない。
敬愛する先輩と、一緒に文化的な遊びに興じるこの楽しさ。
想い人と肩を並べて、息を合わせるこの喜び。
幸せに決まっている。間奏が終わるまでの短い時間、ユースとシリカが見合わせる表情は、笑顔以外に何も無い。
ながらに勘を取り戻していく二人が、曲の後半を、前半以上の精度を以って演奏し果たした。
余裕の出来たシリカが途中から、体ごとユースに向け、パートナーをずっと見つめていた姿が、見守るダウィラスやウィークにとって、なんと微笑ましかったことか。
薄々気付いてはいたけれど、やはりこの人はこの後輩を、ただの後輩と見ているだけではなかったんだなと。
シリカの目線に気が付いて、彼女ほどの余裕はなさげでありつつ、シリカとの共宴を無邪気に喜ぶ目を浮かべるユースを見るにつけ、いっそう二人をここに誘ってよかったと思える。
ダウィラスにも、ウィークにも、共に楽器を奏でるセプトリア兵にもよく見えた事実がある。
この日この時の思い出は、きっとシリカにとっては、一生大事にしたくなるぐらいの思い出だ。
単に先輩と一緒に遊ぶこの機会を、お腹一杯楽しんでいるユースとは異次元、まぶしいものを見つめるかのように目を細めるシリカの表情は、誰の目にもその幸せさがわかるほど心底が明快であった。
楽しい時間はすぐに過ぎ去ってしまうものだ。
民謡一曲ぶんの短い幸せを、シリカは心から、こんな時間がもっと続けばよかったのにと、演奏を終えて拍手を受ける中で思っていた。
「遊びましたねー。もういい時間ですよ」
「そろそろ花火の時間かな。
夜は夜で催しものも多いそうだから、花火は早い時間にも一度上げる段取りになってるらしい」
「そうなんだ。花火ってフィナーレの象徴って感じするんですけどね」
「創騎祭や賢蘭祭と違って、こちらの国の独立記念祭は一日開催だからな。
夜の遅めまでじっくり時間を使って、目一杯この日を祝うんだってさ」
演奏会に参加した後も、二人は広い王都を存分に歩き回り、このお祭りを堪能し続けてきた。
どこにいたって遊び場には困らないのだ。この日限定の射的場があったように、祭日限りの遊び場、出店はいくらでも散らばっている。
ダーツ場はユースの大いなる見せ場となったし、溜め池を利用した魚の手掴みを楽しめる場所では、シリカが水に濡れながらけっこうな成績を叩き出していたりも。
何時間も一緒に遊んでいると、そのうち遊びの種も枯渇していきそうなものだが、この環境にあって目を広げる限り、いくらでも遊べるというのがお祭りの真骨頂である。
気付けばこの真夏に空も暗さを得てきた時間帯であり、シリカもユースも本当に、いつの間にこんなに時間が過ぎたんだと感じる想いだった。
重ね重ねだが、楽しい時間が過ぎ去るのはあっという間である。
王都すべてを挙げて盛り上げられる独立記念祭なんて、半日ですべてを楽しみきるのは時間が足りないのだ。
「花火、見に行こうか。
眺めのいい場所、聞いてあるんだ」
「シリカさんもリサーチしてあったんですね。
アルミナもそうだったけど、みんな準備がしっかりしてるなぁ」
「ユースはこういう場、行き当たりばったりで楽しむのが好きなんだもんな」
「どうせどこで何しても楽しいの、わかってますからね」
イベントに際し、下準備をしっかりして効率的な回り方を整える人もいれば、適当に動いて出会ったものを楽しむことを好む人もいる。後者は後者で、計画的に動くことに固執していると見落とす、そんな穴場に巡り会える可能性も得られるため、どちらが良いとか悪いとかいう話でもあるまい。
シリカのように、要所のポイントだけ押さえておいて、後は適当という人も少なくない。あるいはもしかするとこれが多数派のような気もするが、さあその辺りは果たして。
「そうだなー、近いのはこれかな。使わせて貰おう」
「わー、何でも利用するんですね。開放中って看板立ってるのが余計に面白い」
「セプトリア王国側も、こういう時にこれが便利だって、暗黙のうちにわかって下さってるようで」
シリカに案内されてユースが辿り着いたのは、見晴らし用の塔である。
本来は防衛機関として、軍事的な用途で使われるものだ。たとえば王都が戦場になる緊急時には、ここからの眺めで戦況を見渡せるし、高所からの飛び道具を放つ高台にもなる。
先日、魔物達に王都が攻め込まれた際にも活用された塔だが、要はそうした非常時にしか本来の役目を果たさないため、こういう時は一般開放され、眺めを見るために使っていいよと王国側も認めてくれるのだ。
国防の要として必要不可欠な建造物だが、戦時中でなければこう活用されるのである。
高いその塔は、二階にも三階にもそこそこの人がいて、窓から外を見上げる人が散見する。
みんなわかっているのだ。もうすぐ花火の時間だと。
場所取りに動いた人で溢れるこの塔は、戦時中よりも数多くの人をその身の中に乗せ、平和な重みに静かに耐えている。
「この階でこれだけ人がいると、上の方はもっといっぱいかな?」
「かもしれませんね。みんな考えることは一緒なんだなぁ」
各階の様子を見やりながら階段を上がっていく二人だが、下の階層にも人が多いことを考えると、よりよい眺めの上の階層は人でいっぱいで、みんな下に降りてきたのかな、という想定が沸く。
場合によっては下の階層で妥協しよう、という心構えもしつつ、一番上の階まで上がっていく二人は、意外なほど風通しのいい最上階でひとまず安心する。
「よし、あの辺りにしようか。
城の方を向けるし、きっといい眺めだぞ」
「そうしましょうか。よかった、空いてて」
屋上まで来た二人は、城のある方角を向ける位置へと進み、胸の位置までの高さの柵に手をかける。
眺めがいい割には人が少なくて場所取りも容易だったのが、ユースにとっては嬉しい誤算だった。
一番眺めのいいはずの屋上が、こんなに空いているのにはちゃんと理由があるのだが。
「まだかな」
「もうすぐだって。そんなに急いても早くはならないぞ」
「ハルマさんからも、今年も腕によりをかけた花火を打ち上げるんだって聞いてたんですよ。
けっこう楽しみにしてたんですよ、俺」
「そっか。じゃあ、見逃さないようにしないとな」
ユースは花火が大好きだ。平和な時しか上がらないものだから。
血生臭い環境と時代に、騎士として参じる道を選んだ彼なので、平和の象徴とも言えるものを見る時が、一番幸せな時と言っても過言ではない。
特に城から上げられる花火となれば、先日ナナリーをなんとか助けられて、この国の平穏のために動くことが出来たユースにとって、泰平を取り戻したセプトリア王国を目の当たりに出来る、待ち望んだ眺めとさえ言い換えられる。
気持ちはわかる、シリカにも。共感だってする。
でも、わくわくして城の方向に顔を乗り出し、今か今かと無邪気に待ち望むばかりのユースと違い、シリカは周囲の光景が気になって仕方が無い。
若い男女の組み合わせが多いのだ。要するにこの屋上、カップルが多い。
恋人同士で花火を見よう、という人しかいないのである。
眺めのいい屋上が空いていて、下の階層に家族連れや男友達同士の集いが多かったこの塔だが、要するにそういうことなんだろう。
最上階はカップルご用達の空間だと暗黙の内に決まってしまい、そうじゃない人は下の階に移ったという話である。ここまで来てから降りた、という人も多かったと思われる。
彼女彼氏のいない皆様だって、わざわざそれを見せ付けられる環境では、一途に花火を楽しみづらかろう。空気を邪魔しちゃ悪いとも思うし、羨ましくなったりもしてしまうわけで。
「…………」
自分とユースも、周りから見ればそんな風に見てもらえたりするのかな、なんて、身を寄せ合う他の男女を視界の端に入れつつシリカも思う。
まったくこの場の空気に気付かず、城方面の空を見上げっぱなしのユースに、色々意識して貰えたら嬉しいのにな、と思ったりもする。
誤算であったが、この環境は、先輩後輩ではなく、男女としてユースと身を寄せ合える場に違いない。
「……なあ、ユース」
「はい?」
話しかければユースは振り向いてくれる。目を合わせて話をしたがってくれる奴だ。
どんな一言にも応じてその顔を見せてくれるユースなのは嬉しいが、今の環境に意識を奪われかけているシリカは、近い距離でユースと向き合うと胸が小さく弾みだす。
「降り、ようか?
なんか、その……ここ、そういう場だしさ」
「え……」
気付きもしていなかったユースでさえ、シリカに言われてようやく気付いた。
周りを見れば一目瞭然だ。カップルしかいないんだもの。
シリカの発言で、男女一対でこの場に立っていることを知ったユースが、目に見えて狼狽を顔に出す。
「な、眺めもいいし?
ここがいいなーってお前が思うんなら、気にせずここでもいいけどさ?」
とはいえシリカ、それさえわかってもらえればよかっただけなので、間を置かずに退出を引き止める言葉を押さえておく。
じゃあ降りましょうか、なんて言われたら困る。この場でユースと二人でいたい。
「あ、えー……ま、まあ、今さらいそいそ降りるのも、何ですし?
知らんぷりして、特等席もらっときましょう?」
「そ、そうだな、うん……
今さら誰かにあげちゃうのも、ここ勿体ないよな?」
「そ、そうですよそうですよ……あはははは……」
ほっとするシリカ。やっと男女であることを意識して、笑顔が少し緊張気味になってきたユース。
自分達の世界で花火を待ち望む他のカップルと同じように、ユースとシリカの間にも、二人だけの空気が少しずつ出来上がっていく。
「……あんまり、身を乗り出すんじゃないぞ。
落ちたら面白くなさすぎるから」
「そんな子供みたいなことしませんってば……」
顔を向き合わせていた二人が、何気なしに逃げるかのように、花火が打ち上げられるであろう空に顔を向ける。
対話も顔を合わせずにだ。お互い、直視がしづらい空気になってしまった。
シリカだけが、ちらりちらりとユースの表情を伺っているが、露骨に緊張し始めた顔のユースの態度が、シリカにとっては嬉しくもあり、もどかしくもある。
女性として自分を認識してくれるのは嬉しいが、こっちを向いてくれないのは寂しい。
「…………」
「…………」
会話が無くなった。
下方の街の賑わいも、高所のここへはあまり届かない。
静かな塔の屋上で、言葉無く、しかし互いの存在を強く意識し合う二人は、揃って柵に手をかけたまま殆ど動かない。
「……あの、シリカさん」
「あ」
沈黙に耐えられなくなったかのようにシリカに話しかけたユースだが、それに返事が遅れたシリカの前で、大きな動きが展開された。
城から空へと伸びる一筋の光。何かが打ち上げられた尾だ。
話しかけるに際してシリカの方を向きかけていたユースが、彼女の反応を見て、改めて花火待ちの空へと視線を向けていく。
始まった。城の上空、蒼さに暗みを帯び始めた空に描かれる、光る炎が広がる花火だ。
目の前の空、大きく広がる一輪の花を視認して数秒後、どーんと空で炸裂した花火の音が、二人の耳にも重く届いてくる。
「……綺麗だな」
「そうですね……」
短く、そう結んだシリカの言葉を最後に、二人は花火を克目する。
一撃では終わらない花火は、次々に城の上空へと打ち上げられ、まばたきを忘れた二人の瞳に、美しい光を続けざまに届けてくれる。
時間差で耳に届く遠い爆発音も、夏の季語に使われる風物詩であり、言葉無く並ぶ二人が耳にする風情は、その音だけで充分でさえある。
「…………」
シリカは一度、ユースの方にはっきりと顔を向けた。
近い距離だ。シリカが動けば、ユースだってそれに気付くだろう。
だけど、それに気付く素振りもなく、うっとりとした目で花火を見つめるユースは、シリカの方を振り返らない。
苦難を乗り越え、この日を泰平の中迎えられたセプトリア王国を、花火を介して祝福の想いで見つめるユースは、きっとそれで胸がいっぱいなのだ。
せっかく男女で並んでいることを意識して貰えたと思ったら、感動的な光景ひとつでそれを忘れ、空眺めに夢中になるユースって、女心に対して無頓着と評じられても仕方ない。
だけど、こんな奴だからこそシリカは好きになったのだ。
誰かの幸せを、故郷でなくてもある国の幸福を、象徴越しにでもこんな表情と目で喜べる人間は、いくらでもいそうで意外なほど少ない。
人間誰しもそうでなきゃいけないとはシリカも思わないけれど、そばにいて欲しい人はどんな人? と聞かれたら、シリカはこんな人だって答えるだろう。
「ユース……」
その声は、とても小さかった。呼びかけるための言葉じゃなかったから。
好きな人の、好きな顔をそばで見て、その人の名を思わず口にしただけの、かすかな、か細い、小さな声。
耳に捕まえられず、ユースが反応を示せなかったのは当然なほど小さな声で、ユースの名を口にしたことすら無自覚なシリカは、無反応に対して哀しみを覚えない。
尊敬できる男性にはたくさん出会えてきた。
だけど、異性としての意味で手を繋ぎたいと、心の底から思える人はこの人だけだ。
どくんどくんと大きく音を立て始めた自分の胸に、息苦しくなるほどの実感を覚えつつ、シリカの脳裏には今日の真昼時、ハルマに求愛して憚らなかったイリスの姿が想起されている。
「……へっ!?」
シリカの行動は、花火に夢中だったユースでさえ、驚いて彼女を振り返るものだった。
柵に手をかけていたユースの手に、そっとシリカが手を添えてきたのだ。
優しく、軽く、自分の手の甲に乗せられたシリカの手は、女性の細い指の実感と温かさを、ユースの手を介して胸にまで届けてくる。
「…………」
「し、シリカさん……?」
もう花火なんか見えない。花火の音がユースの耳を打つ中で、それも全く意識に挟まらない。
ユースの目の前には、花火も見上げず、塔の下でも見下ろすかのように、目線を落として顔を真っ赤にしたシリカの横顔だけがある。
問いかけたって、何も返してくれないシリカの姿には、ユースの胸の方が花火のように炸裂しそう。
きゅ、とユースの手を握る力を込めるシリカの行動で、余計にそうなっていく。
口を絞って震えるシリカの震えだって、ユースの手にははっきりと伝わっている。
「な、なあ……ユース……」
「は、はい、何でしょ……?」
懸想を公言し、人目も憚らずにアタックするイリスに当てられたか、この時のシリカは、後から思えば自分でもおかしかったと思えるほど積極的だった。
凛々しい女傑の仮面を脱ぎ去り、女の顔を晒すシリカは、ユースを振り向かずに想い人を改めて呼ぶ。
頭が真っ白になったユースは、語尾が途切れるほどの弱々しい声で返事することしか出来ない。
「…………」
「シリカ、さん……?」
沈黙が長い。添えられた手のぬくもりに戸惑うユースの目の前で、シリカは口も体も動かさない。
やがて、すうっと目を閉じたのがようやくの動きであり、そんな小さな挙動でさえ、止まった時が動きだした激動にユースの目には映る。
シリカが、ふいっと顔を上げ、はっきりユースの顔を見つめてきた。
大きな動きにユースの心臓がばくりと跳ね上がるが、ひと呼吸挟んでシリカは微笑み、優しい先輩の顔を取り戻す。
「……頑張ったな。
今、この国が平和であるのは、お前の頑張りがあってのことだ」
「あ……」
確かに今、シリカの表情は、騎士でなく、先輩でなく、一人の女性の顔になっている。赤みも消えていない。
その口から出た言葉は、よく頑張った後輩を労うものであり、そのギャップがユースに、混濁した現実に惑う想いを抱かせる。
「……お疲れ様。それと、おめでとう。
お前はもう、異国にも誇れる、立派な騎士様になったんだよ」
きっと、今じゃなくても言えたことだったはずだ。
あるいは、今はもっと特別な言葉を向けられる状況だったはず。
そんな中で、シリカが"特別な言葉"を避け、しかしユースにとって最も嬉しいであろう言葉を選んだのは、客観的には彼女の臆病さゆえと言う他ない。
しかし、それが正解であったのか、失敗であったのかまでは、誰にも定められないことだ。
「騎士、ユーステット=クロニクス。
セプトリア王国の皆様にだって、きっと強く覚えて貰えるその名前、誇りに思うんだぞ」
「……はいっ」
立派な騎士様を目指して、何年も精進しようと努めてきたユースにとって、最大級の賛辞と言える言葉だ。
それが、ずっと追いかけてきた、尊敬できる人からの言葉とあれば、胸に沁み入るばかりである。
シリカの賛辞に表情を少しずつ柔らかくし、心から幸せそうに笑うユースの表情を目にして、シリカはいっそう目を細めた。
言ってしまおうかとも思ったのだ。あなたのことが、好きなんだって。
怖さもあったけど、それを言うのをすんでの所でやめたのは、単に臆病風に吹かれたからのみではない。
泰平の象徴とも言える花火を、貴いものを見つめる目で見上げていたユースに対し、そうした言葉を向けたい衝動が勝ってしまったのも、確かにシリカの心が定めた判断だ。
どこまで行ってもやっぱりシリカは、ユースに対して、あるいはアルミナに対してすら、自分本位でいられる自分になるのは難しいのかもしれない。
好きで、好きで、しょうがないのだ。告白して、決断を迫ることよりも、きっと喜んでくれるであろう言葉を見つけてしまったら、そちらを優先してしまいたくなる。
だって、幸せなユースの姿を見ることが、シリカにとっては一番幸せなことなんだから。
恋慕とは違う意味で、アルミナに対してもそうなんだから、この性分ははっきりと、シリカ自身にとっては損な性分だとさえ断言できる。
「……ふふっ、いい顔してる」
「へへ……」
再び花火に目を向ける二人は、空に咲く絶景を見上げ、無言でその景色に魅入っていく。
手は触れ合ったままだ。そこにあるぬくもりは、先程までの男女特有の甘酸っぱい空気よりも、親愛感情で繋ぎ合う手としての意味合いを強めている。
ユースは異性として手を繋ぎ合っているという意識を薄め、しかし一方で、大好きなシリカさんがそばにいる幸せを一途に感じ、時々シリカの方を見る。
恋に煩うシリカにとって、その意識のされ方はきっと満点の幸福ではないけれど、目を合わせるたびユースの幸せそうな顔を見るたびに、満足できるほどの幸せは充分に享受できる。
俺もあなたのことが好きです、と、言って貰えれば、確かにすごく嬉しいことだ。泣くかもしれない。
自分がそばにいること自体を、これだけ幸せに思ってくれるユースがいること自体、その次に嬉しい。
それは、ユースのそばにいるだけで嬉しいシリカにとって、己の存在を喜んで貰えることの実感という、何にも代えがたい幸せにも他ならないのだ。
ユースの手の上に乗せた自分の手から、ユースの温かみを受け取り続けるシリカは、花火を見上げるその目から、涙さえ出てきそうなほどの幸せを今得ている。
恋の道は長い。告白したとしても、そこがゴールではない。
ハルマにはっきり告白しても、イリスがそこからずっと戦い続けているように、それはあくまで折り返し地点に過ぎないのだ。
たとえ色好い答えを得られても、そうした関係になった後も、その二人の関係は育つこともあれば離れることもあり、そうした二人の毎日が次に続いていく。
拒絶を恐れる恋する者にとって、告白というのは人生最大級の山場にすら感じられるが、それは必ずしも一か八かの想いで挑戦するのが正解とは言えないほど、通過点に過ぎぬというのもまた真理。
あるいはその開始点に立つことで、初めて始まるものだってあるのだから、どうが正解であったかなど誰にもわからないというのは、それを根拠に語ることが出来る。
シリカは恋に臆病だ。自分に自信を持つことが出来ない性格だ。
だが、その臆病な性分さえ、彼女にとって良い決断を促すものか、悪い決断を促すものか、結論付けるのは難しい。踏み切れぬことが必ずしも愚行だなんて、そんな絶対論など存在しない。
この日この場で、決心に踏み切れなかった彼女は、自分の叶えたい夢をこの日に叶えられなかった代わりに、今ユースが感無量の想いで花火を見つめる心模様を作れている。
己の我を捨て、祝福の想いを優先したシリカが、この日最もユースを幸せにした人物であるのもまた確かなことなのだ。
「……お前と出会えてよかった。
一緒にいられて、こんなにも幸せな人、今までにいなかったと思う」
「シリカさん……?」
「得難い幸せだよ、本当に。
……ありがとう、私のそばにいてくれて」
告白ではなかった。それでいて、心からの想い。
恋慕ゆえの言葉としてではなく、一途な親愛感情として表現された言葉と声に、ユースの顔は赤くならない。
代わりに胸から沸き上がるのは、向けられた言葉に対し、それはこっちのセリフだっていう、シリカと一緒にここまで歩んできたことに対する感謝のみ。
「……はいっ」
「ふふ……」
胸いっぱいのユースは、少し顔を伏せてそう応えることしか出来なかった。
感極まったユースの表情を見て、シリカもまた同じような想いで微笑まずにいられない。
自分の紡いだあの言葉で、想い人がこんなに幸せそうな顔をしてくれること自体が、得難い幸せと形容した過去の幸福をも上回りかねない、何にも代えがたい幸せだ。
花火は、長く、長く、打ち上げられ続けた。
塔に居合わせた多くの男女の組み合わせが、平穏なる王都にて、寄り添う人がいる幸せを長く噛み締めている。
その空間の中、ユースとシリカもまた、長く打ち上げられ続ける花火を、手を繋いだまま万感の想いでずっと見上げていた。




