第57話 ~大事な大事な歓迎会~
「ただいま~」
「あれ、アルミナさん思ったより早く帰って来ましたね」
「昼過ぎに帰ってくるって言ってたのにな。
昼飯だけ食いに帰ってきたのかな」
ある日の昼前。
居間でくつろいでいたユースとルザニアは、玄関で靴を脱いでいるであろう家族の一員の帰宅に反応する。
二人とも何やら厚めの本を読書中で、自分の読んでいる本に目線を落としたままの会話だ。
「ありゃ、こんな時間にユースが家でのんびりしてるなんて珍しい」
「んあ、何が」
「あんたこの時間はいつも、昼食前の素振りタイムでしょ。
何読んでるの?」
「昨日といっしょ」
居間に入ってきたアルミナはユースの隣に座り、横からユースが読んでいた本を覗き込む。
ははぁ、なるほどと口の端を上げるアルミナの顔は、なんだかユースを微笑ましく見守るような顔である。
「ってことは、ルザニアちゃんのそれも?」
「はい……舞踏会なんて初めてですし……」
「私もちょっとぐらいは予習していくつもりだけどねぇ。
まだ何日もあるのに、二人とも気が早すぎるんじゃないの?」
ユースとルザニアが読んでいたのは、まあ要するに舞踏会入門書というか、上層階級の皆様のパーティーに招かれた時はどうすればいいか、的なことを纏めてくれている市販本である。
三日前、ハルマに舞踏会への招待を宣言されたユースだが、何せ王族様や貴族様の集まる舞踏会なんて初めてなもので、今からすでに緊張気味で、作法や立ち振る舞い方を勉強していたのだ。
ルザニアも同様である。育ちのよさそうな礼儀正しい子だが、実際のところは庶民上がりの普通の女の子。親がしっかり者で、しつけがきっちりしていただけのようだ。
「アルミナさん、どこに行ってたんですか?」
「あそこあそこ、ほらこないだルザニアちゃんと言ったアクセサリーショップ。
あそこの店主ご夫妻さんのとこ行って、お喋りして、倉庫整理手伝って、ちょっとだけお茶菓子ご馳走になって帰ってきたカンジ」
「……アルミナさんって、ホントすぐ誰とでもお友達になっちゃいますよね。年の差問わず」
「向こうのご夫妻さんが話のわかるいい人ってだけだよ。
話は面白いし、優しいし、お喋りしてたらウチ上がってくかなんて言ってくれるしさ。
お友達だなんて、私が向こうを単に尊敬できる大人として甘えさせて貰ってるだけっていうか」
「いやいやいや……」
家まで招かれる間柄になってるでしょと。
アルミナ目線では向こうが大人で話も面白くて、一緒にいて楽しかっただけで敬意も払ってるのかもしれないが、家まで上げている時点で向こうもアルミナのことを気に入っているのである。
別の日の話になるが、ルザニアがアルミナと一緒に市場へ買い物に出かけたら、毎度何回アルミナと顔見知りになった老若男女に声をかけられるか。ここはアルミナの故郷でもなんでもないのに。
セプトリア王国に渡ってきてから四ヶ月余り経つが、冗談抜きでアルミナは既に、友達百人作っているんじゃないかと思わされる。
「一応私も、明日にはお城に行って、メイドさんに舞踏会の嗜み方とか聞いてみようとは思ってるけどさ。
ルザニアちゃんも来る? 紹介してあげるよ」
「あ、はい……本場の方々に教えて頂けるなら、嬉しいですけど……」
嬉しい申し出ではあるのだけど、それ以上にルザニアは、この人の人脈力どうなってるんだと唖然気味。
割と真剣に、この人には人心掌握の特別な才能か何かでもあって、商人でもやらせれば大成功するタイプなんじゃないかと思ってしまう。
「ユースもどう?」
「俺はいいけど……つーかお前、全然緊張する気配ないよなぁ。
無いと思うけど、実はお前似たようなパーティーに呼ばれた経験とかある?」
「ないよ」
「だよな」
「普通に楽しみじゃない? 着るものだって、ハルマ様があつらえてくれるんでしょ?
綺麗な服着て舞踏会なんて、私ちょっと憧れてたもん。
まあ、いざ当日になったら私も、ちょっとは緊張しそうな気もするけどさ」
人生初の舞踏会を数日後に控え、今から勉強しなきゃ、当日失敗しないようにしなきゃで緊張し始めているユースに反し、アルミナは舞踏会が楽しみでしょうがないらしい。
昨日、ハルマに会って話を聞いてみたが、そういう場に行く一張羅をユース達は持っていないと言ったら、それはこちらで用意しますのでとあっさり言われた。招待する側も周到だ。
アルミナも女の子、綺麗なパーティー用の服を着て、煌びやかな舞踏会に参加させて貰えるとなれば、現時点では楽しみな想いしか沸かないのだろう。
それは少なからずルザニアもそう。彼女はユース寄りで、当日なにかやらかさないようにしなきゃという緊張感を今から持っている一方、その緊張度はユースよりも多少まし。
綺麗な服を着て舞踏会。この響きは、ルザニアの乙女心にわくわくする想いを沸かせている。
結局、男女の差は大きいのである。
ユースとよく似て真面目なルザニア、どこを比較したって類似点は多い二人だが、性別の違いは根本的な価値観の差すら生む。
「ハルマ様、いつでも遊びに来てって言ってたよ。
それってつまり、不安なことがあったら教えてあげるから来なさい、って遠回しに言ってくれてるんでしょ。
あんたもそんな本だけに頼ってないで、ハルマ様やニトロさんとお話しに行った方がいいかもよ?」
「そーだなー……うん、とりあえずこれ読み終えたら城行くよ。
色々、経験者にもお話聞いてみたいしな」
「ルザニアちゃんはどうする?
私、この後カナリアちゃん誘ってお城に行こうと思ってるんだけど、来る?
ルザニアちゃんが忙しいなら、もうちょっと待って出発するけど」
「いえ、特には。今からでいいなら、ご一緒させて下さい」
ルザニアは、先輩アルミナと話す中で閉じていた本を、自室の本棚に片付けるために席を立つ。
帰ってきたら、もう出発だろう。アルミナは行動が早いし、そのアルミナに普段からよく付き合うルザニアも、たいがい行動は早い。
「それじゃ、私達は行ってくるからさ。
ユースもあんまり、引き篭もってお勉強だけじゃダメだぞ? 体がなまると上手く踊れないぞ?」
「わーってるよ」
ルザニアとは反面、アルミナと会話しながらでも本を開きっぱなしだったユースは、話し言葉のぶっきらぼうな言い草を苦笑い気味に言い放つ。ほっとけ、と。
いいよなーお前はそういう性格で、という皮肉と羨望を込めた声使いには、アルミナも、あぁ相変わらずユースは心配性だなぁと微笑ましくなるばかりである。
やがてルザニアを引き連れてアルミナが家を出て、居間にはユースが残るのみ。
一人になり、さあ勉強再開とばかりに本に目を向けるユースは、さっきはどこまで読んだっけ、と、再開地点を目で探す。
「ん、珍しいな、お前がこんな時間に家にいるのは」
「なんだよ、お前こそこんな時間に出てくるの珍しい気がするよ」
そしたら、アルミナ達が出て行って数秒、入れ違いにチータが居間に降りてきた。
昼前に剣術の素振りしてない自分って、そんなに突っ込まれるものなのかって、ユースは自分がどんなふうに見られているのか、ちょっと気になり始めてしまう。
剣しかない人間とでも思われてんのかな、って。当たらずとも遠からず。
「舞踏会のお勉強か? いかにも慣れてなさそうだしな」
「うるさいよ。いいよなチータは、そういうのには慣れっこだろ」
「久しぶりにはなるから、勝手がどうだったかなっていう気分ではあるけどな。
まあ、当日の空気に触れてから適当に立ち回るつもりでいる」
チータ=マイン=サルファード、サードネーム付きの名前が半分物語っているが、チータはいいとこ生まれのいいとこ育ちである。
それも、サルファードというのは、とある魔導帝国の三大名家の姓にすら数えられていたものだ。
早い話が、富豪の家に生まれたお坊ちゃんを通り越して、貴族の名家の御曹司とさえ言える。
そんな生まれでそんな育ちだから、チータは上流階級の集うパーティーなんて慣れっこである。
舞踏会で場相応のダンスを披露しろと言われても、ちゃんと綺麗にやってしまえるのだ。普段ぐうたらしている最近の彼の姿からは想像しづらいが。
なのでユースも、舞踏会で自分にダンスを求められることがあればヤバいということで、チータにダンスのレクチャーをちょっと手ほどきしてもらおうかなとも思っている。
「何だったら、ダンスの簡単なステップぐらいは教えてやろうか?
流石に今回は空気読んで、意地悪抜きで教えてやるよ」
「マジ助かる、そのうちこっちからお願いしようと思ってたぐらいだし」
本当に困っている時は、見返り無く手を差し伸べてくれるから、チータも何だかんだで悪い奴ではない。
教えて貰っても上手く出来る自信はない、と今から思っているのか、チータに対する感謝の笑みも力の無いユースだが、こんな顔して不安がるユースをからかうほど、チータも根っから悪い性格はしていないのだ。
ルザニアと二人きり、舞踏会慣れしていない二人での勉強会のような空間にいた時より、いくらかユースの肩の力が抜けている。頼れる人がそばに現れれば、気の持ちようも楽になるというもの。
頼りにされればチータだって悪い気はしないのだ。
しょうがない奴だな、なんて無言で心の中で思いながらも、そのしょうがない奴に世話を焼くことが嫌じゃないほどには、チータにとってもユースは大事な親友である。
「はい、採寸確かに。見ていいですか?」
「セクハラです」
「ものっすごく興味あるんですがねぇ」
ちょうどその頃、既にシリカはセプトリア城を訪れ、ハルマに一枚の紙を渡していた。
四つ折りにしたその紙を開いたら、その中にはユース達五人の服を作るための採寸数字が書かれているのだ。
舞踏会で着る召し物をハルマ達が用意してくれるということで、そのために昨夜ユース達の方で、それを各自計ったというわけである。
要するにその中には、シリカとアルミナとルザニアのスリーサイズも書かれているわけで、ハルマがものすごく興味があると言ってるのはそれ。
特にシリカである。何がとは言わないが、あんなでかいの二つも持ってらっしゃって、数字にしてみたらどれぐらいあるんだろうって気になってしまうのが、男の性というやつだ。
「腕のいい仕立て屋に依頼しますから、舞踏会前日には必ず完成するよう約束させて頂いております。
時間があまり無いため、騎士様のお気に召されるものが出来るか不安だとは仕立て屋も言っておりましたが」
「とんでもありませんよ。
こちらとしては、ご用意して頂けるだけでも感謝の至りです」
「ふふ、腕は確かな割に謙虚なだけの連中ですから、信頼して頂いて大丈夫ですよ」
これからものの三日程度で、ユース達5人の採寸情報から召し物を作るという仕立て屋連中の仕事では、全力でやっても最高峰のものは作れまい。
実際のところは、ユースやチータのぶんぐらいは、サイズに合う既存の商品を用意してくれるに留まりそうで、本当に特注で作られるのはシリカとアルミナとルザニアのものぐらいだろう。
女性の三名、既存のものではもてなしに不足として、徹夜覚悟で大仕事をやってくれるという仕立て屋の心意気には、現時点で既にシリカも感謝するばかりでしかない。
「それにしても楽しみですねぇ。
私は騎士としてのシリカどのの姿しか見たことがありませんから、淑女としてのドレスを身に纏われた貴女のお姿、拝見できる日が今から待ち遠しい」
「そんな期待されてもがっかりさせるだけですよ。
アルバーシティで、市民の姿に扮した私の姿もご覧になられたでしょう?
着るものが変わっても、私は私のままですよ」
「あれが良かったから楽しみなんですって。
武の風格を纏うシリカどのも凛々しく見惚れますが、女性としての姿を強調された貴女の姿はそれ以上に魅力的なんですよ? ご自覚はないようですけどね」
「……あはは、おだてても何もご用意できないんですが」
普通に照れてでもおけばいいところ、自分の女性的な魅力とやらに心底自信が無いようで、シリカは頬を指でかきこそすれ、言葉が謙虚からくるものではないレベルの苦笑いである。
この人実は、剣をあれだけ自由自在に振るえる腕、そうしても全く体勢を乱さない強い足腰と、全身けっこう筋肉が詰まっている。力を入れればかなり固くなるぐらいにだ。
傍から見たら細身に見えて、脱力したところを触れば柔らかい肌をしていても、ぐっと力を込めれば固い筋肉が自己主張する、強い強い体の持ち主。そうでなければあんなに強くない。
そういう自分の体と毎日付き合って生きているわけで、当人の中ではそれが自分の理想像とする女性像と全く一致しないのか、とにかく周りに何を言われても自分の女性力に自信を持てないのである。
一般的な話だが、貴女のそこがいいんだよ、と褒めてもそれが当人の求めるものとは違い、心の底から喜ばせる言葉にはならないことがある。
女性においてはより多い話だ。スリムなだけじゃなく少しは肉付きがあるぐらいがいい、という好みの男性も少なからずいながら、たとえ彼氏がそうでも、とにかく際限なく痩せたがる女性がいるというのも例の一つ。
シリカにとっての憧れる女性像に、騎士道の中で得てきた強い体はまさしく真逆の要素であり、それが彼女が自分に自信を持てない最大の一因なのだ。どうしようもない。
「まあ、貴女が自分をどう評価しようが、客観的に評価するのは周りです。
褒められることが当日あれば、素直にそれを受け取ることを推奨しますね」
「ま、まあ……善処します」
シリカの笑顔に元気がなくて、ハルマの方が苦笑いしそうになる。
セプトリアの方々は優しいからなぁ、褒めてはくれるのかもしれないけど……なんて思っているのだろう。顔に書いてある。
男から見て魅力的なもの(特に喉とへその中間点にある豊満な二個)をちゃんと持っているのに、こんなに卑屈な女騎士様を前にすると、何とかわからせてやりたいのになぁと思うのもハルマの本音である。勿体ない。
「当日は、誰と踊られたいであるとか、目当てはおありですか?」
「……………………まぁ」
目を逸らして答えられた。わかりやすい。あの子ですねと。
「くふふ、まあ生温かい目で眺めさせて貰いますよ。楽しみが増えるばかりです」
「むぅ……そういうハルマどのには、お目当ての人はいらっしゃらないのですか?」
「ん、私ですか? 私はカナ……ごほん、カナリアとでも踊るつもりでいますが」
自分ばっかりいじられちゃ面白くないと反撃に出たシリカだが、どの想定にも該当しない返事が出た。
名前が問題じゃない。咳払いを挟んだだけの間だったが、言葉に詰まったような間でもあったことがそう。
「……あの子も招待されているんですね」
「ええ、私の一存ではありますが」
疑問を感じるには充分な間でもあったが、敢えてシリカは踏み込まないことを選んだ。
追及してみても興味深い話が聞けるかもしれないが、いつも飄々と語るハルマが言葉に詰まるような事情がそこにあるとしたら、それは他者がみだりに触れてはいけない事情では、と思ってしまったからだ。
「イリスどのは?」
「んー、まああの子が望むなら、ですかね。
勘違いを深めても困りますし、普段から意図して線引きしていますからねぇ」
「むぅ……あまり周りがとやかく言う話ではないのかもしれませんが……」
「はは、周りはみんな肯定的な関係として勧めてくれるんですがね……
やはり、身の丈はわきまえねば。イリスどのには、もっと適切な殿方がいつか必ず現れるはずですから」
自分とユースのことを軽く撫でられても、ハルマに対してイリスについては、軽く尋ねるところまでいっても深く言及しないのも引き際だ。第三者が口を挟み過ぎるには、難しい問題もある部分である。
いじられた仕返しにちょっと攻めてみたシリカだが、やっぱり相手の境遇や事情を重んじてしまい、ずいずい踏み込んでいけないあたり、シリカの口と性格は、攻撃力を出せない類である。
「まあ、何にせよ良き舞踏会になることを願うばかりですよ。特に、主賓である貴女達にとってね。
――こちらの採寸はさっそく仕立て屋にお届けしておきますよ。覗いたりはしないのでご信頼あれ」
「信じますよ?」
「男のプライドに懸けて」
「大袈裟な言葉を使われるとかえって胡散臭いという」
「わかります」
冗談を掛け合って、大人同士の会話は概ね締め括られる。
話を纏めたシリカはやがて去り、ハルマは仕立て屋の構える店へと向かう足。
部下に任せてもいいような仕事を、ちゃんと自分の手でやろうとするのは、身内を信用しないわけではないが、シリカ達のためにこの中身は誰の目にも触れないようにするための、紳士的な配慮である。
あんなことを言ってはいても、興味があるのは確かでも、シリカ達の秘密の数字を好奇心で覗いたりしないのが、ハルマという出来た大人の嗜みだ。
しかしそもそも、ハルマは向かう道での脳裏、シリカ達のスリーサイズのことなどもう考えていなかったりもする。
シリカとの会話の中で、カナリアの名前を出したことをきっかけに、少し思い出してしまうことがあったからだ。
それはハルマにとって非常に軽視し難い問題であり、敢えてハルマが無表情を顔に貼り付け、己が胸の内に渦巻く懸念を、周りに悟らせないようにするほど重い話である。
この日の二日前、ハルマはナナリーに呼び出されて謁見の間を訪れた。
ちょうどイリスに声をかけられ、彼女の妙に不安げな顔を見た直後のことである。
「――あとはエレム王国の騎士様らに招待をお伝えするだけですね。
あとは一声で開催決定まで至れるよう準備は整えております。
良いお返事が頂ければその時点で、歓迎会の開催が確定致します」
「ようやく叶えられるところまで至ったか。
さんざん世話になっておきながら、きっちりと歓迎会を開く機会を作れず、正直歯がゆかったからのう」
「まだ向こうのお返事次第なので、現時点では確定ではありませんがね。
しかし、ここまで至れたことは私も実に嬉しい」
「ユースどの達、快諾してくれるといいのう」
この時点では舞踏会、騎士団歓迎パーティー開催の旨はユースらには伝えられておらず、この少し後に訓練場にハルマが訪れ、それを伝えるという時間帯の話だ。
この時はまだ、前述のとおり開催決定までは至っていないのだが、とりあえず事を起こせる段階までようやく到達できたことに、ナナリーもハルマも満足げな表情である。
ここまでお膳を立てておきながら、誘って断られたらガックリなところだったが、ユース達がそういう性格の集まりではないのは薄々ハルマ達もわかっていたし、確信的な皮算用で上機嫌になれていた。
ナナリーも上機嫌で、ハルマもこの時点までは"あまり"違和感を覚えてはいなかった。
もっともハルマが来た途端、ナナリーは衛兵たるニトロまで人払いし、ハルマと二人きりで話したいと言ってきたことには、ハルマも少々疑問符も抱いていたが。
つまりこの謁見の間には、ナナリーとハルマの二人きりである。
「お尋ねしたいことというのは以上でしょうか」
「ん、まあ……それだけ聞ければ公務としては充分なのじゃがな。
ぬしにはちょっと、もう一つ尋ねたいことがある」
ハルマが本当の意味で、怪訝な想いを抱いたのはこの瞬間だ。
ほんのついさっきまで上機嫌に、ユース達の歓迎会の開催を喜んでいたナナリーが、急に神妙な顔になる。
急に呼び出されたハルマだが、どうやら本題はここからのようである。
「……見当違いじゃったらすまんがの」
「…………? はい、何でしょうか」
「ぬし、その歓迎会に、カナリアという少女を招くつもりはあるか?」
まったく予想外の単語にハルマは目を丸くした。
ナナリーが、その名を口にする想定など全くしていない。関連性が無さ過ぎる。
「ええ、まあ……あの子はアルミナどのやルザニアどのとも仲が良いし、せっかく今は王都にいるのですから、誘ってあげようとは思っていましたが」
「……どうしても?」
「いや……んん? 少々、どうしてそのような問いが出るのか想像しかねますが……」
「小耳に挟んだがあの少女、カナリア=リットハイムというそうじゃな」
む、とハルマの表情が少し硬くなる。
知っていたか、という内心を顔に出すことを封じ、今の言葉を聞いてようやくナナリーの真意に気付いた顔を作る。
確かにその姓は、ナナリーが警戒するに値する姓である。
「ああ、まあ……確かにカナリアはリットハイム家の一人娘ですよ。
アルバーシティの……旧アルバー帝都の、と言い換えたほうが適切ですかね」
「セプトリア王国がアルバー帝国から独立する前は、小金持ちの名家で、カナリアというその子も不自由なく育っておったじゃろうな。
……まあ、妾の政策の煽りを受けて、今はすっかり貧窮しておるようじゃが」
「あれは仕方ないでしょう。
癒着まみれで金を帝都に集めるアルバーの体制を正常化するための、不可欠な政策だったじゃないですか」
「わかっておるわ……それとは別に、生まれた別の結果を言うておるんじゃないか」
ナナリーには、リットハイム家と呼ばれるかつての富豪が、今や凋落した原因を知っている。
カナリアは実は、お金持ちの家に生まれた一人娘だったのだ。
だが、現在は貧しい暮らしであり、傭兵稼業を務めたり夜の町で働いたりしている。そうなった理由は、セプトリア王国がアルバー帝国を滅ぼした直後の政策にある。
「リットハイム家もかつてのアルバー帝国皇帝――ベリリアルに取り入る形で不当なおこぼれを貰っていた立場ですよ。親のやっていたことですからカナリアの罪ではありませんが。
旧帝国の腐った体制を崩壊させると共に、不当な金の流れを正常化し、リットハイム家に金が入ってこなくなっていたのは、旧体制にあぐらをかいていたリットハイム家の自業自得でしょう」
「だからわかっておるって……
じゃが、その政策の煽りを受けて富豪から貧民に凋落したリットハイム家の長女が、妾のことを良く思っておるとは限らんじゃろ、という話をしておる。
ぬしは話がわかる奴と思うておったが、察してはくれんのか?」
「いや、わかりますよ、わかりますが……」
セプトリア王国からあらゆるものを搾取していた時代のアルバー帝国は、皇帝およびその血族、兵士、近しい貴族と皇帝にへつらう者達にだけ、銭の流れを一極集中する体制にあった。
カナリアの両親もその風潮に迎合し、皇帝や貴族にへつらい、おこぼれを貰っていた立場である。
汚職や癒着は当たり前の、悪行三昧の皇帝や貴族から気に入られようと思ったら、自分達も悪行に手を染めなくてはならない。それが悪人の仲間入りの不文律だ。
ずるいことをして利益を貪る連中は、自分の手を汚さずに甘い汁をすすろうと近付いてくる奴なんて、絶対に信用しないしそもそも嫌悪する。
自分達と同じように悪行を犯し、後戻りできないようになる覚悟を決めて初めて、自分達の仲間入りを認めるか認めないかを一考する段階に入る。
つまりカナリアの両親も、違法に物資を皇帝や貴族に横流ししたり、ひどい時には人を騙して皇帝のもとへ差し出すようなことをしていたのだ。
それで権力者に取り入った結果、リットハイム家は大した労もなく、上流社会から流れてくる金を受け取って優雅に暮らしていたのである。
セプトリア王国がアルバー帝国を滅ぼしたことには、基本的にアルバー帝国の民の大半が喜んだ。
帝国のお偉い様なんて、自分達だけ美味しい想いをして、貧しい民のことなんて顧みてくれない嫌な奴らである。
帝国の崩壊に伴い、アルバーそのものが変わってくれることを望んだ民の想いに応え、ナナリーも新しいアルバー領土の支配者として政策を敷いていく。
代表的だったのが、今までのようなやり方で金を貯えていた連中の摘発、その没収、そしてそれを庶民への還元。
これは決してセプトリア王国への実入りなどなく、苦しみ喘いでいた貧民のためだけに行なわれていた政策だ。
これにより、庶民各々に散分したお金の額そのものは小さかったが、人々にはたいそう有難がられた。
実益は少なくとも、今まで卑怯なことして金を集め、貧民を見下していた連中を心底ざまあみろと思えたし、何よりもそのカタルシスの開放が庶民を喜ばせたのだ。
その後もセプトリア王国の新体制は、帝国城周りが栄えていた帝都――現アルバーシティ全体を栄えさせる流れを敷き、今まで帝国には見向きもされなかった周辺町村にも目を配る。
アルバーシティで大きな顔をしていた暴力団も、殆ど根絶やしにした。フラックオース組は唯一逃げ延びた暴力団で、それも最近完全壊滅させた。
アルバー帝国の旧体制を崩壊させたセプトリア王国だが、実際のところその成功は、他ならぬアルバーの庶民を喜ばせたというのが実状で、今ではむしろセプトリア王国を支持するアルバー民の方がずっと多い。
すっかりアルバーの民の心を掴んだセプトリア王国とナナリーだが、やはり最初に腐った銭の流れを是正し、それが最高の"掴み"になったと言っても過言ではない。
嘆いたのは、悪事を重ねて金を貯め込んでいたところ、支配者が変わって一転、すっからかんにさせられた旧金持ちや暴力団ぐらいであり、少数派。
その少数派の中に、カナリアが、リットハイム家が含まれている。
親の悪事を知らなかったであろうにせよ、旧アルバー帝国時代には何の不自由もなく暮らしていたカナリアが、一転貧乏暮らしをしているようになったのは、旧体制を正常化したセプトリア王国の功罪だ。
「だから私が、あの子に関しては特別目をかけている部分があるのは認めます。
機を見計らって、どうして我が家がこんなことになったのかも、あの子には教えておきました。
流石にショックだったようですが、ちゃんと原因を理解した上で、ならば自分でお金を稼いで、今さら働く気力も無くなった駄目親に仕送りも送る、本当に出来た子です。
……確かに我々の政策があの子の生活を変えたことは事実ですが、あの子はそれが正しいことだと認めています。
手放しに我々を好いてくれるかどうかは別としても、ナナリー様を恨んだりなどしてはいませんよ」
「……………………本当に、そう信頼できるのか」
「……無礼を承知で単刀直入にお尋ねします。
ナナリー様は、貴女がおわす舞踏会にカナリアを招待することあらば、そこで復讐の想いに駆られて間違いを犯す少女であるとカナリアをお疑いですか」
「ハルマ」
「申し訳ありません、言葉が過ぎました」
ナナリーの目つきが鋭くなった。
幼い見かけでありながら、いよいよという時になんと威圧感のある目をするものか。
単に権力者であるからではない。17歳で女王の座に就き、覚悟を決めて国政という使命を背負った少女の精神は、見かけでも封じられぬほどの気迫をいつでも生み出すほどの魔力がある。
肝の太いハルマだからたじろぎこそしないものの、それでもこれ以上は駄目だと思わされるのだ。
並の者なら言葉を失い後ずさっている。
「……妾が魔法都市ダニームに向かう際、フラックオース組の連中の襲撃が、まるで妾の行く先をあらかじめ知っていたかのように的確であったことなど、ぬしの采配にはいくらかの不安が残る。
確かにカナリアという少女については、妾の考え過ぎかもしれぬ。
だが、先のことを思えば軽率な行動は控え、妾の命を案じた采配をしてくれるのがぬしの使命ではないのか」
「仰るとおりです。返す言葉もございません」
深々と頭を下げるハルマに、ナナリーは、よいと一言冷淡に告げる。
許しを意味する発言と捉えるよりは、謝罪以上に心からの反省を求める、と解釈すべき声色だ。
「……じゃが、ぬしの親しい知人でもあり、騎士団の方々とも懇ろなカナリアという少女を、この機にすらそばに招かぬというのは、客観的には理に合わぬ。
妾は、ぬしがカナリアという少女を招待することは咎めぬ。むしろ妙案じゃとは宣言しよう。
しかし、それが本来はどういうものであるのかは、ぬしもゆめゆめ理解するように」
「申し訳ありません、本当に軽率でした。
今一度意識を改め、ナナリー様に仕える者としての心構えを失わぬよう、心から精進して参ります」
「むぅ……」
「…………」
ハルマは優等生だ。謝罪の言葉もすらすら出る。
その、すらすら出るのも怒った人を刺激することもあろう。間違ったことは言ってないが。
「……わかってくれたならよい。
じゃが、妾も今年に入って二度、命を危ぶめられる事態に直面しかけておる。
妾も常に命を狙われ得る立場で怖いということを、ぬしにももう少し共有して貰いたい」
「はい。
重ね重ね、至らぬばかりであったことをお詫びします。本当に申し訳ありませんでした」
「よい、頭を上げてくれい。
年上のぬしにそこまで謝られては、女王としては正しくも妾個人としては複雑じゃ」
顔を上げたハルマの目の前には、ちょっと疲れたようなナナリーの顔がある。
ハルマのことを信頼したい、だけど諸々の事情から苦言を呈さぬわけにはいかぬという、主君の苦しげな表情だ。
静かに息をつくハルマも、目を閉じもう一度だけぺこりと頭を下げる。
本来尊敬するはずの主君に、こんな顔をさせては参謀として恥じるしかない。
「何事も無い舞踏会を保証してくれい。
妾のこともそうではあるが、何より騎士団の皆様にとって良い思い出になるように、な」
「かしこまりました。
……約束致します、セプトリア王国参謀の名にかけて」
これが、舞踏会開催がほぼ決まった時に行なわれた会話である。
何事も起こらぬように。そう願うばかりのハルマにとっても、ユース達の歓迎会は失敗できないものとなっていたのである。




