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第52話  ~じゃあまたね~



「ハロー、ナナ姫。お待たせ」

「お待ちしておりましたぞ~、お姉さま。ささ、お座り下さいませ」


 昼下がり、街の人々の多くが昼食時を迎えている時間帯、自室にてくつろいでいたナナリー女王のもとへ、エルアーティが訪れた。


 一国の主君の自室、外観が華やかではない城とは言え綺麗なもので、部屋の主の地位高さを思えばなかなか気軽には来れない空間だろう。

 そこへ、まるで友達の家に遊びに来たような気軽さで訪れるエルアーティは、単にその地位のみで言ってもナナリーと肩を並べられる立場である。

 加えて、仲良し。訪れたエルアーティに、女王であるナナリーが椅子を引いて、こちらにお座り下さいと言ってくる始末である。そんなこと、同室している女中にでもやらせればよかろうに、ナナリーは自分でやりたいらしい。


 お茶を頼むぞ、とナナリーが女中に命じ、二人ぶんの飲み物が用意されてからは、小さな二人でテーブルを挟んでお茶会だ。

 窓とカーテンを開け、清々しい風をこの部屋に招きいれてくれた女中が退室し、二人は優雅な昼下がりのティーを嗜む時間である。


「今日がお姉さまがこちらにおられる最終日でしたかの。さみしくなりますのう」

「夕頃、出発するつもりよ。エレムの皆様にもご挨拶してからね」

「夜は船が……ああ、お姉さまは夜間飛行がお好みでしたかの」

「ええ、星空を眺めながら帰国することにするわ。

 天気もいいし、気持ちのいい星空旅行になるでしょうしね」


 セプトリア王国と、エルアーティの祖国であるダニームは海を隔てているが、空を飛ぶ箒を操れるエルアーティは、海越えに際して船を必要としない。

 海ひとつを超えられる飛行魔力の継続というだけでも、そこまでの使い手はなかなかいないものだ。

 好きな時に好きな場所に素早く行けて、その気になれば傘などなくても雨だって魔法で防げるそうだし、これほどの大魔法使いになれば人生楽しそうなものである。


「最後にやっぱり、エレムのあの子達にも挨拶して帰りたいしね」

「昨日、皆様のお宅にお泊まりでしたのでは? その際にご挨拶を済ませておられたと思うておりましたが」


「昨夜はちょっと遊びすぎたわ。あんまりにも楽しくて朝になっちゃった」

「朝まで……? 何しておられたのかは存じませぬが、まあ聞かぬことにしましょう」

「え、聞きたくない?」

「聞いてみたいですけど、なんとなく聞かぬ方がいい気がしますのう。

 誰かの名誉のためにといいますか、何と言いますか」

「ふふふ、相変わらずあなた勘がいいのね。そして、優しい」


 昨日、ユースと一室で二人きりになって、色々遊んできたらしいエルアーティだが、詳細を聞く前からナナリーは何やら察して、あまり詮索しないことにした。

 朝までエルアーティが何かに夢中になって遊んでいたという時点で、それに付き合わされた誰かがいるに決まっている。

 その付き合わされた誰かというのが、エルアーティのお気に入りのユースであるとしたら、それはもう気の毒なぐらい、おもちゃにしたであろうことも想像に難くない。


 どうせ身体能力では男に適わないエルアーティが、相手の自由を縛ってでも、一方的にあれやこれやした所までナナリーは想像ついているのだ。

 となると、詳細を聞いたらユースが可哀想だなぁと。エルアーティの言うとおり、ナナリー女王様って優しい。


「ハルマから聞きましたが、ユースどのが朝方から訓練場へ赴かれて、居合わせた兵と手合わせしておられるそうで。

 目も真っ赤っ赤で、なんだか朝からお疲れのようだったそうですぞ。絶対お姉さまのせいであろ」

「かもね」


 かもね、じゃなくて絶対そう。

 朝までエルアーティに付き合わされたユースは一睡もできず、エルアーティから開放されて間もなく、体じゅうに塗られた脂やら、流した汗を洗い流すために朝一で風呂を沸かし、入浴。

 寝不足アンド不機嫌な目で朝食を速攻で作り上げ、シリカやアルミナに話しかけられてもろくに返事もせず、ご飯を食べたらさっさと訓練場に出発。

 昨夜のことを忘れるためには剣を振るうのが一番だとでも思ったのか、訓練場にて兵士様に付き合って貰う形で頭を下げていたそうだ。


 昨夜の件で多大なるストレスを得たユースの握る剣は鬼気迫るもので、期せずして発揮されるユースの実力にセプトリア兵一同、現在ユースに付き合う中でタジタジである。

 ユースも八つ当たりの形で人様に剣を振るうのは駄目だと糞真面目にお考えのようで、頭数の多い兵士様に、今は"囲い武者"なる稽古をつけて貰っている形らしい。

 それは具体的に言えば、数人のセプトリア兵がユースを囲み、四方八方からユースを木剣で打ち据えるという、どこかの過酷な軍隊で採用されそうな訓練方法である。

 これを現在、ユースは二時間以上経過する今、凌いでかわして、相手を怪我させることのないよう反撃もせず、殆ど無傷のまま継続しているらしい。

 無心の完全集中状態のユースの防御力は圧巻で、交代でユースを囲み攻める兵士達の方がヘトヘトになるぐらい。やっぱりユースってその気になれば、スタミナお化けかつバカ強いのである。


 おかげで今日あたり、セプトリア兵の皆様のユースに対する評価は、さらに上塗りされる形で急上昇であるが、それに至ったきっかけが気の毒すぎて、ユースにとってはちっとも嬉しかない。


「お好きな相手にイタズラするその性分、咎めは程々にされた方がと妾も思うのですがのう」

「あらあら、私にお説教だなんて、ナナ姫さまも流石にもう大人かしら?」

「お姉さまに説教など致しませぬ。お姉さまが、お好きな相手に嫌われるのは想像したくないだけです」

「気にしてくれなくたっていいのに。

 私は好きな相手には、たとえ嫌われたってへっちゃらよ? それが愛でしょう」


「ま、妾がお姉さまのことを好きすぎるだけなのかもしれませぬが」

「それはもちろん嬉しいわ。私もあなたのこと大好き、ちゅーしていい?」

「ダメですぞ。ニトロともまだですし」

「許婚なのにまだなんて、あなた達いつ時代の紳士淑女?」

「互いに二十歳になってからと決めておりますからのう」


 自分のティーカップにちゅーしてお茶を飲みつつ、軽く好意を冗談で表明する程度に、エルアーティもナナリーのことを人として好いている。

 上品に会話を嗜むナナリーも、エルアーティと一緒にいられるこの時間が、それだけでお茶請けになっていると言わんばかりに楽しそう。


 似た年頃の見た目ながら、エルアーティはナナリーの三倍以上生きている。

 本当にナナリーが幼い頃から、エルアーティもしばしば来国してナナリーのことを可愛がってきたこともあり、ナナリーのエルアーティへの懐きっぷりは本物だ。


「その二十歳までっていうのは、どういう基準で決めてるの?

 あなた達お互いもう、結婚できる年にはなってたわよね」

「やー、まあ……独立してから年も浅いですし、今は不安定な時勢ですしのう。

 ちゃんと平定するまでは政に集中したいですし、それまでの猶予期間みたいなものとして定めたのです」


「もう充分落ち着いているように見えるけどねぇ。

 あなた、街巡りしたこともたくさんあるでしょ。こんなに不穏無き国家はそうそうなくってよ?」

「そうでもありませぬ。独立戦争に際して失ったものの補完が済んでおりませぬし、それが福祉に追いつかなさを残している部分も多々ある。

 これらの負債をきっちり片付けて、それから初めて平定を唱えられるというものでしょう」


 平和な平和なセプトリア王国だ。エルアーティの言うとおり、国内でごたごたがあるわけでもなく、国民に対する厚生面も整っており、政治に不満を唱える者など殆どいない。

 これを平定に非ずと言うなら、どこまでやればいいと思うんだと言われそうなところですらあるが、ナナリーの志は低くなく、今よりもっとの意志を常に貫いている。

 若冠17のナナリーとはいえ、女王としての気高さは本物だ。


「まあ目標を高くするのは結構なことだけどねぇ。

 ちなみに二十歳になってもまだ、満足できる国況になってなかったら結婚どうするの? 延期?」

「うむ」

「うむじゃのうて……あっ、あなたの喋り方伝染(うつ)っちゃった」


 国政を優先して婚期まで遅らせる友人に呆れて、思うままふとコメントしようとしたら、つい。

 くふふと笑うナナリーを前にして、一度口元を手で隠したエルアーティは、照れ隠しにお茶を口に運ぶ。

 こんなエルアーティの姿はなかなか見られないらしい。対等な友人、が少ない賢者様なので、人らしいこうした仕草を表に出すことが少ないのだ。


「……それに、妾はまだ女王として幼すぎる。

 民の信頼を得るに足る、そんな実績もなく、ただそこにいるだけで多くの人々を安心させていた父上や、お爺様のようにはいきませぬ。

 まだまだ精進していかねばなりませぬからのう」

「見た目のことなら気にしなくていいのに。

 私なんてこの見た目で、大人も頭を下げてくる賢者様よ? 相方のあの子なんてもっとだし」

「いやいや、お姉さまらには実績がある。妾には無い。

 今のセプトリア王国が潤滑に回っているのは、歴代(の王)様が遺されてきたものによるものです。

 それを連綿と未来へと繋げていくのが、当代の王たる妾の使命。休む暇などありませぬ」


 眠さに甘えて夜遅くまでぼやきながら働く女王様だが、それだけすべきことの多い人であるからだ。

 しかも、ナナリーは進んで仕事を増やしている。それで忙しさを嘆くのは矛盾して見えるかもしれないが、人間なんてのはつらいものにいざ直面すればそんなもの。まだ17歳だし当然、普通。

 それだって、甘えられる相手であるニトロ以外には、決して見せない姿なのだ。


「未来に繋げていくのがあなたの使命なら、ちゃんと子作りしなきゃ駄目でしょう?

 婚期を遅らせるのも使命の怠慢ではないかしらね」

「む……ま、まあそういう見方もありますかな……

 直系の跡取りもいませぬし、妾が(はよ)う子をもうけねばならんのは事実ですからのう」

「結婚、初夜、私への報告への手紙を書く、ここまでセット。はやく、はやく」


「気が急きすぎですぞ。ちゅーかお姉さま、基本的に卑猥な話がお好き過ぎますのう」

「愛とか恋とか性とか、嫌いな人の方が少ないわよ。口にするかしないか、それだけ」

「仮にもの一国の女王相手に、そんな話を軽々しくするお方も珍しい」

「むしろ、だから楽しいの」


 握り拳の人差し指と中指の間から親指を出して見せたり、エルアーティの手振りはいちいちいやらしい。

 笑いながらの歓談で二人とも楽しんでいるが、ナナリーの指摘はもっともである。


「というか、ですの……下世話ついでに、込み入った相談もあるんですが、いいですかの」

「あら、どうしたの? 何でも聞くけど」

「いや~、その……妾、いつまでこんな体のままなのかな、と……」


「それ、果たして下世話な内容?」

「いやあの、だから、跡取りのこと等々? 大丈夫なのかのう? とか」

「あーあー、そういうことね。

 大丈夫大丈夫、私達とおんなじ体で、ちゃんと成功した人いるから」


「ならば大丈夫……というか、それはお姉さまの話ではないんですかの?」

「何言ってるの、私は独身で処女よ。出産は勿論、そのために必要な儀式も未経験」

「自分はさっぱりなのに、人にそういう話は急くですのう。なんだかずるいですぞ」

「決まった伴侶を決めちゃったら他の男に手が出せなくなっちゃうじゃないの。

 私、結婚だのなんだのしてなくて本当よかったと思ってるわよ。

 でなきゃユースみたいな子を見つけても手が出せないじゃない、倫理的に」

「それ、さっき妾が聞かないようにした内容を半分吐いておられません?」

「あら、そうだったわ。まあまあいいわ、どうでも」


 こんな話が出来るぐらいには、親密な二人である。

 女王様と賢者様、普段は自分よりも倍ほど背高い相手にすら、頭を下げられる二人なのだ。

 こうして心から気兼ねない会話が出来る友人がいることは、両者共々心地のいいことだろう。


 だからエルアーティは、早くナナリーとニトロに結婚して欲しいと思っている部分もある。

 今は主従、だがそうなれば対等な関係になるから。

 生真面目なニトロのことだから、婚姻を結べばすぐに対等、とはしてくれないだろうが、やがて時が二人の距離を縮めるにせよ、結ばれるのが早いことに越したことはない。


「挙式には、私も呼んでくれるわよね?」

「勿論ですぞ。まだまだ先のことではありますがの」

「出来れば早く」

「出来れば、の」


 二人のお茶会は、存外長引いた。

 それだけ、二人にとっては楽しかったということである。











「あら、ハルマ。待っていてくれたの?」

「そろそろかと思いましてね。お見送り致しますよ」


 ナナリーとのお茶会を終え、王室を退出してすぐの場所で、エルアーティがハルマと出くわす形になる。

 待っていた、と言うよりは、ちょうど今しがたここへ向かっていたハルマと、ばったり顔を合わせたような形。

 ナナリーとのお茶会を終えるエルアーティの頃合いを見計らって、ハルマは見送りのためにここまで来たということらしい。まさか狙って、ここまでぴったりやったわけでは無いだろうが、まさしく丁度のタイミング。


「また機会がございましたら、遊びに来て頂ければと思いますよ。

 ナナリー様も、エルアーティ様に会えるというだけで、大喜びでしたからね」

「ええ、知ってる。

 あんなに心から歓迎されちゃ、私もまた来たくなるっていうものよ」


 他愛のない話を交わしながら、城門までの道を歩く二人。

 徒歩のエルアーティは体格ゆえ歩みも速くなく、ハルマはエルアーティの真横よりも一歩ぶんほど後方を歩く形で、エルアーティに歩く速度を合わせている。

 こうしたハルマの歩き方は、老いた親など、速く歩くのが疲れる年頃の人と一緒に歩く時、相手に無理させないよう並び歩く時などに便利。


「でも私、あなたには歓迎されてる?」

「それは勿論。むしろ、何故?」

「私、執政の全権限を持つ女王様に対しても、けっこう明け透けにものを言う口だからねぇ。

 参謀職として、実質この国の執政権の多くを掌握するあなたにとって、外様の私が女王様にとやかく言うのはどう?」


 くすくす笑いながらそう言うエルアーティの本心は、冗談か、かまをかけるものか。

 わかりにくい笑い方をする彼女に対し、くふっと噴き出すように笑うハルマは、冗談として受け止めているかのよう。


「まさか政治のことにまで口を出されるほど、エルアーティ様も節操なしではありますまい?」

「どうかしらね? ナナリーはどうも、まだまだ自分の政権に対して自信を持っていないようだけど、私目線じゃそう心配することもないと見えるから、気にするなって言っちゃってる。

 これって、女王の意識を緩めることに繋がるかしら?」

「ふむ……まあ、ナナリー様も人の子ですしね。

 友人同士の語らいによる心境の変化が、確かに女王としてのスタンスに影響を及ぼす可能性も、決してゼロではありませんが――」


 歩きながら、顎をこねこねしながら上を向いて、ハルマは少しの間を挟む。

 次の言葉は決まっているのだが、念のため発言には気をつける。失敬の無い言い回しが必要。


「ナナリー様は強いお方です。

 恐れ入りますが、いくら賢者エルアーティ様の言葉を以ってしても、王としてのナナリー様の心幹に、変化や揺らぎを及ぼすことは無いと思われます」

「ふふ、頼もしい。

 でも、あの子のそうした意固地さ、あるいは頑固さは、女王としての柔軟性としてどう?」

「一国の主に最も必要なものとして、揺らがぬ信念と決断力もまた不可欠なものですから。

 柔軟性は、後から求められるものですよ。優先順位が異なります」


「もしもあの子が、誤った道に進みそうになった時、誰かが止められる?」

「ええ、命に代えてでも。それが家臣の使命です」

「言うじゃない。あの可愛らしく見えて頑固な女王様を、引き止める力があなたにはあると?」

「私ではなく、私達ですよ。みな、同じ志を持ってナナリー様に仕えていますからね」


 17歳の少女が政権の中枢を担うというセプトリア王国の現状は、センセーショナルではありながら、同時に危うさも孕んでいる。

 若過ぎる主君にすべての決定権があるという現実は、傍観者や当事者に懸念を抱かせるには充分なのだ。

 船が渦潮に直進しそうな時、操舵手が舵を切ってくれるかわからない若者だったらと想像すれば、船員も乗客もぞっとするだろう。

 若き女王が誤った決断を下した場合、誰も実権を以って逆らえないこの状況は、確かにナナリー自身も自覚するとおり、誰もが安心して従える環境とは言い難い。客観的な話である。


「決断する最高指導者の決定に、すべての責任を押し付けるような発想など愚の骨頂です。

 そんなことでは、女王様に仕える周囲の者に、始めから存在価値などありません。

 国が一人の君主の力のみで回っている者だと、勘違いする者は確かに多いですけどね。

 実権あるいは決定権がなくとも、発言権を与えられた者達が主君の力になれぬようでは、それは所詮かつてのアルバー帝国と同じく、道を違えることもあろう一人の人間が支える、砂の城に相違ありません」

「ふふ、そうね。ナナリーは聡明よ、きっと十歳年上の大人と比べても、ずっとね。

 そんなあの子でも、きっと今後間違いを犯すことは一度や二度ではないわ」


「だから私も、アルバーシティの風営法を強化しようとするナナリー様を、昔からずーっと引き止めているんですよ。

 結果は出ています。さすが私だ」

「ええ、それは間違いなく正解。あなた、優秀だわ」

「お褒めに預かり光栄。ふははは」


 城門が近付くに連れて、多少は別れ前に神妙な話を挟みつつ、空気そのものは和やかなもの。

 大人同士、小難しい話をしようと思えばいくらでも出来るし、頭の切れる両者である。

 そうした話をスパイス程度に用いて、笑い合える話題へと繋げることを主目的とするハルマと、それが通じるエルアーティだから、会話の食い合わせは絶妙に良い。


「まあ、あなたやニトロ、あとウィーク老を筆頭とする家臣がいる限り、ナナ姫が政権を握るこのセプトリア王国も安泰でしょうとは私も見えるけど」


 エルアーティの声のトーンは、終始あまり変わっていない。

 感情を込めているのかいないのかもわかりにくく、淡々と話す彼女の言葉を、ハルマは字面だけ受け取って対話を繋いでいる。


「言い換えればやはり、あなた達がしっかりしてこそ、というのはあるわよねぇ」

「いやはや、仰るとおり。まだまだ隠居はすまいとウィーク老も仰っておりますが、王室仕えは命ある限り立ち止まれぬものですな」

「精進あるのみはどこも一緒ね。騎士も、学者も、王室も」

「立場や収入の安定を、自身の能力の安定の証拠と勘違いしたら、どんな仕事も駄目になりますから」

「あらあら、それってダニームの学者共通のスローガンみたいなものなのに。こっちにも輸入された?」

「共感しましたからね。結構こっちでも布教させて頂いております」


 ニトロが好きそうな言葉だなぁ、なんて思いながら、エルアーティは青空の下まで到達した。

 城門をくぐるより、ここから箒に乗った方が手っ取り早いと、歩くことを不精したエルアーティは、手持ちの箒を浮かせてその上にちょこんと座る。


「繊細なナナ姫ですし、あなた達の助力は欠かせないわ。

 私からもお願いしておくわ、あの子をよろしく、ってね」

「はい。先代国王様からも、同じことを……」

「もしもあの子を不幸にしたら、私あなたのこと殺しに来ちゃうかもしれないわよ?」


 100パーセント冗談だとわかる声色、無邪気な笑顔で、完全に冗談であるとのトーンでエルアーティはそう言った。

 流石に偉大な大魔法使いに、こういうジョークを言われると、エルアーティの実力を知っている以上は誰でも一瞬凍るのだが。


「怖いですねぇ。まさしく、命を賭してナナリー様の力とならねば」

「元より望むところでしょう?」

「ふふふ、違いない」

「うふっ、頼もしい参謀様だこと」


 腹に一物ある賢者様と、こうして対等に狐の笑みを交わせる、ハルマの肝も太いものだ。

 ふわりと箒の高度を上げるエルアーティを見上げる形になるハルマは、その表情に一貫して、朗らかな笑みを携えている。


「それじゃあ、またね?

 セプトリア王国、ならびにナナ姫のこと、よろしくね?」

「はい。またお会いしましょう」


 小さく手を振ったエルアーティに一礼したハルマの挨拶を最後に、二人の会話は締め括られた。

 飛翔したエルアーティは空を滑空し、振り返ることなくぐんぐん離れていく。

 見送るハルマは、そんな賢者様の姿が見えなくなるまで、顔を上げてそれを見送っている。


「……食えないお方だ」


 ちょっと苦笑気味にそう言ったハルマは、城へと踵を切り返す。

 しばらくそんな笑みを浮かべたままの彼に、すれ違った兵の一人がどうされましたかと尋ねたが、それに対してハルマの返事は、いや別にの一言のみ。

 それを最後に笑みを消したハルマは、誰も踏み入らぬ自室に戻り、人々の前から一度姿を消すことになる。











「おかえり、ユース♪」

「あ、ども」


 結局夕頃まで訓練場にこもりっきりだったユースが自宅に戻ると、箒に座って身を浮かせたまま、読書しながら暇潰し中のエルアーティが待っていた。

 ユースの性格からしてあり得ないぐらい、目上の人に対して適当な返事だ。

 昨夜のことで、彼の中でエルアーティに対する感情は、一気にマイナスまで落ち込んでいる。


「シリカ達にはもう挨拶したんだけど、やっぱりあなたにも挨拶してから帰りたくってね」

「そですか。さようなら」

「何よその態度、昨日あんなに愛し合った女に、急に冷たくなっちゃって」

「触らないで下さい、近寄らないで下さい」


 にんまり笑ってふよふよ近付いてくるエルアーティから、ユースは常に一定の距離を取って後退する形を取り、絶対にエルアーティを自分の領内に入れようとしない。

 表情も、すごくイヤそう。エルアーティを喜ばせる顔なのだし、ユースもわかっているのだが、我慢できないぐらい今はエルアーティが嫌い。


「あなた、えっちしたらすぐにポイ?」

「うるさいです」

「あんなに悦んでたのに」

「うるさいです」

「素直じゃないわね」

「うるさいです」


 否定もしない、するのも煩わしい。どうせ意味ない。

 事実無根を口にして近付いてくるエルアーティから逃げて逃げて、ぐるっと回って、玄関の扉に背をつけたユースはドアノブに手をかける。

 それ以上しつこく迫るなら家の中に逃げますよ、と意思表明。


 とっとと逃げず、目上の人の見送りだけはちゃんとやろうというこの真面目さに、エルアーティも微笑みが止まらない。


「ねえ、ユース」

「なんですか」

「最後に一度だけ、抱っこして?」

「いやです」

「抱っこしてくれないと帰らない」


 究極の選択を強いられた。

 エルアーティと接触するのはすごく嫌な今、その要求さえ呑めば帰ってくれるというこの条件。

 この程度のことで五秒黙り、真剣に考えるぐらいには、今のユースには切実な選択肢である。


「……抱っこしたら、帰ってくれますか」

「ええ」

「絶対ですか」

「うん」

「………………いいですよ、わかりました」


「手を開いて? 胸を開いて?」

「…………」


 了承したらしたで、構えを要求されてしまう。

 抱っこするからおいで、というふうに、両腕を前に出して手を開き、胸への道を作るユースは辟易とした顔。


「心も開いて?」

「それは無理です」

「うふふふ、時間をかけていつかこじ開けてみせるわ」


 ふよふよ箒に乗って近づいてきたエルアーティが、ユースの胸の中に身を預け、ユースは両腕でエルアーティを抱きかかえる形になる。

 彼女が座っていた箒は、ひとりでに後退して宙に浮き、主人を待つ形で空中停止。

 つまり、ユースは腕の力を抜けばエルアーティを落としてしまう立場になり、自分からエルアーティから離れられない状態となる。


「ねぇユース」

「……なんですか」

「あなた、いい匂い♪」

「ッ……! や、やめて貰えますかね、落としますよ……!」


 ユースの首筋に鼻を近づけ、すんすんと鼻を動かすエルアーティの呼吸が、ぞわぞわユースの首筋をくすぐる。

 ああもう、なんで抱っこしちゃったんだろうとユースは後悔中。本気でこの賢者様、投げ飛ばしたい。


「また来るわ。今度は昨夜以上に、もっともっと愛し合いましょうね?」

「愛し合ってないですっ……!」

「そんなこと言ってられるのも今のうちだけ。

 あなたの心も体も全部、いつか必ず私だけのものにしてあげる。

 私の言葉、指先、吐息、すべてに喜びだけを感じ、他の何もかもに価値を感じない、そんなあなたに変えていってあげるから」


 怖すぎてユースも背筋が凍りつく。あり得ないことを言うエルアーティだが、これまであらゆる非現実的なことを叶えてきた賢者様だから、その宣言にさえも説得力があるのである。

 何せ世界で唯一、使者蘇生すら実現した大魔法使い様だ。その気になったら何でも出来そうなんだもの。


「ほら、ここ、私の言葉でこんなに喜んでる。こんなに熱い」

「もっ、もおっ……! いい加減にして下さいっ……!」

「うふふ……あなたの方から跪き、私に愛を請い、四つん這いで舌を出す日も、案外遠くないかしらね」


 ユースの頬に手を当てて熱を感じるエルアーティは、それを種にしてユースをからかっている。

 頬が熱いのは怒って頭に血が昇っているからであって。別に人間、照れたり喜んだりするのが理由だけで顔が熱くなるわけではありません。


「じゃあね、ユース。また会いましょう?」

「はいはい……! お疲れさ……」

「大好き♪」


 耳たぶを甘噛みされた。さすがにユースも思いっきり顔を逃がした。

 それでもエルアーティを落としたりしない辺り、憤慨する一方優しい腕だこと。


 箒を引き寄せ、自分のお尻に柄の半ばを吸い寄せたエルアーティは、ユースの胸を弱い力で突き放し、放していいわよと表明する。

 箒によって浮いたエルアーティの体重が軽くなって、離しても大丈夫だと確信を得て、やっとユースは腕の力を抜いた。

 ふわふわ後ろ下がりのエルアーティがユースの正面離れて止まり、ひらひらお上品に手を振る。

 うんざりの溜め息を我慢しつつ、しかし興奮した猫のような敵意いっぱいの目を我慢できず、ユースは辛うじて愛想の手を振って見せた。


 満足げに笑ったエルアーティはユースに背を向け、一気に加速して東の空へと飛んでいった。超特急。

 これで完全に、ようやく、エルアーティはこの王都から離れ、魔法都市ダニームへの帰り道を進んだことが確定だ。

 あっという間に見えなくなったエルアーティを見送りきったユースは、人生最大級の長い溜め息をはぁ~っとつき、精も根も尽きたかのように肩を落とした。


 疲れた、本当に疲れた。仕事よりも戦よりも疲れた。もうエルアーティは懲り懲りだ。


 憔悴しきったユースはこの日、夕食の時間までずっと自室のベッドに寝そべり、ご飯の時だけ起きてきて、食べ終わったら食べ終わったでさっさと自室に戻り、深い眠りに逃げ込んだ。

 そもそも昨夜は徹夜を強要されて寝不足なので、色々限界だったご様子。

 夕食の準備も手伝わず、出されたものだけ食べて寝る、なんてあまりにもユースらしくない行動だ。

 そんな彼の夕飯姿を見送ったシリカとアルミナとルザニアは、苦笑い混じりのお疲れ様の想いを手向けるぐらいしか出来なかった。チータは無表情で、次回も頑張れよ、ぐらいにしか思っていなかったようだが。


 天災は忘れた頃にやって来る。

 実際、今回も忘れた頃にやって来て、ようやく過ぎ去っていった。

 そしてまたきっと、忘れた頃に来るのである。

 この天災の恐ろしさを思い出したユースは、目覚める明日の朝まですっかり意気消沈であった。

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