第51話 ~師匠の小言と冷酒は後で効く~
「けっこう興味深い話が聞けたんじゃない?」
「そうですね。
ハルマ様、どんなお話でもお上手に、面白くお話してくれますけど、やっぱり今日はヘンリー様のお話を聞けたのが一番よかったです」
「顔も見たことがない相手に、自然に様づけしちゃうようになった?」
「なりますよ。俺もその人と、一度だけでもお会いしたかったです」
ハルマとのティータイムを終え、ユースはエルアーティとともに、家への帰り道を歩いていた。
箒に座ったエルアーティとの帰路、行きしの嫌々顔はどこへやら、今のユースは満足げな表情だ。
ハルマから聞かせてもらえた、セプトリア王国の偉人の話の余韻は、苦手な人がすぐそばにいることすらユースが忘れるほど、彼の心をそれでいっぱいにしていた。
ヘンリー=エルジニス。
ニトロとイリスの父であり、ハルマが今なお尊敬してやまぬ人物だ。
今は亡き彼の思い出話をしてくれるハルマの表情は、その偉大さに聞き惚れてくれるユースの姿に、喜びの色すら含んでいた。
ヘンリーは平民上がりでありながら、剣の腕には秀でていた男であり、若くからセプトリア王国の兵として有望視されていた人物だった。
戦事における彼の活躍は抜きん出ており、エレム王国騎士団と比較すれば少々見劣りするセプトリア兵団の中にあっても、彼単体の実力は一際輝くものだったという。
古くから、エレム王国の騎士がこちらの国に派兵される習慣は続いているのだが、粒揃いのエレムの騎士とのお手合わせでも、引けをとらなかった人物とされていたほど。
もう実現は不可能だが、現在で例を言えば、シリカのような滅茶苦茶に強い騎士と一騎打ちしても、いい勝負が出来そうな実力者であったということである。
それだけの実力者を、器の大きなセプトリアの王様が見過ごすはずもなく、ヘンリーは兵から兵長に、やがては佐官に、果ては国王側近の衛兵にまで上り詰めた。
一介の平民がそこまで出世するというのだから、いかにこの国においてのヘンリーの腕が、稀代のものとされたかが察せるというものである。
同僚は勿論、彼の年上の先輩はおろか、その時に王の衛兵を務め上げていた古豪の口からも一切の不服が出なかったというエピソードからも、その実力の認められぶりがうかがえよう。
同時に、人格者であったこともだ。そうでなければもっと嫉妬されるものである。
気高く、誇り高く、この命を祖国のためにと掲げたヘンリーは、常に尊敬されるセプトリア兵だった。
人格者かつ庶民育ちで、下町にも彼を個人的に慕う者が多かったのもあり、民からも愛された人物だ。
まして庶民がそこまで上り詰めたという現実は、頑張れば誰でもそれだけ大きくなれる可能性があるんだよ、という夢を、人々に実像として見せる魔力すら持つ。
まさに庶民のヒーローであったヘンリーのサクセスストーリーは、聞かされるユースもわくわくするばかりであったし、きっとセプトリア王国で兵士様を夢見る男の子達にも、同じ目をさせるのだろう。
幼馴染の妻を迎え、家族にも優しかったヘンリーは、ニトロとイリスにとっても誇らしいお父さんだったし、これほど全てを兼ね備えた男はなかなか歴史上にも現れるものではない。
彼が唯一持ち合わせられなかったのは、天寿。
彼が老いてから退役し、慎ましやかな老後の果て、ゆっくり息を引き取るような人生を、きっと多くの人が望んでいたはずだ。
それに反し、彼は60歳にも至らぬ若さで戦死してしまう結末を迎えた。
戦人にしてそれは長生きした方という見方もあるが、やはり人としては短命だろう。こうした時につくづく言われるのが、"憎まれっ子世にはばかる"の逆である。
現国王のナナリーの父、先代国王プレアデスの衛兵を務めていたヘンリーだが、先代国王の病死により、もちろん彼は新国王ナナリーの衛兵を継続する。
しかし、その後に起こったのが、セプトリア王国によるアルバー帝国からの独立戦争だ。
本来、衛兵というものはそんな戦役の際にも国王のそばを離れず、戦陣には加わらずに自国にて最終防衛線を張るのが殆どだが、ヘンリーはこの独立戦争に参戦した。
本人きっての強い希望だったという。出兵する部下を信じぬわけではありません、しかしこの決して落とせぬ戦、戦陣に立てぬのは我慢なりませんと、彼自身がナナリーに強く訴えたそうだ。
もっとも、愛国心の強いセプトリアの兵、特に衛兵まで昇格したような者達はそんな人ばかりだが。
戦後改易されても構いません、出陣に並ばせて下さいと本当に直訴したのが彼だけという話であって。
先にヘンリーにやられてしまったから、自分達は同じことが出来なくなってしまった他の衛兵達は、ちくしょうやられた、取られたと思ったものである。見栄ではなく本気で。
良き国は良き兵、ひいては良き民によってこそ成り立つものだ。
アルバー帝国まで兵を率い、進軍したヘンリーの活躍は目覚ましいものであった。
敵兵を切り捨て、友軍を鼓舞し、道を切り拓き、討つべきアルバー皇帝ベリリアルの玉座へと突き進む。
彼がいたことで、どれほどセプトリア兵の士気は高まり、どれほど勇気付けられたか。
彼の実力が生み出した戦果以上に、彼が前を駆けてくれたことによってもたらされる、セプトリア王国への力強さは大きかった。
当時、同じ戦役にセプトリアの兵として並んだハルマも、その後ろ姿を追っている。
あの人がいたからこそ、セプトリア王国はアルバー帝国に打ち勝つことが出来たと語れる、セプトリア兵すべての想いを、同じ戦場に居合わせたハルマが代表してユースに語ってくれた。
しかし、ヘンリーも無傷で戦場を駆け抜けたわけではない。
鍛え上げられた手足に矢や銃弾が刺さり、仲間を庇って火傷を負い、それでも駆け抜けただけ。
戦場では珍しくないことだから軽視されがちだが、彼もまた、倒れてもおかしくないほどの負傷を重ねながら、昂ぶる気力と魂で心身に鞭打って、無心で駆け抜けたに過ぎない。
やがてアルバー帝国の城の門をぶち破り、果てはアルバー帝国皇帝とその側近が構え待つ王室まで踏み込んだ時には、もはやヘンリーの肉体は限界寸前だったのだろう。
その最終決戦の局面にはハルマも到達できなかったのだが、後から思えばあの時のヘンリー様はもう――と、のちに語ってくれた兵の言葉から、ハルマもそんな情景をユースに説明してくれたに至る。
アルバー帝国最終皇帝、ベリリアル=マーズ=アルバーは、圧政で民を従え、国威でセプトリア王国を属国扱いしていた主君だけあり、彼個人も実力者であった。
これまで武器を取ることも無かったであろうはずの皇帝が、錫杖と魔法を駆使し、ついに玉座を脅かすまで到達したセプトリアの兵に抗う実力は、ここまでの進軍で疲弊した者達には苦しすぎるほどのもの。
一切の疲労を溜めておらぬ、皇帝側近の兵らの抵抗も激しく、皇帝を目の前にして斃れたセプトリア兵も多かった。
ヘンリーもさらに傷を増やし、それでも敵を討ち、既に火のついた城の最奥にての死闘の場、ついには最後まで倒れなかったというのだから凄まじい。
ベリリアル皇帝の魔法に体を貫かれながらも、彼の剣は皇帝に届き、ついにはセプトリア王国の悲願は果たされた。
アルバー帝国最高指導者の崩御、帝国の崩壊、セプトリア王国の独立。
絶望しかけながらも最後の力を振り絞るアルバー兵らをも仕留め、独立戦争はセプトリア王国の勝利にて飾られたのだ。
過程を見ても、結末を見ても、同胞を力強く導いた末、敵軍の頭を討ち取ったヘンリーこそが、セプトリア王国独立の比類なき立役者であったことは、もはや語るまでもないことである。
だが、彼は生きて祖国に帰ることが出来なかった。
最後の最後まで、彼は我が国に残してきた女王様と、母に先立たれて寂しいであろう我が子二人を思い返し、故郷への帰還を望んでいた。
馬車に寝かせられ、治癒魔法を得意とする魔法使いに付き添われ、傷だらけと言うにも足りぬほどぼろぼろの体のヘンリーの生還を、誰もが強く望んでいただろう。
しかし、それは叶わなかったのだ。あと半日もすれば王都に辿り着けようという時まで、ヘンリーの屈強な肉体は命を繋いでくれたが、もたなかった。
息を引き取ったことが確定し、二度と目を開けなくなった彼にになお、涙ながらに治癒魔法をかけ続けた魔法使い達の祈りを、神様は聞き届けてくれなかったのだ。
騎兵を含め、数々のセプトリア兵が帰還してしばらくののち、ついにヘンリーを乗せた馬車の旗が王都に見えた時、何人もの人が英雄の凱旋を喜んだ。
そこに、やったぞと誇らしげに言ってくれる英雄の姿はなかった。みんな、それを待っていたのに。
そこにあったのは、最愛の我が子二人を今わの際に思い出し、涙を流した跡を目の横に残しつつ、やり遂げた男が安らかに眠る顔しかなかったのだ。
彼が死の際流した涙の、何倍もの涙は既に、馬車の兵や魔法使いの目から流れ落ちた後。
ヘンリーを笑顔と歓声で迎えるはずだった人々により、さらに何十倍もの涙が関所前に流れた。
頼む、道を開けてくれと懇願する兵により、開いた城への道を進んでいく馬車を、武人でもない民が最敬礼で見送っていた光景は、今でもセプトリア王国の伝説的光景かつ、思い出せば悲しいばかりで、語られることはまだ少ない。
父の亡骸を目の前にしたイリスの泣きようったらなかった。
大声で、ずっと、傷だらけの父の体から流れる血が体につくことも厭わず、ヘンリーの体に抱きついて泣いていた。
ニトロだって耐えられなかった。ヘンリーに、俺がもしもいなくなったらお前がナナリー様の衛兵だぞ、と約束され、そうした結末も彼なりに覚悟していたのに。
単なる、偉大なる英雄の死ではない。いつかは親孝行するんだって若いうちから心に決めていた、大好きなお父さんの死を、どうやって耐えられるというのだ。
これからは自分が衛兵様として、ナナリー様を守っていかなきゃいけないんだともその時思えた。
だから泣いちゃ駄目なんだ、強くあらなきゃ駄目なんだと、その時思えたニトロって、十代半ばで父の死を目の前にしてそう思えるぐらいには、既に立派な衛兵の卵だったと言える。同じ年頃の、誰に同じことが出来ようか。
それだけの男が、とうとう我慢できずに父の前に膝をつき、床に顔を伏せて嗚咽を漏らしてしまうほどには、最愛なる家族の死とは耐えられない。
この二人とヘンリーを目の前にし、拳を握り締め、取り乱すまいとわなわな震えつつ、女王たる眼差しで殉死した兵を見つめていたナナリーが、誰よりも悲しみを吐き出せなかった立場である。
ずっと自分を可愛がってくれた大人の死、ましてその家族が泣き叫ぶ姿の哀しみは、その深さをどんな言葉でも例えられるものではない。
一人になるまで長らく堪えて、自室で枕に顔をうずめ、大きな声で泣くまでずっと、ナナリーはヘンリーの死に対する悲しみを胸の内に抱え続けた。
見た目は幼く、王としても未熟すぎるはずの若さ。それが、ここまで耐えたのだから、現セプトリア王国女王はこの時から既に、気高き王としての精神を確立し始めていたと言えよう。
国葬として行なわれたヘンリーの葬儀に参列した人々の数は多く、それもまた、彼がその生涯で残してきたものの大きさを語る要素の一つ。
やはりイリスは耐え切れずに泣いていたが、さめざめと泣きつつも、誇り高き父の眠る棺が火葬場に入るまで、毅然と胸を張っていただけでも彼女は強い。
ナナリーとニトロはもう、葬儀の場で涙を流さなかった。葬儀が終わり、また一人になる時までお預けに出来た人物だ。
大いなる大願を成し遂げた英雄を見送った二人の心に、彼が確かに見せてくれた愛国心は強く刻まれ、それは今もナナリーとニトロの胸に脈々と生きている。
人の死は一つの終わりを顕し、しかしその死から何かを感じ取り、それを忘れ得ぬ人がいてくれる限り、偉大なる精神は決して終わらない。
セプトリア王国の独立という夢を叶えてみせてくれた英雄の志は、今も女王に、新衛兵に、この国で今平穏なる時を過ごす人々の胸に、今も生きている。
"旧セプトリア王国歴XXXX年 ~ 新セプトリア王国歴0年"
新時代を拓いた第一人者である彼の墓標には、とりわけ特別な生没年が刻まれている。
「こういう話、聞く機会はなかなか得られないでしょう?
あなたの性格なら、ニトロに亡き父の話を自分から聞きに行くなんて、なかなか出来なさそうだしね」
「そうですね……俺には、ちょっと無理です」
ニトロの父がもうこの世にいないことは、ユースも以前どこかで聞いたことがある。
しかし、それがどんな人物であったかなんて、人に聞ける性格をユースはしていない。
故人を思い出せばその人の心には悲しみが蘇る。それを誘発させ得る話題の切り出しなんて、ユースには出来ないのだ。
まして、ユースがそれを自分から聞ける相手がいるとして、一番親しいのはニトロかつ、死んだお父さんの話なんて聞けるわけがない。
「でも、今のあなたは仮にもこの国に仕える身。
こうした、セプトリア王国のかけがえなき記憶を知っておくことも、必要ではないけれど、知っておいた方がいいと思わない?」
「思います。だから今は、こんな平和な時代があるんだなってわかると、いっそうこの平和を駄目にしたくないって思いますから」
戦う者には、並々ならぬモチベーションが必要だ。
命を懸けて、剣を振るうわけだ。相手の人生を奪うことだってある。人によってはそれも気楽なものじゃない。
守るべきものの価値を自分の中で高め、このためならば命も張れる、何かを傷つけることも出来ると、覚悟と決意を固めねば、命と命の張り合いなんてそうそう出来るものじゃない。出来るんだったらただの戦闘狂。
エレム王国のため、大好きな仲間や戦う力なき人を守るため、自分の命を守るため、戦う理由を見つけることはユースにとって難しいことじゃない。
だけど、セプトリア王国のために騎士として働くことに、直接的なモチベーションが今までにあったかと言えば、今日と昨日じゃ大きく変わる。
それだけ偉大な人が築いてくれたこの時代に、何かが陰を落とそうとすることあらば、それは絶対に阻まなきゃいけないことだって、ユースの心が自然にはたらいてくれる。
守るべきものの尊さを知ることは大切だ。魔力が精神を具現化したものであるという魔法学の理屈によく似て、セプトリア王国を昨日よりも好きになれたユースなら、今日以降はもっと強い精神力で以って、この国のために力を絞り出す"魔力"を生み出せよう。
「今日は、そんな話をしてあげたくてね。
あなたにとって、有意義な時間であったかしら?」
「はい。えっと、その……ありがとう、ございます」
「ふふ、素直でよろしい。
智は英知なり、学者の口癖のようなものだけど、的を射た真理でしょう?」
見た目はこうでも、遥か年下にあたるユースに対するエルアーティの眼差しは、未熟さの残る若者を見守るそれ。こちらは既に60歳である。
そんな彼女をして、この日に大きな意義を感じ、明日以降もそれを忘れず歩んでくれるであろう若者の姿は嬉しく、この機会を作った者として甲斐があろうというものだ。
「……あのぅ、エルアーティ様」
「なに?」
「……なんだか色々、失礼な態度をとって、すみませんでした」
「うふふ、いい子ね。気にしてないわ、私もそうされるだけのことをしてる。
そのぶん、あなたの素直さが見られるんだから、こちらとしては想定外に嬉しいぐらいよ」
思い出したらしおらしくなって、ユースもエルアーティにちゃんと侘びを入れていた。
苦手な人には変わりないけど、元から魔法使いとしては、学者としては、人生の先輩としてはエルアーティにも元々敬意を払っているユースである。あまりにも意地悪されるから、差し引き表面化しないだけで。
それでも今日、こうしてまたとない機会を設けてくれた賢者様としての姿を見せられたら、それも蘇る。
あれこれされたからとはいえ、ずっと年上かつお偉い様に拗ねてつんけんしていたことを思い出すと、敬意が勝つ今となっては、恥ずかしいことをしていたなってユースも思うのだ。
「ハルマから聞いた話、みんなにも聞かせてあげなさい。
きっとみんな、いい土産話だって思ってくれるわよ」
「はい」
「ま、シリカ辺りはとっくに知ってそうだけどね。
あの子、セプトリアの人たちと沢山時間作ってたみたいだし、この辺りの話も勉強済みでしょうし」
「あー、そっか……あの人、自分から動いてそういうのもちゃんとやってるんだな……」
出発時の沈痛な空気はどこへやら、ユースとエルアーティは、すっかり師と弟子のような会話をこなし、いつしか並び進む両者間の距離も近い。ユースがちょっと距離を作っていた少し前とは変わっている。
賢者様への敬意を改めて思い出したユースと、そうなれば素直に敬ってくれるユースを可愛く思うエルアーティは、仲良く帰り道の末に家へと辿り着く。
帰ってきたら、何があったのか知らんが、ユースがすっかりエルアーティを避けていないことに、シリカもアルミナもちょっとびっくりしていた。
今日は泊めて、と言ってくるエルアーティに対し、まさかユースの方から、みんながよかったら、とむしろ後押しする発言が出るんだから、余計に驚かされたものだ。
チータ以外、シリカとアルミナとルザニアのみ。ここけっこう重要なんだが。
それはさておき、みんなで食卓を囲んだら、ユースが土産話に花を咲かせていた。
こうこうこういう話をハルマ様にしてもらった、エルアーティ様がお膳立てしてくれた、という説明を込みで。
それで色々納得したシリカとアルミナは、ああなるほど、それでエルアーティに対する忌避感がなくなっているんだなって理解した次第。
ユースは人を嫌いになることが少ないくせに、好きになったらすぐ心を開くから。
それをもっと私にも、私にもと思っている人がいたが、それはあんまり言っちゃあ風情がないかもしれない。
ともかく、ハルマからユースを介してこの食卓に届いた土産話は、この日の夕飯の場を温かくしたものだ。
やはり既にセプトリアの兵あたりから、このぐらいの話は先々月の時点で知っていたシリカも、水を差すことなく、楽しそうに語るユースを見守っていた。
せいぜい、ちなみにシリカさんはもう知ってたんですか? とユースに聞かれて、うん知ってたよと苦笑しながら答えて、やっぱりな~とユースに嘆息つかせた程度である。
いつもの仲良し五人に加え、おとなしくその場の空気を楽しむ賢者様を交えたこの日の食卓は、実に和やかな空気のまま、平穏に過ぎていくばかりだった。
ちなみにその間、ずっと悪い笑いを我慢しまくっていた奴もいた。
チータである。油断したら声を出して笑いそうだったらしい。
さて、ちょっと難しいが思い出して欲しい。
ユースの師匠はシリカである。シリカはユースに色々なことを教えてきたが、彼女がいつになってもユースやアルミナに、口を酸っぱくして言う教えとは何だろう。
強くなれ、なんて今さら言わない。言わなくても向上心のある二人だと、信頼関係が出来ている。
勉強しなさい、とか言うだろうか。お母さんじゃあるまいし。
その日の夜、ユースは安らかな眠りについていた。
今日は楽しかったし、報告書にもハルマから聞いた話を気持ちよく書けたし、この日はなかなか枕が高い。
あのエピソードを報告書に書くってまるで日記帳だが、どうせたいした仕事もなかった最近、報告書に書くことなんてそんなものでいい。騎士団の報告書は結構ゆるい。
エルアーティのリードもあって、いい話が聞けた思い出はユースにとってもいいもので、ちょっと朝は突然の天敵襲来に憂鬱になったことだって、良い思い出で上書きすることで、忘れることが出来たのだ。
終わりよければすべてよし。その日気持ちよく眠れるかは、夕方過ぎからの時間の思い出の影響力の方が、きっと比較的強い。
それは結構なことなのだが、果たしてそれって忘れてよかったんだろうか。
「……………………ん?」
遠征の際、野宿をすることも多かったユースだから、眠っていても何らかの気配には敏感だ。
誰かさんが、音も無く静かにドアを開け、すーっと忍び足で部屋に入ってきた気配にも、まぶたを震わせて目を覚ますことが出来る。よっぽど疲れていたらそうならないが、今の体調なら反応もいい。
ユースが目を開けるよりも前に、その誰かさんはユースのベッドに、膝をついて上ってきた。
誰かいる、何かいる、なんだろ、と思って目を開けたユースだが、小さな影が自分の胸の上にちらつく程度しか視認できない。
闇の中での寝起きの目なんてそんなもの。もっとぱっちり開けないと。
その誰かさんは、ユースの上にかかる布団をめくって、ひたりとユースの胸に掌を当ててきた。
ここまでされて、ん? ぐらいにしか感じないユースだから、もうこの時点で完全に終わっている。
「はぅ゛……っ!?!?」
びきり、ときた。ユースの胸に当てられた掌から、凄まじいばかりの電流が流れたのだ。
その瞬間、ユースは弓なりに胸をはじき上がらせ、胴の横の両腕や伸ばした脚も、足首と手首を含む関節を思い切り曲げ、電流が流れた3秒間を攣り上がって硬直する。
嗚呼、あれだけ普段から、シリカさんに"油断はするな"って教えられてきたのに。
それって戦場での教えだし、その教えをこの非戦場で常に心がけろっていうのは本来無茶な話だが、ユースにとってのエルアーティって、野営中に忍び寄ってくる蛇と同じぐらい、油断ならぬ存在ではなかったのか。
「ごきげんよう、ユース♪」
「はっ……ぁっ……」
電流が収まり、浮かせていた胸の裏、背中をばふんとベッドの上に落としたユースは、全身をひくつかせて目を見開いている。
痙攣する全身は、全く自分の意志どおりには動かせず、何が起こったのか全くわからぬまま、かすれた呼吸を開きっぱなしの口で繰り返すのみ。
顎を引き上げ、上を向く形で後頭部を枕に深く沈めるユースの目は、自分の腰の横にちょこんと座る、誰かさんの正体を見ることも出来ない。
見なくても、声のおかげで誰なのかはわかったが。
というか、夜も遅くにこんなことしてくる奴、エルアーティ以外にいるわけもないが。
「大丈夫よ、絶対に死なない類の魔法の使い方だから。
私の魔法は、攻撃力に欠けるって言ったでしょ?」
「か……はぅ……」
返事できません。呼吸もろくに出来ません。もしかしたら死んじゃうかもしれない。
ただし、エルアーティの魔法は本人の仰るとおり、相手を殺さない程度に発動させるには最も適した魔力の様相を持つ。魔力とは精神を具現化したものだから、殺意なき魔法に殺傷能力はそうそう宿らない。
寝ている相手にいきなり電撃、これはこれで、はずみでやっちゃうのではないかという話も本来出るものだが、エルアーティの電撃はユースの体にまとわりつき、心臓麻痺が起こらないように、心臓を鼓動させるはたらきもしっかり続けているから大丈夫。
そしてユースの体にまとわりついている電撃は、彼の全身の筋肉を厳しく痺れさせ、自分の意志では体を全く動かせなくなる束縛の魔力としての意味合いを兼ねている。
物理的に縛られるでもなく、しかし体内から全身の筋を、切れない糸数千本で縛り付けられたかのように、ユースの体は動かせない。外から縛られるよりもよっぽど拘束力がある。
指一本動かせなくなったユースの布団を全部取り払い、ベッドの下に投げ捨てたエルアーティにより、ユースの全身は仰向けのままベッド上に、すべて晒される形になる。
ユースの足に手を伸ばそうとしたエルアーティだが、あ、そっか、なんて呟きながら手を引っ込めた。
靴下を脱がそうとしたのだが、お風呂上がりだし寝込みだし、裸足でしたというだけの話。
手間が省けたとエルアーティはくすくす笑う。また始まった。
「ねえ、ユース。私、明日はダニームに帰るの」
「はっ……く……」
「思い出、ちょうだい? あなたとの時間、私あれぐらいじゃ満足できないわ」
「ひぅ……っ!?」
ユースの下腹部にお尻を乗せ、お腹の横に両脚を畳む形でユースの上に座ったエルアーティは、そのまま体を倒してくる。
さらに、ユースの首元、上向いたままで無防備な首に、つうっと舌先を這わせてきた。
ぞっとするような感覚にユースも詰まった悲鳴を上げるが、拘束電流に痺れる体は動かず、反射的に顎を引くことも出来ない。
チータに笑われるわけである。
ハルマにいい話を聞かせて貰える機会を作って貰えたんだか何だか知らないが、それでこの性悪魔女に心を許してるお前、いくらなんでも迂闊すぎだろ、と。
以降、ずっとおとなしくしててお前に絡もうとしないエルアーティを見て、かえって怪しいって気付けよ、と。
お前をどこかで襲撃するため、警戒されないようおとなしくしてるだけに決まってるだろ、と。
お前騙されてるよ、と。
言わないチータも悪い奴であるのは言うまでもない。今さらどうしようもないが。
「今日は、じっくり愉しみましょう? 夜は長いわ、夜明けまでまだまだいくらでも時間がある」
「ぁっ……ぁ……」
「大丈夫よ、痛くしないから。あなたの鳴き声、これから何時間も聞けると思うとわくわくしちゃう」
自分からエルアーティの方を向けないユースの顔の前に、わざわざエルアーティが自分の顔を持っていく。
ユースの前髪をその掌でかき上げ、眼前視界をクリアにし、私の顔を御覧なさいという行為つき。
妖しく光る眼の下で、ぺろりと舌なめずりをしたエルアーティの表情は、ユースに圧倒的な恐怖を与えるに、充分すぎるものである。
それだけやったら、エルアーティはいそいそとユースのシャツをめくり上げ、ユースの腕を自分の手で持って動かして、袖を通っている腕をくぐらせて、シャツを脱がせてしまう始末。
上半身裸にされたユースが身動きもとれない中、既にお持ち込みであらせられた鞄、ベッドの下に置いてあったそれを持ち上げて、中にあるいろんな器具をごそごそまさぐり始める。
綿棒とか、猫じゃらしとか、ぬるぬるの脂とか、他にも色々入っている。
痛そうなものは何も入っていないのだが、どっちにしたっていいものではあるまい。
「うふふ……さあ、始めましょう? いっぱい、いい声聞かせてちょうだいね?」
この後、朝までユースはひどい目に遭わされ続けた。
痛みも全くなかったし、怪我もしていないけど、精神的にきつかった。
ようやくエルアーティの魔力が弱まってきて、呼吸を正せるようになってきたかと思ったら、それはそれで声がよく出るようになってもっと嫌。
それでも体は指一本動かせない、そういう魔力は朝まできっちり続くのだから、逃がさない、声だけはちゃんと聞かせてというエルアーティの底意地の悪さが、本当によく出た魔力であると言えるだろう。
逃げ道のない闇の中、何時間もエルアーティにいたぶられたユースは、朝が来る頃には塗りたくられた脂と汗にまみれた体を、ひくひくと痙攣させたまま放心状態であった。
具体的に何をされたのかは、語れば語るだけユースの心の傷に塩を塗ることになるので割愛する。
何より内容に品がない。




