第45話 ~アルミナだって女の子~
自分のことを、一人の女性として見ることは出来るか、出来ないか。
それをアルミナが問いかけて見つめる中、ユースからの返事はなかなか返ってこない。
アルミナの瞳に釘付けになったままの目を、ついには少し逸らしたかと思えば、ユースは口をぎゅうっと締めて気まずそうに黙り込み、もう十秒もの時を無言で過ごしている。
「……なんで何も言ってくれないの」
「…………その……」
「やっぱり、無理なの? 私のことを、異性として見るのは」
知りたい、聞かせてと、そんな強い意志を込めたアルミナの目も、一秒一秒ごとに力を失っていく。
何も返事をくれないユースの態度は、答えづらいんだと解釈するには充分な反応だ。
女として見ることは出来なくて、それを言ったらアルミナが傷つくと思っているユースが、言葉にできずにいるんじゃないかと、アルミナから見ればそうとも映る。
きっと酒のせいで感情面があらわになりやすくなっているアルミナではあろう。
だが、ゆえにこそであれど、アルミナの眼がほんの少しだけ潤んだことに、彼女の瞳を視界端に含みつつ目を逸らしていたユースも、慌てて真正面はっきりとアルミナの目を見据え直す。
この沈黙が、誤解を生んでアルミナを傷つけることを察したユースは、決断に至れなかった自分を今すぐにでもと払拭し、即座に決意を固め込む。
「アルミナ」
「なに」
「ずうっとさ、言わなかっただけのことなんだけど、俺もうはっきり言うよ。
いつまでも隠してたって、しょうがないことだしさ」
この前置きには、アルミナの心臓が悪い意味で一度どくんと鳴った。
言いにくいことを言う前触れだ。それはアルミナにとって、聞きたくないことを聞かされることを覚悟を強いられる、耳に見えた嵐の前触れである。
「……俺は、ずっとアルミナのことは女の子だって意識しないようにしてきた。
意識したら、今までと同じ感じで喋るのも難しくなるから」
アルミナにとって、最悪の回答ではなかった。そして、ユースの本音でもある声だ。
静かに内心で胸を撫で下ろしたアルミナは、しかしその言葉の真意を追及するため、再びその目に意志力を宿す。
「……あんたそう言いそうな予感はしてたけど、それって私からすればわかんないよ。
私とあんた、ずっと今まで何年も、普通に友達同士で喋ってきたじゃん。
それでも意識一つ変えるだけで、今までどおりにも出来なくなっちゃうの?」
「なるんだよ、本当に。理屈じゃないんだってば」
「何それ……すっごい言い訳くさい……」
「あーもう、そう言われると思ったから言いたくなかったんだよ。
お前ホント、自分のことわかってねえよ」
「私が? 何よそれ、どういうこと?」
ちょっとアルミナもむっとしたが、向き合うユースもなんだか煮え切らない顔。
一度アルミナから完全に顔を逸らしながらそう言ったユースは、髪の尖った頭をかりかりとかいて、はあっと息を深くつくと、再びアルミナの方を向く。
「お前なぁ、自分ではわかってないかもしれないけど、女の子としてめっちゃくちゃ可愛くて魅力的なんだぞ。
だいたいそもそも、俺が騎士団入りして以降、一番"初見で話しかけにくかった相手"ってお前だからな。
シリカさんの隊にお前が入ってきて挨拶した時、俺めちゃくちゃびっくりしたんだぞ。
うわぁ王都ってすげえ、こんな可愛い子までいるんだって……あーもう、何言わせんだよっ……!」
言葉にしながら少しずつ顔を赤くしていったユースだが、最後の頃には耳まで真っ赤になってしまい、耐え切れない想いを吐き出すと手の甲で口元を隠し、アルミナからきっぱりと顔を逸らしてしまう。
魅力的すぎる女性を目の前にすると、本来言葉を失って相手を直視できないぐらいには、ユースは女性に対して免疫が強くないのだ。
そんな奴が、相手のことを可愛いと言いながら、つまりは自分の言葉でそれを再認識しながら当の相手を見続けるなんて、ちょっと難しいことであろう。
「な、何なのその褒め殺し……
流石の私も、ちょっとどういう顔すればいいのかわかんない……」
「事実だからしょうがないだろっ!
お前だって、出会った頃の俺が全然口利いてくれなくて怖かったって言ってただろ、俺の方だってこんな可愛い子がいきなり来たもんだから、どう話せばいいのかわかんなかったんだよっ……!」
何言わせんだよって、あんたが勝手に言い出したんでしょっていう至極真っ当な突っ込みも、今のアルミナにはすぐには言えない。
可愛いって言って貰えた。口の端が緩んでしまう。耐えられない。
両手の指で口の端をぐいっと下げ、だらしなくなりそうな顔を力ずくで抑えるので精一杯だ。
ユースはユースで、気恥ずかしいにも過ぎることを口走った直後で、額に手を当て顔の全容を半ば隠しながら、次の言葉を発する前に静かに息を整えている。
少し沈黙の時間が生じたが、少し前の沈黙と比べれば全く空気が違う。
女性として見れないわけじゃない。そう聞けただけでも充分にほっとしたアルミナは、どきどきする心臓に心地よく息遣いを正し、すっかり安らいだ目になっている。
安堵する乙女の表情は見る者も安らがせるもので、それを目の前にするユースは一方、高鳴り始める心臓に静まれと命じ、一度だけ深く息を吸うと、少し上を向いてはあっとそれを吐き出す。
「……別に俺は、お前のことを女の子として見れないわけじゃないよ。
調子が狂うから、普段は女の子だって意識しないようにしてるだけだから」
「……ふうん。ユースの中でも、一応私だって異性ではあるんだ」
「一応じゃねえよ、超当たり前だろ。
逆に聞くけど、お前が女の子じゃなかったら何なんだよ」
「女ですよ言うまでもなく。
お前男だろって言われたら、あんたのほっぺた引きちぎる」
「冗談でもそんなこと言えねえよ。
敢えて意識取っ払わなかったら、お前は他の誰よりも一番女の子だっての。
……俺は今もお前の顔直視して、こんなこと言うのは恥ずかしいぐらいなんだから」
直視していない、ユースの目はアルミナの顔の横、何もない場所に向きっぱなし。
赤面したユースが、彼なりに必死で言葉を紡いでくれていること、嬉しい言葉を使ってくれていることに、アルミナは普段口調を装いつつも、胸の内側は蕩け始めている。
ユース以外、誰が今のアルミナを見たとしても、はじめと比べれば機嫌が良くなった彼女であることは一目でわかるだろう。それぐらい、今のアルミナの目は嬉しさに満ちている。
「……わかった、許した。その言質取れたなら、今日のところは我慢しとくわ」
「言質って……これって、お前にとってそんなに大事なことか?」
一転、アルミナの目がぎりんと光った。
やばい、とユースが鳥肌を立てたぐらいだ。
理由はわからなくてもアルミナが怒ったことだけは一瞬でわかる、それほどの眼。
素早く手を伸ばしてきたアルミナが、ユースの両頬をつまみ、ねりねりとつねって怒りをぶつけてきた。
「あ~た~り~ま~え~でしょ~!
私のことを一番よく知ってるあんたが、私のことを女として見るのはムリだなんて言いだすようだったら、私ってば女として終わってるってことでしょうが~!
あんた私のこと、女心のカケラもない奴だとでも思ってんのか~!」
「い、いだ……! ご、ごめん、ごめんって……!」
「言うに事欠いて"大事なことか"ですって~!?
私が誰の目を一番気にするかって、それはあんただっていうのに、あんたがそれにいっちばん無自覚ってホントむかつくわあぁぁ~!」
言い切る直前、ぐいっと左右にユース頬を引っ張って、ぱっと離した瞬間がユースにとっては一番痛かった。
腫れたかと思うぐらい痛む頬をユースがさするが、痛みよりも目の前のアルミナの表情に意識を奪われて、痛がる余裕もあんまりない。
座る脚の膝を出来る最大限までユースの側に向け、その太ももに両手を強く置いたアルミナが、ぶすっとした目でユースを睨みつけている。しかも何も言わない。この無言は怖いやつである。
「…………」
「……本当、悪かったってば。無神経だったよ……」
「はぁもう……女心、難しいかもしれないけど、始めっから無視するのはあんまりして欲しくないよ。
意図あって、私のことを女として見ないようにするのがあんたのスタンスなら、あんたのやりやすいようにしてくれていいとは思う。
でもさ、私が男のあんたとは違うってこと、根本から忘れられちゃ、私だって傷つくんだぞ」
「忘れてるわけじゃないんだけどな……」
「いーや、敢えて忘れようとし続けて、クセになってふとした時に完全に忘れきってる。
でなきゃさっきみたいなデリカシーの無さすぎる発言は出ないっ」
最後の追及に際し、ずいっと前に顔をユースに近づけてくるアルミナに、ユースはたじろぎながら両手を前に。
降参の合図でもあり、許してくれよの合図でもある。
非を認め、許しを心底請うユースの姿を見て、アルミナも怒りを鎮めつつあるが、すぐには体を相手から離さない。
「ご、ごめんって……」
「許してる。でも次はないぞ?」
「覚えとくよ……」
上目遣いで釘を刺し、返事を頂けばふんすと鼻を鳴らしたアルミナが、ようやく元の姿勢に戻ってくれた。
やってしまったと参った溜め息をつくユースの横、アルミナも相手に聞こえない程度に深い息をつき、空気を変える次の言葉を探し始める。
このまま黙り込んだらユースが気に病んで、今日は何も話が進まなくなる。
適当にでも何でもいいから、話の種を投げて今の空気を流すため、アルミナの思考回路はすぐ動く。
「ホントあんた、女に対して経験不足よねぇ。そんなんじゃ、大事な時にいつか困るよ?」
「あんまり言わないでくれよ。これが俺だし、変え方なんてわかんねえんだからさ。
女の子と喋るのなんか緊張するし、上手く話せないし、お前とまでそうなるのが嫌だから、ずっと意識しないようにしてきたってのにさ」
「あんたが女の子と話すのが不得意なのは、価値観の違う、特に言うんなら女心がわかんない自覚あるからでしょ、知ってるよ。
あんた優しいもん。相手が何を言えば喜ぶか、嬉しがるか、何を言ったら傷つくか、嫌がるか、人と話す時はそんなことばっか考えてるじゃん。
女の子が相手だと、男同士で話すよりもずっとそれがわかんないから、何言おう何言おうって考えるばっかりで時間だけが進んで、結局何も話せず終わっちゃうってやつ」
「……俺、誰にもそれ相談したことないんだけど」
「私が何年あんたと一緒にいると思ってる? わかるわよ。
だいたいそもそも、会話に対して臆病な人っていうのは、自分か他人が傷つくことをすごく恐れる人よ。
あんたは自分が傷つくことを怖がるタイプじゃないから、消去法で答えは一つしかない」
「……だから俺、アルミナって本当に凄いと思ってんだよ。
あんなに奔放に喋ってるふうに見えて、人が傷つくようなことなんか全然言わないだろ。
頭の回転速くて、人の気持ちがわかってて、俺には真似しようとしても絶対できないもん」
「失敗することを恐れてちゃ何も変わっていけないって、あんたのお師匠様が好きそうな言葉だけどなぁ」
確かに言いそう。当のお師匠様とやらは最近、変わろう変わろうと思ってもなかなか出来ずで悩んでおられるが。
それはさておき、アルミナもユースの扱い方をよく知っているもので、ユースの胸にはぐさっと来ただろう。
悩みが先立ち、前に進むことに臆病なユースの背を押すには、こういう言い方が一番効くのをアルミナはわかっているのだ。
そうまで言ってでも変わって欲しいぐらいには、アルミナは、自分を見るユースの目というものが、今までと違うものになってくれることを切望している。
「女心がわからないなら、今からいっぱい勉強していけばいいじゃない。
あんたのそばには、いつだって私がいる。あんたが意識しようがしまいが私は女だよ。
女心に無神経なことを言えばさっきみたいに怒るし――
へへ、思い出すとちょっと顔おかしくなるけどさ……可愛いって言われたら、やっぱり嬉しい」
やっぱり駄目、本当に、思い出すだけで頬が緩む。
やわく握ったような手で自分の口元の真ん中だけ隠し、鼻の下をちょっとくすぐるようなアルミナの手つきの横、口の端はどうしても上がってしまっている。
赤らめた頬は酒のせいではなく、女心に一番嬉しい言葉を聞かせてもらえたことを思い出し、一途に喜ぶ乙女の顔色だ。
「あなたらしくない臆病なこと言わず、逃げずに向き合ってみてよ。
私は女、それでいいじゃん。たとえあんたが私を怒らせたって、傷つけたって、私は大事な親友のあんたのことは、最後にはきっと許せちゃう。
あんたもそういうとこあるでしょ? 私、あんたの優しいとこに甘えて振り回してきた自覚はけっこうあるし、それでも許してくれるあんただから、頭が上がらないとこだって実はあるんだよ?」
「……そうだな。アルミナに困らされたことは沢山あったけど、お前のこと絶対に許せないって思ったことは一度もないし、今後もきっとそんなことないと思う」
「だからもう、やめようよ? あんたが私の女心に障るようなことを言ったりやったりしたら、それはダメって私がちゃんと教えてあげるから。
今さら私、あんたと食い違ったりケンカすることなんて怖くないよ。だって、どこまで行ったって絶対私、あんたのこと絶対に絶交したくない相手なのは、変わらない自信があるからさ」
人に好きになってもらうためには、まず自分が相手のことを好きになることが必要とはよく言われる。
アルミナは、はじめからその条件をクリアしている。逆もまた然り。
元より友人同士という観点で言えば、二人はお互いに、無二に愛し合っている。
「……わかった。変えてみせる。
ちょっと時間はかかるかもしれないけど……もう、変に意識を作って見方を変えるのはしないようにするよ」
「絶対だぞ? 約束だぞ?」
「ああ」
「よーし、言質取った! すっきりした!」
ユースはアルミナのことを今後、ちゃんと女の子として見てくれると言った。
すぐには無理なんだろう。それはアルミナもわかっている。ユースはそういう奴だ。
だけど、何かに向かって努力し始めれば、必ずそれを最後には叶えてくれるユースだともアルミナは知っている。
叶う結果を信頼して待つのには、叶うかわからないことをじっと待つより、ずっと遥かに前向きになれる。
立ち上がり、少し前に歩いてユースと距離を取り、空を仰いで手を広げたアルミナが、身を伸ばしながら大きく息を吸う。
はぁ~っと澄んだ息を吐くアルミナの顔はユースには見えないが、晴れた顔をしているのは息と共に溢れる声から充分に感じられた。
デリカシーの無いことを言ったのを、少しまだ気に病むユースだが、最後にはアルミナがそうした心模様に至ってくれたことに、その背を見ながら少しほっとする。
女の子として認識しようがしまいが、ユースにとってのアルミナは、やはり不幸にさせたくない最たる一人なんだから。
「ユース、いっこだけ教えてあげる」
「ん……?」
広げていた手をお尻の後ろで組み、上を向いていた顔を正面に向け、後ろ姿のアルミナが次の言葉を紡ぐ。
彼女の顔が見えないユースは、今のアルミナが少し緊張した面持ちであるとは夢にも思わない。
「私は、一番親しい友達のあんたに、女として見てもらえないのはすごく寂しいし」
ちょっとした勇気を絞り出した声であったことは、果たしてユースに伝わっているだろうか。
普段のアルミナとは違う声の色に、ユースがほんの僅かな違和感を感じ取ることには成功しているが、それでもその奥、内面に潜んだアルミナの真意にまで、ユースの意識は届ききらない。
普段、決して、特別でない相手には決して見せないような顔をしたアルミナは、意を決して体をひねり、ユースに顔を振り向ける。
これだけは、大切な言葉だけは、相手の顔を見て言いたいのだ。
「大好きなあんたに女として見てもらえるのなら、それは一番嬉しいことだからね」
はにかむような笑顔はすっかり赤らんでいて、たとえどのように意識づけたとしても、その時のアルミナの顔は"女の子"のそれだった。
それは、自分のことを一人の異性として見て欲しいと訴えた、アルミナのどの前言よりも雄弁で。
思わずユースが息を詰まらせるほど可愛く、可憐で、月明かりに映えたアルミナの姿は、忘れられないほど美しい光景としてユースの目に焼き付けられた。
ユースの胸がばくりと弾み、同時にアルミナもユースの顔を見るのが気恥ずかしくなり、ふっと再び前を向いて顔を隠すほど。
相手がこちらを見ていないことを確かめ、自分の胸に手を当てて鼓動を確かめるユースと、目が滲みそうなほど勇気を振り絞ったアルミナの息を止めた胸中は、二人だけの世界のここで強く共振する。
照れ隠しの笑いも溢れない、男女の心が繋がり合う小世界。
この後流れた沈黙は、今までに経験したどんな沈黙よりも、不思議なほど痛くありながら心地いい感覚を、二人の胸に刻みつけていた。
帰り道、二人の間に会話は無かった。顔を合わせることすらなく、ただただ横並びの短い道のりだ。
気まずさは無かった。そこにあったのは、外に聞こえるんじゃないかと強く弾む二人の心臓の音と、言葉を発せず隣にいる人の存在だけを確かめる、そんな認識の二つだけ。
昨日までの二人には生じなかった世界。
そしてそれが明日以降も続くでありそうな、大いなる異変の第一歩。
この日は過ぎ去り、やがて明日が始まるのと同じく、無言で歩く二人の足は、新しい二人の新世界へと歩を進めていくことの象徴でもあった。
「はい、皆様お疲れ様でした。カナリアもご苦労だったな」
朝を迎えて、村人の皆様に挨拶し、トージュの村を出発したユース達は、セプトリア王都に帰還した。
関所をくぐり、馬を馬房に預け、王都の整備された道を歩いて帰路を進む。
いちいち比較するとあの村の汚さを強調するような言い方になってしまうが、やはりああした意図的に整備を放置された村とは異なり、王都の石畳の上は随分と歩きやすい。
「ユース、どうする? 帰りついでに市場にでも寄って、夕食の用意でも買って帰ろっか?」
「いやー、どうだろ。シリカさんなら早いうちに買い物済ませたりしそうだし、気を利かせて買い物していくつもりでも、二重買いになって食材余しかねないしなぁ」
「私は今日のシリカさん、夕食前までルザニアちゃんとみっちり稽古して、ご飯買って帰る私達が先に着くと予想してるんだけどねぇ」
「かもな。勝負できるとこではあるか」
おやつ時を過ぎたぐらいの時間帯、家までの道のりを少し逸れれば市場にも寄り道できる中、ユースとアルミナは普段どおりの会話を重ねていた。
一夜明け、果たして両者の間でどの程度の心情の変化があったかは計りかねるが、とりあえずユースが危惧していたような、相手を女性として認識した途端、普通に話すのも難しくなるような事象は発生していない。
しかし、一方で。
「……ユースさんとアルミナさん、何か変わりました?
な~んかちょっとだけ違和感が……」
「これは私達が見てないところで何かあったな。青春だねぇ」
その後ろを少し離れ気味について歩くハルマとカナリアには、言葉では表現しづらい、かすかな変化の兆しも匂うようで、ひそひそ声でハルマに尋ねるカナリアへの返答も、見透かしたように明朗だ。
接客業で男を相手にすることも多いカナリアとて、自身の恋にはまだ運が巡ってきておらず経験不足だが、若い頃からよく遊んできたハルマの目は、男女間でちょっと何かが変わればすぐわかる。
いちいち下世話に探りの目で見るわけではないが、わかってしまうのだからしょうがない。
「ハルマ様が言うなら多分そうなんでしょうけど……
とりあえず、今は二人だけにしてあげた方がいいんすよね?」
「うむ、勿論。邪魔をしてはいけない」
「最悪、保存が利くやつ買って、明日にでも使えることを視野に入れての買い物でいいかもな」
「そんなとこよねぇ。手ぶらで帰るのもなんか気が引けるし、やっぱり市場行きましょ」
らしく語らうユースとアルミナ、二人の世界を後方で見守るカナリアとハルマ。
二分化された世界は、後ろの二人によって意図的に作られたもので、気が利く大人と年下に密かに支えられ、ユースとアルミナは楽しくお喋りしながら寄り道向かいの足を進めていた。
こんな所に空気を読まず、ユース達に話しかける者がいたら、そいつはなかなか無粋のレッテルを張られるかもしれない。
「見~つけた」
「え……ふぁっ!?」
頭上から突然聞こえた声に、何かと思ってふいっと首を上げたユースが、昨夜とは全く違う意味で心臓を跳ねさせて裏声を発する。
裏声というか、悲鳴と言っても過言ではないかもしれない。
頭上、つまり空中に姿を見せたのは、ユースにとって世界で一番苦手な人物だ。
「今日帰ってくるとは聞いていたからね。逃がさないわよ?」
絶句するユースの上方から、空飛ぶ箒にちょこんと腰かけた、紫色のローブと藍色のナイトキャップが個性の、幼い少女の姿をした賢者様が降りてくる。
楽しくアルミナとお喋りしていたユースにとって、天敵賢者エルアーティの突然の降臨は、晴天の霹靂という言葉が表現として適切すぎる。
「エルアーティ様、どうしたんです?」
「悪いけど、この子借りていっていい?
これからニトロに魔法学の講義をするんだけど、この子がいると都合がいいのよ」
見た目8歳か9歳のくせにユースを"この子"と言ったり、借りるだとか人を物のように言ったり、登場してすぐ自由なお方である。
実年齢はもう還暦であらせられるので、ユースをこの子呼ばわりなのは正しいのだが、いかんせん見た目が。
「まあ、私に聞かれましても。ユース、どうする?」
「ねえユース。私、あなたにとんでもなく大きな"貸し"があったわよね?」
「っぐ……わ、わかってますよ……行きますよ、行けばいいんでしょ」
「ただニトロへの魔法学講義に付き合って貰うだけよ? 何をそんなに警戒してるの」
「べ、つ、に」
ユースの態度も少し投げやりだ。人がいい彼をして、ここまで他人につっけんどんなのも相当に珍しい。
エルアーティと一緒にいると、いつどこでろくでもない目に遭わされるかわからない、そんな経験則を山ほど持つユースは、とにかくエルアーティに同行を求められても気持ちが向かないのだ。
「あまり生意気だと躾けるわよ? どうするの? 来るの? 来ないの?」
「………………行きますよ」
「反抗的な目、気に食わないけど許しましょうか。お知り合いの前で恥をかかせるのも可哀想だしね」
「じゃあアルミナ、俺行くから……シリカさん達には、そう伝えておいてくれ……」
「大変ねぇ、あんたも。いってらっしゃい」
ユースとの一緒の時間を邪魔された形のアルミナだが、別に不満は感じていない。
ユースと一緒になれる時間なんて今後いくらでも作れる。頑張ってらっしゃい、と手を振って、箒に乗って低空飛行するエルアーティについていくユースを、手を振り見送るのみである。
「ユースさん、賢者様のことお嫌いなんすかね?」
「なんか知らないけど苦手らしいよ。
私も詳しくは知らないけど、なんか昔けっこうアレな目に遭わされたんだってさ」
「まあエルアーティ様は少々クセが強いですからねぇ。
あのお方に変わった目のつけ方をされたのであれば、ユースどのの気苦労も察せる気がします」
親身になって考えているつもりでも、所詮はやはり他人事。
ユースとエルアーティの関係の深淵を知らぬ三人は、現実と比較して楽観的な見方でユースの背中を見送ると、それぞれの帰り道を再び歩きだすのだった。
一方、城へ向かった両名は。
「ねえ、ユース」
「なんですか」
ユースは普通の歩き方で、エルアーティは自分の座る箒の速度をユースの速度に合わせ、自分の顔の高さがユースの顔の高さに合う高度で、箒を滑空させている。
並び歩くとは少々違うが、二人の進み方はその表現と概ね似通う図式である。
「恥をかかせぬ手前、ちょっと優しさも見せてあげたけど調子に乗らないことね。
あまり反抗的な態度を見せるなら、ちょっと二人きりでのお話も考えるから」
「ちょっとそれはホント勘弁して下さい……
いや、失礼があったなら、それに対する説教ぐらいだったら慎んでお聞きしますけど……」
「冗談よ、怯えちゃって可愛い子」
ユースの顔に出たのは怯えではなく辟易以外の何物でもないが、それを子供扱いするような言葉に言い換えて、立場を強調するエルアーティが嫌らしい。
ユースを不安にさせる言葉を使って、すかして、こんなことが今までに何度あったか、そして今後何度繰り返されるか。
昔エルアーティにされたことを思い出すのも嫌なユースだが、未来に目を向けても嫌なものである。
「別にあなたがどういう態度であろうが、いつか二人きりの時間は作るわ。
あなたが拒否しても関係ない、私がそうする」
「…………」
「逃げられるものなら逃げてみなさい。あなたは、私からは決して逃れられない運命にある」
くすくす笑いながらそう言ってくるエルアーティに、無言を返すユースの胸中はすっかり沈んでいた。
劣悪環境とされるトージュの村だが、ユースにとってはエルアーティのいる楽園よりも、エルアーティのいない廃墟の方がずっと心地いいとさえ言えるかもしれない。
目上の人の前で露骨に溜め息をつくことも出来ず、肩を落として歩くことしか出来ないユースの表情は、晴れた昼の空とは裏腹、急激に曇天模様になっていた。




