第17話 ~誰ですかこのシリカさんは~
「私達から注文をつけるとすれば、羽を伸ばして遊んでおいて下さいというところですね。それが私達にとっても、やがて訪れる作戦決行の日に向けて、最も都合が良いのです」
「……そうなんですか?」
アルバーシティに到着した翌日、宿にて朝を迎えたユース達は、作戦決行までの日までをどのように過ごせばベターかをまず聞いていた。
それに対する結論めいたものが、ハルマが発した上述の発言。大捕り物を見据えた作戦決行までの数日間、その下準備までに何か協力できることは無いかな、という意図で尋ねたユースにとって、この答えは想定の真逆すぎる。
「皆様は、作戦決行の日まであまり目立たない方がいいのですよ。
かと言って、露骨に城やら宿やらに引き篭もられても、逆に貴方達の入都を確認している悪党どもの目には、かえって切り札感のような印象を持たれかねない。
総合的には、ここアルバーシティに遊びに来たような感覚で、積極的に外出して楽しんで頂いて、そんな姿を連中に見せるぐらいの方が、私達の望む後の展開においては都合がいいのです」
「うーん、よくわかりませんが……」
ユース達はここアルバーシティに、徒党を組んで人攫いを為す、悪辣な組織的犯罪者の尻尾を掴むために訪れている。
そうした悪行を、長らくセプトリア王国の司法の目から蓑の下に隠してきた組織だから、警戒心が強いことは間違いない。恐らく毎日、いつだって、その組織の広い監視の目はアルバーシティ全体に行き届いており、自分達の悪行を暴き得るような者からは目を切らないだろう。
ハルマなんて、セプトリア王国の参謀格と呼べる人物だ。
彼がアルバーシティ入りした時点で、彼と、その連れと思しき者達なんてのは、必ず悪党どもの見張りの対象になる。それは想定して然るべきこと。
だからハルマは、いっそユース達に特別なことをしないことを勧める。何をしたって監視されることは決定的想定事項、こちらの各行動が相手に何を思わせるかも、所詮は相手の気まぐれ次第。
だったらむしろ、余計なことを考えずにのびのびして貰って、疲れず作戦決行の日までに鋭気を養って貰う方がいいのである。
逆に片肘を張った行動をして、それが向こうの警戒心を強めたりする可能性を生むよりは良い。
「作戦までの下準備に関しては、私とウィークどのの間でじっくり進めておきますよ。
日が近付くにつれて段取りも説明していきますから、とりあえずは"敢えて遊ぶ"の方向でよろしくお願いします」
「んん……わかりました」
ユースみたいな真面目で仕事に真剣な子は、こういう方針を示されると、本来持つ価値観に対して真逆で戸惑う。遊ぶのが正解、なんてのは、策謀論の中では存外多いものだが、自分がそう勧められると、馴染みの少なさに意外性を感じるのも多い話である。
「ハルマさん、この街のお勧めスポットとかあります? そういうことなら私も、街を色々見て回ったりもしてみたいんですけど」
「ええ、いくつか紹介しておきましょう。いい服を扱っている服飾店や、あるいは質のいい隠れ武具屋など、穴場には事欠きませんよ」
準備と想定が良い。紙を取り出しペンを持ち、ハルマはこの街のお勧めスポットを軽く纏めたメモを作って、アルミナに渡してくれた。
「女性陣は、多分そのメモに倣えばそこそこ楽しめる場所は回れると思いますよ」
「ありがとうございます~、ハルマ様。ルザニアちゃん、一緒に街巡りしよ?」
「は、はぁ……」
ルザニアもユースと同じく真面目な子なので、遊べの指令に戸惑い気味だが、流れに合わせるアルミナに導かれる形で、ここからの展開にも上手く乗っかれそうだ。
初めて訪れる街を、休日気分で歩いてもいいよと許される形のアルミナは嬉しそうだし、求められることと彼女の本音の希望は合致しているから具合が良い。
「では、女性陣はさておいて、私達は私達で街を回りましょうか。ユースどのは、私がエスコートしましょう」
「よ、よろしくお願いします」
ここまでの反応から、ユースが遊び慣れていないことも充分に察したハルマは、役を一枚買う判断もまた早い。
わかりにくいが、これもまた参謀脳の賜物である。コンセプトに対し、自分のすべき仕事が何なのかも、彼はしっかり正しく選んでいる。
あくまで仕事で来たのは確かといえど、張り詰めた空気を得るのはまだ先。少しの間は、休日気分でここ、アルバーシティでの毎日を楽しむことになりそうだ。
一方、それから時を過ぎて同日の昼。
アルバーシティの町並みの中を、一般人に紛れる形で歩く騎士と魔導士は、その本職が傍目からは察せないほど、綺麗に風景の中に溶け込んでいた。
「随分と大きな街ですね。一部のみ見ただけでも、セプトリア王都よりも大きな街だとすぐわかる」
「楽しそうだな、チータ」
「魔導士の本分は見識を広めることですからね。新しい地は無条件で楽しいですよ」
チータは普段着のままでも、特に目立つような服装ではないから、いつもの格好のまま。
ただ、シリカは違う。ユース達がハルマに頼まれたのと同じ理屈で、街に溶け込んで過ごして欲しいとされたシリカは、騎士様らしい格好はしていない。
どこにでもいるような街娘の服装、それも比較的地味な服を着て、チータと並んで歩いている。
「こんなお綺麗なお方を連れに歩けるのも、ちょっと自慢になりますしね」
「からかうなよ。こんな服が、私に似合ってるわけないだろ」
薄い藍色のスカートに茶色の上の着、胸元は白くほわっとした絹でアクセントをつけ、肩は露出するという着こなしのシリカである。セプトリア王国側から、こちらをどうぞと渡されたものだけあって、布地や編みの質は上等なものだが、見栄え自体はそこまで映えるようなものではない。新品の安くない服でお洒落してるけど、色使いは地味だねって言われそうなぐらいである。
それでも肌触りのいい上等品なのは確かで、それに袖を通したシリカも、綺麗な服を着られているということでどことなく機嫌が良い。
チータの賛辞に対しては、こんな小奇麗な服が騎士一筋だった自分に似合うわけない、という持論からシリカは反論気味。それ自体は本音のようだが、それにしては照れ臭そうな想いが少し垣間見える顔なのは、きっかけはどうあれ女性らしい服を着る機会を、思わぬ形で得たからだろう。
こんな服が自分に似合わないと心から思うシリカは、自分から進んで女性らしい服でのお洒落が出来ない性格なのだ。大義名分みたいなものを得て、こうした格好が出来る現在を、存外シリカは楽しんでいる。
「ユース辺りに見せたらどんな顔しますかね。多分、変わり映えた貴女を見てびっくりしますよ」
「馬鹿、こんな格好の私をあいつに見せられるか。こんな格好するぐらいだったら、ユースやアルミナと別行動で本当によかったと思ってるんだぞ」
「何故ですか」
「恥ずかしいだろっ」
スカートをつまんで見せるシリカは、こんないかにも女性女性した格好の自分を、騎士としての姿ばかり見せてきた後輩に見せたら笑われるだろ、と主張する。女性としての自己評価が低い低い。
顔も体つきも抜群の素材持ち、綺麗な金髪をたなびかせるシリカは、普通の女性らしい格好をして歩いているだけで、街行く男達の二度見をそこそこ拾っているのだが、どうもそういう自覚はない様子。
色んな意味で自分に自信をあまり持てないユースという子がいるが、そいつの師匠も別方面ではよく似ている。剣の道一筋で今日まで来すぎたから、女としての自分に自信が無さ過ぎるようで、チータも半ば呆れるような心境である。
「心配しなくてもあいつらに見せたって笑われたりはしませんよ。賭けてもいいですよ」
「また無責任なこと言って」
「じゃあ証明しましょうか? 運が巡ればですが」
ここまで終始無表情だったチータだが、今の何気なく発したアクティブな発言も、同じ声調子と無表情だから、シリカもその意味を聞き落としそうになる。けっこうなことを言っているのだが。
「……なあ、チータ。そう言えばさっきからお前、適当に歩いているように見えるが、どこに向かって歩いてるんだ?」
「人を探してるんですよ。商人様の話では、例の人は恐らく今日この辺りにいるとのことですし」
チータとシリカをアルバーシティまで連れてきてくれた商人様から、チータは既に情報を獲得している。
シリカが女性らしい格好をするという流れになった時点で、誰かさんにその格好を見せたら面白いだろうなと思って、商人様には色々尋ねてあるのだ。
聞けばこちらと同じで、ハルマやユースも街巡りを楽しむであろうという展開が見込まれていて。
ハルマの性格だから、自分も楽しむことを兼ねて、ユース達に街を案内する役目を買って出るだろうという話もうかがっていて。
そんなハルマがどういう場所にユースらをエスコートしそうですかというのも、きっちり聞き受けている。候補5ぐらいまで。
気まぐれにぷらぷらと街見をしながら歩いているように見えて、チータはここまでその"候補"を3箇所ほど既に潰してきている。
あてが外れるなり、すれ違うなりして成功しない可能性は充分あるが、何も考えずに街巡りをするよりはチータも楽しめる。景色はどういうふうに歩いても楽しめるので。
「あ、ほら。いましたよ」
「ゆっ!?」
ちょうどシリカに軽く種を明かしかけてみたところで、巡りの良い場面に辿り着くからひどい話である。運命はいたずら好きなチータの味方をしたというのだから、好事魔多しと例えられてしまえそう。
「どうもハルマ様、奇遇ですね」
「ん? ……おお、チータか。これは確かに奇遇だな」
「チータ……っ!?」
わざわざ別方面から入都した意味があったのかと思うぐらい、普通に挨拶するチータとハルマの行動が、合理的なのかどうかは不明である。何も意識せず普通に過ごすべし、というコンセプトには従っているのだが、果たしてこれは正解なのだろうか。
軍師脳のハルマが普通に挨拶しているし、チータもそれ寄りの頭の持ち主でそれをやっているのだから、きっとこの顔合わせも、後に支障をきたすようなものではないのだろうが。
それよりも、チータではなくその隣におられる、果てしなくお綺麗な女性の姿になったシリカを見て絶句するユースを見られたから、チータは無表情の奥でかなり面白がっている。
そんなユースのリアクションを振り向き、ああなるほどな、とほくそ笑むハルマだから、多分チータとハルマはけっこう馬が合う。
「他に連れはいないんですか?」
「あちらはあちらで別行動だよ。王都ほど治安のいい街ではないから、遅くなる前に必ず帰るようにと釘も刺してあるし、女二人のぶらつきでも問題ないだろう」
「そうですか、ちょっと心配にもなりますけど」
「色々計らって、万が一のことも起こらないように手を回しているよ。ま、信頼してくれていい」
「そうですか、でしたら何よりです」
チータがアルミナとルザニアの名前は出さず、"他に連れ"と抽象的な表現を使ったり。
本来エレム王国からの客人であるチータに対して、ハルマは普段は敬語を使っているはずのところ、傍目からの関係性をくらませるために、上から目線の軽い言葉を使ったり。
疎通無くこのぐらいの細かい配慮は回すのだから、二人とも頭の回転は早いものだ。
綺麗な街娘姿のシリカから目を離せなくなりかけ、しかし目を逸らすユースだとか。
後輩に見せたくなくてたまらなかった格好を晒すことになり、冷や汗をだらだら垂らして固まっているシリカだとか。
二人で計略含みの会話をこなしつつ、そんなユース達の姿も視界の端に含めて面白がるチータとハルマだから、こいつらそのための言葉すら無く悪意を共有し合っている。
「ハルマ様は、そいつに街をエスコートしていらっしゃったところですか?」
「ああ、この街に来るのは初めてだそうだからな」
「僕にもお願いしますよ、僕もこの街は初めて来るんですよ」
「そうか。では、ご一緒といこうか?」
ご一緒といこうか、と問いかけるハルマの声は、普通に聞こえて何か含みがある。
それをしっかり読み取って、いいフリをしてきますねと内心ほくそ笑むチータは、流暢に自分の望む展開への論をすぐさま作り上げる。
「ハルマ様は風俗街に詳しいのでしょう? 僕もそういうのに興味があるんですよ、出来ればそういうのを是非」
「お盛んだねぇ、こんな真っ昼間からそんなことを白昼堂々と」
チータが彼にしては絶対にあり得ないことを言うから、互いを意識し合って固まっていたユースもシリカも、ぎょっとしてチータの方を見る。
いたずらに繋げるための作り話に決まっている。
「そこまで言われては私も腕を見せたいな。私は詳しいぞ、色町には」
「ノリノリですね、ありがたい。ユースも来るか?」
「ふっ、風俗っ、てっ……!」
チータの期待通りの反応。
こいつは絶対、そんな世界に踏み込めるタイプじゃない。女性に免疫が無いんだから。
「彼にはまだ早いかな?」
「そうみたいですね。僕は興味津々なんですが」
「そうかそうか、ううむ……では、仕方ないな。ユースには悪いが、私はチータの案内に移るとするか」
「流石ですね、遊び慣れた男は話がわかる」
「ふふふ、任せろ。私もなんだか、遊び人の血が騒いで抑えられなくなってきた」
すらすらとチータの望む展開が出来上がっていく。ハルマの合わせっぷりもいちいち見事だ。
ハルマがチータに歩み寄り、では行くか、と気風のいい大人の顔で笑えば、チータも無表情なのは変わらずながら、ちょっと口の端を上げて機嫌よさげな顔を作る。上手な方ではないが、作り笑顔は案外できるチータである。
「じゃあ悪いけどユース、お前は一人で街巡りしてくれ」
「は!?」
「風俗、来るか?」
「えっ、あっ……!」
「お前にはまだ早いだろ。行きましょうよ、ハルマ様」
「すまんな、ユース。この埋め合わせはいつか必ずするよ」
全然申し訳なさそうな顔で、すまんなぁの手と声でユースに挨拶だけすると、ハルマはチータを連れてすたすた歩き去ってしまった。
急展開に、いやいや待て待てと突っ込みを入れたくも、それを挫くチータの言葉に翻弄されるまま、何も言えずにユースはそれを見送るはめになる。
風俗街に行くという建前で去っていく二人は、シリカを完全に無視することが出来る話題としてそれを好んだ。今から風俗に行くんですけどシリカさんもどうですか、というのは、展開的にあり得ない話である。
「いいね、チータ君。いっそ本当に、一緒に風俗にでも行かんかね」
「いえいえ、結構ですよ。どんな世界なのか興味はありますが、別にそういう気分でもないですし」
「そうかそうか。では、いつか機会があれば一緒に行こうな」
「好きなんですね、普通に」
「いいぞ~、女は」
ユースとシリカを体よく二人きりに置き去りにした両者は、充分離れてから素の会話。
昨日までよりも随分と親しげな会話になってしまっている。仮にも昨日まで、立場上、ハルマはチータに敬語だったのに。
ハルマはチータが気に入ったようだし、チータもハルマのことが気に入ったようだ。親睦を深めるきっかけが下世話すぎて腐っている。
「あ、あ~……え、え~と、シリカさん……」
「な、何だ? あんまり言わないで欲しいこと、いっぱいあるけど……」
二人っきりにされたユースとシリカは、わざわざ解散するのもおかしな話なので、ぐずつき気味に二人で街を歩く流れに陥っていた。
これがもう、シリカが服一枚小奇麗なものに変えただけなのに、ここまで話せなくなってしまうのだから妙な話である。
人と話す時は目を合わせてしたがるユースが、横並びに歩くシリカをちらちら振り向こうと何度も試みるが、一度もまともに直視できていない。
頬を赤らめた、女性としての美しさを強調されている今のシリカは、ユースにとってかなり刺激の強い姿らしい。
シリカも似たようなもの。
うつむいたまま肩を狭め、目線を下に落とすようにうつむいて、震えかけた唇からか細い声を発するばかり。
今の彼女は、到底自分らしくない格好の自分をユースに見られたことで、そんなの似合ってないですよと言われやしないかと、無い方の想定に怯えきっている。
「えぇと……上手く言えませんけど……」
「や、やめてくれ、皆まで言うな……わかってるから、似合ってないのは……」
「えっ、違っ!? そそそ、そうじゃなくってですねっ……!」
ちゃんとシリカの顔を見れていないユースは、か細いシリカの声と、あらぬ誤解の内容を耳にし、大慌てでシリカの方を振り向いた。
焦るユースのそうじゃないんですよという言葉が意外だったのか、思わずシリカもゆっくりユースの方を向く。
弱気な小動物のような目をしたシリカと、この日初めてしっかり目を合わせたユースが、思わず次の言葉を忘れてしまう。
誰この乙女、本当にあの強くて凛々しいシリカさんですか。本人には言葉に出来ないユースの心境を、最も俗に言えばそんな感じである。
「……ユース?」
「えと、あの……そ、そんなこと思っちゃ……ああもうっ、えぇと……」
駄目だ無理だ、今のシリカさんを直視するのは無理だと、ユースは前方に目線を逃がしてしまう。
普段からして美人まっしぐらな容姿で、長い付き合いだから見慣れて普通に話せるだけのシリカさんだっていうのに、こんな乙女の顔をされたらユースは冷静になれない。
騎士として、憧れの人物を見る目ばかりでシリカのことを見続けてきたユースだが、ふと女性として意識することを余儀なくされると不意打ちのように効く。
「その、ユース……無理しなくても……」
「!? シリカさんっ、ちょっとっ……!」
ユースはパニクっている。はっきりとパニクっている。
目線を前に向けた瞬間、前から駆けてくる子供達数人が見えたらしい。それが、ユースやシリカと接触するにはまだ少し距離がある。
混乱したユースの頭は距離感を焦り、前を見ていないシリカに子供達がぶつかってきてしまうと錯覚し、思わずシリカの手を引いて道の端まで引っ込む。ご丁寧に、逆の手はシリカの背中に回してだ。
シリカも何事かとびっくりした。早まったのはユースの方。
危ないところだった、と、ふう~っと息をつくユースだが、おかしかったのは自分の方だとすぐに気付く。
こっちに向かって駆けていた子供達だって、ちゃんと前を見て走っているのだ。馬車から転がり落ちた荷物がこちらに転がってきていたとか、そんな話とはわけが違う。むしろいきなり逃げたユース達に、驚いたように一度注目した子供達が、変な人だなぁ首をかしげながら去っていくのみである。
ユースの行動はシリカを子供達とぶつかる危険から回避させたのではなく、無意味にシリカの手を引いて距離を縮めさせただけだ。
気付いた瞬間、俺何やってんだ馬鹿なのかと、ユースの頭は急激に冷めていく。
「あの、ユース……」
「うっ、あ……ご、ごめんなさ……」
ユースと同じくらいの背丈を持つはずのシリカが、ユースに手を引かれた形で体を前のめりにさせ、ユースの顔の下から見上げてくるような形になっている。
まばたきも出来ずに硬直したユースは、握ったままのシリカの手のぬくもりに心臓を爆打たせながら、目を回しそうな頭の中の熱気で今にもくらつきそう。
ちょっとの距離感でも正視し難かったシリカの顔が、吐息もかろうじて届きそうな至近距離、しかも上目遣いの紅潮した顔なのだ。
シリカの背中に回した手はそのままだし、抱き寄せたような格好のままユースは逃げ場を失っている。
慌ててシリカに触れていた手を離し、よろめくような足取りで後退するユースは、魔物にやられて壁際に追い詰められた時のように、建物の壁に自分から背中で当たりに行った。
けっこう強い当たりだったが、それで詰まるはずだった息もユースは意識できない。心臓の高鳴りが
やば過ぎて、最初っから息苦しい。
「ごっ、ごめんなさい、シリカさんっ……! 綺麗だから、直接見るのが俺にはしんどいだけですっ……!」
完全降伏宣言を口にすることしかユースには出来なかった。
誤解も解けるし、直視できない理由も説明できるし一石二鳥だ。素直なのはいいことである。
唐突なユースの行動に面食らってきょとんとしていたシリカも、発されたユースの言葉が耳に入り、徐々にその意味を頭の中で反芻する中で、慌てて口元を手で覆った。おかしな形に歪みそうな危機感を感じたからだ。
心配しなくても直視できないとの宣言どおり、ユースはシリカよりも赤い顔でうつむいて、シリカの表情なんか見ていないが。
「……そう、か」
落ち着いた大人の声を精一杯作って、しかしほっとしたような想いを到底隠しきれていない、柔らかな息遣いを含めた声をシリカは小さく発していた。
声が小さかったからユースの耳には届いていなかったが、彼は今頭の中で煩悩を打ち消そうと必死なので、どのみち大きくても聞こえなかったかもしれない。
ユースはシリカのことを、世界一尊敬する先輩騎士として認識している。崇高なぐらいに。
そんな人を不埒な目で見ちゃダメだっていう自制心をわざわざかけて、しっかりしろ俺って何度も何度も自分の心に訴えかけるユースだから、真面目すぎる頭の作りも考えものである。
「ユース」
だから、心から安穏としたシリカに声をかけられても、なかなかユースは顔を上げられない。壁にもたれかかり、落ち込むようにうなだれたユースは、非常にばつの悪そうな顔を恐る恐る上げる程度。
心持ちがちょっと変わるだけで、その美しさは様だけを別種のものにし、かつ色褪せること無くより魅力的にさえ見える美しさを発するのだから、女性の顔というのは神秘的なものだ。
似合わぬと思っていた自分の姿を、可愛い後輩は笑うどころか綺麗だって言ってくれた。その喜びに胸を満たし、膝に手をつきもう片方の手をユースに伸ばしてくるシリカの笑顔は、まだ高い日の光に照らされて燦然と輝いている。
「嬉しい」
「ぇ……ぁっ……」
目の前の光景に、ごくりと口の中のものを呑み込んだユースは、なぜ差し出されたのかもわからない手を、纏まりきっていない頭で握り返す。
シリカは、建物の壁にもたれかかったままのユースを引いてくれた。
それがないとまっすぐ立てなかったわけではないけれど、不思議とユースをちょうど立つ姿勢のところまで正してくれるシリカの力が、立ち合い同じ目線で見つめ合う二人の形を導く。
「……変じゃないかな? 私が、こんな格好」
ユースから二歩離れて、シリカははにかむようにスカートをつまんで、ほんの少しだけ引き上げる。今の自分の格好はこうなんだよ、と体でも表現する。
答えは一度聞いてわかっていても、もう一度聞きたいらしい。
「……変じゃ、ないですよ。綺麗ですもん……」
「そうか……ふふっ……」
口元を手の甲で隠してしまうシリカだが、細くなった目はそれだけで満面の笑みを表している。こんなに幸せそうなシリカは、なかなか見られるものではない。
「……行こうか、ユース。チータとハルマ様も行ってしまったし、私達は私達で、な?」
「あ……は、はいっ」
直視できなかったのがついさっきで、今は見とれて目が離せなくなっていたんだから、ユースの瞳も翻弄されっぱなし。
歩きだしたシリカの後ろを、ユースは先輩を追いかける後輩の足でついていく。騎士らしい格好すらしていないシリカを追う姿が、ちょっと気を抜けば今の隊長職も忘れてこうなってしまうユースなんだから、客観的に見ればどうしても、まだまだ独り立ちは遠そうだなと思われてしまいそうな姿である。
しかし、当たり前のことだが、最も信頼する先輩を敬う気持ちを無くしてしまう必要なんてどこにもない。
後輩は後輩、いつまでだって先輩のことが大好きでいていいし、先人の背中を憧れの目のまま追いかけ続けた先、気付きもしないまま同じ境地にあるというのは珍しいことではない。
立派になった自分を大好きな先輩に見せて、喜んで貰いたいって心から思うのもまた、一つの意欲の持ち方だ。尊敬する人からなかなか親離れ出来ない、気弱で自信に欠けるユースだが、それを夢を叶えるための欠点であると断言するのは、それもまた違う話である。
「……どこ行く?」
「えー、あー……ご、ご飯食べる場所でも探します?」
特に何の変哲もないはずの、二人で歩く街巡り。普段と異なるのは、シリカが普段着とは違う女性らしい格好に変わったことだけのはず。
それなのに、それだけでいつものようには会話を弾ませられない、異性に免疫の無い初対面同士のような初々しい並び歩きが、この後しばらく続いたものである。四年近くの付き合いとは到底思えないぐらいにだ。
一緒に昼食を食べて、目的も無く街の風景を楽しんで、西の空が明るくなったら、そろそろお別れと別の帰り道に分かれて、ただそれだけ。
一人になった帰路の中で、二人とも、妙にどきどきして視線がうつむき気味になってしまう。日常であるはずの一幕が、非日常のように感じられたという意味では、共通する想いがあったのは間違いあるまい。
次にシリカさんと顔を合わせた時、変な気持ちになったりしないかって不安がるユース。
別れた後ですら笑ってしまいそうなぐらい、今日は本当に幸せだったなあって、高鳴る心臓に手を当てるシリカ。彼女が危惧しているのは、この顔を持ち帰って、チータにからかわれないようにしなきゃということ程度である。
二人は騎士として、先輩と後輩であるという関係がまず先立つ。
それで知り合い、それで絆を深め、今の親しい関係になった二人なのだ。
そのせいなのかユースとシリカは、互いが男と女の一組であるというごく当たり前のことを、普段は不思議なほど忘れているのである。




