第13話 ~とりあえずの一件落着~
「おかえりなさいませ、お兄様」
「ただいま、イリス。いい子にしてたか?」
「もう、いつまで子供扱いするんですか。もう私も17歳になるんですよ?」
フーリオ山地に赴いて、あれやこれやあった翌日の夜。セプトリア王都に帰還した一行は、それぞれ解散し、各々の日常へと戻っていた。
出発したのが二日前の朝、グランベナードやらの襲撃を受けたのが昨日の昼、王都に帰ってきたの今日の夕方。お忍び外出だったので、王都に帰還するタイミングも調節して、公に知らせたとおりの旅路だったと煙にまくスケジュールだ。その気になればもうちょっと早く帰ってくることも出来たが、そこは上手にやった。
ユース達は借り家に帰り着き、ナナリー女王とニトロも城にてまず夕食と湯浴みを済ませ、ナナリーは一度自室に戻っておくつろぎタイム。
そしてニトロは城の一室、妹と暮らす私有寝室に帰っていた。迎えてくれたのは彼の妹、イリスである。
「17歳かぁ……そうは見えないな」
「どういう意味です?」
「ずーっと一緒に過ごしてるからなぁ」
むっとする妹イリスに、ニトロは曖昧に返事してはぐらかす。子供っぽく見えるって言ったら多分怒るので、そうは言わない。
まあいいですけど、と言って半端にむくれるイリスを見ると、もう17歳ですよって言われてもやっぱりしっくりこないのだが。妹は何歳になっても妹である。
兄妹っていうのには往々にしてあることなのだが、ニトロは0歳の頃からイリスをほぼ毎日見ながら育ってきたわけで、17年間で明確に妹の顔が大人に近付いてきても、徐々にである変化が案外目に映りにくい。少しずつ少しずつ変わる人の顔、毎日見てればかえって変化がわからないというのはよくある話。
ニトロのみの目にとっては、イリスの顔って幼い頃のイメージそのままなのである。彼女の幼少の頃を描いた肖像画と、今になってその顔を見比べてみれば、へぇいつの間にこんな変わったんだって驚けたりするかもしれない。
「でも、いい子にしてたかなってのはマジで思ってる。ハルマ様に迷惑かけてないだろうな、とか」
「……はい? なんでそこでハルマ様の名前が出てくるんですか?」
「王様代理のあの人に、お前が迷惑かけるようなことしてないかなってこと」
「いや、何も……わ、私とハルマ様に接点なんて、そもそもないでしょ?」
「いやー、どうだか。お前、機会があったらすぐハルマ様に話しかけに行くからな」
「なななっ、何言ってるんですかお兄様? わ、私そんな畏れ多いことするわけ……」
もう色々と丸わかり。イリスがハルマを殿方として結構特別視していることとか、本人は秘密にしているつもりでも周りは全員知っているし、この動揺ぶりからも図星すぎる。
頬はちょっと赤くなっているのだし。今頃頭の中には、ハルマ様のお綺麗な顔立ちを思い出してるんだろうなとしか見えない。
「本当かぁ? こっそこそハルマ様を追いかけ回して、話しかけられそうなタイミング見計らって、お近付きになろうとしてるお前のこととか、すっげえ想像しやすいんだけど」
「そっ、そこまでするわけ……!」
「どこまでやったんだよ」
「あっ……い、いえ、あの、別に何も……そもそもハルマ様とは一度もお話していませんっ!」
はぁそうですか、嘘をつくのがド下手糞だなお前、と内心思い、ニトロはせせら笑ってしまう。
具体的にどんなアプローチをかけていたのかは知らないが、今のやりとりで充分、ここ数日でイリスがハルマにあれこれ接点を求めようとしていたことは、ニトロにもだいたい想像できた。
「あの人は忙しいんだからな。好きなのはわかるけど、あんまりあの人の邪魔はするなよ?」
「すっ、好きだなんてっ……! 私がそんな、あの人にそんな分不相応な……」
「じゃ、嫌いか? あるいは興味ない?」
「っ、く……人としては尊敬しているし好きですっ! でも、恋慕のそれとかじゃありませんっ!」
自分からボロをぼろっぼろ出すからニトロも面白くなってからかうが、可愛い可愛い妹が誰かに恋をしている姿を目の前にすると、兄としては微笑ましいような寂しいような。
いつだって自分のそばにいた、可愛くて仕方ないこの子も、いつかは自分のそばを離れて、どこかの男のものになるんだなあって。シスコン極まれり。
ただ、彼は早くに両親に先立たれ、イリスが唯一の家族であるので、周りもニトロのこういう偏った愛も、結構大目に見ている節がある。
「もう、お兄様! あんまりからかわないで下さいっ!」
「わかったわかった、しばらくはこういう話しないようにするよ」
「しばらくじゃなくてずっと! ああもうっ、知らんぷりしないでっ!」
手をひらひらさせて、はいはいわかりましたよ、わかってないけど、という顔であしらうニトロに、必死でイリスも食い下がる。
別にいいじゃん恋ぐらい、とニトロは思うのだが、女の子からすればあんまりそんな、デリカシーなく踏み込んできて欲しい話ではないご様子。
ぷんすかしながら詰め寄るイリスを適当になだめながら、苦笑いを浮かべるニトロの表情の奥底に、別の感情が芽生えていることは、兄の心妹知らずである。
こんな風に妹をからかいながらも、その恋心の成就を願い、しかしその日が訪れるにせよまだもう少し先がいいな……と思うのが、妹愛万年炸裂のお兄ちゃんの複雑な親心。
どこぞのろくでなしに妹がたぶらかされるなら、ぶっ飛ばしてでも(無論男の方を)そんな恋路は断ち切ってやらんとするニトロだが、相手がハルマなら文句はない。
むしろ彼にとっては、安心して妹を任せたいと思える人物である。
「はい、どうぞ」
やや遅い夕食の後、自室に戻ってしばらくのユースに、ドアをノックする音が聞こえた。返
事をしたところ、部屋に入ってきたのはシリカである。本日もコーンスープ持参。
お疲れ様、お疲れ様です、のご挨拶と、差し入れへのすいませんを一言ずつ交わす二人。
ユースが座る椅子の前、机の上には、やはりというか書きかけの報告書だ。予想通り、今日も夜更かし覚悟でこまっかい報告書を作成していた後輩の姿に、今さらシリカも驚いたりしない。
「今日は長くなりそうだな、何も言わなかったら」
「いやいや、今日はちゃんと手短に済ませて寝ますよ。こないだシリカさんに、夜更かしも程々になって言われたの忘れてませんから」
「どうだかなぁ」
日跨ぎのナナリー女王護送任務、その連日ぶんの報告書を書くとなれば、三日ぶんのことを纏めて書くわけで、理屈上、ちょっとは書く事を絞らないと三倍時間をかけることになる。
やりたいようにやらせてあげたい本音もあるシリカだが、サボり知らずの糞真面目のユースを放っておいたら、時間無制限にいつまでも何やら頑張り、いつか体を壊しそうな気もするので、ついつい口を挟んでしまうのだ。
師匠離れがまだ少し出来ていないユースだが、シリカもたいがい弟子離れ出来ないところがある。
「相変わらず、アルミナの活躍については詳細に書いてるな」
「というか、ルザニアも休んでるしチータもまだ帰ってこないから、俺が書くのって仕事内容とアルミナの事しかないっていうのが正味なところですけどね」
「そういえばチータの奴、遅いな。よっぽど道草くってるな」
「ですよねぇ。別にいいっちゃいいんですけど」
ユースが挙げた二つの名は、最近一緒に仕事に取り組んでいない二人の仲間のもの。
腫れ風邪にかかってしまい、長らく自室安静にして休んでいる後輩の女騎士ルザニアと、その彼女の腫れ風邪が早く治るようにと、よく効く薬を買いに遠出してくれている魔導士チータだ。
このチータって奴が、早く風邪が治るようにっていう目的の割に、全然帰ってきやがらない。異国の地を一人で自由に歩けるこの好機、物見旅でもしながらのんびりしているんだろう。
最近そろそろユースも、あいつに行かせたのは間違いだったかなと思う。おつかいって、そこまでマイペースであるべきもんじゃねえだろと。五人揃って動けるようになるのはいつになるやら。
「何にせよ、今日はこうしてみんな無事に帰って来られてよかったよ。予想外の強敵との遭遇もあったし、それで誰かいなくなっていたらと思うと、ぞっとする話だからな」
「次からは気をつけますんで……心配かけちゃったみたいだし……」
「いいよ、気にしなくて。私も迂闊だった、柔軟に立ち回れなくなる状況まで追い込まれたのも私の失態だからな。次があっても、今度は私も先を読んで動くことにするよ」
アルミナの活躍ぶり、要するにエビルアープの動きを制限し、ユースがグランベナードとの一対一に専念できるよう手を尽くした彼女を回想すれば、やはり同時にあの時の反省点も少々頭をよぎる。
シリカはユースを手を添えられない状況に追いやられたことを悔やむし、ユースも前に出るのが自分じゃなく、シリカであればもっと簡単にあの危機を切り抜けられたのに、と省みる。
元々、ユースがシリカの部下として共闘していた頃は、強いシリカが前で、ユースがその後ろにつく陣形が殆どだったのだ。隊長職を預かるようになって張り切ったはいいものの、以前と違う陣を作ったことにより、少々危ない橋を渡ったのも事実なので、ユースも教訓は感じている。
一番頑張らなきゃいけない自分が前に出ていればとりあえずよし、というのは違うと、今回のことで学べたのは良い経験になっただろう。これもまた、実際に隊長職に就いてから、初めて身に沁みて学べることの一つである。
「ただ、少し気になるな。あのエビルアープという魔物、少し知能が高すぎるようだった」
「シリカさんはそう思いました? 俺は、ああいう魔物もいるのかな、程度に思ってたんですけど……ほら、武器を持つ魔物は、リザードマンやらミノタウロスやら、いくらでもいましたし」
「それもそうだけどな。ただ、それにしたってだよ」
シリカが気にしているのは、握った石でアルミナの銃弾をはじき返していたエビルアープのことだ。
知能が高く、武器や道具を手にして戦う魔物は案外多いし、それが別段おかしなこととは言い切れない。特にエビルアープは、シリカ達の祖国には出没しない、馴染みの浅い魔物であるし、ユースの言うとおり、ああいうのもいるんだっていう結論に帰着させても悪くはない。
「少なくとも、グランベナードという魔物は、あんな山浅きところに出没する魔物ではないとナナリー様も仰っていた。その点においてはエビルアープもそうだとも。
本来あり得ないはずの魔物の出現、それがよりにもよって、この国の女王様という人物を襲撃したというのは、少々話が出来すぎていると私は感じる」
「……それって、かなり物騒な意味でですか?」
「あまり大きな声では言えないぐらいの意味でな。
……そう考えると、グランベナードを銃士のアルミナから守りながら戦うという連携能力を見せていたエビルアープも、その知能は何らかの指導を受けて高めたもの、そして何者かの指示を受けて動く能力を持つ魔物――という仮説も、私は考えてしまう」
銃弾をはじく、グランベナードを守る、スノーウルフやウェアバットを率いる。
エビルアープがあんなに賢く立ち回っていたのは、何者かの手引きにより知能を高め、さらにはその者の言うことを聞く、言わば"飼われた"魔物であるからでは――シリカが言っているのはそういうことである。
その"何者か"の指示で、エビルアープが他の魔物と群れを為して狙ったのが、無作為に選んだ人間ではなく、セプトリア王国女王たるナナリーであるとすれば? 確かにこれは、大きな声では言いづらい仮説である。
「仮説の域を逸していないし、あまり深く考えても仕方ないことではある。仮にそれが全て正解であったにせよ、現状で私達が特に出来ることはないし、そもそも単なる思い過ごしかもしれない」
「…………」
「ただ、形はどうあれ、本来以上の魔物と遭遇したことは事実で、その厄介さも私達の想定を超えるものであったことは確か。それが実際に起こったことだ。想定外を想定すべきなのは常のことだが、今後は今までの意識よりも、もう少し強い危機意識を私達も持つべきなのかもしれないな」
元々、祖国を離れて異国に来た時点で、今までの常識を超えることが起こり得ること、危機管理能力をより強く持つべきだという意識はみんなあった。ユースもアルミナもそうである。
それでも、ああなった。決して全てが完璧だったわけじゃない。お堅い理屈だが、時既に遅しで命を失ってからじゃ、悔いても悔いても時は戻らない。
シリカも強い声や重い表情を作らず、気さくな口調で今の話をしているが、仰ることはごもっともである。
「そんなことより私は、目下の健康管理の方が大事だと思ってるけどな」
「う……わかってます、わかってますよ。今日はもう夜更かしせずにすぐ寝ますってば」
「お前、昔は病弱だったんだろ? あんまり今の強くなった体にかまけて、不健康な生活を繰り返してると、そのうち本当に体を壊しかねないんだから」
「えっ、あれ? 俺、シリカさんにそんな話しましたっけ?」
「お前のお母さんから聞かされてるんだよ。何度も挨拶に行ったろ」
あーそんなことありましたね、と、ユースはとぼけるふりして目を逸らす。
騎士を志す前のユースは、外で遊ぶよりも読書が好きな男の子で、それも実は、ちょっと風邪をひきやすかった幼い頃の弱さと無関係じゃない。
そんな男の子が十数年の時を経て、今となっては騎士の名を冠し、剣と盾を以ってグランベナードのような化け物を一対一で仕留める勇士になっているんだから、子供の将来なんて当時は占えないというものである。
何事にも言えることだが、歳月があればあるだけ、未来ってやつは無限に末広がりだ。
「ちゃんと寝ろよ。風邪をひいて仕事を休まなきゃいけなくなるなんて、お前は嫌だろ?」
「そーですねぇ……まあ、もうちょっと目処つけてから寝ますけど」
立場上、お小言をユースに向けることの多いシリカだが、彼にとっては鬱陶しくもなんともない。心配してくれているのがわかる信頼関係が既にあって、今のシリカの表情と声もわかりやすくそのそれ。
報告書作成に目処をつけるまではちょっと……と、譲りきれぬ答えを出すユースのことも、甘受する優しい笑みで見守ってくれるシリカの表情は、ユースの目には慈母のように温かく映る。
ちょっと見とれそうなので、敢えて目を逸らして報告書を注視するほどに。
やっぱり見慣れたはずのユースが見ても、シリカさんは綺麗だし。めちゃくちゃ美人だし。あんまり直視すると変に胸が騒ぐ。
「ふふ」
「えっ、なんですかシリカさん。今笑うとこありました?」
「いや、別に。隊長職、苦労してそうだなあって」
「ホントそうですよ~。報告書作るの、なかなか慣れませんもん」
うーんと背筋を伸ばし、連日のデスクワークの疲れを表すユースに、先輩のシリカも微笑ましいばかり。
数年前、初めて隊長職を背負った頃のシリカもそうだったのだ。そうした過去を経て、今では人を導く立場にあるシリカは、ユースもそうなっていく未来を連想し、先のことを思うだけで毎日が楽しい。
可愛い後輩がどんどん成長していく姿は、先輩から見てどれだけ楽しいか。
ユースを見守る時のシリカの胸の奥には、言葉にし尽くせないほどのエールが生じている。言いだしたらきりがないから、全部は言えないだけ。
「頑張れよ。そしたら、昇格だって視野に入ってるんだから」
「頑張りますけどねぇ」
自信なさげに、でも何とかやっていこうとするユースの姿を、騎士団に報告する役目はシリカが担っている。祖国の騎士団が異国で頑張るユースを見定める要素は、彼自身が作る報告書の出来と、それを客観視するシリカが報告書に描く彼の姿である。
決してまだ、上手に報告書を作れるユースではないけれど、ちゃんと彼の頑張りを見届けてくれる人、評価してくれる人はすぐそばにいる。自分が周りにどう評価されるかなど考える暇もなく、ひたむきに目の前のことに取り組む者に限って、必ず誰かが評価してくれるものだ。
不思議なものだけど、意外なほどに世の中そうである。別に、ユースに限ったことじゃない。
「それはそれは……あまりにも予想外と言いますか……」
「あんな魔物、セプトリア国領内にはおらぬはずなんじゃがのう……そりゃあ山の奥深くまで行けば話も変わるやもしれぬが……」
自室でひと休みした後のナナリーは、謁見の間にてハルマと顔を合わせていた。
玉座に座る女王と従者の立ち位置ではなく、場所だけそこにして立ち話という気安い会話である。
女王ナナリーの不在の間、王の代わりを務めていたハルマに、その間何があったなどをかいつまんで聞いていたのが少し前。細かい話は書面で見るから、ここでは軽く報告を受けただけだ。
話が移り、フーリオ山地でグランベナードやエビルアープに遭遇したことを、ナナリーがハルマに話したのが今である。その出没がセプトリア王国内において、どれほどイレギュラーなことであるのかは、重い声と表情で応えたハルマも物語ることである。
「のう、ハルマ。それは野生の魔物であったと断定してよいものか?」
「非推奨ですね。もっと明確な意思を持つ、支配者によって従えられた魔物であると予想すべきです」
「その支配者が、人である可能性とそうでない可能性は?」
「前者の可能性はやや低く、後者である可能性はより高く。あくまで一般論としては、ですが」
「……魔物を従える人間っちゅうのは、アルバー帝国にもおったそうじゃからの」
「らしいですね。私も対面したことはありませんが、そうした者がいたという話は聞き及んでおりました」
本来あのような場所にいないはずの魔物が現れた事実。それは、単に本来の領分からはずれた強い魔物に遭遇したと楽観的な結論を抱くには早計で、ナナリーとハルマはもう一つの可能性を危惧している。
すなわち、グランベナードとエビルアープ、ひいてはスノーウルフやウェアバットを含む魔物達を、何者かが使役していたという可能性。だとすればそれは、人か、人ならざる者か。
「仮に、何者かがあの魔物達を従えていたとしよう。そいつの狙いは、何であったのか」
「申し上げにくいことですが、あなたはセプトリア王国の女王です。政に関わる者は、命を狙われる理由を挙げる必要がありません。何者かが貴女の命を狙っているとしたら、動機などいくらでも考え得ることです」
「そうじゃな。ユースどのやシリカどの、アルミナどのがおったのはこの上ない幸運であった。流石にニトロ一人では、手に余る相手であったと言えるじゃろう」
「ええ、ぞっとする話です」
強力な魔物だった。恐らく、並の護衛など突き破り、ナナリーにその牙を突き立てていたであろう怪物だ。
ハルマやナナリーの言うとおり、ユース達があの場に居合わせてくれなかったら、今頃ナナリーはここには、この世にはいなかったかもしれない。それほどまで恐ろしい魔物が、ナナリー女王を狙って嗾けられたのだとしたら?
それは、魔物を率いるモンスターの親玉の仕業と考えるより、魔物を率いる人間の仕業と考えた方が合点のいく話。セプトリア王国の女王を亡き者にし、国そのものを大きく揺らすことにより、何かを為さんとする者の存在が、二人の脳裏に顔無く思い描かれる。
「魔物を従える魔物がいるというだけなら、何も問題はない。妾が今後フーリオ山地に行くことなくば、同じ事は起こるまい」
「ですが、魔物を従える人間がこの国に潜伏しているというのなら」
「いつか再び、そやつは妾の首を狙って動く可能性が高いということじゃな」
自分の命が狙われている可能性がある。
その現実を目の当たりにして、ナナリーの幼いはずの表情には、恐怖の色の一抹すら漂わない。毅然とした、冷静な面立ちだ。
過剰に幼い体、実齢とて17歳と、自分の命が何者かに狙われていると知り、心穏やかでいられる悟りなど、本来持ち合わせていないはずの少女なのに。
彼女が女王たる側面は、普段の彼女の姿からはなかなか人民の前に晒されない。
我こそが国を統べる唯一の主君たり、常に気高くあらんとする女王の強固なる信念は、表面化しづらいだけで、どんな時でもナナリーの胸の奥底で熱く燃えている。
今の彼女の表情にこそ、それは燦然と表れている。
「仕事が増えるが構わぬな? 諜報部隊の者達に、密命を回すよう」
「かしこまりました。取り越し苦労であることを切に願います」
「かの者の正体が人であった時、あわよくば生きたまま妾の前に引っ立てられるか」
「致しましょう。セプトリア王国女王様の意のままに」
魔物を率いていた何者かというのがいるとして、その真偽を確かめるという任務。いるならそれが、果たして人か魔か。結論はそれからである。
そしてそれが人であり、ナナリー女王に魔物を差し向け、亡き者にしようとする者であった場合。
あわよくば、の言葉が意味するのは、生きてそれを引っ立てることを、固くは命じない表れだ。
すなわち、生死問わず。一国の主君の命を狙う者に、どのような末路が訪れて然るべきかを、17歳の少女がはっきりと正しく見据えている。
「……ところで、ハルマ」
「はい」
「ぬし、妾らがフーリオ山地に赴いておったこと、他の誰にも話しておらぬよな?」
「勿論です。触れ回っていいことではありませんでしたからね」
「……そうか」
ナナリーは、表情を変えずにそう尋ねた。ハルマも淡々とした声と表情だ。
「今日のところはここまでとしよう。妾も、一度色々考えてみる。一人にして貰えると有難い」
「心得ました。何卒、お体にお気をつけて」
考え過ぎて心労に至られませぬよう、という気遣いを沿え、ハルマは謁見の間を去っていく。見送ったナナリーは、王として、あるいは足を休ませるため玉座に腰かけ、ふうと一度息をつく。
考えれば考えるだけ、嫌なことを考えねばならない。
グランベナードらに襲撃を受けたその日の夜から、ナナリーにはずっと考えていた仮説がある。
そもそも今回、ナナリーがフーリオ山地に赴いていたことは、ごく限られた一部の者しか知らないことである。お忍びの外出だったのだから。
ナナリーは魔法都市ダニームという街に、政治的な目的で赴いたというのが公に知らされていることであって、実はあの場所に行っていたという事実は、ごく少数の者しか知らない。
具体的には同行したニトロとユース達、同行した御者。加えてハルマのみということだ。
何者かが魔物を操り、王都を離れて護衛の手薄なナナリーを狙ったというのであれば、これはまたとない好機であっただろう。
一方で、彼女の行き先を知らねば、そこで手先をけしかけることなんて出来ないのだ。後をつけて行き先を知り、それをするというのでは、準備というものが足りない話である。
あらかじめナナリーの赴く先がフーリオ山地だと知り、充分な時間を持ち、周到に人目のつかぬ山中で襲撃をかけられる人物がいるなら、それは果たして誰だろう。
決してそれが人間による、計画的なものであると、現時点で決まったわけではない。
ただしそれが事実であるなら、犯人像もかなり絞られるということだ。
「…………」
ナナリーの頭の中には一人、容疑者がいる。信頼できるはずの人物だ。
その人物の言動を思い返し、その可能性があるか無いかを考える。ナナリーの持論の中では、彼の態度はそれらしくなかったのだが。
わからなくなる。数年前の動乱を経て、今や大安の時代を迎えたはずのセプトリア王国。
そこに小さく闇が生じ、胎動を見せている予感に、ナナリーは嫌な胸騒ぎを覚えていた。




