蔦漆
ゾードを失うのが怖い。
地上の死が、死とは無関係のはずの仙女のユーリに重くのしかかる。
時が確実にながれる、地上。下界の理。
天界は天主の力によって支配される。なのに、地上は――時が支配しているかのように、生きものすべてに平等に時が流れて死が訪れる。
生まれたものは、死ぬ。
それが当然のような理が下界にあった。
――だからこそ、濃密なのじゃな……地上の花は。
書を抱えたまま天界を後にしたユーリは、地上に降り立つ直前、空から地上を見下ろした。
地上の十日。
いまや、すでに風景の色がかわっていた。
花畑の色が黄色や茶が主流になり、連なる山々は緑の部分と赤や黄色のところ、葉の落ちた木が並ぶところ――生気に満ちていたころとは様がわりしている。
ずっとずっと――……おそらくは、ゾードがこの地上に生を受けるよりはるか前から、仙女のユーリは戯れで下界に降り立ち、好き勝手に花の生気を吸ってきた。
だが、ゾードと出会った地上でいうたった「数カ月」のおかげで、ユーリは初めて気付いた。
――あぁ、地上は時が巡る。季節が移る。はじまりと終わりが、ひとつの流れとなってすべてをのみこんでいく……。
――それゆえに、咲き誇る花があり、失わんとするゆえに、泣き笑い――……生きるのだ。地上の生きものたちは、濃い生気を放って。
下界である「地上」は、天界のようないつも常に安定した日差しが注がれている世界とは違う。
日向のようなあたたかな暮らしができるものもいれば、ゾードのようにかたすみに追いやられた暮らしの者もいる。
生きいきとした花もあれば、うまく育たず実を結ばずに枯れゆく草木もある。
満ちた湖もあれば、干からびた池もある。
不平等だらけで、均一なものがない世界。陽もあれば、陰もある……それが地上。天上とは違う、世界だ。本来ならば仙女の私と時が重なることがない――世界。
下界と呼んで蔑んできた世界は――生きた、世界。
けれど、その生きいきと生気を濃密に放つ世界が、ゾードを追いだそうとしている。
ユーリにも手の届かない世界へと。死の国へと。
天界からはまったくもって関与できない――世界へと。
ユーリは、見下ろす世界をじっと見つめた。
「否。私は――ゾードと共に生きる。時は流れる、流れてしまう――けれど、手放したくないのだから、仕方なかろう?」
ユーリは、ひとりごちた。そして、地上を見下ろしたまま、ぎゅっと胸の書を抱きしめた。
「時の流れが違うならば……一心同体になればよい……」
――ゾード、ゾード――……ひとつになろう。
今からむかう、巨人の姿を思い描く。
黒い髪に黒い瞳。がっしりとした首にユーリよりも何倍もありそうな腕っ節、肩幅、無駄な肉のない体躯。巨人族の中であれば小柄な部類なのかもしれないが、ユーリからすれば腕をまわしたって届かない巨体のゾード
土で汚れた指先。けれどユーリに触れる前には必ず手拭で指先を拭くのをユーリは知っている。
ささやかな気遣い。
いつもいつも、穏やかな瞳――……。
お前は死ぬ。このままでも、結局は胸の靄は全身に広がり、死んでしまう。
そして私と「別々」のまま死が訪れれば天界の仙女の私とお前は、永久に別々のまま――魂が一つになることはない――永久の別れが待っている。
ぎゅっと抱きしめた書を指でたどる。
そうだとしても、命が一つになれば……共にいられる。……名案だろう?
落ちくぼんだユーリの目、けれど、その瞳はギラギラと輝いている。
***
「ゾード……?いないのか……ゾード?」
訪ねると、畑にも花畑にも、かの巨人の姿がなかった。しかも畑の土がみたことがないほどに乾き、花畑もしぼんだ花がらがそのままになっている。
ユーリは背筋にはいあがる恐怖で、身体が震えた。
今までと違う畑の姿に、強い不安を抱いたままゾードの住まいである小屋に急いだ。
バンバンと戸をたたくが返事はなく、ユーリは勢いよく開け放った。
「ゾードっ!」
中を見回すまでもなく、ユーリは小屋に飛び込んだ。
ユーリは、かつてないほどに大きく目を見開いた。こけた頬でさらに息をのみ、顔面蒼白となる。
ユーリの視線の先にあるのは、部屋の端で倒れている大きな身体。
「ゾードォッ!!!」
寄ってみると、息はかすかにしていた。
だが仙力で見える病の黒い靄は、すでにゾードの全身を覆って、どろどろととぐろを巻くようにしてゾードに絡んでいた。
それはまさに黒い靄の蛇がゾードの命をのみ込もうとしているように見えた。
ユーリは宙を浮かず、ゾードの隣に座り込み、倒れた巨体の顔をのぞきこみなりふり構わず大声で名を叫んだ。
「ゾードっ!目をひらけっ!」
名を呼んでもくたりと力が抜けていることに恐怖をおぼえ、ユーリはガクガクとゾードの身体を揺さぶりつづけた。
すると、ゾードはわずかに閉じていたまつ毛をふるわせた。
「目をひらけ、のみこまれるなっ!」
檄を飛ばし、ユーリはゾードに自分の生気を注いだ。
ゾードは、ゆっくりとだが目を開いていった。
まぶたはあがったものの、苦しいのか潤み赤くなった目だった。最初、視点が定まらなかったが、しばらくするとユーリの与えた生気が巡ってきたのか焦点があってきたので、ユーリはホッとしてへなへなと力が抜けた。
ゾードといえば、ただじっとユーリを見つめていた。
くいいるように……じっとじっと。
「ゾード……」
ユーリは呼びかけて、そっとゾードの頬に手をあてた。血の気を失っていたからか、妙にひんやりとした頬だった。
ユーリがゾードの指先で頬をさすっていると、ゾードの唇が少し動いた気がした。
呻いているのか――……?
ユーリはゾードに呼びかけた。
「――……ゾード、ゾード、そなたの死は止められぬ……だがな、ゾード……」
手に抱えてきた書を見せつけるように、ユーリはバサバサと巻物の書を開いた。
「そなたとひとつになる方法を探してきたのだ。……勝手に命を失うなど許さん!」
ゾードはユーリの言葉が聞こえているのか、瞬きをした。
唇をゆっくり動かしている。動かしているが――……漏れ出るのは、呻きのようにユーリには聞こえた。
「聞えておるのだな?……ゾードは、私と共にいたいか」
ゾードが瞬きした。
そして、すこし目尻をゆるませた――笑むように。
「肯定しておるのか?」
問うと、ゾードがまた瞬きした。
ユーリはひとまずほっとして肩の力が抜けた。だが、その途端、目の前でゾードはゴホッゴホッと全身をひきつらせるようにして咳こみ始めた。
あわててユーリはゾードの背中をさすった。
明らかに息苦しそうで、屈強であるはずの全身を咳をするたびに全身を硬直させていた。
ユーリはいたたまれない気持ちになった。
「ゾードっ!……ゾードよ……探しても探しても、死が訪れないようにする術は見つからなかった。そなたが仙人になる修行をする時間も残されてはいない。……だからっ……」
ユーリは一度ごくりと息をのんだ。
それから、ぐいっとゾードの頬に唇を寄せた。
「ゾードよ……花になってくれないか」
言葉にした途端、ユーリは涙が出てきた。
自分のさするゾードの巨体の背の靄が黒くなりとぐろを巻き、今にも……すぐさま、ゾードの命を、ユーリの手の届かない死の地底界へと引きずりこんでいこうとしていたからだ。
ユーリはぎゅっとゾードにしがみついた。
「花になって……花になって――私が、そなたをすべて摂りこむ――……そうすれば、何者も我らを分つことがない――……ひとつになれるっ……死に……死にもっていかれるくらいならば……そなたの生気を……私にくれ……ゾードよ……」
ユーリはゾードの頬に自分の頬を擦りつけた。
はじめて触れ合せた頬。ゾードの頬は冷えていてザラリとした髭の感触がした。
生々しいその質感をもっと味わいたくてユーリは自分の頬を押し付けた。
「この十日、閉じ込められていたのじゃが、そこで私は習得したのだ……仙力で、地上の命を花に変える法を見つけたのじゃ」
ユーリはゾードの頬にごしごしと自分の頬を擦り続ける。首元に抱きつくようにして。
自分の足や衣が床についていたが、もう何も気にならなかった。
「術は私が行うゆえに……私の真名、前に教えたであろう?……それを呼んでくれれば良い」
ゾードの頬がこすりつけているうちに、ほんのりとぬくもった気がした。
彼の息が、生気がほんの少しでも零れ落ちるのはいやで、ユーリはさらにこすりつける。
ぬくもりなら、すべてくれてやる。
だから――死にもっていかれるな、ゾードよ。
「花になれば、もう息で苦しむ必要もない――私がそなたをすべてこの体内に取り入れよう。いい案であろう?すべて一つになれば――-もう私が死んだとしても、共にあるまま消失することになる」
ぎゅうっとゾードに抱きついた。
そのときゾードの手がわずかに動いたのを感じた。
巨人のたくましい指先が仙女の髪に触れる。
大切そうに数筋の髪に指をからませた。
「良いのか……」
応えるように、ゾードの手がユーリの髪をわずかに撫でた。
ユーリは震えた。
「名を呼べ……呼んでくれ……それで術の完成となるのだ。声が……出ないのはわかっている、じゃが、名を呼ばねば完成とならぬ……呻くようで良い、だから――……」
ユーリはゾードにそう言って、もう一度ぎゅぅっとしがみついてゾードの胸に顔を伏せた。
「ひとりにはさせぬ、ゾード。すべて吸いとって、私の中に入れば――……もう、ひとりではない、そなたも、私も……」
ドクンドクンドクンドクン……
まだ聞える。
命の音が……まだ……
ゾードの唇がわずかに開いた。
ユーリはそれをみつめ、ごくりと息をのんだ。自分が仙力をこめて自分の全身に編み込んだ術の糸がゾードの声によって完成する……してくれと、願う――そのとき。
ゴホッ……
それは唐突だった。
ユーリは自分に熱い液がかかるのを感じた。
ゴホッ……ゴボッ……
視界が――咲き乱れる、花のように――赤く赤く赤く――……。
ゾードが。
ゾードが、血を吐いていた。
深い咳と共に、ゾードの口元……それだけでない、すべてが――……。
黒い靄が赤い花と混じりあう。
目の前のユーリの世界が二色に占められていく。
ユーリは目を見開いた。
「ゾードォぉッ……呻きでも良いっっ……私の真名を呼べ、呼ぶのじゃっ」
無我夢中で叫ぶ。求める。
術の完成は――……すぐにできる、もう仕込んであるのだ……仙力を使って。
そのときだった。
喀血するゾードの口元が動いた。
真っ赤にそまる唇で、ゾードは全身をふるわせるようにしながら――呻いた。
呻き―-……ではなかった。
「……ぅゆ……りぃ…………ぐぁ………」
吐く音に混じってでた呻きのような唸りは、一人の名をあらわした。
と、同時にユーリの髪が仙力の解放で、いっきにぶわっと舞い上がる。
黒の病の靄と真っ赤な鮮血だけの世界に、金糸の髪がキラキラと舞い散る。
「ゾー……」
ユーリがこたえるまもなく……仙女の力がいっきに小屋を充満した。
その刹那、轟音と共に風が唸りをあげ、小屋に満たした光が一気にゾードの住まいの小屋を吹き飛ばした。
ユーリの術はすべからく風の形となり小屋の周り一帯の畑や花畑の植物という植物の生気を術の糧とするべくひと息に吸い取った。すさまじい風の中、ゾードの肉体を抱きしめていたユーリは気づかなかったが、瓦礫の山となっていく小屋の周囲の植物たちはどんどん生気をすわれ枯れ果ててゆく。
そして周囲へと吹きすさぶ風となった術が生気を吸いあげ切ると、次は一気に竜巻のような大きなうねりへと変化した。吹きすさぶ風が一点に集中するがごとくぐるぐると巻きあがり――まるで大地を突き破る槍のようになり、嵐の中でユーリの抱きしめるゾードの身体をあっというまに貫いた。
そのゾードが術による生気の塊りの槍に貫かれた瞬間、爆発するかのような衝撃が起き、ゾードを抱きしめていたユーリが跳ね飛ばされた。
――吹き飛ばされていく中で、生気の刃が貫いた大きな巨人の身体が一気に光に包まれて――変容していくのをユーリはみた。だが、最後まで見届けぬままにそのまま地に叩きつけられて――ユーリは目の前がまっくらとなった。
***
気がついたユーリが顔をあげると、闇であった。
ユーリはかつてないほどに全身に痛みを感じていたが、どうでもよかった。
「ゾードは?ゾードはどこじゃっ、ゾードの花はどこじゃ……」
ユーリは何も見えなくなっていた。
手探りで、四つん這いになって探す。
――術の光りがゾードを包んでいたはずだ――……。
どこじゃ、どこじゃ……ゾードよ……どこじゃ。
だがユーリが手に感じるは、枯れ果てたカサカサとした葉の残骸か、乾いた土のみ。さきほど、術が生気を吸いつくした花のなれの果てしか手にできず、ユーリは見えぬ目でずるりずりと傷ついた四肢をひきずりながら探し回った。
「ゾード……ゾード……」
そのときだった。
突然、柔らかな葉を手足に感じた。
葉だけでなく、絡んでくるような、蔦の感触。
柔らかな葉、おずおずと触れてくるかのような蔦の感触に、ユーリは光を失った目を見開いた。
巨体のゾードが、あの太い指をそっと拭ってから、おずおずとユーリに触れてきた記憶がまざまざとよみがえる。
「ゾードか!ゾードなのか!!」
ユーリはその触れた蔦と葉を傷つけない程度の力で、必死にたぐりよせた。
「ゾードよ、花は!?私が吸うべき、花は……どこじゃ……」
前にゾードが木を上って探してくれた寄生花のような、小さな花があることをユーリの指がとらえた。
甘い花びらとはいかないが、ユーリにとって……小さくとも愛しき花。
「ゾード……見つけた。ゾードの花じゃ……これを吸って、やっとひとつになれる……」
ユーリは指先に触れた花にそっと手をかざした。
だが。
その瞬間、ユーリは顔面蒼白になった。
わなわなと震え始める全身。
花にそわせる指先が血の気を失い、真っ白になる。
「……な、ぜ……じゃ……なぜなのじゃ……」
ユーリの口から零れ出るは、呻くような言の葉。
震える指でつかむ葉に、蔦に、ユーリは顔をうずめた。何色かは見えねども、その感触は優しく、巨人のやさしげな風情を思い出す。
だが――……。
「これじゃ……これでは、吸えないのじゃ……ゾードぉぉぉぉぉぉおっっっっっっ」
葉と蔓――蔦。
大地にはびこるような蔓。
光を失ったユーリには見えないままだが。
ゾードの住まいの小屋は吹っ飛び、隣のゾードが丹精込めた世話していた花畑や畑は仙女の術によって生気が吸いとられ、すべてが枯死した茶色の一帯となっていた。
その中で、異様なほどに青々とした蔦と葉だけがあった。
ゾードがいたその場所に。
今や、金の髪もぼろぼろに乱れ、涙でぬれ土に汚れたユーリに絡みついていく――蔦。
葉蔭につける、小さき花。
けれど。
「ゾードよ、ゾード。なぜ……なぜ、雄株なのじゃ。雄花からでは……私は生気を吸えぬ……」
力なくユーリが言葉を吐く。
葉と蔦に顔をうずめると、こたえるように蔦と葉がユーリに絡む。
ユーリは、花の生気を吸う。だが、厳密にいえば、ユーリの仙女の力は花の「雌」に反応し、雌しべから吸うのだった。ゆえに、前にゾードが木から落ちたときも、そばに合った花が雄花だけで生気がすえず、せっかくもらった寄生花の生気を吸うしかなかったのだから。
「……ゾード……ひとつになれぬ、ゾード……」
***
座りこみ、ただただそう呟きつづけるユーリのもとに、天から一筋の光りが差しこんだのは、ゾードの小屋が術で吹き飛ばされてのちしばらくしてからだった。
差し込む光にまぎれて、麗しい美丈夫の男の姿が現れた。地に足をつけず、宙に現れて大地を見つめるその姿は、もしヒトが見れば天の使いと驚いて腰を抜かしたことだろう。
天主がその姿を光にまぎれこませて、ユーリの元に現れたのだった。
「ユーリよ」
天主の声が光から厳かに零れ落ちる。
けれど、ユーリは返事をせずに、蔦を抱きしめたまま首をただただ拒むように横に振った。
そんなユーリを淡く光ゆれる中で天主は見つめ、そして口を開いた。
「ユーリ、術は……成功しているのだよ」
響いた声にユーリは肩を揺らせ、さらに拒むように首を横に振った。震える唇が言葉を発した。
「……ひとつに……ひとつになれぬ……」
「その者は、お前の名を呼んだ。必死にな――だからこそ、変化した。お前の望む結果ではなかったかもしれぬが術は、完成している」
天主は、先ほどの嵐の中にあってもなお少しも破れておらず地にぽつんと残る書に目を向けた。
「お前が持ち出した書に書かれた術は、人を植物にするが――その本質を抱えたままに変容させるだけ」
「……」
「願いもまた、その本質の中に深く刻み込まれておる。男だったゆえに、雄株となったのは本質であろうが――……男でありつづけたかったのも、その者の願いということであろう」
天主の言葉に、ユーリははじめて顔をわずかにあげた。見えぬ目はそのままでも、天主の言葉に耳をかたむけるように、天主のいるほうへと顔を向ける。
「また、この”蔦”の身体こそ、この男の想いである。数え切れぬほどに、地上には花や草木がある。その中で、この姿になったということ、この形こそ本質、真実の想いの形」
「……」
「お前の想いだけでひとつになるわけではあるまい――その者の想いを、お前は受け取らぬのか」
天主の言葉をユーリは涙に濡れた目を瞬かせて聞いた。もう光はうつさぬが、ユーリはいつだって巨人のあたたかな大きな身体を思い浮かべることができる。
そして、会いに行ったときの、嬉しそうに笑んだ黒い瞳の煌めきを。
《ひと 来る》――……かつて尋ねた、ゾードの楽しみ。
それが、その結果がこの蔦なのだとすれば――……。
やわらかな葉、傷つけぬようにそっと触れて……そばにいるよというように、絡みつく蔦。
ユーリに絡みつく、蔦。
「……ゾード」
ユーリの唇から、名が零れ出た。
蔦。
触れていたい――ずっとずっと、触れていたいと――泣くように叫んでいる心。何かに絡むようにして伸びゆく蔦と葉、光を求めるためには何かに絡みつかねばらなぬ――……その孤独な心。
蔦の葉が揺れる。
ゾードは、自分で立つ大木にも、優しい香りを放つ花木にも、さわやかな風を受ける草花にもならなかった。
――……雄株のまま、蔦になった。
「……ゾード……ここにおるのじゃな」
ユーリは葉をやさしく撫でた。
しっとりとした蔦、柔らかな産毛をまといつつも芯のある葉は、ゾードの温和でありながらも心強き様そのままのよう。
――ゾード……。
しばらく味わうように、蔦に触れたユーリはふふふと笑った。
「ゾード……」
ふふふ。
ふふふ。
応えるかのように、蔦はユーリに絡みつく。
いつもいつもそばにいたいと歌うように。
「こうしていれば……ひとつなのじゃな……ずっとそばに……」
ユーリの唇から笑いと一緒に、明るい言葉が零れ落ちてゆく。
ふふふ。
ふふふ。
天主は、蔦と戯れるように寄りそい合ったユーリを見つめて言った。
「ずっと、そばにいてやるが良い。……術によってこれだけ大地を崩壊させた仙女はもう天界でも受け入れきれぬ。そもそも仙力も残っておるまい。また下界の生気をここまで荒らせば、律が崩れる。私は天主としてここに生気みなぎる森でもつくらねばならぬゆえ、その最奥に茨の檻を作ろう――そこでお前達は永久に過ごすことを命じる。お前は茨の生気を分けてもらえばよい」
天主の言葉を――すでに聞いておらぬような、幸せに満ちたユーリの表情。
艶やかな葉。
葉がかさかさと揺れる。
風がまるで二人を祝うがごとく、ユーリと絡まる蔦のまわりを穏やかに舞っている。
その姿をみて、天主はほんのわずかに唇の端をあげた。
「その蔦は……人間をまったく寄せ付けない種。忌み嫌われる種の蔦になってでも、そばにいたかったか……その者は。これでは茨の檻では、罰にはなりはせぬな。お前達には幸せなふたりきりの楽園……」
天主はひとりごちた。
その間にも蔦はユーリの身体にどんどんと蔓をのばし、絡みついてゆく。
――生きいきと。さも、嬉しそうに。
天主は金の瞳で蔦をながめ、そしてうっとりと蔦に身をゆだねるかつての仙女を見た。
「……さて、絡みついたのは……どちらが先だったのか」
天主は苦笑をまじえて、そう最後に言った後、大地にぽつんと残っていた書を手に取り、かるく埃をはらった。
そうして書は大切そうに抱えたままに、けれど、もうユーリと蔦の方にはまったく目をむけることなく、枯れ果てた大地を森にする作業に移ったのだった――……。
***
とある森の奥地には、いつも美しい歌声が聞こえるという。
迷いこんで奥にはいったものが見たことには。
まるで牢獄のようにからまった棘だらけのイバラの檻のような中に、身体に蔦を絡ませて、小さき雄花を口に含み愛しげにその葉をなでながら、ただただ歌い続ける――女がいたという。
また別の話では。
秋にはその蔦は、葉も何もかも真っ赤に染まり、女を艶やかに染め上げるという。
けれど――その葉の赤さ、それらは女のみに捧げられ。
人は決して近づけぬという。
人がそこにわずかにでも近づこうとするならば。
すべてが焼けるように――……爛れるそうだ。
爛れた皮膚は、痒みと痛みに苛まれる。
ゆえに、だれも――そこには近づかぬ。
蔦と女。囲む茨。
不思議なことに女人も衰えず――……大地を守る女とも、魔物の化身だとも言われている。
そしてまた、蔦も一向に枯れる気配なく、土と光と雨の恵みを受けながら、女に寄りそい続け四季折々に美しく色を変えるという。
艶やかに、悦びに満ちて。
その蔦の名は――蔦漆。
fin.
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
この物語は、診断メーカーの「朝野ときは、10RTされたら『病気がち』な『マッチョ』と『ツンデレ』な『仙女』の組み合わせで、ヤンデレ話を書きます!」という診断結果をツイッターに投稿したのち、RTが達成したことにより執筆したものです。
RTしてくださったかた、また、最後までお読みくださった方、ありがとうございました。