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這い寄る厄災(1)

百合ではありませんが、女性同士のちょっとした絡みがあります。苦手な方はご注意を。

 


 幸せは望んでも、努力しても、得られるとは限らないのに。


 不幸は望んでいなくても台風のようにやってくる。



 全く以って不条理だ。





●●●●●





「はっ、はあ……!はあ…!」


 ああもう、一体私が何をしたというのだ!




 フィリアスは、夜の王都を全力疾走していた。

 折角綺麗に梳いてもらった髪がボサボサになるじゃないかどうしてくれる!という毒吐きも、この状況が長引く程にそんな事を考える余裕等フィリアスには残って居なかった。

 日々立ち仕事をしていて体力に余裕を持っていたというのに、長時間速度を緩めずに走っているせいで心臓が破裂しそうに脈を打ち、時折窒息しそうな程息が詰まる。時折擦れ違う住民達の奇異に満ちた視線を恥ずかしい等と考える時間も、暇も無く、悲鳴を上げ始めた筋肉と骨の関節が切々と痛んでも、ふらつく足を止める訳にはいかない。


よくよく考えてみれば、幾らフィリアス自身が悪く無い筈だといっても暫くの間、そう、せめて"彼等"の怒りが冷めるくらいの期間くらいは、学院や魔導師達から離れて過ごすべきだった。

 望まざる結果とはいえ、非が全く無いかと言われれば是と答える事が出来ない自分が歯痒く、愚かさに頭が痛くなる。


 薬草学が楽しみだからって、今回くらいは我慢すれば良かった。


 至らなさに思わずと涙すら零れそうになったが、疲労困憊状態の身体にはどうやら涙を一粒零す体力すら走る行為に引き摺られているらしい。眼球には涙の膜では無く、走る事で生まれる乾いた風の感触のみで、其れが余計にフィリアスを惨めにした。





●●●●●





 遡る事数時間前、昼を少し過ぎた時間。


 フィリアスは"王立魔導学院"の敷地内にある、とある講義室の一番隅で、目立たないように学院の制服である長衣(ローブ)の色に似た布で頭からすっぽりと覆い隠し、至極の一時を過ごしていた。

 何故毎年不合格となっている学院にフィリアスが居るのかというと、簡単な事である。

 確かに、合格せねば専門的な勉強等出来ず、魔導師にもなれぬ。しかしながら、幾つかの教科の、幾つかの授業に於いては、魔法に興味を持つ者なら誰でも見学が出来るように、一般の者にも門戸が開かれているのだ。

 その一つに"薬草学"というものがある。直接魔法とは関係が無いように思えるが、調合一つで様々な効果を齎す効果は、決して人だけに留まらず多少なりと大地を潤し、干して乾かし粉にしたものを濁った水へ根気良く撒けば、(やが)て精霊達の居心地良い自然へと還る。

 つまり、人だけで無く自然そのものと向き合う事のできる薬草学を学べる絶好の機会であり、何よりフィリアスはこの薬草学がとても好きだった。


 呪文スペルを使わず、精霊達を従わせず、自分の手と自然の力を少しだけ借りて、人は世界と共存出来るのだから。


故に、この五年近くの間フィリアスは薬草学を始めとし、参加する事を許された幾つかの授業にひっそりと潜り込んでは熱心に講義へ耳を傾けていた。

 本来であれば今日の講義も意気揚々と参加するつもりであったのだ。

 ただ、数日前に市場(マーケット)で受けた悪意をすっぱりと忘れられる程フィリアスはお気楽な性格では無く、見た目に分からずとも内心では多少なりと引き摺っていた。だから、少しでもあの時の魔導師達と遭遇する可能性が高まる学院に行く事を一度は躊躇い、諦めようかとも思っていたのだが。


「……やっぱり来て良かった」


 葉の僅かな成長具合で、効能が全く異なる珍しい薬草の特徴を細かに羊皮紙へ書き記していた手を止め、綻んだ顔を隠そうともせずに、フィリアスは一人ごちた。

 学院からこの講義室に入るまでは、出来るだけ目立たないように敷地の端を歩き、過日の魔導師達と出くわさない事と、同じ講義に居ない事を切望しながらだったのだが、どうやら杞憂に終わったようだ。


 それもそうかもしれない。

 フィリアスは心中にて微かに苦く呟いた。

 

 四人が四人、皆全身から矜持(プライド)と自信を漲らせていたのだ。魔法を"自在に"使えると思っている彼等が、薬草学の、それも一般人も参加出来るこの講義に来る筈も無い。そうは理解していても、ある意味目立つ髪と瞳の色を隠す為にこんな衣まで用意してしまったのが何だか恥ずかしい。

 

「――では、本日はこれまで」


 フィリアスが一人意識の淵で納得している間に、残り少なかった講義の時間も終了を迎えたらしい。深く落ち着いた、叡智に満ちる瞳を柔らかく細め、白髭で口元の見えない高齢の老魔導師が終了の合図を告げると、皆それぞれに次の講義や、暫しの休息を得る為に軽い足取りで出て行く。

 一般人が見学する事の出来る講義は、今日はもうこれだけだ。フィリアスは羊皮紙を丁寧に畳むと長い衣の内側へと仕舞い込み、ゆっくりとした足取りで出て行く老魔導師へ頭を下げてから、未だ日差しの眩しい外へと踏み出した。


 さて。

 部屋に帰ったらイクスに手紙を返して、講義の復習をしよう。

 小さな至福の一時を思い、頬を綻ばせながら部屋へ戻るべく、フィリアスが出口へ向かい歩き出したまさにその時だった。




「フィリお姉さまああああああああああああ!」


「……っ!?」



――がすんっ!




 くびが、くびのほねがいやなおとをたてました。


 


 突如として響き渡る歓声混じりの声に、周囲がぎょっとする間も無く、背後から物凄い勢いで飛びついてきた物体にフィリアスは地面へ蛙のように押し潰された。勿論、受身等取れる筈も無く、首と顎とその他諸々の箇所に感じる疼痛に軽く呻いた後、剣呑な眼差しを押し潰した侭、離れる気配さっぱりと見せぬ人物へ向けた。

 けれど、すぐに薄紫色の瞳は丸く見開かれる。


「ミルリィ!」

「お姉さま!お会いしたかったですー!」


 腰迄あるふわふわと曲線を描く柔らかな髪は、水に青を少しだけ溶かしたような、水銀の輝きを纏った淡い水色。長い睫毛に縁取られたオリーブ色の瞳はきらきらと輝いていて、知らぬ者が見れば陶器人形(ビスクドール)に命が吹き込まれたと錯覚する程の、天使と見紛う整った造形。

 しかし、少女が身に纏う長衣(ローブ)と、左胸部分に輝く宝珠のブローチは、鮮やかな翠玉エメラルドであり、"王立魔導学院"の魔導師ウィザードだと分かる。




 ミルフェリア・フォーレルランス。




 古くから続く魔導師の一族内でも歴代に入ると言われている少女。フィリアスよりも小さな身体に並々ならぬ魔力マナを秘め持ち、操る魔法は正確無比。

 二つ名こそ与えられていないが、"風の詠み手"の二つ名を持つヴィーツェルアと並び、本来ならフィリアスがこのように滑らかな頬で擦り寄られる事等あってはならぬ程に、有名な存在だ。

 それがなぜこのように殺されかけ…いやいや、過剰に懐かれているかと言うと、彼女はヴィーツェルアと遠縁にあたり、幼馴染なのだ。その関係でヴィーツェルアを介して知り合い、フィリアスよりも年齢が一つ下というだけだというのに「お姉さま」と呼んで憚らず、何が良かったのかこの懐かれ様。

 ヴィーツェルアとミルフェリアが二人並んで立って居るところなんて、ちょっと似た容姿が神掛かっていて非常に眼福もの、不可侵にすら思えるというのに。


 ええい、ぴったりひっついて頬に擦り寄るのは止めなさい!

 いや、滑らかな肌はすべすべで気持ち良いけれども!

 様子を見ている周りの魔導師ウィザード達が引いてますよ!


「先日お伺いしようとしていたのに、ヴィルが止めるからお会い出来なくて……でも、今日は薬草学の公開講義があるから、終わるのを見計らってましたの!」

「そ、そう……一緒に講義、受ければ良かったのに」


 フィリアスが薬草学を始め、一般人にも公開されている講義に足繁く通っている事はヴィーツェルアもミルフェリアも既知の事だ。その為、日程(スケジュール)さえ知っていれば、会う事等造作も無いのだが。


「ふふ、お姉さまは講義を受けていらっしゃる時、誰よりも真剣で、誰よりも楽しそうなんです。 それを私が横から邪魔する何てできません」


 親愛表現(スキンシップ)は毎回少々過激で、その度にフィリアスは身体の何処其処が痛んだりだとか、心臓が冷える思いをするのだが、彼女を疎めない理由はここにある。

 ヴィーツェルア同様、ミルフェリアも又フィリアスを"友人"だと、認めてくれているのだ。講義は一時間以上に渡る、その間妙なところで律儀なこの友人は、きっと外で待っていたのだろう。フィリアスに会う為だけに。

 もしも自分の性別が男だったなら、問答無用でお嫁さんにした。いや、ミルフェリアが断る可能性だってあるのだが、それくらい良い子である。


「ありがとう、ミルリィ」

「私がお姉さまにお会いしたかっただけですもの!お礼を言われる事なんてありません」


 はにかんだように微笑む仕草がフィリアスだけでなく、周囲の魔導師ウィザード達にまで影響を与え、顔を赤くしている者も居るが知った事ではない。

 この笑顔は、今フィリアスだけのものなのだ。


 漸く地面に押し倒した侭、会話を続けていた事に気付いたらしい。慌ててフィリアスの上から移動し、起き上がりやすいようにと手を差し伸べてくれるミルフェリアへ、手を伸ばそうと持ち上げた時だった。



「……何故お前が此処に居る!」



 空気を裂くような鋭い叱責に、和らいでいたフィリアスの気持ちが一瞬で張り詰める。

 語調に含まれる、隠し切れぬ感情は嫌悪と、憎悪にも似た負の響き。自分と違うものを嫌い、嘲るその声色など誰が言ったかを確認せずとも、フィリアスにはすぐに分かった。

 

 ミルフェリアに飛び付かれた時、被っていたフードが落ちて、フィリアスの目立たぬ灰色の髪と薄紫色の瞳が露になっていたのだ。嗚呼、それでか、と嫌に冷静な頭で淡々と思考を巡らせると、フィリアスは地面から半身を起した状態で、ゆっくりと首だけを背後へ巡らせた。



「出来損ないのくせに……」



 小さく、微かな呟きこそが毒を孕んだ針。

 先日市場(マーケット)で出会った四人の魔導師ウィザード達のうち、三人が蔑みの眼差しをフィリアスへと向けて、立っていた。



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