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王子様の苦悩

 夕刻、フィリアスはヴィーツェルアと別れ、自宅への帰路をぶらぶらと辿っていた。

 

 

 何というか、考えが纏まらずに混乱している。困惑しているとも言うのか。今迄目を背けていた事が、急に目の前に突きつけられて思考が対応出来ていない。

 もやもやとした言い知れぬ感情が胸の奥で渦を巻いて居座っており、これはきっと暫く消える事はないだろうとフィリアスには分かっていた。

 ヴィーツェルアの御蔭で、仕事は休みである。

 これからフィリアスには特にこれといった用事も無いし、今の状態ではきっと何も楽しくはないだろう。ならば、自室に戻って熱い珈琲でも飲みながら、読みかけの本を読むのも良いかもしれない。

 そうと決まれば善は急げである。フィリアスは、先程よりも少しだけ弾んだ足取りで石畳の通りを軽い足取りで進んだ。



●●●●●



 "聖域の森"の近くにある村から、フィリアスが王都へやってきてから約五年と少し。

 フィリアスの住居は、大通りから一本細い道に入り、直ぐに目に入る宿屋の三階だ。

 右も左も分からぬ当時のフィリアスを、気の良い店主が使わぬ部屋を紹介してくれてから、ベッドと簡素な木のテーブル、後はちょっとした調理器具を置いたら殆どスペースの無い、部屋と見紛う程小さなこの部屋がフィリアスにとって居心地の良い"城"である。

 


「お、おかえりフィリ!今日は早いねえ」



 ちょっと頭髪の後退が気になるが、それ以外では中年と思えないがっしりとした体格と、気さくな性格で、訪れる者の多い宿屋の店主ペテロがフィリアスの姿を認めると、声を掛けてきた。


「ただいま、ペテロさん。 えーと…ちょっとお休みを貰って」

「おや、体調でも悪いのかい?なら早く部屋に戻ってしっかり休むんだよ!」


 体調は頗る(すこぶる)良いのですが、強いて言うなら精神的にでしょうか。

 心配そうに聞いてくれるペテロへ、ちょっと曖昧な笑みを浮かべるとフィリアスは優しい言葉に甘える事にして、一階から二階、二階から三階への階段を上がり始めた。


 三階の西角、小さな飴色の扉がフィリアスの"城"へ続く入り口だ。入り口自体は少々陰になっていて薄暗いが、フィリアスが扉へと近付くと、壁に据え付けられているランプが火種も無いのにぽうっと淡く灯った。


「ただいま。 ありがとう」


 フィリアスから"見れば"、火の精霊が鍵を開けやすいようにと灯りを点けてくれたのだが、他の者には見えてはいない。だが、此処には今フィリアスしか居無い為、嬉しさを隠さずに言葉に出して礼を述べると、火の精霊は人間だったら照れたように淡く明滅した。

 嗚呼、可愛いなあ。多少荒んでいたフィリアスの心境は、嘘の無い精霊の慈しみに溢れた行動にすっかりと癒され、頬を綻ばせながら鍵を開けた。



――ぴぴぴ。

「あ!」



 ぱたぱたと羽音を震わせ、扉を開けたフィリアスに真っ白な存在が飛び込んできた。

 純白の羽と、淡いクリーム色の嘴が可愛らしい小鳥。そして、小鳥がちんまりと嘴に咥えている三つ(クローバー)の葉に、フィリアスは、思わず歓声を上げた。


「イクスからだ!」


 先日フィリアスが送った返事を、イクトゥースが返してくれたらしい。

 うわ、どうしよう嬉しい!逸る心を抑えもせずに、「褒めて、褒めて」とばかりに囀る小鳥の羽を指先で撫でてから、小鳥の足首に結び付けられていた小さな紙を紐解いた。

 



●●●●●




親愛なるフィリ


怪我に関しては心配しなくても大丈夫だよ。

軽く切っただけだし、俺も男だから怪我の一つや二つで体調を崩すなんてないから。


…フィリが学院に落ちる、なんて事は本来なら有り得ない。

フィリはそこまで自覚が無いようだけど、精霊を見る事ができるだけで稀有なんだ。どうせ、君の事だから申告なんてしてないんだろうけど。

それに、試験内容を聞いたよ。あんな基準馬鹿馬鹿し過ぎるだろう!

呪文スペルを唱えずに発動したものは無効、選考基準外なんて……だからフィリが受からないのか、やっと納得したよ。

いっそ、俺がフィリを直接指名して、上位魔導師ハイウィザードにしてしまおうか。




●●●●●




「ひえっ……」

 喜色を湛えて文面を読み進めていた薄紫色の瞳が、丸く見開かれる。

 それから、すぐさまテーブルへ腰掛けると、猛然とした速度で返事を書き始めたのは些か仕方の無い事やもしれぬ。




●●●●●




親愛なるイクスへ


なら良かった!

王城には傷なんてあっという間に治せる魔術師が沢山居ると思うけど、やっぱり不安だったから。いくら剣の稽古だからって、無茶しちゃ駄目だからね!


…き、聞かれてないから言ってない…けど…でも、精霊が見えるのは私の力じゃないもん。

だから、それを私の能力です、って言うのは自分の力じゃなくて、ズルして受かるような気がするから嫌なの。

イクス!私、そんなの嬉しくないし、なりたくない!

何回落ちたって、イクスが応援してくれるから頑張れるのに…呪文だって、唱えられるように練習してるから、きっと来年は…受かってみせる。


だから、そんな事言わないで?

……ごめんね、イクス。




●●●●●






「殿下、本日は随分と荒れていらっしゃるようで」

「俺は落ち着いている」


「ふうむ、手紙を御読みになる際は、そこ迄震えられるものなのですなあ」


 ぴくり。

 胡乱気に細められた青金石ラピスラズリ色が室内で待機している人物へと向けられた。頬に掛かる金色の髪から覗く其の目は、かなり剣呑だ。

 此以上は危険かと長年此の青年へ仕えて来た老執事は丁寧な所作で以って深々と腰を折った。


「顔を上げろ、フェレス」

「失礼を致しました…殿下を悩ませているのは、フィリアス嬢でいらっしゃいますかな?」


 重い重い溜息が零れ、主からの許しを得てからゆっくり、フェレスと呼ばれた老執事が腰を伸ばすと、汚れ一つ無い白手袋に包まれた指先で、主である青年が持つ手紙を指し示した。

 それこそ、青年が赤子の頃から仕えているのだ。目下此処数年、主の思考を占めている存在等直ぐに思い浮かび、微かな苦笑を白い口髭に湛えて問い掛けると、つい五分程前に白い小鳥が運んできた"返事"へ老執事は目をやる。


「確か、今年の試験も残念な結果であったとか」

「俺が問題にしているのは其処じゃない。 どうして……」


 フィリアス嬢は、主と交わした幼少の頃の約束を守る為に王都へと一人赴き、"王立魔導学院"の入学試験を毎年受験して居た筈である。

 今年も進展は無い。さぞ落ち込むだろうと思っていたフェレスだが、現在我が主を悩ませている原因は其処では無いらしく、王国の第二王子として、"一人の女性以外"で冷静沈着さを失わない主としては珍しい。

 おや?と思った事が顔に出ていたか。少し顔を顰めていた横顔がフェレスへと向けられると、微かに苦しさを押し隠したような苦々しい笑みを浮かべた。


「フィリはいつも、苦しい事や悩みを俺に教えてはくれない。 去年フィリが怪我をした事も、今日……愚かな馬鹿共が市場(マーケット)でした事も」

「……ご報告しようと思っておりましたが、ご存知でいらっしゃいましたか」

「矢張り、傍に居れない俺は……信頼に値しないのだろうか」

「殿下」





 五年。故郷を離れて五年目だ。

 送られてくる手紙には、何時も楽しかった事や驚いた事、そしてフィリアスではなくイクトゥースの身を案じる内容ばかり。

 辛い事、苦しい事、痛い事――彼女は晒そうとせぬ。

 傍に何時も居てやる事が出来たら、どんなに良いだろうか。イクトゥースは心の中で嘆いた。去年の怪我にしても、忍びで見舞いに行った時、薄紫色の優しい瞳をそっと細めて、儚く笑っていた細い身体が忘れられない。

 

 王子等という肩書きは、見えぬ鎖でイクトゥースに絡み付くだけではないか。


 何と無力だろう。悲しみの気配を敏感に察知したのか、膝に飛び乗りぴぴ、と鳴く小鳥へイクトゥースは切なさと悲しみに満ちた眼差しを送った。







「お前が、俺だったなら良かったのに」


王子様だって悩んでるんです。


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