優しい朝(1)
フィリアスは目の前に所狭しと並べられた朝食の数々を前にして、途方にくれた。
新鮮な野菜をふんだんに使用したサラダ、スクランブルエッグ、ソーセージにカリカリのベーコン、十種類以上はありそうな程大皿に上品ではあるが山盛りで盛られたフルーツにスープ、焼きたてのパンもプレーンのものから子供が喜ぶ甘いパンまで数種類用意されている。確かに、どれも非常に美味しそうで、食欲を誘うのだが。
朝食を抜きにする事も日常茶飯事なフィリアスにとって、如何せん多過ぎる量であった。どれから手を付けたら良いのか分からない、というか食べても良いのか。
「……どうした、食わぬのか」
そして、煩悶するフィリアスの最大の原因は、先程からテーブルを挟み反対側から凝視する視線を隠そうともせず、フィリアスの一挙一動を見守る青年の姿にあった。
「……い、いえ、いただきます……」
先程からフォークを握り締めた侭、どうして良いのか分からず凝固しているフィリアスがお気に召さないらしい。整った相好を微かに崩すと、眉根を寄せながら問い掛ける声に、弾かれたようにして顔を上げると、フィリアスは慌てて手近な皿を引き寄せてソーセージを口にした。
ボイルされたソーセージは歯を立てると、薄皮から肉汁が溢れ非常に美味ではあるのだが、正直言って今のフィリアスには極度の緊張で食べた気も味もしなかった。
なにがどうして今の状況なのか誰か説明して欲しい。
確か、昨夜は召喚魔法陣によって喚び出された"月代の君"ベルベリトルティリゥスの気紛れでフィリアスが主となったところまでは覚えている。駆け付けた師達に状況の説明をしている内に気を失って――目を覚ましたら、フィリアスが今迄生まれてこの方見た事も無い程豪華な部屋に寝かされていて、危うくまた気絶するところだった。
まさか此処が天国というやつだろうか等と呆然としているフィリアスを他所に、扉の前で見張っていたのですかと思わず聞きたくなる程のタイミングで侍女達が雪崩れ込んで来ると、あれよあれよと言う間に風呂場へ連行され髪を整えられ絹で作られた最高級の服を着せられ化粧までされて、今に至る。
サラサラとした肌触りの衣服は普段着慣れている綿の感触とは天と地程の差があり、何か粗相をして汚してしまったらと考えると、非常に恐ろしい。何より、人には食べろと勧めるくせに、自分は一向に食事をする気配を見せずに珈琲だけに口を付ける青年……ジェイの存在が大きすぎる。
一般人のフィリアスからして見ても明らかに高級品だと分かる服を違和感無く着こなし、若干怠惰というか退廃的というか、或いはにじみ出る威圧感というか、兎も角明らかに貴族だと思われる屋敷に彼なのだ。緊張するなというほうが難しかろう。
しかも、ジェイは先日市場で魔法を使用し、フィリアスに水を掛けている。昨夜は動乱の中だった為、百歩譲って致し方なかったとしても、フィリアスに対し友好的とは到底思えなかったのだが。それが何故、こうも凝視されながら食事の席を共にする羽目に陥っているのか、フィリアスは少々泣きたくなった。
「あの……」
「何だ」
精一杯の勇気を掻き集めて恐る恐るフィリアスが問い掛けても、そっけない声でばっさりなのだ。何だ、というよりも現状を説明するほうが先ではないのですか!と心の中でフィリアスは喚いたが、実際声に出す程愚かでは無いので、微かに表情を引き攣らせながらも、ありったけの勇気を集めて口を開いた。
「ど、どうして私は今ここにいるのでしょうか……」
「朝食を摂る為だろう?」
駄目だ、根本的に会話がかみ合わない。
少し驚いたように薄い蒼の瞳を見開いた後、心底不思議そうな声で言われては最早言い返す気力すらフィリアスには残っておらず、頭をがっくりと項垂れさせた。
だが、次に脳裏へ過ぎった疑問に顔を持ち上げて此方を見る瞳に薄桃色の瞳を重ねた。
「怪我は、もう痛みませんか?」
そう。今でこそ顔色は良いが、昨夜彼はフィリアスが精霊達の力を借りて治癒していなければ結構に危険な状態であったのだ。ベルベリトルティリゥスの話によれば、バッシェ達から受けたという怪我――身体の傷は癒えても、血と心の傷迄はすぐに癒す事が出来ない。
一見すると平気そうな顔をして、その実体調が優れないのではないだろうか。
「……何故、そう思う。 怪我ならお前が治しただろう」
「え。 ……あ、あああの、知って……!?」
激しく動揺し過ぎて、思わず声が裏返ってしまった。
フィリアスがジェイへ質問した筈なのに、逆に質問し返された言葉に一拍の間を隔てると、フィリアスは露骨に狼狽え始めた。あの時ジェイは意識が無いとばかり思っていたのだが、どうやらそうではなかったらしい。
絵になる様でゆったりと珈琲を一口啜ると、ジェイは軽く片眉を顰めた。
「ああもボタボタと涙なんぞ降らされては、嫌でも目は覚める」
「うっ……すみません……」
まあ確かに、色々と粗相をした気がする。何か言い返そうにも、ジェイの言う事はもっともであった為、結局フィリアスは軽く身体を縮こまらせてひたすら恐縮するのみであった。
しかしながら、ふとジェイの視線があらぬ方向へと向かい、何やら物言いたげな様子に疑問が浮かぶ。はて?良く見れば、彼の頬が少しだけ朱に染まって……いるような。
「…………――礼を言おう」
思わず目が点になった。
本人から直接聞いた訳では無いが、十中八九ジェイは貴族だ。ヴィーツェルアやミルフェリアも貴族ではあるが、彼等を例外というか少数として、貴族というのは酷く矜持が高い者が多い。魔導師でもなくただの一般市民であるフィリアスに貴族が礼を言うなどとは考えにくい。というか普通ならまずない。
対応が遅い、と叱られたり罵られたりはされるかも、と考えていたが、まさか礼を言われるとは。まあ、「ありがとう」では無くて礼を、というところが如何にも彼らしいが。何だ、思っていたよりも存外に良い人ではないか。
「いいえ。 お礼を言うのなら、精霊達へ言ってください。 私が何かをする前に、皆が貴方の傷を癒してくれました」
「……そうか」
微笑みながら否定するフィリアスの顔を見て、ほんの少しだけジェイの表情も和らぐ。
多少なりともジェイの人となりを垣間見れた気がして、朝食に手を付けるフィリアスの心も先程に比べると軽いものになった。フィリアスが呪文を唱えずに魔法を発動させたところだって見られているようだし、腹をくくった現在では、ジェイからの視線も敵意を感じられない為苦痛には感じない。
ふわふわの白パンを一口サイズにちぎり、口へ放り込みながら、そういえばと改めてフィリアスはテーブルを挟んで目の前に座るジェイをまじまじと見詰めた。
まるで月光をふんだんに浴びた夜露のように、流れる髪は銀。けぶるような睫毛の下からは、彼の持つ藍玉と同じ薄い蒼の澄んだ色が朝だからか現在は少々眠たげに伏せられている。
窓際から差し込む清々しい朝日の光に淡く照らされる様なぞ、絵画のよう。ジェイと相対する時は、何やかんやでじっくり彼の顔を見る機会が無かったが、こうやって見るとかなりの美形である。さぞや世の女性達が放っておかないだろう。
「何だ」
「へっ!?え、いやっ、その……あ!私、フィリアス・アイシェールと言います。 貴方の名前を聞かせてくれませんか?」
余程にフィリアスはジェイを凝視していたらしい。唐突に伏せていた視線が薄桃色の瞳に重なると、フィリアスは目尻を大きく見開き、視線をあちらこちらへと彷徨わせた。それから、如何にも取って付けたような笑顔を浮かべると、軽く首を傾けた。
そういえば、彼の本名をフィリアスは知らない。「ジェイ」という名は愛称だろう。容姿といい、魔力の強さといい、豪奢な屋敷に住んでいる事といい、貴族である事は間違いなさそうなのだが。
「ジェイと呼べ」
「……それって愛称じゃ…」
「――ジェイ。ジェラルディアス・フォン・ロートリゲン」




