八手先を行く
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明け方に酒瓶が散乱する部屋の中は久々だなと部屋の主は溜息を吐く。
戦勝祝いに騎士らが常駐する宿舎では珍しくないが、ここは王城の一室だ。品の良い調度品の前に空の瓶が横たわっているのはあまり気持ちの良い風景ではない。
大夜会の翌朝に自室で共に目覚めるのが思わせぶりな美女でなくて、何があったか知らないがヒトの部屋で自棄酒飲んで荒れてる男の友人だなんて、良からぬ噂に輪をかけるばかりで本当にやめて欲しい。
「喉が乾いた」
カウチでクッションを枕に寝ていた男がうめくように枯れた声を上げる。
「だろうな」
戦場でどれだけ際どい戦況にあっても冷静沈着で己を失わないこの男が、夜会の終わる明け方近くに酒瓶片手に乗り込んで来たと思ったら、人のワインセラーを開けて黙々と高い酒を飲みながら酔い潰れて寝てしまった。もうすぐ太陽も中天に差し掛かる時間である。
確か以前に飲み明かした戦場では安い酒だと酔えないとか言っていたので、どうにも酔っ払いたいがためにここへ来たらしい。良い酒を何て飲み方するのか。
「で、気は済んだのか」
ランドルフは手ずから水差しの水を空いたゴブレットへ汲んで渡してやりながら、顔色の悪い男に問う。酒があまりに勿体無いのでひと瓶につき一杯ずつ貰い受けて付き合った自分ですらまだ酔いが冷めないのだから、幾らこの男が魔力に恵まれているからといってあれだけ飲めば二日酔いは免れない。
「済むはずないだろう」
そう言いながらも理由は明かそうとしない。果たしてこの男がそれほどに荒れる原因は何なのか、気にならないと言えば嘘になる。
大きな戦争はないとはいえ、蛮族と接する辺境では常に小競り合いがある。ここのところでは北東部に位置する国が境界を侵犯し、南下を狙って常に手勢を送り込んで来ていた。
これを平定するため、第二王子であるランドルフは前線へ出向し、現地を治める東方辺境伯との協力の元、数々の衝突を跳ね除けた。そして裏からも手を回して隣国の筆頭を穏健派にすげ替えることによりこちらに有利な形で和睦を実現させたのだ。
ここで飲んだ暮れている男は前線へ出れば負けなしと謂われる最も戦功を立てた人間のはずで、軍の指揮者としても騎士としても、そして魔導士にも匹敵する魔法の使い手としても優秀な男だ。いっそ嫌味なほどに出来すぎた彼が、何によってそれほど乱されたと言うのか。
「後のことを考えずに自棄になって、瑕疵を負うのはあちらだけだと? 勝手に思い出にされてなるものか」
ぶつぶつと呟かれる言葉は苛立ちを隠せない。けれどその言葉にはランドルフにも覚えがあって、さてはどこかのご婦人に迫られたのかと合点がいった。
昨日は父に命じられて自分も仕方なく大夜会へ出席したが、案の定人に囲まれてなかなか逃れられなかった。そして今回の勲功によって一時期は収まっていた嫁取りの話が再燃してしまった。
ランドルフは兄との対立を避けて継承順位が四位以下に下がって臣下に降りることが認められるまでは結婚しないと公言している。にも関わらず、現在の地位と容姿に惹かれて声を掛けてくる家門やご婦人方は後を立たない。
一夜の情けを乞う者すらいて、特に相手が初めてをもらって欲しいというパターンは本当に厄介だ。ともすればそのまま責任を取れと言われることすらある。だから適当に遊ぶという選択肢はなく、欲を発散するなら娼婦に任せた方が安心なくらいだ。
だが自分もこの男も、そういった相手に今更心乱されるほど初心な人間ではないはずだ。
「くそ、何だってあんな」
昨晩と違って声に出ているのは二日酔いのせいか、昂った気持ちが酒精で鈍らされたのか。殺気にも似た剣呑とした空気はようやく鳴りを潜め、底辺まで沈んで我を取り戻して帰ってきたようだ。
「自棄酒なんて珍しい。何だ、フラれたのか」
軍部の上官などしていれば、王族といえど部下との無礼講の飲み会は少なくない。愉快でもないのに正体を失うほど飲んでいる様はまるで長い遠征の後で妻に逃げられた男のそれで、ランドルフは思わず冗談混じりに言ったのだが。
ごとん、と水を入れたゴブレットが落ちた。
しかし中の水が床に広がることはなく、代わりにぴきぴきと冷気をまとって溢れた水ごと凍っていった。何だ意外に冷静だなと思ったのも束の間、その冷気が足元を巡って絨毯に霜を降らせるのを見てランドルフは頬を引き攣らせた。
この男、魔力が制御できていない。
「待て、待て待て待て、どうしたお前ホントに!?」
稀代の魔女の血を引く男の魔力は尋常ではない。こんなところで暴走されては部屋が使い物にならなくなる。
「ランドルフ、」
戦地で命を預けた盟友は、敬称をつけずに名を呼んだ。地を這うような低音にこちらは生きた心地もしない。
「私はこちらの人間関係には疎い」
「だ、だろうな」
ここのところまともに社交もせず最前線にいたのだから無理もない。だがそれも一段落して、人脈を作るために王都へ上ったはずだ。
「なのにお前ときたら夜会も必要最低限、昼間の社交には顔を出さないわ、これじゃいつまで経っても家督を譲ってもらえんぞ」
そして大夜会に参加したと思えば魔力の制御が乱れるほどに飲み明かし、人の部屋で沈んでいる。
「爵位を継承する条件はひとつだけだ」
嗜めるようなランドルフの言葉に、男は片頬だけで笑う。
「うん?」
「嫁をもらえばいい」
男の両親は領土の管理について引き継ぐ準備を進めているという。前線が落ち着いてきたことを機に、彼を後継者とすべく城下へ引き戻したのだ。戦果に基づいた功績は充分にある。足りないのは嫁だけだと、今回の社交シーズンに送り出されたのだと。領主夫妻が領土に留まっているのは和睦が成立したとはいえ国境一の護り手を王都へ出すための用心だろう。
「うん、だから社交しないとな?」
社交に積極的になれないのは、まだ和睦がなって半年と経たず、戦場を駆けることが中心だった男にはいきなり社交界に溶け込むことは難しいのだろう。
しかしこの様子からすると、もしかして男には結婚を見据えた女性がいて、前線から戻ったら一緒になるつもりだったのが予想外に長引き、既に別の人間と結ばれたことに昨夜気付かされたとかそういう展開ではなかろうか。軽く見積もっても七年振り、ともすると十年近く、彼は王都に足を踏み入れていないはずだ。
「最近婚約破棄した令嬢を教えてくれ」
「……まさか適当に見繕う気か?」
よもやフラれた腹いせに当てつけのように結婚を急ぐ気だろうか。
「淡い金髪で、蜂蜜のような琥珀の瞳だ。おそらく王立学院を出ている。特に歴史と文法の成績の良い、些か堅物で生真面目でいつも図書館に常駐していそうな令嬢に心当たりはないか」
男は凍ったゴブレットを床から拾い上げ、卓上へ戻す。
「は?」
ランドルフはあまりに具体的な要望に、理解することに時間を要した。
「私の嫁にする」
どうした盟友よ。
「いやいやいや、急にそんなこと言われてもな? 俺が社交に出ないのは知ってるだろ。そんな図書館にひきこもってそうな御令嬢の顔なんて知るはずないだろっ」
全くもって彼の意図するところが分からない。それが好みの女性の条件だと言うならちょっと偏屈な好みと言わざるを得ない。
「ちっ、役に立たないな」
「おい仮にも王子だぞ」
しかしふと思い出して、
「それに社交なら身内に詳しいのがいるじゃないか?」
「ああ?」
「機嫌悪いなぁ。エレアだよエレア。社交会の花。二児の母になってもなお美しい君の妹君は未だに招待状の絶えない人気者だろう? 彼女なら心当たりあるんじゃないか?」
名案を思いついたように言うランドルフに、男は思わず胡乱な目を向ける。
「アイツに話したら最後、話が拗れて明後日の方角へ突き進む」
あの思い立った時には既に行動している猪のような妹には、昔から手を焼かされていると零す。求婚の釣り書きを山ともらっておいて、兄の部下である騎士ゲオルグと結婚した際には多くの男たちが涙を飲んだと言うが、兄として幼い頃から迷惑を掛けられてきた身としては何故あんなのが人気なのか未だに理解に苦しむのだそうだ。
王太子や第二王子のランドルフの妃候補にも名前が上がったことのある美しい御令嬢だが、兄弟にとってはなかなか御し難い奔放な性格らしい。公的な場で会う時には社交の上手いなかなか楽しいご婦人だと感じた。
それにしてもこの酔っ払いの絡みをどうしたものかと考えているところへ、コンコン、コンと扉を叩く音がする。この叩き方は補佐のヘンドリックだなと心得て入室を許可すると、果たして開いた扉の隙間を埋めるような大きくガタイの良い男がそこに立っていた。
「うわ、何ですかこの部屋、酒臭い」
身の回りのことは自分でできるランドルフには侍女はおらず、不在時に掃除が入る以外はこの男が用聞きをしてくれる。朝食を持ってきてくれたらしいが部屋の空気の悪さと瓶の転がる惨状に顔を顰めている。体は大きいが、こう見えて文官で性格もきっちりしている方なのだ。
しかし彼は主人の向かいに座る男に気が付くと、何やら賢しらげに顎の下を撫でて頷いた。
「ははぁ、年貢の納め時ってやつですか?」
明らかに目が据わって機嫌の悪そうな男を揶揄うように、いっそ朗らかにヘンドリックは笑う。
「聞きましたよテオドール様、おめでとうございます」
朝の挨拶の後、敬礼のままそう言って、テキパキとテーブルの上の酒瓶や飲み干した杯を回収し始める。
「え、何かめでたいの?」
ぽかんとする主人に、大男は何故だか得意そうに頷いてみせた。
「ランドルフ様も見習ってください。戦場の独身貴族と謳われた御二方ですが、とうとう貴方おひとりになってしまわれましたよ。早くお妃を決めていただかなければまた妙な噂が、」
「待てヘンドリック、お前は何の話をしている」
凍ったままのゴブレットをこともなげに回収されながら、男が怪訝そうに眉根を寄せる。
「ああまだ正式に発表はされていないのですね。すみません、私の妹があの家に嫁に入っておりましてお話を伺っていたので」
「あの家?」
「ヴァンシュタイン伯爵家の話ですよ。もしかして顔合わせはまだでしたか?」
しまったなと呟きながらも、ヘンドリックは気安い調子で、続ける。
「婚約破棄になった相手から慰謝料にもらった鉱山の利権がらみで、御家から打診されたのでしょう? 戦場から戻ったばかりで政略結婚を進められるのはまぁ乗り気ではないかもしれませんが、悪くない娘ですよ。私は妹の結婚式で会った他は夜会でお会いする程度ですけどね。いささか生真面目過ぎるところがあって愛想が良い方ではないですが、頭の良い御令嬢で歴史書などにも造詣が深いので私のような人間でも話題に困ることはなく話してくれます。案外テオドール様と気が合うんじゃないですかね」
顔に似合わず世間話の好きな側近の話を聞きながら、ランドルフは首を傾げる。
「ヘンドリック卿」
さっき、生真面目な女性が良いとか言っていた男は、嫌な予感がすると呟いて頭を抱えた。
「その令嬢の髪色を覚えているか」
もちろん、とヘンドリックは頷いた。
「妹の旦那と同じ髪色ですからね。カスタードクリームのような淡い金髪です。人の目を見てはっきり物を言う御令嬢なので、目の色も覚えておりますよ。蜂蜜のような琥珀です」
甘いものが好きで戦場にも干しイチジクを欠かさない男は、お菓子の色で女性を例えた。
は、と乾いた笑いが溢れる。
俯いていたと思ったら額に手を当てて哄笑し始めた男に、ランドルフは冷や汗をかいた。
最近婚約破棄をした、
淡い金髪で、
蜂蜜のような琥珀の瞳、
おそらく王立学院を出ている、
特に歴史と文法の成績の良い、
些か堅物で生真面目でいつも図書館に常駐していそうな令嬢。
「彼女に求婚していた田舎の貴族とは、私のことか」
探し求めていた人物と、明らかに自分の婚約を知らされていなかったらしい当人の男。
「エレア……! あのじゃじゃ馬が!!」
愛に生きることが至上だと考える妹君が何かをやらかしたのだと知るには十分な程、その声は怒りに満ち満ちていた。




