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三十年戦争史《der Dreißigjähriger Krieg》  作者: 仁司方
第五幕 帝国解体戦争(1635〜1648)
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王子は父の遺志を継ぐ《Der Prinz folgt dem Willen des Vaters》


 一六三七年のあいだにライン河方面で大きな戦いは起こらなかったが、小競り合いはおおむね帝国軍が有利で、フランス軍とベルンハルトはライン以東の拠点をほとんどすべて失っていた。


 明けて一六三八年――


 押され気味の状況を打破するため、年明け早々にベルンハルトは攻勢に出た。ベルンハルトが冬期の本営にしていたバーゼルはライン河の上流域にあり、ドイツを南北に流れているラインはバーゼルのあたりで流れが東西方向に変わる。ベルンハルトはボーデン湖へと続く上流方面へと出撃し、ゼッキンゲン、ラウフェンブルクを確保してから、それらよりバーゼル寄りに位置するラインフェルデンを包囲した。


 位置関係としてはバーゼルから東へラインフェルデン、ゼッキンゲン、ラウフェンブルクの順に並んでおり、近いにもかかわらずラインフェルデンが後回しになった理由は、この街には中洲の砦と頑丈な石橋があり、ライン河交通の要衝になっているためであった。当然ながら、ラインフェルデンには帝国軍の守備隊が配属されている。ラウフェンブルクにも橋があり、そちらはラインフェルデンに比べれば手薄であるため、ベルンハルトは河を渡るためにまずラウフェンブルクを押さえ、ついでに途中のゼッキンゲンを取ったのちに、本命の攻略にかかったのであった。


 二月五日――


 ライン河の両岸に部隊をわけて上流側からやってきたベルンハルト軍は、ラインフェルデンを包囲した。作戦としては素晴らしい構想だったが、兵力は五〇〇〇弱と少なく、小さいながら堅固な要塞を擁するラインフェルデンをなかなか陥とすことができなかった。


 二月二八日――


 橋は奪取したがいまだ河の両岸の砦を下すことができないでいたベルンハルト軍の前に、ヴェルト率いる帝国軍が現れた。ラインフェルデンの危機を報され、シュヴァルツバルトを突っ切って急行してきた帝国軍は大砲を一門も持ってくることができなかったが、兵力は八〇〇〇近くで、ベルンハルトより優勢だった。


 哨戒線で一度帝国軍を食い止めることができたが、それから敵本隊がやってくるまでに南岸の味方をすべて集めることは適わず、ただでさえ不利なベルンハルト軍は二倍の敵と戦うことを強いられた。周囲の地形は起伏に富んでおり、平原での大会戦とはならず包囲されることは免れたが、ヴェルトの副将サヴェリが率いる部隊が戦線を突破し、ラインフェルデンの橋を押さえてしまった。


 勝算なしと悟ったベルンハルトは退却を指示し、幸運なことに南岸に残っていた部下たちにも命令が通じ、上流方面へ、ラウフェンブルクへと逃れることができた。シュヴァルツバルトを休みなしで進んだ帝国軍は疲労が激しく、ベルンハルト軍の追撃ができなかったのである。


 三月三日――


 一度ライン河の両岸を伝って撤退し、ラウフェンブルクで合流したベルンハルト軍は、街に置いていた守備隊も招集し、復讐戦を求めてラインフェルデンへ北側から襲いかかった。

 ヴェルトの帝国軍はまだ立ち去っていなかったが、周辺に多少塹壕を掘ったり土塁を盛ったりしていた程度で、三週間の攻防戦で傷んでいたラインフェルデンの城壁は手つかずだった。


 つまり、八〇〇〇近い帝国軍は籠城できず、野戦しか選択肢はなかった。六〇〇〇まで増強し、その上前回は攻城戦のために分散させていた火砲を、ラウフェンブルクにあったものも含めてまとめて引っ張ってきたベルンハルト軍は、今度は俄然有利になった。


 帝国軍は要塞の砲の援護を受けられない、砲の射程内で戦おうとすれば、あまりにも背水の陣になってしまうからだ。しかも、二八日の戦闘でベルンハルト軍が放棄していかざるをえなかった三門の砲を、帝国軍はラインフェルデンの街に引っ張り込んでおくことすら忘れていた。

 ベルンハルトは放置されていた砲をまんまと回収し、さらに火力を増した。どうやら、帝国軍はベルンハルトがたったの三日で戻ってくるとは思っていなかったようである。


 数だけは有利だったが、火力差は圧倒的で、帝国軍はたちまち打ち破られた。急速行軍のために騎兵が多い配分になっていたことも、ヴェルトとサヴェリにとっては不運だった。二八日の戦闘ではベルンハルト軍の補将格が複数戦死していたが、この日は逆にヴェルト、サヴェリ以下、すべての帝国軍将官、連隊長が捕虜となった。


 ラインフェルデンの戦いはこうしてベルンハルト軍の大勝に終わり、戦死者は一二〇ほどに留まった。ほとんどは一度目の戦いの犠牲者で、二度目の戦いではほんの一〇数人の戦死者しか出なかったという。一方で重軽傷を負った士卒は多く、一〇〇〇名を超えていた。


 帝国軍は五〇〇前後の戦死者とそれよりやや多い負傷者、三〇〇〇ほどの捕虜を出した。上級将校一四名がすべて捕らえられたというのが、なによりも大きな損失であった。士官たちは転向を肯んじずにラウフェンブルクの牢獄に放り込まれたりフランス軍に引き渡されたが、兵卒はベルンハルト軍に加わることに同意した。


 三月二二日――


 半壊した要塞で保ちこたえていたラインフェルデン守備隊も降伏し、一連の戦いはベルンハルトの完勝で幕を閉じた。ライン河上流域を確保したベルンハルトは、バーゼルから下流の方面へと攻撃の手を移した。


 四月一二日にフライブルク市を陥落させたベルンハルトは、つぎなる戦略目標をライン河最大の要衝ブライザッハに定めた。

 ブライザッハはライン河とスペイン街道の交差点にあり、水運と陸運の双方を手中に収める最重要拠点であった。リシュリューが増派してきたフランス軍補充部隊と合流し、一万六〇〇〇の兵力となったベルンハルト軍は六月五日にブライザッハ近傍に現れた。


 ブライザッハの要塞はライン河の岸辺の切り立った高所に建っており、一五〇門もの大砲が全方位をにらんでいた。一七世紀の技術力では、どうやっても攻め落とせるものではない。

 装甲した巨大艦でライン河を遡上するか、砲の届かない高高度から爆撃するか、あるいは要塞砲よりも射程の長い怪物砲を建造するか――いずれにせよ二〇〇年以上先の科学が必要だった。


 残る手段はいつも通りの、しかし効果は確実な兵糧攻めである。ベルンハルトは要塞の大砲が届かない距離で封鎖線を構築しようと考え、帝国軍はその阻止のために新手を繰り出してきた。その指揮官ゲッツは、ヴェルトと同じくバイエルンの将校であった。


 七月――


 一方北ドイツでは、ウクセンシェルナがわずか一年で新たな軍団を編成し、バナーの元へと送り届けていた。九〇〇〇人のスウェーデン人と五〇〇〇人のフィンランド人からなる、新鋭の、しかも精強な軍団である。


 一年間の雌伏に耐えたバナーは反攻作戦を開始し、一市、一城がまたしてもスウェーデン占領下に戻っていった。周辺一帯からすべての兵をかき集めれば帝国軍は五角以上の数を揃えられるのだが、食料問題がたたり、ガラスは決戦に訴えることができなかった。

 都市がひとつ陥落すれば、味方の守備隊は多少減りながらも帰ってくるし、敵は占領のために兵を割く必要が出る。その繰り返しで、再び彼我の戦力差が有利にかたむくのを待つ――そんな、消極的で迂遠な方策を採らなければならないほど、国土の荒廃は深刻なものになっていた。


 スウェーデン側にしろ、内陸深くまで勢力を拡大しようとすれば同じことになるのである。スウェーデンは食料をロシアから購入することである程度まかなえていたが、当然ながら輸送は船便にかぎられる。この時代、陸路で大量の食料を運ぶなど、どだい不可能な話であった。バナーもそのことはわかっており、まずはオーデル河を遡ってザクセン選帝侯国まで到達する突破口を開こうとしていた。


 八月――


 ベルンハルトはブライザッハの要塞よりも、もっぱら救援にやってくる帝国軍と戦うことになり、包囲戦を担当するのはフランスの将テュレンヌの役割になった。のちの大元帥である。まだ二十代の若さだが、少年のころよりフレデリック・ヘンドリックの近習を務め、要塞攻略の手腕を学んでいた。


 同月九日――


 ブライザッハの下流二五マイルほどにあるヴィッテンヴァイアーで、要塞の守備隊へ補給品を届ける準備をしていた帝国軍をベルンハルト軍が捕捉した。これまでも帝国軍はブライザッハ守備隊に食料や大砲の装薬を補給していたが、ベルンハルト・フランス軍に包囲を解かせることはできないでいた。オランダの戦術を知るテュレンヌは港湾封鎖の技術を応用してライン河に鉄鎖を張り巡らせて船の航行を妨害しており、陸路での物資搬入が必要となっていた。


 ベルンハルト軍の兵力は一万三〇〇〇ほど。ブライザッハの封鎖のために兵力が割かれ、やや減っていた。騎兵のうちいくらかは、接敵すると下馬する機動歩兵だったようである。


 対する帝国軍は一万八〇〇〇前後で、かなりの数的優位を誇っていた。主将はゲッツ、そして副将は、隙を見てラウフェンブルクから脱獄してきたサヴェリだった。個人的な感情によるものなのか、あるいは宗派か主家への忠節だったのか、ラウフェンブルクにはサヴェリの手引きをする女性がおり、牢番をうまくたぶらかしたらしい。牢番は責任を問われて処刑されており、どうやらフィクションさながらの脱出劇があったようだ。


 総兵力でも機動力でも上手の帝国軍はベルンハルトが接近していることに気づいていたが、まさかしかけてくるとは思わなかったようである。そもそも、要塞への補給のためにこれほどの大兵力を結集したのは、これまでの二ヶ月の攻防戦で、人目につかないよう小規模に送り出した補給部隊を、結構な割合で撃破されてしまっていたからだった。ベルンハルトに手出しができない、大軍で一気に多量の物資を送り届けようと考えたのである。


 ライン河とつなげて掘られている運河を渡って迫ってくるベルンハルト軍へ、サヴェリは砲と騎兵で攻撃を加えた。サヴェリはこれで敵を追い払えると思ったらしいが、ベルンハルトはひるむことなく前進してきた。サヴェリはゲッツへ伝令を送り、自隊は防御に向いた場所まで後退させた。


 しかしベルンハルトはサヴェリには多少の騎兵隊を押さえで送るのみに留め、敵本隊と物資に狙いを絞った。さらにベルンハルトは軍楽隊を森の中へ送り込み、前進太鼓と突撃ラッパで総攻撃を偽装するように命じた。


 ゲッツはこの奇策に引っかかり、森に兵を投入し、さらに部隊の正面を向けてしまった。回り込んだベルンハルトはゲッツの側面を突き、数で優る敵を退けることができたのであった。


 ヴィッテンヴァイアーの戦いもベルンハルト軍の勝利で終わったが、かなりの博打に賭けた危険な試みだった。ベルンハルト軍の砲兵隊は途中で弾薬を切らしており、絶妙のタイミングで帝国側の砲兵陣を占拠できていなかったら、攻撃が途切れるところだった。

 ブライザッハへの補給の重要性を知悉していた帝国軍は簡単には引き退がらず、五時間に渡って粘り強く戦っていたのである。ゲッツは最終的には退却を決断したが、全軍潰走ではなく、秩序だっての撤収だった。


 ベルンハルト軍の戦死者は六〇〇前後、負傷者はその倍ほどだった。帝国軍は戦死、重傷者合わせて一五〇〇ほど、逃げ遅れの捕虜は一三〇〇に留まった。損失率だけならば帝国軍も敗北したとまではいえない。しかし物資の喪失とブライザッハへの補給の失敗は決定的な戦略の破綻だった。


 乾坤一擲の賭けに出るべき局面を見極める能力において、ベルンハルトはグスターヴの後継者を名乗る資格を得たといえよう。



 ライン流域が帝国軍と、ベルンハルト軍、フランス軍によって取ったり取られたりを繰り返していた中、かつての正当領主フリードリヒの息子、カール・ルートヴィヒが継承権を主張して乗り込んできた。


 イギリス王チャールズと議会を説得して軍資金を得たカール・ルートヴィヒは、既にオランダで軍務に就いていた弟のルパートと合流し、ファルツ奪還を旗印に進軍を開始したのである。以前は選帝侯に仕えており、フリードリヒの敗退後散り散りになっていた旧ファルツ軍の生き残りと、現地で雇用した傭兵でカール・ルートヴィヒの軍は編成されていた。


 イギリスの使者はスウェーデン側にも話を通しており、軍資金と引き換えに、バナーの部下のひとりキング中将が一〇〇〇人の兵とともに応援にやってきた。ヴィットシュトックで支隊を率いて活躍したキングに、イギリス人の幕僚たちは期待していたであろう。主席のクレイヴンは、「いかれたクリスティアン」と同じく、フリードリヒの妻エリーザベトに恋し、そのプラトニックな愛のために戦う酔狂な伊達男だった。


 イギリス・ファルツ連合軍に合流したキングだったが、いきなり戦禍の渦中にあるライン地方へ向かうより、手近なところで勝利を収めて選帝侯の後継者の名を知らしめ、同時に後方の拠点とすべきだと主張した。カール・ルートヴィヒとルパートの出発地はオランダ国境にほど近いメッペンだったが、南下してラインを目指すのではなく、東進してヴェストファーレンへ行けというのである。


 奇妙な理屈だったが、現地で既に軍務を積んでいるキングには説得力があったのか、イギリス・ファルツ連合軍は東へと旅立った。ラインへ向かえばベルンハルトが指揮権を主張するであろうし、そうなればフランス、スウェーデン、イギリスの外交問題となって話がこじれるので、まずは交渉相手として認識されるだけの実力を示さねばならない、ということだったかもしれない。


 ヴェストファーレン地方には、二年前のヴィットシュトックで敗北し、その後左遷されていたハッツフェルトが待ち受けていた。

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