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三十年戦争史《der Dreißigjähriger Krieg》  作者: 仁司方
第四幕 スウェーデン戦争(1630〜1635)
44/63

若き才能《Junge Talente》


 一六三四年九月五日――


 ベルンハルトとホルン率いるハイルブロン同盟軍は、ネルトリンゲンを包囲しているハプスブルク帝国軍を攻撃すべくボップフィンゲンを出立した。ネルトリンゲンの西側にはエーガー川河畔の沼沢地が広がっていて行軍にも戦闘にも適さないため、南側から大きく回り込んで敵の背後をつく作戦であった。


 周囲は丘陵や森林が点在しており、大会戦向きの開けた地形ではなかった。ベルンハルトは必ずしも全軍での衝突にはこだわっておらず、ネルトリンゲンの南二マイルほどのところに位置する高地を占拠して砲座を設置し、帝国軍の攻囲陣へ砲弾の雨を降らせることで敵を追い払えるのではないかと期待していた。


 しかし、土地に不案内だったベルンハルトは、偵察によってもっとも重要な丘の目星こそつけることができたが、そこへ攻め寄せるルートに砲火を浴びせる絶好の小高地が何ヶ所もあるのを見落としてしまった。


 同盟軍の出陣を確認した帝国軍は迎撃の準備をしたが、小競り合いで森をひとつ失った。そこの守備を担当していたのはスペイン軍で、指揮官の少佐は捕らえられてベルンハルトの元へ連行された。スペイン軍の兵力を問われて、少佐は素直に二万少々だと述べたが、ベルンハルトの聞きたい答えではなかった。敵を混乱させるために話を盛っていると決めつけられて、少佐はさっさと格子牢のついた馬車へと連れ去られた。


 ホルンにとって、このベルンハルトの態度は願望を推定をすり替え、事実を軽視する愚かな振舞いであった。ベルンハルトにいわせれば、ここでスペイン軍がこれまでの予測よりはるかに多いことが判明したところで、ネルトリンゲンを見捨てて退却することなどできないのだから、スペイン軍の少佐にあれ以上喋らせる意味はないのであった。


 一方帝国軍の陣営では、フェルディナントの主席幕僚であるガラスが、重要な森になぜ少数の守備隊しか送らなかったのかとインファンテとその部下をなじっていた。しかしフェルディナントはもう終わったことだとガラスの小言を封じ、今後の戦闘プランを練ることに議論を集中させた。


 帝国軍も同盟軍も、ふたつの勢力が合わさった編成となっていたが、その雰囲気と風通しはまったく正反対であった。この差が、最終的な結果にも大いに響いてくるのである。


 ハプスブルク連合軍は総兵力四万二〇〇〇。歩兵が二万七〇〇〇と騎兵一万五〇〇〇であり、火砲は大小合わせ五〇門であった。七〇〇〇ほどはネルトリンゲンの包囲と監視を続けており、南からやってきた同盟軍と相対しているのは三万五〇〇〇だった。


 対するハイルブロン同盟軍は総兵力二万五〇〇〇。歩兵一万六〇〇〇と騎兵九〇〇〇に火砲七二門であった。砲の数では同盟軍のほうが上回っているが、機動性を重視した軽野砲が多いため、一門あたりの破壊力は帝国軍のほうが大きかった。とはいえ小さな砲は射撃間隔が短いので、射程がやや短い以外の不利は実質ない。



 九月六日午前五時前――


 夜明けとともに、同盟軍の攻撃が開始された。援護砲撃を背景に、同盟右翼を担当するホルンのスウェーデン軍が、周辺でもっとも高いアルブッホの丘を目指して前進を開始した。左翼のベルンハルト軍は前日の小競り合いで小高い地点を二ヶ所押さえていたが、そこから帝国軍が陣地を置いているアルブッホ始めとする三ヶ所の丘は大砲の射程ほぼ限界であり、有効な打撃を与えることはできなかった。反面、帝国軍の砲撃はアルブッホへ向かってくる、あるいは側面に回り込もうとする同盟軍を適正射程に収めていた。


 ホルンはアルブッホの正面に歩兵部隊を進め、敵が気を取られた隙に側面から騎兵部隊を駆け登らせるつもりだった。ところが、命令を勘違いしたのか、あるいは帝国軍からの射撃に低地で待機しきれなかったのか、騎兵部隊の指揮官が性急な突撃命令を発してしまった。


 アルブッホの頂上に陣取っていた帝国軍は半分近くが追い払われたが、ホルンの歩兵部隊はまだ丘の斜面の下だった。正面からはマスケット部隊が、隣の丘からは砲兵が射撃してくる中、歩兵隊はどうにか斜面をよじ登り、残り半分になっていた敵守備隊を駆逐してアルブッホの奪取に成功した。……のだったが。


 引っ張り上げてきた軽砲を据えつけ、敵が置いていった野砲の向きを変えて攻撃の準備をしていたスウェーデン軍の真っ只中で、帝国軍が放棄していった弾薬輸送馬車が突如大爆発したのであった。砲弾が直撃したのか、あるいは陣地に残った守備側の決死隊が破壊工作を敢行したのか。


 いずれにしても大音響と黒色火薬特有の濃煙がアルブッホの頂上を覆い尽くし、スウェーデン軍は大混乱に陥った。隣の丘で攻撃準備をしていたスペイン軍の一連隊が好機を捉えて殺到し、スウェーデン軍を蹴散らして頂上陣地を奪回した。


 作戦通り、歩兵隊を先に登らせ、騎兵があとからついてきていれば、たとえ大爆発後にスペイン軍が攻めてきても押し返せたものを、とホルンは歯噛みした。勇み足をした騎兵隊はといえば、最初にアルブッホの頂上から振り落とされた守備隊を追っていったところで、友軍の救援に現れた帝国騎兵隊と乱戦になって散り散りとなっていた。


 ホルンは第二波を送り出したが、今度は斜面に取りつく前に撃退されてしまった。ピッコローミニの部隊が丘の側面に進出してきており、スウェーデン軍は上からだけでなく、水平方向からも攻撃を受けるようになったためであった。最初の突撃が、最大にして唯一のチャンスだったのである。


 相手の狙いはアルブッホの丘一点突破だと気づいたハプスブルク連合軍は、複数の火線で敵の侵攻路へ集中射撃を浴びせるようになっていた。ホルンは第二波の二倍の兵力で第三波を繰り出し、やはり失敗し、間髪入れず第四波の攻勢を命じた。新規部隊を投入しつつ、撃退されてきた生き残りを再編成しては飽くことなく突撃を繰り返したのである。


 本来は機転の効く有能な将軍であるホルンが、なぜ意固地に無謀な攻撃を繰り返したのか。理由は、ベルンハルトへの反感であった。ホルンは、ベルンハルトの見立てにも、計画にも、疑義を持っていた。だがベルンハルトは同盟軍の主将面をし、改める気振りもなかった。軍人として作戦に忠実であれという矜持と、いけ好かないドイツ野郎への感情のはざまで、ホルンは自分の能力を限界まで発揮しようと死力を振り絞る気になれなかった。


「ザクセン・ヴァイマール、いや、フランケン大公殿か。貴卿の考えが正しければ、この作戦だけで勝てるはずだ。どうやら現実は違うらしいが。しかし、結果の責任は小官にはないぞ。敵を見誤った貴卿の責任だ」


 アルブッホの丘の前に屍を積み重ねながら、ホルンは突撃をただひたすら反復した。その回数は、実に一五度にもおよんだという。



 ホルンがアルブッホに挑み続け、撃退され続けているあいだ、ベルンハルトはハプスブルク連合軍の右翼部隊とにらみ合っていた。作戦の目的はアルブッホの頂上に砲座を並べてネルトリンゲンの包囲陣を脅かし、帝国軍を退去させることであるので、戦線のすべてで激闘を繰り広げる必要はなかったのである。ベルンハルトはホルン軍のほうへ敵が向かっていかないよう、砲撃と騎兵で牽制をしていた。


 ホルンへの支援としては、レーゲンスブルクから退去して合流してきた不屈のヨハン・ヤコブ・トゥルンの部隊を送り出し、ベルンハルトは打てるかぎりの手を尽くしていた。にもかかわらず戦況は好転せず、ベルンハルトは根本から見込み違いをしていたということが次第にあきらかになりつつあった。そもそも兵力で圧倒的に不利であり、戦場の地形を把握できておらず、敵軍の指揮官の質も過小評価していた。


 フェルディナント三世と枢機卿インファンテはアルブッホを望み、ベルンハルトの本陣も見渡せる丘に陣取って戦況を常時見守っていたが、ガラスやピッコローミニ、スペインの将レガネスの采配に口を挟むことはなかった。流れ弾が帝国軍の幕僚のひとりを撃ち倒し、警護兵たちが安全な場所まで退避するよう勧めても、ふたりの王子は丘の上を動かなかった。


 これは、ハプスブルク連合軍の士気を大いに高める効果があった。有能なだけが総指揮官の資質ではない。部下の仕事に干渉せず、悠然と構えることがもっとも重要な働きをする場合もあるのだ。


 午前一〇時――


 度重なる強攻策の失敗がたたり、ホルンのスウェーデン軍は戦線を維持できなくなった。後退を報せる伝令がベルンハルトの元へ走ったが、敵の攻勢が止まったことに気づいたアルブッホ上のスペイン軍は、即座に逆撃に転じようと丘を駆け下りる準備を始めていた。


 ベルンハルトは戦線の均衡を維持するよう努めていたが、ホルンが後退するとなれば敵を全部引き受けなければならず、部隊の配置を考え直さなければならなかった。ハプスブルク連合軍は丘の上から敵も味方も動きを把握できていたが、ベルンハルト軍とホルン軍のあいだには森があって、直接視線が通っていなかった。ホルンがどのタイミングで後退を始め、どのラインで戦線を再編するのか、ベルンハルトにはわからなかった。


 通常であれば軍団が複数あっても総司令は決まっており、上位の指揮官が「三〇分後に後退を開始、一時間かけて、一〇〇〇ヤード南方に戦線を再構築せよ」などと命令をするものなのだが、不仲のベルンハルトとホルンは互いの下位に甘んじることを拒否していた。


 午前一一時――


 ハプスブルク連合軍の大攻勢は、意外なことにホルンに対してよりもベルンハルトへ向けて先に始まった。ホルン軍の正面はアルブッホの丘とだけ向き合った狭いものだったのに対し、ベルンハルト軍の正面はかなり広かったためである。ベルンハルトは小高地に拠って敵の攻撃を食い止めるつもりだったが、ここにきてようやく、敵軍が圧倒的大兵力を擁していると身をもって知ることになった。事前に後退を通告していたホルン軍より早く、ベルンハルトの同盟左翼は壊滅した。


 一方、ホルン軍は前線を支えながら、少しずつ後方へ退却しているところであった。森の切れ目から、突如ベルンハルト軍が総崩れになっているのが見えたと思ったのも束の間、帝国軍の騎兵隊が森の左右を回り込んで飛びかかってきた。


 縦列になりながら最前線は守れていたホルン軍だったが、側面から強襲されてはひとたまりもなかった。たちまちのうちに隊列はぶつ切りにされ、指揮官のホルン以下多くの士卒が捕虜となった。


 ベルンハルトも負傷し、乗騎を撃ち倒されたが、ひとりの竜騎兵が自らは徒歩となって馬を譲ってくれたおかげでどうにか逃げることができた。矮軀でみすぼらしいがタフだったその騎馬は、おそらく大陸ではなくスカンジナビア半島の産駒だったろう。


 ハプスブルク連合軍による掃討戦は戦闘の二日後の八日まで続き、ボップフィンゲンもクロアチア騎兵隊によって徹底的に荒らされて、敗残兵を糾合する拠点すら失ったハイルブロン同盟軍はあてもなく逃げ惑うしかなかった。



 ネルトリンゲンの戦いはハプスブルク連合軍の大勝利で終わった。ハイルブロン同盟軍の戦死者は少なくとも八〇〇〇、捕虜となったものは三〇〇〇以上で、最高司令のひとりホルンもその中に含まれていた。ベルンハルトはネルトリンゲンの西五〇マイルにあるゲッピンゲンまで逃げてようやく安全を確保できたが、軍を再建できる見込みはまったくなかった。


 ハプスブルク連合軍の戦死者は一二〇〇ほどで、負傷兵はその二倍弱だった。数字だけならブライテンフェルトでのグスターヴを超える、見事な事実上の完封勝利といえる。


 当然ながら救援軍が惨敗したことを受け、ネルトリンゲンは降伏した。ベルンハルトは追撃軍に追われてさらに西へ退却するしかなく、ゲッピンゲンも九月一五日にハプスブルク連合軍に占領された。同盟の名の由来でもあるハイルブロンは翌一六日に陥落した。


 ヴァイプリンゲン、シュトットガルド、ローテンブルク、アシャッフェンブルク、シュヴァインフルト、ニュルンベルク、ヴュルツブルク……敵が持つ唯一の遠征可能な野戦軍を壊滅させたフェルディナント三世は、これまでの進撃方向に留まらず、南ドイツのプロテスタント勢力圏全体へ占領軍を送り出した。


 たとえ籠城しても、いくら粘ろうが味方の救援軍は訪れない。多くの都市が抵抗をあきらめて開城した。鉄壁の守備を誇り、攻城軍の糧秣と大砲の火薬が尽きるまで防衛できる可能性に賭けた、アウクスブルクやハイデルベルクのような要塞都市のみが点々と残った。スウェーデン宰相ウクセンシェルナは、主君グスターヴの死以来二年弱ぶりに眠れぬ夜をすごすことになった。


 ベルンハルトはライン河畔に防衛線を張ることに決め、マインツまで退却した。これで、ハイルブロン同盟軍の戦線は一五〇マイル以上後退したことになる。しかも、スウェーデンとの連絡線はレーゲンスブルク、ニュルンベルク、ヴュルツブルク、ネルトリンゲンの陥落によって断ち切られた。


 南ドイツから切り離されたスウェーデンの北部方面将バナーは、ウクセンシェルナへ、ブランデンブルク選帝侯が同盟を見捨て、ザクセン選帝侯とともにフェルディナント親子との和平交渉に臨むだろうと記した報告書を送ってきた。


 ラインの後ろにあるのはフランスであり、ウクセンシェルナはリシュリューとの分が悪すぎる交渉に望みをつなぐほかなかった。



 敗者にとって痛恨となった戦いは、当然ながら勝者にとっては会心の結果をもたらしていた。


 勝利の報せが帝国首府ウィーンまで届くには数日かかったが、その日、皇帝フェルディナント二世はウィーン近傍のエーバースドルフへ狩猟へ出かけていた。帰ってきた夫帝を、継子ままこがその従兄弟とともに大勝を収めたというニュースを受け取った皇妃が出迎えた。フェルディナントはひと言も発することができず、ただ、涙が流れ落ち続けたという。


 同盟の敗北はヨハン・ゲオルクとゲオルク・ヴィルヘルムにスウェーデンを見捨てさせようとしていたが、帝国の勝利はマクシミリアンの考えを変えようとしていた。フェルディナント三世の母は父帝二世の最初の妻であり、彼女はマクシミリアンの妹でもある。


 甥であるフェルディナント三世の帝位継承を一度は妨害したマクシミリアンだが、レーゲンスブルク包囲戦からの、バイエルンから侵略プロテスタント軍を叩き出してくれた一連の手腕は認めるに値するものだった。味方のはずのフランスが敵国スウェーデンと歩を合わせている現状では、名将ティリー亡きあとのバイエルンを守れる者はほかにいない。頼りにできる甥を支持するのも選択のひとつかと、マクシミリアンの判断はかたむきつつあった。


 フェルディナント三世の成功は、政治的な勝利条件を見極め、必要な戦略目標点へ迷いなく軍を進めることでもたらされた。そしてそのとき「軍隊の都合」には一切配慮せず、無神経に命令を発し、たまたま軍隊側の堪忍袋の緒が切れる前に勝利をつかめたので結果的にうまくいったのである。


 この時代の士卒に、反射的に上意下達で動く盲目的な服従訓練は施されていない。彼らは不服となればすぐに叛乱を起こした。マンスフェルトもヴァレンシュタインも、グスターヴですら軍隊の機嫌には気を配った。だがそれでも、白山の戦いのときのマクシミリアンや、一六二二年の「いかれた」クリスティアンのように、下々の気持ちがわからない王侯貴族だからこそ命じることのできる戦略的判断もあり、時宜が間違っていなければ成功するのである。ただし、ずっと続けるとしたがってくれる兵隊がいなくなってしまうが。


 今回のフェルディナント三世の決断は裏目には転がらず、三年前にブライテンフェルトで失われたカトリックとハプスブルクの誇りを取り戻すことができた。

新連載はじめました。

https://ncode.syosetu.com/n4800gh/

淡々無味乾燥なこの話と違ってエンタメに振ってあります。

「海苔」切り離すだけなのでどちらも更新が滞ったりしません。

一度見てやってください。お口に合うとよいのですが……。

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