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三十年戦争史《der Dreißigjähriger Krieg》  作者: 仁司方
第四幕 スウェーデン戦争(1630〜1635)
42/63

剣に生き、剣に死す《Wer das Schwert nimmt, der soll durchs Schwert umkommen》


 一六三四年一月一二日――


 ヴァレンシュタインはボヘミア西部の要衝ピルゼンへ帝国軍の主だった上級将校四九名を招集した。


 その席でヴァレンシュタインは高級将校たちへ向け、ウィーンで自分を罷免しようとする陰謀が進行していると告げ、皇帝フェルディナントにではなくフリードラント伯ヴァレンシュタインに対して忠誠を捧げると誓約書へ署名するよう要求した。


 将校たちは誓約書へ署名をし、ヴァレンシュタインを安堵させたが、彼ら荒くれの武人たちにとって紙に書かれた文字などろくに意味をなさず、気まぐれに破り捨てるという現実を認識しようとしなかった。老いと病は、ヴァレンシュタインから判断力をすっかり奪い去っていた。


 かつては自らも有名無実な書類上の規約を笑い飛ばし、剣の力で現実を切り開いて見せていたことをヴァレンシュタインは忘れてしまっていたのである。そしてヴァレンシュタインの不調と衰えは、間違いなく諸将にも察せられていた。そもそもヴァレンシュタインは最前線で士気を鼓舞し全軍を導くグスターヴ型の将帥ではなく、緻密な計画と地道な準備で勝利を引き寄せる参謀型の官僚的人間であった。


 グスターヴは対面したすべての人々を感動に打ち震えさせる無形のオーラを纏っており、スペイン宮廷に買収されたイタリア人暗殺者ですら、スウェーデン王が背を向けたにもかかわらず、忍ばせていた懐銃を握る手がこわばって結局目的を果たすことができなかったという逸話が残っているほど他者を圧する霊威があったが、ヴァレンシュタインはそこまで個人的なカリスマを立ち上らせているわけではなかった。


 ヴァレンシュタインは豪壮な宮殿を構え、重々しい儀礼的な称号の読み上げと執事の取り次ぎの連続で訪問者に神秘を感じさせていた。

 もちろん一個の人間としてのヴァレンシュタインが、取るに足りない俗物で、性格の悪い下賤な男だということはなかったはずだ。その程度の小者であれば、これまでの成功もありえない。


 しかしそれでも、天鵞絨ビロードのヴェールを通すことなく直視されたヴァレンシュタインは、人生のピークをすぎて病み疲れた老兵にすぎなかった。



 一月二四日――


 皇帝フェルディナントはヴァレンシュタイン解雇の勅令に署名した。


 一代の促成大貴族フリードラント伯より、伝統あるハプスブルクへ忠誠を誓いたいという者は少なくなかった。ピッコローミニとガラスは、軍を分裂させることなくヴァレンシュタインだけを取りのぞく方法を考え出し、実行するよう命じられた。


 ヴァレンシュタインは先年からピルゼンに軍司令部を置き、もっとも自分に忠実な側近と従僕、兵士で周囲を堅めていた。ヴァレンシュタインの身辺に警備側より多数の外部の人間が近寄ることは不可能であった。まず必要なことは、ヴァレンシュタインを鉄壁の要塞から引きずり出すことだった。


 二月――


 帝国軍高級将校のあいだに噂が飛び交い始めた。


 ヴァレンシュタインはフランス王ルイ一三世をローマ王に推戴するため、バイエルン選帝侯をハイルブロン同盟のベルンハルトに、マインツ選帝侯をザクセン軍のアルニムに、トリアー選帝侯をスウェーデン軍のホルンに、そしてザクセン選帝侯を「グスターヴ殺し」のフランツ・アルブレヒト・ザクセン・ローエンブルクにそれぞれ譲位させ、ヴァレンシュタイン自身はボヘミア王となる。

 ミラノ大公はピッコローミニに、ガラスはメックレンブルク大公に、トルシュカはモラヴィア大公の位を与えられ、裏切り者のアルドリンガーは処刑される。

 その後皇帝フェルディナント二世に退位を強要し、ルイ一三世を神聖ローマ皇帝に登らせる。


 ――と。


 荒唐無稽で支離滅裂なこの噂は、帝国軍の幕営に留まらず各所に伝播し、人々を困惑させ、怒らせ、ヴァレンシュタインの正気を疑わせた。

 当の帝国の将軍たちからすれば、選帝侯という最高の地位がスウェーデン・プロテスタント側ばかりで占められるのは納得いかなかった。スウェーデン人はフランツ・アルブレヒトに激しい敵意を寄せていたので、ヴァレンシュタインが寝返りを考えているという古いほうの噂を信じなくなり始めた。


 この噂を故意に広めたのは、ピッコローミニではないかと推察されている。ヴァレンシュタイン排除の実務を命じられたのはガラスとピッコローミニだが、年少ながらピッコローミニのほうが外交にも通じ、口もうまかったようだ。


 ヴァレンシュタインは自分の足元がぐらついていることに気づいた。フランスとスウェーデンは敵主将の転向を歓迎するとしていたが、まずボヘミアの主だった都市をヴァレンシュタイン軍が抑え、開城すべきとしていた。ヴァレンシュタインとしては、先にベルンハルトとアルニムが軍を連れて合流してくるべきと考えていた。


 つまり、「同盟」側は、ヴァレンシュタインがいまだに軍を強力に統括しており、裏切るという偽情報で真冬のボヘミアに自分たちを誘き寄せて殲滅するつもりなのではないかと疑っていた。

 ヴァレンシュタインの側は、無意識のうちにもう帝国軍を支配できていないとわかっており、身の保全のために同盟軍の来着を望んでいたのである。


 しかし、ヴァレンシュタインはアルドリンガーこそ信用していなかったが、ピッコローミニとガラスのことは疑っていなかった。


 二月一九日――


 ヴァレンシュタインは高級将校たちへ再びピルゼンへ集まるよう呼びかけたが、やってきたのは三〇名に満たなかった。アルドリンガーは病気を理由に動かず、彼を連れてくるよう命じられたガラスは出かけたまま帰ってこなかった。


 そしてピッコローミニは二月一五日夜に――この時点で一九日の会議は布告されていた――ピルゼンを離れ、ヴァレンシュタインの幕営には二度と戻らなかった。

 実はもう手回しはされており、二月一八日に、各地の帝国軍冬営陣で皇帝の勅書が読み上げられ、ヴァレンシュタインは公式に叛逆者とされていたのである。ガラスとピッコローミニは、各駐屯地の部隊を次々と掌握していった。


 一方、ヴァレンシュタインは事態の推移を知らぬまま、改めて上級将校たちの忠誠を確認しようとしていた。しかし彼らは――そのうちの幾人かは既に昨日の勅書について知っていただろう――、「皇帝に反しないかぎり」ヴァレンシュタインにしたがう、としか約束しなかった。国家、皇帝一族以外の個人に対し、忠誠を誓うなどできない、とはっきり断る者すらいた。


 もはや残っている味方はトルシュカとイーロウだけだった。ヴァレンシュタインはトルシュカをプラハへ向かわせ、首府を蜂起させて、フランスやスウェーデンの承認を待たず、ひと足跳びにボヘミアの支配者としての実を得ようとした。だが、トルシュカはすぐに引き返してきた。途中で出くわした将校から、ヴァレンシュタインの罷免と叛逆罪での追訴の情報を教えられたためである。


 プラハ守備隊の上級指揮官であるベック大佐という男が、ピルゼン会議のためにやってきていたので、ヴァレンシュタインは大佐を説得して首府の駐屯軍を抑えようと思いついた。しかし呼び出されたベック大佐は、これまで自分は総司令の命令を忠実に果たしてきたが、皇帝陛下の意向に反することはできない、と頑固な態度で述べた。


 大佐は覚悟ができていただろうし、ヴァレンシュタインは彼を処刑することができた。にもかかわらず、ヴァレンシュタインはベックに手を差し出し、その高潔な忠誠心を嘉して立ち去ることを許したのであった。


「私は、私の手の中に平和を握っている。神は正しい」


 ヴァレンシュタインは大佐を見送りながらそういった。



 同月二三日――


 子飼いの五個連隊のみを連れ、一〇万グルデンの現金と集められるだけの財宝を馬車に積み込み、ヴァレンシュタイン、トルシュカ、イーロウはピルゼンを脱出した。

 行き先は、ボヘミア国境にほど近いエーガー市である。ライプツィヒやニュルンベルクにいるスウェーデン軍へ、迎えを寄越すよう使者が送り出された。


 ピッコローミニはプラハやウィーン方面への街道は押さえていたが、北や西までは手が回っていなかった。ヴァレンシュタインが逃げるとは思っていなかったピッコローミニは半ば出端をくじかれ、同時に拍子抜けしたが、ひとまずピルゼンを掌握することにした。


 二月二五日にピッコローミニはピルゼンに入城し、そこでアイルランド人の説教師ターフェ神父と遭遇した。神父は、竜騎兵の一連隊を率いるバトラー大佐の聴聞師であったようだが、プラハへ向かっている途中でヴァレンシュタインの一行とすれ違っていた。

 ヴァレンシュタインはバトラー連隊に対し指揮下へ加わるよう要求し、しかし大佐は正式な命令書がないことを理由に拒んでいた。大佐もまた、ヴァレンシュタインの総司令罷免を知っていたのであろう。


 ターフェの話から、ヴァレンシュタインの行き先と、スウェーデン軍合流の可能性を知ったピッコローミニは、すぐさまバトラー大佐の元へ戻るよう神父へ命じ、生死を問わず叛逆者の身柄を確保するよう指令書を持たせた。


 実際には、ピッコローミニの指令を待たずしてことは運んでいた。二四日の夕刻にエーガーへたどり着いたヴァレンシュタイン一行を迎え入れた守備隊長ゴードンだったが、追尾してきたバトラーの連隊にも門を開いていた。

 ゴードンはヴァレンシュタインへの忠誠心をいまだ保っていたが、バトラー大佐と副隊長のレスリーは皇帝の命令の執行と、なにより報酬を求めていた。


 バトラーはアイルランド人で、ゴードンとレスリーはスコットランド人だった。三人ともにドイツやチェコ人ではなく、英語という周囲とは異なる言葉を使えることが、謀議をおそらくは推進したであろう。最終的にゴードンは折れ、襲撃の手引きに同意した。


 二五日夜――


 トルシュカとイーロウ、フランスとの交渉人をしていたボヘミア叛徒キンスキーは、ゴードンに招かれて夕食の卓を囲んでいるところだった。

 そこへバトラー連隊の兵士たちがレスリーを先頭になだれ込み、ヴァレンシュタイン派の将校たちをたちまちのうちに殺害した。トルシュカひとりが食堂を抜け出し、中庭まで逃げたが、暗がりの中で衛兵の一隊に遭遇した。


 合言葉を訊ねられたトルシュカは「(ザンクト)ヤコプ」と応じたが、それはヴァレンシュタインが指定したキーワードであり、ゴードンの配下は既に皇帝派に転じていた。


「皇帝陛下万歳!」の叫びとともにマスケットが射ち放たれ、ひとりの兵が倒れたトルシュカへ短剣で慈悲の一撃を加えた。


 その数時間後、アイルランド人の大尉デヴルー率いる一隊が、ヴァレンシュタインが宿泊している市長の邸宅に押し入った。


 物音を聞きつけたのか、ヴァレンシュタインは窓際に立っていたが、デヴルーは余計な問答をすることなくかつての最高司令官へ刃を突き入れ、複数の剣と槍に貫かれてヴァレンシュタインは絶命した。


 罪人にふさわしく窓から逆さ吊りにしてやろうと、ひとりの巨漢アイルランド兵が遺体をつかみ上げた。デヴルーはそれを止め、元上官へのせめてもの敬意として部屋に敷かれていた真紅の絨毯でヴァレンシュタインの亡骸を包み、馬車でエーガーの砦まで運んでいった。


 中庭にはトルシュカたちの屍体がぞんざいに転がされていて、彼らの指揮官として、ヴァレンシュタインは最右翼に寝かされた。軍人として、デヴルー大尉なりの武骨な弔いであった。



 アルブレヒト・ヴァーツラフ・エウセビウス・ツェ・ヴァルトシュテイーナ――神聖ローマ帝国貴族としてはアルブレヒト・ヴェンツェル・オイゼービウス・フォン・ヴァレンシュタインは、五一歳で世を去った。

 下級貴族から身を立て、皇帝をもしのぐ富と栄華を手にし、戦争の天才スウェーデン王グスターヴを緻密な兵站の組織化をもって退け、最期は己が作り上げた組織の崩壊を食い止めることができなくなっての死であった。


 ヴァレンシュタインの遺骨には梅毒の病変が見られたという報告もある。確かに梅毒は神経細胞を冒し、痴呆様態を呈するが、脳にまで進行した状態であればそれ以外の末期症状も出ていたはずであり、しかし彼の肖像画は鷲鼻とやや広い額で描かれていて、その高い鼻が削げ落ちた、あるいは頭部に異様な突起が生じていたというような記述はない。


 なんらかの精神疾患が晩節のヴァレンシュタインの知性を曇らせていた可能性は非常に高いが、具体的な原因について確定することは、おそらく今後もないであろう。

 ヴァレンシュタインは占星術に傾倒していたが、これは若いころからずっと続いており、耄碌して多少入れ込みはしたろうが、判断を誤った決定的な理由ではない。

 オカルトを好んだという点で、ヴァレンシュタインは二代前の皇帝ルドルフ二世の後継者だった。天文学者ケプラーのパトロンもしており、軍事、経済、科学、文化のさまざまな面で、ヴァレンシュタインは現代につながる糸を握っている。


 埋葬に関しては生前のヴァレンシュタインの希望が叶えられ、ジッチン近郊の修道院に用意されていた墓で、最初の妻ルクレティアの隣りで永遠の床についた。一八世紀に地元修道会の解散で改葬されることになったが、場所を移してもふたりは並んで眠っているという。



 暗殺者たちのうち、バトラーはヴァレンシュタインのフリードラント伯爵領を受け継ぐなど破格の報酬を得た。一方、ゴードン、レスリー、デヴルーは昇進と金銭で報いられはしたものの、冒した危険に比べれば過大とまではいえなかった。暗殺という汚れ仕事での栄達をよしとしなかったのか、単にバトラーほど押し出しが足りなかったのかは不明である。


 ヴァレンシュタインの妻イサベラ・ハルラッハと娘マリア・エリーザベトに罪が問われることはなかった。叛逆罪は一族の者も連座で罪に問われるものであり、これは異例なことといえた。

 フェルディナントはボヘミア叛乱の首謀者アンハルトも最後には赦した、ある意味では器の大きな、べつの意味では信賞必罰をわかっていない無責任な性格であり、叛逆罪という強い処置を講じたのも、帝国軍の分裂なしにヴァレンシュタインを取りのぞきたい一心があったにすぎず、もしかしたらヴァレンシュタインが自らウィーンへ出頭して慈悲を乞えば、引退を許して生命までは奪わなかったのかもしれない。


 とはいえ、ヴァレンシュタインも乱世の雄であり、自ら剣を把ることのないフェルディナントに犬のように絶対服従することを、自尊心が認められなかったのであろう。

 滅ぶのならば剣で滅ぶ――それが、最後の賭けに踏み出したときの、おそらくはヴァレンシュタインの決意であった。


 根本的には官僚的な管理人気質でありながら、時代の要請によって軍人にならざるをえなかった男の選んだ、自分は流されてこうなったのではなく、己で歩む途を決めたのだ、という伊達の表明、不器用な魂の叫びであったのではなかろうか。



 ヴァレンシュタインが刺客の手にかかっていたころ、フランツ・アルブレヒトは使者としてベルンハルトの陣営を訪問していた。

 アルブレヒトはすぐにエーガーへ駆けつけるようにと懇請したのだったが、「王を裏切った者」を、ベルンハルトはにわかに信じかねた。グスターヴ謀殺の疑いをかけられスウェーデンの幕舎を抜け出してアルニムの元へ駆け込み、今度はヴァレンシュタインの使いとなっている、これはあまりにも節操がないのではないか。ベルンハルトの勘ぐりは当然だった。


 それでも一両日中にはエーガーへ向かうだろうと応じのだが、アルブレヒトは報せを持ち帰ろうとはやるあまり、バトラー大佐の部隊によって捕らえられてしまった。

 バトラーは抜け目ない男で、スウェーデン軍がヴァレンシュタインからエーガーとピルゼンを明け渡してもらおうと向かってくるのを警戒するだけではなく、手柄を横取りされないよう、ほかの帝国軍部隊のことも監視するため、周囲に哨戒網を張っていたのである。


 ベルンハルトは二月二六日に出陣準備を整えたが、そこにヴァレンシュタイン死すの報が入り、ボヘミアを労せずして得る機会を失ったことを知った。ただ、同時に、グスターヴを戦死させた男と轡を並べなくてすむということで、清々した気分も味わったのではないだろうか。


 ヴァレンシュタインが寝返りに失敗して死んだというニュースは、フランスにおいても平静に受け取られた。ボヘミアと六万の兵をタダ取りすることはできなかったが、フランスはまだなにも支払っていなかったので、丸得こそできなかったが損もしていない。


 その一方で、ウィーン宮廷での歓喜は大きなものだった。秘密主義者で狷介でなにを考えているかわからず命令を聞こうとしない総司令は消え去り、皇帝に忠誠を誓う将兵が残った。

 ヴァレンシュタインの喪失は兵站管理官の喪失を意味し、戦争がまた中世に退化することを意味していたが、そのことに気づく者はこの時点ではいなかった。もっとも、ヴァレンシュタインは明晰な思考を失いつつあり、仮に生きていたとしても兵站を保持し続けることができたかは保証のかぎりでなかったが。


 皇帝フェルディナント二世の息子、ハンガリー王フェルディナント三世が後任の総司令に就任することは決まっていた。枢機卿インファンテもイタリアで進発準備を完了させており、文字通りのハプスブルク帝国軍の誕生が間近に迫っていた。

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