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菊額の最後

【天正15年01月29日】


「何故、五郎次郎ちかかずはあのような凶事におよんでしまったのか…」


俺以外の他人を払った部屋で、親実ちかざね様は頭を抱えていた。


あの惨劇の後。親和兄の死は、親実様によって伏せられた。騒ぐと思われた親和兄の家臣どもだが、俺が倒したあの3人が重臣かつ武闘派であったらしく、粛々として主人の遺体を片付けて、今は親和兄の家来どもに見張られながら屋敷に大人しくしている。


「菊額殿を呼び込んだのは抜かりだった。まさか五郎次郎ちかかずが分別をなくしていようとは」


「兄上は…分別をなくしていたのでしょうか?」


俺の疑念に、親実様が顔を上げる。


「どういう意味だ」


「こと切れる寸前、兄上は拙者に『頼む』と言い残しました。それが気にかかって」


「正気だったとしたら余計に性質たちが悪いわ。千熊丸もりちかを世子にするなぞと言うておきながら、このままでは長宗我部そのものが改易になってしまうのだぞ」


その通りだ。

関白殿下の使者に斬りかかったのである。しかも当人に責任を取らせようにも、返り討ちにあってしまっているのだ。


「拙者が菊額殿に掛け合ってみましょう」


「うまくいくか?」


「うまくいかぬ場合は」


俺は置かれた太刀と脇差に目を向けた。


「できるのか?」


親実様が訊く。


大阪から道行きを共にした菊額殿に刃を向けられるのか? と訊いているのか。

それとも、菊額殿を負かすことが可能なのか? と訊いているのか。


「やらねば、長宗我部がなくなるのです」


俺がこの世に生まれ変わったのは、何のためだ。


長宗我部を…潰させやしない。

何をしてでも、何としてでも!




【天正15年01月30日】


相談したいことがある。

俺はそう言って、菊額殿を岡豊おごう城下から外れた寺にまで連れ出した。


「菊額殿。どうか、香川ちかかずの狼藉は黙っていてくれませんか」


「それは無理筋というもの。それがしは関白殿下の臣ですからな、報告はさせていただく」


「吉良様は金子を幾らでも出すと言うておられる」


「それがし、金子に興味ござらん」


そんなことよりも。と菊額殿が鯉口を切る。


「さっさと始めましょうぞ。それがしをこのような人気ひとけのない場所に連れてきたのは、そういう積もりなのでしょう?」


本当に血の気のおおい御仁だ。黙ってこのような人気のない場所についてきたのも、はじめから殺りあう気が満々だったからだろう。


俺だって、殺し合いを前提に連れ込んだのだ。

寺の者は既に追い払ってあるし、さらに各所には親実様の手勢が伏せられている。


だが。俺はこの期に及んでなお躊躇ためらいがあった。

菊額殿は悪人ではないのだ。話し合えば、分かってくれるのでは。そんな風に考えてしまうのだ。


そんな俺の煮え切らない気組みを見抜いたのか、菊額殿はかなわないとばかりに首を振った。


「ここまでおぜん立てをしたというのに、まったく」


「おぜん立て、だと?」


「孫次郎殿は賢いのですから、これしきのカラクリは見抜けていると思うていましたが。買いかぶりだったのですかな」


「やはり。菊額殿…あなたが兄上をそそのかしたのですね」


「辿り着きましたな」


ニヤリと菊額殿…いいや、菊額が笑みを浮かべる。


「しかし、回答としては半分しか正解ではありませんな」


「残り半分。答えを言え、殺される前にな!」


俺は槍の穂先を菊額に突きつけた。


「その意気や良し! 教えましょうとも。答えは簡単、関白殿下からの書状を渡したのですよ」


そこか! と思う。裏にいたのは、あの眼の小男。


「書状の内容は?」


「ふふん。孫次郎殿、あなたがそれがしを討つことができたのなら、土佐の地を千熊丸もりちかを世子にして安堵すると書いてあったはずですぞ」


土佐の混乱は大阪に筒抜けだったということか。


あとを頼むぞ。親和兄の最後の言葉がよみがえる。

俺に…菊額を討たねばならぬ状況をつくり上げるために。兄上はわざと殺されたのか…。


言ってくれれば。

いいや、言えなかったのか。他言無用とでも添えてあったのだろう。


「だが…だが、わからない。兄上は俺に刺客を差し向けたじゃないか」


「ああ、あれはそれがしが香川様に申し込んだのですよ」


土佐ごとき辺境の地に逼塞している半農の武士の3匹も討てぬような実力なら、とうていそれがしを倒すことなどできませんからな。


菊額の声が遠い。怒りで頭が焼けるようだ。


「本当は、それがしも観戦するつもりだったのですがな。まさか腹を壊してしまうとは不覚でした。おかげで手傷を負った孫次郎殿は危うくなってしまいましたしな。ほんに、このまま死んでしまったのでは、殺りあえんでは、もったいないと飯も喉を通りませなんだ」


それが断食の正体か。


「菊額! これが最後の質問だ。このこと、殿下は承知なのだな? 俺が死ねば錬金術は失われると了解しているのだな?」


「もちろん。関白殿下は言われましたぞ。儂の財力があらば、外の国から錬金術師なる者を探して召し出すのも不可能ではあるまい、と。まさかに孫次郎殿だけが不可思議なる秘術をものにしているわけでもありませんからな、それがしも関白殿下なら容易だとおもいますぞ。そう考えると、孫次郎殿。豊家に忠誠を誓わず、土佐の長宗我部に恋々とするあなたの存在は関白殿下にとって真に獅子身中の虫。どうしてかは、分かるでしょうな?」


他の力ある大名。たとえば徳川にすりよって錬金術の知識を開示されたのなら、困る。困るから、面倒を起こされる前に殺してしまおうというわけか。


笑える。

笑えるじゃないか!


俺は前世の知識をもっているということで調子に乗っていた。

長宗我部を…元親おやじ様を救えると思っていた。


それが。その結果が、これだ。

俺のせいで、親和兄の死は早まり、長宗我部は危機に瀕している。


俺は菊額への怒りも忘れて、己の抜け作に笑けてしまった。


「なぁ、菊額よ。確認するが、殿下からの書状の内容に嘘はないんだな」


「ありませんな」


菊額がゾロリと太刀を抜くと、声を張り上げた。


「それがしを、孫次郎殿が、殺せたのなら。土佐の地は安堵する!」


「そういうことだ左京進ちかざね様! この男は俺が殺さねばならん! 手出しは無用に願う!」


ふふふ、と菊額が笑う。


「寄ってたかってそれがしの首を取ったところで、大阪には伝わらないものを」


「それじゃあ、俺の気持ちが納まらないからな」


「甘いですなぁ。武士としては甘い。だが益荒男として素晴らしい」


俺は袴の股立ちをとってから、たすき掛けをした。菊額も同じく、準備をしている。

更に俺は、手甲脚絆を身に着けて、重しとなる太刀と脇差を置く。

以前、菊額から一本とれた業は、使えない。1度見せてしまっているのだから。


向かい合う。


いざ!


俺は無言のままに突きを繰り出した。


挨拶のようなものだ。

菊額は笑顔のままに微動だにしない。


届かない突きだと承知しているのだ。


糞ったれが! 動揺のひとつも見せねぇ。


睨みあう。


「こないのですかな? でしたらそれがしから行きますぞ」


言うや、ノソリと余りにも無防備に歩み寄ってくる。


俺は胴をねらって突き、それを打ち払われると、払われたままに穂先を地面に当て、反動をもって脛を薙いだ。


「よくぞ!」


菊額が刃を立てて防ぐ。

俺は薄ら笑ってやった。


「いぜん、俺の槍術を小手先だと言ってくれたよな。いまでも同じことを言えるかよ?」


「言えませんなぁ。立派に人殺しの業に昇華してますぞ」


道中、散々ぱら、菊額にはしごかれた。

奴は自分で言っていたように、手加減のできる男ではなかったので、それこそ毎試合が殺し合いのようなものだった。


槍を掲げて車輪に回す。


何も恰好をつけているわけじゃない。

遠心力を利用するのだ。


車輪の勢いをのせて、右から払い、左から払う。


菊額は素早く動けない。

そこが付け目だった。


とにかく奴は攻撃を避けられないのだ。

防ぐことしかできない。


ガンガン、鉄と鉄とを叩き合わせる音が境内に響き渡る。


もはや、菊額の顔に笑みはない。

俺だって余裕はない。


菊額がノソノソと踏み込めば、俺は小走りに退く。

退きながら距離を取って槍を打ち出す。


これの繰り返しだ。


卑怯? 

ならば実力に格段の差がある菊額と真っ向から勝負しろとでも言うのか?

これは殺し合いなのだ。卑怯なぞと思う輩は、死生の境を知らぬ人間だ。


それに俺は、長宗我部のためにも勝たねばならんのだ。


菊額の太刀が歪んできている。

勢いの乗った槍を防いでいるのだから当然だろう。


得物が使えなくなれば、俺の勝ちだ。


そう思った。思ってしまった。


油断。


その一瞬をつかれた。


菊額が走ったのだ。


馬鹿な!


思い出す。奴は走れないと言ったか? そうじゃない。走ると酒に酔ったように千鳥足になる、と言っていた。走れないわけでは、ないのだ。


懐に入られたら、まずい!


俺は袈裟懸けに斬りつけた。


が、千鳥足。運は奴に味方した。菊額がよろけたせいで、穂先は奴の額をかすっただけに終わった。


菊額が必勝の笑みを顔に貼り付けて、太刀を振りかぶる。


俺は咄嗟に左腕を掲げた。


太刀が振り下ろされ……ガチン! 鋼鉄の打撃が轟いた。


太刀は。俺の左腕で止まっていた。

左腕の手甲に仕込んでおいた鋼鉄の薄板によって防がれていた。


防ぎながらも強力に押されて、片膝をつく。


刀が歪んでいたからこそ、俺の腕は斬り落とされなかった。

が、鋼鉄の棒で叩かれたのだ。骨は折れただろう。


右手に掴んだ槍を、渾身の力をもって突き出す。


穂先は、菊額の腹に吸い込まれた。

しかし俺の槍もまた度重なる打撃で疲労していたため、菊額の腹に刺さったものの折れてしまった。


菊額の口から血があふれ、俺の頭上に降りかかる。


「ま、ご次郎…どの。とど…め、を」


「わかった」


俺は立ち上がると、置いておいた太刀を手に取った。


振り向くと、菊額は座り込んで頭を垂れていた。


背後に回る。

太刀を掲げて、俺は菊額の首筋めがけて振り下ろした。


狙いあやまたず、菊額…殿の頭が石畳に転がる。


今さらながらに左腕がジクジクと痛む。


俺は屈んで、菊額殿の首を両手にとった。


「笑ってやがる……」


死んだのに、満面の笑みで笑ってやがる。


俺は、それが無性に羨ましく感じた。

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