香川親和
【天正15年01月28日】
親実様と俺、そして菊額殿は連れ立って親和兄の屋敷の門を叩いた。
むろんのこと3人だけということはない。
親実様は10人の武者を引き連れている。
誰もが殺気立っていた。
これから会うのは反盛親派にとっては許しがたい『敵』なのだ。
味方面して派閥に担がれておきながら、裏ではその担いだ者どもを暗殺していた、卑怯な裏切者。これは戦国時代の武者の観念と照らして比類なく嫌われる行いだ。とくに土佐のような南国の育ちは裏表がある性質を嫌うから『香川親和、許せぬ!』と沸騰していた。
槍を持ち弓を担いで武装した俺たちに、屋敷の門衛は大慌てで門扉を閉じた。
「儂は吉良親実であるぞ! 香川殿に談判したき儀があって罷り越した! 門を開けい!」
大音声で親実様が訴える。
「まこと吉良様であれば、出で立ちを改めてお越しなされい!」
門の向こうから声が返ってくるが、怖気が感じられる。
「開けぬとあらば、打ち壊す! よろしいか!」
「なれば戦ぞ! 覚悟はあられるか!」
菊額殿がニヤニヤと笑っている。明らかにこの状況を楽しんでいる。
俺としては留守番していて欲しかったのだが。
「いよいよですな」
と言って、付いて来てしまったのだ。
そんな菊額殿を親実様は拒まなかった。
菊額殿は大阪からの正式な使者なのだ。親和兄が刃を向けてきた場合には、菊額殿を理由に流血を回避しようと考えたのかも知れない。
「覚悟なくば、このようなことしないわ!」
親実様が門扉を壊すよう配下に下知しようとした時だ。
「待てい!」
向こう側から制止の声がかかった。聞き覚えのある声だ。相手はおそらく…。
門扉が開けられる。
やはり。
そこに居たのは、兄である香川親和だった。当年20歳。母親に似たせいなのか、兄弟のなかでは一番小柄で、顔立ちも目鼻立ちのしっかりした長宗我部の系譜から外れて京の人間のように雅やかだ。
親和兄はグルリと俺たちを睨み渡した。
「左京進と孫次郎だけ通そう」
承知しかねる! 親実様の配下どもがいきり立つ。
それはそうだろう。主人と戦働きも経験してない小僧のたった2人を敵地に乗り込ませるなど、反対するに決まっている。
それを親実様が手を軽く上げて制した。
「もう一方、この」
と菊額殿を目線で示し
「御仁を伴わしてもらおうか。この御仁は大阪からの使者である。意味が分かるな」
親和兄がジロリと菊額殿を見た。
「入られい」
言うや、背を返して奥へ歩いてゆく。
親実様がそれに続き、俺と菊額殿も続いた。
しょせんは領地をもたぬ男の棲み処。
屋敷とは名ばかりで、村の庄屋の家に毛が生えたていどのものだ。
いいや、実際のところ庄屋の住み家を改築したのかもしれない。
俺たちが通されたのは囲炉裏のきられた部屋だった。
「して、何用か?」
親和兄は座るなり、俺たちに座を促すこともせずに訊いてきた。
俺たちは客ではないということだろう。
「わかってるだろうが」
対面にドカリとあぐらを組んだ親実様が静かな怒気をあげる。
無論のこと太刀は佩いたままだ。
「孫次郎が」と背後に控えた俺を示して
「刺客に襲われた。その刺客どもを調べたらな、3人ともがお主の部下だった。申し開きはあるか」
「ないな。あの3人はなかなかの猛者だったのだが、まさか返り討ちにあうとは」
孫次郎、と親和兄が俺を見る。
「強くなったな」
優しい目だった。だが何か寂しい目でもある。
「兄上…。どうして拙者を」
親実様がおられるというのに、俺は引っ張られるように訊いてしまっていた。
「どうして、か」
親和兄が顔を伏せる。
「なぁ、2人は親父のことをどう思ってる?」
土佐様のことを親父と言う。それはつまり、親族として話しているのだろう。
「俺にとっての親父はな、広い背中が力強くて、何時でも遠くにいて。それでいて、会えばニコニコと笑ってくれる。そんな人だった」
でもな…。親和兄の声が震える。
「弥三郎兄がのうなってからの親父は……ちいさくなってしまわれた。広かった背中がなぁ、こう…丸まってしまってな。何時も笑っていたのが、眉と目が吊り上がって別人のように歪んでおるんじゃよ」
「…今の殿は狂うておられる」
親実様が不満を声音に孕ませて呟く。
「そうよなぁ。息子に先立たれただけで…それだけ愛情深いお人柄なんじゃろう」
親和兄が面をあげて俺に目を向けた。
「そんな人が…親父がな、ある日、俺を訪ねてきてなぁ。土下座をするんじゃ」
『何事ですか! どうか顔を上げてくだされ!』
『親和。どうか、どうか頼む!』
「そうしてな…」
『千熊丸のために』
「俺に、死んでくれ。…と言われるんじゃ。懇願されるんじゃ」
だから、と親和兄は言った。
「俺は承知した。死にましょう、とな」
「貴様! 死ぬつもりであったなら、何故我らに担がれた!」
親実様が掴みかからんばかりに親和兄を睨む。
「油断させるためよ。俺にとって本当に邪魔なのは反盛親派のお前らだったからな、数を減らさせてもらったぞ」
「この!」
堪忍袋の緒が切れたのだろう、親実様が飛びかかろうとする。
それよりも一呼吸分だけはやく、親和兄は動いた。動いて、囲炉裏の火箸を手にした。
「なにを!」
親実様がギョとして固まる。
親和兄は瞬間、俺を見て……火箸を両手に跳躍した。
相手は俺じゃない。親実様でもない。
菊額殿だ!
「ぬハハハハハ!」
抜き打ちの一撃だった。
菊額殿は親和兄をバッサリと斬った。
血にまみれた親和兄が俺の膝に転がり落ちる。
「あ、あとを…たのむ…ぞ」
血を吐いて、絶命する。
余りの出来事に動けずにいると、菊額殿が立ち上がり、睥睨しつつ言った。
「関白殿下の使者であるそれがしにこのような真似をしたこと、しっかと報告させてもらおう」
ニッと笑って返り血を浴びた姿そのままで部屋を出ていく。
俺と親実様は、とんでもないことになったと青くなって見送るしかなかった。




