吉良親実
【天正15年01月24日】
目を覚ます。
「俺は…いったい」
呟いた言葉が、自分で驚くほど力がなかった。
首すら動かすのが億劫で、視線だけを巡らせる。
立派な部屋だった。俺の下には畳すら敷かれている。
音もなく襖がひらかれた。
入ってきた老人は静々と遣ってきて俺の傍らに座った。
傷跡に塗ってあった薬草めいたものを濡れた布で丁寧に拭き取って、新しい薬を塗っていく。
「ここは、何処だ?」
尋ねると、老人は初めて病人が起きていることに気付いたとでもいうように俺を見て、言った。
「吉良様のお屋敷です」
そうか、吉良様の。ホッと安心する。
老人は案外な力でオレの上体を持ち上げると、水差しの吸い口を持ってきてくれた。
喉が渇いていた俺は、ありがたくいただく。
「もうしばらく寝ていなさい」
再び布団に寝かされた俺は、医師だろう老人の言葉に従って目を閉じた。
次に目を覚ますと、傍らに男が座していた。
「よぉ、久しぶりだな」
「これは、左京進様」
かすれた声で挨拶をする。
男とは吉良親実。俺が松本殿を通して会いたいと願いでていた相手だった。
俺にとって、親実様は気のいい親戚の兄ちゃんといった感じの人だ。とかく信親様とつるんでは、俺に色々と遊びを教えてくれた。特に喧嘩の仕方や女遊びといった信親様とは違った悪い方面を熱心に教わった覚えがある。
以前に会ってから二年。しかし、たった二年間なのに、二十代半ばの親実様の鬢には白いものが混じってしまっていた。
苦労しておられるのだろう。
上体を起こそうとした俺を制して、親実様はニヤリと笑った。
「刺客三人を返り討ちにするとはな、さすがは長宗我部の男だ」
「この体たらくですがね」
二人で笑みを交わし合う。
「孫次郎、お前は三日も寝てたんだぜ。血が流れて、結構危なかったって金瘡医が言ってたわ」
「左京進様は命の恩人ですね、感謝します」
「その感謝はいらねえよ。重則 (松本殿) に聞いたんだが、あいつが商人になるにつけて、目玉になる商品をつくってくれたんだってな。それで差し引き無しだ。それよりも、感謝するなら孫次郎の付き人の菊額とかいう奴にすべきだぜ。あいつがお前を見つけて、重則ンところまで駆け込んだんだからな」
「菊額殿が」
「孫次郎の帰りが遅いからって、腹が痛いのをおして迎えに出たんだってよ」
言って、親実様はグフフと含み笑いした。
「あいつ、糞をもらしながら孫次郎をかかえて重則の家に乗り込んだらしいぜ。好い奴だよな」
俺もクスリと笑ってしまった。菊額殿が俺を抱えて懸命に早歩きする様子が、ありありと脳裏に浮かんでしまったのだ。
「ええ、菊額殿は好ましい御仁ですよ」
「だよな、今も裏庭に座り込んで断食をしてるぐらいだ」
「断食ですか? なんでまた」
「孫次郎が襲われたのは自分が側にいなかったせいだとか言ってな、起きるまで食を断つんだとさ」
確かに菊額殿がいれば襲われなかっただろうが、供もつけずに一人で行動していた俺が悪いのだ。そこまで責任を感じる必要はないと個人的に思う。
とはいえ、守り役として俺を守護できなかったのだから、大阪に戻ったら何かしらの罰はあるかも知れない。
むしろ、菊額殿に叱責があるとしたら、身勝手をした俺の方こそ申し訳なく思う。
「孫次郎、まだ話せるか?」
「問題ありません、拙者のことは気にしないでください」
「なら、本題に入るわ。実はな、お前の持ってきた書状が殿|(元親)に上らないようにしていたのは儂なんだ」
「何故に?」
「孫次郎が、関白殿下の使者だというのが大問題なんだよ」
親実様は重い溜め息をつかれた。
「殿はな、千熊丸 (盛親) を後継者にするつもりでおられる」
史実の通りだった。信親という長男を失った元親は、次男である香川親和や三男の俺を退けて、四男であるところの盛親を世子に指名するのだ。もちろん、四男を世子に後押しするというのは戦国時代においても異常事態である。
知ってはいたことだが、俺は驚いてみせた。
「どうして、そのようなことに」
「殿は、千熊丸に弥三郎 (信親) 様の面影を重ねておるのよ」
たしかに盛親の面差しは兄弟のなかで一等、信親兄に似ていたけれど。
「家内が混乱するのを見過ごしてまで、ですか?」
「言っちまうが、今の殿は狂うておられる。そんな狂気の殿の御前に見舞いだとはいえ関白殿下の命をおびた孫次郎が現れてみろ、確実に要らぬ腹を探られる。そして、関白殿下が世子に孫次郎を後押ししていると邪推されるに決まっている」
「そう…ですね」
この時期、既に盛親が世子として担がれていようとは予想外だった。
まして親実様の言う通りだとしたら、大阪から来た俺と元親様とを会わせるわけにはいくまい。
「理由は承知しました。けれど、そういうことなら、早いうちに教えてくださればよかったのに」
「そういう訳にもいかなかったんだよ。千熊丸を担いでいるのは殿を筆頭に、面倒臭ぇので久武内蔵助がいるんだけどな、他にも正体の判然としない何者かがいたんだ。その正体不明の何者かは、反千熊丸派の連中を次々に暗殺していてな、俺と接触したら当然、嗅ぎつけられて孫次郎にも凶刃が向く。それを用心してたんだ」
「しかし、拙者には刺客が向けられました」
「重則とちょくちょく接触していたからだろうな。そこから目をつけられたんだろ」
「その何者かの正体は分からないのですか?」
親実様は苦い物を飲み下したような顔をした。
「孫次郎のおかげで、正体は分かったよ。お前が返り討ちにした刺客どもが手掛かりになってな」
「いったい誰なのです?」
親実様は顔を背けると、吐き捨てるように言った。
「香川五郎次郎様だ」
香川五郎次郎親和。
長宗我部家の次男である。俺と同じように、西讃岐四郡の守護代である香川氏のもとに養子として送り込まれ、名跡を継いだ男。その後、讃岐国の制圧に転戦して功を上げたが、豊臣氏の四国征伐で長宗我部が土佐に押し込まれると、加川氏は改易となり、現在は岡豊城下の村に屋敷をあてがわれてひっそりと暮らしているはずだ。
なお、親和は天正十五年に死去することになっている。死因は、病死とも、家督相続の可能性がなくなったことからの憤死とも言われている。
今度こそ俺は驚いた。
「どうして、五郎次郎様が拙者を?」
それこそ、俺が関白殿下の後押しをもらって世子になるべく舞い戻ったとでも思ったのだろうか。
「わからん。だから、近いうちに五郎次郎様のもとを訪ねるつもりだ」
「その折は、拙者も是非」
「そうだな。孫次郎も襲われた被害者であることだしな」
うなずくと親実様は立ち上がった。
「そうと決まれば、孫次郎は一刻でもはやく体を治すべく養生していろ。俺はあの菊額とかいう面白い男に孫次郎が目を覚ましたことを報せてくるからよ」
よっぽど菊額殿のことが気に入っているのだろう。親実様はニヤニヤとしながら部屋を出て行った。
それにしても。残された俺は考える。
ただでさえ人材が払底しているというのに、暗殺まで横行していたとは。しかも黒幕が長宗我部の血に連なる者だとは。
「左京進 (親実) 様も頭が痛いだろうな」
なにせ親実様は、他ならぬ次兄の親和様を世子として後押ししていたはずなのだから。
その親和様にまんまと裏切られていたことになるのだ。
この長宗我部家の混乱は、菊額殿をとおして関白殿下にも伝わるだろう。
「改易はされないと思うが…」
それでも関白殿下の長宗我部への印象は間違いなく悪くなる。
俺の行動が思わぬかたちで裏目にでてしまっていた。
親、親、親、親。
名前に親のつく人物の多いこと。
こんがらがってしまいますね。




