第八話 告白のゆくえ
1 あの日
大阪のとある府立高校に通う爪弾剣二は、学生生活の中で、たった一度だけ告白に成功したことがあった。高校三年生の二学期、ずっと気になっていた女の子と席が隣になったときのことだ。入学してこれまで、ほとんど話をしたことがない、アキという名前のクラスメートである。
剣二は、ただ遠巻きにアキを見て、密かに『いいなぁ』と思いを寄せていたのだが、ただそれだけであった。ところが、ここにきて思いがけずチャンスがおとずれたのである。先生が気まぐれに、高校生活も終わりが近いし、心機一転、席替えをしようと言いだしたのだ。それが偶然にも、アキと隣りどうしになり大接近したのである。
アキを近くでよくよく見た剣二は、あらためて思う。『やっぱり好きかも』……と。アキと仲良くなれるかもしれないという淡い期待が、いやがおうにも高まってしまう。ほのかに抱いた恋心。でも、ヘタレの剣二に告白する勇気はなかった。
そんなある日、学級委員を決める選挙があった。クラス全員で、男女一名ずつの名前を書いて投票する。いつも名前を呼ばれるのは、成績優秀な級長常連組の男女だった。
剣二は思った。アキと二人で級長、副級長になれたらどんなに楽しいことだろうと。でも現実の剣二とアキは、決して名前を呼ばれることのない二人であった。
(そうやった。俺たち二人は、ただ明るいだけのアホやった。級長なんか、なんの関係もあれへん)
そんなことをぼうっと考えていたとき、突然ある考えが、剣二の頭の中をよぎった。それは、ある奇抜な告白方法だった。白昼堂々と、みんなの目の前で、アキに告白できるチャンスがあると気づいたのだ。剣二はひとり、このアイディアに自画自賛した。おそらく高校生活最初で最後であろう、このチャンスにかけてみたくなった。
投票が終わり、すぐに開票が始まった。次々と級長常連組みの名前が読みあげられていく。そんな中、ついに剣二の票が読みあげられた。
「男子、剣二。女子、アキ」
学級委員候補に一度もあがったことがない、明らかに不自然な二人の名前だ。
しかし、クラスの誰一人として、気にとめる様子はなかった。ただ、アキだけが驚いたように剣二のほうを見た。
(やった! アキに伝わったかも)
剣二は、精一杯強がって目をそらさず、これが俺の気持ちだとばかりにアキを見つめた。するとアキのほうが恥ずかしくなったのか、下を向いてしまった。それ以上は、なんのリアクションもなく、一心に髪の毛をいじっているアキ 。
……どれくらいの時間が経ったころだろうか。剣二は、ふと思った。
(……あれ? もしかして……やってもうた?)
剣二は、少し冷静になって考えてみた……。
(おいおいおい!)
気がつくと、アニマル浜口のような突っ込みを、自分で自分に入れていた。
――こんな告白、仮にアキが俺に気があったとしても、返事のしようがないやないか。誰が書いたかわからへん票に、たまたま自分の名前が書かれてただけで、誰がそれを自分への告白やと思うねん。
現に、クラスの誰一人として気づいてるやつおれへんやん。ただ、アキだけが怪訝そうにこっちを見ただけや。
今ごろ、髪をいじりながら、「ケン、キショ」とか思ってんのかな? ああ、取り返しつけへん。せっかく席が隣同士になったちゅうのに、しょっぱなからこんな気まずくなるやなんて……。
だいたい俺はこの告白で、いったいなにをアキに期待してたんや。
「ケンちゃん、そうやったん!」
って抱きついてもらえるとでも思てたんか。どんだけおめでたい性格やねん。いかにもヘタレの考えそうな、中途半端な告白やないか――
剣二が、この場から消えていなくなりたいと願ったことは言うまでもない。
学級委員が無事選出されたあと、諸々の係を決める段になった。立候補と推薦とで『図書係』や『連絡係』などが次々と決まっていく。そんな中、いつも人気のない『ウサギ係』に、動物好きの剣二が決まってしまった。
――あの先生、いきなり俺を名指しやがって。
「ケン。お前んとこ、猫飼ってるんやから『ウサギ係』やれ」
て、ウサギと猫、なんも関係あれへんがな。
「お前、なんやかんや今まで係から逃げてきたやろ。最後ぐらい『ウサギ係』やれ」
て、頭ごなしにむちゃくちゃ言うわ。だいたい高校にもなって、なんでまだ『ウサギ係』やねん――
ふてくされている剣二には目もくれず、先生は女子に向かって呼びかけた。
「よし。男子はケンで決まりや。あとは、女子で『ウサギ係』やってくれる者はおれへんか?」
このときだった。奇跡が起こったのは。先生の呼びかけに、まさかのアキが、
「先生。うち、ウサギ好きやから、『ウサギ係』やります」
と手をあげたのだ。
そのとき剣二は、静かにうつむいたまま机の一点を見つめ、『ウサギ係』になったことで世を儚んでいた。そこに突然、アキのこの立候補である。思わず剣二は、心の中で絶叫した。
(よ、よっしゃああ。大逆転さよならホームランやあああ!)
剣二は、自分の告白を、アキが受け入れてくれたと確信した。剣二にとって今日ほど、『ウサギ係』をありがたく思った日はなかった。
――人気のない係やから……
俺が係から逃げてきたから……
アキがウサギを好きやったから……
……ん?
アキが、ウサギを好きやった?
《剣二は再び冷静になって考えてみた》
俺の告白は、完全に成功……してたよな?
アキは、ただたんにウサギが好きなだけ……なんてことないやろな?
《その不安は、剣二のこんな妄想で吹き飛んだ》
早朝のウサギ小屋でアキと二人きりなって、
ウサギの世話をしながら時々手が触れたりして、
アキが急に無口になって……え!
目と目で強くお互いを見つめあうねん。
そのあとは――
しかし現実は、そう甘くはなかった。その後も剣二のヘタレが治るはずもなく、受験で忙しくなり、なんの進展もないまま、二人は卒業してしまったのだった。
それからしばらく剣二の胸から、あの告白の日のことが離れなかった。『ウサギ係』への立候補が、本当に自分の告白に対するアキの返事だったのだろうか? それを確かめることは、もうできない。自分がヘタレだったために、あの最大のチャンスを逃してしまったあげく、アキと親しくなるどころか、自分の人生からアキを完全に失ってしまったではないか。剣二は、悔やんでも悔やみきれない思いで卒業した。
それからの剣二は、大学生活の中で、だんだんとアキのことを思いださなくなっていった。時間が彼の傷心を癒していったのだ。やがて剣二の心の中からアキへの思いが完全になくなり、それはもう二度と戻ってくることはないと思われた。
あの夏の同窓会のハガキをもらうまでは――。
2 再会
――あの日から三十年――
今年、剣二の高校の同窓会が、有志の大変な努力により実現した。いい機会だし都合もよかったので、剣二は参加することにした。でも一番の動機は、アキも来ると聞いたからだ。
アキは高校時代、剣二の中途半端でわかりにくい告白を、これまた中途半端でわかりにくい形で受け入れてくれた……はずのクラスメートだ。学級委員を決める選挙で剣二は、自分の名前とアキの名前を書いて投票した。それが、剣二の無言の告白だった。そのお返しにアキは、――剣二が先生に強引に指名された『ウサギ係』――、その誰もやりたがらない同じ係に立候補したのだ。
でもそれは、剣二のことが好きだったからなのか? ただ、ウサギが好きなだけだったのか? 確かめることなく卒業してしまった二人。
剣二は、この同窓会の案内ハガキを手にした日から、毎日、同じことを考え続けていた。
――まさか、ただのウサギ好きやないやろ?
俺か? ウサギか? ウサギか? 俺か?
やっぱ、ウサギのほうが分ぶがええなぁ。きょうび、ウサギは女子にめっさ人気あるらしいし。勝てる気せぇへん――
剣二は、あのときの気持ちを、アキに会ったら聞いてみたいと思っていた。覚えているかどうかもわからないが、それならそれでもよかった。剣二にとって、いい思い出であることに、変わりはなかったからだ。
幹事に確認したところ、アキは結婚して一児のママになっているとのことだった。
(細かったアキも、ちょっとぽっちゃりしてんのかなぁ?)
三十年の時を越えて、色々な想像が剣二の頭の中をかけめぐる。そしてそれは、やがて妄想へと変わっていくのだった。
(子どもの手を引くお母さん姿のアキ。会ってみたいなぁ)
少し、あのころの熱い思いがこみあげてくる気がした。
――あれから俺も色々経験を積んできた。何人かの女性とも付き合ったし、結婚もした。さすがに高校生のときのようなシャイ坊でもないやろ。
今なら笑って聞けるはずや。ウサギなんか俺なんか……を。
なにかで聞いたことがあんねん。同窓会で不倫へと進展するケースが、かなり多いということを。
「アキ、お前あのとき『ウサギ係』に立候補したんは、ただたんにウサギが好きやったからなんか?」
「うちウサギ好やけど、それ以上にケンちゃんのことを……」
「え! まじ?」
「そやってケンちゃん、あのときの級長の投票でうちの名前書いてくれたやん。そのあと熱くうちを見つめてくれたやん」
「アキ!」
「ケンちゃん! 実はうち、今でも時々お布団の中で思いだしてんねんで……わるやろ? この意味」
「お前、相変わらずわかりにくいやっちゃのう。でもそこがかわゆいやん……ああぁアキちゅわぁぁん」
(でへ)
あかん! こんな妄想ばっかりしてたら、ほんまもんのアホになるわ。それにしても、なんやねん? この漠然と高まる期待は。
あかんあかんあかん! ここは冷静になって考えなおしてみやんと。なんせ、この早とちりの性格は、死んだばあちゃんが一番心配しとったとこやから。
「アキ、俺とウサギとどっち好き?」
「はぁ? 今うちに、おっさんとウサギのどっちが好きか聞いた? あんた相変わらずキショイなぁ。つうか、もうそろそろそのアホ治さんと、さすがにヤバイでぇ」
これならまだましや。最悪のパターンはこれや。
「アキ。俺とウサギと……」
「――ごめん。あんた誰?」
これ言われたら立ち直れへんわ――
*
同窓会の当日――。
剣二は、会場となっている無国籍料理の店に着いた。ドキドキしながら奥に進むと、広い店の一角で受付をしている懐かしい顔が目に入った。会費を払って、更に奥へと目をやると、
(うわぁ! おばちゃんの軍団がおるぞ)
みんな変わり果てて、かつての面影はなかった。中には美貌を保っている女もいるが、みな独身組のようだった。そしてそれに群がる団子虫のようなオヤジたち。ところどころに、じいさんみたいなやつまでいる。
剣二は、アキを探した。まだ来ていないのか、どこかにいるのかよくわからない。
「おう! 久しぶり。お前、案外、変わってへんなぁ」
微に面影の残るクラスメートに挨拶しながら奥へと進む剣二。
「あれ! だれ? ケンか?」
「おぉ! ケンちゃん来たぁ」
みな、剣二を見つけて懐かしがった。
「おう! 久しぶり、って、君だれやねん?」
名前を聞いてもわからないやつが、必ず一人か二人はいる。
席に辿り着いた剣二は、落ち着かない様子であたりを見回し、アキらしき女を探した。が、まったく見つけることができず、ビールを片手に、ただただきょろきょろするばかりだった。
と、そのとき――。
突然、後ろから背中をドンと突いてきたやつがいた。剣二は、飲んでいたビールにむせて、もう少しでグラスを落とすところだった。その張り手のような突きに驚いて、振り返った剣二は、思わず絶句してしまった。
「『ウサギ係』のケンちゃん、元気やった?」
満面の笑みを浮かべたその女は……、
マツコ・デラックスそっくりだった――。