白雪のお嬢
今回から改行を変えたので多少スクロールが楽に済むかと思います。
出会う人全員にジョシュア様の居場所を聞き、レイモンド様の見舞いから戻ったアリシア様の部屋にいることを聞きつけた私は勢いそのままアリシア様の部屋へ転がり込んだ。形だけ上品にノックし、ジェシカに取り次いでもらったが、あまりの焦りようにジェシカも戦々恐々としていた。というか何故か私はジェシカに恐れられている。
「ジョシュア様!」
「マリア…ど、どうしたんだよ」
ジョシュア様は私の顔を見た瞬間さっと青ざめた。アリシア様がそれを見てにやりと笑う。
「この私の前で騒々しいことをするな。とりあえず廊下で話しなさい」
「申し訳ありませんアリシア様…」
「覚えとけよアリシア」
「なんのことだか」
素直に謝る私と対照的にジョシュア様はアリシア様を睨みつけた。アリシア様は鈴の鳴るような笑い声で私たちを追い払う。ジェシカがやはり戦々恐々と私たちを扉の外へ追いやった。
廊下に出るとジョシュア様は私の髪をくしゃりと触った。そういえば乾いていない。一気に気温を思い出し身体が震えてくしゃみが出た。
「あー、もう。髪濡れてるし、上着も着てないし!風邪引くぜ?」
「焦っていたもので…忘れていました」
「ったく」
ジョシュア様は自分の礼服のジャケットを脱いで私の肩に丁寧にかけた。私はありがたくそれに腕を通す。シャツの袖でジョシュア様は私の髪から滴る雫を拭った。「ありがとうございます」と素直に礼を言って微笑むとジョシュア様は迷惑そうに眉を顰めた。
「本当に、呑気な奴。さっきあんな目に遭っておいてまだ俺に笑えるんだもんな」
「多少怖い思いはしましたけど、全然平気です。何があってもアルフォンスお兄様が守ってくれますし」
「アルはアリシアの護衛だろ?」
「生まれた時から私の格好良い白馬の騎士です。どんな時もお兄様だけは私の味方で居てくれますから」
「アルも似たようなこと言ってたような…兄妹揃って呑気なもんだぜ」
確かに私もお兄様も呑気な方だ。なんとかなると思っている節がある。今まではなかったけれど、今日のような命の危機でもアルフォンスお兄様がいれば何とかなるかな、と思える。
「そういえばご用件は何だったんですか?」
「え?あ、いや、その、特に用って程じゃなかったんだ。ただ、どうしてるかなって」
「お見舞いに行って湯浴みして今に至りますが」
「そ、そうだよな。元気そうで良かった」
「はい!ジョシュア様のことも嫌いになってませんよ!」
にっこり笑って宣言するとジョシュア様は毒気が抜かれたような顔をした。
「確かに私は後々思い返せば文字列に過ぎないかもしれません。それは仕方のないことですし、特に異論もありません。だけど、ただの文字列では終わりませんよ!」
ジョシュア様の右手を両手で包み込んでぎゅっと力を込める。
「見れば私を思い出して胸が苦しくなるような文字列になります。ただの文字列に甘んじることは私が許せません。ジョシュア様が恋する文字列になります」
ジョシュア様はこれでもかというほど目を見開いて、そして力なく笑った。笑って、目を細めて、潤んだ瞳を空いた左手で拭った。
「あはは…お前ってほんと、変なやつだぜ」
「あら、泣かないでください」
「泣いてねーよ、汗だよ」
「では見てないフリをしましょうか?」
「そうだな」
「では失礼して」
私は無遠慮にジョシュア様の胸に飛び込んだ。ジョシュア様は一歩後ろに退いたけれどその距離も詰める。諦めたのか、動かなくなって変わりに小さく嗚咽が聞こえた。
苦しんでいる。この人は自身の歴史の語り部という重い鎖に押し潰されそうになりながらその役目を全うしようとしている。私を突き放したのは嫌われても仕方ない、自分がそう仕向けてやったのだと思うため。本当は誰にも嫌われたくなくて、きっと誰とでも仲良くなりたくて仕方ない筈だ。ジョシュア様の普段アリシア様やお兄様に向ける態度はそう物語っている。みんな分かっている。分かった上でジョシュア様を受け入れている。分かっていないのはジョシュア様だけ。
「落ち着かれましたか?」
背中を撫でて、嗚咽が治まるのを待って声をかけた。ジョシュア様は少し時間を置いて絞り出すように、大丈夫だと返事をした。私は一度ぎゅっときつく抱きしめて名残惜しく離れた。
「ありがとう、マリア、ごめんな」
「ありがとうとごめんは一緒には言わないものですよ?」
「俺はマリアのことを嫌いではないから」
「あら本当ですか?嬉しいです、いつ結婚します?」
「それさえなければ…」
ジョシュア様は残念そうにぼやいて私をやんわり突き放した。顔を覗き込むと目が赤い。シャツから覗く素肌は鳥肌が立っていた。寒いのかと思ってジャケットを渡そうとすると目線で断られ、私を指差した。
「見た目は貴族らしいのに、中身が良い意味で貴族らしくないな。アリシア達が気に入るわけだ」
あ、つまり貴族アレルギーで鳥肌なんですね、わかりました。
「元々貴族といっても下級の無名貴族ですからね。学院でのヒエラルキーも次期ローズ候補だったからこそ中の上でしたし」
「どの学院に?」
「聖レンシア学院です」
名門校である。貴族の子女は10歳から14歳までの四年間を何処かしらの学院へ入り礼儀作法から社交術そして歴史、男子であれば剣術、女子であれば刺繍など、貴族であれば当然知っておくべき知識をこれでもかというほど叩き込まれる。そしてこの学内のヒエラルキーはそのまま貴族社会のヒエラルキーに反映されることが多い。私のように卒業してすぐに伯爵令嬢に転じたように下剋上が起こる場合もあるが、基本的には下級貴族は下級貴族のままだ。言ってしまえば学内はミニチュアの社交界そのままで、ここでどれだけのパイプを作っておくかが今後の人生を左右する。特に私の聖レンシア学院はお金持ちまたは特に頭の優れた者、一芸に秀でたものばかりだ。
「じゃあそれこそスノーと友達なんじゃ…」
「対立派閥です」
「そ、そうか…」
ジョシュア様が薄く笑った。やっと笑った。嬉しくなって私の口元もほころぶ。あらちょっと良い雰囲気になってきたじゃないの。
「私のこと、ちょっとは見直してくれました?可愛くてお洒落で魅力的なだけじゃないんですよ」
「そうだな、思っていたよりずっと図太いしな」
「それは余計です」
部屋まで送るよ、とジョシュア様は気楽に言った。私はそれを勿論お受けして、2人で部屋まで歩いていく。
ジョシュア様はその間取り止めのない話や、今回の戦闘について話せる限りのことを私にぼやいていた。
「今回の首謀者と思われる2人…アリシアは殺せと言ったけど、実際にはアリシアがこの辺りに持っている私邸の地下牢に繋いでいるんだ」
「アリシア様の私邸?それがあるならどうしてここに滞在を?」
「アリシアは私邸を持っていることを公けにはしていないからな。知ってるのは精々、俺とリゼリアとアルとレイくらいかな」
「でも、どうして…」
「繋いでいるのは、アリシアにとって必要になる存在だから。そして私邸はアリシアが内緒で、それもギャンブルで勝ち取ったものだから言えないのさ」
「お姫様なのにギャンブルを?」
「お転婆姫だからな。実際にギャンブルしたのはアルとレイだけど。アルが異様に強くて、レイが馬鹿みたいに弱いんだ。レイがカモられて、アルが助けて、それでなんだかんだで私邸を勝ち取ったんだ」
お兄様…そういえば昔から街に降りてはギャンブルしてましたよね…妹は知ってます…折り目正しいお坊ちゃんのレイモンド様に騙し騙されのギャンブルは難しかったでしょう。かっこいいところを見せられなくて落ち込んでいるところまで目に浮かぶ。
「アリシアもこれで覚悟を決めたみたいだし、悪いことばっかりじゃないんだ。俺もそのためにここに来ている」
「覚悟を?」
「王位をもぎ取る覚悟だよ」
「この一件で?全く分かりませんわ」
「リゼリアがもう話していると思ったんだが、まだみたいだな」
「サラセリア様のことなら、まだです。ミハエルという男のことなら聞きました」
「ああ、あいつか」
ジョシュア様は遠くを見て、そしてため息を吐き出した。ミハエルという男はジョシュア様にも深い爪痕を残したようだ。
「アリシアは馬鹿だ」
ジョシュア様は絞り出すようにそう言ったきり、何も言わなかった。
翌日、昼過ぎまでアリシア様は姿を見せなかった。当主の伯爵も。リゼリア様と2人でやや質素な昼食を胃に流し込み、帰宅の準備万端の状態で待機するのは退屈で持て余す。
「そこにいたのね!マリア・ローレライ!」
静かな客間で暖炉の前を陣取っていると若い娘がドアを壊さんばかりの勢いで飛び込んできた。降ってすぐの滑らかな雪のような白いドレスを身に纏ったとても端整な顔立ちのお嬢様である。とはいえ元は白いであろう顔色は蒸気しすぎてピンクになり、ご令嬢らしい、とは言えない。黒檀のように黒い艶のある髪も振り乱しておりお世辞にも良い髪型ね、とは言えなかった。
「会わずに済むと思ったのに…」
「知り合い?」
「今代のスノーです。スノーホワイト。顔見知りです」
思わずぼやいてしまう。彼女はサーリヤ・スノードロップ伯爵令嬢。ローズと対極の、スノードロップ家の令嬢だ。
「私、マリア・ローズヒルズと名乗っておりますの。ローレライではなく」
「あんたには無名・無価値の男爵位がお似合いよ!」
「まあそうカッカなさらないで」
よほど私がローズになったのが気に食わないようだ…学園を卒業してから会っていないから、自分が知らぬところでローズが生まれたのも嫌なのか。
「王女付きになったからっていい気にならないことね!」
「ああ…抜け駆けして申し訳ありませんでしたわ、サーリヤ様」
そっちの嫉妬か。幾分納得して素直に謝っておく。こうやってやり過ごすと勝手に飽きて帰っていくのが常だ。
「聞いて悔しがるが良いわ!私、サーリヤ・スノードロップはこれからサラセリア様付きの衣装係になったの」
「サラセリア様の?」
「そうよ。アリシア様と違って元々の素材が良い方。そして時期王にアリシア様より近い方。お前よりはずっと偉くなるわ」
「ちょっと、それは訂正して頂戴」
おもむろにリゼリア様が強い口調で口を挟んだ。サーリヤ様は今まで気付かなかったのか、リゼリア様に向き直りわざとらしく扇を広げる。
「あぁら、何処の馬の骨かと思えばリール侯爵令嬢ですわね?何時も貴女の叔母様には良くしていただいているのよ」
「その話は関係ないでしょう」
「いいえ?現段階の爵位では私は劣っているかもしれませんわね?ですが、リゼリア様、あなたご自分の立場きちんと弁えなさって」
サーリヤ様はくす、と見下しきった笑みを浮かべて扇で顔を扇ぐ。リゼリア様は顔色をサッと悪くしたが、すぐに同じように扇を開いて余裕を取り繕った。
「私は、アリシア様よりサラセリア様が王に近いと言う発言を訂正しなさいと言ったのよ」
「事実でしょうに」
「その発言を元にアリシア様の不興を買って後悔するのはあなたよ」
「あんな貧相で先のない女、頭が多少良いくらいしか見所がなくてサラセリア様と同じ姫とは思えないわね!」
「訂正しなさい!」
リゼリア様が激昂した。私もサーリヤ様の言葉に眉をしかめるばかりで、たとえ見下していてもここまで口汚く罵るようなことをするのが正しい貴族の行いだとはとても思えなかった。
「嫌だわあ。あんな卑しい姫に仕えているのだもの。お前たちの卑しさも透けて見えるわね」
「アリシア様のどこが卑しいと言うの」
「知らないとは言わせないわよ、あの方のお生まれを」
「サラセリア様だって!」
「やめておきなさい」
いがみ合う2人に凛とした声が割り込んだ。言うまでもなくアリシア様のもので、流石のサーリヤ様もさっと青ざめてアリシア様を横目に見る。リゼリア様も罰が悪そうにアリシア様にし視線を泳がせた。
「陛下はまだ次の王をお決めしておらぬ。お前の浅はかな考えを陛下が聞けばどう思われるかな」
すっと目を細めてアリシア様はサーリヤ様を睨みつけた。サーリヤ様は青ざめた顔を、今度はさっと紅潮させてアリシア様を睨みつける。
「弱い犬ほどよく吠えるとはこの事のようですわ」
サーリヤ様の毒の孕んだ言葉にアリシア様は不敵にくすりと小さく笑い、そのまま視線を逸らして後ろに控える怖い顔をしたレイモンド様とアルフォンスお兄様を呼んだ。
「小蝿がうるさくて困るわ。叩き出して頂戴」
「私が小蝿ですって?!」
サーリヤ様が喚き始める。アリシア様はそれを全く気にもせずリゼリア様の隣に深く腰掛ける。もう視線すら向ける価値がないと判断したらしい。気の短いレイモンド様は役割分担でアリシア様に付いておくようにしたようで、女性の扱いが上手いアルフォンスお兄様がサーリヤ様をどうにかなだめすかして外へ丁重に送り届けた…ように見えているが実際はなだめすかすと見せかけて脅迫(反逆罪で死刑になりますよ)と丁重に送り届ける(と書いて叩き出すと読む)のフルコースだったらしい。
「アリシア様にあんなことを言うなんて…」
リゼリア様が苛立ち紛れに吐き出す。アリシア様はさして気にした素ぶりもなく淡々と告げた。
「これが私の立場というもの。私の庇護下にあるなんて大したことじゃないということよ」
「サラセリア様がまた何かし始めるように聞こえたわ。気をつけないと」
レイモンド様は未だにサーリヤ様が出て行ったドアを執念深く睨みつけていた。
「もう帰りましょう。すべきことは終わった。ここにこれ以上居ても、無駄だわ」
アリシア様はこれから口を閉ざして立ち上がった。
私たちはもやもやしたものを胸に抱えたまま、クソが付くほど寒い城を後にした。あらいけない、寒さで言葉遣いが乱れてしまいました。




