凍土の城
ちょっとだけ残酷な表現があります
まさかただ寒いだけのこの地で、身も心も凍るようなことになるとはこの地に足を踏み入れた時点では露ほどにも思ってなかったのです………。
「はーーー、寒い」
思わず私の愛らしい唇から似つかわしくない愚痴が出るほどに王都から離れたこのヒンバルク領は寒かった。鼻水が出そうになるのを気合いで止めて、コートの襟を合わせる。寒いしか言葉が出ない。
「貴女は冬の領地は久しぶりだったかしら」
「3年ぶり…でしょうか」
馬車から降りて前を歩くリゼリア様がいつも通りの笑顔をキープしたまま問いかけた。
この世界には季節が4つ。春と夏、秋と冬。それは領地によって年中通して続く。私のローズヒルズ領と実家のローレライ領は年中春で、リゼリア様のサンローラン領は秋。このヒンバルク領は身も心も凍るような冬だ。王都だけは珍しく四季の移ろいを持つ。王都が春の間が社交シーズンと呼ばれ、人々はこの束の間の春を花を愛で、歌を歌い、愛を囁いて過ごす。
せっかくの冬の領土なのだからこの見事な雪をみるために少し歩くとよろしいとアリシア様から直筆の文書が届き私たちは仕方なく城の庭を見ながら早足で歩いていた。
ところで私がなぜこのクソ寒いヒンバルク領にいるかというと。
「あ、やっと着きましたね!」
「お兄様…」
アルフォンスお兄様が遠くから手を振る。大きな城のエントランスの前で嬉しそうに尻尾を振る姿が丸見えだ。お兄様がここにいるということは勿論第一王女のアリシア様もここにいるということだ。
「皆さん、長旅お疲れ様でした」
「寒いわ!お兄様!寒い!中は勿論暖かいのよね!」
「マリアが寒さで爆発したわ!アル!早く中に入れてあげて!」
リゼリア様が叫び、アルフォンスお兄様は慌てて私を中にエスコートした。エントランスから近い部屋に放り込まれ、そこでコートを脱がされる。部屋の暖炉は赤々と燃え、暖気が暖かく体を包んだ。
「暖かい…」
「生き返るわね」
しみじみと話す私とリゼリア様。このヒンバルク領まで3日旅をして寒い思いをした。本当に寒かった。寒いだけでこんなに辛いのかと私は心の底から春の領に生まれて良かったと思った。
「アルフォンスお兄様ー?」
私を中に入れてからアルフォンスお兄様が入ってこない。普段ならそんなことはないのに。何かあったのか心配になって私は呼んでみた。アルフォンスお兄様は案外すぐに返事を返して中に入ってきた。
「どうしました?まだ寒いですか?」
「姿が見えないから何かあったのかと…」
「侍女たちを下に送っていたのです」
「彼女たちも凍えているのだからここに通せば良いのに」
「だめですよ、リゼリア。僕たちは構わないけどここの主がうるさいのなんのって…可哀想ですが、使用人の控えに通しています」
「あら、アルフォンス、さっきのコートはどうしたの?濡れていたからてっきりここに干すのかと思っていたわ」
「雪が積もったので干してありますが、ここに干すとうるさいので…僕も立場上は使用人ですから」
「ヒンバルク伯爵は気難しくて大変ねえ」
伝統と格式を重んじる貴族の重鎮、ヒンバルク伯爵。未だに伯爵位を譲らず齢75の老いた主人が家を率いていることは有名だ。アリシア様はこの館で開かれる舞踏会に招かれてここへ来た。リゼリア様はアリシア様のオマケ、そして私は社交界の花として正式な招待を受けてやってきた。普段ならこんなクソ寒いところ、正式に招待されてもお断りだがアリシア様にも来いと言われれば仕方ない。3年ぶりに腰を上げたというわけだ。
「リゼリア、マリア、待ちわびたわ!」
先触れもなく、寛いでいた私たちの部屋にアリシア様が飛び込んできた。嬉しそうに私たちが座るソファの横の小さな椅子に腰掛けるのを私とリゼリア様は慌てて止めて自分達が座っていたソファへ移した。私たちはめいめいに椅子を運んでアリシア様の前に座り直す。アリシア様は構わないのにと拗ねていた。城ならいいけどここでは構うのだ。
「3日もこんな寒いところで何をなさっていたのですか?」
「寒いのって意外と良いのよ。初日は街を視察してオペラを見て、二日目は美術品を見せていただいた。昨日は外で雪遊びをしたの」
「ゆ、雪遊び!?よくあの伯爵に怒られませんね」
「嫌ねえ、伯爵が遊べと言ったのよ。きっとこの寒さを好きになってほしいんだわ」
アリシア様はすっかり冬が好きになったらしい。嬉しそうに外の雪に想いを馳せる姿は可愛らしいものだった。
アリシア様に付き従ってレイモンド様が部屋に入ってきていた。アルフォンスお兄様がレイモンド様にあれこれ確認を取っている姿が見える。まさに仕事中のそれだった。
「アリシア様、僕休憩に行ってもいいですか?」
「いいわよ」
「じゃ、遠慮なく」
アルフォンスお兄様は手を振って部屋を出て行った。私たちは揃って首を傾げる。
「マリアがいるのにアルフォンスが消えるなんて」
「おかしいですよね…シスコンのお兄様が」
「そういえば私たちが到着した時もちょっと変だったわ」
「そうですか?」
「コートよ。どこに干したって言った?」
「使用人の干し場?」
「そんなものないわよ」
アリシア様はばっさり切り捨てた。
「部屋に干すの。アルフォンスが干すとしたら私の部屋に近いからここと真反対の場所よ。すごく遠いけど」
「じゃあどうしたのかしら…」
「放っておきなさい。アルフォンスにも事情や秘密があるのだから」
アリシア様の言葉に私とリゼリア様は納得したフリをした。アリシア様が知って私たちが知らないことがあるということだけは分かった以上、引くしかない。レイモンド様も唇を引き結んでアリシア様に恭順の意を示し、絶対に口を割らないつもりだ。お前なんかに誰が聞くかという本音はしまっておく。
「そんなことより伯爵が挨拶に来るって」
「それを先に言ってよ!」
リゼリア様が吠えた。私とリゼリア様は慌ててドレスを正し、髪を整え伯爵を待つ。
ほんの3分ほどで伯爵は挨拶へ。挨拶自体はいつも通りつつがなく行われたが、ヒンバルク伯爵の嫌味はいつも通りフルスロットルだった。だからいやなのだ、ここに来るのは。
「マリア様は最近アリシア様の衣装選びになられたとか」
「ええ、そうですの」
先月から話し相手兼衣装係から完全に外出時やパーティの衣装選びに昇格したのだ。へへん、と胸を張って最高の笑顔を浮かべる。
「通りでアリシア様の衣装が突然流行りを重視したけばけばしいものになったと」
「アリシア様の好みにも沿うようにしておりますの」
どうだ!この返し!暗にアリシア様の趣味が悪いと返すと伯爵様は冷たい目で返事をよこした。
「舞踏会では是非とも気品に満ちたお姿を拝見したいものですな」
「ええお任せください」
「貴女のようなものにできると良いが」
くうう…!!露骨な嫌がらせに変化したのを笑顔でかわすが絶対に青筋出てる!私としたことが!絶対に怒ってはだめよマリア耐えるのよ…!!
「伯爵、あまりマリアをいじめるな。この私が頭を下げて来てもらったのだ」
「アリシア様…!」
頭を下げられた覚えはないがここまで弁護してくれたのは素直に嬉しい。
「はて?そのように聞こえましたかな?年寄りは言葉が強くなっていかんのお」
こんな時だけ老人のふりを…!アリシア様は豪快に笑って無礼を許し、私は青筋を立てたまま出て行く老人を見送った。
この通り私を含めローズヒルズ家の人間を嫌うヒンバルク伯爵の舞踏会に誰が出たいと思うものか。
温もった私とアリシア様はアリシア様の部屋へ衣装合わせのために向かった。リゼリア様は自分の部屋で着付けを始めている。今回の舞踏会のために私がアリシア様に用意したドレスは3種類。最終的な判断はアリシア様に任せ、とりあえず着せる。各地のローズヒルズお抱えのお針子に通達し作らせたドレスを我が家で検分し、厳選し、そして改良を重ねたものは100着に登る。重箱の隅をつつくごとく目を光らせ厳選に厳選を重ねて持ってきたのだから自信はある。
アリシア様はおとなしく着せ替え人形のように着せられ鏡の前に立ってくれた。衣装を細部まで見ながらアリシア様を褒める。今回持ってきたのは暗い落ち着いた赤に金の刺繍を施したドレス、濃紺の胸元のあいたセクシーなドレス、そして金色の薄い生地を何層にも重ねた光るようなドレスの3着だ。
「やはりこのダークレッドか、濃紺のものが良いかと思います。こちらの金のものはアリシア様には少し煌びやかすぎます」
「そう?なんだか綺麗でとっても豪華に見える」
「ええ、豪華です。ただ豪華すぎて浮くかもしれません」
確かによく似合う。金色がきらきらと上品に光を反射して、顔色も良く見えて映えている。だけど、だからこそあの嫌味な伯爵からは「下品な」と言われそうな代物なのだ。
「アリシアー?」
コンコンとノックの音が響き、外からジョシュア様の声が聞こえた。私が驚いているとアリシア様が気楽に返事をした。
「入って」
ドアが開く。外からジョシュア様が遠慮なく入ってきたのが見えた。ジョシュア様はいつもより質素で街にいる若者のように少し崩した服装をしていた。そしてジョシュア様は一瞬で私に気付き、壁にはりついた。
「な、な、なんでマリアがここに!!」
「今日がパーティだから呼んだ」
「先に言えよ!」
「そうするとジョシュアはすぐに逃げるから面白くない。ねえマリア?」
「会えて嬉しいです、ジョシュア様」
「あっそ…」
ジョシュア様は力なく返事をしてアリシア様の姿をぐるりと見た。
「似合うじゃん」
「でしょ?これを着たいのだけどマリアに反対されてるの」
「なぜ?」
「ちょっときらきらしすぎるようよ」
「そうか?」
アリシア様は一周くるりと回って優雅にポーズを決めた。ジョシュア様はそれを見てにこりと笑顔を作った。
「それでこそアリシアって感じ」
「そう仰るなら…私も考えを曲げますわ。それにしましょう」
「良かった!ありがとうマリア!」
アリシア様は天真爛漫な笑顔を咲かせて私に抱きついた。そうと決まれば次は化粧だ。私自身の準備も急がねばならない。
私は喜ぶアリシア様を椅子に座らせ、落ち着かせてから化粧を始めた。ジョシュア様はそれを離れたところに座って眺めていた。
今日は落ち着いた色合いを重ねつついつもより顔立ちが濃く綺麗に見えるように工夫をした。陰影をつける、唇は真紅…と、一連の作業を終えると見事にアリシア様はドレスに負けない美しい姫と化した。我ながら会心の出来。細かいダイヤを連ねたアクセサリーをつけて満足したのであとは髪結いを侍女に指示し、私は自分の準備のために部屋を辞した。
私のドレスはロイヤルブルーと黒の天鵞絨の華やかなドレスだ。胸元は上品に開き、袖が肩から裾に向かって広くなる。この冬の領では草花をモチーフにしたものや生花を飾ることはご法度。草花を愛でることが難しいこの領土への嫌がらせだと思われてしまう。だから私も今回ばかりは薔薇をモチーフにしないものばかりを選んだ。たっぷりとしたパニエでドレスの裾を美しく。化粧も青と銀を基調とした大人っぽさを。アクセサリーは真珠を選んだ。黒いビロードに行儀良く並べられた真珠のチョーカー、慎ましい小ぶりの真珠の指輪、耳飾りは大胆な大振りの真珠を使ったシャンデリアのようなもの、真珠のちりばめられた髪飾りは4つともエディお兄様から贈られたもので我がローズヒルズ家と懇意の宝石や鉱石の加工業を営む家の新作だ。今回は流行りを重視せず、ここの風土や伝統にあったものを大切にセットアップをおえる。
侍女達にお綺麗ですと言わせて気分を良くし、アリシア様を迎えに部屋へむかう。
アリシア様は退屈していたのかレイモンド様とカードゲームで時間を潰していた。レイモンド様はきっとこのカードゲームの相手がアルフォンスお兄様だったら鬼のごとく怒る。アルフォンスお兄様は涼しい顔で先に部屋についていたリゼリア様のドレスを褒めていた。リゼリア様は紫の細身のドレスでそれはそれは似合っていた。ジョシュア様が部屋の隅で本を読んでいて、珍しく正装だった。優しい茶色の配色が雰囲気に合っていつもより格好良い。素敵。さすがは私の王子様。
「時間も時間ですし、そろそろ参りましょう」
「もう?じゃあレイモンド、私のエスコートはお前に任せる」
「仰せのままに」
「アルフォンスはリゼリアを。マリアは、そうだな」
アリシア様は考え込んだ。確かに今回はエディお兄様が着いてきていないからエスコート役がいない。アルフォンスお兄様に頼もうかと思っていたがリゼリア様につくようだし、少し困っていた。
「ジョシュアに任せる」
「やだよ。言っとくけど俺はアリシアの命令に従うつもりはないからな」
間髪入れずにジョシュア様が拒否した。アリシア様は困り顔でジョシュア様に指を差す。
「さっきこれで私が勝ったな?」
「確かに俺は負けたよ」
「それで私は罰が思いつかないから思いついたら言い渡すと言った。語り手の記憶に間違いはないな?」
「ぐ…言った」
ジョシュア様は言い淀んだ。語り手の言葉、記憶に偽りはない。アリシア様は上手くジョシュア様を追い詰めていた。
「ならばこれが罰。どうせ今日はパーティに出るのだから問題ないだろう」
「大有りだろ…俺、婚約者いるんだぜ?」
「お前が黙っていたら広まりはしないと思うがな」
ジョシュア様は顔を顰めたが了承したようだった。男に二言はないを貫いている。素敵…
「頼むから問題を起こすなよ」
「私がですか?」
「他に誰が…」
「いやですわ、ジョシュア様!ジョシュア様のお手を煩わせるようなことを私がすると思います?」
「思います」
そ、そうなんだ…がっくりと項垂れる。
「マリアのエスコートなんて世の男はこの世の誉れとばかりに喜ぶんですよ!有難く思え!」
「その世の男に俺もレイも入んないけどな」
「ジョシュアのくせに…!」
「まあまあ二人とも。喧嘩をやめて。もう行くのだから」
アリシア様が仲裁に入り、2人は不満そうな顔をしつつお互いのパートナーの元へ戻る。ジョシュア様はいやいや私に腕を差し出した。その腕をにっこりと極上の笑みを浮かべて取る。今日のパーティで絶対にジョシュア様を落とす!!
「あ、言っとくけど俺挨拶とか受けつけてないから」
つまり目立つなってことですね!無理です!
パーティ会場となっている大部屋は煌びやかにシャンデリアが光り、白い大理石の豪華な造りがその光を反射して豪華そのものの空間を演出していた。楽団もこの領で一番らしく、軽い余興程度の演奏ですら鳥肌の立つほど美しい音色を奏でている。
アリシア様の登場に会場の空気が一瞬張りつめる。王女は動じることなく優雅に歩む。隣で王女をエスコートする騎士も堂々と、そして王女を慈しむように微笑んでいる。…私は知っている、あの微笑みは王女のために堂々と振舞っているのではなく本気で嬉しいだけだと。レイモンド様はお兄様に負けず劣らずやっぱり気持ち悪い…
「アリシア様、ようこそいらっしゃいました。全て我がヒンバルク領で1番の物を揃えております。どうかお楽しみくださいませ」
嫌味な城主のジジイがアリシア様に真っ先に挨拶をする。アリシア様は鷹揚にそれに応え、それを見た貴族たちは次々とアリシア様へ挨拶の列を作った。私とジョシュア様はそれを見届けて少しアリシア様から離れることにした。ジョシュア様曰く、目立つからだ。みんながアリシア様に注目している間に離れておくほうが目立たず視線を多少抑えることができると。
「素直に従うとは思わなかった…」
「私ですか?」
「目立ちたがりだろ」
「ええ、そうなんです。でも、今回ばかりは私もできれば会いたくない人がいますから」
「伯爵?」
「違います。レイフマン家です」
「あれ、仲良しなんじゃなかったのか?ほら、ファッショントークってやつ?」
ローズヒルズ家と対をなすレイフマン家。ローズヒルズが春や夏の明るい色合いを愛し華やかな装いをするのに対し、レイフマン家は秋や冬の落ち着いた、そして豪奢な装いを提案する。私たちローズヒルズ家にローズがいるようにレイフマン家にはスノーがいる。基本的に、表面的には私たちは友好的だ。気の合うファッション仲間として、ライバルとして切磋琢磨していると世間は思っている。
だがしかし、個人の感情としてはお互いに大嫌いに当たるものだ。特に今代のスノーは大嫌いだ!!!
「今代のスノーは…ライバル意識が強すぎてうるさいのなんの…とにかく会いたくはありません」
「俺と一緒だとそう近付いては来ないだろうけどな」
「だといいんですけど」
会場で鷹揚に振る舞うアリシア様の纏う金の布が光を美しく反射する。まるで光の中の天使のようだった。アクセサリーもよく似合っているし、今のところ衣装の乱れもない。髪もばっちりだ。
リゼリア様とアルフォンスお兄様が飲み物を取るふりをしながら私たちの前にやってきた。どうやらこの2人も挨拶が苦手なようだった。特に容姿の目立つ2人はあちこちの男や女からこれ見よがしに声を掛けられうんざりしているようだ。
「どうしてアルフォンスといるのに私がフリーだと思われるのかしら。これって酷いことよ」
「アルフォンスお兄様だとある意味役不足なのかもしれませんね。お2人で並ぶとまるで良くできた肖像画のようですもの。現実味がないのです」
「僕が格好良すぎましたね」
「リゼリア様が美しすぎるのです」
アルフォンスお兄様をぎりっと睨む。リゼリア様は果実水を片手に笑った。
「それにしても驚いたわ。ジョシュアが存在を消して目立たないのはいつものことだけど、一緒にいるあなたまで見つけるのが大変なんて」
「本当ですか?すごい!どうしてこうなるんでしょうか、ジョシュア様」
「場所と立ち方だけ。ここ、影になってるだろ?身体は見えてもいいから顔だけは影にかかるようにするんだ」
「ジョシュア、それで楽しいの?」
「俺は舞踏会が苦手なんだよ」
「楽しいですよ?踊って、綺麗なものに囲まれて。華やかできらきらして」
「そういうのは馬鹿っぽい。夜会や舞踏会に出るのはその集まりに意味がある時だけでいいんだ」
「今日は何かあるんですか?」
「まあな」
ジョシュア様は言葉を濁して終わらせた。リゼリア様とアルフォンスお兄様は挨拶が一通り終わったらしいアリシア様を構いに行くと言って再びフロアへ消えていった。アリシア様はレイモンド様に連れられて楽団の方へ歩いていくところだった。
ジョシュア様は懐中時計を取り出し、時間を眺めている。綺麗な真鍮の懐中時計だが、流行りのものとは程遠い。今年の流行は宝石を乗せた豪奢なものだ。ジョシュア様のものは古き良き…に当たる。そういえば先ほどから気になるほどに外から明かりがちらちらと見えているし、うるさい。城の周りにはなにもないのに…
「マリア」
「はい?」
「俺の後ろにいろ」
「は、はい」
ジョシュア様が一歩前に進み、私はその後ろに隠れるように入る。ジョシュア様は常に持ち歩いている本の代わりに小さな紙とペンを取り出し、正確な時間と場所を記す。その瞬間、外から野太い近衛兵の指示を飛ばす大声とテラスに出ていた女の叫び声が響いた。楽団が演奏を取りやめ、あたりが騒然とする。アリシア様は周りに警戒し、アルフォンスお兄様とレイモンド様が前後に立ってアリシア様を守る体制に入った。ヒンバルク伯爵がアリシア様の隣に立つ。
「ジョシュア様、これは…?」
「黙って。静かに、存在を消しているんだ」
思わず両手で口元を覆い、声が漏れないようにする。会場の大扉が乱暴に開かれ、この領の兵士とアリシア様が連れてきた警備兵がアリシア様と伯爵に跪いて声を張り上げた。
「報告致します!西の山から賊が降りて参りました!」
「東の谷の賊と結託し、王女殿下のお命を狙っております!」
アリシア様は兵士を見下ろし、冷たく告げた。
「報告ご苦労。戦闘は始まっているのか?」
「はい。現在城門前で交戦中ですが、門が破られる可能性が」
「アルフォンス、門で指揮を取れ」
「ですが、僕が行ってしまうとアリシア様への危険が」
「私の身が心配なら門で食い止めてみせろ」
「…仰せのままに」
アルフォンスお兄様は兵士を連れて走って大広間を出て行った。誰もこの場から逃げ出すことも話すこともできない。アリシア様は怒りの形相を隠すことなくレイモンド様に告げた。
「レイモンド。お前は裏口から出て応援を呼べ」
「…アリシア様」
「私の身よりここにいる貴族達の身を案じなさい。私がここで殺されて終わるわけがない。伯爵、近くに応援を呼べるような貴族は?」
「近くの関所に軍がいるはずです」
「ならば道は分かるな、レイモンド」
「御意」
レイモンド様は正装を翻して大広間を出て行く。アリシア様の周りの護衛はいなくなってしまった。アリシア様は今度は貴族たちに向かって吠えた。
「ここは窓が広い。外から中が丸見えだ。全員今すぐ明かりを持って地下室へ行け!」
弾かれたように貴族の娘が叫び出し、それを追い立てるようにアリシア様が経路の指示をする。男に松明やランプを持たせ、少しずつ大広間の明かりが消えていく。ほぼ全員が部屋を出て行く中、私はジョシュア様に止められて先ほどから身動きが取れないままだった。リゼリア様も周りを警戒するようにアリシア様の周りを伺っている。ヒンバルク伯爵も責任を感じているのか出て行く素振りは見せない。
「ジョシュア様」
「ん?」
「危険でしょう?地下へ行きましょう」
「あ、立ちっぱなしで疲れた?椅子あるけど座っとけば?」
「それはどうも…じゃなくてですね、危ないんじゃありませんか?」
「でもアリシア見捨てれねえだろ?」
「アリシア様はどうして地下に行かないんでしょう」
「狙われてるのが自分なら他の貴族が怪我しないように自分から引き離しておきたいんだろ」
「でも…」
「リゼリアがいるから大丈夫」
アリシア様はリゼリア様から兵士用の剣を手渡され、素振りして使用感を確かめていた。リゼリア様が椅子を探しにこちらへ寄ってくる。そしてジョシュア様を見つけるとコツコツとヒールを鳴らして詰め寄った。
「襲撃されるのを知っていたのね、ジョシュア!」
「ああ、知ってたよ。当たり前だろ?」
「どうして言わないの!あなたはアリシア様が大切じゃないの?!」
ジョシュア様の胸倉を掴み、リゼリア様が糾弾する。
「よせ、リゼリア」
アリシア様が近付いて、リゼリア様の手を止めた。ジョシュア様を冷たい目で見て告げた。
「歴史の語り部は所詮そういうものだ。敵でも味方でもない。友達でも家族でもない」
「でもっ」
「マリア、ここにいると良い。きっと死んだりはしないだろうから。そして歴史の語り部が私たちと相容れない存在だということを今日で理解しろ」
アリシア様はそれだけ言うとヒールを鳴らして部屋の中央へ進んだ。
「ジョシュアさま…」
「俺って最低だろ?友達が襲撃されること知ってて黙ってたんだぜ。襲われるのを今か今かと待ってたんだ」
「何か理由があるのでしょう?」
「ああ、そうだな。俺は最低最悪の歴史の語り部。アリシアが言ったとおり、俺たちは誰の味方でも、まして敵でもないんだ。だからアリシアがどんなに最高の友達でも、関係ない。記録の対象でしかない」
ジョシュア様はまた時間を確認しながら続けた。
「マリアのことだってそうだぜ。可愛らしいしお洒落で魅力的だけど、所詮お前も俺が死ぬ前に記録を読み返せばただの文字列でしかないんだ。どうだって良い、取るに足らない存在だ」
自虐的に嘲笑って、ジョシュア様は椅子に座った。私はジョシュア様の隣に腰掛け、窓の外を見つめる。
「お話、よく分かりましたわ」
「じゃあ俺の前から消えてくれ。仕事の邪魔だ」
「生憎アリシア様からここへいるように指示されておりますの。ですからしばらくはお側におります」
なにもかも、現実味がなさすぎて私は困り果てていた。
振られるのはいつものことだとして、襲撃されるのは初体験だし、怖いし、でもアリシア様やジョシュア様は平常心保ってるし…何かできることがあれば良いのだけどこういうことに関してはズブの素人だし動けば動くほど邪魔になるのは目に見えている。
大広間には何の変化もないまま、外が騒がしく城も揺れてはいるが、アリシア様達は身動ぎ一つせず静かに時が過ぎるのを待っていた。たまに伝令が飛び込んで来る以外は動きがなく、ジョシュア様がちょくちょく外と中を行き来しているのが目に付くくらいだ。
4時間が経過し、そろそろ緊張感がなくなってきた頃に戦闘は呆気なく終了した。アルフォンスお兄様はアリシア様に言われた通り門で防ぎきったらしい。レイモンド様が援軍を連れて大急ぎで戻って来た勢いそのまま挟み撃ちでこてんぱたんにしたようだった。あっという間に首謀者…というよりはそれぞれの頭領を引っ張り出して来て、アリシア様と私たちはその2人と大広間で対峙するに至った。両手を縛り上げられ、首を掴まれアリシア様の前に膝を付かせられた頭領2人はお互いに責任をなすりつけようと必死だった。
「ああ見苦しい。こんな小物がたかが2人。余興にもならぬ。詰まらぬ小汚い者をこのアリシアの目の前に置くなど」
アリシア様が普段の気軽さなど微塵も見せず心底汚いものを見る目と声色で吐き捨てた。頭領2人のアリシア様を見上げる目は怒り…というよりは焦燥だった。
「何も口を割る必要はない。おおよその見当はついているし何よりこのアリシアに剣を向けたお前たちに生きる権利はない」
「そんな!わしらは騙されて…!」
「何が騙されて、だ。詰まらぬことを。我の目が汚れる前にこの痴れ者どもの手足を捥いで海に沈めるなり山に捨てるなりしろ。与した者は全て処刑だ」
「!?」
「情け容赦をしてもらえると思ったのか?賊風情が?助けてほしいなら貴様の『依頼主』様に言うのだな」
冷たく通告し、アリシア様は剣を側の兵に押し付け、去って行った。アリシア様は一切の事情を聞かず、全てを知った顔をしただけだった。私の目の前の2人は殺される。それどころかもっと多くの人が…
普段私が知るアリシア様とは全く違う姿。残忍な王女の姿。噂はあながち嘘でもなかった。ならば噂でしかなかった、恋人を殺したというのも本当だったのだろうか。どこまでが本当のアリシア様の姿なのだろうか。
ジョシュア様だってそうだ。いつだって飄々と、それでいて気楽な姿だったというのに。今日の彼はピリピリしていて、みんなと馴れ合うことは一切せず、ひたすらに影に徹した。今だってジョシュア様が話しかけるのは私やリゼリア様ではなく現場に出た兵士達、それから山賊のみ。そしてアリシア様の言葉をひたすら羊皮紙に書き綴った。
私の胸中はと言うと自分の身の安全でも恐怖でもましてやアリシア様やジョシュア様への軽蔑や畏怖でもなく…
「せっかく選んだドレス、意味無かった…!」
という明後日の方向であったことは誰にも言うまい。




