変わる時
イケメンジョッキーのダニエル・ルメールが実は女だったことに対するミッシェルの落ち込みっぷりときたら、明日世界が終わると言われるより酷かった。
「おかしくない?あたしが好きになる人みんな何かおかしいのよ!おかしいわこんなの!」
おかしいがゲシュタルト崩壊するくらい聞かされるこちらの気持ちにもなってほしい。当のダニエラ…もとい、スカーレットは涼しい顔でこれを受け流した。スカーレットは男装時に潰していた豊かな胸を惜しげもなく、見せびらかすようなぴったりとしたドレスを身に纏っている。そういう女の格好ですら異常に似合う。ミッシェルはそれに悔しそうに舌打ちをしていた。
「こんなのオカシイわ!あたしよりもスタイルいいもの!お姉様もそう思うでしょ!」
「私の中ではスカーレットは女ではないので嫉妬が起きません、残念ながら」
ドレス着せてるけどね。
スカーレットの頭に鬘を被せて髪型で遊ぶ。メイクは濃いめにした。映える。めちゃくちゃ映える。口紅の真紅がめちゃくちゃ映える。オトコオンナじゃなかったら横に立たせないくらいに美しい。
「これ胸苦しい」
「お姉様!!!スカーレット様を殴ってよろしいかしら!よろしいわよね!」
私のドレスだと胸が入りきらないのでミッシェルのドレスを支給しているが、胸が苦しいと文句をつけた。ミッシェルは年の割には非常に豊満な胸をしているが、スカーレットの敵ではない。実際に布地が窮屈そうに引き伸ばされているのが見えた。
「毎日サラシで潰してる割に形も良いですよね。どういう体してるんでしょう。てか前より大きくなったよね何があったの」
「口調が乱れてるよ」
「失礼いたしました。お胸のご成長に伴って何かイベントでも御座いましたか」
「口調が変だよ」
親友の前だと口調が崩れるのはご愛嬌だ。世渡り上手の敬語癖がまるっと取れてしまうのは彼女の前だけだから許してほしい。
「僕こそマリアに聞きたいよ…しばらく会ってない間にどうして、よりにもよってサミュエルなんかと結婚を?頭おかしいでしょ」
「サミュエルは貴族的には非常に好条件ですけどねえ」
「でもサミュエルだよ?」
「言いたいことは分かりますけど」
学院時代に連んでいただけあって、サミュエルの本性は分かっている。友人としては、私もスカーレットもサミュエルが大好きだ。面白いし有能だし。ただ男としてはとても見れない。人間として歪んでるし、性格が悪すぎる。それに、基本的に胡散臭い。
「ミッシェル、2人きりにしてくれます?」
「え、ええ、お姉様。ごゆっくりなさって」
歯噛みするミッシェルを追い出して、ついでに侍女も追い出して、自分で紅茶を注ぎながら話をした。
「私ね、恋をしたんです。先ほどいらしたジョシュア様に」
「え、そうだったの?あの人サミュエルと喧嘩ばっかりしてるから僕てっきり…いやいいや。続けて」
「どうも…でも、もう駄目だって分かってしまって。もう何回も振られていますし。諦めました。それで、サミュエルが忘れるならいっそ悔しい思いをさせてみたらどうかって」
「サミュエルの入れ知恵か…」
スカーレットは眉を顰めた。
「サミュエルに良いように使われてる自覚は?」
「ありますけど」
ルースの教育代代わりに使われてる自覚はある。だから何だっていうのか。私は納得した上で使われているのだから問題ない。
「マリアは昔からそう。ちょっと考えが足りない」
「喧嘩売ってらっしゃる?」
「僕は真剣に警告してるの」
スカーレットは真剣な顔で私に諭し始めた。
「君がサミュエルにものすごく良いイメージ持ってるのは知ってるけど、相手はあのサミュエルだよ?タヌキだよ?マリアのこと真剣に考えてるふりして、お金のことしか頭にないんだよ!」
「それは私もサミュエルもお互い様かと…」
「ハッキリ言うよ!マリアはサミュエルに遊ばれてるんだ!!」
スカーレットはおそらく乗馬で鍛えられたと思われる腹筋で、頑丈そうな肺から空気を思い切り吐き出した。つまり、叫んだ。私がサミュエルに遊ばれているという根も葉もないスカーレットの論が屋敷中に響き渡った。
「スカーレットはほーんとに声が大きいよね」
案の定、サミュエルが不機嫌そうにノックもせずに入ってきた。後ろにはジョシュア様が信じられないものを見る目で私を見ていた。
「サミュエル、良い加減マリアで遊ぶのはやめろ」
「君さあ、マリアの心配してる場合じゃないでしょ?君こそ僕の助けが要らないの?」
スカーレットはサミュエルの言葉にさあっと顔色を悪くした。サミュエルは意地悪そうに唇を歪めて笑っていた。
「なに?何ですか?私には秘密?」
「スカーレットは秘密にしたいだろうけど。僕は意地悪にもマリアで遊んでいるらしいから教えちゃおうかな」
「や、やめ…っ」
スカーレットの唇が震えた。私はスカーレットに同情しつつもサミュエルに続きを促す。
「女だってバレたんだってさ、あのライバル君に」
「ライバル?ディラン・オニールですか?ウソ!ディラン・オニールに女だってバレちゃったの?ヤダ!どうするの!」
ディラン・オニールはスカーレットと人気を2分するイケメンジョッキーだ。成績もいつも拮抗していて、自他共にお互いをライバルと思っている。スカーレットが中性的なイケメンであるのに対し、ディランは完璧に男らしい体つきの完璧な男だった。
「僕が噂は揉み消したよ。でもね、面白いのはバレたことじゃないんだよ…」
「もういいだろ…僕のことは放っておいて」
「…ディランがスカーレットに求婚してる!」
「キャーーーーー!!!ウッソ!求婚されたんですか?ディランに?あのイケメンに?!ヤダー!!!!」
鼻血出そうなほど興奮するとスカーレットが鬱陶しそうに視線を外した。私はこの手のスキャンダルやゴシップが大好きだ。
「前々からスカーレットのことが気になっていたんだけど、スカーレットは男のフリしてるから、自分はホモなんじゃないかとずうっと悩んでいたんだって。それが、スカーレットが女だと分かったらもう結婚したくて堪らないらしいよ」
「キャーーーーー!!!すごい!!!スカーレットだってディランのこと嫌いじゃないでしょう?」
「嫌いだよ!あんなヤツ…!」
スカーレットは吐き捨てるように言ったが、頬をほんのり朱に染めていた。私は思いついたことをこっそりスカーレットに耳打ちした。
「ねえ、もしかしてそのけしからん胸揉まれた?」
スカーレットは耳まで朱に染まった。返事が無くても答えは明白だった。こんなに分かりやすい回答があるだろうか。私は納得して身を引いた。
「求婚を受け入れないのですか?」
「するわけない!」
スカーレットが怒るのでからかうのはここまでにした。
サミュエルは相変わらずニヤニヤしたままスカーレットを眺め、ついでにジョシュア様にもニヤニヤした顔を向けた。ジョシュア様はスカーレットのスキャンダルにぼけっと締まりのない顔で反応し損ねていた。
「ジョシュアは信じてないよね?僕がマリアを遊んでるなんて」
「…べっつに」
ジョシュア様は拗ねた。ジョシュア様は美しく着飾ったスカーレットに視線を移し、胸元を見てちょっと青い顔をした。
「サミュエル、ジョシュア様と外にでも行ってくださいな。顔色が悪いです」
「どうして?僕はスカーレットとディランの話をしなきゃいけないんだけど」
「どうしてって、それは」
「どうしてもって言うならマリアが連れ出してあげたらいいよ」
ジョシュア様は見るに堪えないと言うようにスカーレットから目を逸らした。スカーレットの扇情的とも言えるドレス姿は、貴族と女にアレルギーを持つジョシュア様には過激すぎたようだ。
スカーレットは逃げる気満々のようだけど、サミュエルはスカーレットに意地悪がしたいらしい。こうなったサミュエルを止めるととばっちりを食らうのは私だ。絶対に嫌だ。
私は早々にジョシュア様を連れて外に出ることにした。
「ジョシュア様、参りましょう」
「悪いな」
ジョシュア様は悪びれずに言った。
侍女に頼んで中庭にアフタヌーンを用意してもらった。私とジョシュア様は庭をぐるりと軽く一周してから席に着く。向かいに設置されていた椅子をジョシュア様は引き摺って私の隣に設置し直して、サンドイッチやケーキに手を付けた。うーん、距離感。私は若干横に椅子をずらして距離を保った。ジョシュア様はローズヒルズ特製の薔薇ジャムのケーキには手をつけようとしなかった。
「香水みたいな匂いがするから嫌い」
「好き嫌い分かれますからね」
私は薔薇ジャムが結構好きだ。ジャムだったら苺のほうが好きではあるけれど。薔薇ジャムも薔薇が主張しすぎない塩梅に調整してあるのが我が屋敷のシェフの売りなんだけれども、食べないジョシュア様にそれは伝わらない。
「ジョシュア様は知っていました?スカーレットとディランのロマンス!」
「…まあ、ちらっとは聞いてたかな。俺はそっちにはあんまり興味ないから」
「どうして私に教えてくださらなかったんです?」
「知ってることを簡単に教えるようじゃ語り部失格だろ」
その通りだった。私は返す言葉を失って頷くに留めた。
「スカーレットが言ってたことは本当なのか?」
「何か言ってましたっけ」
「おまえ、サミュエルに遊ばれてるって」
「それは嘘です」
ジョシュア様の声が震えた。
「マリア、本当にサミュエルと結婚したいのか?何か脅されているんじゃないのか?」
「私は心からサミュエルと結ばれたいと思っていますし、特に脅されていません」
つらつらと嘘を吐く。この嘘も大分板についてきて違和感なく言えるようになった。なってしまった。私とサミュエルが偽の婚約を解消するのはいつになるのだろう。
ジョシュア様が手を伸ばして私の頭を撫でた。
「セットが乱れるので止めてほしいです」
私はまた嘘をついた。
ジョシュア様はめったに見せない微笑みを浮かべて、さらに頭を撫でた。
「そんな顔で嘘を吐くなよ。いつからそうなったんだ?前は素直だったのに」
私はどんな顔をしているのだろう。平常心を保っているつもりだけれど、そうは見えないらしい。頑張ったけど、やっぱりちょっと涙腺が緩んだ。どうして今更優しくするのだろう。何もかも終わったのに、どうして。
うっかり潤んだ瞳をジョシュア様が覗き込んで、吸い込まれるように近付く。
「俺のせいだよな」
ごめんな、と聞こえたような気がした。でも言葉は塞がれた唇からは漏れなかった。ジョシュア様が近付いて、私に触れていた。淑女にあるまじき距離感と、行動だった。
あの日の塔の上でしなかったことを、念願叶ったと喜ぶべきなのか、今更と罵るべきなのか。諦めると決めた心に嘘を吐いて、感情がせがむままに私はキスを返した。私は泣いていた。ジョシュア様は笑っていた。
…ってダメじゃん!!!!
私は突然我に返ってジョシュア様を押し退けて猛ダッシュで逃げた。ヒールの高い靴は走りにくかったので走りながら脱ぎ捨てた。恥ずかしすぎてジョシュア様の顔は見てない。うわー、私ったら体面上は婚約者がいるのに他の男とキスしちゃった…自分の屋敷とはいえ、語り部のフィリスがいるのに!ていうかファーストキス!!!私のファーストキス!!!なんというシチュエーション!!!ていうかなんで!なんで急に!
色んな感情がごたまぜになったまま私は走って、走り抜けて屋敷の端っこの小屋に辿り着いた。屋敷の庭を整備する道具が置かれた物置だ。私は小屋に突入してへたり込んだ。
「ジョシュア様の所為だもの!!!!!」
取り敢えず思いの丈を叫ぶと、少し落ち着いた。
指で唇に触れる。ジョシュア様の顔が思い浮かんで、何も考えられなくなった。こんな顔で外に出れない…うずくまって苦悩する。ジョシュア様は私のことが好きなのだろうか。遅すぎない…?今更…?ようやく諦める気になったのに、こんなの酷い。
でも行動の理由を問い詰めると、傷付くのはいつも私だ。どうせジョシュア様は「別に深い理由はない」くらいのことを言うんだろう。期待はするだけ無駄だともう学んでいる。
「マリア様」
「フィリス?こ、こっちを見ないで」
ミッシェル付きにしたフィリスが私を見つけた。フィリスはジョシュア様が好きだし、語り部なのだからおそらく私たちのキスを目撃したのだろう。フィリスがジョシュア様がいる間はジョシュア様ばかり見つめているのはもう知っている。
私は赤みが引かない顔を見られたくなくてフィリスから顔を逸らした。
「ジョシュア様から言付けがあります」
「何でしょう」
「期待するな、とのことです」
ほらね。ジョシュア様にとっては意味のないことだったに違いない。本人からではなく殆ど喧嘩中のフィリスを介して伝えてくるところに悪意を感じる。
「私には何のことだか分かりかねます。お気をつけてお帰り下さい、とお伝えしてください」
いつだって私だけ。私ばかり、馬鹿みたい。だからもう、私は、ジョシュア様を追いかけたりしない。ぼろぼろと溢れてくる涙の止め方が分からなくて、声を押し殺して泣いた。
1時間かけて、やっと涙が止まって外に出られる状態になった。化粧が落ちてしまった酷い顔なので、誰にも見られたくなくて裏手にある使用人の入り口からこっそり部屋に戻った。顔を洗って化粧をし直し、スカーレットとサミュエルが寛いでいるサロンに戻る。
「…あら、帰ったかと思っておりました」
ジョシュア様がそこに当然のようにいた。サミュエルを睨みつけていた。…なんで?
さっきまで怒っていたはずのスカーレットが、逆にオロオロと2人の間をフォローしている。サミュエルはジョシュア様に生温い微笑みを向けている。私の言葉にサミュエルがニヤっと笑って付け加えた。
「馬車なら僕のを貸すよ?僕は婚約者に送ってもらうから」
ジョシュア様は口元だけ笑ってサミュエルを迎え撃った。
「別に泊まってもいいだろ?サミュエルの許しが必要か?」
「勿論必要だよね?僕の婚約者の屋敷に泊まるんだもの」
「ふ、2人とも今日は帰ったらどうかな…」
スカーレットが気まずそうに提案した。
私は冷たく提案した。
「2人でサミュエルの馬車でお帰りください」
「それはない!」
「俺は帰らないからな!」
いや帰れよ。
何故粘るのか理解できず、私は首を傾げた。サミュエルは相変わらず楽しそうにニヤニヤ笑っているし、ジョシュア様は鬼気迫る顔をしているし、そんな2人をスカーレットはオロオロと見ている。
「お姉様ったら…!」
「…?!」
ふらっと現れたミッシェルが顔を真っ赤にして私を殴った。キャーッと一声叫んでミッシェルは逃げた。私はわけがわからず無言で周囲に助けを求めた。
「マリア、君は可愛いから1回くらいの可愛い浮気は許すよ?」
「サミュエル?何を言ってるんです?」
「フィリスが大声出しちゃったからみーんな知ってるの、ごめんね」
スカーレットが申し訳なさそうに囁いた。
つまり、つまり…!みんな私とジョシュア様がキスしたこと、知ってる…
サアッと顔から血が抜け、そしてスーッと顔に血が上った。み、見られてた…!フィリスめ…っ!
「ジョシュアのことは許さないけどね」
サミュエルめ!言ってる場合か…!
「俺は泊まる」
そんな場合か!!!!!
いつもより豪華な晩餐を全員揃って食べた後、私のせいで忙しくなったエディお兄様が早々に席を立ち(ついでにジョシュア様を睨みつけていた)、サミュエルが私をエスコートして4人でサロンに向かった。ミッシェルはジョシュア様と私と、それからサミュエルを見るたびに顔を赤くしてしどろもどろになってしまったので、エディお兄様を追いかけるように消えてしまった。あの子は私達の間にどんなストーリーを描いているんだろうか。最近ミッシェルの部屋で胡散臭い恋愛物語を発見したからちょっと心配。
「寝なくてよろしいのですか?スカーレットは明日から練習でしょう」
「明日はオフだよ」
「でしたら遠乗りに出かけましょう!」
「俺も行く」
ジョシュア様が名乗りを上げると、サミュエルは面倒くさそうに挙手した。
「僕も行かなきゃダメでしょ」
「構いませんけれど」
「誰も僕の返事を待たないの?」
スカーレットがぽつんと言った。しかし私がスポンサーである限りスカーレットに拒否権はない。
翌日の午前中は私とサミュエルで出来上がったばかりの式典の衣装合わせをした。エマによって縫い付けられたビーズが柔らかい光を反射している。ものすごく美しい。良い出来だと手放しで褒められるものだった。白っぽいクリーム色の生地に、青いビーズが刺繍のように縫い付けられたドレスは華があり、かつ清楚で淑やかだった。胸元がほとんど開いてないのも好感度高い。嫁に行く感が出てる。対になったサミュエルの衣装もサミュエルの良さを引き立てる素晴らしい出来だ。気になっていたサイズもぴったりだったし文句の付け所がない。
「ルースに見せてやりたかったなあ」
「私のドレスを物欲しそうに見るのやめてくれます?終わったらルースにあげますから」
「助かるよ」
どうやらサミュエルはルースに私のドレスを着せてごっこ遊びがしたかったらしい…
似合うよ大丈夫というやる気のないサミュエルの意見を聞いて、ドレスに合わせる飾りを選んでいると、暇を持て余しているスカーレットとジョシュア様が覗きに来た。
「うわあ!すごく綺麗!隣がサミュエルじゃなかったらもっと良いのに!」
スカーレットは手放しで褒めてくれた。ジョシュア様はサミュエルの衣装を上から下までジッと見て、ムスッとした。
「俺の方が似合う」
ジョシュア様にこの服は似合うまい。
しかしサミュエルは笑顔で言い返した。
「悪いね、マリアの婚約者はこの僕なんだ」
私の衣装剥ぎ取ってルースとペアルックしたがってるくせによく言う。サミュエルはキラッキラの笑顔で応戦し、ジョシュア様は渋い顔で引き下がった。でも、私の衣装に目を留めて小さな声で言った。
「綺麗だよ」
私は頬を染めないように心を押し殺した。
午後になると、ジョシュア様は馬の扱いが下手だということを思い知った。というか、騎馬の天才のスカーレットと学院時代にほぼ毎週遠乗りをしていた私とサミュエルが上手すぎた。ジョシュア様はこのスピードに付いてこられず、しかもスカーレットとサミュエルはさらにスピードを上げて先へ先へと行ってしまった。仕方なく私が遅れているジョシュア様の面倒を見る。
おかしなことに、2人との距離が離れるにつれてジョシュア様は更にスピードを落とした。私の気位の高いお馬様が不機嫌そうに唸った。私のお馬様はスピード狂なのだ。ジョシュア様の馬は申し訳なさそうに項垂れていた。流石私のお馬様…力関係が出来上がっている。
「あそこで休憩しよう」
「仕方ありませんね」
肩で息をするほど疲れてしまったジョシュア様をこれ以上頑張らせるのは無理そうだった。馬を降りて木に手綱を括り付け、木陰に2人で座る。
「あの、昨日のことなんだけど」
ジョシュア様が気まずそうに言った。
私は慣れたもので、胸の痛みを無視して素っ気なく言った。
「心得てますから」
ジョシュア様はホッと表情を緩めた。この人女アレルギーの貴族アレルギーの癖にどうして私にうっかりキスしたんだろう…あの時化粧もバッチリだったのに。しかも黒歴史扱い。思い出したらイライラしてきて、私は近寄ってきたジョシュア様から距離を取った。ジョシュア様は不思議そうな顔をしていた。
「おいで、マリア」
気でも触れた?…ジョシュア様は笑いながら自分の膝をトントンと叩いていた。私が冷え切った目で睨むとジョシュア様は面白そうに笑った。
「いつからそんなにだらしなくなったんです?サミュエルに何か吹き込まれました?」
「まさか」
あれだけ毛嫌いしていたくせにいつの間にか仲良くなったくせに。
「貴族アレルギーの女嫌いは?」
「なんだろうな?自分でもよく分からないけど、ここ最近のマリアには出ないな」
都合良いな…!もちろん私が努めて貴族らしく、また肉食の女っぽくは振舞わないせいもあるだろうけど。
「いい加減自分に素直になるべきだと思って」
「今までも素直だったと記憶していますが」
「そうか?」
ジョシュア様は結局距離を詰めて、すぐ隣に座った。そして私が逃げないようにぎゅっと手を握った。うっかり跳ね上がる心臓を抑え込む。嬉しそうな顔をしないように平静を保つ。
「ジョシュア様、貴方の態度は私を誤解させます」
「どんな風に?」
「私の事が好きなのではないかと」
「それは」
「分かっていますから!」
私はジョシュア様の言葉を遮った。ジョシュア様の手を振りほどいて、困惑した顔のジョシュア様から少し距離を取る。困惑したいのは私だ。どうしてジョシュア様がそんな顔をするのかわからない。辛いのは私なのに。
分かっている、彼の行動に意味はない。
期待してはいけない。
「私で遊ぶのはもうお止めになってください。私、結婚するんです」
「どうしてそんなに急に決まったんだ?別に、早く結婚したいわけじゃなかっただろ?」
「…私が惚れっぽいのはご存知でしょう?」
昔詰られたところを掘り返す。自嘲気味に笑うとジョシュア様は傷付いた顔をした。
「昔そう言ったのは謝る」
「いいえ、本当のことですもの」
「でも俺は、俺への当てつけじゃないのかって思うんだ」
だ、大正解…冷や汗が出た。サミュエルの計画はびっくりするほど上手くいってる、と思う…ジョシュア様が、私に振り回されている。今までにないことだ…だけどジョシュア様に連れない振りをしてもスッキリなどしない。ぜんぜん。むしろ心が痛い。キスまでして傷付いたのは他ならぬ私だ。
「全部俺が悪かった。だから、前みたいに素直になってくれないか」
心がさざめく。開けたはずの距離がまた縮まっていた。ジョシュア様は今度こそ私の手を離さなかった。麗しい顔がすぐそこに迫っている。逃れられない、逃れたくない。頑なになっていた心が開いてしまいそうになる。この瞬間を逃したくない…!
「わ、私…私は…ジョシュア様の本当の心が知りたい」
「俺は」
ジョシュア様は恥ずかしそうに一瞬目線を逸らした。いつもならここで「期待するな」といった言葉が飛ぶ。しかし今日は、決然とした顔で、私に視線を戻して、唇がゆっくりと言葉を選ぶように、
「若様!!!」
…とはいかなかった。
ミッシェルと相乗りしたフィリスが大声でジョシュア様を探していた。私たちの馬を見つけ、すぐに木陰で休む私たちも見つけた。私はびっくりして咄嗟にジョシュア様から離れる。
フィリスは主人であるミッシェルを押しのけてジョシュア様の元へ馳せ参じた。
「お嬢様には婚約者がいらっしゃるのですから、男性の方とお二人きりになるのは感心できません」
フィリスは一息で言い切るとジョシュア様を潤んだ瞳で見つめた。
「大丈夫ですか?若様」
大丈夫じゃないのは寧ろ私の方!
完全に私とフィリスは対立してしまっているせいか、フィリスはいつもの陽気な侍女ではなく、慇懃無礼な完璧な侍女へ変貌していた。こういうフィリスは嫌いだ。私がフィリスをミッシェルに渡したのも相当頭に来たらしい。それに昨日と今日の私とジョシュア様の距離感に焦りを感じたようだった。フィリスは明らかにジョシュア様に心酔している。可能なら自分が婚約者に立候補したいと思う程に。
「どうしました、ミッシェル」
「お姉様ったら!もう!」
ベチン!と真っ赤な顔のミッシェルが私の腕を叩いた。普通に痛い…腕をさすりながらミッシェルを睨む。
「フィリスが2人きりにすると良くないと言ったのよ」
「別に何もありませんでしたよ」
「良く言うわね!」
この嘘はバレバレだった。
「フィリスが邪魔だな…」
不穏な呟きが背後から聞こえた。サミュエルとスカーレットがいつの間にか帰ってきていた。サミュエルとスカーレットがジョシュア様に纏わりつくフィリスを怖い顔で睨む。
「もしジョシュアが君のことを好きだと言ったらどうする?」
「どうする、とは?」
「当初の計画通り振るのか、それとも受け入れるのか」
「…」
私が押し黙ると、スカーレットがジョシュアを一瞥して低い声で言った。
「今まで袖にされてきたのは悔しくないの?」
「私は彼がたとえどんなことをしたとしても、ごめんの一言で許してしまうでしょうね」
私は彼に請われたら、きっと否定の言葉は言えない。サミュエルもスカーレットも、私がどれだけあの人に惚れているか、分かっていない。




