硝子の村
ファンタジーなので設定は適当です。
「マリアお姉様は本当にサムお兄様とご結婚されるのですか?」
新しい領地へ向かう馬車の中、向かいに座ったルースが目を輝かせながら私に訊ねた。私はお尻の下に敷いたクッションの位置を直しながら仮面の笑顔を貼り付ける。サムとはサミュエルの愛称のことだ。といっても、そう呼ぶのを許されているのはルースだけなのだけれど。
「ええ、もちろんですよ」
「じゃあこれからは毎日一緒にいられるんですね」
ルースがうっとりと私を見上げた。罪悪感…
サミュエルにも私にも結婚するつもりは毛頭ないが、お互いの為にネタばらしするまでは全方位に向かって結婚アピールをしなければいけない。
尤も、前に城に行った時に辛すぎて大泣きしてアリシア様達にはバレちゃったけど…
でも、サミュエルの計画は本当に効果があったらしい。ジョシュア様から投げられる視線が意味のあるものに変わるのが分かる。そこから進展しないのが彼の良くないところではあるけれど。
「あのジョシュアという方はお姉様の何なのです?」
「ジョシュア様は親しい友人です」
「遠慮がなくて、私は苦手です」
ルースが毒を吐いた。良くも悪くもとても素直な少女は口をへの字に曲げる。細すぎて尖った顎が突き出ていた。私はくすっと笑ってルースに諭す。
「令嬢たるもの、そんな態度を表に出していけませんよ」
「お姉様は身内ですから」
「その前に貴女を立派なご令嬢に育てるとサミュエルに約束したのです」
「サムお兄様の前ではとても良い子にしています」
「それなら結構」
とってもルース本人には教えられないが、サミュエルの要望はルースを自分に相応しく磨いてほしい、だった。サミュエルは私の前ではより化けの皮が剥がれおちて、ルースをお嫁さんにしたいという想いを隠さなくなっていた。ちょっとルースに同情する。お兄さんだと思っていた人から告白なんてされたら…私に喩えるとエディお兄様の妻になるようなものだ。どう転んでも無理だ。
「お姉様は昔から厳しくマナーを躾けられたのですか?余りにも完璧すぎます」
「私の実家が貴族らしくないのはご存知ですか?あそこではあまり躾けて貰えませんでしたので、マナーの教本を読んで学びました。その後学院に入ってマナーの講師に頼み込んで個人レッスンを受けましたよ」
「サムお兄様から少し聞きましたけど、貴族らしくないのですか?」
「とことんやる気がありません。野心ややる気とは真逆の人種ですの」
競争心満々のローズヒルズから生まれた異例のやる気ゼロの男性がローレライ家の始まりだという。ローズヒルズからわざわざ分家として分離されて、代々ローズヒルズからうっかり生まれてしまった競争心の欠片もないゆったりした人間がローレライに送られ続けた。そんな環境で生まれたローレライの人間は本当におっとり、のんびりという言葉が似合う。しかし、そんな中で生まれた瞬間から競争意識の強い野心家な私とお兄様という、逆に異例な存在がうっかり、本当に何故か、それも続けて生まれてしまった。だから私とお兄様は苦労した。逆に。
「ちょっとわかります」
「ルースも?」
「私も、家庭事情が複雑で。義理の姉ばかり教育を受けさせられていて、私はずっと無視されていました」
それ虐待…ルースのやせ細った頬のラインを見ながら、ルースの当時の状況を思い浮かべた。サミュエルからざっくり聞いた話では、ルースが今まで通ってきた道は過酷以外の何物でもない。ルースはここに至るまでに生まれてから得たもの全てを失っていたし、きっともうそれは2度と元には戻らない。
「だから教育が受けられない不自由さと悔しさ、分かります」
「あなたとは次元が違います」
「ごっ、ごめんなさい!おこがましくって」
「そういうことではなく…私は教育が受けられなくても何不自由なく生きていましたから。あなたと同じと言うと申し訳なく感じます」
ごめんなさいね、と私はぽつりと言って頭を下げた。私の人生、キツイところも勿論あったけれど、生死がかかるくらいの過酷さはない。
私は手を伸ばして、ルースの折れそうな程儚い腕を握った。
「本当に貴女には同情します。だから、サミュエルと私で貴女のことを今までの人生すっかり忘れてしまうくらい幸せにします」
「お姉様…」
ルースは痩せてやけに目立つ瞳を輝かせた。私は可哀想なこの少女が好きだし、幸せになってほしい。たとえ相手がサミュエルでも。サミュエルは心の底から自分でルースを幸せにしてあげたがっている。ついでに彼女を幸せにする過程で私にはサミュエルからの報酬が入る。ウィンウィンだ。
馬車が止まり、御者がドアを開けて私達を降ろす。雨が降っていたらしく、道がぬかるんでいて私とルースの足は泥に埋まった。額に青筋が立つ。どんだけ高いと思ってるんだこの靴。ぶっ殺すぞラインラルド…!
「おいでルース」
「はいサムお兄様」
ルースは即座にサミュエルが乗った馬に引き上げられた。私は私の馬まで歩いて行った。靴下まで汚れた…!本当に本当に許さない…!絹なのに!絹なのに!私の気位が高いお馬様も不愉快そうにブンブン頭を振っていた。宥めてから乗り込む。
「新しい領主様、ようこそいらっしゃいました。私は町長のアーニーと申します」
「私が新しい領主のマリア・ローズヒルズです。どうぞよろしく」
迎えに来た身なりのいかにも貧しそうな壮年の男性と握手を交わす。
「先ずは領主様のお屋敷にご案内しましょう。御御足の汚れを落としたいでしょうから」
「気が利いて助かります」
ラインラルドの屋敷か…結局来ることになるとは。ある意味感慨深すぎて神妙な顔をしてしまった。
ラインラルドの屋敷はローズヒルズの屋敷のミニチュア版だった。造り自体はだいぶ違い、荘厳なイメージの四角い昔ながらの様相だが、庭や飾りは見事にローズヒルズだ。丸い。薔薇っぽい。ラインラルドがいかにローズヒルズに憧れとコンプレックスを持っていたかが窺える。
ジョシュア様は初めて見る屋敷に目を輝かせていた。
私とルースはさっさと足を洗って軽装に着替え、屋敷の人が用意してくれた乗馬用の長靴を履いた。待ってくれていたサミュエルとジョシュア様は、長旅でずっと2人きりにされていたせいか、少し打ち解けていた。
「俺あいつのこと嫌いだけど、良い奴だと思う」
「あら、どうされました?賄賂ですか?」
「そんなもん受け取るか」
ジョシュア様が珍しくサミュエルを褒めた。その時のサミュエルは、私の視界の端で、ルースの小さな頭を撫でて可愛がっていた。
「私から見ても、サミュエルは変な人ですけど悪くはないと思います」
「あっそ」
返事は無茶苦茶そっけなかった。
「感じ悪いと思いません?」
ルースはジョシュア様の態度におかんむりだった。
私達は町長に連れられるまま、馬を駆って町に向かっている。ルースを私の馬に相乗りさせ、町長の馬と並走。それをサミュエルとジョシュア様がそれぞれ別の馬で追いかけている。町長が道の説明でもしようと思案していたが、特に見所のない景色のせいで黙り込んでしまったせいで私達はまた談笑モードになった。サミュエルとジョシュア様は後ろで政治や経済の小難しい話を始めたので、会話について行けない私達は別の話題に入った。すると突然ルースがブチっと切れていた。
「何がです?」
隣で町長が何か失敗したかとビクビクしている。
「後ろの語り部ですよ」
「まあ。何か嫌味でも言われました?」
「サムお兄様のこと悪く言っていました。それも私のお姉様に」
うーん、それはジョシュア様の通常運転だからなあ…気持ちは分かるんだけど。
さり気なくこの会話を聞いているジョシュア様のボルテージが上がる気配がした。
「ルース、ここは外ですからお嬢様らしくなさい。うちに帰ったら聞いてあげますから」
「はいお姉様」
ぷうっと頬を膨らませてルースは拗ねた。それを後ろから見ていたサミュエルがくすくす笑って喜んでいる。ジョシュア様は射殺さんばかりにルースを睨んでぼやいた。
「感じ悪いのはどっちだっつーの」
お前だよ。
「ここがライルランド・タウンです」
不穏な気配を感じ取った町長が慌てて遠くに見える町を指差した。今にも朽ちそうな木の柵でぐるりと取り囲まれた町からは、太陽に反射してキラリと何かが光った。
「あれはステンドグラス?どの家にも付いているなんて、実はラインラルド領はとってもお金持ちなのですか?」
「仰る意味が分かりかねますが…」
遠くに見える町を、よく目を凝らして見ると、小さな石造りの家には大きな窓が幾つも付いている。そして飾り窓まである。飾り窓はステンドグラスでできていて、まさにおとぎ話の家のようだった。
「可愛いわ!」
近付くにつれてステンドグラスになっている飾り窓は、それぞれの家によって違うことに気付いた。ステンドグラスは結構な値段が張る。窓だって高い。それをこんなにたくさん使うのは本当にすごい。窓のガラスも均一で透明度が高いことから、加工する技術力もありそうだ。
馬のスピードを上げて町に入る。街並みは田舎くさいが、家は本当に可愛い。一部屋しかない前時代的な家だけど。
家とは逆に、町の人達はやせ細って虚ろな顔をしていた。服装も、これだけの技術がありながら、貫頭衣のような粗末で古い物を着ている。タイムスリップしたような感覚だった。町長も異常な程にみすぼらしいが、これが一張羅であることは分かった。
ジョシュア様は猛烈にメモを取り始めた。
「我々の町では人参を作っております。前の領主様もいたく気に入られ…」
「その人参、美味しくなかったわ。味がしないもの」
私が本音を言うと町長は顔を真っ青にした。私は人参を作っている畑に行き、鍬も持たずに手で土を耕す人に声を掛けた。
「こんにちは、畑を見せてもらってもいいですか?」
話す気力もないのか、虚ろに頷く。私は畑に入ってじっと観察した。土に触れて、臭いを嗅ぐ。
「こんな痩せた土でよく作れましたね。それに、これは作物を育てるには適していません。我がローズヒルズと同じ種類の土とお見受けしました」
「…というと?」
「花土です。実がなるタイプのものは育ちにくいのです。花が咲くものはとてもよく育ちます」
ローズヒルズもこれが発覚するまでとてもとても苦労した歴史がある。それ以降食物になる植物はほとんど作られていない。向いてないんだもん。町長は顔を真っ青にしたまま、土に埋もれたそうな顔をしていた。
「とはいえ土を輸入すれば育てることも可能ですが、コスト的には無駄にあたりますね」
「そうだね。僕ならラベンダーとか、香料になりそうなものを沢山作るかな」
「それが良いかと。前の領主は視察に来られなかったのですか?この状況を放置するなんて」
町長は力なく首を振った。
「畑の事情は分かりました。それでは、あちらのガラスについて説明してください」
「ガラスですか?あれは昔からの伝統工芸でして…ガラス細工は我々の十八番なのです。誰でもできますし、珍しいものではありませんけどねえ。つまらないものですし」
町長は1つの大きな家に私達を招いた。町長の家だ。町長は私達に美しいキラキラと光る首飾りを見せてくれた。赤と緑で構成された、細かいガラスビーズを連ねてできた単純なものだけど、輝きが美しすぎて私は驚いた。受け取ってビーズの1つ1つを見ても、均一に美しく、良くできた品に思える。
「綺麗だわ」
「他にもこういう物もありますが」
町長はガラスと銀細工で出来た宝石箱を私に渡した。ガラスの上に細い銀細工が柔らかい曲線を描いている。美しすぎる。持って帰りたい。
「ガラス以外にも銀も扱えるのですか?ていうかこの銀はどこから調達しましたの?」
「山から取れるものなら何でも使いますが…」
「山?ラインラルドに鉱山資源があるなんて一言も聞いていませんでした」
「町の裏にある山は昔から我々の友人です。砂からはガラスができますし、少し掘れば銀も出ます。川では砂金も取れますよ。もう少し掘れば宝石もありますしね」
…あれ、もしかしてラインラルド領、うまく使えば金のなる木になるの?
サミュエルが興味深そうに身を乗り出し、ジョシュア様の書き込みペースも上がった。
「なにぶん領土が貧しいもので、これといったものはありませんが…」
「いえ。私、こんなにこの領土が富んでいるとは思いもしませんでした。誰か領の外に行った者は?…いませんの?それじゃ仕方ないですね」
あまりの貧しさに外の世界を見られなかった上に、絶望的にセンスのない伯爵達にはこの領土の魅力はわからなかっただろう。彼らは食べるものにしか富を感じなかったようだ。
「忙しくなりますよ。来週から継続的に物的な支援も行いますが、来年には打ち切ります。それまでに自力で経営できるように叩き込みますからね」
「僕もこの領土に興味湧いたよ…暫くは経営指南させてもらえる?」
「喜んで」
サミュエルが上機嫌になった。いくつか案さえ出しておけば、サミュエルやうちの人が軌道に乗せてくれるだろう。それにしても、この領土をただの飛び地にしておくのは勿体無い。もっと観光資源でも稼げるはずだ。こんなに家が可愛いし、ガラス細工もお土産になる。私が流行らせてしまえば早いな…
サミュエルと話してあと1週間、資源が届くまで私達は滞在を延期した。ルースも一緒に残ってくれるし、ジョシュア様も残りたいと申し出てくれた。ジョシュア様は近くの遺跡調査に翌日から行き、残りの私達は領民の暮らしぶりを見たり、貧困に喘ぐ領民に寄り添って1週間過ごした。サミュエルはその間に必要なデータを採集し終わった。私とルースは金になりそうなものを発掘してはその価値を教えて回った。ルースは商家の出身なだけあって目は確かだった。将来的には、ルースはサミュエルの愛妻としてだけではなくビジネスパートナーとしても手放して貰えないだろう。私もルースに、布の良し悪しや色、流行を教え込んだ。
1週間が経つと、この領民の人となりを知ることができた。彼らは素朴な田舎者で、明日の食料のこと以外を考える余裕さえできれば働き者で真面目なものが多い。そして手先が器用だ。私達が何台もの馬車を使って運んできた食料品には涙を流して喜び、本物の人参を与えるとその味に驚いてまた涙した。1週間で飢えが治ると、私に山を案内し、ガラス工芸を作るところを見せてくれた。手土産として私が気に入った宝石箱をくれた。ビーズをドレスに使いたいと申し出ると、大きな袋3つぶんのビーズをくれた。重い。色の種類も多いし、センスも良い。私が青い物が好きだと言うと多種多様な青色のビーズを用意してくれた。
この領、好きかもしれない。
新しい支援物資や計画が届くと、入れ違いに私達は王都へ帰ることになった。
帰りの馬車はジョシュア様と相席することになった。サミュエルがルースと乗りたいと駄々をこねたからだ。ジョシュア様は動く馬車の中で、器用にノートの整理をしていた。
「ラインラルド領は鎖国状態だったから遺跡調査に乗り出せなくて、困ってたんだ。そんな状態だから語り部も送り込めなくてな」
「あの一家の暮らしぶりを見るに、とても人には見せられなかったのでしょうね。外面を良くしようとしすぎたのでしょう」
「お前が領主になって正解だよ。あの領を良くできるのはお前しかいない」
「そうですか?」
「昔のローズヒルズそっくりだからな」
ジョシュア様は目を輝かせた。
「昔のローズヒルズは作物は育たないわ、交易のルートはないわ、でまさに地獄だったんだよ。昔の領主が爵位返上して他国に逃げた後、押し付けられた新しい領主の娘がローズヒルズに価値を見出してあそこまで活性化させた。お前もその娘みたいにラインラルド領をうまく活性化させられる」
「私には荷が重いです。サミュエルに任せようかしら」
「それでもいいけどな」
ジョシュア様はちょっと拗ねた。私は大人っぽくそれを流して、窓の外を見る。ルースとサミュエルは何の話をしているのかな…会話が続かなくて困った私は2人のことを考えた。
「悪かったよ」
「何がです?」
意識を引き戻されて、私は聞き返した。ジョシュア様は頭をがしがし掻きながら言った。
「今までの態度」
「ああ。別に気にしていませんよ。慣れない人に囲まれて緊張なさるのは仕方ありません」
「大人気なかったと思う」
「そういう子どもっぽいところも含めて好きですから」
くすくす笑う。ジョシュア様が時が止まったようにあんぐり口を開けた。私は先ほどの自分の発言を反芻して理由を探した。
たしか私は、好きです、と言った。
好きだと言うのは日常茶飯事で気にも留めていなかった。だけど、サミュエルという婚約者(仮)がいる中では不適切極まりなかった。今の私が言っていい言葉ではなかった。心臓が壊れそうなほどバクバクと激しく動く。
「…お前、やっぱりサミュエルと上手くいってないんじゃ」
「変な意味に取らないでください!」
「俺のことまだ好きなの?」
ジョシュア様は顔を真っ赤にした。
好きだ、心臓が張り裂けそうなくらいに、好き。子どもっぽいところも、頭を掻く仕草も、優しい笑顔も。
だけど、だけど。
「ジョシュア様こそ私のことが好きなのですか」
ジョシュア様は、ゆっくりと言葉を選ぶように唇を動かした。
「お前のことなんか好きじゃない」
分かっている。分かっていたこと。彼はこういう人だ。こういうところが嫌いで、大好きで仕方ない。だから私は笑って誤魔化した。
「私も」
閉じた瞳から涙が一筋溢れて、ドレスのスカートに小さなシミを作った。ジョシュア様はそっぽを向いてそれに気付かないフリをしている。私は泣いていないフリをした。
ジョシュア様のことを好きじゃないと言って、傷付いたのは寧ろ私の方だった。サミュエルめ、ジョシュア様を振ったらスッキリすると言ったじゃないか。なのに、全然スッキリしない。こんなの最悪だ。
休憩所で一度馬車を降りて食事を済ませると、次は私とサミュエルが相席することになった。ルースは嫌がっていたが、ジョシュア様と一緒に馬車に乗り込む。
馬車が緩やかに動き始めると、サミュエルが意味深な笑顔で聞いた。
「ジョシュアと何かあった?」
「またしてもフラれただけです。しかも今回は告白してない!」
「君もジョシュアも懲りないなあ」
「…旅の間お話しするのを忘れていましたけれど、式典用の衣装ができましたよ。ビーズを貰ったのでもう少し加工させますけど」
「それはどうもありがとう。結局白にしたの?」
「白だとちょっと…と思って、薄いクリームにグレーを足した色にしました。それに青い刺繍をしています。昔学院の卒業パーティで着たものそっくりにしていますよ」
「何着たか覚えてないな…」
「貴方って人は」
私はサミュエルから手帳と鉛筆を借りて簡単にスケッチした。学院の卒業パーティ、楽しかったなあ。今までで一番綺麗なドレスを着て、美しい照明に照らされて、くるくるダンスを踊って。その後ローズになるともっと豪華な衣装で華やかな舞台に移動してぶったまげたけど…
「よくこんな細かいところまで覚えてるね。それじゃあ僕が最後に君と夜会に行った時の衣装は?」
「仕事のうちですしね。えーっと、あの日は確か雨でしたよね。…こんな感じでしたね?」
「すごい!確かにそれだ!今まで着てきたドレス全部覚えてるんじゃない?」
「大体は覚えていますね。人に選んだドレスもよく覚えていますよ」
さらさらと思い出の中のドレス達を書いていく。サミュエルは面白そうにそれを眺め、嘆息した。
「ルースもそのくらい記憶力が良いといいけどなあ」
「ルースはよく出来ていると思いますよ?モノを見る目は確かですし、私のスケッチからでも情報を正確に読み取れていましたし」
「君にそう言われると安心するよ」
「なんでも仰ってくださいませ、旦那様」
ぶはっとサミュエルが吹き出した。私も面白くてクスクス笑った。
途中の休憩でまた席替えをし、次は私とルースで相席した。ルースは目をキラキラさせたまま毒を吐いた。
「やっぱり私は語り部様が嫌いです」
「万人に好かれる人なんていませんからね」
「でも、話してるうちになんだか具合悪そうにしてました」
「…体調に影響するような話をしたのですか?」
「いいえ?お姉様のお話をしただけです。つまりはお姉様は記憶力が良いというお話ですね。あとサムお兄様の都合に合わせてローズを辞める決意をしたお話とか」
サミュエルがどうのっていうのはルース向けの嘘なんだけどね。サミュエルがどうしても結婚したい!って言ったという話にしているからルースには変に伝わっている。私はさして気にせずに、ルースと帰宅後に何を食べたいか話した。馬車がサミュエルの屋敷に着く頃には移動に疲れ切ってしまい、無言で馬車から降りて早々に食事を頂いて解散する。
ジョシュア様は物言いたげな顔で私を見つめていた。
サミュエルがニヤニヤしながらジョシュア様を城に送るために馬車に押し込み、私をもう1つの馬車に押し込んで私の屋敷に送った。
私は次の日の昼まで寝込んだ。
昼過ぎにエマが私のドレスにライルランド製のビーズを飾り付けているのを見た。綺麗すぎて思わず見入ってしまう。エマも上質なビーズにうっとりしていた。このビーズは宝石と比べても謙遜ないほど光が柔らかく美しい。シャンデリアの照明の下だともっと相応しく光りそうだ。エマの美的センスで成金っぽく嫌らしくならない程度に飾り付けがされることを願う。
「きゃあーーー!!!ジョッキーよ!!!!ジョッキーなのよ!!!!」
ぼけっと寝ぼけたままの頭に妹の黄色い声が刺さった。エントランスで妹が大騒ぎしているらしい。私は眠い頭を引きずってエントランスへ向かった。
エントランスにはミッシェルだけではなく、エディお兄様とサミュエルと、それからジョシュア様もいた。一瞬で頭が覚醒する、ついでにやる気のない服装の自分が恥ずかしくて一度部屋に帰って着替えた。
もう一度エントランスに戻るとまだミッシェルが大騒ぎしたままだった。ミッシェルは未婚の令嬢にあるまじき勢いで金髪の小柄な青年に抱き付いていた。いやあれ青年じゃないわ。見覚えあるどころか親友がそこにいた。
「ヤダ!会いたかった!」
私はミッシェルのことを叱れないくらいの勢いで青年に飛び付いた。よろけつつも受け止めるあたりがイケメンである。めちゃくちゃ顔の整った青年は、男性にしては背が低く女性にしては背が高い。髪も女性にしては短すぎ、男性にしてはやや長いくらいのこの半端なアンバランスさがいい。このアンバランスさが売りだ。彼は大売り出し人気絶頂の、ローズヒルズ家並びに私が個人的スポンサーをしているジョッキーだ。
「久しぶり!僕も会いたかった!」
ミッシェルごと青年は私を抱きしめた。
「いつ来たの?言ってよ!迎えに行ったのに!ヤダもう!」
「明日からローズヒルズ杯だから、今朝着いたんだ。馬を綺麗にしてからこっちに来たから」
サミュエルが生ぬるい目でこちらを見ていた。建前上婚約者の前でジョッキーとイチャついているのだから当然そうなる。…とはいえサミュエルも隣にいるジョシュア様も彼のことはもちろん知っている。
「ヤダ!馬臭いわ!お風呂入りましょう!一緒に!」
私が興奮して喚くと、さすがのミッシェルもぎょっとした。
「お姉様!ダメよ!」
「……?あ、ミッシェルには教えてませんでしたね」
私はジョッキーに抱きついたまま、ジョッキーごとミッシェルに向き直った。
「このダニエル・ルメールはね、女なのです。本名はダニエラ・スカーレット伯爵令嬢。私とは学院時代からの親友です」
「お…おんな…?」
「うん、そうなんだ。ごめんね」
ダニエラは自分のダニエラという名前を嫌って、私にはスカーレットと呼ぶように言いつけてある。昔は髪の長い颯爽としたイケメン美女だったのだけど。貴族の名を捨てるどころか性別まで捨てちゃったイケメンはお馬様と生きる道を選んだ。長い美しい髪をバッサリ切って、家と縁を切って、ローズとなった私を頼ってジョッキーになった。私がローズとなって一番最初に出たスキャンダルがスカーレットとの熱愛報道だった。むしろそのくらい奔放なほうが私のキャラクター作りには良かったようだ。そういうわけで私はジョッキーを愛人にしているという噂は半分本当で半分嘘だ。
「サミュエルと結婚するの?」
エントランスでスカーレットが私に問いただしたおかげで、エントランスは静寂に包まれた。スカーレットは聞いてはいけないことを聞いたとどうやら理解したらしい。慌ててお風呂…お風呂…とうわ言のように言ったがもう遅い。
「結婚しますよ」
ジョシュア様が渋い顔をした。私も笑顔が曇った。何かを察したスカーレットは私をぎゅっと抱きしめた。嘘が後ろめたくて私はスカーレットをきつく抱きしめ返した。
「僕の婚約者と堂々と浮気するのやめてくれる?」
「世間一般では僕のマリアなの」
「逆でしょう?私のダニエルなのです」
学院時代そのもののやり取りをすると3人でくすくす笑った。昔に戻ったみたいだった。
スカーレットをお風呂に入れて、私とサミュエルとジョシュア様はエディお兄様を交えてラインラルド領について協議した。私の案は優先的に採択され、第2のローズヒルズとなるように私が主導権を握った状態でスタートすることになった。私はずっと考えていたことを伝えた。
「私はローズを予定通り降りようと考えています」
「…結婚するからか?」
「それは、そうですが。…いえそれだけではなくてですね、ローズを降りても仕事は続けたいと考えています。ですから第2のローズを作れないかと模索していました」
どうせサミュエルとは結婚しないし、というか今後結婚する気がサッパリないし。失恋真っ只中の私には世の中厳しい。
「そこで思いついたのです。ミッシェルがローズになった後、私はそのお姉さんブランドを作ろうと」
「セカンドラインか。悪くないな」
「どうせ今の仕事量を1人でこなすのは無理でしょう…私は私以上の年齢の方を相手に商売しようと思いました。ミッシェルは従来通り、若い令嬢を主力に商売すれば良いと思います」
私はいっそ仕事を続けたい。ラインラルド領の活性化に力を入れたい。
「それじゃあローズが2人立つことになるのか」
「それでは差別化が図れませんから、私の方はダリアにでも変えようと思っています。ラインラルド領でもダリアは咲きますから」
ダリアの交配が最近流行りそうだという噂も聞いている。私がダリアを名乗って流行らせれば相乗効果も狙えるだろう。
ジョシュア様は猛烈にメモを取りながら大人しく話を聞いていた。
「働き詰めでは新婚生活もままならんだろう…結婚を先延ばしにするかセカンドラインを先延ばしにしたらどうだ?」
「却下です」
「僕も却下」
私とサミュエルは顔を見合わせて同じ結論に達したことを確認した。仲良くにっこり笑って、手を取り合う。
「セカンドラインは2人で興します。セカンドラインは2人の共同作業にしたいのです」
「僕からもお願いします、お兄さん」
ジョシュア様がペン先を折る音が聞こえた。エディお兄様はそれを横目で見てぎょっとしていた。
「お熱いのは分かったよ…」
ジョシュア様がしれっと新しいペンに持ち替えた。サミュエルはニヤニヤしながらそれを見ている。私はサミュエルの手を離して膝の上で手を組んだ。
「お兄様もマドック家に間に入ってもらったほうがやりやすいでしょう?サミュエルの事業のこともありますし」
「そうだな、もともとあの領土はマリアのものだから好きにすると良い」
「ありがとう、お兄様!」
心からの笑顔を送るとエディお兄様は嬉しそうに私の頭を撫でた。
「お前も巣立って行くんだな。俺は寂しいよ」
「まだまだここに居ますわ、追い出さないでくださいね」
「お前には本当にずっと側にいてほしいよ。今までで一番の妹だもの。お前の才能だけじゃなく、気質も考えも全部。こんなに意見の合う妹はそういない」
喉元が熱い。エディお兄様ったら何を言うのか。涙腺が緩む。ちょっと涙出てきた。エディお兄様は私がずっと結婚しないと思っていた。私もそのつもりだった。運命の人が現れるまで、結婚しないつもりだった。それは今でも変わらないけれど。私は結婚できないけれど。それでも私は永遠にローズたりえない。花がいつか枯れ落ちるように、ローズにも寿命がある。若くて最も美しい期間だけ活動が許される私達の寿命はとてもとても短い。私はまだまだ美しくあるつもりだけれど、世代交代は確実に必要なのだ。1年やそこらで交代しがちなローズを私は比較的長い期間務めた。それだけでとても名誉なことなのだ。
エディお兄様とは反発も多かった。喧嘩もした。それでも次の日には仲直りできてしまった。実の兄妹同然の付き合いだった。お互いの富や名声のためだけじゃない付き合いだった。
「籍が違ってもお兄様はずっと私の…っう、おにい、しゃま、ですぅ」
「当たり前だ…うぅっ…」
私が泣き出すとエディお兄様も泣いてしまった。2人でわんわん泣いて別れを惜しむとサミュエルとジョシュア様が白けた顔で言った。
「アルフォンスよりエディのほうがよっぽどお兄さんって感じするよね」
「中身そっくりだもんな」
それは私もそう思うしエディお兄様もそう思っていると思う。




