一
……私は何となく、幸が拒絶された理由は分かりました。けれど、何故、幸という女性がそこまで誰かを幸せにする事に魅入られているかは理解できていませんでした。
普通、この現代日本に暮らしているなら、そこまで他人を幸せにする事以外に自身の価値を見出せるはずです。けれど、彼女の話を聞いた私が思うには、幸は本当に他者を幸せにする以外に自身の価値を見つけられない人間のようでした。
そのような事を思いながら一週間が過ぎ、私は約束どおり青山と再び会いました。そこで彼とまた幸について色々話す事になりました。……
六月二十三日、土曜日。
時刻は七時二十分。佐野は先週と同じ喫茶店の同じ席で青山と向かい合って座っていた。今、彼らの話題に上がっているのは佐野が幸から聞いた彼女の過去である。
「――――と、まあ幸からこのような事を聞きました」
「……幸は、やっぱり、そんな、生活を、していたんですね」
青山の表情は暗くなったが、佐野は言葉を続けた。
「で、俺の質問なんですが、青山さん、あなたは幸の話で言う、幸が最初に話した『彼』ですか? もしくは幸が三人目に会った『彼』ですか?」
この一週間佐野はその事が気になっていた。別に青山がどちらの『彼』だとしても佐野には関係が無いが、それを知る事で、佐野が青山に出来る質問の種類が固まっていくと思ったからだ。
青山は少し黙った後に口を開いた。
「……私は、幸が最初に話した、『彼』です。一番初めに、彼女を拒絶した、人間です」
今の言葉を信じるとして、青山は幸が最初に尽した人間らしい。
佐野は彼に聞きたかった事を聞いてみる事にした。
「それじゃあ、青山さん、続けて質問させてください」
「はい」
今度は佐野が一息入れた。この質問は佐野が更に幸の事情に踏み込んでいく事を意味する物であるからだ。
たとえ、形だけの物だとしても、そのような準備動作が欲しかったのである。
「……幸は何故、あそこまで、他人を幸せにする事を彼女の生きる意味だとするんですか?」
青山の体が一瞬固まったのを佐野は感じた。
佐野はここ最近考えていた、何故、幸という女は誰かを幸せにする事以外に自身が存在する価値を見出せないのだろうか、と。
確かにこの世の中、誰かに必要とされなければ自身の価値を認められない人間はかなりの人数存在している。佐野にも知り合いにも数名ほどそういう人物達が居た。
けれど、普通そのような人間は自分が縋っている対象に拒絶された場合、そう簡単に相手から離れようとはしなくなるはずなのだ。あくまでそのような人間達が誰かに縋る理由は彼ら自身のためであるからだ。
しかし、幸の話を正しいと仮定した場合、彼女は完全に相手のためだけに行動している。拒絶され、自身は相手に不利益をもたらすと分かったなら、彼女は速やかに相手の前から姿を消し続けたのだ。
確かに、彼女は自分が存在していても良いという理由を見つけるために他者に尽し続けてきたと言っていた。
だが、それならば、なおさら一回程度の拒絶でその他者の事を諦めないはずだと、佐野は思うのだ。
どうにも幸の目的と行動が矛盾している。
これでは、幸は人に尽すためだけの人形では無いか。
それがどうしても佐野には納得できなかった。幸が何かしらの経緯で誰かを幸せにする事でしか自身の価値を見出せない人間になったとしても、完全に他人のために生きようとするにはどうしても理由と原因が足りない気がしたのだ。
どのように考えたとしても、佐野は彼が納得できる答えを見つけられなかった。
そこで、幸が一番初めに尽し続けた『彼』ならば、彼女がそのような人間になってしまった理由を少なからず知っているはずであると佐野は考え、どうやら結果はビンゴであるようだ。
黙ったままの彼に佐野はもう一度言った。
「何で幸が、あそこまで他人のためにしか生きられない人間なのか教えてくれませんか?」
青山は黙ったままだ。それに佐野は小さくため息をついた。
「……答えてくれませんか。なら、何かしらヒントとなる物を教えてくれませんか?」
青山は数秒の沈黙の後、彼が着ているスーツの内ポケットから一つの水色のケースを取り出し、それを開いた。
その中には数十枚の掌に納まるほどの大きさの名刺が収まっていた。
「……これを」
青山はその中から一枚を取り出し佐野に渡した。
佐野がその名刺を読んでみると、こう書かれていた。
『T大学 工学部 工学教授 青山 孝幸』
「……これがヒントですか?」
青山は頷いた。その口は真一文字に閉じられ、これ以上の話を聞けそうではなかった。
「分かりました。とりあえずはこれから考えてみます」
「……すいません」
謝るくらいなら、答えをすぐに教えてくれと思ったが、それは言わず、佐野は新たに話題を出した。
「それじゃあ、前に約束した通り、最近の幸の事なんですけど……」




