三
青山と別れ、佐野が彼の部屋に戻って十分ほどすると、誰かが階段を上り、彼の部屋の前まで歩いてきた音がした。チャイムを鳴らさない事からほぼ間違いなく幸だろう。
佐野は玄関まで歩き、ドアを開け、案の定そこに立っていた幸にいつものように声をかけた。
「よ」
「……おはようございます。あなたを幸せにさせてください」
「断ります」
彼らはいつものやり取りをし、居間へと足を進めた。
最近は佐野の家で多少の雑談をした後散歩をするというのが彼らの日常となっている。
幸は躊躇い無くベットに腰かけ、佐野はその向かいにある椅子に座る。これも日常と化した一場面だ。
と、幸が無表情だが、ややいつもよりも不思議そうな顔で佐野を見た。
「……今日は早く起きたのですか?」
「ああ、そうだけど何で分かったんだ?」
「……何ででしょう?」
それを聞かれても答えられるはずが無い。佐野は小さく苦笑した。
「まあ、俺と会うのにも慣れたからじゃない?」
「……なるほど、では、そんなあなたの事を良く分かってきた私にあなたを幸せにさせてください」
まさかこのように切り返されるとは彼には予想外だった。
「……お前、最近なんていうか図々しくなったな」
佐野は軽くため息をついた。
時刻は十時になるかならないか、佐野と幸は適当に辺りをぶらついていた。俗に言う散歩である。
目的地など存在しなく、予定も無く、当て所も無く歩いているうちに、ある場所に着いた。幸が佐野を見つけたというT公園だ。
「……せっかくだ、ベンチにでも座ろう」
「はい」
佐野と幸は目に付いた自販機の隣にあるベンチに腰掛け、〝ふうっ〟と息をついた。
とても穏やかな時間が彼らを包む。大学生にしてはいささか忙しく無さ過ぎるかもしれないが、この暇でゆったりとした空気が佐野は好きだった。
(……のどかだなぁ)
そう思って心地が良い気分となるが、彼の頭は自然と青山について考えていた。
(青山さん、ねぇ)
左隣に腰掛けた幸を佐野はチラッと見た。幸は無表情に空を見ている。彼女の視線を追ってみると、どうやらこの梅雨の季節にしては珍しい快晴の中、一つぽつんと漂っている雲を見ているようだ。
「……」
佐野は今ここで幸に青山の事を聞こうかと思った。しかし、青山の話とあの雨の日の幸の様子を考えると、いきなり幸に青山の事を聞くのは気が引けた。幸が青山を見ただけで雨の中逃げ出すほど、青山に何かしらの感情を持っている事は明らかであり、そんな彼女に青山の事を聞くのは酷な事ではないかと彼は思った。
「あのさ、幸」
「……はい、何でしょうか?」
だから佐野は遠まわしに聞く事にした。
「幸が俺に出会う前の頃の話を教えてくれない?」
数秒ほど幸は沈黙した。その無表情な顔と無感動な視線が佐野に向けられている。
「何故、聞きたいのですか?」
それは彼女が佐野に向けた初めての疑問だった。無しか広がっていないように見えるその顔に純粋な興味が広がっているように見えた。
「話したくないなら良い。純粋な興味だよ。ここ大体三週間ぐらい毎日お前に幸せにさせてくれって言われてるけど、今まではどんな方法で誰を幸せにしようとしてきたのか気になったんだよ」
幸は地面に視線を向け、考え込むように口を閉じた。
そして数十秒ほど経った辺りだろうか、その口を開いた。
「……分かりました。お話します。つまらない話になるかもしれません」
「良いよ。せっかく暇な大学生なんだ。のんびりと聞く事にするよ」
一度、いつもより心なしか深く頷き、幸は話し始めた。




