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刹那  作者: 七月梅
9/13

09 急がば走れ

「チハル?」



 千春が意識を取り戻すと目の前には少し焦った顔のヴェイグルクスがいた。



「…殿下?」

「良かった、チハル。全く反応がないから魔法陣が悪影響を与えたのかと、」



 意識がまだハッキリしていなかった千春だったが、徐々に覚醒しヴェイグルクスの言葉を遮るように目を見開く。



「殿下!すみません!私、漣のところへ行かないと!」



 千春はヴェイグルクスを押しのけ、魔法陣の外へ飛び出す。



「え、ちょ!さざなみ?森の主のこと!?じゃあ記憶は戻ったのか!?」



 千春と共に部屋を飛び出し、ヴェイグルクスは宿屋を出て全力疾走する千春を追いかける。



「つーか…足、…ッ速、いな…!」



 丁寧な言葉遣いを殴り捨て、外聞よくすることも忘れたヴェイグルクスは悪態をつく。

 好奇心の赴くまま森で駆け回っていた千春の足は年頃の娘と比べ物にならないほど速かった。

 それでもヴェイグルクスはなんとか千春に追いつき状況を把握しようとした。



「チハル!日記は読めた?」

「読めました!記憶を取り戻させていただきありがとうございます!でも一瞬なんて嘘吐きましたね?殿下!すごく時間がかかりましたよ!」



 神様に意地悪問答されましたし!と千春は走りながら怒るという器用さで文句を言う。



「神と会っていたのか!ならば意識がすぐに戻らなかったのは当たり前か。しかしそんなに時間がかかったとは…」



 兄上はそんなこと言ってなかったが…とヴェイグルクスは小さく零す。


 千春とヴェイグルクスは街の入口へ辿り着き、防衛の機能が全くないような木製の柵を通り抜け、南の森へと足を進める。

 街はずれにいた中央軍はもういなかった。


 南の森へ!と走る千春は不意にある事実に気付き、己の考えのなさを痛感した。



「殿下ぁ!」

「なに?」

「…南の森ってこっちで合ってますか?」



 私、森からも街からも出たことなくて道が分からないんです、と千春は泣きそうになりながら白状する。



「少しは考えて行動しろよ…ッ!」



 ヴェイグルクスの正体を疑った時も、千春は考えなしに問いかけていた。もしヴェイグルクスが正体を隠して動く極悪人なら、好奇心旺盛な千春は口封じされていただろう。


 申し訳ありません~!と嘆く千春にヴェイグルクスは本来の口調で叱咤する。

 こっちだ!とヴェイグルクスは千春を南の森へと誘導する。数分走ると遠くに中央軍らしき兵達の姿が見えた。

 まだ森へ入っていない!間に合ったか!とヴェイグルクスは安堵した。



「チハル…聞きそびれたが、貴女は後悔しないように何をするつもりなんだい?」



 漣という森の主が死ぬことは変わらない。

 記憶を取り戻し、後悔しないように走ると言った千春が何をするつもりなのか、ヴェイグルクスはある可能性を予想していたが千春から直接聞きたかった。



「…漣と運命を共にします」



 つまり



「やっぱり、死ぬ気か」



 後悔は?とヴェイグルクスが尋ねると、ないです!と力強く千春が答える。

 止めないでくださいね、と笑う千春にヴェイグルクスも笑って答える。

 その表情はとても満足そうに見えた。



「止めるわけないだろう。チハル自身が決めたことだ。他人の僕に止める権利はないよ」

 


 僕も僕のやりたいことをやる、とヴェイグルクスは口端を吊り上げ黒く笑う。



「ゼス」

「はい」



 ヴェイグルクスの言葉に見知らぬ青年が姿を現す。突然の現象に千春は驚きつつも成り行きを見守る。

 南の森の大樹にどんどん近付いて来ていた。



「チハルを森の主のところまで案内しろ。王族命令だと言いふらしてでも軍にチハルの邪魔をさせるな」

「かしこまりました」



 ヴェイグルクスは千春に視線を移すと餞別だよ、と穏やかに微笑む。

 そしてヴェイグルクスは己のやりたいことをやるために足を止める。



「頼んだよ、ゼス。あと──今までありがとう」



 小さい呟きだったヴェイグルクスの言葉を拾ったゼスは瞠目するが、すぐに言葉を返す。



「お任せを!ヴェイク!」

「殿下!ありがとうございます!」



 千春もヴェイグルクスに言葉をかけるが、前を向いて走りなよ!とヴェイグルクスに叱咤される。

 ヴェイグルクスの姿はどんどん小さくなっていく。

 前に向き直り、千春とゼスは走る。


 呼吸は乱れ、肺が痛いが千春は足を止めることなく漣の元へ向かう。



 *



 一人になったヴェイグルクスは、ただ一つの後悔を晴らそうとしていた。



「間に合わなかったら……いや、もういいか」



 走っても流石に間に合わないだろうな、とヴェイグルクスは懐に入れた白い封筒を取り出し、悲しげに笑う。

 それは兄に宛てた手紙だったが直接は渡せないと悟り、オーレスの街の住人に代わりに届けてもらおうと街の方へ身体を向ける。



「!」

「…ヴェイク」

「兄、上」



 何故ここに…と呟くヴェイグルクスと似た容貌の青年が夜の街道に佇んでいた。

 服装はボロのコートを羽織っていたが旅人と称するには品がありすぎる。


 家族は皆、北の加護領域にいるはずなのに何故兄だけがここにいるのか。

 沈黙する二人の微妙な空気を兄のバジリティスが打ち破った。



「あ~あの、旅をしていたら道に迷ってしまってね。えーとっ…そこのキミ!オーレスの街へ案内してくれないか?」



 はぁ?とヴェイグルクスは思わず怪訝な表情へと変わる。

 意味が分からない。

 昔から兄は気を利かせた言葉を遠回しに伝えすぎて言われた側はその意図が全く掴めない。


 そんなヴェイグルクスの理解不能の思いが通じたのか、バジリティスは一つ咳払いをして素直に言いたいことを言い直した。



「話がしたい…伝えたいことがあるんだヴェイク…オーレスの街まででいい。私に時間をくれないか?」

「…兄上はこんな時に何故お一人で?父上や母上は?護衛はどうしたんですか?」

「父上や母上は北のアルデンの街にいる。ご無事だ。護衛は…今更もう必要ないだろう?」



 バジリティスの願いには答えず、ヴェイグルクスは一人で行動する軽率な兄に疑問を投げかける。



「…もうすぐ転換が始まります。兄上は早くオーレスの守護内に…あと、………これを…」



 ヴェイグルクスは持っていた白い封筒をバジリティスに手渡す。さっきまで走っていたせいで封筒は少しよれていた。



「これは、私宛か…?」

「そうです。オーレスの街へ行ってから読んでくださいね」



 恥ずかしいので、と頬を微かに赤くさせヴェイグルクスは呟く。

 いつも飄々とした弟の珍しい表情にバジリティスはしばらく考えた後、目尻を下げ薄く笑うと手渡された手紙を勢いよく破く。



「は!?ちょ!」

「ヴェイクのことだからどうせ私のダメなところを挙げ連ねてあーしろこーしろと哲学書より頭が痛くなる事しか書いていないんだろう?」



 その通りだ。とヴェイグルクスは見抜かれていたことに驚く。

 身内贔屓して見てもバジリティスは優秀と呼ばれるには抜けたところが少々──いや多々あった。


 優秀な弟のヴェイグルクスと何度も比べられ、何度も周囲や国民から陰口を叩かれてもバジリティスは穏やかな笑みを崩すことはなかった。

 その裏では謙虚に寝る間も惜しんで勉学に励み、第一王子とあろうとしていたことを勉強を教えていたヴェイグルクスは知っていた。

 ヴェイグルクスはそんな兄を尊敬していたし、そして支えたいと思い手紙にアレコレ考えを書き連ねていた。



「確かに書いたけど、破くことないじゃないですか…」

「手紙になどせずに直接言えばいいじゃないか」

「え?」

「目の前に本人がいるんだぞ?オーレスの街へ行くまで直接教鞭を取ってくれないか、先生?」



 その時、勉強会でふざけ合って学園の先生と生徒のように呼び合った楽しかった時代を思い出した。

 夜中、眠り静まる王城内で、勉強を教えてくれないかと弟に懇願した兄はインクが染みつくほどペンを握り、机にかじりつくように勉強した。



「兄上…」

「なぁヴェイク…頼む…お前と、話がしたい」



 ──最後まで



 皆まで言わず、バジリティスは足早にヴェイグルクスに歩み寄る。

 普段ヴェイグルクスの前では穏やかな笑みを浮かべていたバジリティスが余裕のない表情で懇願する。

 そんな姿を見たヴェイグルクスは少し照れくさそうに笑う。


 そして、仕方ないなという表情で「いいですよ」と了承したヴェイグルクスはバジリティスの隣を歩き始める。



「バジィ兄上」

「なんだ?どうした?」



 ヴェイグルクスは幼い頃呼んでいた名で兄を呼ぶ。

 バジリティスはいつもの穏やかな表情で、しかしいつもより何倍も嬉しさを滲ませヴェイグルクスを見つめる。



 ──僕も兄上にお話したかったことが沢山あるんですよ



 二人の兄弟は月が明るく照らす街道を肩を並べて歩いて行く。



 *

おまけ



日が傾き王城は茜色に染まり、使用人達は夕食の用意で忙しそうに動いていた。

忙しなく賑やかな城内と違い、男のいる部屋は時計の針が進む音のみが響いていた。

男は黄ばんで年季の入った数枚の手紙を読んでいた。真っ二つに裂けた手紙を男は大事そうに何度も目を通している。


手紙の内容はなんとも頭が痛くなることばかりだが、男にとってそれは何にも替え難い忠言だった。

言葉で言われるよりも辛辣に書き連ねた文章の最後には、差出人からの短い言葉が恥ずかしそうに殴り書きされていた。


──兄上の幸せを願います


男は嗚咽をこぼし、使用人が夕食の用意ができたと知らせに来るまで部屋で一人で泣いていた。


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