5.パン屋の娘にできること
「――さっきからちょろちょろと。俺に何か用か」
低く、地鳴りのように響く声。
消えた強面の男と背後にいる男。同じ人物であるとすぐに分かった。
相手は旅人、冒険者。油断はしていなかった。
しかし、パン屋の娘にどれほどの事が出来るというのだろうか。
小柄で身軽が売りのカリンには、見動きを封じられてしまった今、成す術もない。
「気になってしょうがないんだ。早く言ってくれないか」
苛立っている。だが、まだ爆発しそうなほどじゃあない。
カリンは動けない分、頭を何倍も動かした。
指輪をアルノーさんの手元に戻したい。
できれば穏便に。可能ならこの男が自ら届けるのが好ましい。
だが、様子を見る限り、男は指輪を届けないだろう。
もし腹芸が出来るなら、他人の指輪を素知らぬ顔で売り払う事は簡単。
街を出る準備をしていたのだから、可能性はある。
「早く、答えろ」
とぼけた解答は絶対ダメ。
冒険者は嘘に鋭い。嘘にならない事実を。それでいて真実を隠す解答を。
カリンは口を開いた。
「わ、わたし、探し物をしていて……」
怯えている声色。そう、突然の事に驚いて声も出ない、女の子。演じなくても、そのままだ。
男が「探し物?」と疑うような声を出す。
「え、ええ。指輪、なんですけれど」
「……!!」
男が息を止めたのが分かった。
分かり易い。きっと男は嘘をつくのが苦手。
高価な指輪を、しかも他人の指輪を、何日も持ち続けているのはなぜ?
売る事が出来ないから?
もしくは、そもそも売るためじゃない?
「実はわたし、パン屋なんですけど……」
「はあ、パン屋?」
「ええ。あの妖精の泉の隣にある――」
男が腕を緩めた。
慌てず、パン屋の娘らしく。
カリンはゆっくりと後ろを振り返り、男を見上げた。
「ウチの店、ご存知ですか?」
「あ、ああ。うわさは聞いている。失せ物探しのパン屋だろ?」
「それは良かった。……まあ、うちは隣にあるだけなんですけど」
カリンはいつもの前置きを口にし、うわさのおかげで失せ物を探している人をよく見るのだと伝える。「それで微力ながらお力になれればと……」街を歩いていたと説明した。内緒ですよ、という口止めも忘れない。
「だがアンタには無関係、だろ? 失せ物は妖精が探すんだから」
「ええ、もちろん。うちはただのパン屋ですから。だけど、聞いてしまったら少しでも力になりたいって思ったんです」
「妖精に任せておきゃいいのに?」
「妖精様はすべての失せ物を探してくれるわけではないので」
「ふうん。……まあ、ウソは言っていなさそうだな」
事実、嘘はない。真実を口にしていないだけで。
男はカリンを見下ろし、頭をかいた。
「悪かったな。手、痛かっただろ?」
案外、悪い人じゃなさそうだと、カリンは思った。
同時にますます指輪を持ち続けている理由が分からなくなる。
なんとか話を引きのばして……。
カリンは悩むも、初対面の男性に話す事など見当もつかない。
「なあ、パン屋の娘」
「カリンです」
「そうか。俺はザッツだ。……って、それはまず置いとくとして」
強面の男――ザッツは少しだけ迷うような表情をし、頭を振った。
そして意を決したようにポケットに手を突っ込み、ゆっくりとその手を引きぬく。
武骨な手に握られていたのは小さな箱。
赤いベルベットに包まれた、誰が見ても中身の予想がつきそうな、手のひらサイズの指輪ケース。
「ザッツ、さん?」
「探しているのはこれか?」
まさかの展開だった。
◆◇◆◇
「話せば長くなるんだが……」
ザッツは指輪を拾った。三日前の事だった。
初めの感想はツイてるな、俺。売れば金になると思ったから。
「だがな、石だけじゃないし、売れば足がつくだろう?」
そもそも落し物なのだから詰所へ持って行こうと思い直した彼は、その後、災難に見舞われる。
別件の盗難事件に巻き込まれたのだ。
怖い、と言われ続けてきたこの顔が原因だと思うと、ザッツは心なしかしょんぼりとした表情を浮かべる。
結果として彼は一晩拘留され、証拠不十分推定無罪と詰所を放り出された。
本来なら怒るべき所なのだろうが、新しい公爵様が来て、みな張りきっているのだろうと思えば、そこまで腹も立たなかったとの事。拘留中の待遇が悪くなかった事も大きい。
ちなみにその時指輪は、宿屋に置きっぱなしになっていた。
ある意味、この点だけを言えば幸運だったのだろう。
もし指輪を持っていたら、間違いなく盗人にされていただろうから。
「――まあ、そういう訳でな」
苦笑いを浮かべ、話を終えるザッツ。
顔の怖い男はただの良い人だった。
「これも何かの縁だ。是非アンタから詰所に……!!」
「ええっ、それはちょっと……」
「どうして!? アンタなら盗んだだなんて思われないぞ!」
「そうかもしれないけど、細かい事聞かれたら答えられないです!」
「その辺はうまく作り話を……」
「それはたぶん無理!」
嘘を付けない性分だといえば、ザッツはガクリとうなだれる。
「早く持ち主に返してやりたいんだが……」
盗人と疑われるのが怖くて、つい三日間も手元に置いてしまった指輪。
たしかに売れば金になると一瞬は思ったが、良心的な男にはあるようでない選択。
そうしている内にこの指輪の持ち主の事を知って、これが婚約指輪なのだと分かり、ますます動けなくなったと、ザッツは続ける。
しかも彼はカリンの予想通り、遅くとも明後日にはこの街を出なくてはならないそうだ。
「もう時間がないんだ」と頭を抱えるザッツ。
結局時間ばかりが過ぎてしまい、出立の準備をしつつ途方に暮れていたところだったらしい。
カリンは仕方ないなあ、と腰に手を当てた。
なんだかんだといって、ザッツが良い人で、助けてあげたいって思ってしまったのだ。
「持ち主に戻れば、それでいい?」
「あ、ああ……!! もちろんだ」
「それなら知り合いに頼んで、うまく返してもらうわ」
「それは助かる! 是非頼む!!」
できれば落し物だったと、詰所から届いた方が妖精のうわさは落ち着くだろう。
だけど今回は、まあいいかと、カリンは思う事にした。こんなところでまごまごしていて、アルノーの手元に指輪が戻らない方が一大事だ。
「じゃあ、これ預かりますね」
「よろしく頼む」
カリンが指輪のケースを受け取ると、ザッツは眉をハの字にして、ホッと息をついた。
困り顔だと人が良さそうに見える。……ギンと、目を開けると怖いけど。
シルビアが『怖い顔だけど、物盗りって感じしないのよね』と、言っていた理由がはっきりと分かった瞬間だった。
◆◇◆◇
――その日、カリンは夜が更けるのを待った。
あらかじめアルノーの宿屋は調べてある。彼は机の上にシルビアの羽根を置き、何度も祈りをささげて眠りについた。
カリンはそっと窓を開けた。
不用心。だがアルノーは、妖精が指輪を返しやすいようにと、ワザと鍵を開けていたようだった。
お待たせ、アルノーさん。
声には出さず、カリンはシルビアの羽根を手に取る。そして全く同じ場所に指輪を置いた。
カリンの役目は、シルビアの見つけた失せ物を持ち主に届ける事。
それは五代前から始まった、パン屋店主のお役目だった。
初めはそれを聞いた時、「パン屋関係ないじゃん」と思った。
自分はパンを毎日焼いて、みんなにおいしいと食べてもらう事が夢なのだからと。
だけどこうしてシルビアの手伝いをする事になって。
失せ物が戻って、喜ぶ人の表情を見て。
自分の焼いたパンを食べて浮かべてほしいと思った笑顔が、そこにもあった事に気がつく。
人の笑顔が大好きだ。
カリンは失せ物届けの役目を受け入れた。
パン職人のプライドとして、シルビア目当てに来店されるのはちょっぴり腹も立つけれど。
シルビアが見つける失せ物は必ず届けようと心に決めた。
朝の早いパン職人に、怪盗まがいの行動は正直キツい。
それでも失くし物を取り戻して笑う人の笑顔を見れば、明日もがんばれる。
パンを食べて『おいしかった』と、言ってもらえた時と同じようにがんばれる。
カリンは音もなく外へと飛び出す。
明日の朝――いや、今日も数時間後には仕込みの時間だった。
『明日は店を開けるよな?』と、言ってくれたグレンに、とびきりおいしいサンドを作っておこう。
彼の好物はいつも買ってくれる品物で分かっている。これは、元気をくれた彼へのお礼だ。
うちに帰るとシルビアが白い小鳥――ワイトに包まれて眠っていた。
いつもは森で眠る彼女。だけど失せ物を届ける日だけはこうして家に現れて、カリンの帰りを待っているのだった。
「ただいま、シルビア」
眠っている彼女に小さく声をかける。
シルビアは「ううん」と、寝返りをうちながら「おかえりぃ、カリン~」と、寝ぼけ声を上げた。
もう百年は生きているだろう妖精シルビア。
このメイブリック領の都、クラエスに住む、一人きりの妖精。
そのたった一人の友人であるカリンは、幼いころから変わらない少女の姿を愛でて、眠る準備をする。
明日、自分が目覚める頃にはシルビアは森に帰っているだろう。
明るくて気ままで、それでいてちょっぴり人間くさい彼女は、自分と同じ名前のついたパンが泉に届くのを笑顔で待っている。
「おやすみ、シルビア」
すぅと、寝息での返事。
カリンはクスリと笑い、数時間の眠りにつく。
明日の朝、笑顔で店を開ける為に。
【第一章:パン屋の娘 おしまい】
お読みいただきましてありがとうございました!(*^_^*)
☆更新予定☆
14日お休み
15日閑話投稿
16日お休み
17日第二章スタート
(章が始まったら、キリの良い所までは毎日投稿が目標です)
よろしくお願いします(*^_^*)