その6
居城からダサイタマ県の植樹祭会場までは五十キロあるのだが、白バイが先導するし、全ての信号が青になるので、一時間足らずで到着した。
植樹祭での植樹は、普通、セレモニーに過ぎない。
だから、賓客は苗木のまわりに置かれた土をクワで「ちょこっと」押すのみだ。
ところが、妃のコチミは、並外れて律儀だ。
コチミは、土を最後まで盛るだけでなく、ポンポンと軽く土の締固めまでするのだ。
そうなると、皇帝の私もそれに合わせるしかない。
そのようなわけで、皇帝・妃両陛下の公務は、それが何であろうと、実に丁寧だ。
それだけに、くたびれる。
それでも、私に不満はない。私は、コチミのそのようなところが気に入って、妻にしたのだ。
しかも、彼女のそのような律義さは賢明さでもある。
国民が皇帝家を敬うのは、実のところ、私たちが皇族だからではなく、そこにコチミがいるからだ。
この私も、そんなコチミからは教わることが多く、お陰で「尊敬される皇帝」でいられる。
コチミは、たぶん、世界の王室・皇室の中でも最も優れた嫁と言えるだろう。
植樹祭が終わり、昼食をとったわけだが、メニューはまたまたカレーライスだ。
皇帝家は、全般的に、カレーライスが好きとされる。
しかし、それはガセネタだ。カレーライスは、その支度と給仕が容易なので、行幸先に負担をかけないことから、コチミが「陛下はカレーライスがお好きです」と伝えて、行幸先に配慮しているにすぎない。
で、実はどうかと言うと、私は確かにカレーライスが好きだが、度重なると、決してうれしくはない。
それでも、確かに、カレーライスは受入側の負担が少ない。ならば、不味くない以上、妃の配慮に付き合うのが「国民想いの行動」と言えるだろう。
そうはわかっていても、私は、つい、コチミに小声で言ってしまうことがある。
「たまには親子丼でもいいのだけどね」
すると、コチミはいつも「またですか」という表情になる。
「上様は簡単に親子丼と仰いますけど、あれは簡単そうに見えて、給仕の頃合いが難しいのですよ。手間取ると卵が半熟を通り過ぎて硬くなってしまいますからね。良いではないですか、カレーライスで、私はいつ食べても美味しいですわ」
そのように返事されるのはわかっている。そして、私の返事もいつも同じだ。
「あ、そう。ならば私も美味しいよ。国民の負担にならないのが何よりだものね」
「そういうことですわ」
てなわけで、要するに私は、女房の尻に敷かれているわけだ。
昼食が終わると、昼からの公務の会場に移動した。
全国フラダンス連盟の総会だ。
私は、もちろん、開会の挨拶をしたわけだが、ユキエ総理婦人への意趣返しの意味を込めて、フラダンスのパフォーマンスに飛び入りして、踊って見せてやった。
会場は大うけしたが、トヨトミ侍従長の顔を見ると引きつっていた。しかし、コチミは満面の笑顔だった。そして、私は、そんなコチミに褒められた。
「上様、御上手でしたわよ。特に亀を表現した手の動き、見ただけで憶えられたのですね。流石ですわ。本格的におやりになったら」
「いや、一度踊れば十分だよ。でも、我ながら上手に踊れたよ。意趣返しの意味で踊ったのだけど、ユキエ夫人はおバカさんだから、陛下が踊ったと聞いて単純に喜ぶのだろうね」
「でしょうね。あの方の類まれな単純さからすると、喜んでおしまいかもしれませんわね。それだと、意趣返しにはなりませんわね。フフフ」
「きっと、そうだろうね。でも、いいさ。なんだかスッキリとしたよ。それに、踊りの素質があることがわかったのだから、収穫だったよ。高齢者に適した運動として、日本舞踊でも習ってみようかな」
「ほお、それは良いことですね。ただし、御上手と申し上げたのは、お世辞だったのですけどね」
「なんだよ、それ。私は、コチミちゃんが言ったことなら何でも信じてしまうのに」
「うふふ、お許しくださいませ。けれども、並よりは上ですよ。さて、居城に戻る時間ですね」
「うん、そうだね。夕食はカレーライス以外だろうね?」
「焼き魚だと聞いていますわよ」
私たちは、居城に戻り、焼き魚の夕食を取り、そして早くも午後八時に就寝した。祭祀に備え午前二時に起床するのだから、午後八時就寝でも遅いくらいだ。
かようにして、一日が暮れたと思っていたのだが ・・・
少し眠ったところでミソラ女官長に起こされた。
「なんだよ、まだ真夜中じゃないの?」
「オカミ、午前零時でございます」
「午前零時! 起床までに後二時間もあるよね」
「ええ、そのとおりでございます。ですが、大臣の認証式があるのです。法務大臣が交代したのですよ」
「法務大臣が? ああ、超絶おバカさんのヨネダ法務大臣が辞めさせられたのだね。まあ、あれだけトンチンカンな答弁を繰り返していれば、いつかはこうなると思ってはいたけど、辞任するなら昼にすればいいのにね。どうして真夜中なんだよ」
「オカミ、恐縮でございます。ですが、これも公務ですから」
「そりゃあ、そうだけどさ。で、後任は誰なの?」
「ナシモト氏でございます」
「ナシモト ・・・ ああ、カミガタ市の市長をしていた、あの下品でやかましい男か。苦手なんだよなあ、ああいう下世話な人物は。弁護士だったっけ?」
「さようでございます」
「だったら、法務大臣にはうってつけというわけか。けど、また、太陽国の政治がしばらく騒々しくなりそうだね。まあ、いいさ、直接関わるわけではないからね。で、礼服の用意は?」
「はい、既に整っております。恐れ入りますが、お急ぎください」
あーあ、 「急げ」か。皇帝を急かすくらいなら、もっと早い時間に辞めればいいのに。まったく、ヨネダ元法相のやつめ。
=続く=