尋ね人来たる
時間をもらった。
次の『領土戦』までに決めてくれればかまわない──それが雪乃の言葉だった。
時間があったところで、決断を先送りにする場当たり的な対処でしかないことは、陸朗も十分理解していたが、それでも即断はできなかった。
とはいえ、決断が難しい問題であることは、雪乃も十分察していたのだろう。
しばらくは『領土戦』で使う武器のチューンをしてくると言って、彼女は偽装用のダミー・アバターをストレーガの身にまとって、いそいそ対戦に出かけていった。
決めるには、自分は離れていたほうがいい──そういう気遣いだろう。
実際のところ、陸朗は主体性のあるタイプではない。
太陽と月で言えば、間違いなく月だ。自ら光り輝くような相手が側にいれば、その影響を多大に受けてしまう。
間違いなく、雪乃はそこまで見切っている。なんだか手玉に取られているようで、少しだけ面白くなかった。
「はぁ……」
今日、何度目のため息だろうか。
彼女と知り合ってから、一人になるとため息ばかりついている気がする。
こうやって一人、ニュートラル・フィールドのバザーで露店──不特定多数に戦闘用の自作イリーガル・プログラムを売ることで、ジェット・バレルはゲーム内通貨『クレジット』を得ている──を開いていても、こうため息ばかりでは常連客ですら逃げていくというものだ。
しかし、珍しくそんな彼に向かって声をかける者がいた。
「ジェット、ちょっといいかのう」
「あ、ジジ様」
ジジ様。
ジェット・バレルほか、イケブクロ・エリアに集うほぼ全てのアバターからそう呼ばれている彼は、無論本当の老人というわけではない。
単に老人口調で喋る演技を好むところから付けられたあだ名だ。
本当のアバター・ネームはほかにあったはずだが、誰も覚えていない。
しかし彼は本物の好々爺のごとく、その状況を受け入れていた。
誰も悪意からそう呼んでいるわけではないからだ。
彼には不思議と他人を惹き付けるような魅力──もしくは統率力があった。
本人もそこのところは理解しているようで、今ではイケブクロ・エリアの顔役として雑多で個性的な面々をゆるやかにまとめている。
「何か用?」
「用がなければ話かけちゃいかんか?」
「そんなこたぁないけど」
「まぁ用はあるんじゃけどな」
どっこいせと言わんばかりに、鈍い赤銅色をした身体を曲げて、ジェット・バレルの隣に腰かける。
そこでは重量級の丸っこいアバターがさっきまで露店をやっていたはずだが、いつの間にかいなくなっていた。ため息攻撃に耐えられなくなったのかもしれない。
「なんだか、ずいぶんと面倒に巻き込まれておるようじゃのう」
「……耳が早いねジジ様」
「イケブクロ・エリアのメルマガに、『剣の魔女』のコメントが載っておったぞ」
「何考えてんだあのバカ女!?」
「なんでも、二年ぶりに『白銀騎士団』に喧嘩売ったとかで、そのパートナーがお前さんっつーことになっとるんじゃが……」
「それは……」
事実かどうかでいえば、事実だ。否定する要素がない。だが今現在は最終返答を保留しているということも、説明が面倒だった。
「だいたいは合ってるよ。魔女と賭け試合させられてね。んで負けて、ごらんの有様ってわけだ」
「アレと立ち会ったのかお前!?」
老人らしからぬ──実際、別に老人型アバターというわけでもないのだが──激しい動きで、ジジ様が身を起こす。
「一応ね。相手はナメにナメきってたと思うけどさ」
「よく無事じゃったのう……」
心底驚いたようにいうジジ様。
たしかに、魔女の本気の強さを知っていれば、自分がこうしてピンピンしているのは信じられない話だろう。
「ナメきってたって言ったろ。手加減されてたんだよ、思いっきり」
「いやぁ……手加減されたくらいで、無事で済む相手ではないんじゃが」
「じゃあ、運がよかったんだろ」
「……ううん、しかしのう」
まだ納得がいかないのか、ぶつぶつとこぼしながら座り直すジジ様。
「まぁええわい。それでお前さん、どうするつもりじゃ?」
「どうする……って?」
「あの魔女が無理難題を押しつけてきおったのは知っておる。じゃが、アレの望みに応える義務があるわけじゃなかろう。お前さんはどうするつもりなんじゃね?」
「……それを、今考えてる」
「ほっほう」
その声色は、興味深いものを見つけたと言わんばかりのものだった。
普通ならば苛立つところだが、あまり何を言っても他人を不快にさせることはないという、不思議な特技をこのジジ様というアバターは持っていた。
「ま、お前さんの好きにしたらええ。アレについて行くのは、かなり大変じゃろうがのう」
「さっきからアレ、アレって……なんだかずいぶん魔女と親しそうだな、ジジ様」
「んー、昔いろいろあってのう」
ワシだけでなく、古いペルソナアバターなら、アレのことは皆知っておるよ──ジジ様は、そう言ってカカカと笑った。
「ふうん……だったらジジ様はどっちの味方なんだい?」
「心情的にはどっちの味方でもないがのう。立場的には魔女を応援せざるをえんな」
「そりゃまたどうして?」
「決まっとる。『聖銀の女皇』がイケブクロ・エリアにとって有害だからじゃよ。あやつと『白銀騎士団』はこのイケブクロを支配しようとしておる。わしらはそれに抗っておるんじゃ。つまるところ、敵の敵は味方というやつじゃな」
「意外に単純な思考だな」
「こういうのはシンプルにしたほうがええんじゃ。もっとも魔女の奴は……『敵に回せば恐ろしいが、味方にしたらなお恐ろしい』という感じじゃが」
「それは単なる危険物なんじゃないか?」
「そうかものう。歩く核ミサイルみたいな奴じゃよ」
ひどい言い草だ。明らかに褒めていない。
しかし、言葉にはどこか親しさのようなものも感じられる。
古き良き時代、ジェット・バレルの知らない時代の話──そういうものを、少し想像する。
それはきっと、魔女と女皇がまだ仲睦まじかったころの話になるはずだ。
二人の周囲にはあまたのペルソナアバターが集い、彼らは『異邦人の旅団』なる組織……いや、居場所を作り上げた。もしかしたら、ジジ様もその場所に集う一人だったのかもしれない。
確かめてみようか。そう思ったりもしたが、ジジ様に限らず、イケブクロ・エリアのアバターは過去を詮索されることを嫌う。きっとはぐらかされてしまうだろう。
「なんじゃ、なんぞ聞きたいことでもあるかの?」
「いや、いいよ。どうせ答えないだろうし」
「そうかの? じゃあしょうがないのう」
聞きたいことを察したのだろう。そしてそれに答えるつもりもなく──もう一度、ジジ様はカカカと笑い声を上げた。
「……いかんいかん、おしゃべりはこのへんで切り上げんと。用事を済まさんとな」
「用事? 今のが用事じゃなかったのかよ?」
「今のは世間話じゃよ。それだけのために、お前さんを訪ねたりはせん。わしも結構、忙しいんでのう」
「やっぱり、次の『領土戦』の準備?」
「うむ。いかんせんわしらは烏合の衆だからのう。『城』の防衛計画を立てるだけでも、喧々囂々じゃわい。おまけに、次はあの『白銀騎士団』が総力を挙げてくるわけじゃし」
「大変だな」
「何を他人事みたいに言っとる。『領土戦』で騎士団と真っ向からぶつかるのは、お前さんと魔女になるんじゃぞ?」
「あ……」
すっかりと失念していたが、確かにその通りだ。矢面に立つのは、自分と魔女である。正直なところ、大規模戦闘の経験には乏しい。満足に動けるのかという懸念はあった。
「ただまぁ、本気の潰し合いになれば『白銀騎士団』もタダでは済むまい。それを懸念しておる奴が、どうやらいるみたいじゃのう……」
「どういうことだ?」
ジジ様は答えず、黙って自分のインベントリから一枚の立体電子書類を取り出し、ジェット・バレルに渡した。
白紙──のように見えるが、おそらくはフィルタがかかっているのだろう。ホロ・ペーパーにアクセスした瞬間、内包されたデータが展開されるような仕組みになっているようだ。
「これは?」
「対戦フィールドの転送アドレスじゃ。知り合いから頼まれた。お前さんと内密で話がしたいと言ってのう」
直接対戦時に使われる対戦バトル・フィールドは、システム上、仮想空間内にインスタンス形成される。
対戦フィールドに秘匿設定を行えば、第三者の干渉が不可能な状態を作り出せるため、他人に聞かせられない話をするときなど、対戦以外の用途にも重宝されていた。
「誰から?」
「それは行ってのお楽しみじゃよ」
「危険はねぇんだろうな……」
魔女とつるむようになってから、ジェット・バレルは少しばかり自分の身辺に気をつけるようにしていた。
『白銀騎士団』の評判はきわめて悪い。何をしかけてくる分からない相手だ。警戒をどれだけしても、やりすぎということはない。
「何、問題はないぞい。それより相手が待っとるはずじゃ、早く行け」
「え!? 待ってるのかよ!? なんだよ、それを早く言えよな!」
てっきり、このあと何時までに何処そこへ来い、というような果たし状的なものだと思っていた。
「あまりに話が弾んで忘れておった。すまんのう」
「すまんのうじゃない! ああもう、とにかく行ってくる! 店番やっとけ!」
あいよ、というジジ様の返事を聞き届けると、ホロ・ペーパーを展開する。転移システムのまぶしい輝きが、彼の身体を包み込んだ。
今回はちょっと短めです。