引き裂かれた今
「……青葉台の生徒会役員名簿に、『山名さやか』って名前を見つけたときは驚いたよ」
さすがにラーメン屋で口げんかはできない。激昂していてもそのくらいの分別は、まだ残っていたのだろう。
店を出た四人は、路地裏で対峙することになった。
「別人かと思った。僕が知ってるさやかは、生徒会役員なんてやらないだろうと思ってたからね」
「……あなたから見て、私は変わったのかしら?」
「変わったさ。立派になったよ、どこから見ても小さい頃の面影はまったくないね。どこから見ても、青葉台の副会長さん以外の何者でもない」
「その物言い……ふざけてるの?」
「僕は真面目だよ。ねぇ、陸朗くん?」
「会長は常日頃からふざけてるような気もしますが」
「あれ、ここって僕の敵しかいないの!?」
実際、ふざけているようにも見える。
だが雪乃もそれなりに真面目だろう。
何せ目が笑っていないのだ。蒼い瞳は、鋭くさやかを見据えている。
一触即発──そういう空気が、この場に蔓延していた。
「はぁ……本当にあなたは何も変わらないわね。背が伸びただけで、その金色の髪も、青い瞳も、いつも笑ってる顔も、同じだわ」
「怒ってみようか?」
「できるのかしら?」
「お前のためならできるよ。正直、僕は本気で腹を立てている。お前の行いに……というよりかは、お前を止めることができないに自分にだけどさ」
「……そういうところも、変わらないのね。子供がそのまま大きくなったみたい」
「そうかい? 出るところは結構、出てるつもりだよ? キミもなかなか捨てたもんじゃないと思うが、負ける気はしないね」
そう言って、雪乃は大きく胸を張った。
スタイル、という点ではさすがにフランス人の血を引く彼女のほうがややリードといったところか。
しかし、さやかも負けてはいない。日本の巨乳業界もなかなか侮れないようだ。
残念なのは、さやかの連れている後輩らしきゴスロリ少女だけだが、彼女も平均的に日本人体型なだけで、恥じ入るほどではない。
断じて恥じているわけではなく──さやかの後ろで控えめにしているのは、性分なのだろう。
「ちょっ……何を言ってるのよ、雪乃!? あと、そっちのあなたも、じろじろ見ない!」
顔を赤らめ、恥ずかしさに身をよじりながら、さやかが素早く後ずさる。
「いやぁ、陸朗くんも結構男の子だねぇ。でも初対面の女の子にそれはいただけないな。僕のならいくらでも見ていいけど」
「ちょ……ご、誤解ですよ!? 俺、興味ないですから!」
「……それはそれで枯れすぎじゃない?」
「人をいつもサカってるみたいに言わんでください。変な目で見られてますよホラ!?」
「にゃはは」
陸朗の慌てぶりに、溜飲の一つも下がったのだろう。
けらけらとひとしきり笑った雪乃がばさりと髪をかき上げる。
目付きが変わった。鋭く冷たい、凍てつくサファイアの瞳が、真っ直ぐにさやかへと向けられる。
「さて、からかうのはこのぐらいにして……だ。まさか、こんなところで鉢合わせするとは思ってもみなかった」
「それはこちらの台詞よ」
腕組みして睨む『女皇』さやか、腰に手を当て胸を張って視線を受け止める『魔女』雪乃。
距離が近い。お互いの胸が、ぶつかり合うほどに。
思わず、女皇の側にいるゴスロリ風少女と顔を見合わせる。
少しだけ、彼女は困ったように眉を斜めに傾けていた。
どうやら彼女も女皇には苦労をさせられているらしい。そこはかとない共感が、彼女とのあいだに結ばれた気がした。
もっとも、陸朗と彼女が仲良くなってもしょうがないのだ。
今の主役は雪乃とさやか。彼女たちは相変わらず、不倶戴天の敵に出会ったように睨み合っている。
「この店は、僕が見つけたんだけどね?」
「二年も来なかったのはあなたよ。私は『ペルクラ』をあがったら、必ずここに寄るようにしてるの。とやかく言われる理由なんてない」
「おっさんみたいな習慣だなぁ……」
「お、おっさんですって!? だいたい、あなたが現実で連絡を絶ってしまうから、私は……」
「ん?」
「な、なんでもない……ともかく! あなたに好き勝手言われる筋合いも、好き勝手されるいわれもないわ。これも、ちょうどいい機会ね……私もあなたのように宣言する。今度こそ……今度戦った時こそ、私はあなたを屈服させてみせる」
不穏当な単語が飛び出した。
どちらかと言えば柔和な顔つきのさやかが言ったとは、とても思えない単語だった。
彼女の内に秘めた『女皇』としての矜持。それが、言わせたのだと感じた。
もっとも、対する『魔女』雪乃はさほど意に介した雰囲気はない。もう一度髪をかき上げると、呆れたような口調で言った。
「屈服、ときましたか。なかなか実社会で使う単語じゃないよ、そりゃ」
「そうね。でも『ペルソナクライン』では当たり前よ」
「……当たり前じゃあ、なかった」
わずかに、雪乃の声色が変わった。緊張と──そして怒りを含んでいる。
「お前がそうしたんだ。お前がそういう『当たり前』を作った」
「否定はしないわ。でも、私にはそれが必要だった。あなたに裏切られた私にはね」
「……さやか、僕は!」
「あれは、きっかけよ。あなたの裏切りはきっかけに過ぎない。あなたが戻ってくるのなら、チャラにしてあげてもいい程度のことよ。私が作った私の居場所は、あなた一人を受け入れるくらいの余裕はあるもの」
「大した寛容ぶりだね、女皇サマは」
皮肉げに口の端をつり上げる雪乃。
「その台詞……つまり、拒否する、と?」
「そうでなけりゃ、宣戦布告なんてしないよ」
「でしょうね」
さやかも分かっていたのだろう。
ただ、それは一縷の望みゆえか、それともただの儀式か。単なる再確認であっても、彼女は口に出さずにはいられなかったのか。
さやかという人物を伝聞でしか知らない陸朗に、彼女の内心を推し量ることは難しかった。
だが、はっきりしたことがある。今、女皇と魔女の仲は完全に決裂したのだ。
「なら、いいわ。だったら叩きのめすのみよ。あなたたちがどこまでやれるか、見せてもらうわ。無論私は……手加減などしない」
「そうでなけりゃあ、意味がない。全力のお前を叩き潰すのが目的なんだ、手を抜いたとか、言い訳の余地を残されちゃ困る。めんどくさいからね、後で」
「……その言葉、あとで必ず謝罪させてあげる」
「できるものなら、やってみな」
売り言葉に買い言葉。そう言ってしまうのは容易いが、それ以上に根の深い何かが、そこにあるのは間違いない。
どれほど言葉を尽くしたところで、彼女たちはもう同じ道を歩くことはできないのだ。
もはやこれ以上、語る必要もないと感じたのだろう。さやかはくるりと身を翻し、雪乃たちに背を向けて歩き始める。彼女に付き従うように、ゴスロリ少女も去っていった。
その背中をじっと見つめていた雪乃に、陸朗はひそめたような声色で、静かに声をかけた。
「良かったんですか? 数年ぶりに会ったのに。もっと真面目に話していれば……」
今陸朗には、この秋月雪乃という少女を、初めて気遣う気持ちが芽生えていた。
彼女が執拗に女皇をからかうような素振りを見せていたのが、気になったのだ。素直になれないだけではないか……そんな風に感じていた。
もしかしたら、もう少しで何かが変わっていたかもしれない。陸朗はそう思ったのだ。
「真面目に? 僕は十分真面目だったよ。ああしていないと、掴みかかってしまうかもしれなかったからね。ああするしかなかったのさ」
「そ、それは……」
「キミも見ただろ、聞いただろ? あいつは自分が間違っているなんて少しも思っちゃいないんだ。反省する気のない奴は、歩み寄る気のない奴だ。そんな相手とまともな話なんかできないよ。必ず、頭に血が上ったほうが先に手を出すものさ。僕はそれだけはしたくなかった。あいつは……そう、あいつは……『親友』だったからね」
「……やっぱり過去形なんですか」
「そうだよ。今のあいつは友達じゃない。僕の敵だ。倒すべき宿敵だ。僕のためにも、そしてあいつのためにも……今のあいつは倒さなきゃいけない。本当に、あいつの居場所が無くなる前にね」
その言葉には、怒りとともに心配する気持ちが含まれている。それがはっきりと分かった。
その心配こそ、かつて友達だったことに対する情けのようなものなのだろう。
ほかの誰かに討たれる前に、雪乃自身が引導を渡す。それが、彼女の言っていた『けじめ』に違いない。
「……さて、なんだか思ったよりも根が深い問題になってきちゃったな」
ゴキゴキと音を立てて首を回しながら、他人事のように言う。
「今さらですよ。人間関係のトラブルなんて、いつだってめんどくさいもんです」
「達観してるねぇ。キミを頼った僕の見立ては、やっぱり間違ってなかったか」
くすくす笑う雪乃。
何か、掴みきれないことを考えているような気がする。
「キミはやっぱりベターな選択だった。ベストではない。けど、ベターだ。その時、最善の選択だった。僕のパートナーに相応しい」
「おだてても、何も出ないですよ?」
「そうだろうね。おだてても、キミからは何も得られない。賭けの負け分以上のものは」
「……む」
少しだけ、鼻白むような言葉だった。
確かに今、自分がこの場にいるのは、あの時賭け試合に負けたからだ。
しかし、それを理由にして戦いで手を抜くようなつもりはない。雪乃とさやか、二人の関係に思うところもある。頼られたからには、全力を尽くすつもりだった。
「俺に不満がありますか?」
「だから、ないって言ってるだろ? 能力的にはさ、ベストではないにせよベターだったって言ってるじゃない」
「だったらなんです? その持って回ったような、含みのある口振りは? 俺に何か不満があるから、そんなふうに言うんでしょう?」
「ふむ」
問われた雪乃は、顎に手を当て、小さく考えこむような素振りを見せた。
「な、なんです?」
何やら妙な予感がする。
何か、とんでもないことを言われる気が。
「会長、あの……」
「陸朗くん。賭けの負け分は今、この瞬間まででいいや。キミはよくやってくれた。あいつに『宣戦布告』ってのが元々の目的だったし、キミのおかげで十分それは果たせた。だから、賭けの負け分はここまででいい」
「は? あ、あの、それはどういう……?」
混乱する陸朗に、すっと顔を近づける雪乃。その耳元に唇を寄せると、ささやくように言った。
「分からない? 『強制』はここまでってことさ。あいつと本気でやり合うんだ。どれほど律儀者であっても、強制じゃあ役に立たないよ。それはやっぱり想いが違う、気概が違う、覚悟が違う。どこかでズレが出てくるんだ。だからね、陸朗くん……いや、ジェット・バレル」
「は、はい……」
「ここから先は、キミが決めてくれ。僕に付いてきてくれるのかどうか。あいつらを敵に回せるのかどうか。本当に戦える自信があるかどうか。全部自分で考えて、キミが決めてくれ。キミの意志で戦ってくれ。できないと思うなら、協力してくれなくても構わない。それならそれで僕の見込み違いだったというだけだ。キミを恨んだりはしないよ」
「それは……それは……っ!」
無茶苦茶だ。これまでで一番ひどい要求だ。
自分で決めろと、腹を据えろと、責任を自分で負えと──彼女はこの後に及んでいきなり言い放ったのだ。
ここまで教えておいて、知らせておいて、理解させておいて、自分で決めろと決断を投げた。
ひどい。本当にひどい。この女は、どうかしている。そんなふうにさえ思った。
じろり、と半ば憎しみのこもった目で、雪乃を見る。
学校一の美少女は、脅えもせず、すくみもせず、ただ微笑みながらその目を受け止めるだけだった。




