追いついた過去
一瞬、思考が止まった。
この金髪の女の子は一体、何を言っているのだろう。そんなふうにさえ考えた。
陸朗はここまでストレートに、実力を評価されるなど想像だにしていなかったのだ。自他共に認める卑怯者である彼には、そんな賞賛を受ける権利はない。
そう考えていたし、それが当たり前だったし、それ以外の体験はなかった。
しかし彼女は違う。秋月雪乃は、陸朗の『強さ』そのものをはっきり褒めた。彼女自身が矛を交えたからこそ出てくる台詞として、褒めたのだ。
「そういう歯の浮く台詞は……やめて欲しいんですが」
「僕がお世辞を言うタイプに見えると?」
「時と場合によっては」
「どこまで信用ないんだよ、僕……」
「だって会長、言葉に重みがないですから。その態度じゃあ、信じろって言われても」
「ひどいこと言うねぇ。情けとかないのかい、キミには? ぱっと見の印象で他人を判断するもんじゃないぞ、陸朗くん」
「それはそうでしょうけど」
実際のところ、雪乃のこうした本心の掴みにくい軽佻浮薄な態度は、かなり『作っている』ところが大きいのだろう。
彼女の生い立ちと置かれた環境。それに対する彼女なりの解答が、この『僕』という一人称と、この態度なのだ。
重圧に押し潰されないための、自分を守る鎧のようなもの──陸朗は彼女の話から、そう理解していた。
「というかだね、僕は見込みのない奴を数合わせのためだけに、パートナーになんかしないよ。やるなら勝つためにやる、徹底的にやる、とことんまでやり遂げる。そうさ、不可能を可能にするパートナーを選ぶとも。いいかい、そんな執拗で神経質で完全主義者の僕が結論したのがキミだったんだ。もっと自信を持ってくれないと困る。本当に困る」
少し怒ったような口調だった。陸朗を見る目が険しくなっている。
彼の自信のなさ、そして不甲斐なさというものに、腹を立てているのかもしれない。
「謙遜は美徳だが、自信がないのは考えものだよ。キミがどうしてそうなったか、僕は分からないけどね……キミの力がどれほどのものか、僕はよく知っているんだ。キミは、キミ自身が思っているよりも間違いなく強いプレイヤーだよ」
「……」
陸朗は答えられず、ただ目を逸らす。
そんな彼の横顔に向かって、たたみ掛けるように雪乃は言葉を続けた。
「さっきも言ったろう。キミは僕の求める条件を全て満たしていたと。無法地帯イケブクロ・エリアでずっと戦ってきたというキミの経歴、そのイケブクロ・エリアのアバターたちに一目置かれているという人脈、そして何より、キミはこの僕に攻撃をぶち当てた。裸に剥かれたんだ。この僕がだぞ? ダミー・アバターといっても、あそこまで僕を追い込めた奴なんて、ざらにはいないんだ。それにあの場、あの状況でガウェインへとピンポイントに弾を撃ち込むなんて、そうそう真似できることじゃない」
「でも、俺は……」
「僕はスピット・ダンプの住人たちを、無条件に弱いとは思っていない。無法地帯で戦うからこそ、得られるものもあるはずだ。キミの異常な反応速度は、レギュレーション外のでたらめなルールで戦い続けたからこそ、身についたものなんじゃないかな?」
「それは……」
言われていることは、理解できなくもない。
チートやチートすれすれのイリーガル・プログラムの飛び交うイケブクロ・エリア──スピット・ダンプでは、通常のアバターの常識は通用しない。そこにはそこのルールがあり、常識があり、独特の世界があった。
たとえば速さ。スピット・ダンプでは、とにかくでたらめにスピードだけをいじりまくるようなアバターも少なくない。
『速度中毒』とでもいうべきか、大昔のMMORPGでも、ひたすら自キャラの攻撃速度だけを高めようとしたプレイヤーが後を絶たなかったというが……誰よりも速く動くという欲望は、確かに抗いがたいものがある。
その欲望に忠実になった者が行き着く先は、やはりイリーガル・プログラムなのだ。
もっとも、速くなりすぎてアバター・フレームが速度に耐えられず、対戦が始まった瞬間にバラバラに自壊していったアバターを陸朗は何人も見てきた。
しかし中には見事なバランスで、速度と実用性を両立していた者も存在する。
そういう相手は、純粋に手強い。彼らの速さに対抗するため、自分が鍛えられていたと言われたら、そういうこともあるかもしれないと思う程度には。
「まぁ確かに……こんなところで長いこと戦ってたせいで、変な方向に能力が進化してる感じはしなくもないですが」
「その変な感じが大事なのさ。騎士団は戦略レベルでは搦め手をいくらでも使うけど、戦術は基本、真正面からぶち当たる質より量の戦法が主体だ。まともに対峙するのは得策じゃあない」
「得策じゃないというか……とてもじゃないですが、まともに相手したくないですね」
「ごもっともな意見だ。まさしくその通りで、ああいうのは隊列を引っかき回し、裏をかき、混乱したところで崩れた奴から仕留めていくのが上策さ。ちょろいもんだよ、浮き足だった連中を刈り取るのなんて」
「……そりゃ、あんたには簡単なことでしょうけど」
単体としての戦闘力がズバ抜けている雪乃──ストレーガであれば、確かにそれは簡単だろう。
だが乱戦に斬り込み、かつ巻きこまれずに相手を駆逐していくとなると、並の腕前でやれることではない。
「そんなことないさ。要は自分の得意なポジションを作り出すって話だからね。僕は乱戦が得意なタイプだから、自分でかく乱して自分で叩きのめすのが好きだけど、キミなら……そうだな、前に使った地雷みたいので足止めして、離れたところから狙撃したりすればいいんじゃない?」
「……確かに、それができりゃあ理想です」
「だろ?」
くしし、と得意そうに雪乃が笑った。
もちろん、そんな上手くいくものではない。事実、仕留めそこなうことはしょっちゅうだった。
それは陸朗の詰めが甘いということでもあるのだが、結局のところは彼我の戦力差に行き着く。人事を尽くしても、超えられない壁というのはあるのだ。
いや、正確に言えば超えられないと思ってしまう壁、だろうか。根本的な部分での淡泊さ──諦めの早さが、陸朗をスピット・ダンプという場所に押し込んだ原因なのだろう。
「だったら、盛り上がってみればいいじゃない。キミの潜在能力はかなりのもんだよ。磨けば光る珠ってやつさ。正直少しばかり嫉妬したし、腹が立った。どうしてこんなにすごいやつが、こんなところでくすぶってるのかって」
「それは……勝手すぎますよ、会長」
「分かってるって。でもね、僕は本当にそう思うんだぜ? だから……」
「だから、何? だから私を倒すために、その力を貸してくれ。そうとでも、言うつもりなの?」
その声は、店の戸口のほうから聞こえてきた。
刺すような視線に、振り向くのを一瞬ためらう。だが、躊躇している場合ではないだろう。私を倒すため──彼女はそう言ったのだから。
言葉の意味を、確かめずにはいられない。
「そうやって、その男を引き込んで私を倒そうというのね、雪乃」
立っていたのは、さっきまでカウンターの向かいにいた青葉台女子の生徒だった。
もう一人の小柄な少女を横に連れた彼女は、制服の胸を反らし、眼鏡の奥から鋭い視線を陸朗に──いや、雪乃へと向けている。
これが誰であるかを問うのは、野暮というものだろう。彼女は雪乃に言った。
私を倒すつもりなのかと。雪乃が倒そうとしているのはただ一人、親友にして仇敵の『聖銀の女皇』だ。
ならば彼女こそが『聖銀の女皇』その人であると察するのは、難しいことではなかった。
「……ああ。その通りさ、僕と彼とでお前を倒す。そのつもりだよ、さやか」
「できるつもりなの?」
「やれるさ。愚かなお前を倒すことぐらい簡単だ、彼の力を借りればね」
「愚か? 何が愚かだと言うの?」
「全部がだよ。仮想空間で、現実で、何度僕に言わせる気だ。お前は間違ってるんだよ、さやか。お前とお前の騎士団が、『ペルソナクライン』をどれだけ混乱させてると思ってる? 見るに堪えないよ。だから僕と彼とで、お前に引導を渡してやる。今度こそ、お前の作ったお前の『世界』を破壊してみせる。それが……お前の道を誤らせた、僕なりのケジメってやつだ」
「……ッ!」
ギリッと、女皇が──さやかと呼ばれた少女が唇を噛んだ。
「それをあなたが言うの?」
「言うさ。だって、僕とお前は……親友だったんだから」
それは、あくまでも過去形。