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恐る恐る近づいてきたアリスター殿下を、私の指示の元でライライがぬいぐるみを操って抱きしめる。
五歳児と大きなクマのぬいぐるみの組み合わせって最強じゃない?
もちろん、シカのぬいぐるみ等でもいいわよ? でも、殿下の部屋には超高級ブランドのクマさんしかいないのだ。
殿下は恐怖しているというよりも、表情を見るにクマに抱きしめられて喜んでいる様だ。
『カブトムシ好き?』
私はわざと魔道具から幼げな男の子の声を出している。
殿下の持っている魔道具は一種類の声しか出ないようにしているが、私の持つこれなら調整次第でどんな声でも出すことが可能だ。猫の鳴き声なんかも出せるのだ。
殿下は顔を輝かせて頷く。
以前、私が魔道具開発のために城にいた時にも殿下にカブトムシを持って行ってあげた。
殿下はその時、長期間続いた高熱が下がっていたものの体力が失われて、さらに声まで失ってふさぎ込んでいた。
私は城の庭でたまたまカブトムシを捕まえたので、それを掴んで持って行ったのだ。
殿下付きの侍女たちにいい顔をされなかったが、殿下は大層喜んでいた。
『じゃあ、お外に出る?』
アリスター殿下は声が出なくなってから、引きこもりがちになっている。
『今なら、ギリギリでカブトムシがいるかも?』
カブトムシは一年中いるわけではないのだ。一カ月前ならちょうどシーズンだったはずだが、今は本当にギリギリだ。
殿下が頷いてくれたので、ライライにクマのぬいぐるみを持たせたまま、私は殿下と手をつないで城の庭に出る。
殿下と手をつないだ状態でも魔道具を使えるように昨日作業をして、首からかけられるようにしておいた。
しかし、重量が少しあるので首が凝るのだけがネックだ。首だけに。
父みたいなオヤジギャグを心の中で飛ばしながら、殿下の歩みに合わせてゆっくり歩く。
殿下は久しぶりに自室から出るのに、やや緊張している様だった。扉から出たところまでは良かったが、廊下を歩いていると顔を俯かせている。
『大丈夫ですよ、殿下。クマさんも一緒ですから』
ライライは虚無の表情で大きなクマのぬいぐるみを抱いて歩いている。護衛はるっくんに全面的に任せて、彼はぬいぐるみ運搬係だ。
顔がよく、長い金髪をなびかせた騎士がクマのぬいぐるみを抱いて歩いている姿は、非常に目立つので注目を集めている。
『ほら、クマさんがみんなに手を振ってますよ』
無茶ぶりすると、ライライは虚無の顔でクマの手を掴んでやや乱暴に振った。その行動はむしろ、クマがはしゃいで手を大きく振っているようにしか見えなかった。
るっくんは後ろで腹を抱えて笑っている。
殿下もこれまた恐る恐る、お辞儀をする使用人たちにクマの真似をして手を振る。
そうやってふざけながら、私は以前カブトムシを見つけた木のところまで殿下たちと一緒にやって来た。
『以前、ここでカブトムシを見つけました。殿下に差し上げた子です』
殿下は木を見上げたり、ペタペタ触ったりしている。
クマは後ろで大人しく待機だ。
『今日は見つからないですね』
現在はお昼の時間だ。
カブトムシは夜行性なので、昼は見つけにくいだろう。
『こうやって樹液が出ている場所にカブトムシは集まります』
殿下は、私のカブトムシの講義を頷きながら聞いてくれている。彼が頷くたびに銀髪が揺れて陽の光を受けて輝き、美しい。
羨ましい、私もいつか銀髪に生まれたい。私は父似でピンクブロンドなんだけど、どうも初対面の人からバカっぽいという印象を持たれやすいらしいのだ。
銀髪なら、賢そうに見えるかもしれない。
『しばらく待っていたら、カブトムシが集まってくる場合もあります。木の枝先にいることもありますから手が届きそうにない場所でもよく観察しましょう』
「なんで、ルリアーネ嬢はあんなにカブトムシに詳しいんですかね?」
後ろでるっくんがライライに話しかけているが、無視されている。
カブトムシは子供でも大人でも、ロマンでしょうが! むしろ、知っておくべきことでしょう。
しばらく待って、さまざまな場所を見てもカブトムシはいなかった。
殿下は見上げすぎて首が痛くなったらしく、地面に座り込みそうになっている。
『殿下、それでは木の根元も探しましょう。カブトムシさんが隠れている場合もあります。土が盛り上がっているところ、土の色が変わっているところにはいるかもしれません』
「どうして、カブトムシにさんづけ……」
るっくんはツッコミ属性があるらしい。ライライはクマのぬいぐるみに擬態しているつもりなのか、いろいろ諦めの境地なのかずっと黙っている。
『スコップで大きく掘ってしまうとカブトムシさんが傷つくので、優しく掘ります』
殿下と一緒にしばらく木の根元をうろうろし、掘ってみてカブトムシを一匹発見した。
その時の殿下の顔といったら! とても良かった。
平気で土を掘り返し、カブトムシを親指と人差し指でつまんだ私にライライとるっくんは引いている。
殿下にもカブトムシを持たせると、殿下はしばらく嬉しそうに観察して木の幹を歩かせた後で解放してあげていた。
『飼わなくて良かったんですか?』
殿下は頷いて、私に向かって大きく口を何度か開ける。
おへやじゃ、かわいそう。殿下はそう口だけで言った。
そうなのよね、私もカブトムシはエヴァンと一緒に捕まえて飼ってみたのだけれど……。たまに胴体真っ二つになって死んでいるのが怖くて……。
死ぬといろんな箇所が柔らかくなって、頭部と胴体のつなぎ目も柔らかくなって千切れて真っ二つになるというのは調べて分かったけれど。あれを殿下にわざわざ見せるのもね……。
殿下は飼わないものの、カブトムシを見るのは好きなようでそこから飽きもせずに私と一緒に散歩とカブトムシ探し・観察を続けた。
もちろん、クマのぬいぐるみの同伴付き。
カブトムシは夜行性だなんて教えない。
殿下が夜や朝方に寝室から抜け出して探しに行ったら困るもんね。
それに、そろそろカブトムシは見納めだ。
カブトムシ探しは一週間ほど続き、メアリーさんの休みが明ける前に殿下のブームは終わった。
そして、私が殿下と魔道具を通してのみ会話をしていたせいか、殿下はやっと魔道具に興味を持ち始めてくれたのだ。
殿下が私の指の動きをじぃっと追っていることが増えた。
そして、アリスター殿下はある日、紙にこう書いてくれた。
『ぼく、ヘンしゃない?』
紙に書かれた、スペルミスのある言葉。
多分「ヘンじゃない?」と言いたいのだろう。私は魔道具に指を滑らせる。
『変であることの、何がいけないのですか?』
『だって、こえ、でないもん』
誰かの陰口が耳に入ったのだろうか。私が来てからそんな陰口は聞いていないが……。これは王妃様に報告案件だろうか。
『良くないですか? 変でも、変じゃなくても。私にとってアリスター殿下は変じゃないですよ。銀色の髪が綺麗で羨ましいなぁっていつも思っています』
私だって変わり者と呼ばれている令嬢だ。
でも、自分の一度きりの人生だもの。自分のしたいことをやったらいいじゃない。
私の場合は、エヴァンが亡くなってから自分のしたいことしかやっていない。政略で婚約もしていないし、令嬢らしいことだってやっていない。
それで、家族に多大な迷惑をかけて尻拭いをさせていることも知っている。でも、おかげで王妃様に声をかけていただいた。
普通と違うことを、変だとか変わり者だとか言ってはいけないわけじゃない。
でも、そんな外野の言う通り生きたってつまらない。そんな外野は、人生の責任なんて取ってくれないんだから。
自分の人生なんだから、好きに生きたらいいじゃない。
周りのこととか、これが普通だなんて気にせずに。生きてたら迷惑はかけるんだから。
これを五歳児に説明するのは難しい。
メアリーさんは、殿下を声を失った可哀想な王子として見てしまっている。他の侍女たちは殿下にどう接していいか測りかねている様だ。
もしかしたら、殿下にもそれが伝わってしまっているのかもしれない。
だから、私だけは彼を可哀想とは思わないで接するのだ。
分かるのよ。あぁ、私は「可哀想な子」とみなされているんだなって、人の眼差しで。目は口ほどに物を言うのよ。
エヴァンが亡くなった後、私は可哀想な子だった。
そう他人から見られるのが、私はたまらなく嫌いだった。
『殿下、見てください。この文字盤、暗いところで光るようにしたんですよ。ぴかぴかなんですよ』
だから私は、殿下のことを察しないで、身分的に難しいが対等でなるべくいるようにするのだ。
殿下は可哀想じゃないし、私も可哀想じゃないから。