母の言葉
男は、無言ですいとんを食べた。
左肩の怪我でまだ上手く上げられない左手で器を支え、無心にスプーンですいとんを掬い、口に運ぶ。
そんな、男を見て、シェナは、自分のスプーンを一旦止めた。
この人、多分一杯じゃ足らない。
それに、
「ねぇ、お代わりいる?」
「ッ、ング、え?・・・・!!、あ、ああ」
シェナの問い掛けの声に我に返った男は、自分の『すいとん』が殆ど無くなっている事に気がついた。
警戒を解いたと言えば嘘になるが、あの暖かい味をもう一度食べたいと、無意識に、空になりかけていた器を少し気恥ずかしそうに、シェナに差し出す。
「うん」
シェナは、男から器を受け取ると、代わりに綺麗なクリーム色の布を男に差し出す。
「はい」
「え?」
シェナに差し出し出された布とシェナを見比べる。
「そんなに泣いていたら、しょっぱいでしょ?」
「あ?え?」
シェナの言葉に、男は反射的に自分の目を擦ると、右手の平が微かに濡れていた。
「ッ!、ぅ、あ、」
その時、男は初めて自分が泣いている事に気がついた。
さっきまで自覚が無かったが、一度自覚してしまうと、急に目の奥が熱くなった。
喉の奥もピリピリと痛くなる。
無意識に流れる涙で頬が熱くて冷たい。
「く、あっ・・・・!!」
慌てて、目の前に居るシェナから隠すように身体を出来るだけ逸らし、流れる涙を止めようとするが、
「・・・クソ!!」
右手でいくら拭っても自分の両目から溢れる涙は止まらない。
自分はこんなに弱かったのか?
涙が止まらなくて、そんな自分に情けなく思う自分に思わず、苛立つ。
「・・・・・はい」
「ッ!」
シェナはそんな男の姿を見て、少し強引に男の右手を掴み持っていた布を渡す。
「片手よりそっちの方がいいよ。お兄さん」
そう言いながら、シェナは、鍋の中をかき回す。まだ熱を持つ鍋の中から湯気と香りが舞い上がる。
温かい湯気とふくよかな香り。
胸の奥がキュッと痛む気がした。
俺はこの香りを知っている。
記憶の片隅にあった、小さな記憶。
昔、仲間と食べた。
小さな食堂で、具が少なく、味も薄かった気がする。
だが、温かく、コレと同じ温かい味がした。
あの時、何気ない話で盛り上がり仲間と笑いながら、食べた、味。
目に当てた布がまた男の涙を吸収する。
シェナは、声を殺して涙を抑えようとする男を見て、
「・・・・・・お兄さん、死ぬつもりだった?」
「ッ、!!」
「それとも、死にたかった?」
「・・・・・・・・」
男は両目に布を当てた体勢で動かなかった。
だが、何かに堪える様に小さく震える身体を抑えている。
この質問は少し意地悪だったかな。
そんなことを思いながら男を見てシェナは、その場にストンと胡座をかいて座った。
「・・・・・。これは、小娘の戯言だと思っていいよ」
「・・・・・・・」
男は何も言わなかった。
「人はね、自分が思う以上にプライドが高い生き物なんだって。だから、いざ命を投げ打つ覚悟をしても、心の何処かで頭の何処かで「これでいいのか?」って、自分に問い掛けるんだって。そして、その問い掛けに気が付いたら、人は知らずの内に『生』にしがみ付いてしまう。
でも、これは生き物の本能なんだって。
・・・・・・亡くなった私の母さんが、よく言ってた。「人が死んでも変わる事はたかが知れている。だけど、人が生きて変わる可能性は幾らでもある」
って」
男はシェナの戯言を黙って聞いていた。
「生き物は『死』からは逃げられない。命はいつ無くすか分からない。
だから、生きたい時に生きなきゃ損なんだって。
こんな世の中、生きていけば、投げ出して逃げたくなるくらい、辛い事や後悔する事なんて山の様にある。
だけど、生きていれば、ずっと守りたくなる様な、楽しい事も嬉しい事もある。それは、全部自分の生きる意味になる。大切な証になる。
大事なのは自分の命で生きるだけ生きて、最後に自分の納得のいくケジメをつける事。これも、母さんの言葉」
魔力も無く魔法を使えない亡き母、ルリコの言葉。
いつも笑顔で、娘のシェナから見てもよくふざけて、周りの人達を巻き込んで笑顔にしていた。
幼い時は、母の言葉の意味を理解することが難しく首を傾げていたが、歳を重ねていくと、その意味も、母が込めた願いも少しずつ理解することができた。
「・・・・・君の母親は哲学者か何かなのか?」
そう言いながら、布から顔を上げると、やっぱり男の目元が赤くなっていた。
「うんん。料理が上手くて喧嘩が強くて怒らせると、めちゃくちゃ恐い、普通のお母さん」
「・・・・・・すごいな、君の母親は」
「うん。私も一生敵う気がしない。・・・・・・・・・ねぇ、お兄さん」
「・・・・・なんだ」
「お兄さんは・・・・・・・死にたかった?」
シェナの青い眼が、男の深いブラウン色の眼を見つめる。
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