第十八話:フランチェスカ様は正しく教皇。それ以上でも以下でもないわ
「皆さん! あと三十分程で、メティア聖公国です!」
船室にヨハンの声が響く。何度かこうやって声をかけられたもんだが。いや、なんだ。なんとも妙な気分だ。なんで操縦室に居るヨハンの声が船室にまで届くんだよ。なんて、最初は思ったもんだ。
構造を聞きゃ、簡単な話だ。操縦室からは、金属でできた細いパイプがそれぞれの部屋につながっているらしい。声はパイプを通り、船室に届く。そんな作りなんだそうだ。なんで音が小さくならねぇんだ、とは思いもしたが、なんやらそれもまた「科学」ってやつが関係しているらしい。
ベッドから起き上がり、両腕を伸ばす。
一週間だ。ヒスパニアから出て。一週間。
たかが一週間。されど一週間。歩き、野宿をし、魔物を蹴散らしながら旅をしてきた今までと比べると平和すぎた。つまり、アレだ。暇だった。暇すぎた。
楽しみと言える楽しみっちゃあ、一日三食の飯ぐれぇだ。その度に拝むミリアの魅力的なボディラインは勿論目に焼き付けた。眼福だよ。
んでもって一人部屋だぞ? 何度世話になったことかわからねぇ。だが、それも船が出てから三日までだった。
忘れてたんだよ。エリナが心を読む魔法を使えるってことを。あの時のゴミを見るかのような目は忘れられねぇ。ババァより練度は低いんだろうが、それでも敏感に察知しやがる。一人部屋がパァだよ。あいつ、「一人でスるぐらいは許す」、なんて言ってたよな? ちょっとは大目に見やがれ。
キースはどうやって発散してやがるんだ? なんて疑問に思って、ちょっとばかし部屋を訪ねてみたら、汗ダクダクで筋トレしてやがった。あぁ、そうか。やっぱ脳筋なんだな。悩みがなさそうで、羨ましいなぁ、なんて思ったのは内緒だ。
そんなこんなで一週間。うん。長かった。荷物をカバンに詰め込んで、船室を出る。
「あ、ゲルグ。長かったですね。一週間」
「よぉ、ミリア。でもアレだろ? お前らが世界中周ってた頃は帆船使ってたんだろ? それに比べりゃ速いんじゃねぇのか?」
「えぇ。蒸気船。凄いですね。ただ、あの時ヒスパーナからメティア聖公国に行った時は、船は使わず山を超えたんですけどね」
山越え? マジで言ってんのか? ヒスティア山脈を?
「流石に寒かったですねぇ」
寒かったで済ませられるお前が信じられねぇよ。ヒスティア山脈っていやぁ、超えるのに命がけなんて言われるほどだぞ?
「いや、なんっつーか。すげぇな」
「他に方法が無かったので。ヒスパーナは魔王軍の攻撃でボロボロ。船を出す余裕も無かったんです。今まで行ってませんでしたが、正直、ヒスパーナの復興ぶりには驚きました」
「そんなヤバかったのか?」
「はい。死の大陸に一番近いのはルイジア連邦国ですが、連邦は強大な軍事力を持っています。魔王軍も攻めあぐねる程度には。ですが、ヒスパーナの軍事力はそれに比べると貧弱で……」
まぁ、国土の八割が農地だ。エリナの話を鵜呑みにするなら、ヒスパーナに攻める国なんて、まぁいねぇ。過剰に軍事力なんて強化する必要がねぇ。
「偏にアナスタシア様のお力なんでしょうねぇ」
「……あ~。あの女なぁ。優秀そうだからなぁ」
「ヒスパーナで魔王軍と戦ったときも、何度彼女の知恵に助けられたか」
「ほー」
「あ、すみません。あんまり興味無かったですよね。楽しい話題でもないですし」
「いや、興味があるわけじゃねぇが、無関心ってわけでもねぇよ」
「なら良かったです」
じゃあ、行きましょうか、とミリアがニコニコと笑う。このニコニコ顔も見慣れたもんだなぁ。っていうのは、置いといて、だ。
「……アスナ。音もなく後ろに立ってんじゃねぇ」
振り返って一睨み。近づいて来たならなんか言えよ、馬鹿。
「ん。ごめんなさい。ゲルグとミリアが仲良く話してるから」
「ただの雑談だよ。お前も混ざりゃいいじゃねぇか」
「混ざってよかったの?」
「何を気にしてんだ? 良いに決まってんだろ」
「ふうん」
よくわかんねぇ顔すんな。なんちゅー顔してんだよ。
「さ、行くぞ」
船が港に入る。
ワンダから貰ったフード付きマントを羽織ろうとした俺達を見て、フィリップが小さく笑った。
「あ、大丈夫ですよ。連絡してありますから」
連絡?
「教皇猊下に書簡を送ってます。きっと、教皇猊下がお出迎えしてくださるんじゃないでしょうか」
「教皇が? そりゃ、なんちゅーか、すげぇな」
教皇がお出迎えって、それってすげぇことなんじゃねぇのか? メティア教のトップだろうがよ。
「ゲルグ。メティア教では、勇者は教皇猊下よりも尊いとされています。猊下がアスナ様を出迎えるのはおかしな話ではないですよ」
ミリアが俺の素っ頓狂な声に補足してくれた。へぇ、そういうもんなのか。
「入港します!」
ヨハンが叫ぶ。船がスピードを落として、ゆっくりと桟橋に近づいていく。徐々にその速度は遅くなり、船がぐらりと揺れた。錨が降ろされる。
桟橋に何人か居た男の一人が、船を見て、魔法で連絡を取るような仕草をする。教皇とやらに連絡しているんだろうか。
ヨハンがぱたぱたと駆けて来て、桟橋にロープを投げる。桟橋の男の一人がそのロープをキャッチし、出っ張りに括り付けた。それを確認し、しばらくしてからヨハンがタラップを渡す。
それとほぼ同時だろうか。街の方から神官服をいっとう豪華にしたような服を来たガキが走ってきた。その後ろを泡食った様子で如何にも神官といった風貌の兄ちゃんが叫びながら追いかけている。
「教皇猊下です。行きましょう」
フィリップが耳を疑うようなことを言い始めた。え? あれが? 教皇? あの、まだ下の毛も生えてなさそうなお嬢ちゃんが? マジで?
混乱する俺を尻目に、フィリップと、アスナ達四人がタラップを歩いていく。え? ちょいまて。置いてくんじゃねぇ。数秒程呆けていた俺はヨハンをちらりと見る。
「あ、僕は、船のメンテナンスとかありますので、後ほど街で宿を取ります。お気になさらず」
「お、おう」
裏切り者め、なんて思いながら、ヨハンから目を離し、アスナ達のケツに追っつく。
俺達がタラップを渡りきると同じくらいに、教皇サマとやらが、息を切らしてアスナ達の前までやってきた。
「はっはっ、ゆ、勇者、アスナ・グレンバッハーグ様。お久しゅうございます」
「ん。フランチェスカも元気そう。良かった」
「アスナ様もです。国際手配と聞いて何事かと思いましたが、ご健勝そうで何よりです」
額にブロンドの前髪をひっつけて、汗だくなそのお嬢さんは、まさしく「教皇」。そんな清楚な顔立ちだった。いや、驚いたよ。ここまで、「清らか」なんて言葉を体現した存在がいるのか、なんて、ガラじゃねぇことが頭に浮かぶぐらいには。
「フィリップ三世。お会いできて光栄です」
「教皇猊下。こちらこそ、お会いできて光栄です」
格式張った挨拶が始まる。あぁ、こういうのって苦手なんだよなぁ。俺は五人の後ろで目立たないように縮こまる。お偉いさんってのはどうにも苦手だ。というより、俺は小悪党。偉ぇ奴は敵だ。そういう人生だった。
教皇なんざにも、会うことなんて、想像すらしちゃいなかった。
そんな格式張った挨拶をフィリップとフランチェスカとやらがしていると、教皇サマを追っかけていたんだろう、神官どもが教皇サマ以上に汗だくになりながら、追いついてきた。
「げ、猊下……。も、もう少しお立場というものをお考え下さい……。ぜぇ、ぜぇ」
「いくら聖公国内とは言え、危険です、から……。はぁ、はぁ」
「あら、ごめんなさい。アスナ様にお会いできるのが嬉しくってつい」
ガキがしとやかに微笑む。いや、お前さん何歳だよ。見たところフィリップと同じぐらい。十二歳ぐらいだろう。その歳でそんな笑顔、そうそう浮かべられるもんじゃねぇぞ。
「フランチェスカ様。いえ、今は教皇猊下ですね。お久しゅうございます」
しずしずとミリアが一歩前に出て、深くお辞儀をする。
「ミリア。ご健勝で何よりです。お変わりありませんか?」
「お陰様で」
「元気そうな顔を見れて何よりです。……立ち話もなんですね。教皇庁に行きましょう。しばらくゆっくりしていって下さい」
俺は遠慮しとこう。今までは成り行きであんまり気にしてなかったが、流石にメティア教の総本山なんて場所、場違い過ぎる。俺はエリナに、「街でブラブラしてるから、勝手にやってくれ」と耳打ちしようとした、んだが――。
「ゲルグ様、ですよね。お噂はかねがね」
先手を取られやがった。っていうか、噂ってなんだ? 噂って。
「テラガルドの魔女、ジョーマ様から話は聞いています」
その素性も経歴も何もかも、とニコリと笑った。あぁ。このガキがなんで教皇なんて立ち位置にいるのか、今なんとなく理解した。理解できた。
その可憐としか言いようが無い笑顔に、何故か背筋が凍った。
凍りついて、口をパクパクさせることしか出来ない俺に、エリナがボソリと耳打ちした。
「子供だからって猊下を舐めない方が良いわよ。フランチェスカ様は正しく教皇。それ以上でも以下でもないわ」
エリナをちらりと見遣って、首をガクガクと縦に振る。それしかできなかった。
いや、怖ぇ。エリナよりも怖ぇ女――しかも見た目十代前半のガキときたもんだ
――がいるとは思いもしなかった。
教皇サマ手ずから案内されて、俺達六人は教皇庁――教皇が住む宮殿をそう呼ぶんだとミリアから説明された――の謁見室までやってきた。
ガキが、その身の丈にはでかすぎる豪華な椅子に、よっこらしょ、と腰掛ける。一息ついて、その後でお付きの神官どもを見遣った。
「ごめんなさい。下がってくださいますか? 扉の外の警護をお願いします」
「げ、猊下、ですが!」
「良いのですよ。アスナ様とその御一行様です。私に害を為すことはありません。それに」
出来ませんから、と笑った。やりません、やら、信じています、じゃねぇ。「出来ません」、ときたもんだ。勇者なんて存在を舐めてる様子もねぇ。その言葉のニュアンスに空恐ろしいものを感じた。
「……委細承知仕りました」
神官どもが不承不承といった表情を浮かべながらも、謁見室.を後にする。
「さて、アスナ様、エリナ様、ミリア、キース様、ゲルグ様。メティア聖公国は皆様への国際手配を認めないことをここに宣言いたします。……というよりも、もう宣言済みです。ここまでの道程、大変だったでしょう。労わせて下さいませ」
「ん。ありがと。フランチェスカ」
「いえ。他ならぬアスナ様とその御一行。我が国は、フランチェスカ・フィオーレの名の下に、皆様を全面的に保護致します。ここまでよくご無事でおいでになられました。フィリップ三世。アスナ様への助力。感謝申し上げます」
フィリップが跪く。
「アスナ様、エリナ様、キース様、ミリア様には、私も多分に恩義のある身。当然のことでございます」
「よろしいことですわ」
ガキがニコニコと満足気に笑う。同じ笑顔でも、ミリアのニコニコ顔とは訳がちげぇ。世界中で信仰されている宗教。メティア教。その総本山のトップに相応しいとしか言えねぇ、そんな笑顔だ。
「さて、ジョーマ様から委細聞いております」
笑顔を崩さずに、教皇サマが静かに話す。
「魔王がまだ生きている。そうですね?」
その目が不穏にギラリと光った気がした。
「魔王の排除。それはメティア教、聖公国としても悲願です。アスナ様、いえ、勇者アスナよ。再び命じます。魔王を討滅して参りなさい。協力は惜しみません」
「ん。元よりそのつもり」
「……アスナ様はアスナ様ですね。そう仰ると思っておりました。とはいえ、魔王が生き返るまでにはまだ猶予があります。十二分に準備をし、備えて下さいませ。それまでは、ここでごゆるりとお過ごし下さい」
「ん。ありがと」
「とんでもないです」
教皇サマがその豪華な椅子から、立ち上がる。
「タナトス霊殿。その門を開きます。必要なんですよね?」
「そう聞いてる」
「死の精霊の試練は過酷なものになります。それ故、他の精霊と違い、チャンスは何度でも与えられます。そう伝えられています」
ほう、そうなのか。試練は一度だけ。それが常識だと思ってた。
「とはいえ、皆様お疲れでしょう。先程も申し上げましたが、しばらくゆっくりとなさって下さい。客室を用意しています。案内させますので、ごゆるりとおくつろぎください」
ガキがパン、パン、パン、と三度手を叩く。謁見室の扉がゆっくりと開きさっきの神官どもが入ってきた。
「皆様、アスナ様達を客室にご案内差し上げて下さい」
「承知仕りました。皆様、こちらです」
一言も話しかけられてねぇはずなのに、なんだ。すげぇ疲れた。客室まで行ったら、ソッコーでだらけるな、こりゃ。
「あ、ゲルグ様。貴方とは二人でお話ししたことがございます。残っていただけますか?」
……またこのパターンかよ。ルマリアで懲りたっての。
アスナが心配そうな顔でちらりと振り向く。大丈夫だよ。ここでどうこうされるなんざ思えねぇ。さっさと行け。
アスナ達が謁見室を後にし、扉がゆっくりと閉まる。
ややあって、ガキがゆっくりと口を開いた。
「さて、ゲルグ様。貴方のお考え、なんとなく把握しています」
「教皇猊下サマ。何を把握されてるっていうんですかい?」
俺のたどたどしい言葉に、教皇サマが、ふふふ、と笑う。
「そんなに畏まらなくても良いですよ。ジョーマ様から、貴方の人となりは聞いています。ここには他に誰もいませんし、会話を聞かれることもございません。普通に話してくださいな」
話のわかるガキだ。
「んじゃ、ありがたく……。で? 俺の何をわかってるって?」
「アスナ様の元を去ろうと、そうお考えなのでしょう?」
こいつも心を読む魔法でも使えんのか?
「あ、別に魔法で心を読んでいるわけではありませんよ。ミリアと同じく、私には神聖魔法の適性しかありません」
はぁ? じゃあ、なんで分かんだよ。
「なんで分かんだよ、ですか。ふふ。私が授かった『叡智の加護』によるものです。見通し、理解する。万能ではありませんけどね。事実、魔王を殺せていないことまでは予測出来ませんでした」
まぁ、そこまで予測できてたら、今この状況になってねぇだろうな。叡智の加護か。ババァがなんか言ってた気がするなぁ。なんだったかなぁ。うん、忘れた。
「これは命令ではありません。お願いです」
ガキが何やら改まった顔で俺を見つめる。
「アスナ様の元を離れないであげてください。貴方は、アスナ様に必要なお方。そのことをどうか努々忘れることのないよう」
必要、か。アスナにも何度も言われたな。だが、薄ぼんやりとだが、もう決めてんだ。決めちまった。
「善処するよ」
「……わかっていましたが、初対面の私の言葉では、やはり届きませんか……。いえ、それはそれで運命なのかもしれません。承知しました。行く末をしっかりと見定めさせていただきます」
「だから、善処するって言ってんだろうがよ」
「言葉は表層的なもの。貴方の真意は、わずかばかりですが理解しています。……ですが、これ以上何を言っても、きっと貴方の思いは変えられない。そのことも理解しています。ダメで元々、申し上げただけです」
鼻を鳴らす。理解してる? 理解されてたまるかよ。お前さんみたいなガキに俺の何が分かる。口にも顔にもだしゃしねぇがな。何より、ちょっとでも歯向かった瞬間、多分俺が死ぬ。そんな予感がした。
そんな俺の顔を見て、ガキがまた笑う。
「ここで貴方がどんな顔をしても、どんな行動を取っても、私は貴方をどうこうするつもりはありませんよ」
それに、そんなことしないでしょ? と、俺を見つめやがった。食えねぇガキだ。
フランチェスカが、またさっきと同様に手を叩く。神官が謁見室に入ってくる。
「ゲルグ様を客室前ご案内いただけますか? 丁重に」
「承知仕りました」
俺は名前も知らねぇ神官の後をのそのそと付いていく。
その背中に、ガキの凛とした声が投げかけられた。
「ゲルグ様。どうか、アスナ様を、よろしくお願い致します」
ようやく、目的地であるメティア聖公国にたどり着きました。
ここまで長かったね! おっさん!
もうちっとだけ続くんじゃ。
いや、もうちっとじゃないです。まだまだ続きます。
次話、エピローグと、エリナ様視点の閑話を挟んで、第三部は完結となります。
大丈夫! アスナのし(略)
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とーっても励みになります。マハロ!!!!
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眠いので多分自然に死にます!!